50話 港湾都市と未開拓領域
――雲一つ無い抜けるような青空、ギラギラと照りつく太陽、漂う潮の香り、清らかな潮騒の音、焼けた白い砂浜。そして、人々の楽しげな活気に満ちた声……港湾都市「オセアーノ」は、訪れた多くの人々で賑わいの絶好調の只中にあった。
海辺のビーチでは、日差しを直に浴びる広大な砂浜のいたるところに色とりどりのビーチパラソルが立ち並び、これまた色とりどりの水着姿の人々がはしゃいでいる。海上では幾つもの賑やかな声と共に水飛沫が潮風に乗って舞い上がり、太陽の光を受けてきらきらと輝く。
内陸の観光街では、昼間からオープンカフェや酒場が乱立し、客達が沢山のテーブルを並べては食べ物片手に会話に花を咲かせている。それに負けじと、店と店の隙間には様々な個人経営の屋台や露天商が軒先に開かれ、手軽に食べられる料理を片手にふと足を止めた客達が、物珍しい商品に大はしゃぎだ。中には、異国情緒漂う衣類を纏う者もちらほらと見受けられる。
さらに、賑わいから少し離れた港湾地区では、交易や物資の運搬などのために訪れた大小様々な帆船が、外洋と港とを頻繁に行き来している。船が停泊した場所では屈強そうな作業員達が、怒声を掛け合いながら忙しそうに積み荷を降ろし、其処から離れた場所では商会の人間らしき者達が書類をはたきながら何やら揉めている。
この主に三種類の人々によって、オセアーノは活気に満ちた港湾都市として成り立っていた。
オセアーノは、帝国海岸部の各主要都市や、沿岸沿いから数キロリアほど離れた周辺島を繋ぐ定期船が行き交うレイクネス地方の玄関口である。さらには帝国沿岸部各地や外国からの貨物船が頻繁に出入りし、ここから南部の他都市や帝国の各都市へ送られる物資が集まる重要な交易拠点だ。
故に、この都市では数々の有力商会や豪商が拠点を構え、‟金のなる木”という名の運び込まれる商品の利権などを巡り、日々しのぎを削っているという混沌じみた様相を呈している。ちなみに、縦に短く横に長い形をしているレイクネス地方は、中央部リヨン地方と直線的にほど近い場所に位置し、オーフェンの市場に並ぶ海産物の殆どはレイクネス産だ。
そんな国内外交易の要とも言えるオセアーノ周辺の地域は、大地を巡る霊脈や季節風などの関係で一年中、平均して温暖な気候が続く。その年中暑い性質を利用して港湾地区の隣に作られたのが――ビーチ・リゾート「青海大楽原」。帝国有数の超大規模レジャー施設だ。
肌を焦がす真夏の季節を控えた今、この「青海大楽原」には少し早めのバカンスを満喫するために、各地から観光客が続々と押し寄せている。貴族を始めとした上流階級から労働階級の一般庶民まで、様々な身分の者達が一堂に会する此処は、まさに南の楽園であった。これでまだ本格的なシーズンにはまだ早いというのだから、シーズン中の隆盛ぶりは想像もつかないというものだ。
そして――リゾート地から数キロリア離れた山中……鬱蒼と生い茂る樹海を貫くように石畳で舗装された道路を歩く、とある一団があった。彼らは皆、此処では見ただけでも暑苦しくなりそうな黒を基調とした装いに身を包み、自然の起伏がはっきりと分かるほど残っている雑な造りの道路を、額に僅かな汗を流しながらぜぇぜぇと息を切らして山を登っている。
同じ制服を纏った少年少女の団体――王立ガラード帝国魔法学院の生徒達は、遠征学習の真っ最中であった。目的はオセアーノ近郊にある魔導工学研究所の見学と、特別講座の受講だ。
今回は人数が人数という事で、学院側は大型の隊商の一つか二つを丸々貸し切る事となった。沢山の教師陣と生徒達を乗せた馬車の大群は、オーフェンからオセアーノに続く「大街道」を一日半かけて南下。一日目を馬車の中で過ごし、オセアーノに着いた頃には日も沈みかけており、その日は団体予約していた公営ホテルに宿泊した。
