52話 一夜のバカ騒ぎ
――あっという間に時間は流れ、気付けば既に夕方。オセアーノ魔導工学研究所見学は、つつがなく幕を閉じた。明日は交代でもう半分の一団が研究所に訪れることになっているが、あの人のよく出来たヴォルター副所長が居れば何も問題は無いだろうとアクトは思っていたりする。
次から次へと現れる最新の魔導の業の数々、尽きない驚きの連続……将来、何らかの形で魔法に関わる道を志す生徒達にとって、実に有意義な一時であった。この遠征学習は異例に異例を重ねたかなり不自由なものだが、この貴重な体験が彼らにとって忘れられない思い出になるであろう事は想像に難くない。
名残惜しい思いを胸に抱きながらついた帰路にて、生徒達は見学時の興奮冷めやらぬまま、薄暗く悪路の多い山道を踏破する疲労なんて忘れたように、魔法議論で大いに盛り上がっていた。そして、一行が山道を降りて沿岸の都市部に戻って来る頃には、もうすっかり日は沈んで暗くなっていた。
国内有数のリゾート地だけあって、「青海大楽原」には多くの宿泊施設が存在する。二日目の団体での宿泊とは違い、三日目の夜からはクラスごとにそれぞれ分かれて宿泊することになっている。
一行の中で唯一中等部生であるアイリスと班を組んでいるアクト達は、彼女としばしの別れだ。
そうして、アクト達二年次生一組は、予約してあった都市の内陸部にある東方建築様式の和風な旅館に宿を取った。全員で少し早めの夕食を取り、そして今は、予め貸し切りにしていた入浴の時間帯であった。という訳で――
「はぁ~生き返るわぁ……」
「あはは、今日は歩き通しだったもんね」
「本当よ。でもこの温泉、本当に気持ち良いわ。疲れた体に染み込む……」
「ふぅ……快適快適♪」
そこは、まさに桃源郷。湯煙と肌色が織りなす神秘(?)の世界であった。
一糸纏わぬ姿となった女子生徒達は、誰もがそれぞれ個性的に艶めかしいラインを描く肢体と、艶と張りのある瑞々しい肌を、惜しげもなく湯煙の中に晒して温泉を満喫していた。
この周辺は海底火山の活動が活発で、そこかしこで温泉が噴き出ることは珍しくない。源泉かけ流しのこの温泉は、可動式の屋根が付いた天井部分が全開になっており、浴場には緑鮮やかな人工林が植えられ、湯船の周りをまばらな大きさの積み石が敷かれた、シンプルだが何とも風情のある露天風呂だ。
夜天に広がる満点の星空の下、たっぷり張られた湯面から上がる圧倒的な熱気、立ち昇る湯煙が視界を白く霞ませ、幻想的な雰囲気を創出する。そこに加わる少女達の艶めかしい肌色成分、女子生徒達が姦しく戯れる此処は最早、ある種の聖域と化していた。
「はぁ……人の話を聞かない子が多い中等部の生徒は居るわ、まとめる生徒の数も多いしで、いつもの数倍疲れたわ……」
ん~っと、湯船の中で大きく伸びをするのは、クラス委員長のローレンだ。何時もは一つに束ねている瑠璃色の長髪を解き、均整の取れた無駄のないプロポーションを持つ肢体を湯船に沈め、溜まった疲れを溶かしていた。
生徒達の引率は本来教師の役目なのだが、この遠征学習では生徒達の自主性を育てる名目で、ある程度は生徒達に一任している場面があった。そこでクソが付く程の生真面目なローレンは、持ち前の能力と厚い人望を活かし、彼らを見事にまとめ上げていた。集団を率いる指揮能力は誰もが認めるところで、こういう面倒な役割を進んでこなす辺りが実に彼女らしい。
「ふふ、ローレンお疲れ様。お陰で私達もスムーズに移動出来たし、ありがとう」
「リネア……貴女にそう言ってもらえると、私も頑張った甲斐があるというものよ。それにしても……」
湯船を泳いで隣にやって来たリネアの言葉に、ローレンは薄く微笑み……そして、彼女の体のある一部分をじっと凝視する。その視線の先には、僅かに上気した豊かな二つの膨らみがあった。
