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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅶ 未来は塵となって
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chapitre98. 誰より近い人

 シャルルは額を抑えて、居室の片隅に身体を沈めている。包帯を巻いた右手に血が滲んでいて痛々しい。ロンガは救急箱を持って、彼に歩み寄った。


「シャルル。傷の手当を――」

「やめろ」


 触れた腕を振り払われて、ロンガは小さくよろめいた。シャルルがはっとした顔になって、悪い、と呟く。


「でも今は、無理だ。お前の顔を見たくねぇ」

「……分かった。ここに救急箱を置いておくから、自分でやってくれ」

「ああ、ありがとな」


 ロンガは頷き、踵を返してシェルの待つテーブルに戻った。部屋のもう片方の隅ではアンクルが顔を伏せて泣いていて、少し距離を空けた隣に、困ったような表情を浮かべたサテリットが座っている。


 ロンガの父親、ラム・サン・パウロが死んだ。


 言葉だけ見れば悲劇的なのかもしれないが、彼は血縁上の父親である以上に、ロンガの記憶と自由を奪い、あまつさえ殺そうとした人間だった。仇敵と呼んだほうがまだ近い表現だ。たとえ目の前で死なれたところで、その評価は覆らない。


 だが――彼は、ロンガの大切な友人たちを守ってくれていたのだという。信じがたいが、アンクルたちの反応を見るにそれ自体はおそらく本当だ。彼らからすればラムは、本物の仲間で保護者だったのだ。


 統一機関にいた頃と、何もかも事情が違うのは分かっている。ラムがロンガにしたことをどれだけ悔やんだところで、過去は変えられないことも。

 分かってはいるのだが。


「どうしてこんなに困らせてくれるんだ」


 絞り出したロンガの言葉に、シェルを含めて誰も返事をしなかった。


 ラムが善良な父親になれなかったのなら、ただ恨むべき相手でいてくれた方がまだ良かった。彼が死んでも、悲しくもなければ嬉しくもないのに、形の見えない衝撃のようなものが胸の奥に残っている。時間が経てば経つほど、そのしこりは大きく重たくなっていった。


 シェルがテーブルに手をついて立ち上がり、ルナ、と呼びかけた。


「話がしたい。隣に行こう」

「……ああ、分かった」


 ロンガは彼に続いて、部屋をちらりと振り返ってから通路に出た。隣の部屋の扉を開け、寝台に腰掛ける。シェルが扉の鍵を閉めて、椅子をひとつ引いて座った。


「信じがたいけど、あの人、他人を守れたんだね」

「そのようだな」

「ルナの仲間、みんな良い人みたいだ。彼らが生きてて良かった」

「うん……感謝、しないといけないんだろうな」


 ロンガは溜息をついて、両足を引き寄せた。


「恨んでもいるけど」

「感謝しながら恨んだらいいと思うよ」

「はは、そんなに器用じゃないよ……」


 ロンガが力なく笑ってみせると、シェルは瞬きして眉を寄せた。


「そこまで難しいことかな。ぼくは、敵だと思いながら味方だとも思ってたよ」


 シェルは視線をこちらに合わせて、あのさ、と切り出した。


「ぼく、グラス・ノワールにいたんだ。これ話したっけ」

「ソルの口からは聞いてない気もするが、カノンが教えてくれたな」


 グラス・ノワールとは、ラピスで唯一存在する牢獄だ。2年前の葬送以降、書類上で死んだことになった彼は、ハイバネイト・シティに辿りつくまでの間はグラス・ノワールで囚人として生活していたのだという。


 ロンガの言葉にシェルが頷く。


「うん、で、そこにムシュ・ラムもいた」

「ああ――そうか。人を殺したことになれば、当然、投獄されるよな」

「そう。ぼくらは一先ず手を組んで、囚人仲間として生活した。それから収穫祭の日の一件があって、脱獄してスーチェンの街を逃げた末に、一緒にここに辿りついた」


 シェルは目を細めて、視線を上に向ける。


「正直、ぼくは来て欲しくなかったけどね。生き延びてルナに謝ってほしかったから……でも、結果的に会えて良かった。死ぬことも、正気を失うこともなく、本当にギリギリ間に合った」

