66話 九魔鬼
「――……おかしい」
断崖と深緑に囲まれた入り江の砂浜にて、グレイザーは一人呟く。
先の喧騒と打って変わって静まり帰った砂浜は、ある所は激しく炎上し、ある所は氷点下まで凍りつき、ある所ではプラズマの残滓が迸っていたりと、壮絶な超常の戦いが繰り広げられたことを物語っていた。
だが……そんな激戦の跡地に立つグレイザーはまったくの無傷。掠り傷どころか息一つ乱しておらず、今しがた自分が下した三人の外道魔道士を睥睨する。
彼らは全員、満身創痍で力なく倒れ伏し、「魔封じの刻印」が刻まれた捕縛縄で完全に無力化されていた。
(おかしい……弱過ぎる)
血のような赤黒いローブ――恐らくは上位構成員の証――に身を包んだ彼らは、確かに白外套の構成員と比べ相当な実力の持ち主ではあった。ただ、自分一人で容易に制圧出来るような程度の連中が、こうまで人数を割いた大掛かりな作戦を指揮しているとは考え難い。
(何かしらの情報を持ってると踏んで捕縛はしてみたものの、どうもアテは外れらしい。だが、これまでの情報と俺達が追ってきた人物の動向を照らし合わせれば……連中の最高幹部と思わしき外道魔道士がこの件に関わっているのは確実。やはり、この連中以上の大物の黒幕が、指揮を執っているのは間違いないだろう)
問題は、その黒幕が姿を未だ見せていないという事だ。帝国に作戦が破綻しかねない程の介入を許しておきながら、作戦指揮者が動かないとは考えられない。つまり……現在の黒幕の所在地は、件の少女を救出すべくアクトが突入した秘密研究所の方に違いない。
(奴は戦闘巧者だ、そう易々と返り討ちに遭うことはあるまい。ならば、目下、俺が最優先で対処に当たるべき問題は――あちらの方か)
その時。まるで何かが激しく爆ぜるような轟音が、風のざわめきに乗って遥か遠方から聞こえてきた。それに続き、別の轟音が一つ、二つ、三つ……掠れてはいるが明らかな戦闘音が、グレイザーの耳朶を打つ。
先程から戦闘音が鳴り響いているのには気付いていた。集音の魔法で確かめても間違いない。だが、腕に嵌めたリング型魔導通信機からの連絡が無いという事は、研究所防衛に回った他の団員が交戦しているのでは無いだろう。となれば、
(恐らく、別れ際にアクトが言っていた『アイツら』……察するに、奴が秘密裏に連れてきた協力者が研究所襲撃部隊の連中と戦っているといった辺りか)
まったく、あの男はこちらの気など知らず余計な仕事を増やしてくれる――連れてきた本人が助けを乞うたという事は、その協力者とやらは、この一夜の戦いを無事に切り抜けるには力不足という事なのだろう。
「……チッ」
心労を吐き出すべく、溜め息代わりの舌打ち一つ。足手まといなのが分かっているのならばわざわざ連れて来るな、と言わずにはいられないグレイザーであった。
得体の知れない黒幕の正体については、確かめねばなるまい。ただ……今の自分には、与えられた任務と同等かそれ以上に大切な、かつての戦友と交わした約束がある。
――昔からそうだ。あの男はいつも叶う筈も無い青臭い理想を掲げて周囲を振り回し、自身の事など顧みず、勝手極まりない行動ばかり起こして勝手に傷付く餓鬼だが……仲間からの信頼だけは裏切ったことは無い。常に己と、そして仲間のために死力を尽くし、戦果を以て信頼に応えてきた。三年前と変わっていなければ、今回も自分の役目を果たす筈だ。
柄で無いのは理解しているが、自分も心の何処かであの少年を信じている。それに、何も知らなければ無関係だった筈のアクトを巻き込んだのは、元々、自分達の失敗が招いた結果なのだ。ならばこそ、頼みの一つくらい果たさねば示しがつかないというものだろう。
「約束した手前、反故にする訳にもいかない、か。……ふん。致し方あるまい、行くとしよう」
結局は、かつてのように奴の都合に散々振り回された挙句、良いようにダシにされて利用されているな――不機嫌そうに鼻を鳴らし、グレイザーはその場を後にするのだった。
◆◇◆◇◆◇
――ほぼ同時刻。ルクセリオン秘密研究所最奥部にて、激戦の果てに一つの戦いが終結した。先の激しい戦闘音とは打って変わり、「永久機関」が鎮座する広大な空間に、少女の嗚咽だけが静かにこだまする。