「更衣室とかで見てはいたけど、やっぱりいつ見ても凄いわね……」
「そんな、こんなに大きくたって邪魔になるだけだよ。それだったら、ローレンだって本当に綺麗な体つきで、私、憧れちゃうな」
リネアもローレンも、同年代にしてはかなり育っている。リネアはクラス内でも抜群のスタイルの持ち主だし、ローレンもメリハリのある理想的な体型だ。以前、アクトはローレンの身体を戦闘に適した理想的な体つきと評した事があったのだが、あまりのデリカシーのなさにそれを聞いていた女性陣から袋叩きにあったのは、余談である。
「うわ、リネアの肌、白っ!? 良いなぁ~!」
「本当……ローレンの肌もきめ細かくて、綺麗……」
「二人とも、相変わらず育ってるわねぇ……」
「え~なになに? 私にも見せて見せて!」
他にも、周囲から育ちの良い女子生徒がわらわらとリネア達の元に集まり、黄色い声で賑やかに会話に花を咲かせる。……その様子を遠くから足に湯を浸けて眺めていた持たざる者は、ジト目になりながら終始歯ぎしりしていた。
「コロナがあの場に加わるのは何年たっても無理かもね」
「大丈夫だよコロナ。コロナにだってまだ希望はあるよ。……多分だけど」
「変に期待させても駄目よ。人生、諦めが肝心だって事を早めに教えておいてあげないと」
「……テレサ、ルナ、リースレット。アンタ達、言ってはいけない事を言ったわね……燃やすわよ!」
同情するような、それでいてやけに腹の立つ感じでからかってきた女子生徒達に、割と本気でキレて掌に炎を生み出すコロナ。ただでさえ熱気立ち込める湯船の温度が更に上がった気がした。
校内選抜戦での活躍とあの地獄のような学院襲撃事件を経て、最近のコロナはリネア達以外の生徒とも徐々に打ち解けてきていた。孤高の天才であり、他を寄せ付けない雰囲気を纏う彼女だったが、普段のアクトとの喧嘩じみた騒ぎを見て、案外気心知れる人間だと彼ら彼女らが知ったのが大きかったのだろう。
相変わらずローレンとだけは、嫌っている訳では無いがお互いを避けているという、微妙な距離感のままではあるが、親しみやすい友人が増えたコロナの学院生活は良い方向へ変わっていくだろう。ただ――
「だって~そんだけペタンコのコロナじゃ、突然変異でもしない限り成長性ゼロだしー」
「「ねー」」
「なっ、なっ、何ですってぇえええええッ!?」
……とまぁ、良くも悪くも分かりやすいコロナは、こんな感じで弄られキャラとしての立場を確立されつつあった。あれだけ気丈で強気なコロナがいいように振り回される様は、新鮮な光景であった。
「――むぅ……サテラ貴女、こんなに育ってて……それっ!」
「きゃん!? やったなこのぉ!!」
「きゃああああ!? どこ触ってるの!?」
……世界の神秘を追い求める魔道士の卵とはいえ、まだ齢十六、十七の少女である事には変わりない。結局、女子生徒達は全員できゃっきゃっと姦しく騒ぐことになった。賑やかで華やか、艶美なる若々しき女体の造形美が織りなす至高の芸術世界の誕生だ。
「……(ぶくぶくぶくぶく)」
その騒ぎから離れたところでは、エクスが半眼で夜空を見上げるようにして深く湯船に浸かり、口元の湯面ではひっきりなしに泡が吹いている。人間の営みに飢えている上位精霊様も、この露天風呂にはどうやらご満悦のようであった。
――そんな女風呂から木製の敷居を一枚隔てた向こう側では、
「……」
「……」
「……」
沈黙、沈黙、奇妙な沈黙。
華やかさの欠片も感じられない野郎共――男子生徒達が揃って敷居に耳を張り付け、無言を貫いたままニヤニヤと嫌らしい表情を浮かべている。敷居の向こう側からは、姦しい女性陣の悩ましげな喧騒が何の遮りもなく聞こえ、耳を大いにくすぐっていた。
「……何してんだ?」
