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魔導帝国の英雄譚 〜そして少年は英雄になる〜  作者: 愚者
3章 学院生活編(下) 〜奇なりし絆縁〜
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78話 理より外れし怪物

 

「さっきの悲鳴、どこから聞こえた!?」

「はぁ、はぁ、はぁ……分からないわ! この辺は通りが多いから……多分あっちよ!」


 悲鳴の主を探して、アクト達は夜のオーフェンを必死に駆け回る。先程の声の反響具合からして、悲鳴の主はそう遠くない場所に居る筈なのだが、どれだけ探しても人の影も形も見つからない。


「はぁ、はぁ……一体どうなってるの? ……いや、これってやっぱり……」

(……おかしい。俺達の他に、人の気配が無さ過ぎる)


 あれだけ大きな悲鳴だったというのに、自分達と同じく出所を探そうとする通行人の姿がまったく見られない。時間的にはまだまだ人通りがあっても良い筈なのに、まるでこの近辺から人が根こそぎ消えてしまったかのようだ。


 ……この感覚は記憶に新しい以前に一度、それよりも前に何度か覚えのある感じだ。こういう非常事態における直感は、アクトの数少ない自分の取り柄だと思っている。


「ローレン、俺の勘が正しければ、この周囲一帯には多分……」

「……そうね。貴方と同じ事を考えたのはとても気に入らないのだけれど、《人払いの結界》でしょうね」


 経験と直感で結論で辿り着いたアクトとは別に、持ち前の聡明さで同じ結論に至ったローレンも、静かに頷いて同意する。


 人間の無意識領域に干渉し、作用領域内への忌避感を持たせて近寄らせないようにする結界魔法。だが、魔力抵抗に成功して結界内に入っている二人が人の姿を見つけられないのは、人払いの他に認識偽装系の結界が二重に重ねられているからだろう。


「落ち着け。何の警戒もしていなかった俺達が結界内に入り込めてるという事は、恐らく結界の強度自体はそこまで高くない。感知系の魔法でこの一帯を調べてみてくれないか?」

「貴方がやれば良いじゃない……と言いたいところだけど、分かったわ。適材適所でいきましょう」


 非常事態となれば、仲の悪さも関係無い。早速、ローレンは魔道士の七つ道具である携帯型小型ナイフを鞄から取り出し、浅く指を切って出血させ、それを触媒として床に魔法式を書き始めた。


「《魔力残滓探知(ディテクト・マジック)》と《偽装看破(シー・スルー)》を二重展開して、周囲に網を張ります。先に展開されている結界があれば、何か反応がある筈……」

「あ、あぁ。よろしく頼む」


 日頃から相当練習しているのだろう。相貌に焦燥を滲ませながらも、ひっ迫する勢いで血の魔法式を書くローレンの手際は、アクトをして思わず唸らせる程に一切の淀みが無い。


 魔法式を書き終えたローレンが一言二言短く呪文を唱えると、光る魔力の線が血文字の上を疾走し、それに従って二つの魔法が発動される。そして――


「……あった!」

「!」


 突如、アクト達の視界の片隅に映る何もなかった空間が歪み――そこに、新たな狭い通りが現れた。否、実際には確かに存在してはいたが、認識偽装結界が破られたことで気付くようになったのだ。


「ナイスだ、ローレン。行くぞ!!」

「え、えぇ!!」


 わざわざ結界を張ってまで隠されていたこの道の先に、悲鳴の主が居るに違いない。確信を持ったアクト達は、通りから繋がる狭い路地を一直線に突き抜け、差し掛かった角を右に曲がり――


「ここは……」


 オーフェンにこんな場所があるとは二人も知らなかった。角を曲がった先には、一般的な民家二軒分くらいの大きさの空き地が広がっていた。当然、人工の明かりなんてものは一切なく、黄昏し逢魔ヶ時に差し込む僅かな夕陽だけが、辛うじて薄暗闇を保っている。


「【眩き光で我らを照らせ】!」


 明かりがなければ自分で作れば良い。ローレンが光学系魔法《灯光球(フラッシュ・ボール)》を唱え、球形状の魔法の光を宙に打ち出して空き地に十分な光源を確保し……二人はその光景を目撃した。


