05話 揺れる心
(……さて、勢いで出て来たが、どうしたものか……)
逃げ出すようにして教室から出て来てしまったアクトは、一人後悔に駆られていた。
この校舎にあるらしい食堂に行く為か、長い廊下は生徒で溢れかえっており、自由に行き来することすらままならない。
気持ちを整理する為に一人になった所までは良いが、学院の構造をまったく知らないアクトは軽い迷子になりかけていたのだ。
(とりあえず、一人になれそうな場所を探すか……)
こうして、迷子アクトの学院探索が始まった。この校舎を出たら本気で迷子になりかねないので、探索範囲こそ狭いが、二年次生が通っているこの校舎は他の校舎と比べて大きく、そこそこの労力を要した。
教室以外目立った場所は殆ど無く、頼みであった図書室でさえもかなりの人が居てとても落ち着けなかった。
と、途方にくれながら曲がり角に差し掛ろうとするその時だった。
「「えっ?」」
いきなり角から小柄な人影が飛び出して来た。両者は同時に間抜けな声を上げる。アクトが廊下の隅ギリギリを歩いていたのと、他者の気配や音に敏感な彼が気付かないほどに人影の主の気配や歩行音が皆無だった結果、
「きゃ!!」
「うおっ!?」
ドンッと鈍い音と共に両者はぶつかった。アクトの方はその場で何とか踏み止まったが、相手の方は大きく尻餅をついて持っていた荷物を床に散乱させていた。
「痛ったた……」
「だ、大丈夫か?」
今日は厄日だな……そんな事を考えながらアクトはぶつかった相手ーー小柄な女子生徒に手を差し伸べる。年齢はアクトより下だろうか。黒髪の長髪に黒縁の丸メガネと、地味な格好だが顔付きは非常に綺麗で、まだ幼さの残る中に端正な美しさを感じさせる。
「は、はいっ。何とか」
「悪い、見てなかった。立てるか? 怪我は?」
「あ、ありがとうございます。で、でも私も少し急いでて不注意でした。すいません……」
急いでいたと言う割には、少女の歩行音は感覚の鋭いアクトでさえ聞き逃す程無音だった。武術の中には日常内の歩行音ですら消し去ってしまう隠密に長けた術があると言うが、その類だろうか。随分と謙虚な少女が特に拒むことなく差し伸べられたアクトの手を掴んだその瞬間、
ドクンッーー
「ッ!?」
急にアクトの心臓が跳ねるようにその鼓動を早めた。彼自身も少女の手を掴んだまま、まるで猛獣に睨まれた憐れな小動物の様に大きく目を見開いたまま微動だにしなくなった。顔からは血の気が引き、体は急激に冷たくなっていく。まるで、この世の物では無い「何か」を見たような……
「あ、あの〜……」
「……えっ? あ、ああっ、悪い!」
手を握られたままの少女が恥ずかしいのか頰を薄く赤らめてボソッと呟き、アクトは我に返る。そのまま少女を引き上げて立たせてあげた後、二人は床に散らばった荷物を片付け始める。教本やノートなど、少女の荷物をテキパキと纏めるアクトだが、その心境はまったく穏やかでは無かった。
(今のは一体…)
一瞬、ほんの一瞬ではあったが少女の手を握ったその瞬間、アクトは武人としての自分の本能が震える程の「何か」を感じた。そして殺気や気迫、魔力の流れとも違う、もっと異質な雰囲気が目の前の、一見大人しそうな少女の内に秘められているとは到底思えなかった。いっそのこと勘違いだと言ってくれた方がまだ納得出来ただろう。
「あの〜何か御用でしょうか……? はっ!?もしかして私の顔に何か付いてたりしますか!?」
「えっ?」
気付けばアクトは少女の荷物を持ちながら彼女の顔をジロジロと凝視していた。その視線を受けた少女は顔を赤くしたり青くしたり一人で慌てていたり、周囲を歩く生徒のうち幾人かは一瞥する程度には目立っていた。このバツの悪さを誤魔化す為にアクトは心の中で必死に言葉を探すが……
「悪い、何でも無いんだ本当に。君の顔が可愛くて見入っただけだ。ああ、荷物これな。じゃあ俺はこれで!」
つい最近聞いた、とある街中で名も知らぬ男が町娘を口説いていたとんでもない爆弾発言もとい口説き文句しか思い浮かばなかった。しかもそれを焦っていたとはいえ安易に口走ってしまうあたり、彼の対人能力の低さとテンパり具合がお分かりいただけだろうか。
そんなアクトは、集めた荷物を少女に押しつけるようにして足早に去ってしまった。
「ふぇ? ……え、えぇ〜!?」
初めは何を言われているのか分からない少女だったが、アクトの背中が他の生徒に紛れて見えなくなった頃、素っ頓狂な声を上げて顔を真っ赤に染める。いきなり名も知らぬ男子生徒に口説かれたのだから当然の反応だろう。当の本人にはそんな自覚は無かったりする。
(あー、逃げる様な真似して去るのは流石に失礼だったか? いやでも、あの子もこれ以上変な注目集めたくなかっただろうし……)
少女を置いてきぼりにしてきたアクトは一人小さな後悔の念に駆られるが、今後会うことも無いだろうし構わないかと自己完結させる。そして、ふと脳裏に妙な違和感がよぎる。
(そういえば、何であの子、あんな「眼鏡」してたんだ?)
