87話 決勝戦、開始
抜けるように澄み渡った空、春の穏やかな陽気も過ぎ去り、初夏の厳しい日差しが照り付けるその日。ガラード帝国魔法学院は、平日に行われる授業の全てを休講とした。短縮授業が行われる訳でもなく、実質的な休校日である。
にも関わらず、早朝のオーフェンには中等部から高等部まで多くの生徒が登校して来ていた。普段と何ら変わらないように正門から校舎へ入って行く彼らの姿は、まるで今日の授業が休みである事を知らないかのようだ。
だがしかし、生徒達には別に休講の連絡が行き届いていなかったのではない……そう、今日は学生魔道士の最強を決める魔導闘技大会「若き魔道士の祭典」出場枠の一位と二位を決める、「校内選抜戦」の決勝戦が行われるからだ。
来たる「若き魔道士の祭典」出場に向けて選出されるチームは、各魔法教育機関から独自の方式で選出される。ガラード帝国魔法学院が採用している方式の仕様上、彼らの本戦出場は既に確定しているのだが、
「ねぇねぇ。今日の決勝戦、皆は勝つのどっちだと思う?」
「そりゃお前、チーム『賢しき智慧梟の魔道士』に決まってるじゃねぇか。あの人達に勝てる奴らなんざ、他の魔法科学院を探したとしても居やしないって。まさに、学生最強チームだからな!」
「いやいや、それは分からないぞ。チーム『奇なりし絆縁』……だったか? 色物枠がかなり多いけど、あの連中だって相当な実力者が揃っている」
「うーん……やっぱり二年次生の身としては、同い年が多い『奇なりし絆縁』に勝って欲しいのよねー」
勝ち上がってきた両チームは、どちらもそれぞれのブロックで他のチームをまるで寄せ付けなかった強者中の強者揃い。どちらのチームが強いだ勝つだのと、そういう談義が大好きな年頃が多い学院内では、ここ最近はその話題で持ちきりであった。
という訳で。近年稀に見る学生離れした実力を持つ者同士の戦いを一目見ようと、学院関係者は勿論のこと、噂を聞き付けた一部の魔導省や政府関係者といったお偉方なども続々と学院を訪れていたのである。
「――うん。こうなる事は薄々分かってはいたんだけどな」
自身の視界いっぱいに広がる賑やかな光景――生徒や教師を始めとした大勢の学院関係者達の姿を前に、
「いくら何でも多過ぎだろぉおおおおおお――ッ!??」
額に汗を浮かべるアクトの素っ頓狂な叫びが響き渡った。だが、その大音声による訴えも、広々とした青空と周囲の喧騒の中に虚しく吸い込まれてしまう。
時刻は正午を少し過ぎ、いよいよ試合開始の時刻が迫ってきた頃。時間になった事で校舎内で待機していた観客達は、選手達と共に続々と第一魔導演習場に集まりつつあった。
魔導演習場は設備や規模の関係上、フィールドは屋外に設置されている。更にその大きさの関係上、観客席は無いに等しい程度の数しか備えられていないのだが、競技フィールドの外周は大勢の者達で溢れかえっており、活気に満ちていた。
観戦するのが一般の学院関係者だけならそれでも良かったのだが、わざわざ学院に足を運んだ来賓相手だとそうもいかない。演習場の全環境操作機能を制御する最も高く見晴らしの良い管理室では、来賓用の特別観覧席が急ピッチで設立された程だ。
「もぐもぐ……仕方無いだろ。この決勝戦は、ガラード帝国魔法学院の長い歴史の中でも稀な非常に高レベルな戦いだって、お前達はめちゃくちゃ注目されてんだから」
「お前もお前でちゃっかり楽しんでんじゃねぇよ!?」
頭を抱えて叫ぶアクトの隣で、購買で買ったパンを食べながらマグナが簡潔に説明する。もう完全にお祭り気分であった。
「お前といい他の連中といい、俺達の戦いを見世物か何かと勘違いしてるんじゃないのか?」
「実際、見世物の側面は強いだろうぜ。公の場で魔法の使用を法的に禁じられてるこの国じゃ、魔法による競い合いを堂々と出来るっていうのは、魔道士にとっての数少ない娯楽だからな」