「そこのあなた!! そこで何してるの!?」

「おいっ!! 何してる!?」


 広がる空き地の奥に、()()()は居た。暗がりに溶ける闇色のコートを長身痩躯に纏い、漆黒のフードを目深に被った謎の人物が、住民らしき若い女性を腕に抱いていたのだ。


 フードで隠れていて、人相はおろか雌雄の区別すら付かない。まるで闇そのものが人の形を作ったような、全身黒一色の身なりから滲み出る異質な気配が、その存在の不気味さをより増長させている。アクトの気配察知能力を以てしても、力量を見極めるのは不可能だった。


「……う、ぅ、ぁ、あ……」


 幸い、女性はまだ生きているようで、苦しそうな呻き声を発している。首筋からは僅かに出血しており、顔色は遠目に見ても分かる程に血の気が引いて青ざめて、ぐったりとしている。危険な状態である事には違いなかった。


「ふむ、おかしいな? 一応、認識偽装の結界は張っていたのだけれど。急ごしらえとはいえ、たかが子供程度に見破られるような甘い術を組んだつもりはなかったのだけどなぁ」


 何があったかは分からない……それでも、女性が瀕死となった原因は間違いなく、どこか楽しげな声音で疑問符を浮かべ、突然現れたアクト達の様子を窺う、黒ずくめの不審者の仕業である事だけは分かる。


「てめえぇえええええ――ッ!!」


 そんな光景を前に、アクトの沸点は一瞬にして振り切れた。地を蹴り、腰の鞘から愛剣アロンダイトを引き抜くや、銀色の猛りを纏って突進を開始。一之秘剣《縮地》――空間をすっ飛ばすような超加速を以て不審者に肉薄する。


「その人を――」


 怒りを煮え滾らせながらも、アクトの思考は氷の如く冷静であった。殺しはしない。振り抜いた刃の重量ごと、剣に纏わせた魔力を相手に直接ぶつけて吹っ飛ばす心算(つもり)だ。兎にも角にも、最優先事項は女性の救出だ。


「離しやがれッ!!」


 相手は反応すら出来ていない様子、初撃は無条件で通る。アクトがそう確信した瞬間、女性を避けるような軌道で精確に振り抜かれた白刃は、不審者の無防備な胴体へ吸い込まれ――


「おっ?」


 風切り音。魔力を纏った刃が肌に触れようかという直前、不審者の姿が、その場に女性だけを残して霞と消えた。刃は虚しく空を斬り、宙に取り残された女性が危うく地面に落下しそうになるのを、アクトが慌てて受け止める。


(な――ッ!? 今のを躱しただと!?)


 状況分析よりも先に動揺が走ってしまうアクト。無理もない、開幕速攻の虚を突いたであろう一撃は、確実に入る筈だった。そんな彼の予想に反して、不審者は高速の斬撃に反応してみせたからだ。


 当初の予定通り、女性の救出には成功したとはいえ、アクトの表情は依然として険しい。不審者の正体は未だに掴めていない。だが、常人には視認すら不可能なアクトの斬撃を初見で躱せる時点で、只者で無い事は確かである。


「危ないなぁ。いきなり斬りかかってくるとは随分と物騒だね。僕が眠っている間に、君達人間は上位存在に対する礼儀すらも忘れてしまったのかい?」


 女性を左腕に抱いて剣を構え直すアクトの横合いに、いつの間にか現れた不審者は、やれやれと呆れたように苦言を零す。魔法照明の下、至近距離で対面したことで、アクトはフードの奥に隠れた表情を少し覗くことが出来た。


(コイツ……笑ってんのか?)


 言葉とは裏腹に、不審者の口元は弧を描いていた。……にしても、その言動が妙である。人間とは捉える価値観が違うような、人間を下等な存在と見下しているような……というより、まるで()()()()()()()()()かのような物言いだ。 


「まぁ良いさ。頭の固い他の連中と違い、僕は寛容な方だからね。それに、ようやく巡り合えた骨のありそうな相手を直ぐに殺すのは惜しい。折角だし……君には少し食後の運動に付き合ってもらうとしようか」

