86話 再び動き出す脅威
「――そうか。遂に五人目が揃ったんだな」
コロナとローレンの決闘騒ぎがあった次の日の夕方。今日も今日とて、ガラード帝国魔法学院の授業が終了した放課後にて。黄昏色に染め上げられたオーフェンの街路を、魔法学院の制服を着た四人の男女が歩いていた。
「ええ。先程、監督官のクラサメ先生から通達がありました。その五人目というのが、お察しの通りローレン=A=フェルグラントさん。この段階で参加する契機となったのは……間違いなく、昨日のコロナさんとの決闘でしょうね」
「去年の『校内選抜戦』以来、彼女らは不仲と聞いていたが。なるほど、その相手と正面からぶつかり合うことで、新たな友情でも芽生えたか。なんとも青臭い話だ」
大人びた雰囲気を纏う紫髪の女子生徒――シルヴィ=ワインバーグの言葉に、隣を歩く大柄な男子生徒――ライネル=フォスターが淡々と応じる。その後ろでは、二人の知人であるディラン=カーシュとニコラ=ウォレスが並んで歩いていた。
今しがた、来たる決勝戦に備えての作戦会議を終えたチーム「賢しき智慧梟の魔道士」の面々は、タイミングを揃えてそれぞれの帰路についていた。
ちなみに、この場に居ない五人目のメンバーである三年次生のエイル=フローレスは一人学院に残っている。手練れの法医魔道士である彼女は、日頃から学院の法医関係の仕事を手伝っており、割と多忙なのであった。
「しかも、今回は新しい選手がエントリーしている。片や、先の襲撃事件で獅子奮迅の活躍をしたという剣使いの二年次生。片や、まったく名の知れていなかった中等部生……彼らに関しては不確定要素が多過ぎる。この勝負、どう転ぶか分からない、か」
「そうですね。転入生であるアクト君はともかく、仕事柄、多くの生徒と関わる機会のある生徒会の私達ですら見落としていた生徒が居たとは、驚きでした」
「賢しき智慧梟の魔道士」のメンバーは、全員が学院内でもトップクラスの実力を持つ者であると同時に、全員が学院生徒会役員だ。現在失踪中(?)の生徒会長の元に集まった彼らは、生徒達の象徴として就任当初から高い人気を得ている。
「別に良いじゃねぇか。校内選抜戦が始まってからこっち、ずっと不完全燃焼でつまらなかったんだ。それをようやく骨のありそうな相手と戦えるんだからな。楽しみだぜ!!」
「油断するなよ。一年前の戦いを忘れたのか? 俺達は確かに誰一人落とされることなく勝利こそすれど、あの三人の誰一人として倒せなかった事を」
強敵との対決の予感に熱き闘志を燃やしているが、それが祟ってよく暴走する脳き……厄介な癖を持つ友人を、ライネルは呆れたように軽く諫める。
前回の校内選抜戦。戦いが始まる前から、総合戦力でも頭数でも、自分達が圧倒的優位に立っていた……だが、最終的な結果は制限時間切れ時点での戦闘可能人数の差による勝利だった。彼我の戦力差を鑑みれば、決して笑えない結果である。
格上喰いこそ魔法戦の華。魔法を用いた戦いに、‟絶対”という言葉は無い。故に、実際に蓋を開けてみるまで結果は誰にも分からない……そういうものなのだ。
「くれぐれも慎重に頼むぞ、ディラン」
「分かってるって。侮れない相手だからこそ、俺の役目は前線張って一人でも多くの敵を足止め・撃破する事だ。後ろからの援護は頼りにしてるぜ、優等生サマ?」
「ふん……なら、良い。会長不在の今、まともな近接戦をこなせるのは雑頭だが戦闘センスのあるお前だけだからな」
軽口を叩き合うディランとライネル。一周回った関係と言うべきか、性格的には正反対であるにも関わらず……いや、正反対であるからこそ、二人の間には互いの欠点を補い合うしっかりとした信頼関係が成り立っていた。
「でも……ディラン君の言う通り、楽しみじゃありませんか?」
すると、あくまでも冷静なライネルに向けて、シルヴィはそんな事を言う。クールで感情を悟らせにくい彼女にしては珍しく、その声音には分かりやすい喜色が込められていた。
「シルヴィ、お前まで……」