現在三日目の朝、朝食を済ませた彼らは研究所見学のために、山間部の中腹に設立された研究所への道を徒歩で移動中であった。本来なら様々な候補先がある遠征学習を苦肉の策で半分に分けたとはいえ、それでも一度に押し掛けるには大所帯だ。そこで彼らは研究所に向かう人数を半分に分け、予定を対称にして行動することになった。残りの生徒達は今頃、都市部で自由行動を満喫している筈だ。
だがしかし、研究所は帝国有数のリゾート地の近くにあるとはいえ、この周辺の樹海はまだまだ調査が必要な場所が多い。専門の学術調査隊が入る度に新種の動植物や魔獣が発見される事も多々あるほどだ。
必要な場所以外は人の手が殆ど入っていない、温暖な地方特有の広葉樹が主体の原生林が広がる道中にて……
「何見てんのよ?」
高く切り立つ開けた崖の天辺、その淵瀬に、二つの人影があった。崖の淵ギリギリに立ち、何処か遥か遠くを見据えている少年――アクトの元に、奥の樹海から草木を掻き分けて姿を現した少女――コロナがやって来る。
「コロナ……エクスの事はリネアに任せたけど、皆は?」
「リネア達には先に行ってもらったわ。前を歩いていたアンタがまったく違う脇道に逸れたのが見えたから、こうして追って来たのよ」
僅かに息を乱しながら、訝し気な視線を送るコロナ。学院の制服には周囲の気温を一定に保つ空調魔法が常時付呪されているので、額に滲む汗は激しい運動によるものだ。他の生徒よりかは鍛えているとはいえ、やはりコロナもこの山中行軍はこたえるものがあるのだろう。ちなみに、アクトは実にけろっとした表情だ。
「悪かったな。あの調子じゃ、ちょっと寄り道しても直ぐに追いつくだろうと思ったからさ」
「そりゃあ、鍛え方の違うアンタじゃ、この程度の道は余裕なんでしょうけどね」
そう言って、コロナはアクトの真横に並ぶ。その眼前には、見渡す限りの広大な大海原が広がってた。
雲一つない眩い日差しの下、果ての果てまで水平線が燦然と輝き、遠くから聞こえる潮騒の音が耳に心地よい。緩く流れる温風が肌を、髪を優しく撫で、空にはウミネコが群れをなして飛んでいる。人気の少ない場所の更に脇道という事もあって、まさに隠れた絶景スポットだ。
「ふーん、アンタにしては中々良い場所を見つけたじゃない」
「だろ?」
なるほど、これならアクトがふらりと寄り道をしてしまうのも無理はない、と納得するコロナであった。珍しく彼女から称賛を送られ、アクトは少し得意げに笑みを浮かべる。
「なぁ、知ってるか? この街って、一昔前までは何の変哲もないただの田舎町だったんだぜ。それが、ある時を境に急に栄え出したんだってよ」
「勿論知ってるわ。魔道士なら誰でも一度は夢見て求めんとする世界の最果て……『未開拓領域』、でしょ?」
コロナの返答に、アクトは首を縦に振る。そう、オセアーノは今でこそ国内外交易の要にして国内でも有数のリゾート地として、多くの物と人で賑わっているが、十数年前は静かな辺境の港町だったのだ。
――この世界には、未だ人類が到達し得ない未知の領域が存在する。科学技術や魔導技術が発達し、文明を進歩させた人類ですら頑なに阻む人外魔境、それが「未開拓領域」だ。古代の文献に存在が記されており、今日に至るまで数多くの国主導の調査隊や魔道士が派遣されてきたが、そのどれもが壊滅的な被害を被って撤退、もしくは帰らぬ人となっている。