「食後、だと……?」


 やはりどこか楽しげに、不審者がまた妙な言葉を口走った――その瞬間。濃密な闇の霊気(オーラ)が不審者から立ち上り、異質な存在感が突如として、圧倒的に、暴力的なまでに膨れ上がり、洪水のように迫る無色の暴威となってアクト達に叩き付けられた。 


「うっ……!!」

「ひ……ッ!?」


 場の気温が氷点下を振り切った感覚、臓腑が全て押し潰されるような重圧に、怯えきったローレンは何も出来ず顔を真っ青にし、肩を震わせて呆然と立ち尽くす。アクトも警戒心を剥き出しにして構え……その剣先を微かに震わせていた。


(力を隠していやがったか! しかも、これはやべぇぞ……! アイツは――拙いッ!!)


 見ただけで、肌に感じられる。自分達と目の前の存在とでは、根本的な格の次元が違う。傭兵時代、何度か相対して感じ取ったことのある人ならざるモノ――‟怪物”特有の気配がひしひしと伝わってくる。


(俺の全力を尽くしてようやくの拮抗……いや、それでも分が悪いか。こんな時、エクスさえ居てくれれば……!)


 あわよくば捕縛? そんな考えもっての外、非戦闘員を抱えた状態では満足にも戦えない。故に、この場は撤退一択だ。だが――


「さぁ、行くよ」

「クソが……ッ!! ローレン! この人を連れて早く逃げろ!!」

「えっ!? あ、ちょ、ちょっと!?」


 相手も相手で、みすみす逃してくれる気は無いらしい。ならば、せめてローレン達が逃げおおせるだけの時間と隙は稼がねば。即断したアクトは呼吸を落ち着かせ、ローレンに女性を預けて再び地を蹴り、不審者へ猛然と斬りかかった。


「ニ之秘剣――《雲耀》ッ!」


 自らが持つ技の中で最速の速度を誇る不可視の剣技、稲妻が閃くが如き超速の斬撃を繰り出す。手加減は一切無用、こちらも殺す気でいかねば逆に()られる、そう判断したアクトの本気の攻撃だ。


 都合五連斬、一呼吸の間にほぼ重ねて放たれた斬撃は、真空を引き裂いて不審者の首と四肢を解体せんと迫り――


「速さはまぁまぁかな」


 その刹那、不審者の姿は残像するように掻き消え、斬撃は空振り――直後、背後から気配。アクトは脊髄反射で、振り返り様に電光石火の反撃を横薙ぎに振るうが、


「反応は上々」

「ぐっ!?」


 異常発達したように程に伸び、魔法の光源を受けて妖しく煌めく紫紺の爪と剣とが激突し、とんでもなく硬質で重厚な手応えがアクトを襲った。たまらずアクトは、受けた衝撃を殺すようにバックステップで跳び退る。   


(重っ……ここ最近で戦った奴らには及ばねぇが、ただの素手でこの威力。尋常でない腕力だぞ……!?)


 未だ腕に残る痺れにアクトが戦慄していると、不審者は《縮地》もかくやという姿が霞むような超加速でアクトに肉薄する。


「力は少し足りないかな?」

「くっ……! うぉおおおおおおおお――ッ!!」


 両腕から高速で次々と繰り出される紫紺の爪撃を、アクトは全身全霊の《雲耀》で辛くも凌ぎ続ける。だが、速度で上回っていてもそれを優に上回る膂力と手数。反撃もままならい不審者の猛攻を前に、防戦一方となっていた。


(マズい、押し切られる!!)


 様々な角度から打ち込まれる怒濤の猛攻が、遂にアクトの防御を打ち破ろうとする――刹那、アクトの側頭部を掠めるようにして、彼の背後から壮絶な突風が疾く吹き抜けた。 


「……!」 


 荒ぶる風の衝撃を真正面から叩き付けられ、靴底を地面で削りながら不審者は後退した。自然現象を大きく逸脱した威力の風を生み出すなど、魔法でなければ不可能。そして、この場で魔法を使える者は一人しか居ない。


「ローレン!?」

「待たせたわね。まったく、恐怖で動けなくなるなんて、私としたことが情けない」

「何やってんだ!? さっさと逃げろ!!」

「そうしたいのは山々なのだけれど……そいつの身体能力ははっきり言って異常よ。だから、貴方の近くに居た方が安全だと総合的に判断しました」


 鋭く不審者を睨み据え、左手を構えるローレン。確かにアクトが体感した通り、この不審者の身体能力は極めて高い。彼との戦闘を止めて女性を連れたローレン達の方を狙われれば、彼女らには成す術が無い。


