65話 助けの声
第二ラウンド開幕、先に仕掛けたのは……アイリスの方だった。
相手の武器が変わろうと、自分がやるべき事は変わらない。ただ目の前の敵を屠るのみ――そんな冷徹なる殺意を魔力と共に乗せ、疾風怒濤の乱打蹴撃を次々と繰り出す。
「闘仙――《流水》」
対するアクトは、アイリスと同じく両腕に濃密な魔力を纏い、連続攻撃を受け止め、受け流し、弾き、叩き落す。拳と拳が喰らい合う都度、魔力が壮絶に爆ぜ、周囲がその余波で抉れていく。
連続攻撃を捌き続けるアクトの拳闘術は、‟流麗”の一言に尽きた。攻撃をいなす最大効率の力が籠められ、かといって力み過ぎている訳でもなく、動作に一切の堅さを感じさせない。水が流れるかの如し鮮やかな捌き。
――古流武術「闘仙」。昔、然る達人が相手を傷付けず争いを鎮める事を理念に編み出した、護身術に近い武術。攻撃をいなし、反撃に転じる後の先を理としており、アイリス相手には相性の良い技と言えるだろう。
無論、亜音速を超える剛速拳を初見で捌くのは不可能に近く、前段階で彼女の「筋」を見切ったからこそ為せる芸当ではあるが。
(予想通り、「闘仙」の具合は良好だ。それに、エクスのお陰で「力負け」もしてない! これなら戦える!)
「二之獣魔臓」によって存在次元が人間よりも高みあるアイリスは、その見かけからは考えられない程の身体能力と頑健さを有する。当然、振るう拳の強度も常人のそれとは比にならない。幾ら魔力を纏っているとはいえ、素手で打ち合えばアクトの拳が砕けるのは必定。
だが、純粋な存在次元の高さで言えば、アイリスといえど上位精霊たるエクスには遠く及ばない。そんなエクスが憑依した「精霊武具」を武器として纏うことで、アクトは強度面での「力負け」を防いでいた。これで存分に打ち合える。
「うぉおおおおおおお――ッ!!」
「……」
攻め立てる拳、それを受け流す拳――自身の攻撃が悉くいなされる手応えのなさを感じ取ったのだろう。アイリスは拳打の間を縫って蹴りを挟み、アクトの拳と打ち合った反動で自ら滑り下がった。
拳の間合いから離れれば、またあの空気弾が飛んでくる。武器を変えて迎撃手段を失った今のアクトにそれを防ぐ術は無い。だからこそ、
(距離だけはとらせない)
追撃が来ない十分な距離までバックステップで退くアイリス。その足が地面に着く寸前、
「《縮地・組討》」
魔力による行動強化を伴っての超高速移動。開けた距離を一直線に潰したアクトは、逃さずアイリスを互いの拳が届く範囲に留める。真っ直ぐに駆けるだけの単純な理合いであるが故に、悟られないようこの瞬間まで取っておいた隠し玉を切ったのだ。
再びゼロ距離での戦いを繰り広げる両者。ただし、アクトは自分からは仕掛けず、アイリスの攻撃をただ捌き続ける。攻撃を捌く都度、動作を精密に打ち払う角度と力を最適化。拳に纏う魔力すらも最小限に留めて他に回し、攻撃を受け流す全ての要素をより効率的に洗練させていく。
「闘仙――《竜風穿》」
焦れたアイリスが放った甘い一撃を弾くのを起点に、アクトは荒ぶる竜巻を掻き分けるかの如く怒涛の猛撃を上下左右に威力を散らし、遂に拳の壁を打ち破った。
「……!」
「フッ!!」
苦し紛れに放った不安定な体勢からの脚撃も躱し、アイリスの胴に魔力を込めた掌底を打ち込んで吹き飛ばした。
(ここだ!)