有名どころで言えば、北の最果てにあると言われ、吸血鬼の真祖達が住まう「夜の国」。西方の何処かにあると言われ、信仰の原点が眠る「大聖殿」。東方の海底奥深くにあると言われ、古代の強力な魔導兵器が封印されているという「海溝神魔域」。世界各地に点在する超危険古代遺跡「反逆の塔」、etc……どれも人智を超えた未知の領域だ。
そして、「未開拓領域」を語るのならば決して外すことは出来ない浪漫話を持ち、辺境の港町だったオセアーノが大発展する結果となった理由、それは……
「にしても……本当にあるのかしら、『冒険大陸』って」
未開拓領域「冒険大陸」、それは「魔の海域」と称されるアルテナ大陸南方の海洋を超えた先にあると言われる未知の新大陸だ。ありとあらゆる魔法的手段を用いても観測不可能なその大陸には、古代魔導文明の人々が密かに隠した現在の人類の総資産を遥かに上回る財宝が眠っているとされている。
未開拓領域の伝説など半信半疑な者が大半を占める中、この伝説には人々の冒険心をくすぐる大いなる浪漫が内包されていた。さらに、至るべき場所と至る為の手段がある程度明確な事もあり、国や魔道士に限らず個人や商人、海賊……様々な人々が一攫千金を求めて大海原へと繰り出していった。
俗に言う、「大航海時代」の到来である。十数年前に訪れたこの流行は、今まで閉鎖的で滞りがちであった帝国の海洋航路と交易開拓の契機となった。南方の海洋への物資や人員の輸送を円滑に行うために、この地域にも大街道が敷かれ、造船技術や海洋に関する研究もみるみるうちに進歩していった。
帝国、連邦、皇国……世界の名だたる大国を中心として、人々の注目はこの美しき広大な大海原と、まだ見ぬ未知の大陸に注がれていた。だが――
「まぁでも、消息を絶った船が多過ぎたせいで、直ぐに流行は過ぎ去ったみたいだけど」
「仕方ないだろ。プロの魔道士達で固められた調査隊ですら誰一人として戻らなかったんだ。何故かは分からないが、一般人がどうにか出来るようなモノじゃなかったんだろうさ」
コロナの言う通り、世界を賑わらせていた大航海時代は、僅か数年であっけなく幕を引いた。理由は明白、海域の奥深く――「魔の海域」にまで進んだ船の全てが、二度と帰らなかったからだ。原因と行方は依然として不明、古来より立ち入りべからずとして恐れられてきた謎の場所で姿を消した彼らを捜索することは出来ず、原因究明どころか二次被害まで起こる始末であった。
かくして、多くの被害を出した「冒険大陸」の調査は、世界的に打ち切られることとなった。そして、その不気味さ故に、「冒険大陸」と「魔の海域」は、畏怖の対象として人々から遠ざけられる伝説となったのである。
――だが、そこに注ぎ込まれた時間と資金が返ってくる訳では無い。調査の打ち切りと禁止によって、多くの勢力が南方から引き上げていく中、調査のために充実した設備を揃えた各商会は、総じて大損害を被ったのである。かと言って作るだけ作って放置する訳にもいかず……仕方なく彼らは、此処に更なる資金を投入し、この港町を新たな交易拠点の一つにしようと考えたのだ。
そうした思惑の元に生まれたモノが――港湾都市オセアーノと、後に作られたビーチ・リゾート「青海大楽原」である。大航海時代の名残りを利用・発展させ、一大リゾート地と化した訳だ。この都市で商会が大きな力を持っているのは、そのような経緯が背景にあるからである。
「そうだな……本当に冒険大陸が存在するのかは知らないけど……その存在に一番近い奴なら知ってるぜ」
「そうよね、アタシ達に分かる訳が……って、えっ!?」
本当に何気なくアクトが発した言葉に、遅れてコロナが反応する。
「ほら、エレオノーラだよ。ガキの頃……まだアイツと暮らしてた時、研究を見せてもらった事がある。丁度、その頃のアイツの研究内容が‟非実在性が有力な未開拓領域の研究と究明”ってのがテーマでさ、冒険大陸もそのテーマの一つだったんだ」