 なら、目の届く範囲に居てくれた方がカバーしやすいというローレンの意見も一理ある。彼女がアクトの指図に従うとも考え難いし、学生とはいえ彼女も一人の魔道士。アクトはその判断を信じることにした。


「……分かった。ただし、絶対に前には出るなよ」

「言われなくても。肉弾戦は貴方の担当なのでしょう? ……それよりも見なさい。向こうの面が割れたわよ」


 恐らく意図して風系魔法を行使したのだろう。先程ローレンが放った突風の直撃を受けたことで、不審者が被っていた漆黒のフードが捲れ上がり、下に隠れていた素顔が露わとなった。


 一体どんな醜悪な貌が秘められているのかと二人が見れば――現れたのは、絶世の美青年であった。色という色が抜け落ちたような灰色の髪、漆黒の装いとは対照的に相貌はまるで死人のように青白い。やけに鋭い犬歯が口唇から覗き、彼らを見つめる眼光は――鮮血のように真っ赤だった。


「……まさか。おいおいおいおい、マジか。何でテメェみたいなのがこんな場所に居る!!?」


 明らかに尋常ならざる外見的特徴から不審者の正体を割り出したアクトは、これまでとは比較にならない程の驚愕に呻いた。引き攣った顔には嫌な汗が流れ、整えた呼吸が徐々に乱れだす。


「やけに美形な(ツラ)、病的なまでに白い肌、鋭い牙、血みたいな真紅の瞳、化け物じみた人外の身体能力。(とど)めに、その女性()の顔色の悪さと首の傷……テメェ、まさか『吸血鬼(ヴァンパイア)』か!?」

「なぁっ!?? 吸血鬼ですって!?」


 半ば確信に近い推測を以て、アクトは言った。それに対し、不審者は妖しげな笑みを口元に湛え、


「ふふふ、御名答。顔を見ただけでよく気付いたものだね。以前、僕の同胞と遭った事でもあるのかな?」

「「……ッ!!」」


 やはりどこか楽しげに、あっさりと自分の正体を認めるのだった。強烈な焦燥感を隠そうともせず、額に脂汗を浮かべた二人の間に更なる動揺が走る。


 「吸血鬼」――穢れた存在たる不死者の中の不死者、祈らざる者(ノン・プレイヤー)たる夜の盟主。下級も下級の食屍鬼(グール)腐人(ゾンビ)などとは次元が違う、不死者達の絶対的頂点に立つ「不浄なる魂の王(ノーライフ・キング)」。


 正真正銘、世界に生じ、世界の理より外れた‟怪物”だ。


 女性の容態は重度の貧血、首筋に負った傷は恐らく吸血行為の際による物。吸血鬼は人間の生き血を至上の好物とし、その過程で己が血を相手に分け与え、呪的因子を以て眷属とする。だが、


(それを敢えてしないって事は、コイツは誇り高き上位種の‟貴族”! 吸血鬼達の親玉である貴族が、何故単独でこんな街のど真ん中で人間を襲っていやがる!? あり得なさ過ぎるだろッ!?)


 吸血鬼は、古来よりその存在自体は確認されているものの、他生物に比べて個体数が極めて少ない。故に、栄養源にして天敵でもある人間が多く集まる場所には、滅多に寄り付かない。人類の開拓の手が広がった現代において、彼らは伝説的な存在となりつつあるのだ。


「くっ……!!」


 相手の正体が吸血鬼と判明し、ローレンも迂闊に手が出せないでいる。単に恐怖で竦んでいるのではない。彼女の聡明な頭脳と、生物としての本能が理解しているのである。


 さっきは虚を突いて命中させたが、本来なら自分の振るう魔法など、この存在にとっては児戯も同然だ。全力の《風戦鎚(ウインド・ブラスト)》を当ててもまったく効いていないのが何よりの証拠。次撃とうものならあっけなく受け止められ、即座に殺される、と。


