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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅶ 未来は塵となって
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chapitre99. 果てしなく遠い心

 統一機関の研修生で、多くの友達に囲まれていた2年前。ロンガを守るためにその生活を捨て、牢獄グラス・ノワールで厳しい生活を送っていた数ヶ月前。混乱に乗じて脱獄し、ハイバネイト・シティに乗り込み“春を待つ者(ハイバネイターズ)”の仲間として行動しつつも、密かに地上との和平を模索していた数日前。


「――なんだか」


 シェルについての話を聞き終えたサテリットが、戸惑うような表情で言った。


「色々なものを失い続けているのね、彼」

「そうだね。研修生だったころの暮らし、囚人だったころの仲間、最下層にいたころの環境――やむを得ず捨てたり、あるいは奪われたりして」

「だな。で、それを繰り返した結果さぁ」


 シャルルが頷いて、隈のできた目元をロンガに向ける。


「平穏だった頃から残ってる大切なものが、もうお前だけってことじゃねぇの?」

「……そうか」


 彼らの言っていることがようやく理解できて、ロンガは唇を噛んだ。


「私はこの2年間、楽しかった。バレンシアで皆と親しくなって、ラ・ロシェルでも色々な人と知り合えた。統一機関にいた頃は、いかに狭い世界で生きていたことかと驚いた――けど」

「彼は逆かもね」


 アンクルが重たい表情で言った。


「ロンガにとって、世界が広がった2年間だとしたら……シェルにとっては、広かったはずの世界が弾けて消えていくような日々だったのかも」

「でもソルは、そんなこと一言も」

「いいえ、自分では気付けないと思うわ。だって、貴女が統一機関にいた頃、自分の世界は狭いなんて思っていた? 広がって初めて、狭かったと思い返したんでしょう」


 サテリットに、変わらない深い眼差しで見つめられて、ロンガは言葉に窮する。仲間たちの言っていることは間違っていないように思えた。賑やかで暖かい生活を享受できた自分と、牢獄で厳しい生活を送っていたシェルの差を薄々感じてはいたが、捉え方がまだ甘かったかもしれない。


 大切なものを失い続けた2年間。


 生き続けるために生きていた、枯れて色のない暮らし。いや、きっと彼なら、そんな日々にだって楽しいものを見出したはず。だけど、氷上にようやく築いた暖かい生活すら彼の元を逃げ出して――それでも前に進み続けた。


 奪われては次を探す、終わりのない戦い。その果てに行き着いたのが、(まが)いものの太陽が照らす、あの部屋だったのだ。


「……どうしよう。分からない」


 そんな彼の心境なんて、平和な2年間を過ごしていたロンガに想像できるはずもなかった。めまいを覚えて背もたれに身体を倒すと、酷い顔してるぞ、とシャルルが苦笑する。


「ソルに何をしてやれるんだろう。だって――私がどう頑張ったって、彼が失ったものの代わりはできない」

「彼自身が喪失を受け入れるしかない、よね」

「いや、受け入れる気はあるようなんだ。むしろ、真摯に捉えすぎていて、それが心配で」


「――ねえ!」


 割って入ってきた叫び声が、会話を中断させる。


 部屋の扉が音を立てて開けられ、今まさに話題の中心だった人間が飛び込んできた。警戒して立ち上がったロンガの目が、暗い赤の眼差しに捉えられる。強ばった表情が、ロンガの姿を見てふっと力なく緩んだ。


「……ああ、なんだ、こっちの部屋にいただけか。良かった」


 立ち尽くすシェルの姿を、ロンガは見つめた。


 髪を結んだまま眠ったからだろう、変に寝癖のついた髪が肩で跳ねている。パーカーが肩からずり落ちて、痩せた腕が見えていた。いつも付けているイヤリングは、締め方が甘くて不安定にぶらさがっている。


