53話 束の間の思い出
――ある者達は夜遅くまで談笑に耽りながら心ゆくまで遊び、ある者達は明日に備えて早々に休み、またある者達は覗きの代償として女子生徒達からキツイ折檻を受けていたり……それぞれの夜が過ぎていく。
そして、遠征学習四日目――待ちに待ったアクト達二年次生一組の自由行動の日だ。国内有数のリゾート地を一日中散策出来るという贅沢に、生徒達は朝からハイテンションで、中には興奮して寝つけなかったらしく目元に濃いクマを浮かべる者も居た。やはり楽しみなものは楽しみなもので、彼らの大半は完全に浮かれていた。
だが……そんな彼らのテンションに冷や水を浴びせるような一つの連絡が入った。
「――本日の自由行動だが、巨大な雨雲が接近中との報告が入った為、実施時間を短縮する運びとなった。同時に、本日研究所を見学する予定の第二班も見学時間を短縮する方針だ。この地域の豪雨は非常に激しく危険故、必ず二時間早くこの宿舎に帰って来るように」
旅館の大広間で朝食をとった後、担任のクラサメがそんな事を彼らに告げる。
オセアーノ周辺の地域は大地を巡る霊脈や気候的な関係上、雨が降ることは少ないのだが、ごくまれに、南方海洋で異常発達した低気圧によって局地的な豪雨に見舞われることがある。そして早朝、近くの気象観測所からその兆候が観測されたのだ。
これに際し、観光庁や各自治体は連携して都市全域に注意勧告を敷き、港は船を全て引き上げさせて全面的に閉鎖。訪れた観光客達は予定を大幅に変更せざるを得なくなった。ガラード帝国魔法学院一行も例に漏れずこの中に入ったのである。この連絡を聞いた生徒達のテンションの落ち様と言えば、それはもう大暴落であった。
その後、クラサメは幾つかの注意事項を話し、一行は即・解散となった。朝食を終えた生徒達は直ぐに自室へ戻って支度を整え、自由行動の時間を一分一秒無駄にするまいと街へ飛び出していく。
それとは対照的に、特別に出された紅茶で食後のティータイムを満喫したアクト達は、ゆっくり支度を整えて宿舎を出発し、アイリスのクラスが宿泊している旅館に出向いて彼女を迎えに行き――
「此処が観光街かぁ、噂通りの凄い活気だね」
「そうね。何処を見ても見慣れない物ばかり……来た甲斐があったっていうものだわ」
「コロナ、リネア、私はあのケバブ? という物を食べてみたいのです」
彼らは他の生徒達から一拍遅れるようにして観光街を回っていた。元々、高等部生に比べて行動開始が遅い中等部生のアイリスが支度を整える時間を考慮をしていたので、大して急ぐ必要がなかったのである。
「大丈夫か、マグナ?」
「まあな。誤ったのにどっかの誰かさんに散々引っ掻かれたせいで、自分に治癒魔法掛けたなきゃならない羽目になったけどな」
賑やかな女性陣(+精霊)の後ろを歩く男性陣二人。一通りの治療はしたようだが、マグナの顔には幾つもの生々しい傷跡や腫れ跡が残っていた。
女風呂の覗きという命知らずな事を敢行しようとして浴場の敷居を倒してしまった男子生徒達は、女子生徒達からそれはそもう苛烈な報復を受けたようで、アクト以外の男子生徒達は朝からずっとぐったりしていた。中には「女子怖い……」と震えている者も居た。一体何をされたんだと、アクトが後になって聞いたのだが、彼らは一様に口をつぐんで喋ろうとしなかった。
彼らは魔道士の卵、自分のしでかした事は自分で始末をつけるという事でクラサメには報告していないらしく、男子生徒達の頭が地面にめり込まんばかりの誠心誠意の土下座で一応は収まったようだが……どうやら、私怨で二次被害を受けた者も居るようだ。
「フン! 清き乙女の肌を覗こうだなんて、万国共通万死に値するわ! それに、あんな事まで……ああもうっ、思い出しただけで腹が立ってきたわ! ちょっとマグナ、もう一発殴らせなさい!」
「あはは、アレは、ちょっと、ねぇ……」
「わ、悪かったよ! あれは流石に悪かったと思ってるって……」
業腹と言わんばかりにコロナは鼻を鳴らし、苦笑を浮かべるリネアも目がまったく笑っていない。本当に何を言って何をされたんだと、気丈なマグナも肩が微かに震えていた。特にコロナはその辺のガードはかなり固いため、怒りの度合いは他の比ではなかった。
「そういえば、倒れた敷居はどうしたんだ? 旅館の職員に言ったら自動的にクラサメ先生にも伝わりそうなもんだけど」
「ううん、言ってないよ。ただでさえ私達は特殊な環境に身を置いてるから、旅館の人達に迷惑をかける訳にもいかないから。皆で協力して直したんだ。……ちょっとだけ魔法も使ってね」