「正論過ぎて言葉も出ない……」
冷静に理屈を唱えられてしまえば言い返しようも無い。魔法を用いた特殊な競技が、帝都でも娯楽として高い人気を得ているのも事実だ。気にせず戦おうと、アクトは深い溜め息を吐くしかなかった。
「ところで、さっきからずっと気になってたんだが……さっきから俺に向けられる男子生徒の視線が、何故かやけに殺気立ってるような気がするんだけど」
これから決勝戦を戦う選手の一人がどんな人間なのかという、奇異や興味の視線なら納得も出来る。だが、今のところそれを超えて知らない誰から恨みを買った覚えは無い……筈だ。
「お前知らないのか? チームの男女比率が女四人に男一人っていう、うらやまけしからんハーレム野郎が居るって噂になってるぜ」
「な、何じゃそりゃ? マジかよ……」
道理で。アクト本人としても、男女比が偏り過ぎているという自覚はあった。彼とて年頃の少年、嫉妬心からの殺意を向けてくる彼らの気持ちも分からなくはなかった。
「ぶっちゃけ、あの四人の中で誰狙いよ? 今朝の学内広報じゃ、コロナとデキてる説が濃厚だって書いてたな。それと、一周回っていつも喧嘩ばっかりしてるローレンって説も……」
「いや、俺にそういう気はまったく……ん? 待て、学内広報って言ったか? もしかして……」
「それも知らないのか。お前、教室で待機してる時も集中してたもんな。お前らのチームって、つい最近完成したばっかだから、それに伴った最新の学院広報が校舎の掲示板に貼られてたんだよ。記事を書いた張本人は……ほら、あそこに居るぜ」
そんな事をやらかすような奴は、知る限り一人しか居ない。言葉の端々から不穏な空気を感じ取ったアクトに、マグナは一際生徒達が密集している場所を指差す。丁度、人だかりが割れたことで目視することが出来たそこには、
「さぁさぁ、今年度の校内選抜戦もいよいよ最後の戦いを迎えました! チーム『奇なりし絆縁』と『賢しき智慧梟の魔道士』、学院史上非常に高レベルな対決に際し、我々学院広報部は一口あたり1セリス銅貨で、皆さんからの『寄付』を受け付けております~! 我こそはという方は、どうぞ奮ってご参加ください!!」
目の下に濃いクマを浮かべながらも、小さなステージ台に登って明るい声を振りまく金髪の少女――学院広報部のヘレン=アルコニスの姿があった。
「よし、僕はもう3セリス賭けるぞ!」
「だったら俺はもう7セリス!!」
「わ、私は……えい! 財布の中身全部賭けるわ!!」
「「「それは止めとけ!??」」」
ハイテンションな生徒達の視線を一身に受けるヘレンの下には、二つの数字がチョークの白線で隔てられた立て札と、二つの銅貨の山があった。既にかなりの額が積まれている山に生徒達がお金を落としていく度、書き直された数字はどんどん高まっていく。
「もうすぐ受付を締め切ります!! まだ『寄付』が済んでおられない方は居ませ――むぐっ!?」
積まれた金額がちょっと引くぐらいの額になり、数字の上がり具合も目に見えて止まり始めたその時。全てを言い終わる前に、ヘレンの口は物理的に封殺された。群衆の中から目にも止まらぬ速さで伸びた腕が、彼女の頭を掴んだのだ。
「な、に、が、『寄付』だコラァ……人の戦いをギャンブルのダシにしやがって……!」
「せせせ、先輩!?」
ヘレンの頭を掴む腕の主――額に青筋を浮かべるアクトは、ほぼ無表情で語気こそいやに静かだが、そこには隠し切れない怒りと呆れが滲んでいる。彼の割と本気な怒りに当てられ、周囲の生徒達はドン引きで離れていった。
「自業自得の金欠が祟って遂にこんな事までやり始めたか。決勝戦の前に、先ずはテメェからシめなきゃならないみたいだな……!」
「痛い痛い痛い痛いですぅーーっ!?」