「そう怖がることは無いよ。幾ら撃ったところで、君達の脆弱な魔法など僕には効かないし、僕には若い女性を殺める趣味は無い。数は居るとはいえ、せっかくの美味な血の持ち主がこの世界から()()欠けるのは勿体ないからね」

「――ッ!??」


 まるで心を読んでいるかのような絶好のタイミングで、吸血鬼はローレンに穏やかながらも薄ら寒く微笑む。表面的には普通に見えても、言動の端々に潜む人間との根本的な価値観の乖離が、吸血鬼の異質性を感じさせる。


「君達は随分と僕に驚いているようだけど、僕の方こそ結構驚いているんだよ。先の一合で感じたこの気配……まさかこんな場所で出会えるとは。これも運命の悪戯か……君が当代の‟騎士王”なのかい?」


 すると突然、吸血鬼はアクトに向けて意味不明な事を言い出した。


「……はぁ? 騎士王だと? マジで何言ってんだ、テメェ。俺が王様なんて大層な御身分が務まるタマに見えるのか?」

「おや? まさかの本人に自覚が無いときたか。となれば……」


 アクト=セレンシアは‟剣士”であり、コロナ=イグニスの‟騎士”だ。断じて‟王”などでは無い。当然、‟騎士王”なる単語も符号も知らない彼は、怪訝な表情で問い返す。


「……ああ、()()()()()()。‟彼”は、こういう時の為に意思を残した訳だね」

「おい、人の話聞いてんのか?」


 だが、アクトを置いて一人納得したらしき吸血鬼は、何かを念じ始める。直後、足元の影が立体的に吸血鬼の手元へと蠢き伸びていって――変質。闇で形作られた一振りの黒剣が現れた。


「さて、もう正体を隠す必要も無いし、そろそろ本腰入れて行かせてもらうよ」

「……はっ、よく分からんが勝手に言ってろ! その首叩っ斬ってやらぁ!!」


 謎の影から創出した黒剣を携え、吸血鬼はアクトへと鋭く切り込んでいく。速い、姿がくっきり残像する程の猛速度で、刹那の間にアクトの懐へと迫り――()に嵌った。


(かかった!!)


 こちらから積極的に仕掛けなかった甲斐があった。先程の爪撃を凌ぐ過程で、アクトは吸血鬼の身体の動き、視線の動きからある程度の筋を見切った。得物が変わっても筋は変わらない。打ち込まれる角度が初めから分かっているのなら、どれだけ速かろうと対処は容易。


(見えた! 奴の初手は、右上方から振り下ろす袈裟懸け――今度こそ、この一撃は通る! 通してみせる!)


 ほぼゼロ距離にまで肉薄し、容赦なく振り下ろされた吸血鬼の黒剣。斜めに両断されたアクトの身体、圧倒的膂力で薙がれた剣圧の余波を受けて、激風が吹き抜ける。


「アクトッ!!」


 響き渡るローレンの悲鳴。彼女の目には、自分達を守るために戦っていた同級生の少年が、絶対的存在である吸血鬼の本気に触れ、あっけなく命の華を散らした凄惨な光景に映るだろう。だが――


「――ッ!?」


 吸血鬼が微かに目を見開く。両断された筈のアクトの姿が、ぐにゃりと歪んで幻のように掻き消えたのだ。


 三之秘剣《幻走影(げんそうえい)》、高速の捻りと独特の足捌きで残像を作り出す攪乱技。視力や反応速度が優れている者ほど、残像をより捉えてしまう。幻である以上、刃は虚しく空を斬るのみ。吸血鬼は自分から体勢を崩す結果となった。


 残像が斬られた瞬間、アクトは吸血鬼の真横にサイドステップで回り込んでいた。気付いた吸血鬼は直ぐに刃を引き戻そうとするが、黒剣は完全に振り下ろされた後。雷光が如き速度で打ち込まれた刃には間に合わない!