「そこまで気にしてくれてたのか」

「当たり前でしょう」


 事もなげにシェルは言った。


「でも、ごめん。ルナは別に謝ってほしかったわけじゃないんだね」

「どちらかと言うと会いたくはなかったな」


 ロンガは小さく肩を竦めてから、でも、と口調を明るくした。


「たしかに彼の顛末は気にはなっただろうな。まだ、心理的にはあまり受け止められていないけど――最期を見届けられたのは、良かったかも知れない」

「そう」


 シェルは少しほっとしたような顔をした。


「それなら良かった」

「うん。話したかったのはそれか?」

「ううん。えっと……あの子たち、地上に一緒に来るかな、と思って」

「アンたちか? でも、元はと言えばサテリットが妊娠して、出産に備えた設備が地上にないから地下に来たんだ」


 以前にシャルルが手紙で教えてくれたことを思い出して、シェルに伝える。


「だから、彼らは地下に残ると思う」

「そう……ここも安全じゃないみたいだけど」

「うん、そうなんだよな」


 ロンガは頷き、でも、と言葉を続ける。


「もしエリザが目を覚ましたら、暴徒化した“春を待つ者(ハイバネイターズ)”も正気を取り戻すんじゃないか。ムシュ・ラムの内臓移植が成功すれば、という話だが」

「その可能性はある」


 シェルが頷いて、ひとつ瞬きをした。


 “春を待つ者(ハイバネイターズ)”が真祖と崇めるエリザが眠っているのは、旧時代には存在しなかった感染症にやられて臓腑を病み、病気の進行を抑えるために生命凍結と呼ばれる処置を受けたからだ。それを治す唯一の方法は、適合者から複数の臓器を移植することだったが、当然その処置をすれば移植元の人間は死ぬ。エリザの伴侶だったラムと、娘であるロンガはどちらも適合条件を満たしていたが、当然と言うべきか、エリザは2人からの内臓移植を拒否した。

 地下の統治者がマダム・カシェからサジェスに変わって、彼はヴォルシスキーの出生管理施設を利用して内臓のみを培養しようと試みたが、それも失敗に終わった。


 だからこそエリザは、今までずっと目覚める見込みがなかったのだ。しかし、ラムが死に際に言い残したとおり、彼の内臓がエリザに移植されれば話は全く別になる。エリザは健康な身体を取り戻し、さらにハイバネイト・シティの総権を持っている。彼女の存在によって、“春を待つ者(ハイバネイターズ)”の暴走に歯止めが掛かる可能性は十分にあった。


「そうだ、コアルームにいるアルシュたちには連絡したか?」

「うん、さっき伝えた」


 シェルが頷く。


「地下の医療技術は地上よりずっと発展しているし、成功の見込みはある。彼女が諭してくれれば、きっと良い方に行く。それに彼女は、ルナと同じく未来が見えてるんでしょう?」

「おそらくは、そうだ」

「つまり、ラピスの水没をも既に知っている。うん、きっと大丈夫だね、この世界は……」

「何だかやけに楽観的だな」


 ロンガは相槌を打ちつつ、ひそかに首を捻った。


 数日前、最下層で出会ったときと比べればかなり元気になった彼だが、どうも不自然な態度に思えてならない。シェルは依然として食事にあまり手を付けないし、彼の象徴だった笑顔も戻ってこない。そのくせ時折は楽観的なことを言うが、空元気にも見えない。何というか、色々咬み合っていないように見えるのだ。


 まあ――数日前に惨事に巻き込まれたばかりの人間が、普通に会話して生活していることのほうが、不自然なのかもしれないが。


 思考が氾濫し始めて、ロンガは寝台に身体を倒した。ELIZA(エリザ)を再起動してから半日と少し、あまりにも多くの出来事があって疲れてしまった。時刻を確認すると、すでに深夜の12時を回っている。眠ってもいい時間だ、と気がついた瞬間に眠気が襲ってきた。