「だって本当じゃないですか。メンバーを揃え、チームとして真の力を発揮出来るようになった本気のコロナさん達と、今度こそ全力で戦えるのですから。ライネル君だって、本当は楽しみなんでしょう?」
「!」
突然にして意外な問いに、ライネルは目を見開いた。そんな彼を横目に残し、シルヴィは自身の胸に手を当てて静かに眼を閉じる。その目蓋の裏には、昨日の戦いの光景が鮮明に再生されていた。
一年次生の二コラを除き、生徒会の仕事やら三年次生の卒業研究を抱えているメンバーは、普段から何かと忙しい。そんな時にいきなりコロナとローレンの決闘騒ぎが起こり、彼らは戦いを観戦することが出来なかった。
だが、チーム内で唯一シルヴィだけはまとまった時間を作り、他の生徒達と同じように決闘を観に行くことが出来た。仕事を地道にこなしておく彼女の計画性の高さが幸いしたのである。
「ふーん。俺は風紀委員の連中と校内の見回りをしてたからな。そんなに凄い戦いだったのかよ?」
「えぇ……今でもはっきり思い出せるくらい、激しく、鮮烈な戦いでした。戦い大好きなディラン君にも是非観て欲しかったですよ。あの時は、柄にもなくコロナさんとローレンさんの戦いに引き込まれたものです」
初恋でも見つけたかのようにしみじみと語るシルヴィは、この世界の真理を解き明かす事を生業とする‟追及派”の魔道士家系であるワインバーグ家の跡取りだ。つまり、コロナのイグニス家と同じである。
魔力を操り、呪文を唱え、心に思い描いた在り方を刻み付けることで、世界に変革をもたらす……魔法の根幹となっているのは、言うなれば「心」の力だ。人の心を大きく動かすモノこそが、魔法を高める力となる。
呪文に仕込まれた魔法式による暗示作用が術者の精神を変革させているに過ぎないというのが、学会におけるおおよその意見だ。だが、単に“内”からではなく‟外”から人の心を惹き付けるモノもまた、一種の魔法なのではないかとシルヴィは常々考えてきた。
シルヴィには自覚がある。自分は常人と比べて感情の起伏が薄い。外面だけは普通に見せかけているだけで、内面はとことん冷え切っていると。だからこそ、そんな自分を含めて大勢の観客達を圧倒した二人の戦いは、彼女にはとても尊い光景に映ったのだ。
「チーム『奇なりし絆縁』は間違いなく強い。ですが、そんな彼らを正々堂々と打ち破り、『若き魔道士の祭典』三連覇を達成してこそ、私達とガラード帝国魔法学院の名は更に知れ渡るというものです」
「……まったく。中等部の頃から、お前には隠し事が出来ないな。確かに俺の中にも、チームとしてでなく魔導の技を振るう者として、持てる力の全てを発揮したいという想いはある」
「ふふふ、だと思いました。 堅物のライネル君でも、人並みの闘争心を持っているようで安心しましたよ」
チームの司令塔としてどれだけ取り繕ったとしても、やはり自分は良くも悪くも一人の魔道士だったらしい。お手上げだと言わんばかりに肩をすくめるライネルに、シルヴィは悪戯っぽく微笑むのだった。
「明日の休息日を挟めば、遂に決勝戦です。残念ながら自由奔放なあの人は居ませんが、私達が出会ったあの日の‟誓い”にかけて……絶対に悔いの残らないよう、彼らに私達の全力をぶつけましょう!」
「おうよ!!」
「ふっ……あぁ、勿論そのつもりだ」
握り拳を作って意気込むシルヴィに、ディランとライネルが威勢よく応じる。来たる強敵との戦いに盛り上がる……その最中、今まで沈黙を貫いていた二コラ=ウォレスは、不意に足を止めた。
「ん? どうした、二コラ?」
隣を歩いていたディランが直ぐに気付いて振り返ると、二コラは足元に暗い影を落として俯き……やがて、明らかに思い悩むような表情で顔を上げた。
「皆さん。正直、僕は不安なんです」
「不安?」
「はい……皆さんと訓練を積んでいるからこそ思うんです。やはり、僕はまだまだ未熟者。それはコロナ先輩達のチームと比べても同じです。不在の生徒会長に代わり皆さんと共に戦ってきましたが、やはり僕には荷が重過ぎるのではないかと……」
聞けば聞くほど、共に居れば居るほどよく分かる。彼らは単に、「若き魔道士の祭典」で名声を高めたり、活躍することでより良い将来を望んでいる訳では無い。