初めて与えた有効打、初めて見せたアイリスの隙。それを逃さず、アクトはこの戦いの趨勢を決める切り札――懐からある物を取り出して投げつけた。
全身の発条をしなやかに、全力を振り絞っての乾坤一擲。直撃を受けたが持ち前の耐久力で瞬時に体勢を立て直したアイリス目掛け、空気を裂いて飛ぶ楕円形の小さな物体――「炸裂爆弾」。
身体が総じて常人よりも遥かに頑丈なレパルド族といえど、これを喰らえば流石にひとたまりもない。アイリスはすぐさま地を蹴って爆発範囲から遠ざかろうとする……その時。
「――ッ!?」
虚ろなアイリスの表情に、初めて驚嘆の色が滲んだ。
それもその筈、彼女の超人的な動体視力がくっきり捉えたのだ。半瞬前まで自分が立っていた場所を勢いよく転がる殺傷兵器、強烈な爆発を引き起こすための栓が抜かれていなかったのだから。
これこそが、今のアイリスが抱える「弱点」。精神干渉によって凶暴な本能や意識を封印されることで、彼女は思考力や理性を残しながら戦う術を得た。
だが、敵の殺意や戦意を感じ取るような能力は、理性よりもむしろ本能に根付く機能だ。それらを封じられた状態では、どうしても感覚は鈍ってしまう。
故に、アクトは渾身の投擲による炸裂爆弾をブラフとして利用することで、アイリスの感覚を欺いたのだ。そして、相手が必ず避けることを分かっていれば、その一手に限っては予知に近い行動予測が可能になるという事。
もし、何の精神干渉も施さないまま本能を剥き出しにする「暴走」状態で戦わせていれば、鋭敏なる獣の本能がこの投擲に自身の命を脅かす要素など何一つない事を見抜いていれば――結果はまた違っていただろう。
「闘仙――《車輪払い》ッ!!」
爆発しない事を唯一知るアクトは構わずアイリスが逃げてきた方に先回りし、素早く足払いを掛けて彼女の体勢を崩し、倒れてきたところで首元を掴む。そのまま大きく身体を捻り宙で一回転、背負い投げの要領で叩き付けた。
「かはっ……」
背中からもろに床へ叩き付けられたアイリスは肺から空気が一気に押し出され、呼吸困難に陥る。が、それも一瞬の事、焦りは無い。単に組み敷かれただけでは腕力で圧倒的に勝るこちらが強引に抜け出すことが出来る。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……方法としては少々お粗末だが、捕まえたぜ。アイリス」
「……ッ!」
が、無駄である。虚を突かれたことで刹那の間の判断を失ったアイリスの四肢には、即座に組み付いたアクトの関節技が完全に極まっている。幾ら腕力差がかけ離れていようと、力を入れ辛いこの体勢では早々簡単に抜け出せはしない。
「さて……やっと大人しくしてくれたことだし、ちょっと話でもしようか。昨日の夜、話せなかった事をな」
あの時は、様々な情報や感情が錯綜し、自分以上に動揺していた筈のアイリスにかける言葉が思いつかなった。生きる希望を失い、自身の力の事で酷く悩んでいた彼女を気遣いをしてやれなかったが故に、その未熟な心の隙を突かれてこんな事態を招いてしまった側面もある。
時間にしてみれば一日と経っていないが、あれから色々と考えた。この手を血で汚し、誰かを傷付けるしか能が無い自分には、真の意味で他者を気遣えるような資格も度量も無いのかもしれない。
……それでも、エクスの言ったとおり、先ずは対話をしてみなければ始まらない。大事なのは資格云々などではなく、本当に誰かを救わんとする意思があるか否か、その一つだけなのだから。
ならば尻込みなんてしていられない。伝えよう。他ならぬ自分自身が考えた嘘偽りの無い言葉を、少女に贈る激励という名の言葉を――其処に紛れ込む邪な不純物、最悪の横槍が入った。
「アイリス、何をしている!? 【早くその男を殺せ】!!」
ここにきて、今まで傍観に徹していたカイルが動いた。封じていた力を半強制的に解き放つ呪詛を込めた言葉を乗せ、精神干渉を施しただけなく使い魔契約状態にもあるアイリスに命令権を行使する。
「……ァアア」
「ぐっ、な、何だ……!?」
ただ、その行為が適切であったかどうかは微妙なところではある。拘束を振りほどくべく封印していた更なる力を引き出すのと同時に、本能を封じていた‟魂の枷”が外れ、本来の凶暴な‟獣性”が解放されつつあるのだ。こうなれば理性は失われ、カイル達ルクセリオンの命令にも従わなくなる。
「アイリスッ、あんな奴の言葉になんか耳を貸すな! お前は誇り高きレパルド族なんだろ!? 目を覚ませ!」
「ウァ、アア、ア、アァァアアア――ッ!」
必死に抑えつけるアクトの言葉虚しく、低い唸り声を上げて藻掻きまくるアイリス。何という底知れなさか。魔法抜きであれだけ馬鹿げた力を発揮しておきながら、‟枷”から溢れ出す秘められし力によって、際限なく強まっていく。
これこそが、かつて大陸最強と謳われし戦闘民族レパルドの底力、超常の神秘が産み落とした旧き人類のカタチ。最早、今のアイリスを傷付けずに止めるなど不可能――
(――諦めるな。完全に意思を封印されるより、本能のままに暴走される方が都合が良い!! 試みは失敗だが、これでまともな話し合いの可能性が出てきたってもんだ!!)