「ば、馬鹿な!? 術者にしか解けない筈の精神干渉を自力で、何の魔法も使わずに意識封印を破っただと!?」
「……ッ!!」
ヴォルターは素っ頓狂な声を上げ、カイルも信じられないものを見たといった様子で強張った表情を浮かべている。アイリスの勝利を微塵も疑っていなかったが故に、それを覆された衝撃は絶大だった。
「ぐすっ……ひっく……うぅ……」
「ほらほら泣くなって。落ち着けって、な?」
そんな首謀者達の反応を他所に、アクトは宥めながらを優しくアイリスを自分から離す。暴走状態でないにも関わらず、彼女の髪色は紫炎色のままだ。彼女が普段着けている眼鏡には凶暴な‟獣性”を封じる他に髪色を偽装する機能もあり、この髪色こそが地毛なのだろう。
「それよりアイリス、怪我とかは無いか?」
「……はい。何とか……痛っ!!」
やがて、ひとしきり泣いた後。アクトの問いに、涙で目尻を赤くしたアイリスは空元気で返そうとするが――突如、彼女の総身を鋭い痛みが走った。立つこともままならない程の痛みに、アイリスはその場にへたり込んでしまう。
「痛っ……な、何で……!?」
「おいおい、全然大丈夫じゃないじゃねぇか!」
方膝を付いた見れば、着せられた装衣の所々から、微量ではあるが血が滲んでいる。恐らく、「神獣」の血――霊的器官「二之獣魔臓」が引き出す圧倒的な力は、まだ身体が未熟なアイリスにとっては強過ぎるのだろう。
アクトとの戦闘において全力での無茶な動きを繰り返したことで、その反動が返ってきたのだ。
筋線維は幾つも千切れ、骨も何本かは折れているだろう。命に関わるような怪我ではなさそうだが、早めに治療しなければ後遺症が残ってしまうかもしれない。この様子だと歩行にも支障が出ているようで、激しい動きなどもっての外だ。
「アイリス、お前は此処で休んでろ。俺は奴らを片付ける。当然、カイルも取っ捕まえることになるが……構わないな?」
「……っ!」
アイリスは、アクトが言わんとしているを事を直ぐに察した。カイル=ミラーノの捕縛――それは、アイリスはこれを期に二度と彼と会えなくなることを意味する。その間際において、アクトは自分なりの気遣いを見せたのだ。
――勿論、裏切られた事に対する怒りはある。だが、不思議と憎悪のような感情は湧いてこない。たとえ、今までの全てが打算の上に成り立っていた関係だったとはいえ、カイル先生の存在がなければ、自分は孤独な生活に馴染めず早々に破滅していたかもしれないからだ。
そういう点では、どんな形であってもカイル先生は自分にとっての恩師なのだろう。こんないつ破裂するかも知れない危険な爆弾を抱えた面倒な女を、表面的な都合だけであそこまで良くしてくれた事は、感謝してもしきれない。けれど……だからこそ、道を踏み外した恩師を止めなければならない――アイリスはこくりと頷く。
「……お願いします。カイル先生が……カイルさんが、これ以上罪を重ねないように」
「そうか。あぁ、分かった。……後は任せとけ」
恩師からの決別を果たすべく、アイリスは涙を拭い決然と告げる。その言葉を受け取ったアクトは、薄い笑みを浮かべて後輩少女の頭を撫でると、立ち上がりざまに振り返って高台のヴォルター達を見上げた。
「という訳で、残念だったな。テメェらの目論見はこれで全てご破算だ。今ここで降参すれば、痛い目を見なくて済むぞ」
「ぐ、ぐっ……!」
配備していた自動人形は破壊され、頼みの綱であったアイリスは事実上無力化された。守りがゼロ、ようやく自分が窮地に立たされていることを理解したヴォルターは、怯えたように後退る。そして、
「な、何故だ!? 何故この研究の崇高さが分からない!? たった一人の身命と引き換えに、人類は無限のエネルギーを得ることが出来るかもしれないのだぞ!? これまでの歴史において人類が進歩の為に流してきた血の量と比べれば、遥かに安い代価だ! しかも、素体にするのは君にとっては何の縁もゆかりも無い排斥されし一族の末裔、だというのに、何故君はこうまで我々の計画を阻む!?」
「――あぁ?」
少年の逆鱗に触れた。
