37話 氷結の死霊
『Ahhhhhh---』
「氷結の死霊」が全身から放った圧倒的な凍気、血液すら凍らせる致死の氷嵐が異界化した図書館内に吹き荒れる。その中でも指向性を持って放たれた一際強力な凍気を、アクトは咄嗟にリネアを抱えながらの全力の横っ飛びで直撃を何とか回避した。
「何でこんなに寒いの!? 空調魔法は機能してる筈なのに!?」
「クソッ、制服と魔法防御を貫通するぐらい寒いって事だよ!」
死霊の振りまく凍気に加え、恒常的に発生している白銀の濃霧は、制服の付呪と《状態維持化》で防寒処理を施している二人の体温を容赦なく奪っていく。此処は最早、常人がまともに生きられるような場所では無い、極寒の氷結地獄と化していた。
「とにかく一旦距離を取るぞ。俺が注意を引くから、リネアは空調魔法をありったけの魔力を込めて掛け直ししろ!」
「分かったよ! 【強き灯よ・――」
簡単な方針を決めた二人は瞬時に散開、リネアが後方で呪文を唱え、アクトが極低温の凍気に巻かれないよう素早く動いて一定の距離をとりながら死霊の出方を窺う。そんな二人に対し、死霊は両の巨腕を二階部分にまで届く高さに持ち上げ――それぞれ一本ずつを彼ら目掛けて力任せに振り下ろした。
「えっ!?」
「嘘だろ!?」
まさか死霊が物理攻撃をすると思っていなかったアクト達は大きく跳躍して間一髪これを回避、空ぶった半透明の白き巨腕は整然と規則正しく並べられていた大量の本棚を無残に薙ぎ倒した。
衝撃によって大量の本が散乱した残骸の上に着地した彼らは、極寒の空間にも関わらず背中に嫌な汗が流れるのを感じた。心なしか体温も戻ったような気がする。リネアの魔法が発動したのだろう。
「あ、危なかった……」
「クソッ、幽霊のクセに物理攻撃とかやりたい放題やりやがって! そんだけ存在密度が大きいって事か!」
全てが常識外の死霊の攻撃に毒づきながら、アクトは未だ経験した事の無い敵との戦いに、自分の知る「死霊」についての情報を脳内に爆速で走らせる。
死霊――それは死した人間が生前、もしくは死しても尚消し去ることの出来ない未練や憎悪などの思念が集まって生まれた霊的存在の一種だ。学術的には強固な意志を持つ死者の魂の集合体と定義づけられている彼らは、人気の少ない古い墓地や瘴気立ち込める幽谷の地などにしばしば現れることで有名だ。
自然発生する死霊は大抵が存在規模の小さいモノばかりで、放っておいても残留思念が空中分解して自然消滅する。明確な自我を持って人間や生物を害するだけの力を持つモノは本当にごく稀だ。
だが、今二人を襲っている「氷結の死霊」は存在規模にしても「異界化」が出来る程の力にしても異常に過ぎる。
微小存在の規格を超え、人類に害を為す一つの災害として成立する「大死霊」とでも言うべき強力な死霊が存在しないわけでは無い。
大勢の人々の命が失われた場所や、遥か太古の古戦場跡では観測もされている……が、それはあくまでその場所に現れるべくして現れたモノ、間違ってもこんな怨念や思念などとは微塵も関係無いような場所にいきなり出現して良いモノでは無い。アクトが抱いた疑問とはそういう事だ。
(まさか、誰かが意図的にコイツを呼び寄せて俺達を狙った……? いやそんな、死霊を操るなんてご都合な魔法、存在するわけはねえ……って言えるくらい能天気なら、どれだけ楽だったんだろうな)
特定の相手にけしかけられるよう死霊を操る技術などにわかに信じ難い話だが……この世界はそういう「超常」がありふれた世界なのだ。昨日までは当たり前と思っていた事が、今日になって百八十度引っ繰り返るような事例などごまんとある。
それに、本来では到底有り得ないような事が現実に起こっているという事は、そこには絶対に明確な理由がある。もし本当にこの死霊を送り込んだ刺客が居るのなら、その者は普段なら人ひとり居ないこの時間帯の図書館に、例外で人間が――アクト達が居る事を知っていたという事になる。
果たしてこれが自分達を狙ったものなのか、はたまたもっと別な目的があるのか、様々な可能性がアクトの脳内をよぎる……だが、
(……考えても仕方ねえ。例えコイツを送り込んだ奴の正体が分かったとしても、どの道コイツをどうにかしないとこの異界からも脱出出来ないんだ。なら、俺にやれる事は一つしかない!)