前提を違えてはならない。此処に来たのはアイリスをルクセリオンの魔の手から助けにきたのは勿論のこと、何より自分は彼女を救いにきたのだ。こうして抑えつけている間に、次なる策の準備も整えた。
だが、先程の苦し紛れのブラフと違い、この作戦は文字通り捨て身。真の意味で命を懸けた作戦だ。一歩間違えれば、自分はこの少女に殺されるだろう。非常に危うい賭けになることは間違いない。
(臆するな。戦いは常に死と隣り合わせ、今更ビビってなるものか! 次こそ止める!!)
「■■■■■■■■■ーーーーッ!!!」
刹那、大気を揺らして轟く、枷より解き放たれし獣の咆哮。骨や筋肉が軋みを上げて裂けるのも構わず、アイリスは遂にアクトの拘束を剥がして瞬時にその場から跳び退った。
「さぁ、来いよアイリス!」
「■■■■■■■■ーーーーッ!!!」
挑発に乗せられてか、獣の如く轟き吼えたアイリスは一直線に突進を開始した。空気の壁をぶち抜く走力に衝撃波さえ巻き起こし、地面を一蹴りするごとに破壊を撒き散らし、四足獣を彷彿とさせる身のこなしで真っ直ぐ迫ってくる。
それに対してアクトは、何もしない。近付くだけで吹き飛ばされそうになる程の嵐を巻いて爆走するアイリスを前に、避けるどころか拳すら構えようとしない。
主の危機に際しては凄まじく敏感なエクスが警鐘を鳴らすこともない。直後、労さずアクトの懐に入ったアイリスの貫き手は、彼の無防備な腹部へと吸い込まれ――
「っ……」
どす、と肉を裂き、骨を砕く生々しい音。アイリスの貫き手は何の抵抗もなく魔力を纏ったアクトの腹を容易く抉り、向こう側まで風穴をぶち開けんと突き進み――途中で止まった。
「……だよな。こうでもしなきゃ、止まってくれないよな」
「~~~~ッ!!?」
口端から血を滴らせながらも不敵に笑うアクト。暴走状態においても大きく目を見開くアイリス。確かにアイリスの細腕はアクトの腹部をがっつり抉ってはいるものの、貫通まではしていない。腹の二割程を貫いた辺りで止まっている。そして、血の滲む制服から覗く皮膚――金属の光沢。
「でも残念、俺はまだ死なない」
道術《鋼体法・黒鉄》。魔力を利用した自己変革作用による肉体の硬質化、アクトはそれを身体の一部分に圧縮して発動することで、人外の膂力を以て振るわれたアイリスの攻撃を防いだのだ。
「■■■、■■――ッ!」
「がふっ……む、無駄だ!」
傷口を捩るようにしてアイリスは腕を引き抜こうとするが、抜けない。得意の身体操作技術で隆起させた筋肉が後退を許さない。額に脂汗を滲ませながらも、両腕を掴んだアクトは渾身の力を振り絞って彼女を強く引き寄せた。
「ぐっ……こんだけ殴り合ったら満足だろ? いい加減、目を覚ましやがれ!!」
「■■■■■■――……ァァア!?」
互いの吐息がはっきり聞こえるほどの距離、傍目には熱い抱擁を交わしているような体勢のまま、アクトは容赦のない頭突きをアイリスの額に思いっきり振り下ろした。
額に爆ぜた強烈な衝撃。一瞬、意識が遠のいたアイリスは頭を激しく揺らしてよろけるも、その華奢な身体をアクトがしっかりホールドして離さない。
「目を覚ませアイリスッ! お前の人生は、あんなクソみたいな連中に利用されるような下らないものじゃねぇ!!」
「■■■■――ウァァアアア……ァ?」
その時。取っ組み合いになった弾みで、アイリスの首元にぶら下がっていた子獅子の首飾りが宙に放り出された。透き通った紺碧色の結晶細工を通し、少女の瞳と少年の瞳と交錯し……