この世界に多くの理不尽が溢れているのは知っている。だが……それでも目的のために他人の命を奪う資格があるのは、自身も命を賭けた時、それが最低条件でなければならない。傭兵として、多くの命をこの手で奪い、多くの命が世界から零れ落ちていく瞬間を痛ましき記憶と共に知っているアクトであるからこそ、ヴォルターの所業と言動は断じて許せるものではなかった。
「たかが一人の命、だと……命の価値に優劣を付けてるような奴が、人類の進歩だ何だを語るんじゃねぇッッ!! 自分の命すら賭けようとせず、安全な高みから人の命を好き勝手利用しようなんて考えつく時点で、お前はどうしようもない外道なんだよ!」
「――ッ!?」
今この場で奴の計画を止めることが出来てよかったと、アクトはしみじみ思った。ヴォルター=エヴァンスの計画は未遂に終わった。だが、もしアイリスを利用した計画が実現し、もしそれが失敗していたならば……躍起になったヴォルターは、もっと非人道的な行為に手を染めていたかもしれない。
やはりこの男にはキツイの一発くれてやらないと気が済まない。アクトは目を閉じて念じ、魂の奥でエクスに呼びかける。
「エクス、《形態変更》解除」
『――分かりました。これより、通常形態に移行します』
主の呼びかけに応じ、剣精霊の権能があるべき形に変質する。同時に、アクトとエクスを繋ぐ在り方も変質し、彼の手に装着されていた篭手は金色の粒子となって消滅――直後、元の聖剣が出現した。
「決めた。降伏は認めない、お前はぶちのめし決定だ。だがその前に――」
鬼のような形相でヴォルターを睨め付けたアクトは、床からある物を拾い上げた。先程、アイリスに放り投げた未使用の炸裂爆弾だ。聖剣を床に突き立て、炸裂爆弾を片手にアクトは「永久機関」へ近付く。
「お、おい!! 何をするつもりだ!?」
「決まってんだろ」
上擦った声で叫ぶヴォルターの問いに、アクトが返す静かな一言。彼は眼前にそびえ立つ「永久機関」の威容を、一人の男の強烈な欲望と邪悪によって作られた産物を忌々しげに見上げ、何らの物質を内部に送り込むらしい窯のようになっている搬入口の蓋を開けた。
「テメェの性根を腐らせた元凶、こんな馬鹿げた機械なんか……吹っ飛んじまえ!!」
「や、やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーッッ!??」
額に大量の汗を流し、極限まで目を見開いたヴォルターは大音量で絶叫するが、それで止まる筈も無い。アクトは炸裂爆弾の栓を引き抜き、それを窯の中に放り投げた。搬入口を通り、爆発までの時間を調整出来る炸裂爆弾は「永久機関」の重要区画に送り込まれ――
――直後、反響するくぐもった轟音。遠雷が如き静かな爆発。だが、炸裂爆弾は「永久機関」を機能停止に追い込むのに十分な致命的損傷を与えた。内部で炸裂した爆発は機関稼働に必要な精密部品を根こそぎを爆砕、制御装置を破壊されたことによって機関を巡る莫大なエネルギーが暴走、連鎖爆発を引き起こした。
それだけに留まらず、堅固な外壁を突き破って内部に貯めこまれた膨大な高濃度魔力が吹き出し、嵐のようにドーム内を吹き荒れる。暴力的な魔力嵐は周囲の外付け魔導装置や計器を薙ぎ払い、その衝撃によって他の無事な部分ですら徐々に崩壊を始めていく。
やがて、剛風が収まった後……其処にあったのは、名も知れぬ巨大な鉄の残骸。人類が追い求める神秘、無限のエネルギーを生み出し続ける永遠の心臓、その夢に最も近かった邪なモノは――今、完全に沈黙した。
「あぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーッ!???」
魂の奥底から吐き出される絶叫。自身の夢と野望の象徴を完膚なきまでに破壊され、ヴォルターは言葉にならない発狂の叫びを上げる。最早、魔導工学研究所で見た理知的な研究者然とした姿は欠片もなく、辛うじて残していた正気すら失った完全な狂人であった。彼が無造作に振りまく狂気の濃さに、空気が震えているようだ。
「貴様、キサマキサマキサマキサマキサマァアアアアアアアアアアアアアア――ッ!」
「うるせぇな。次はお前だ、覚悟しろ」
