67話 反撃
――黄昏色に燃え上がる世界。めらめらと焼ける木々、地面に広がる炎、渦巻く火の粉と熱波、闇夜を赤く朱く紅く照らし、灼熱に燃え盛る樹海にて。
「ぜぇーっ! ぜぇーっ! ぜぇーっ!」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
真っ赤に燃え上がる眼下の景色を見下ろしながら、コロナとリネアは肩で荒い息を吐く。赤く輝く焦熱の樹海とは対照的に、二人の顔は真っ青だった。
「【雄々しき炎獣よ・激しき怒りのままに・我が眼を真紅に染め上げろ】」
「【気高き雷神よ・其の携えし眩き尖槍以て・数多の障害を刺し射貫け】」
「【踊れ氷霊・雪原を吹き荒れるは・白銀の風なり】」
そんな二人へ容赦なく浴びせられる魔法の暴威。外法禁呪《静かなる狂気》で洗脳された下級構成員と正規構成員「信徒」らが、熟達された一軍の如き素早さで隊伍を組み、軍用魔法を斉射してくる。
「くっ……【守って】!!」
「このぉ! しつこいわねッ!!」
リネアが願い、魔力と共にその願いを受けた聖騎士が、殺到する軍用魔法を全力で防ぐ。傍らのコロナが焦燥に駆られた表情で腕を振るい、信徒らの間に超高熱の爆炎を巻き起こし、彼らを吹き飛ばす。
……だが、直ぐに彼らは体勢を立て直し、次なる攻撃の準備に入る。
「キリがない……!!」
当初こそ、超高速で展開される《炎庭》の火力と、万能の防御性能を持つ聖騎士によって、二人は圧倒的人数差をものともせず信徒らを圧倒していた。しかし、後続部隊が到着してからは、両者の形勢は完全に逆転した。
秘奥《炎庭》も、心意《聖女ノ守護騎士》も、学生の扱う規格を遥かに超えた魔力を要求される魔法。二人は同年代と比べても素晴らしい魔力量の持ち主ではあるが、魂が抜け落ちるような魔力消費と引き換えに術を維持している。
幾ら規格外の魔法・能力があるとしても、これだけの物量を以て崩しにかかられればジリ貧になるのは必至であった。
「うっ、もう、限界……」
「もう持たない。ここまでね……!」
《炎庭》の圧倒的火勢も随分と弱まり、「聖騎士」の輝きもかなり消えかかっている。理由は、一重に二人の魔力不足が原因、限界が近付いている証拠だった。
ただ、これだけ派手に暴れて時間を稼げれば、研究所の人間も流石に気付く者が居る筈だ。侵攻する敵にもかなりの損害を与えることが出来たし、そろそろ撤退に移ろうかという――その時。
「【雄々しき炎獣よ・激しき怒りのままに・我が眼を真紅に染め上げろ】!」
しまった、と思った時には遅かった。疲弊し、周囲への警戒が疎かになっていたが故に気付かなかった、死角からの攻撃。
いつの間にか二人の側面に回り込んでいた信徒が放った火炎流が、渦を巻いて彼女らを飲み込まんと放たれる。
「「――ッ!!」
これだけ近ければ、回避も防御も間に合わない。聖騎士に防御を命じる時間も無い。こうなれば、少女二人は自分達を襲うであろう炎の衝撃に備えてキツく目を閉じ――
「【錬成】」
火炎流が二人を飲み込むことはなかった。その場に聞き覚えの無い男の声が届いた直後、二人の前方の地面が突如として急速に隆起し、分厚い土の障壁を形成。火炎流と激突し、これを相殺したからだ。
「「……えっ?」」
いつまで経っても炎に巻かれないことに違和感を覚えた二人が、ゆっくり目蓋を持ち上げた直後――夜闇を、灼熱世界を鋭く突き貫け、何処からともなく飛来した一条の雷閃が、信徒を正確無比に打ち据え、その意識を瞬時に刈り取った。
「誰!?」
雷槍が飛んできた大方の方角に向け、コロナが叫んだ次の瞬間、疾風の如く颯爽と場に現れる複数の人影――
「やぁああああああああ――ッ!」
裂帛の気迫を漲らせ、両手に身の丈程もある大剣を構えた小柄な少女が、
「各自、散開ッ! 陣地は私が構築します!」
散り散りになった謎の集団に手早く指示を飛ばす女性が、
「よく持ち堪えたな嬢ちゃんたち。あの数を相手に大したもんじゃ」
少女らを労う筋骨隆々で大柄な初老の男性が、
「お前達が、アクトが巻き込んだという協力者だな?」
淡々と問う目つきの鋭い青年が――同じ意匠が施された漆黒の戦闘服を纏った謎の人物達が、ルクセリオンとの戦いに堂々と割り込んできた。
「貴方達は一体……?」
「俺達は帝国軍特殊作戦魔導部隊「軍団」が一柱、第十団「黒の剣団」。かつて、アクト=セレンシアと肩を並べて戦っていた者と言えば、分かるか?」
「あ、アクトの!?」