その様子を、さっさと身体を洗い終えて一人湯船に浸かっていたアクトが、心底不思議な物を見る目で見ていた。というのも、彼らは先程から耳を張り付けながらも時折、敷居の編み目の隙間を探すような素振りを見せていたのだ。
「おいおいアクト、ここにきて我関せずなんて、そりゃ野暮だぜ」
「そうだぜ。お前もこっち来て、隙間探すの手伝ってくれよ」
主犯(?)のマグナを筆頭に、普段あまり付き合いの無い男子生徒にすら絡まれるアクト。彼らに行動に何の意味があるのかは理解出来ないが、何となく生存本能的にマズイと、直感が告げていたので、彼は関わらないようにしていた。
「想像してもみろよ。この目と鼻の先に広がってる楽園、美少女達が戯れる女の園をよ……! 特にウチのクラスは美人揃いだ。俺達にとって今年が最後の遠征学習……こんな絶好の機会、またあると思うか? いや、二度と無いッ! 今覗かずして、いつ覗くんだよ……!?」
「いや知らねぇよ」
大きな夢見る青少年のように輝くような表情で熱弁するマグナ。研究所見学の時から、妙にテンションの高いこの男であった。呆れたような眼差しのアクトはどこまでも無関心であった。
「おーい皆、ちょっとこっち来てみろよ」(小声)
「向こうに良い感じの穴があるぜ」(小声)
すると、人工林が植えられた浴場の奥の方から、二人の男子生徒が女子生徒達にバレないよう小声で報告してくる。
「でかした、ビッグス、ヨシュア。行くぞ野郎共」(小声)
「「「おおー」」」(小声)
小声のマグナが先陣を切って走り出し、他の男子生徒達も小声でそれに続く。風呂場を走ってはいけません。
「アホらし……」
付き合ってられんと言わんばかりに、ざばーっ、とアクトは湯船から出た。元々、武装を解除していて敵に狙われやすい入浴に長々と興じる性分ではなかった。夜天に広がる満点の星空を一瞥し、脱衣所へ戻ろうとする――その間際、
「……あぁ、言い忘れてた。その敷居、そこだけ紐の締めが緩くて固定が甘いって外に書いてあったぞ。あんまり体重かけてると、そのうち倒れるかもな。気を付けろよ」
「「「……え?」」」
バキ、バキ――アクトが浴場から去った次の瞬間、何かが倒れるような豪快な物音が露天風呂内に響き渡った。
◆◇◆◇◆◇
「「「――、――、――ッ!??」」」
「「「――、――、――ッ!??」」」
奇声、怒声、罵声……少年少女の様々な叫びが入り混じった浴場を後にし、寝間着に着替えたアクトは廊下をのんびりと歩いていた。この旅館に宿を取っている者はアクト達だけではなく、彼らと同じ帝国人や異国風の雰囲気を漂わせる者とすれ違う。やはり一夏のバカンスを求めに世界中から人が訪れているようだ。
東方建築様式の基盤を木材で統一された温かな色合いの本旅館は、絢爛さ派手さを重視した最新の帝国様式建築とは真逆の、落ち着いた静謐さと調和を生み出しており、訪れた者全ての心を和ませる。職員も全員が「着物」と呼ばれる東方の伝統的な装いに身を包み、実によく目に映えた。
帝国で木材建築と言えば質素さを感じさせる物だが、旅館のサービスは一流ホテルのそれにも劣るものではなく、先程の食事でも出された料理はどれもとても豪華で、野菜と魚が中心の東方の食事はアクトの好みに刺さっていたりする。
(ったく……賑やかなこった。倒れた敷居、どうやって直すんだろうな?)
購買で買った飲料水で風呂上がりの乾いた喉を潤しながら、エクスの事はコロナとリネアに任せてあるのでやる事もなく、自分の宿泊部屋に戻ろうかという――その時だった。
(ん? あれは……クラサメ先生?)
不意に、正面ロビー近くを歩いていたアクトの視界に端に見知った人物――担任のクラサメ=レイブンスの横顔が映った。研究所見学は終わったというのに、未だにいつもの服装――「軍団」の魔道士礼服をきっちり着こなしている。よく目をこらして見れば、時々口が動いているのが見えた。
(なんだ、誰かと喋ってるのか?)