血走りまくった眼光でアクトを睨み付け、ヴォルターがヒステリックに喚き散らす。その凄まじい狂気と憎悪・憤怒が込められた視線を冷め切った目で受け止め、この聴くに堪えない耳障りな騒音を掻き消さんと、アクトは聖剣を携えて駆け出す――その時だった。
「【黙りなさい】」
刹那、背後から飛来した一条の雷閃が、暗闇を切り裂いてヴォルターの頭部を正確に刺し射貫き――そのまま、夢破れし狂人の意識は瞬時に暗転し、二度と帰ってくることはなかった。
「えっ!?」
「なっ!? 誰だ!?」
先程まで吼えまくっていた首謀者が物言わぬ死体と化すという、あまりにも突然過ぎる出来事に、アクトもアイリスも目を見開いて固まってしまった。……ただ一人、事の終始を顔色一つ変えずに間近で見ていたカイルを除いては。
こつ、こつ、こつ――直後、カイルの背後から生じる新たな靴音が一つ。ゆっくり、だが着実に歩を進めるその足音は、段々とドーム内に近付いてくる。
今度は何が出張ってくるんだ、アクトが身構えていると――遂に、足音の主がアクト達の前に姿を現した。
「どうもこんばんは、お二人とも。今宵の宴も、血香る戦いと魔に彩られ、随分と賑やかになってきた様子。ですが宴とは、いつか終わるもの。なのでこの宴を自らの手でお開きにすべく、こうして参上しました」
現れがしらに礼儀正しく挨拶をするのは、色が全て抜け落ちたような灰色の髪持つ、歳の頃、二十代前半の男だ。長身痩躯を何らかの意匠が施された漆黒のローブで纏い、色白の不健康そうな肌を晒している。その穏やかな物腰や雰囲気が、何処となく隣に佇むカイルと似ている。そして、
「うっ……!」
拙い、この人間は拙い。一目見ただけでアクトの直感がそう判断した。彼がよく知るエレオノーラと同じ……人間の規格を大きく外れた存在特有の、心臓を締め付けられるような圧迫感を、目の前の男は放っている。
「……何者だ?」
「おやおや。何者だ、とは心外ですね。貴方とは知り合いと呼べる程度には、それなりの回数、会話を重ねていたと思っていたのですが」
「は? 知り合い、だと? 生憎、俺の知り合いにはテメェみたいな不健康モヤシ野郎は居ない筈だが」
いきなり意味不明な事を言い出した事に訝しげな表情を浮かべながらも、アクトは微塵も油断せず男を見据える。
「なるほど。この状態では流石に分かりませんか。では、これならどうでしょう?」
そう言って、男はぱちんと指を打ち鳴らす。すると、男から謎の魔力波動が放射され――刹那、今までずっと無言を貫いていた傍らのカイルが、まるで意識の糸が切れたように突然うつ伏せに倒れ、ピクリとも動かなくなった。
「こ、これは!?」
霊的視覚を研ぎ澄ませていたアクトの相貌に、明らかな動揺が走った。それもその筈。今、この男とカイル=ミラーノという人間は、完全な同一人物になっていたからだ。
人間それぞれに雰囲気や気配というものがあるように、多少の差異はあれど同じ気配の持ち主はこの世界に一人として存在しない。先程まで、両者の気配はまったく違っていた。完全な別人だった。だが、カイルが倒れた瞬間、男が纏う気配がカイルほぼ同じ――いや、まったく同じになっていたのだ。
「おいおい! まさか、そっちのカイルもただ操られていただけだったのか!?」
「――ッ!?」
この現象の絡繰りを瞬時に看破したアクトの指摘に、男は無言の笑みを浮かべる。否定はしない、つまりはそういう事なのだろう。そして、一連のやり取りをアクトの背後で見ていたアイリスの驚愕は、彼の比ではなかった。
「ええ。カイル=ミラーノという人間は、私が傀儡術と精神干渉で操っている只の人形。確か、元は我々の理念に賛同する魔道士の一人でしたか? ですが、全人格の初期化処置を施したこの空虚な器が有する魔法知識、人格、精神、魂は全て私が用意し、私と繋がっているモノ。カイル=ミラーノは、私そのものでもあるのです」
「なっ、あぁ――ッ!?」
アイリスが驚くのも無理はない。アクトが出会い言葉を交わした限りでは、少なくともカイルの様子に不自然さは一切なかった。どれだけ高等な精神干渉系魔法でも、何らかの粗は見つかるものだ。もし、何らかの魔法で操られていたのなら流石に気付く。アクト以上に親密な付き合いをしていたアイリスなら尚更だ。
だが、肉体以外のカイル=ミラーノを構成する要素、それらは全て他人に与えられただけのモノなのだと男は言う。