アクトがヘレンの頭を鷲掴みにして締め上げ、ヘレンが涙声で悲鳴を上げる。
「ごごご、誤解です先輩! これは、ちゃんと学院の認可も受けた広報部主催の正式な催しなんですよ! 間違っても私の懐になんて一銭も入りませんし、集めたお金は生徒会経由で学院の行事運営費にも回されますからぁ!!」
「む……? そうなのか?」
「は、はいっ! ぶっちゃけ、予想以上の金額で残された私達の取り分もウハウハになるとは思っていますけども!!」
「何開き直ってんだコラ。で、コイツの言ってる事は、本当なのか?」
アクトが視線を下に向けると、ヘレンの手伝いをしていた同じ広報部の生徒達がぶんぶんと首を縦に振りまくる。彼らは高等部三年次生、つまり上級生なのだが、彼の気迫に圧されてそんな事は頭から吹き飛んでしまっていた。
「……そういう事なら早く言ってくれ。だがな、学内広報にふざけ散らかした記事を書いた事は知ってるぞ。決勝戦の結果がどうなったとしても、次の記事はしっかり書けよ。絶対に変な事は書くなよ!」
「わ、わ、分かりました! 私も徹夜の深夜テンションで記事を書いててあれはマズいかとも思ったんですけど、内容を変える時間もなかった訳でして! ぶっちゃけ、あれはあれで面白くなりそうなんて思った訳じゃありませんよ!?」
「マジでお前、清々しい性格してるな!?」
盛大に深い溜め息を吐き捨て、アクトは先程からテンパって墓穴を掘りまくるヘレンを解放した。
「ほらよ、これで良いか?」
そう言って、アクトはズボンのポケットにしまっている財布から銅貨を三枚取り出し、頭を抑えてぷるぷる震えるヘレンへ押し付けるようにして手渡す。
「え? これは?」
「勘違いして場を乱しちまった詫びだ。お前らの賭けの足しにでもしといてくれ。悪かったな」
最後に、迷惑をかけた周囲の生徒達にも小さく一礼して、アクトはその場を去ろうとする。生徒達が譲ったことで出来た道を通り、通った跡を再び生徒達が埋め直し、ヘレンからアクトの姿が見えなくなる直前、
「あ、あの! ちょっと調子に乗ってしまいましたけど、先輩達の事を応援してるのは本当に本当ですから! 頑張ってくださいね!!」
その言葉を背中に受け、アクトは立ち止まった。だが、振り返りはしなかった。アクトがヘレンと知り合ってから、もうそれなりの月日が経っている。わざわざ言葉を並べなくとも、アクトも彼女の想いは分かっているつもりだ。
「分かってるって。お前にみっともない記事は書かせないようにするからさ。期待しといてくれよな」
「……! はいっ、勝利した先輩達の雄姿を記事に出来る瞬間を、楽しみに待っていますね!」
自分には戦う事しか能が無い。ならば、言葉ではなくその在り方で後輩に示しを付けるべきだ――そう短く告げ、アクトは握り拳だけを頭上高く掲げるのだった。
◆◇◆◇◆◇
「さっきの見てたわよ。ふふふ、校内随一の問題児であるアンタも、随分とこの学院に馴染んできたんじゃない?」
「だよな。アクトのノリもかなり軽くなってきたと思うぜ」
校舎内に待機していたほぼ全ての者達が魔導演習場に顔を出し、監督官や教師陣が慌ただしく動き始めた頃。燃えるような一対の炎髪を揺らす少女――コロナはニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべ、マグナと共に合流したアクトをからかった。
「こんな馴染み方はしたくなかった……」
「もぐもぐ……ホント、お前って行く先々でトラブルを引き起こすのが得意のようで。まぁ、あれがちゃんとした賭け事だって事を教えるのを忘れた俺も悪いけどさ」
「こういうイベントでお祭り騒ぎが起こるのは毎年の事よ。アンタも今のうちに慣れておきなさい」