勿論、そういった動機もあるにはあるだろうが、所詮は後付けの理由に過ぎない。彼らはただ、‟みんなで勝つこと”にひたすらストイックなのだ。
それこそが、チーム「賢しき智慧梟の魔道士」の強さなのだろう。動機としては些か幼稚なのかもしれないが、そこに懸ける想いはどのチームよりも真っ直ぐで、どのチームよりも熱い。そんな彼らと、中途半端な打算で勧誘を受けた自分とでは不釣り合いなのではないか……
「……」
「今更、メンバー変更なんて出来ないのは分かっています。ですが、考えれば考える程、僕は足手まといなのではないかと、不安になってしまって……」
絶対に負けられない戦いを前に緊張するのは誰でも同じ。高等部一年次主席にして、「神童」とまで呼ばれ将来を期待されている彼ですら、それは他の生徒と何ら変わらなかった。
「大丈夫だって!」
そんな二コラの元に歩み寄ったディランは、遠慮なく彼の首に腕を回してにっこりと笑った。
「気にする事ねぇよ。もしヤバい状況に陥っても、俺達がしっかり助けてやるから!」
「コイツの言う通りだ。緊張も不安も無い人間は逆に気が抜けていて、土壇場で大きなミスをするもの。むしろ、突拍子の無い行動をしだす会長の動きに合わせるより、お前と合わせる方が俺としては楽だしな」
ややウザ絡み気味なディランに続き、ライネルも冷静なフォローを入れる。両者共、大事な勝負を前にして気弱になっている後輩の不甲斐なさを叱責するような様子は、一切なかった。
「このチームに足手まといなんて一人も居ません。私達は、二コラ君を十分に会長の代わりを……いえ、それ以上の活躍をしてくれる立派な実力者だと認めたからこそ、貴方をチームに勧誘したんです」
不安で縮こまった二コラの両肩に手を置き、シルヴィも諭すように優しい口調で励ます。こういう時、メンタルケアが得意なエイラが居てくれたら良かったなとも思いつつ、彼女は話を続ける。
「難しく考える必要はありません。でも、もしまだ不安が残るというのなら……貴方を抜擢した私達の事を信じて戦ってくれませんか?」
「……!」
どれだけ不安を抱えていても、最後は結果だけが残るもの。ならば、失敗した未来なんて考えるだけ無駄である。今はただ、自分達の力を信じて、目の前の戦いに全力を尽くして欲しい……
シルヴィは多くを語らなかった。だが、二コラは聡明な頭脳とこれまで彼女と共に居た経験から、その言葉に秘められた真意を理解した。そして、その意味を自分の中で少しずつ噛み砕いていくうちに、心が軽くなっていくのを感じた。
「私達は共に戦うチームなんです。だから、二コラ君一人がプレッシャーを感じる必要なんて無いんですよ?」
「先輩……はいっ!!」
緊張なんてしていても仕方が無い。彼らの言う通り、自分に出来る精一杯をこなそう――表情から陰りが薄れた二コラは、元気のある返事をする。何とか活力を取り戻した後輩に、フォローに入った三年次生組は穏やかに微笑むのだった。
◆◇◆◇◆◇
「では、僕はこの辺で失礼します。寮があっちの方にありますので」
そんなこんなで、一行はオーフェン市街区のとある一角に差し掛かった。オーフェン出身の上級生組と違い、オーフェンの外から学院にやって来た二コラは、ガラード帝国魔法学院が幾つか運営している学生寮の一つを利用しているのだ。
「はい、お疲れさまでした。明後日の決勝戦に備えて、しっかり英気を養っておいてくださいね」
「勿論です。先輩方のお役に立てるよう、全力を尽くしてみせます!」
帰り際の挨拶を済ませてから上級生組と別れ、二コラは街道から外れた狭い路地裏へと入っていく。
日の沈みかかった黄昏時の紅光すら届かないその路地裏はかなり薄暗く、微妙な起伏もあって注意して進まなければ足元取られてしまいそうだ。そんな明らかに正道から外れた道を二コラが通るのは、この道が向かい側の街道を繋ぐ近道だからである。
(先輩の言う通り、不安がっていても仕方がない。そうだ。もう僕だって、栄光あるチーム「賢しき智慧梟の魔道士」の一人なんだ。自信を持とう!)