――声が聞こえる。気付けば私は、何も見えない真っ暗な空間に独りで仰向けに寝ていた。黒い鎖が全身に巻き付いた身体は指一本動かせず、意識は遥か遠く、酷く眠いし、思考はまるで覚束ない。
けれど……霞む意識とは裏腹に、身体はとても熱く、運動をするのとは比べ物にならない程に昂っていた。もしかして、私は誰かと、頭に響いてくるこの声の主と戦っているのだろうか。
声の主が言ってきた、私の人生は他人に利用されるようなものではない……分からない。アイリス=ティラルドの人生とは、多かれ少なかれ何者かに利用されてきた物だ。「連邦」から亡命してきた今でさえ、何かに縛られ利用されている。私自身の選択など、あって無いようなものだ。
「自分の命を自分の物だけだと思うな!? お前の命は、人生は、お前の両親が身命を懸けて守り抜いたかけがえのない物なんだ! それをドブに捨てるような真似をしてんじゃねぇ!」
――ああ。声が聞こえてくる度に思考が鮮明になっていき、徐々に思い出してきた。そうだ、私はカイル先生――ずっと信じていた人に裏切られ、「暴走」する直前に誰かに魔法を掛けられ、連れていかれたのだった。
我ながら、何て間抜けな事の顛末か。人の感情や性質の機微を‟匂い”で嗅ぎ分けられると豪語しておきながら、目の前の恩師の‟匂い”すら嗅ぎ分けられないとは。……いや、この身体が秘める‟第二の心臓”は本当に生きている。私は日頃から‟血”を嫌っているのだから、嗅覚が正常に機能しないも道理。
私の命は私だけの物じゃない……分からない。言いたい事は分かる。でも、その命を使って私は一体何のために生きているのだろう? 何がしたいのだろう? とうの昔に、両親と別れたあの時から、私は自分自身を見失ってしまった。全ての拠り所を失い、空っぽで時が止まった今の私に、生き方なんてとても見つけられない。
仮にあったとしても、きっとロクでもない生き方だろう。私は、カイル先生が言った事を否定出来なかった。当然だ、私自身がそれを一番よく理解しているのだから。この身体を流れる呪われし‟血”は、人を超越したこの力は、何かを壊し傷付けるのにしか役に立たない。そんな私が当たり前の平穏を享受しようなど、土台無理な話なのだ。
……もう良いじゃないか。かつての一族がそうであったように、私達レパルド族は世界にとって害でしかなく、誰かにとって便利な部品か研究材料程度にしか思われていないのだ。そんな世界の何処に生きる理由を見出せば良いのだろうか。
私を連れ去った人達が何をしょうとしているのかは分からないけど、こんな私に利用価値を見出してくれたのなら、本望というもの。それがどんな目的で、どんな手段で利用されようとも構わない。
「お前は強い、それは実際に戦ったこの俺が認める! お前は獣でも、ましてや機械の部品でもない! 二本の足で大地を踏みしめ、誰よりも自由に世界を駆ける可能性を秘めた人間だ! それだけの力を持ってるなら、目の前に立ち塞がる壁の一つや二つぐらいぶっ壊してみろよ!!」
――人間……分からない。この呪われた力を振るって何になる? 醜悪な姿を晒し、理性を投げ捨てた暴力を振るって困難を乗り越えたとして、後に何が残る? そんなモノ、人に害為す獣と何が違うのだろう?
分からない、分からない、分からない……さっきから分からない事だらけで頭が痛くなってくる。ずけずけと私の領域に入ってくるこの声の主は誰なのだろうか。止めてほしい。全てを失い、誰にも必要とされず、未来なんてまったくないどん詰まりの人生を生きる意味なんて……
「それでも駄目だったら、自分だけではどうにもならない事があったら――助けの声の一つや二つぐらい叫んでみろ!!」
――え? 助け……?