この偶然で小さな一瞬の出会いが、後に学院や帝国全体を巻き込んだ大きな騒動に繋がっていくのだが、それを知る由はアクトやあの少女にも無かった――
◆◇◆◇◆◇
小さなトラブルから抜け出したアクトは、目的の場所に到着した。その行きたかった場所というのはいわゆる屋上で、昼休みで生徒の多くが食堂に行っている中で、そこでなら一人で落ち着けると考えたからだ。
屋上へ続く扉が開いているかどうかは五分五分だったものの、扉はあっさりと開き、隙間から初春の温かな風が流れ込んで来る。
よく見れば、扉の鍵穴部分には何かで強引にこじ開けた様な跡があった。もしかしたら教師側には認知されてない、生徒の秘密の場所なのかもしれない。アクトは喜んでそれにあやかることにした。
「……へぇ、鍵壊れてるからどんな場所かと思えば、結構良い場所じゃんか」
外へ出てみれば、其処には絶景が広がっていた。丘陵地帯の開けた場所に立っているこの学院は土地的に主街区より高い所にある。故に、校舎の屋上からはオーフェンの街が一望出来た。
その壮大な景色に加え、爽やかな春の風が肌に丁度心地よく、アクトは此処をお気に入りの場所に加えた。
暫くの間、目を閉じて空気を味わったアクトは縁に設けられた柵に身を預け、オーフェンの街を遠くから眺めながら一人もの思いにふける。
(俺は、この学院でどうすべきなんだろうか……?)
アクトとて、別段この学院の生徒の事を最初から嫌うつもりは無い。エレオノーラが彼に用意したこの箱庭は、初めて同年代の人間と関われる唯一の場だ。
きっと、自分がこれから進んでいくであろう茨の道には後にも先にもこんな機会は二度と訪れないだろう。アクト自身もそれを一番わかっているからこそ、一時の感情を優先するつもりだった。
だが、それでもあの血塗られた忌々しい記憶がそれを拒むのだ。授業でクラサメが言ったように、魔法はある意味、術者の願いを叶える力。御伽噺や童話に出てくる「魔法使い」が使う力が現実に存在している訳だ。
この学院の生徒と同じように、自分も一度はそんな魔法の魅力に夢を見て……そして絶望し、ただひたすらに戦い続けたあの日々が……
もしこの学院で過ごし、無事卒業してまた元の道を進み始める事になった時、自分と同じように魔法に絶望して外道に落ちてしまった学院の生徒を斬らなければならない状況……想像するのも恐ろしかった。
しかも、そういう状況は魔法の暗黒面を散々見せつけられてきたアクトにとって想像に難くなかった。
なら、自分はどちらを優先すれば良い? どう接する? 何を以ってこの場所で過ごす? アクトが永遠の思考の迷宮に片足を踏み入れようとしたその瞬間、
「何一人でカッコつけてんのよ」
アクトの思考迷宮を横から粉々に粉砕して現実に戻した、聞き覚えのある声がした。アクトが声のした方へ向くと、屋上に繋がる入り口には燃えるような赤髪の少女――コロナが腕組みしながら仁王立ちして立っていた。
「……別に、ちょっと考え事だ」
「放っておいて。アタシは気に入ってるもの。で、嘘まで付いて早クラスから抜け出して、最近アタシが見つけたこの穴場に土足で踏み入って、挙句一人で遠い目して、何してんのよ?」
「あの鍵ぶっ壊したのお前だったのか……ん? どうしてお前が此処に居るんだ? リネアとかクラスの連中はどうした?」
もしかしたら、意外と問題児なのかもしれない疑惑の掛かった赤髪の少女がこの場所に居るには少し不自然だ。此処をコロナが最初に見つけたのなら居てもおかしくは無いのだが、今は昼休み。わざわざ来る理由も無い筈だ。考えられる可能性は一つだが……
「……ひょっとしてお前、俺の事心配して追いかけて来たのか? 」