「はぁああああああああ――ッ!!」

「むっ!!」


 ――交錯。僅か一瞬のすれ違いの後、両者は互いに背を向け合って静かに残心し……


「……お見事」


 吸血鬼がそう短く呟き……黒剣を握っていた右腕が、ぼとりと地面に落ちた。


「賞賛に値する判断力と技のキレ、封印で力は大幅に削られているとはいえ、流石は‟彼”の力を受け継ぎし者といったところだね。……けど」

「――ぐっ……」


 斬られたというのにやはり楽しげに、惜しみない賞賛を送った吸血鬼が振り返り……直後、アクトががくりと片膝を付いた。手で押さえている脇腹には、鋭利な何かで引っ掻かれたような傷が刻まれており、緋色の鮮血がじわりと滲んでいる。


「腕一本持っていかれただけの駄賃はいただいたよ」

「何故だ……テメェの攻撃は、しっかり躱した筈……」


 見れば、吸血の異常発達した爪には、出血したばかりの真新しい血が滴っている。あの一瞬の交錯の中で、剣での防御は間に合わないと判断した吸血鬼は、せめて一矢報いるためにその鋭き爪を突き立てたのだ。


 それでも、アクトの不意打ちは完璧に決まった、反撃の隙など一分もなかった筈なのだ。……だが、実際にアクトは反撃を喰らった。彼がその謎を見抜けずにいると、吸血鬼は爪に付着した彼の血を、やけに艶めかしく舌で舐め取った。 


「……ふむ。少々の雑味はあれど、濃厚で芳醇な味わい。女性の澄み切った血も勿論だけど、鍛え、練り上げられた魔力が通う肉体の血は、いつの時代も美味なものだね」

「ほ、本人の居る前で、血の食レポなんて、してんじゃねぇよ……気持ち悪い」


 そんなの聞きたくなかった、と苦悶の表情で睨み付けるアクト。


(マズイ、今ので決められなかった……!)


 一撃で首を落とせなかった事を、アクトは深く悔やんだ。吸血鬼には、生物の規格を遥かに超えた超絶的な再生能力がある。多少の傷なら直ぐに塞がってしまうし、欠損した部位も切断面に押し付けているだけで勝手に接合すると聞く。


 斬り落とした片腕の有利を維持するためにも、吸血鬼に腕の再生の暇を与えないようにしなければならない。それも、負傷した身体でまだまだ余力を残しているであろう‟怪物”相手に。


「片腕落としたくらいじゃ、僕の命には到底届かない。さぁ、闘争はまだまだこれからさ」

「クソッ……!」


 微塵も焦燥を感じさせない余裕の態度で、吸血鬼は拾い上げた黒剣を悠然と構える。直後、身に纏う闇の霊気(オーラ)がより一層濃くなり、凍てつくような殺気と存在感が場を支配した――その時。


「こっちだ! こっちから音がするぞ!」


 極寒の静寂を打ち破る第三者の声。誰かを呼ぶ男の大声と共に、複数の足音がここに近付いて来る。


 足音の度に金属が擦れる音がするからして、恐らく武装した街の警備官だ。ローレンが人払いと認識偽装の結界を解除したことで、先刻までの戦闘音を聞きつけた誰かが通報したのだろう。


「野次馬が集まってきた、か。ここまでだね」


 少し不服そうに、吸血鬼は構えを解いた。それと同時に、濃密な闇の妖気が吸血鬼の身体の内へと収まっていき、場を支配していた殺気と存在感が瞬く間に霧散していく。


「食事もさせてもらった事だし、今日はお暇させてもらうとするよ」

「……」


 下手な言動で吸血鬼の戦意を煽らないように、アクトは押し黙る。ここで気が変わられたら間違いなくこちらが全滅する。業腹だが、今は向こうが引いてくれるのを願うしかない。


「さっきは少ししか摂れなかったけど、次はもっと君の血を味わわせてもらうよ。僕はみだりな殺傷はあまり好まないけれど……狙った獲物は決して逃さない主義なんでね」

「……!」


 背筋が凍り付くような感覚、得物を狙う猛禽類の如き相貌で酷薄に微笑んだ直後。吸血鬼の足元の影が円状に蠢き広がり、底無し沼のように斬り落とされた腕ごとその身体を沈めていく。


「僕に一撃を喰らわせたことに敬意を表し、名乗っておくとしよう。僕の名は、フェリド=ル=ノスフェラトゥス。既に位は返上したけど、吸血鬼族を総べる誇り高き『真祖』が一柱。また会おう、‟騎士王”さん」


 そうして、謎の吸血鬼は最後の最後に己が名前を告げ、影も形もなく消え去るのだった。



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