「あ……なるほど」
過去の経験から謎な人脈を持つアクトだが、その人物がエレノーラであれば納得であった。自分の事についてあまり多くを語らない彼らの関係が如何なるものなのか気にはなるが、魔道士の端くれとして、彼の大陸最高峰の魔道士がどのような結論を下したのか気にならない訳がなかった。
「アイツは『工房』に引き籠もって魔法研究に没頭するよりも、フィールドワークをしまくって研究するタイプだからな。冒険大陸の調査も単独でこなしてたみたいだ」
「へ、へぇ……でも、幾ら学院長でも、お一人で船を動かすなんて出来ないんじゃ……」
「あ? 船なんて使わねぇよ。アイツには《黒翼》って『飛行魔法』があるからな。どういうからくりかはしらないけど、奴の保有魔力量は俺達の数十倍だって言われてるから魔力切れの心配も殆ど無い。いざとなればそこら辺の小島で休めば良いしな」
「ひ、飛行魔法……」
「飛行魔法」、文字通り空を飛ぶ高等魔法の一つ。だが、現代の魔導水準では魔力消費が激しい割に短時間しか飛べないという欠陥魔法の筈だ。おまけに飛べたとしても大した速度も出ない上に不格好な形でしか飛べないという事で、現状では実現不可能の烙印を押されている。魔導器などの外的補助装置があれば別の話だが、やはりそちらにも魔力消費の問題が絡んでくる。
となれば、アクトがいう《黒翼》とやらは、恐らくエレオノーラ独自の術式なのだろう。しかも広大な海上を渡れるほどの高精度な飛行魔法を、だ。一般に公開されてないという事は、その術式が凡百の魔道士には扱えない代物なのか、意図して彼女が秘匿しているのか……他にも何やら聞き捨てならないとんでもない事が発覚し、「七魔星将」・《暴虐》の化け物っぷりに頭が痛くなるコロナであった。
……まあそれは置いておき、エレオノーラが今もああして健在な以上、彼女は誰一人として帰って来なかった「魔の海域」から生還したこという事だ。それだけでも十分驚くべき偉業、更に彼女は、「魔の海域」の先にある‟何か”を見て、知った事になる。一体、どんな景色を見たと言うのか、コロナの想像の翼が羽ばたいていき――
「それで……どうだったの?」
「あんまり詳しくは教えてもらえなかったんだが……結論から言えば、冒険大陸とまで称される物は何一つ見つけられなかったらしい。何処までも広がり続ける無限の大海原、幾つか小島らしき物は見つかっても、新大陸なんて物はなかったそうだ。『魔の海域』についても、上手くはぐらかされた」
「うっ……そう、なのね」
急転直下で叩き落された。やはり大陸最高峰の魔道士でも未開拓領域を発見するのは不可能なのかと、やはり未開拓領域の伝説など所詮夢物語でしないのかと、内心落胆するコロナ――その時、「でも」と、アクトは言葉を続ける。
「エレオノーラは俺の知る中でとびきり陰湿で嫌な奴だが……魔道士としてはこの世界の誰よりも優秀だ。そんなアイツが、自ら調査に乗り出して何も見つかりませんでした、なんてお粗末な結論を出す筈が無い。きっと、俺や俺の話を聞いた奴には知られたく無い事があるんだろう。それに……未だに意味は分からないが、アイツは俺にこう言ったよ」
「……?」
不意に、二人が立っている崖に一陣の風が吹き抜けた。照りつける太陽に艶やかに映える美しい黒髪が揺れ、どこか不思議な雰囲気を纏ったアクトは、広大な水平線の遥か向こうを指差し――‟何処か”を見据えて、言った。
「‟「魔の海域」とは、あちら側とこちら側の境界だ”ってな」
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