「ばっ!? バカ言ってんじゃないわよ! リネア達がアンタの事気にしてたから暇なアタシがわざわざ見に来てやっただけよ!勘違いしてんじゃ無いわよ!」
非常に分かりやすい。経緯に多少の違いはあるだろうがほぼ図星を突かれたのに加え、どこぞの嗜好人が喜びそうな態度で、顔を真っ赤にして逆ギレしてくるコロナに思わずアクトは苦笑を浮かべる。喋らなければ超絶美少女だが、こうして話しているとボロだらけだ。
「分かったから落ち着け! ほら一回大きく深呼吸。な?」
「……ゴホン! まあ、アタシの事は良いのよ。それよりも、皆に嘘まで付いて、アンタ此処で何してるの? どうせ、何も考えずに飛び出して此処に流れ着いたんだろうけど」
ようやく落ち着いたらしいコロナが(顔はまだ若干赤いが)、羞恥四割、疑問四割、怒り二割くらいの微妙な表情で訪ねてくる。まだ怒りの割合が多いのが気になるが、はぐらかしてもこの少女の性格的に聞き出すまで逃してくれなさそうなので、この際アクトは自らの懸念を疑問にしてぶつけてみることにした。
「お前は、魔法についてどう思う?」
「……はあ?」
「魔法は、この世界にあって良いものなのかって事さ」
あまりにも唐突過ぎる話題にコロナは怪訝な表情を浮かべるが、アクトの真剣な表情から決してふざけている訳では無いと理解した。
「必要かどうかで言えば必要なんでしょうね。もう魔法はこの世界に完全に定着している。それをどうこうなんて出来ないと思うけど。で、いきなり何の話?」
「……俺は、魔法が大嫌いなんだ」
「……はあ??」
アクトのいきなりな告白に、コロナは先程よりも怪訝な表情になる。顔に「何言ってんだコイツ」と書いてある。
当然の反応だろう、魔法が嫌いなのにわざわざ魔法科学院に入って来る人間が居るだろうか。
「……魔法が嫌いなら、何で学院に来たの? 」
「俺がこの場所に居るのは俺の本意じゃ無い。お前らもよく知ってる学院長のエレオノーラ、アイツに半ば強制的に入らされたんだ。とにかく、俺は簡単に人を殺せてしまう魔法が、『人殺しの技術』が心底憎い」
アクトは隠していた秘密をあっさりバラした。エレオノーラとの関係はいずれ隠せなくなるだろうし、コロナにはきっちり口止めしておけば良い。
それと、この少女になら話しても良いと、なんとなくだが思ったのだ。
「完全装備を整え、統率の取れた一個師団の一般兵を、魔道士の小隊は安全な遠距離から戦術ごと悉くを焼き尽くす。弓や銃だって防御の魔法を一つでも張れば完全に無力化だ。ほら、魔法ほど殺戮に優れた技術は他に無いだろう?」
「……」
「魔導大国なんて呼ばれてるこの国だけじゃない。他に魔導の技を持つ国にも、毎年莫大な国家予算が魔法を用いた軍事費に注ぎ込まれている。魔法という存在は、闘争や人殺しから切っても切り離せない存在だ。他にも――」
無言で大人しく、しかし非常に険しい顔つきで聞き入るコロナに、アクトは厳然たる事実を淡々と並べていく。まるで、子供の夢をじわじわと手折るように。
「だから、いきなり魔法科学院に来いって言われた時は度肝を抜かれたよ。エレオノーラが一番、俺の事を理解していると思ってたからな。それで……俺にとっては憎悪の対象でしか無い魔法を、自分なりの信念に基づいて真面目に学ぼうとしてるお前らを見て、どう接すれば良いのか分からなくてなっちまったんだ」
そう言って、困ったように後頭部をさすりながら苦笑を浮かべるアクト。対するコロナといえば、何とも言えない複雑な心境だった。具体的には、アクト=セレンシアの人物像が不鮮明になってしまった事だろう。
(何なの、この男は…?)