難しい事を考えるのはその後だ。アクトはリネアを巻き添えにしないよう巧みに攪乱していた守勢から一転、攻勢に転じる。先の攻撃で薙ぎ倒されずに済んだ本棚目掛けて駆け出した。
凄まじい速度で衝突するその直前、アクトはその場で大きく跳躍すると同時に宙でくるりと身を回して本棚に着地。そのままそれを蹴り飛ばし、一気に死霊へ肉薄した。
「うぉおおおおおッ!」
鋭き気迫に叫びながら、死霊の頭部まで達するとアロンダイトを一閃。冷気を斬り裂いて薄暗き闇を駆ける刃は、死霊の無防備な胴体部分に吸い込まれるようにして迫り、
「――チッ、やっぱり駄目か! ホント、お前らは俺にとって厄介な存在だよなぁ!!」
傷一つ付けることなく半透明の巨体をすり抜けた。まるで何も無い空気を斬り裂いたような手応えの無さに、攻撃が通じない事が最初から分かっていたようにアクトが吐き捨てる。
レイス系だけが持ち得る特別な性質、それは‟物理攻撃の完全透過”だ。死霊は一つの霊的生命体として現実世界に確固たる存在密度を持ちながらも、如何なる方法を以てしても物理的な攻撃手段では傷一つ付けられない。
つまり、純粋な剣士であるアクトにとってこれ以上無い天敵なのだ。
レイス系生物に有効なのは、魔法を始めとした魔力を利用した攻撃手段だ。事象を捻じ曲げる性質を持つ魔力ならば、死霊の曖昧な存在密度を引きずり出して叩く事が出来る。
故に、魔道士にとって死霊とは取るに足らない敵ではあるのだが……最悪な事に、この場にはまともな魔法攻撃手段を持つ者が居ない。アクトは言わずもがな、支援系の魔法に秀でたリネアでは決定打にはなり得ない。
「だったら有効打になりそうなのはアレしか……ってヤバッ!?」
『Ahhhhhーーー』
アクトが次なる策を練る為に思考を巡らせるのも束の間、攻撃を空ぶって逃げ場の無い宙に留まる敵を「氷結の死霊」は逃さない。周囲の空気が渦を巻いてうねり……死霊は指向性を持った極低温の凍気を放った。
強力な軍用魔法に匹敵する極寒の冷気を振りまく寒波は、無防備なアクトを容赦なく氷獄の嵐に飲み込まんと猛然と迫り、
「【寄りて阻みし風よ】ッ!」
アクトと死霊の丁度中間に形成された集束大気の壁によって阻まれた。ギリギリで間に合ったリネアの風魔《集風防壁》だ。
単位面積あたりに封じ込められた多大な風量による膜は、凍気を左右に散らし、効果時間が切れる頃にはアクトが着地する時間を十分に稼いでくれた。
「助かった!」
「どういたしまして! それよりも、これからどうするの!?」
「俺に考えがある。二十秒だけ時間を稼いでくれ!」
リネアに手早く指示を出したアクトは彼女を連れて図書館の奥の方へと走り出し、死霊もそれを追う。宙を浮きながら二人の後を追う死霊の移動速度は大して早くないので振り切るのは簡単だが、死霊の規格外の巨体に加えて此処は閉鎖空間、逃げ場が無い。彼らはあっという間に図書館の突き当たりへと追い込まれてしまった。
そんな彼らに死刑宣告を下すように、死霊は両の巨腕を持ち上げ極低温の凍気を纏わせる。これでは回避出来たとしても叩きつけられた凍気が暴れ狂い、ただでは済まないだろう。
まさに絶対絶命、まともな攻撃手段の無いどうしようもないこの状況は――二人の望んだ展開でもあった。
「頼むぞ!」
「うん! 【そびえ立て光の壁・我が領域に立ち入る愚者を阻め】ッ!」
アクトの言葉にリネアは力強く応え、彼女は《守護光壁》の呪文を改変して発動する。縦に大きく伸びるようにして展開された光の魔法障壁は見事、振り下ろされた死霊の巨腕を押し留めるに至った。
物理的な攻撃手段を得れるぐらいの実体を持ってこの世界に存在しているのならば、魔法による物理的な干渉は可能だ。
「くぅぅ……!」
強固な存在密度を持つ死霊の膂力に加え、逃げ場を求めて暴れ狂う凍気が障壁の強度を軋ませる。
魔力による事象改変で増幅した無色エネルギーで障壁を生み出す防御魔法は、対象のエネルギー運動に「停滞」の干渉を加えて温度を急激に落とさせる氷結系魔法と相性が悪い。