「俺じゃなくたって良い! コロナやリネア、マグナ、お前が信じる誰かを頼れば良い! 望むなら、エレオノーラにだって俺が話を付けてやる! お前が依存してたカイルの野郎なんて放っておけ! レパルド族がどうかだとか関係ない! 視界を広げれば、お前を助けてくれる奴は案外沢山居るもんだ!」
――私が信じる誰か……私は、誰かに助けを求めても良いのだろうか。生まれながらにして呪われし力を背負い、この手を誰かの血で汚し切った私に、今更助けを求める資格があるのだろうか。
「こんな自分に助けを求める資格があるとか考えてるか? はっ、残念だが、お前より俺の方がずっと多くの血を流してきてるぜ。けどな、どれだけ繕っても人間は一人じゃ無力なんだ。だから、誰にだって助けを求める権利がある! 存在価値があるとか無いとかじゃない! お前という人間を信じて、待って、戦っている奴が居る! アイツらを悲しませるような選択を取らないでくれ!」
――ああ……分かった。カイル先生は、学院で自分以外に私を助けられる人間は居ないと言って、手を差し伸べてきた。天涯孤独で生活に余裕がなく、その関係を心の拠り所にするしかなかった私は、さぞや操りやすかっただろう。本当に間抜けな話だ。
そして裏切られる時まで、気付けば私は、心の底ではあの人だけしか信用していなかった。私達に酷い仕打ちをした人達と同じだと勝手に決めつけ、カイル先生以外の他者を信じられなかったのだ。
「自分の事だからって一人で背負い込むな! 確かに俺達は産まれも育ちも違うし、境遇だってバラバラだ。だが、それがどうした!? 俺達はそれぞれ他人でも、同じ志や思いを胸に抱く‟仲間”になることは出来る! これだけは確かだアイリス。お前は絶対に一人なんかじゃない! 手を伸ばせば、お前の‟仲間”は其処に居る!」
――けれど……実際はどうだ。今、頭に響いてくるこの声の主は、こんなにも必死に私を励まそうとしている。顔は見えなくても、気迫で分かる。この人は本気だ、私を一人の人間として、真正面から向き合おうとしてくれている。
思い返してもそうだ。この数日の間に私が出会ったあの人達は、下らない打算や利己的な理由なんかで私と関わろうとしていたか? あの短くも本当に楽しかった半日間は、只のまやかしだった? 違う、それだけは絶対に違う。あの宝物のような時間がまやかしである筈が無い。
彼らだけではない。きっと私が気付かなかっただけで、手を差し伸べてくれた人は居たのだろう。カイル先生に依存しきりで、自身の事で手一杯だったあまり、そんな当たり前の事でさえ、言われるまでいつの間にか分からなくなっていた。
私が嫌っていたのはこの理不尽な世界なんかじゃない、その理不尽な世界に住まう人の好意を素直に受け取れない私自身だった。私が拒まれていたんじゃない、むしろその逆。自分を醜い獣と嫌って拒んでいたのは、他ならぬ私自身だった。
もし、あの人の言っている事が間違っていたなら、この世界にまだ希望があるというのなら……嫌だ。嫌だ。嫌だ! 絶対にこんな所で終わりたくない! 拒んでしまった人達に謝りたい、かけがえのない私の‟仲間”とこの先の人生を歩んでみたい!
「どれだけ惨めだって良い、何度立ち止まったって良い、けど心だけは絶対に折れるな! お前を守った両親の為にも、命を懸けて戦っている奴らの為にも、前を向いて生きろ!! 生きる事を、諦めるなぁあああああああああ――ッッ!!!」
――その激励が契機となった。意識が鮮明になり、身体も微かだけど動くようになった。後はこの身体を戒める鎖を引き千切り、起き上がって前に進むだけだ。
呪われた血も、悲しき過去も、両親への想いも、後悔も絶望も、今は捨てろ。心の奥底に眠る‟望み”に従え、歩みを止めるな、前を向け、まだ諦めない――私は、私は……!!!
「――ウァァァ……ア、あくと、せん……ぱ……」
……その時。アクトの傷口から腕を引き抜こうとするアイリスの力が、突如として急に抜けた。それを感じたアクトが筋肉の力を緩めると、驚くほど簡単に細腕は彼の腹部から抜け、だらりと垂れ下がった。
そして、アクトを見つめる少女の虚ろな瞳に、徐々に意思の光が灯っていき――
「助けてぇ……アクト先輩ッ……!」
大粒の涙を零し、少女は初めて自らの意思で誰かに助けを求めた。
「私は、まだ生きていたいです……ッ!」
それは、少女の奥底に眠りし本当の望み。たとえどれだけ世界に嫌われていようと、多くの人間に利用されてこようと、その根本的な願望は変わらない。幼い頃、両親の話でしか知らなかった外の世界。
決して最後まで嫌いになれなかった、残酷でありながら無限の未知に溢れた美しいこの世界で、彼女は生きていたかった。
「おう、任せとけ」
その願いを受けて取ったアクトは、ぐっ、と少女の華奢な身体を強く抱きしめ、苦笑交じりに口元を緩めるのだった。