クラサメは正面玄関の隅に立っており、恐らく彼と向かい合っているであろう話し相手は、アクトの居る場所からは丁度、死角になっていて誰かは分からなかった。
「……」
完全な興味本位、好奇心に駆られたアクトは、いつもの癖で気取られないよう気配を収めながら、話し相手の正体を確かめようとクラサメの元に近づき――
「アクトせ・ん・ぱ・い?」
「……ッ!」
不意に、背中に浴びせられる少女の声。自分自身が気配を消していた故に反応が遅れてしまった。ばっ、と勢いよく振り返った先には、
「……ヘレン」
相当良家のお嬢なのだろう、一見チャラチャラしたいい加減そうな見た目と雰囲気に隠れてはいるが、貴人の雰囲気を滲ませる金髪の美少女――高等部一年のヘレン=アルコニスが其処に居た。
「はい! 皆の愛するパパラッチこと、広報部のヘレン=アルコニスです!」
「多分、大半の生徒はお前の事愛してはいないと思うけどな。にしても、何で此処に居るんだ?」
ピシッ、と見よう見まねの下手くそな帝国軍式の敬礼で、ヘレンが快活にアクトへとにっこり笑いかけた。
「今日、私達のクラスは自由行動だったんですよ。今は食事を済ませて宿に帰るところなんでけど、先輩もこの都市に居るのは分かってたので、先輩のクラスが何処に宿を取ったのかを調べて、こうして訪れた次第です!」
「この短時間でよくもまぁ、流石と言っておくぜ。……それで? こうしてわざわざ来たって事は……お前が提示してきた条件を飲んでまで俺が頼んだ事、ちゃんと調べてくれたんだろうな?」
呆れながらも、アクトはその情報収集能力の高さを素直に褒めながら、表情を鋭くして問う。
遠征学習が始まる数日前、アクトはヘレンの居るクラスまで出向き、ある人物について調べて欲しいと頼んでいたのだ。彼女を毛嫌いしているコロナにバレれば何を言われるか分かったものじゃないので、知り合いには内密である。
これに対し、ヘレンは一年次ながらリネア並みの豊かな胸を張って、自信満々に答える。
「はい、それはもうばっちりと。この私にかかれば、講師の方々の複雑な家庭事情から、中等部の女子生徒のスリーサイズまで、何でもござれです! ガラード帝国魔法学院は私の庭ですから」
「おい待て、ロクでもない事調べてんじゃねえよ」
コイツ、本当に広報部なんかで大丈夫だろうか……とジト目になるアクト。事実、ヘレンにとって学院は庭のような物なのだろう。学院の講師陣は皆、一流の魔道士だ。監視の魔法など使えば一発で看破してしまうであろう彼らから情報を引き出す手腕は確かに凄まじいのだが、どうにもその有り余る才能を間違った方向に使っている節があった。
「あ、でも、私、こんな情報屋の真似事をしてはいますが、私の情報で何かよからぬ事を企んでいる人には教えられません。先輩がそんな事をするような人じゃ無いのは理解してますけど……もしそんな事があれば、私の全能力を以て、その人の学院生活を台無しにする記事を書くまでですけどね」
なのに、その辺のモラルは割としっかりしているのである。しれっと空恐ろしい事を、屈託の無い満面の笑顔で言うものだから尚の事、怖い。俺の周り、怒らせちゃダメな類の人種多くないか……? と、頭が痛くなるアクトであった。
「安心しろ。年下にゃ興味ねぇし、そんなつもりは毛頭ねぇよ。ただ……ちょっと気になってな」
「そうですか。文面にしてしまうと何処で情報が漏れるか分からないので口頭でお話ししますけど、よろしいですか?」
「構わない。始めてくれ」
そうして、立ち話もなんだという事でロビーに設けられていたソファーに座った後、ヘレンは調べてきた情報を話し始める。
始めて出会った時は、背筋が凍った。最初は、本当に何となくだった。だが、出会いを通して関わっていくうちに、「違和感」は大きくなっていくばかりだった。気のせいと片付けるには、あまりに鮮烈。膨れ上がる謎の「違和感」の正体を確かめるべく、アクトは集中して彼女の話に耳を傾ける。
「――以上が、私が調べられる限りの情報です。プライベートについては質素なのでこれぐらいですが、お恥ずかしい話、肝心の細かい情報はあまり出てこなかったんですよね」
「……」
時間にしてみればたったの五分程度。ヘレンが話した内容は、アクトが調査を頼んだ‟ある人物”についての経歴と生活が主だった。聞いた限りでは、アクトに謎の「違和感」を抱かせた原因のような不自然さは微塵も無い。ごく普通の、ごく一般的な家庭で育って魔道士を目指している、何の変哲もない経歴。だが――
(あまりにも普通……いや、普通過ぎる……)
そう、ヘレンが調べた限りの経歴には変哲もない……否、あまりにも無さ過ぎるのだ。ただ純粋にごく普通の人間である可能性も捨てきれない……だがこれは、前の一件でアクトが感じた何も無いが故の違和感だ。まるで、答えが初めから用意されているかのように……
「……記者としてのお前に聞くが、直感的にどう思った?」
「私ですか? うーん、仕事に私情を挟むのはあまり好きじゃないんですけど……確かに、不思議な子だとは思いましたね」
直感というのは曖昧だが案外馬鹿に出来ないもので、特にその道一本で生きてきたような専門家の直感なら尚更である。だが、この違和感にヘレンが気付いた様子は無い。これは、「黒の剣団」として特殊な環境に身を置いてきたアクトだからこそ出せた推論であった。
(……情報が改竄されて、意図的に素性が伏せられてる?)
そして、そんな事が出来る存在は限られている。幾つか候補が挙げられるが、俗っぽい陰謀論で真っ先に考えられ、なおかつ一番可能性が高いのは――
(アイツの裏に居るのは、帝国政府なのか……?)