エネルギーが停滞すれば自然と障壁は消滅する。「氷結の死霊」が操る冷気もそれと同じであり、並みの障壁では一瞬で破壊されるだろう。
だが、リネアの治癒系統を始めとした支援魔法の適性は全ての属性に適性のあるコロナのそれよりも遥かに高い。そんな彼女がありったけの魔力を込めて展開した魔法障壁が一瞬で壊されるような事は無い。
何度も何度も、凍気纏う巨腕を振り下ろし続ける死霊の攻撃をリネアは必死で防ぎ続ける。
「フゥゥゥ……!」
リネアは魔法の使えない自分には出来ない事を必死でこなそうとしてくれている。ならばそれに報いるのが筋というもの。彼女の小さくも大きい後ろ姿に頼もしさを覚えつつ、アクトは己の為すべき事を為さんと氷嵐吹きすさぶ最悪の環境で精神を研ぎ澄ませ始める。
剣を水平に構え、全身から銀色の魔力光を放出し、それら全てを剣に纏わせる。更に、過呼吸で肺が凍り付かないよう気を付けながら胸いっぱいに空気を吸い込み、「特定動作」――全身の筋肉を総動員する為の重低音の吸気音がアクトの体から生じる。
今、視界も周囲の音も必要無い。脳内処理に不必要な外的情報を全て遮断、残った神経を全て身体と魔力の制御に回す。もっと集中……もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと――
「……よし」
この彼のとっては無限にも思えた極限の集中状態での時間は、現実ではほんの二十秒足らず。アクトは宣言通りの時間に、反撃に必要な全ての工程を完了した。
「もう限界、破られるよ!! ――きゃ!?」
その時はとうとう訪れた。圧倒的な凍気と純粋な膂力による死霊の攻撃は、リネアの障壁に次々と大きな亀裂を刻み込んでいき、遂に障壁は大きな破砕音を立てて粉々に破壊された。障壁を維持していたリネアは魔力暴走による反動で大きく吹き飛ばされ……直後、そんな彼女を優しく受け止め、入れ代わるにして死霊の前に出るアクトの姿があった。
『Ahhhhhhh---』
これで自分の侵攻を阻む物はなくなったと言わんばかりに、死霊は今度こそ二人の息の根を止めるべく二人に向けた両手に渦巻く極低温の冷気を束ね始め――それに先んじてアクトが動き出す。
銀の魔力光纏う愛剣に更なる魔力を注ぎ込み、総身を活力が漲るのを確認すると、再び剣を水平に構え、
「四之秘剣――《烈波》ッ!!」
己が全力を解き放つ。雷速に迫る速度で真一文字に薙がれたアクトの剣閃が疾走する先は何も無い宙空――その先にあった。
一見、間合いを大きく見誤ったただの空振りに見える銀光は、その刃の延長線上に銀色の刃を形成。渦巻く冷気を駆け抜けて死霊の白き半透明の巨体を大きく斬り裂いた。
『Ahhhh----!?』
死霊からようやく漏れ出た苦悶らしい呻き声、両手に集めた膨大な量の冷気は制御を失ってあちらこちらに霧散していく。戦闘開始から約五分、死霊が初めて傷を負った瞬間であった。
剣士のアクトがレイス系生物に傷を与えられる唯一の攻撃手段――放出した自身の魔力を武器に乗せ、真空を駆ける刃の如く解き放つ、それがアクトが持つ秘剣の一つ、四之秘剣《烈波》の理合いだ。
純粋な魔力のみで構成された魔力の斬撃は、言わば「魔法の剣」、攻撃魔法と同じように死霊の‟物理透過”を無力化することが出来るのだ。
「フッ、シッ!」
『Ahhhh----!!』
アクトの右腕が霞む度に、形成された魔力の斬撃は冷気を斬り裂いて死霊の体を徐々に削っていく。本来なら一発しか撃てないこの技を、アクトは「特定動作」の段階で自身に強めの自己暗示をかけることで使用手順を極限まで効率化。体力と集中力が続く限り連続使用を可能にしたのだ。何十発も放たれる斬撃は死霊を無残に切り刻んでいく……だがそれでも、
「――クソッ、ダメだ! 効果はあるみたいだけど、如何せん規模がデカ過ぎるんだ! 俺が《烈波》で斬り飛ばした端から再生を始めてやがるぞ!」
「そんな……ッ!? 来るよ!」