「そうだ。奴と別れる間際、密かに連れて来た協力者に力を貸してやってほしいという経緯で、お前達の事は認識している」
困惑気味の二人娘の問いに、猛禽の如き鋭き相貌を持つ青年――「黒の剣団」副団長のグレイザーは、冷ややかに答える。自分達もアイリスを助ける手伝いをしたいと半ば強引に協力を取り付けた際に、アクトは付いて行かなければならない者が居ると言っていた。それがこの人なのだろう、と彼女らは察した。
「手短に話す。帝国憲章第七章・軍規緊急特例条項において、民間人のお前達に特別協力を要請する」
「協力……?」
「ああ。と言っても、そう難しい事では無い。この一帯の炎を生み出したのはお前だな? お前には、出鱈目にばら撒かれた炎を消してもらいたい」
コロナの姿を流し目に、グレイザーは目に映る全てが真っ赤な、黄昏色の世界を見渡す。その眼下では、他の団員が信徒らと激しい戦闘を繰り広げている最中であった。
「火力に関しては凄まじいものがあるが、まだ魔力制御は甘い。このままではいずれ遠くに延焼し、都市に被害を出す可能性がある。魔法とは、世界の理に働きかける業。自身で生み出した炎なら、ある程度コントロール出来る筈だ」
「わ、分かりました。すぅ……【我が名に於いて命ず・赤き災禍よ・正しき理に従いて・此処に散滅せり】!」
乱戦になった今、コロナ達に魔法を放ってくる敵は居ない。グレイザーに促されたコロナは、ゆっくりと呪文を唱える。
すると、周囲に仕掛けられていた《炎庭》の術式が解除されると同時に、熱く燃え上がっていた炎は、蝋燭を吹き消すかのようにあっさり鎮火された。夜の樹海に、深き暗闇が蘇る。
「これで、どうですか?」
「良し、見事なものだ。後は任せろ」
ほっ、と一息つくコロナに向け、グレイザーはほんの少しだけ口の端を吊り上げた。
……二人がかなりの人数を戦闘不能に追い込んだとはいえ、未だ大人数が残っている信徒らと交戦する「黒の剣団」の団員は、誰もが少女らが目を見張る超一流の魔道士だった。
凄く戦闘慣れしているように見える彼らは、巧みな技で殺さない程度に次々と信徒を制圧していく。
「とはいえ、流石に数が多い、か。この暗闇を逆手に逃げられても面倒だ……一気に片付ける。ラフィー、皆を一時退避させろ。ガレスは、二人を頼む」
「了解じゃ。ほれ、嬢ちゃんたち。ちょいと失礼」
「えっ、ちょ!?」
「きゃあ!?」
グレイザーに命じられ、戦況を見守っていた初老の男性――ガレスは、少女二人を両腕に軽々と抱え、戦場とは逆方向に駆けだした。瞬く間に後方へ流れていく黒き緑の景色、彼らはあっという間に戦線から離脱していく。
「後退ッ! サーシャちゃんも一旦下がって」
「「「応ッ!!」」」
「……分かった」
それと同時に、戦闘を行っていた他の団員も別方向へ一斉に引き始める。その結果、彼らは信徒らを中心にした広範囲に渡って包囲する布陣を形成した。
「副団長。全員の退避、完了しました!」
「分かった。……【疾風となりて我は駆けん】」
女性魔道士――ラフィールからの報告を受けたグレイザーは、風魔《暴風飛翔》、風操作による機動力加速の術を発動。
激風を身に纏い、丘の上から砲弾の如く飛び出し、直上辺りで術を解除。信徒らの集団ど真ん中に降り立った。
「【天に昇りし・気高き雷神よ・其が金色の輝きを以て・地を悉く蹂躙せよ】」
先んじて詠唱が開始されていたその呪文は、グレイザーを取り囲んだ信徒らの魔法が彼に放たれる前に完成した。その刹那、蒼色の魔力光が線となって大地を疾走し、グレイザーを中心に五芒星の魔法陣を形成。
――次の瞬間。迸る極光と炸裂音、闇を切り裂く凄絶な閃光。グレイザーを中心に雷鳴が踊り、天を衝く勢いで巻き起こる稲妻の嵐が咆哮乱舞した。
荒れ狂う雷神の怒りを前に、信徒らは抵抗一つままならず薙ぎ払われていく。
雷嵐の発生源から比較的遠くに居て、魔法防御が辛うじて間に合った者も、吹き飛ばされそうになる雷の衝撃にガリガリと余力を削られていく。
「コロナ、あれって……」
「えぇ。文献の情報でしか見たこと無いけど、多分……」
ガレスに抱えられながら、たった一つの魔法によって、信徒の大軍が為す術なく打ち倒されていく光景を目の当たりにしたリネアの問いに、コロナは感嘆に満ちた声音で呟くように答えた。
鎧袖一触に信徒らを薙ぎ払っていくこの魔法は、雷撃《金雷神ノ天鳴怒》。帝国軍が誇る第二等級広範囲無差別殲滅軍用魔法だ。