「げっ、魔法使ったのかよ。変な所で団結力あるよな、お前ら」
リネアはぺろっと小さく舌を出して茶目っ気交じりに破顔する。原則、校外で魔法を使うのは御法度だ。覗きで一悶着あったというのに、魔法を使ったという証拠を隠滅するためにきっちり協力しているとは、良い性格してるな、と密かに思うアクトだった。
――「青海大楽原」の観光街には今日も今日もとて多くの人と物が溢れかえり、大いに栄えていた。地理的な性質上、オーフェンにも様々な地域からの文化や品が流入してくるが、此処にはそれとはまた違った趣向の物がずらりと並んでいる。
基本はよくある港町の構造をしている都市の街路脇には、各商会直轄の公営店から個人経営の小さな店まで、商売魂逞しげな人々が一人でも客を呼び込もうと熱心に客引きを行っていた。
「しっかしツイて無いよな~こんな時に大雨なんてよ」
「仕方無いよ。自然は人間の都合なんて考えてくれないだもの。あっ! コロナ見て見て、あそこに飾ってある凄く綺麗だよ!」
「わぁ、本当ね。でもアタシはあっちのアル・ラド国産の舞踏衣装の方が気になるかしら」
「コロナ、リネア、私はあのジャガバター? という物を食べてみたいのです」
覗きの一件でかなりギスギスしていた彼らも、いつもの日常とは違う風景に大はしゃぎだ。それは精霊とて例外ではなく、人の営みに興味津々なエクスも彼らの後を付いていった。……さっきから興味の矛先が食べ物ばかりなのは置いといて。
(ここ数日の世話を任せてたからか、どうにもコロナとリネアに懐いてるんだよなぁ、エクス)
まぁ、学院ではずっと自分にべったりだったので、自分とは違う人間と積極的に関わるのは良い傾向と言えるだろう。……それに、先ずは解決しなければならない問題もある。そして、アクトは先程から自分達の後ろをとぼとぼと歩く少女――アイリスに声を掛ける。
「アイリス、マジでさっきから大丈夫か? 昨日はえらく体調が悪そうだったけど」
「……え? あ、はい大丈夫です! お陰様で体調はよくなりました」
心配げな眼差しのアクトに、ずっと心ここにあらずといった感じのアイリスが慌てたように答える。確かに体調面に問題は無いようだが……丁度、昨日の研究所見学が終わった頃から彼女の精神的な体調は明らかに悪化している。残念ながらその理由をアクトが知ることはなかったのだが。
「他の皆さんは?」
「ん? ああ、なんか見たい物があるとかであっちの方に行ってる。じきに戻って来るだろ」
「そ、そうですか……」
そして、アイリスは再び押し黙ってしまう。かといって、アクトが自分から言う事は特に無いしで、口を閉じてしまう。周囲の収まらぬ喧騒とは裏腹に、二人の空間は恐ろしく静かだった。
……マズイ、非常に気まずい。今までは特定の話題があったり第三者が間に入ったりで奇跡的に会話が成立していたが、基本この二人は必要な時以外は自分から話しかけるような性分では無い。要素がなければ、必然的に会話などまともに出来る訳もなかった。
何か、何か言わなければ……奇しくも二人が同じ事を考えていた――その時だった。
「さぁさぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 世にも珍しい神秘の芸術を御覧に入れてみせましょう!」
この喧騒の中でもはっきりと聞こえる太い声。見やれば、街角に立つ古風な店の先で、人の好さそうな初老の男性が客寄せを行っていた。それにつられ、何だ何だと好奇心旺盛な観光客達が店と群がっていく。
「お、面白そうだし俺達も行ってみるか!」
「そ、そうですね! 他にやる事もありませんし!」
会話のネタを見つけた二人はこれ幸いと、喜々として群集の中に入り込んでいく。お互い、比較的小柄な体を巧みに使って横並びの人ごみを掻き分け、何とか最前列近くから顔を出した。
あまり見かけない道具が並んでいるが、店の内装自体は特に変わった物は無い。やはり一番目を引くのは、店先に置かれた大型のガラスケースの中にずらりと並べられた青淡色の水晶だ。成人男性の握り拳一つ分ぐらいに特殊加工された小さな水晶の中には、様々な形をした紺碧色の美しい結晶が内包されている。
「さて、人数も良い感じに集まってきましたし、そろそろ始めさせてもらいますよっと!」