 改めて見ると、随分と疲れ果てた姿だった。


 ロンガは倒してしまった椅子を直してから、誰よりも大切な友人に、慎重な足取りで歩み寄る。


「ソル、どうした」

「ごめん。起きたら、いなかったから、驚いただけ」

「……そうか」


 シェルは疲れた目元をごしごしと擦っている。ロンガは彼の服を直してやりながら、後ろで見守っている仲間たちにちらりと視線をやった。アンクルが頷いて、ひとつ椅子を持ってくる。シャルルが立ち上がって、シェルの肩にぽんと手を置いた。


「なあ、お前もこっちで話そうぜ」

「ああ……シャルル、昨日は薬をくれてありがとう。おかげで眠れた。でもごめんね、寝直すつもりなんだ」

「ソル? 待って、話が――」

「またね」


 口の端を持ち上げて、シェルが部屋の中に手を振った。笑顔らしき表情を浮かべた一瞬だけ、記憶の中にある彼と現在の姿が重なり合う。だが、引きつった頬も落ちくぼんだ目元も、彼の苦悩をありありと描き出していた。


 彼は素早く身体を翻して、部屋の扉を開けて出て行った。伸ばした手が届かずに宙を切り、ロンガは途方に暮れる。助けを求めるように部屋に振り返ると、サテリットが静かに口を開いた。


「……隣にいてあげて」

「私にできることなんて――」

「何もできなくても、いるだけで良いと思う」


 そう言って、サテリットがアンクルにちらりと視線をやった。ね、と確認するように問いかけられて、アンクルが顔を赤くする。一連の流れを見ていたシャルルが、眉をしかめて「ああもう」と腕組みをする。


「何だよ、もうくっつきかけてんのか。俺がいる前で甘ったるい視線交わしてんじゃねぇ、他所でやれ他所で」

「5年経っても相変わらず口が悪いのね」


 サテリットが目を細めて文句を言うのを横目に見ながら、ロンガは友人の元に向かった。


 *


「ソル」


 控えめに扉をノックすると、数十秒の沈黙の末に鍵が開けられた。


「寝るって言ったのに」

「じゃあ寝て良いから、部屋に入れてくれ」

「……あの子たちの入れ知恵?」

「なんでそんな嫌な言い方をする」


 ロンガが眉をひそめると、シェルは気の進まない様子ながらも扉を引いて、中に入れてくれた。彼は寝台に仰向けに倒れて目を閉じる。そのままの姿勢で「あのさ」と切り出した。


「悪いけど、彼らとこれ以上関わらないでおこうと思ってる」

「どうしてだ。何か気に障ったか?」

「違う、あの子たちが悪いわけじゃなくて。ルナの恩人で仲間でしょ。それだけで感謝できるのに、すごく良い人たちなんだもの。ぼく、このまま彼らと関わり続けたら、間違いなく好きになるよ」

「じゃあ、どうして――」

「だからこそ、大切なものはもう増やせない。抱えきれない」

「抱える?」


 その表現を彼が選んだ理由が分からなくて、ロンガは眉をひそめた。


「えっと――どういう意味だ」

「ぼくのなかは、もうほとんど満員なんだよ。グラス・ノワールで死んだ囚人たち、最下層で自殺した“春を待つ者(ハイバネイターズ)”の仲間、希望の一歩手前で死んだ人たちに――サジェス君。みんなの、あるはずだった未来と祈りを背負わないと」

「なあ、ソル」


 シーツの上に無造作に投げ出された彼の手を、思わずロンガは掴んだ。目を閉じたままの顔をのぞき込む。色のくすんだ目蓋が、ロンガを拒絶するようにその瞳を覆っている。すぐ隣にいるのに、果てしなく遠いように思えた。