まだ試合が始まってすらいないのにどっと疲れた様子のアクトを流し目に、ちゃっかり二つ目のパンに齧りつき始めたマグナ。普段、自由気ままなアクトのペースに周囲が巻き込まれるのとは逆の、珍しい構図が展開されていた。
「おっと、話が逸れちゃったわね。そろそろ試合開始時間よ。アタシ達のスタート地点はあっちの方だから早めに向かわないと。他の皆には先に行ってもらったわ」
コロナをそれを伝えるためにアクトを探していたと言う。アクトが学院の敷地内に天高くそびえ立つ大時計塔を見上げると、確かに集合予定時間が近い。どうやら広報部とのゴタゴタで体感以上に時間が経っていたようだ。
「あぁ、もうそんな時間なのか。何はともあれ、俺もしっかり切り替えていかないとな……おい、コロナ。後ろ」
「え? ……!!」
ふと、アクトはコロナの背後から自分達に近付く見知った一団の姿を目視した。警戒心を抱いてコロナへ促すと、振り返った彼女も一瞬で鋭い面持ちとなり、その一団を見据えた。
移動するごとに増大するざわめきを引き連れ、周囲でたむろしているほぼ全ての群衆の視線を集める五人の男女――チーム「賢しき智慧梟の魔道士」の面々だ。
(これはこれは……流石、二連覇中のチーム。新入りの一年含め、よく訓練されているようだな)
一目見ただけで彼らの状態を把握したアクトは、心の中で賞賛を送る。過度に緊張している訳でもなく、弛緩し過ぎている訳でも無い。全員、間違いなく戦闘に適したベストコンディションある事は明らかだった。
「「……」」
正面で相対する両陣営。互いを牽制するかのようにしばらくの間、沈黙の時間が流れ、その緊張が波及したことで周囲にも静寂が訪れる。そして……コロナとシルヴィ、両チームを代表する生徒が一歩前に進み出た。
「一年待ちました。今日という今日こそは、必ず勝たせてもらいますよ」
「こちらこそ、存分にかかって来てください。今度も返り討ちにさせてもらいます」
至近距離で向かい合う二人の会話は、それだけだった。当然だ、この期に及んで多くを語る必要は無い。何故なら、数十分後には否が応でも激しい語り合いの場に身を投じなければならないからだ……「魔法戦」という語り合いの場に。
「「決着は戦いの中で」」
負けるつもりは一切無いと言わんばかりに、二人は力強く、自信に満ちた凄絶な微笑を湛えるのだった。
そうして、「賢しき智慧梟の魔道士」の一行はコロナとアクトに会釈をしていった後、無言でその横を通り過ぎていった。思いがけない対決前の邂逅を終え、重苦しい緊張感が解けたことで元のざわめきが戻っていく。
「……ふぅ、王者の貫禄って言うのかしら。シルヴィ先輩、凄い気迫だった。気迫で負けないように思わず大見得を切っちゃったわ」
「お疲れ。良い啖呵だったと思うぜ、お前らしくってさ」
多少、強気にいった方が彼女らしい。どんな相手だろうと勇気を振り絞って臆せず立ち向かう、それがコロナ=イグニスの在り方だ――少し興奮気味なコロナを落ち着かせるために、アクトがフォローを入れようとしたその時。
「――ッ!??」
刹那、アクトの背中に凍り付くような絶対零度の悪寒が走った。背後から生じた身の毛もよだつ圧倒的な「何か」の気配に、ばっ! とアクトは勢いよく振り返るが、
(誰も、居ない……!?)
次の瞬間には、そんな気配は跡形もなく消え去っていた。神経を研ぎ澄ませても、やはり分からない。あれ程の気配の持ち主など、こちらが逆に見逃す筈が無いのに。……一瞬で自分の認識範囲外へ消えない限りは。
「アクト? どうしたの?」
「あ……い、いや、何でも無い……」
いきなり警戒心を剥き出しにしたアクトに、コロナは怪訝な視線を向ける。言ってしまうのは簡単だが、証拠は自分の感覚だけだ。余計な不安を与えないためにも、今は誤魔化す他なかった。
(思っていた以上に緊張しているのか、戦闘神経が過敏になってありもしない気配を感じてしまった……?)