全人格の初期化などという身の毛もよだつ悍ましい行為も気にはなるが、他者の存在基盤に自分の存在の全てを塗り重ね、事実上の同一人物を生み出すなど、如何なる高等な魔法的処置を施せば成せるというのか。
「どうりで初めて出会った時に俺の感覚が反応しなかった訳だ。まさか、術者自身の人格を移植されているとは想像も出来なかったぜ。本人が操られている事を意識していなければ、違和感もクソもあったもんじゃねえからな……!!」
「そ、そんな……!? 今まで私に手を差し伸べてくれていたカイル先生は、全て偽物だったんですか!?」
「驚く事はありませんよ。姿形が変わっただけで、私がカイル=ミラーノである事に変わりはありません。アイリスさん、貴女と過ごした日々の事を、私は全て覚えています」
顔面蒼白で後退るアイリスに向け、男は物腰穏やかな笑みを浮かべる。
――理屈では分かる。だが、目の前の男が自身の恩師と事実上の同一人物であるという、生理的嫌悪感から生じる違和感だけはどうしても拭えない。カイルがいつも自分に向けてくれた優しい笑みと、目の前の男が自分に向ける笑みが、どうしても同質のモノであるとは思えなかった。
「……ならばこそ、だ。そのカイルをずっと操っていたお前は、一体何者なんだ!? テメェは、一体何なんだ!?」
「そうですね。こちらが一方的に貴方達の事を知っているというのは、確かに公平ではありませんね。よろしい、ならばお答えしましょう」
至極当然なアクトの問い。それに対し、二人を見下ろす男は両腕を大きく広げ――彼らの度肝をぶち抜くとんでもない事を言い放った。
「私は、ルクセリオン最高指導者『天導師』旗下・最上級構成員『九魔鬼』が一人、《幻鏡》ミラージュ=スぺクルム。当世最高の精神干渉系魔法使いにして、最強の『幻術使い』です」
「は――? な、『九魔鬼』、だとぉ……ッ!?」
後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を覚えるアクト。その名前だけなら知っているアイリスも、驚愕と畏怖が入り混じった表情で男を見上げていた。
帝国有史以来、謎の理念を掲げ歴史の裏で暗躍し、帝国と血みどろの争いを続けてきた魔法犯罪結社ルクセリオン。
彼の組織の中で実際に行動を起こすのは、常に《静かなる狂気》で強制的に魔導兵と化した下級構成員と、それを束ねる正規構成員「信徒」。その更に上に位置する上位構成員・幹部クラスの者達ばかりであった。
その更に上の位階、最上級構成員「九魔鬼」と呼ばれる者達の存在は、完全に闇の中であった。決して表舞台には姿を現さず、常に裏から手を引いてきたとされる彼らは、その素性の知れなさも相まって、存在自体が都市伝説の域を出ないまやかしの偶像とさえ言われてきた。
だが、男――ミラージュの言う事が正しければ、帝国史上、長らく謎に包まれてきた「九魔鬼」の一人が、こうして姿を現している事になる。アクト達は、今、歴史が動く瞬間を目の当たりにしているのだ。
(こ、この男が、ルクセリオンのトップに立つ外道魔道士――都市伝説レベルの怪物!? しかも、さっき奴は‟最高指導者旗下”って名乗りやがった。つまり――)
やはり、魔法犯罪結社ルクセリオンには、数多の外道魔道士を束ねる首魁が存在するという事だ。その者こそが、帝国が真に滅ぼすべき敵、意味不明な教義と理念の下に、混乱と殺戮を振りまく諸悪の根源。
ルクセリオン、「九魔鬼」、そして最高指導者「天導師」――錯綜する様々な情報に翻弄され、得体の知れない緊張に打ち震えるているアクトに、ミラージュは悠然と階段を降って来ながら言った。
「それよりも、貴方達には感謝しているのですよ。『永久機関』を破壊する手間を省いてくれて。こう無駄に大きいと、後始末も面倒ですからね」
「……なに? お前らの狙いは、アイリスを使ってこの『永久機関』を完成させる事じゃなかったのか!?」
「それこそまさか。アイリスさんをこのような妄執と憎悪の果てに生み出された愚物の贄に捧げるなど、ある訳が無いでしょう? 彼女の存在は、そんな下らないものではありません」