特に不自由した様子もなく路地裏を歩きながら、二コラはこれから始まる戦いに想いを馳せる。
――不安が消え去ったかと言われれば嘘になる……それでも、やれるだけの事をやろう。狭い世界で「神童」などともてはやされていた自分の力が、外の世界でどこまで通用するか。これは挑戦だ。
真に強き魔道士となるための新たな決意を胸に、二コラは歩みに込める力を強めようとした――その時。
「……あれ?」
ふと、二コラは周囲の景観に奇妙な違和感を覚えた。気のせいだろうか、果たしてこの路地裏は、こんな道だっただろうか?
上級生達と別れてからここまで歩いて来た道のりは、完全な一本道だ。狭い道だが迷うことなど万に一つも無いし、通い慣れた道なのだから間違う筈も無い。だというのに、二コラが今見ている景色は、彼がまったく見知らぬ物であった。
静かに這い寄る謎の違和感。そう、まるで……初めから間違った道に彷徨っていたかのように。
(まさか、誘い込まれた!?)
違和感の正体が、何者かが仕組んだ魔導の「罠」である事に気付けたのは、二コラが同年代で飛び抜けて優秀な魔道士の証だった。現在進行形で降りかかっている悪意に対し、臨戦態勢をとろうとするが――あまりにも遅過ぎた。
「残念。君の望みは叶わない」
「――え?」
聞き覚えの無い、囁くような男の甘い声が耳元で生じた次の瞬間、抗い難き超強烈な虚脱感が二コラに襲い掛かった。
(な……に、が…………)
体力、魔力、根源的な生命力まで、ありとあらゆる活力の元が凄まじい勢いで総身から抜けていき、力という力が萎えていく。外界からの攻撃に対し、魔導に精通する者が無意識のうちに張り巡らせる魔力的抵抗ですら何の障害にもならず、
(お、前……は……)
咄嗟に振り返ったことで、‟灰色の髪に真紅の瞳を持つ長身痩躯の男”の姿が閉じゆく瞳に映ったのを最後に、二コラの意識は深き闇の底へと溶け落ちていくのだった。
「やれやれ。孤立した所を狙い、結界を張らないと血の一滴すら吸えなくなったとは。随分と世知辛い世の中になったものだね。しかも、『脱気の呪い』を使ったから酷く味が落ちてしまう。これじゃ、割に合わないよ」
「襲撃者」は呆れと悲観混じった、なのにどこか楽しげな溜め息を吐くと、地に倒れ伏した二コラの片腕を掴んで軽々と持ち上げる。色の抜け落ちた細腕の下で宙ぶらりに踊る様は、まるで哀れな操り人形だ。
「まぁ、今はこうでもしないと化けられないのも事実。力の大半を失った今となっては無いよりマシ、か」
そして、襲撃者は二コラの首筋に‟牙”を突き立て、その生き血を啜る。人体の構造には存在しない身体的部位から血が抜き取られていくにつれ、二コラの顔色がみるみるうちに悪くなっていく。
「……ふむ、思っていたよりは美味だね。昔と比べて、この世界は『|大源《マナ』の恵みがやたら薄いと思ったけど、僕の考えは間違っていなかった。やはり、消えた恵みは長い年月をかけて霊脈に取り込まれ、その土地の生物に受け継がれているという事かな」
やはり、どこか楽しげな様子でぶつぶつ独り言を呟きながら、襲撃者はもう用済みとばかりに二コラを道の端に打ち捨てる。幸いというべきか、彼はまだ死しておらず、荒い息を吐いて苦悶に呻いていた。
「さてと……これで準備は整った。次こそは逃がさない。今度こそ、君の血を吸わせてもらうよ――小さくか弱い『騎士王』君」
唇を少年の鮮血で赤く濡らし、襲撃者はその場を後にする。逢魔ヶ時――古来より魔物や妖怪の類が蠢く凶兆の禍時より、世界の理から外れし‟怪物”が、闇に紛れて再び動き出した。
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