一抹の不安を残しつつ、アクトはコロナと少し離れた場所で先のやり取りを見守っていたマグナの元に向かう。
「どうした?」
「別に。一応、挨拶だけはね」
「マグナ、俺達はそろそろ行く。お披露目の時から更に改良してくれたコイツ、ありがたく使わせてもらうぜ」
そう言って、アクトは制服の袖を短くまくった。すると、その下には隠すようにして薄い銀色の「手甲」が装着されており、艶のある光沢を放っている。
マグナが自分のためにと決勝戦ギリギリまで粘り、調整と改良を重ねて作り上げた友人からの贈り物を、アクトはこの戦いに持ち込むつもりでいた。
「今日の朝、家の庭で試してみたが、結構な出来だ。マジで良い腕してるぜ、お前」
「……こんな物じゃなくて、俺自身がお前らの隣で戦えたらなって、たまに思う時があるんだ。でも、神様は俺に戦闘能力を与えてはくれなかった。才能ってやつは不便だよな」
道具の力に頼るのではなく、自分自身がで友人の力になる事が出来れば、どれだけ良い事か。だが、その望みは叶わない。多少手先は器用でも、戦闘という才能には恵まれなかったから。
……それでも、手をこまねいて見ているだけなんて御免だ。どんな形であったとしても、前に進むためには自分に成せる全力を尽くすしかない――彼らしい野生的で愛嬌のある笑みを浮かべたマグナは、両腕で二人の肩を掴んだ。
「今の俺に出来るのはこんな事ぐらいだ……お前ら、絶対に勝てよ!!」
「これだって立派な支援攻撃だぜ。お前の頑張り、決して無駄にはしない」
「当然よ。アンタの、アタシ達に期待してくれてる大勢の想いも、全部抱えて『本戦』に持って行くわ」
友人に対するあらん限りの期待と信頼を寄せ、マグナは二人の背中を見送るのだった。
◆◇◆◇◆◇
「遅刻だぞ」
小走りで駆け寄って来るアクトとコロナを、彼らのクラスの担任にしてこの試合の監督官であるクラサメ=レイヴンスは、相変わらずの無表情で短く注意した。
「折角コロナがアクト君を呼びに行ったのに、二人共遅れちゃうなんて。どこで油を売っていたの?」
「集合時間に遅れるなんて、試合前から弛んでるんじゃないの?」
「あ、あはは……」
リネア、アイリス、ローレン……「奇なりし絆縁」の残りメンバーは既に揃っている。
「す、すいません。少しトラブルに巻き込まれてしまいまして……」
「……まぁ良い。本試合の概要については先日通達した通りだが、改めて説明するのでよく聞いておくように」
遅刻を大して気に留めることもなく、クラサメは淡々と試合についての説明を始める。今頃、反対側のスタート地点でも同様の説明が行われているだろう。
予め公平なくじ引きで決められた対決の舞台は、入り組んだ廊下や部屋が特徴の屋内フィールド。校内選抜戦で幾つか設定されている競技フィールドの中でも、群を抜いて戦闘が泥沼化しやすい舞台だ。
屋内戦で留意しなければならない事項は、それこそ無数にある。索敵、不意の遭遇戦、味方同士の射線の管理、分断、奇襲、魔法罠……挙げれば枚挙にいとまが無い。
ちなみに、屋外と違って直接外からの目は届かないが、フィールド上空には窓のような映像が光学系魔法で投射されるようになっている。それらは選手達の視点であったり、フィールドの要所要所の視点であったりと、観客達も試合の流れを把握出来るような仕様になっていた。
脱落判定もこれまでの予選から変更されている。魔法防御無しの被弾や、監督官が危険だと判断した際には従来通り一発で脱落。しかし、それ以外は本人の意思次第で戦闘を続行出来る。つまり、体力魔力の続く限り戦い続けられるのだ。
判定の仕様上、予選ではあまり意味を持たなかった治癒魔法も効果的な戦闘続行手段となり、より実戦的となった「本戦」でも採用されているルールだ。
「これは監督官としてではなく、一教師としての言葉だ……諸君らの健闘を期待する。以上」
最後に、クラサメは無口で不器用な仕事一辺倒軍人なりの激励を送り、本当に少しだけ口元を緩め、説明を〆るのだった。