この戦いを巡る意味を全否定するような聞き捨てならない言葉に、アクトが食いつく。そうしている間にも、階段を降りきったミラージュは、アクト達と同じ高さに立った。
「ちょっと待て! だったら、何故ヴォルターの計画に手を貸した!? テメェらなら、こんな回りくどい物を作らなくても、アイリスを連れ去れる機会は幾らでもあった筈だ! アイリスに暴走されて返り討ちに遭うのを避けたかったのかもしれねぇが、やりようはあっただろ!?」
「そこから先は教えられませんね。知りたければ、貴方も我々の一員になるしかありません。我々は常に、力と強き意思のある者を求めています。貴方が我々の活動の意義に賛同してもらい、共に私達と同じ道を歩んでくれるのなら、喜んでお教えしましょう」
言葉に織り交ぜた唐突の勧誘。まさかテロリストに勧誘されると思ってもみなかったアクトは目を見開くが、やがて小馬鹿にしたような不敵な笑いを浮かべて語る。
「はっ、ほざきやがれ。血塗られた俺の剣は、誰かの為に振るうような高尚なものじゃねぇが……生憎、今の俺には先約がある。それに、この剣はテメェらみたいなイカれたテロリスト共の為に振るうものじゃ無いって事だけは確かだろうさ」
「おや、それは残念。貴方のような剣の使い手ならば、『彼』も大層お喜びになるでしょうに。……では、アイリス=ティラルドさん――いえ、アイリス=クイティノス=レパルドさん。貴女は選ばれた存在なのです。我々と共に来ていただければ、『あの方』はその強大なる力の正しい使い道を示してくださるでしょう」
「……ッ!!」
ミラージュは早々にアクトへ見切りを付け、今度は本命のアイリスへ勧誘を持ちかける。しかも、ミラージュは現在アクトしか知らない筈の彼女の本名も知っている。アクトが振り返って確認を取るが、彼女は首を横に振る。カイル=ミラーノとしての記憶も持っている事を合わせて考えると、どうやらこの男は想像以上に彼女について知っているようだ。
「本来ならば組織に連れ帰った後、『あの方』自らが組織の教義について説くご予定でしたが……こうなっては致し方ありません。神の代行者たる『天導師』、その配下たる私が此処に要請いたしまする。同士アイリスよ! その人智を超えし神獣の力、我らが大義の為に振るうのです。さすれば、‟真なる神”を頂いたその時、貴女や貴女の同族の存在が何の障害もなく生きられる新たな世界を開くことが出来るでしょう!!」
「……」
――あぁ、この人の勧誘は見事だ。私にとってのメリットをきっちり抑えておいた上で、この人の声音には、不思議と人を惹き付ける力が宿っている。きっと、呪われた血に人生を狂わされ、生き方に迷っていた前の私なら、この甘言にあっさり乗せられていたかもしれない――けど!!
「お断りします! 確かに、私はこの世界での生き方を見つけれずにいます……でも! 私の力を使って誰かを傷付けるような事を企んでいる人達には、付いていけません!!」
絶望の淵から救い出され、私は察した。人生とは誰かに与えられる物ではない、自分で掴み取る物なのだと! 一人の少年に救ってもらったこの命、一人の恩人が教えてくれた希望。救われたこの命で、私だけの新しい生き方を見つけるその時まで、あの人を裏切るような真似は、絶対に出来ない!!
明確な決意を以て誘いを断ったアイリスの頼もしき姿を振り向き様に見たアクトは、これまた小馬鹿にしたような憎たらしい笑みで、ミラージュを嘲った。
「残念だったな。テメェらは見事にフラれたんだ。分かったら、さっさと尻尾まいて逃げ帰りやがれ!!」
「おやおや、それはまた残念。この短い間に二度も振られてしまうとは。私、見る目はあったつもりなのですがね……」
結局はこうなると言うべきか。あくまで絶対の抵抗を示す二人へ、ミラージュはやれやれと溜め息を吐き――直後、強大な魔力と存在感がミラージュから溢れ出し、邪悪な気配が際限なく膨れ上がっていく。
「なら仕方ありません。当初の予定通り、力ずくで連れていくとしましょうか!!」
「ちぃぃ……ッ、アイリスはなるべく下がってろ! エクス、もう一戦行くぞ! 『九魔鬼』だか何だか知らねぇが……やれるものならやってみやがれ!!」
獣の力持ちし少女を巡る熾烈な戦い、闘争はまだ終わらない――