「あんまり言いたくなかったけど、言わせてくれ。自分じゃない誰かを背負いすぎて、今、ソル自身が消えかけてる。違うか」

「みんなのことを忘れたくない。そう思ってる、この意思が、ぼくだ」

「帰ってきて欲しいんだ、ソル」

「ここにいるってば……」


 彼は億劫そうに目を薄く開いて、黒目だけを動かしてこちらを見た。その表情が僅かに歪んで、どうして、と小さく呟いた。


「なんで……そんな悲しそうなの」

「だって」

「泣かないでよ」


 瞬きをした瞬間に涙が目元から溢れて、驚くほど滑らかに頬を伝っていった。シェルは寝台に腕をついて起き上がり、ロンガの頬に片手で触れる。


「ルナが悲しむなら、待って。話が違う」

「悲しむに決まってるだろ。思い出は大切だ、それは分かるよ、私だって、でも――ただ記憶しておくだけの(メモリ)になってどうする」

「その何が、ルナにとって悲しいのか分からない。ルナ、図書館が好きだったでしょ。同じじゃないの」

「本気で言ってるのか?」


 彼らしからぬ話の通じなさに、ロンガが目を見張ると、そこで突然に第三者の声が割り込んだ。


「おい、ちょっと良いか」


 施錠を忘れていた扉が開けられて、彼はずかずかと部屋に入ってくる。


「シャルル?」

「聞いてたぞ。悪いな!」


 あまりにも堂々と彼が宣言するので、立ち聞きに文句を付ける気すら湧かなかった。唖然としているロンガの肩を横に押しのけて、おい、とシェルの顔をのぞき込む。


「別に友達になってくれとは言わねぇよ。俺は嫌いじゃないけど、お前が拒否すんなら別にいい――でもな、悪い、これだけは言わせろ」


 彼より頭ひとつぶん以上小柄なシェルの胸ぐらを掴んで、シャルルは押し殺した声で言い放った。


「お前がやってんのは他人の死の私物化だ。それは、彼らの生命を軽んじることだ」

「……あんまり酷い言い方をしないでくれ」


 ロンガがシャルルの肩を掴むと「違うだろ」と鋭く言い返して彼はこちらを睨んだ。吊り上げられたその目元に、薄く涙が浮かんでいることに気がつく。


「なんでロンガが止めてやんねぇんだ! どんな非業の死を遂げた奴だろうが、あるいは……おっさんみたいに、死を受け入れた奴だろうが、それはお前自身じゃないんだ。そもそも、背負えるもんじゃないんだよ!」

「じゃあ……どうしたらいいの」


 叫びに近いシャルルの言葉を聞いていたシェルが、ゆっくりと瞬きして呟く。表情の抜け落ちた頬に、一粒の涙がこぼれ落ちた。


「だってぼくが忘れたら。皆が本当に死んじゃう」

(ちげ)ぇよ、もう死んでんだよ!」


 ――リゼだって。

 シャルルの口元がそう言うように動いたのを、ロンガは見てしまった。


「死んだ奴は歳を取らない。時間は前に進む、生きてる俺たちとはどんどん遠ざかっていく、そうだろ。それが自然の摂理だろ」

「――それは違うよ」

「え?」

「いや、何でもない……」


 シェルは目元を隠して首を振った。そうか、そうだね、と悲しげな声で呟く。その身体がふらりと傾いて、寝台に力なく倒れた。


「ごめん、やっぱりちょっと休ませて」

「……悪かったな。薬草、また使うか?」

「ううん、まだ余ってる。それに今は、多分眠れると思う」


 そう言ったきり、彼は目を閉じて黙りこくってしまった。いくらもしないうちに息の調子が変わる。寝台から両足を床に下ろした不安定な姿勢のままだが、どうやら本当に眠ってしまったようだ。


 その手に触れたまま、ロンガはぽつりと呟く。


「……シャルルの言うとおりだな」


 気まずそうに目を逸らしているシャルルを見上げて、ありがとう、とロンガは礼を言った。


「誰かの思いを背負うことなんて、そもそもできないんだ。そう言うべきだった……これで少し、ソルの気が晴れると良いんだけどな」

「ああ――でも、悪い。言い方がキツかったよな」

「いや。私もシャルルくらいの気迫が欲しいよ」

「そりゃあ褒めてんのか?」


 シャルルは苦笑してから、ふと真顔に戻った。


「でも、俺もな――ラムのおっさんが、お前に会う前に死んだらさ、多分、しばらくは抱え込んだと思う。あの人の死に際を、お前に伝えようとしただろうし、その言葉を一語一句、覚えておこうとしたと思う」