人を食ったような掴み所の無い性格に、魔道士らしく無い剣を所持し、仮にも魔法科学院の生徒なのに魔法が嫌いと話す謎の転入生……口ぶりから察するに、帝国最強の魔道士にして我が校の学院長エレオノーラ=フィフス=セレンシアの縁者ときた。謎過ぎるのである。
まだ学生ではあるが、コロナとて一端の魔道士だ。魔法の持つ危険性については知っている……つもりだが、目の前の少年が放つ異様な雰囲気の前では、自分の知識などごく一部なのではないかと疑ってしまう。そう思わせる程、今のアクトの雰囲気は異様だった。
……だが、それでもコロナが自信を持って言えるたった一つの事実、それは――
「アタシは、魔法が好きか嫌いかなんて考えた事は無いわ」
「……え?」
「便利だという点では、今の魔導技術は確かに人々の生活を豊かにしてくれた。それはアンタも同じでしょう? アンタが今まで何を見て来て、何を信念に葛藤してるのかは知らないけど……力は力よ。それが例え、悪意に満ちたどうしょうもない物だとしてもね。力は、扱う人間によって色々な形に姿を変える。力そのものに罪は無いとアタシは思うわ」
妙に実感が籠ったような至極真剣な表情で、コロナは話を続ける。
「魔道士は、時として他者の望みを踏みにじってでも己が望みを叶える業を抱えている。けど、今のアタシにはとにかく力が必要なの。自分に降りかかるありとあらゆる理不尽を、他でもないこの手で打ち払う為にね。だからアタシは魔法を学ぶの。その為にも……」
てっきり良くて無反応、悪くて軽蔑されると覚悟していたアクトに、コロナは真っ向から自分の意見をぶつけた。意外な反応にアクトは一瞬たじろぐ。気のせいだろうか、コロナの真剣な表情の端に僅かな焦燥感が混じっていたのは……
「コロナ、お前は……」
「まぁ、アンタの言う事は最もよ。過ぎた力は時として身を滅ぼすというしね……アタシが言いたいのは、魔法には危険性だけでなく、大いなる未知の可能性もあるって事よ。だってそれだけの魅力がなければ、こんな得体の知れない技を、わざわざ勉強しに来たりしないでしょ?」
「……!」
知ったような口を聞くな、そう突き放すのは容易い……だが、言い返せない。魔導が見せる神秘に一度は憧れた身として、それを知るアクトはコロナに反論することが出来なかった。
「アンタが間違っているとは言わない。人の価値観なんて人それぞれ。アンタが憎悪している魔法も、アタシ達にとってはこの世界で生きていく為の手段の一つ。この学院での在り方を迷ってるのなら……そうね。先ずは、アンタが嫌う魔法がどういうものなのか深く知れば良いんじゃないかしら。その様子じゃ、今までまとに魔法を勉強した事無いんでしょ?」
コロナのその言葉によって、暗雲立ち込めるアクトの心に一筋の光を差し込んだ。どん詰まりの暗闇が晴れ、視野がずっと広がったような、そんな感情が彼に客観的な冷静さをもたらす。
(……そう、か。俺は心の何処かで、コイツら学院の生徒はもう‟手遅れ”だと見限っていた。魔法に触れた時点で、もうダメだと……でも実際は違う。それは偏見だ。俺はまだここの事を殆ど知らない。魔法の暗黒面に‟染まってない”かもしれない)
なら、一度は魔法に夢見て、そして絶望した自分が、自分だからこそすべき事は――
「……そうだな。悪い。俺、お前達の事よく知らないのに、勝手に思い込んでいたみたいだ。冷静じゃなかったな……」
まだ、全てを割り切りた訳では無い。魔法を嫌うというスタンスは、アクト=セレンシアという人間そのものの象徴でもあるからだ。……ただ、それでもほんの少し憑き物が落ちたような様子で、
「分かった。お前の言う通り、俺は此処を見極める事にする。お前達が学んでる物を見極めさせてもらう。その上で、間違ってると思ったら、無理矢理にでも止めるし、手遅れなら、止める」
「ふーん……まぁ、アンタがそれで良いと思うならそれで良いんじゃない?」
これから自らがするべき事を語ったアクトに、それを聞いたコロナは素っ気ない態度を取る。しかし、その口元にはアクトに気付かれない程度の薄い笑みが張り付いていた。
「さっ、悩みが解決したなら、さっさと行くわよ。早くしないと昼休みが終わるわ。リネア達も待ってるだろうし、このアタシがわざわ悩み相談に時間を割いて来てあげたんだから、食堂のご飯奢りなさいよ」
「転入初日の奴捕まえて奢らせるかよ普通……でもまあ、世話にはなったし、安い物くらいなら奢ってやるよ」
「え? 本当? じゃあアタシ、白身魚のフライセットね! 後は――」
安い物って言っただろうが、アクトが言う前にコロナは鼻歌交じりに下の階へ降りてしまった。何て図々しさだろうと一度は改めた評価を再び下げ、節約しねえとな……やれやれと、アクトは呆れ顔でその後を追うのだった。