「しかし、改めて見ても凄い観客の人数ですね……」
監督官達も引き上げ、いよいよ試合開始の合図を待つのみとなったスタート地点にて、アイリスは天然の観客席に座って自分達に興味の視線を注ぐ観客達をぐるりと見回して言った。
「アイリス、ビビっているのか?」
「大丈夫……と言えば、嘘になります。でも、不思議と心は落ち着いているんです。こんな私にも、誰かが何かを期待してくれていると思うと、心の底から力が湧いてくるような気がして」
「そうか、ならよかった。俺は昔見たことがあるけど、本戦が行われるっていう帝都の『中央国立競技場』の収容人数なんて、この程度じゃ済まないだろうからな。今のうちにメンタルを鍛えておかないと」
軽口を叩き合いながらも、試合開始に向けて精神を集中させる「奇なりし絆縁」の面々。あちらのコンディションは正に万全といった感じだったが、士気の高さではこちらも負けていない。
「よし、そろそろ準備しておくか……来てくれ、エクスッ!!」
アクトは腰の鞘から愛剣アロンダイトを抜剣し、太陽に見せつけるように天高く掲げ、己が契約精霊の名を呼ぶ。
『――ご命令をお待ちしておりました、マスター』
次の瞬間、アクトの周囲の空間から金色に煌めく粒子が生じ、それらは指向性を持ってアロンダイトへと収束されていき――彼の右手には、一振りの長剣が握られていた。
「精霊武具」聖剣カリバーン、顕現す。絢爛豪華な装飾が施された柄と、一点の曇りもなく陽光を受けてギラリと光る鋭利な白刃、ベクトルの違う神々しさを兼ね備えた至高の威容を目にした観客は、沸きに沸きまくった。
「毎度毎度の事とはいえ、一々こうしないと駄目なのは面倒臭いよな」
聖剣を鞘に戻しつつ、アクトは独り呟く。エクスが精霊である事は、なるべく伏せておきたい。かといって、試合開始前から人間体のエクスと一緒に居るところを見られれば、当然目立ってしまう。
故に、エクスには霊体状態で事前に待機しておいてもらい、試合直前に憑依化形態で聖剣を召喚する。この手順が、多くの目がある校内選抜戦においてエクスの存在を秘匿する方法であった。
「事前に見せてもらってはいたけれど、まさかあの子が精霊だったなんて。やっぱり驚きだわ……」
「で、ですよね。ローレン先輩より先に入った私ですら、まだ信じられないくらいですし……」
「より上位の精霊になればなる程、精霊としての気配を誤魔化すのも上手くなるらしい。エレオノーラみたいな規格外を除けば、初めから分かっていないと決して気取られはしないだろうさ」
チームが完成した今となっては、新しく入ったローレンもエクスの正体を知る数少ない人物の一人だ。同じ屋敷で生活しているアクト達と違い、アイリスとローレンがエクスを完全に受け入れるのは、もう少し時間がかかるだろう。
「皆……ちょっと、良いかしら?」
と、その時。先程から黙って何事かを考えていたコロナは、思い立ったように他のメンバーを集めた。自分の元に集まった
「先ずは、ここまで一緒に戦ってくれて本当にありがとう。出場すら危うかったところからここまで勝ち上がってこれて、アタシは本当に良い仲間に巡り合えたと思うわ。それだけは絶対に伝えておきたかったの」
「え? ど、どうしたのコロナ? 急にらしくない事言っちゃって」
こういう言葉は滅多に口に出さないコロナに、彼女と一番付き合いが長いリネアはきょとんと目を点にする。他のメンバーも似たような反応だったが、そう反応されるのが分かっていたらしいコロナは、そのまま話を続ける。
「敵はチーム『賢しき智慧梟の魔道士』、間違いなく過去最強の敵なのは言うまでも無いわ。でも、アタシ達だって総合力では決して引けを取らない筈よ。落ち着いて、ローレンが立ててくれた作戦通りに……」
あぁ、そういう事かと、やたら小言をまくし立てるコロナに対し、四人の胸中は見事に一致した。なんやかんや言っても、やはりコロナとて不安なのだ。