通常、帝国軍で配備されている術式には、第一級から第三級魔法まで、及ぼす威力や効力によって仕分けられた等級区分がある。
一等級魔法は、戦略級と呼んでも差し支えない超威力を持つが、分類的には数人の術者が協力して詠唱する儀式魔法だ。故に、個人が戦術単位で行使する魔法としては、第二級~第三級の魔法が主であり、第二級は習得難度・威力と共に最高クラスの魔法となる。
第三級魔法を一節呪文で発動出来れば、魔導兵として超一流。何節かけてでも第二級魔法を発動することが出来る程の魔法技能があれば、部隊長を任されたりと軍においても稀有な人材として重宝される。
ただ、第二級魔法は第三級魔法に比べ格段に威力で上回るものの、詠唱節数が長過ぎて隙が非常に大きく、味方との連携を想定した上で行使されるべき魔法なのだ。
(それを、あの人は……)
通常なら十節以上にもなる《金雷神ノ天鳴怒》の呪文を、状況次第では一対一の魔法戦においても十分使える四節にまで落とし込んで単騎運用する略式詠唱技能も十分驚くべきものだが、それ以上に二人娘を驚嘆せしめる超絶技巧をグレイザーは行っていた。
それは、遠目に見ている自分達ですら荒ぶる雷の波動を感じられるほどの大威力・広範囲の魔法でありながら、命を落とす程の傷を負った者は一人として居なかった事だ。
範囲はギリギリまで拡大し、出力はギリギリまで抑えるという、相対する非常に高難度な魔力・術式制御を行った結果だ。
敵の殺傷・非殺傷を問わなければ、恐らくグレイザーはもっと速く、もっと強く魔法を編纂することだって出来るだろう。何て力強く、そして繊細な魔法なのだろうか。真理を探究する魔道士の卵として、少女らはただただ戦慄し、感嘆するほかなかった。
(この人達が、アクトが一緒に戦ってきた仲間……!)
(本当に凄い……でも……)
グレイザーだけではない。きっと他の人も、自分達とは比べ物にならない卓越した魔導の技の持ち主なのだろう。……だからこそ心配だ。そんな頼もしい味方をこちらに回してまで、一人でアイリスを救出しに行った少年の事が――
「心配せんで良いわい」
「「……!」」
図らずしも同じ事を考えていた二人娘の心境を見透かした男の声。彼女らを地面に降ろしたガレスは、歳相応に貫録溢れる顔立ちに若々しい精気を滲ませ、ニヤリと豪快に笑った。
「アクトの事が心配なんじゃろ?」
「え、えぇっと……はい」
「アクト君の実力を疑ってる訳じゃないんですけど……それでも心配です」
先の学院襲撃事件にて、アクトは邪な悪意を抱く敵に対しては苛烈な感情を剥き出しにする傾向があるのは、二人もよく知っているところだ。一度ルクセリオンと激しく交戦した事も相まって、自らの身を顧みない無茶な戦いをしてしまうかもしれなかった。
だが、そんな二人の憂いに対し、
「大丈夫じゃ。確かにアクトはその場の感情に流されやすい性格をしとる。ぶっちゃけ、青臭くてチョロいわな。けど、奴は自分の成すべき事を見誤るような男じゃないわい」
「……」
「昔から、アクトは守るべき仲間や誰かの為に剣を振るい、零れ落ちた命の重みに悩みながらも数多くの命を救ってきた。今回に関しても、必ずや奴は、件の少女を救ってみせるじゃろう。だから、嬢ちゃんたちには友人として、もうちょっと奴を信じてやってはくれまいか?」
アクトの事を語るガレスの態度には、かつて、互いに命を託して戦ってきた仲間としての信頼の他にも、父親が子に向けるような親愛の念があった。そう、彼もアクトの安否を案じている。ただ、心配している上で、アクトの事を掛け値なしに信じているのだ。
信頼しているからこそ、自身も己の役目に集中出来る。信頼に信頼で応えるという、美しい人間関係だった。
「……ですね。何だかんだで、アイツ、しぶとそうですもんね」
「私を助けてくれた時も、アクト君は最後まで諦めませんでした。きっと、無事に帰って来ると思います」
「そうじゃろう? にしても、こんな美少女二人に心配されとるとは、案外アクトの奴も隅に置けんのう。奴が本当の意味で心を開ける人間は少ない故な、これからも仲良くしてやってくれると嬉しいわい」
――最早、この場の趨勢は決した。一時撤退していた他の団員も加勢し、信徒らは次々と捕縛されていく。全員が捕まるのも時間の問題だろう。
(こっちは何とかなりそうよ、アクト!!)
(だから、必ずアイリスと一緒に戻って来て!!)
二人娘は、今も壮絶な戦いを繰り広げているであろう少年へ思いを馳せるのだった。