観客達をぐるりと見まわした店主はガラスケースを脇に動かし、代わりに幾何学的な謎の紋様――「魔法陣」が刻まれた台と新たな水晶を持って来る。ガラスケースの中に並べられていた物とは違い、彼が手にしている水晶の中の結晶は、まだ具体的な形を持っていない鉱物状の物だ。
(あれは、儀式補助の為の簡易的な法陣型魔道具……よく見ればこのおっさん、よく鍛えられてる。それに、魔力の練りが一般人より濃い……元・魔導兵ってところか)
それなら魔道具を扱えるのも納得だ。年齢的に「黒の剣団」のガレスとも近く、もしかすればあのリーン・フォール戦争にも参戦していたのかもしれない。
「フゥ……」
客によく見えるような位置に台を置き、水晶を法陣の中心に載せた店主は、眼を閉じて息を整え集中を高めると、ゴツい両手を静かに水晶へかざし――両手から淡い緑光が漏れ出た。
(魔力を……)
局所的な魔力放出、店主の両手から溢れる魔力の光は火が燃え移るかのように水晶へと宿り、それに応じて中の結晶がみるみるうちに形を変えていき――やがて、可愛らしい子獅子の形に変化した。
「綺麗……」
「『結晶細工』ってやつか。実物を見るのは初めてだな……」
作業を終えたらしい店主が額の汗を拭うと同時に、次々と歓声が上がる。アイリスが魅入られたように呟き、アクトも感心したように唸る。「結晶細工」とは、錬金術から派生した工芸品だ。秘匿を重んじる魔法界隈では珍しい代物である。
素材は「碧晶鉱石」と呼ばれる天然の鉱物。‟叛逆のチカラ”たる魔力の、その者の願望を世界に刻み付ける本質を利用し、大気中の魔素や魔力と非常に親和性が高い鉱石を幾つかの魔法薬で処理。職人が自身の魔力を通して結晶を思い浮かべた形に変えるのである。
この手法自体は、魔力錬成や魔力操作を始めとする訓練の一環として学院の授業でも推奨されている。されど、それを立派な工芸品として仕上げるには、相当に繊細な魔力制御が必要だ。
その難易度の高さが故に市場では中々出回らなく、数も少ないのだが、店主が作り上げた結晶の出来栄えは、紛れもなく一流の職人の仕事だった。
自分達が普段当たり前に享受している魔導技術とは違う、魔法がもたらす原始的な神秘を目の当たりにした群衆は大興奮、あちらこちらから拍手が上がった。
その後、店主は道具を使って水晶に適当な穴を開けて紐を通し、作った結晶を美しい首飾りにした。紺碧色の子獅子型の結晶は非常に鮮やかで向こう側が透けており、実によく映えていた。
(魔法で人を楽しませる、か。魔法には、こんな形もあるんだな……やっぱり、俺の世界はまだまだ狭いみたいだ)
自分が散々嫌ってきた魔法の意外な一面を見せられ、何とも言えない気持ちをぼんやりと抱えるアクト。すると、見世物が終わって大半の群衆が散っていく中、アイリスは出来上がった結晶細工に視線を釘付けにして、目をきらきらと輝かせていた。非常に分かりやすい。
「それ、欲しいのか?」
「……え? いや、そんなつもりじゃ……はい、あまりにも綺麗だったもので。でも、私の少ない手持ちじゃ……」
アイリスは肩掛けポーチから財布を取り出して慎重に中身を覗き込む。手持ちはまったく無いという訳では無いが……値の張る買い物をするにはかなり心もとなかった。
「うっ」
「……」
ガーン! という言葉が実際に目に見えそうなぐらい落ち込むアイリス。そんな彼女の非常に分かりやすい様子を、アクトは苦笑を浮かべながら頭を掻き、ズボンのポケットから財布を取り出した。
「……しゃあねえ、俺が買ってやるよ」
「えっ!? そんな、いけません! 学年的にも魔道士としても上の上級生の方に物を買ってもらうなんて恐れ多い事、出来ません!」
「良いんだよ。中等部生と高等部生が関わるなんて滅多に無いんだから、こんな時ぐらい先輩にはねだっとけって話だ。じゃ、ちょっと行ってくるぜ」
「あっ、ちょっと先輩待っ――」
アイリスの抗議を無視し、アクトは店の中に入って彼女がずっと欲しそうに眺めていた子獅子の首飾りを選んで店主に渡した。
「おう兄ちゃん、今作ったこれかい? なら、3ゴルド5ユールだ」
「ぐっ……」
提示された金額に思わず呻く。ゴルド金貨三枚ユール銀貨五枚……流石、魔法を使った工芸品、一般人の生活費約一ヶ月分に相当する値段だ。最近、とある一件で臨時収入を得たアクトにも辛い金額……だが、一度後輩に格好をつけた手前、ここで前言撤回は男として駄目な気がする。
それに、値段は張るとはいえ、これも後輩のためだと思えば大した出費では無い。そう思ったアクトは、財布を取り出して金貨二枚を店主に渡すのだが――
「……あれ? おっさん、釣りが多いぞ?」