一年前と比べて戦力は格段に向上したとはいえ、敵は学院最強チームにして一度は敗北を喫した相手。平静を保てる方が難しいというもの。絶対に負けられない戦いを前に、思わずコロナは全員の意思を改めて統一するための「念押し」を始めたのだろう。
コロナ=イグニスという少女がどのような境遇で育ち、そして誰よりも「若き魔道士の祭典」に情熱を注いでいるのを知っているからこそ、四人には彼女の不安が痛い程に理解出来た。
「それぞれ色々な思惑や想いがあって、『若き魔道士の祭典』に臨んでいるのは分かってる。けれど、それ以上にアタシは――」
「貴女が落ち着きなさい、コロナ」
堰を切ったように早口で言葉を並べるコロナを止めたのは、ローレンだった。
「焦らないで。そこから先は、この戦いに勝った時の為に取っておいて頂戴」
「ローレン……で、でも……」
「どうせ、負けてしまえばそこで終わり。なら、今言おうが後で言おうが同じ事よ。逆に、もし勝てたのなら……そうね、どこかで祝杯を挙げましょう。経費は勿論、散々私達を振り回してくれたアクトの奢りで」
「んなっ!? 俺かよ!?」
思わぬところでとばっちりを喰らうアクト。まぁ、仕返しの対象の抗議なんて通る訳もなく、アクトをガン無視したローレンはいつになく穏やかな表情でコロナに語りかける。
「今更、念押しなんて必要無い。ここに揃っている四人は、貴女の望みを叶えるのに最も適した最高の人材なのだから」
「……!」
「想いや目的はバラバラだとしても、勝利という目的に懸けるは想いはずっと一緒。だから、私達を信じて命じなさい。リーダーである貴女の全力に、私達も全力で応えてもみせるから」
目から鱗とはこういう事を指すのだろう。穏やかな声音で語るローレンの言葉は、不思議なくらいあっさり受け入れられ、コロナの疲弊した心に入り込んでいく。それによって生じた心の余裕に、コロナは目が覚める思いだった。
――危なかった。この大一番で余裕を失うあまり、大事なことを忘れかけてしまっていた。
呆れられても当然だ。よりにもよって、昔と同じく周りの人間を信じられなくなっていたのだから。ましてやチームメンバーさえ信用し切れないなど、自分でも呆れて物も言えない。
自分はもう、独りぼっちだったあの頃とは違う。とっくに分かっていた事だ。今の自分には、支えてくれる仲間が居る。心強い仲間と力を合わせれば、恐れる物など何も無い。
「……はぁぁぁ。ごめんなさい。知らず知らずのうちに焦ってたみたい」
淀んだモノ全てを吐き出すように、コロナは思いっきり深呼吸した。どうやら肩の荷は幾分か下りたらしく、その相貌は心なしか明るくなった。
「良いじゃない、ローレンに賛成よ。あの人達に勝ったなら、皆で盛大に祝杯を挙げましょう。勿論、アクトの奢りで」
「お、俺が奢るのは決定事項なのか……えぇい、しゃあねえ!! こうなったら好きなだけ飲み食いさせてやる!!!」
コロナとローレン、悪戯まがいの荒療治を仕掛けた当事者達に押されてしまえばどうしようもない。反射的に財布の入ったポケットを抑えながらも、アクトは引き攣り笑いで腹を括った。
一行の間に小さな笑いと拍手が起こり、そんなやり取りをしているうちに、いつの間にかコロナの中から不安はどこかに吹き飛んでしまっていた。代わりに、元の自信に満ちし凛とした覇気が戻ってくる。
「まったく、アタシはとんだ仲間に出会ってしまったのね……分かったわ。アンタ達を信じる。いえ、もっと信じるわ」
そして、チームメンバーの顔を一人ずつじっと見つめ――決然とした表情で告げた。
「アクト、リネア、アイリス、ローレン……チーム『奇なりし絆縁』のリーダーとして、一つだけアンタ達に命令する」
――次の瞬間、音響魔法で生み出された轟音と共に、試合開始を告げる信号弾がフィールド上空に打ち上がった。
「この戦い、絶対に勝つわよ!!!」
読んでいただきありがとうございました。よろしければ、評価・ブクマ・感想・レビューの方、お待ちしております!