 シェルがどこからかブランケットを持ってきて、床に寝転がる。


「床でいいのか。ベッドが良ければ譲るけど」

「ううん、ルナが使って良いよ」

「そう、ありがとう。悪いな」


 一旦立ち上がって部屋の灯りを消し、倒れるように寝台に身体を横たえた。考えるべきことも多く、眠れるか不安だったが、身体の疲労の方がはるかに上回っており、すぐに意識が薄れていった。


 夢の中で、エリザと出会ったような気がした。


 場所は、かつて彼女と語らった図書館。彼女は何も言わず、白銀色の瞳からぽろぽろと単調に涙を零して、じっとロンガを見つめている。亡くなった彼女の夫を想って泣いているのだと、なぜか理解できた。助けられなかったロンガに対して怒ることも、かといって父親を亡くした娘を慰めることもなく、ただ、ひたすらに悲しんでいた。


 ロンガが彼女の手に手を重ねると、身体が吸い込まれるように溶け合って、やがて、エリザとロンガは重なり合った。エリザの目で世界を見て、エリザの肌で冬の空気を感じていた。だが――エリザの心はもう、ほとんど言葉を発さなくなっていたので、ロンガは永遠の静謐のなかに閉じ込められて、やがて自分自身も考えることを止めた。


 そんな悪夢だった。


 目を開けると朝になっていて、午前6時5分前、ロンガは床で眠るシェルを起こさないよう、静かに顔を洗った。5分後に、ELIZAの合成音声が天井から降ってくるが、シェルは眠ったまま身じろぎもしなかった。


「ソル、朝だ」


 肩を揺するが、彼は死んだように反応しない。心配になって脈を取ったほどだが、本当にただ眠っているだけのようなので、諦めてブランケットをかけ直してやった。部屋を出たところでシャルルと出くわし、ああ、と彼は気まずそうに眉をひそめる。あまり眠れなかったのだろう、濃い隈がはっきりとできていた。


「ロンガ……昨日は悪かった。お前とお前の友達が、俺を庇ってくれたあの人に冷たい目を向けてんのが、やりきれなかったんだ。事情は、アンに聞いて、分かったけどよ」

「いや――良いんだ。シャルルこそ、大丈夫か」


 口ごもりながらも問いかけると「大丈夫なわけねぇだろ」とシャルルは無理やり口元を持ち上げて見せた。


「右手は死ぬほど痛ぇし、おっさんがいなくなって今後どうすんだ、って感じだし、サテリットの記憶は吹き飛んでるしアンは塞ぎ込んでるし……やってらんねぇよ」

「うん……そうだよな」

「でもよ」


 シャルルはガーゼを貼り付けた顔をぐいっとこちらに寄せて、声を潜めて囁いた。


「お前の友達に比べりゃ、言っちゃぁ悪いがずっとマシだ。お前、気付いてるか……あいつ、昨晩ほとんど寝れてねぇみたいだぞ」

「え?」


 驚いて声が大きくなった。


「そんなはずない。今だってすごく良く寝てて」

「ああ、今は寝てるだろうな。今朝方、5時くらいか。指が痛くって目が醒めてさ、通路に出たら、あいつ――シェルと会った。眠れないって言うから、宿舎から持ってきた薬草を分けてやったんだよ」


 シャルルは目を逸らして言った。


「とびっきり眠れるやつ……たまに、リヤンに内緒で相談をするときに使っていた」

「そうだったのか。ごめん、私が気付けていなかった」

「良いんだよ、それは。でもさ――無理やり眠らせて、それで解決って話じゃないだろ。何か抱えてることがあるんだろ」

「……そうだな」

「良かったら教えてくれないか。俺たちで良ければ力になる」


 シャルルが怪我をした手で、任せてくれと言わんばかりに自分の胸を叩くので、え、とロンガは眉をひそめた。


「それは有り難いが、シャルルたちだって、今、すごく大変だろう」

「いや――皆そうだけどよ、当事者だけで問題を抱えたがるよな。でも俺は、ロンガが宿舎を出たからって、仲間じゃなくなったとは思ってねぇよ。俺たち3人と、お前たち2人で、分けて考える必要なんてないだろ」