 少し上ずった声で言って、シャルルは包帯に包まれた右手を見つめた。不自然に欠けた指が痛々しくて、ロンガは目を伏せる。彼が、ラムと一緒に爆風に吹き飛ばされたときに失った指だ。シャルルたちもまた、仲間のひとりを失ったばかりであることを、ロンガは今更のように思い出した。


「……大切な仲間だったんだな」

「ああ――お前とあの人の関係とか、正直な話、どっちでも良いんだ。俺にとっては守ってくれた恩人で、あの人の願いが叶うことが、俺の喜びだった」

「そうか。感謝しないとな」

「……ん?」


 シャルルが眉をひそめて、そこでロンガも気がつく。何気なく口に出した、感謝しないと、というフレーズは文脈に沿っていなかった。だが、心にもないことを言ったわけでもなく、誰かへの感謝がたしかに胸の中に浮かび上がっている。


「あれ、ううん、何だろうな」


 首を捻ると、そのとき不意に、統一機関の講義室の光景を思い出した。研修生の取りまとめ役だったラムが、集まった研修生を見渡して何か話している。厳格だが、優秀な人間にはしっかりと褒め言葉を与える、そんな指導者だったころの彼だ。


『リュンヌ。幹部候補生への昇格、おめでとう』


 記憶の中のラムが、そう言ってこちらに手を差し出して、その瞬間に気がついた。


「あ……そうか。私は、ムシュ・ラムに感謝してるんだ。私の大切な人たちを、今まで守ってくれたから――」


 ロンガが天井を見上げて呟くと、途端に頭が熱くなって、両目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。


「許せないのに」

「おい、大丈夫か」

「どうして。素直に恨みたかった。死んでくれて清々するって言えれば良かった。なんでそんな、中途半端に――」


 堪えようとしても嗚咽が後から後からこぼれ落ちて、ロンガは座った膝に顔を伏せた。熱を出したときのように身体が熱くて、突き上げるような呼吸が背中を揺らす。


 思い返せば、ラムのことを信頼できる大人だと思っていた時期がたしかにあった。しかしそれは仮初めの姿で、ロンガにナイフを突きつけたあの日の彼こそ、ラムの本性だと思っていた。誰かを守ることなどできず、自分の身を守るためには他者の犠牲も(いと)わない、弱くてずるい人間だと思っていた。


 それは少し違ったようだ。


 だってシャルルが、サテリットが、アンクルが生きている。彼は最期の一瞬まで、ロンガの大切にしたい人々を守り――そして残った身体は、かつて愛した女性に捧げた。人生最後の数ヶ月を、娘と妻という、守れなかった人のために捧げた。


 もう取り返しはつかないと分かっていただろう。ロンガがラムを許せないことすら、彼の予想通りだっただろう。


 その通りだ、

 許せないけれど、それでも。


 あのとき流せなかった涙が、今になって溢れて止まらなかった。


「もっと、ちゃんとお礼を言えば良かった。文句だってもっと言えた。最後に思いっきり喧嘩すれば良かった」

「なあ――」

「ごめんっ、シャルル。せっかく、シャルルがそんな怪我までして、時間を繋いでくれたのに、私は全然、使えなかった」

「あー……俺のことは気にすんなよ」


 背中に、励ますように手を置かれた。


「苦しくて当然だろ。お前のよく知ってた人間が死んだんだ。ちゃんと上手いこと思い出にできるように、そいつみてぇに変に抱え込まないように、今のうちに泣いとけって」


 俺は部屋に帰るから、と言ってシャルルが部屋を出て行った。

 思い出せば思い出すほど、もっとラムに言うべきことや聞くべきことがあったような気がして、爪が食い込んで痛むほどに拳を握りしめた。乾いた銃声ひとつが呆気なく吹き飛ばした僅かな残り時間で、まだ交わせる言葉があったかもしれないのに、自ら手放したのだ。彼は果てしなく遠い場所に行ってしまって、逃した時間は二度と手に入らない。


『――父さん』


 結局一度も、彼に対してその呼び名を使うことはなかった。もし、あのとき呼べていたら、何かは違っていただろうか。

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