手渡された釣りの金額を数えていたアクトが眉をひそめていると、
「さっきの会話、チラッと聞いてたぜ。あそこの可愛い嬢ちゃんへのプレゼントなんだろ? ウチの商品の値段が高いっていう自覚はあったが、迷わず払うその気前の良さ、気に入った! 嬢ちゃんへのサービスだと思って割引しとくぜ」
呆気に取られるアクトに、店主はにいっ、と歯を剥き出しにして豪快に笑う。容貌はまったく違うのに、何故、傭兵時代の自分によくしてくれたあの好々爺然とした男の面影が重なるのだろうか。
「ははっ、余計なお世話だって言いたいところだが……ありがとな」
「おう、良いってことよ!」
妙に自分の知り合いと似ている人の好い店主に感謝を告げ、首飾りの入った袋を受け取ったアクトは店を後にするのだった。
「あの、先輩……すいません」
買い物を済ませてアクトがアイリスの元に戻って来た途端、彼女が掠れる声で告げる開口一番。それを聞いたアクトは暫く目きょとんとさせていたが、やがて小さな溜め息を吐き、呆れ顔で言った。
「おいおい、台詞が違うだろ? こういう時に言う言葉はさ」
「……!」
すると、アイリスは、はっとして何かに思い至ったような戸惑いの表情を見せた後……
「……あ、ありがとうございます!」
「それで良い。人間、そんなに一々謝るようなもんじゃねえよ」
アクトはそんな言葉に、満足そうに、ニヤリと笑う。そして、袋から出した首飾りの留め具を外して両腕をアイリスの首の後ろに回し、首飾りを付けてあげた。共に可愛げがあるとはいえ、子獅子とアイリスには何ら共通点は無いと言うのに、首飾りは彼女に不思議なほどよく似合っていた。
「アイリス、お前が何に悩んでいるのか俺は知らないし、言いたくないのなら別に言わなくても良い。けど、折角の遠征学習でリゾート地に来てるんだから、今くらいは忘れて全力で楽しもうぜ?」
「……ッ!」
「行きたい場所があれば言ってくれ。見たい物があれば言ってくれ。そんで、俺のポケットマネーの範疇でなら特別に何でも買ってやるよ。お前は上級生の俺達に遠慮してるみたいだけど、これは皆の遠征学習だ。だから遠慮なんて必要無い。でなきゃ、何の為に俺達はお前を誘ったんだって話だよ」
「先輩……」
正直、アイリスは困惑していた。彼女の今まで人生において、年上の人間と関わるのは勿論のこと、同級生と何処かに出掛けたり買い物をしたりするような経験など、一切なかった。
学院ではいつも一人、だけど妙な責任感や虚無感から、本当はやりたくもなかったクラス委員長の仕事を選んだ。いつも中途半端で目立たなくて、魔法の技量も低く、恩師のカイル以外には誰にも相手にされる事は無い。……だからこそ、こうまで自分に接してくれるアクトの誠意をどう受け止めて良いか分からなかったのだ。
(どうしてこの人は、何も無い私にこんなにも優しくしてくれるの……?)
突如現れた、自分の事をしっかり見つめる三人目の存在――アクトの心意を図りかねるアイリスが困惑していたその時、
「おーい、お二人さん! 美味そうな料理あったから買ってきたぜ! お前らの分もあるからこっち来いよー!」
街路の向こう側で二人を呼ぶ少年――マグナだ。その横では、女性陣とエクスが両手に大量の袋を抱えているのが見えた。どうやらこの短時間に随分と買い込んだらしい。
「これは口止めされてた事だけど、アイツらもお前と話せの結構楽しみにしてたんだぜ。皆、悪い奴じゃ無いんだ。だからさ、ほら、早く行こうぜ」
そう言って、先に歩き始めたアクトはアイリスの方へと振り返り、その手を彼女に差し出す。
……正直、この人の事はよく分からない。魔道士の学校に通っているのに魔道士らしく無いし、掴み所の無い変な性格だ。だけど、‟呪い”によって決められた自分の運命、どうせ全て無意味になると止まっていた歩み……直感的に、この人との出会いを通して、何かが変わるような気がした。
……まぁ、どっちだって良い。最初から人生が詰んでいるのが分かっているのなら、ちょっとぐらい微かな可能性に賭けてみてもバチは当たらないだろう。そんな、とうの昔に置き去りにしてきた淡い希望を胸に抱いたアイリスは、
「――はいっ!!」
花咲くような眩い笑顔を浮かべ、その手を取るのだった。
――結論から言えば、この遠征学習での出来事は、アイリス=ティラルドにとって生涯忘れられない記憶となるだろう。それは良くも悪くも彼女の人生を大きく左右する事になるのだが、今の彼女にそれを知る術はなかった。