「……ありがとう。シャルルは、凄いな」


 思わず素直に賞賛すると、シャルルが目元を擦って「何がだよ」と笑った。


 *


 シェルを除く4人で食堂に向かい、食事を受け取るだけ受け取って居室に戻る。食堂のように開けた場所にいるのは危険だという判断から、最近はそうしているそうだ。部屋に戻ってから、トレイに乗せられた食事を見比べる。


「パンと、この小鉢は食っても平気。スープはダメ、サラダは分からん」


 シャルルとアンクルが手慣れた様子で食事を仕分けていくので、ロンガは彼らに任せることにした。


「料理に記憶を阻害する成分が入ってるのか。しかし、よく見分けられるな」

「……おっさんが教えてくれたんだよ」

「ああ――そうなのか」


 シャルルが眉根を抑えたので、ロンガは小さく頭を下げた。気にしないで、とアンクルが笑ってくれたが、重苦しい雰囲気は払拭できず、口数の少ないまま食事を終えた。


 この空気をさらに重たくするのか、と躊躇(ためら)う気持ちはあったが、やはり様子のおかしい友人のことが気掛かりで、シャルルが勧めてくれたとおり、彼のことを宿舎の仲間たちに相談すると決めた。


ELIZA(エリザ)がダウンしていただろう。あれの原因が、どうも地下の、コアルームと呼ばれるハイバネイト・シティ中枢で、銃撃戦というか――無秩序な撃ち合いがあったようなんだ。ソルはたったひとり、そこで生き残って……他の仲間は死んでしまった、そうだ」


「それは……何というか、想像を絶する話だね」


 アンクルが重たい表情で頷く。彼もまた、泣き腫らした目をしていたが、今は落ち着いた口調だった。


「僕だったら耐えられない」

「あの、でも、ごめんなさい。ちょっと良いかしら」


 サテリットが遠慮がちに口を挟んだ。彼女にとってはロンガは、シェルと同じく初対面の人間だからだろう、記憶の中のサテリットよりも少し控えめな口調になっている。


「言ってしまったら悪いのだけど……何だか、それだけではない気がする。ロンガ、シェルは貴女にすごく執着というか、拘っているように思えるの。違うかしら」


「……私にか?」


「それはあるかもしれない」

「そうかもしれねぇな」


 ロンガが首を傾げるのとは対照的に、アンクルとシャルルが同時に頷いた。


「でも――私たちは相方(パサジェ)で旧友だ、お互い特別なのは当然だよ」

「うん、ロンガはそう言ってたね」


 アンクルが頷いて、でもさ、と言葉を継いだ。


「シェルはどう思ってるのかな。彼にとっての君って何だろう、と聞かれてロンガは答えられる?」


「……分からない。ただ、大切な相方(パサジェ)だと()()思っていて、ソルもきっとそうだって思ってた。違う、のかな」


「いや――非対称すぎる関係だったら、きっと長続きしねぇからよ、今まではそんな感じだったんだろ。でも、お前ら、2年ぶりに再会したんだよな。2年で何か、変わったんじゃないか」

「そうね。2年もあれば、きっと、人間って変わってしまうわ。ごめんなさい、脅す気はないのだけど」

「うん、ロンガ。2年間で君も変わったよね。よく話すようになったし、笑うようになった。同じくらいの変化がシェルにあったと考えても良いと思うんだ」


 三者三様の表現で問いかけられて、分かった、とロンガは頷いた。


「もし、良ければ……彼のことを話すから、一緒に考えてくれないか。ソルにとっての2年間が一体、彼に何をしたのかを」

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