アクトの《烈波》は確かに魔力を用いた攻撃手段としては有効だった。しかしそれは通常規格での話。この異常な力を持つ大死霊相手では、彼の斬撃は波打つ雄大な大波に真っ向から歯向かうようなものでしかなかった。一時は大きく揺らぎはするものの、直ぐに元の形に戻ってしまう。
有効な攻撃を与えられない事にアクト達が歯噛みする間も無く死霊は再び冷気纏う両の巨腕を持ち上げ、二人を押し潰さんと振り下ろした。彼らはそれぞれ左右に散開することでこれを緊急回避。
図書館の壁に巨腕が叩きつけられると同時に極寒の冷気が暴れ狂い、周囲の何もかもを薙ぎ倒し凍てつかせていく。ただ、《烈波》によって少しは弱っていたのか、冷気は十分な魔法防御を施した二人を負傷させるには至らなかった。
十秒ほど猛威を振るっていた冷気がようやく収まり、額や制服に大量の霜を降ろさせながら二人は何とか体勢を立て直す。そんな時、顔を持ち上げたリネアがハッ、と何かに気付いたようにある一点を指して声を上げた。
「アクト君、外だよ! この空間、外にまで続いてる!」
リネアが指差した先は、今の攻撃で死霊が破壊した図書館の壁だった。何と、破壊された壁の先には廊下らしき物が続いており、学院の構造的には確かに廊下がある場所でもあった。
「外だと……そうか、コイツは図書館のある場所一帯の位置座標を丸々複写してこの異界を作り出したのか。だったら、リネア行くぞ! 仕切り直しだ!」
「う、うん!」
そうと決まるは話が早く、死霊が悠然構えている間に二人は図書館から脱出した。外の廊下は図書館内同様、極低温の白い霧が漂っており、窓ガラスは謎の黒い幕のような物が張り巡らされていて、外からの光は一切届かない。
だがそれは当然の話で、この空間は学院であって学院では無い、まったく別の場所なのだ。
暗闇と冷気が支配するこの場所が、死霊の作り出した異界だという今なら分かる。この「黒い幕」は恐らく、異界の「境界」なのだろう。大抵の異界は現実世界と薄皮一枚挟んだ本当に紙一重の関係性にあり、一歩踏み込んだ先は元の世界だ。
この二つの世界を隔てる要素こそが「境界」――つまり、この暗闇の先には空間がまったく続いていないというわけだ。
その後、とにかく死霊から距離をとるべく薄暗い異界の廊下を走る中、二人は今後の事について話し始める。死霊から離れた影響だろうか、身も凍る程に猛威を振るっていた冷気は今やかなり収まっており、空調魔法一つで十分活動出来るようになっていた。
「はあ、はあ、これからどうするの? アクト君の攻撃が通じないんじゃ、もう勝ち目が無いんじゃ……」」
「一つ考えたんだが、最初はあのどデカい死霊を倒さなければ此処からは脱出出来ないと思ってた。……でも違った。どれだけ強力な異界だろうと、その本質は変わらない。なら、それを突けば良いんだよ」
「ど、どういう事?」
いきなり飛躍し始めたアクトの話に、リネアは若干の困惑の様子を見せる。まるで彼は死霊の討伐を諦めてしまったかのような口ぶりだった。だが、それは根本からして違うのだ。あくまで目的と手段が一致しているだけで、アクトが戦場で常に考えるのは、如何にして敵を倒すかではなく、如何にして生き延びる事なのだから。より可能性の高い策があるのなら、そちらを迷わず選び取るのがアクト=セレンシアなのだ。
「分からないか? 二日前にやった応用魔法学の問題でリネアも自分で説明してたじゃないか。結界破りの基本、それは?」
「……あ! そっか、『揺らぎ』を探すんだね!」
リネアの答えにアクトは満足げにニヤリと笑う。「異界化」とは確かに特殊な結界魔法の一種であり、それを人でも無い死霊が使用するのも確かに規格外だ。だがそれでも異界化は異界化、魔法に似た何かに過ぎない。この世界に完璧な魔法は一つとして存在しないのと同じように、死霊が操る異界にも必ず何かしらの欠点がある。そして異界における欠点とは「揺らぎ」、現実世界と異界を繋ぐ「境界」のひずみ――異界が抱える脆い部分だ。
「あの図書館を複写してるだけだったら可能性はゼロに近かっただろうが、これだけ無駄に精巧に作られた大規模な異界なんだ。揺らぎの一つ二つ必ずあるに決まってる。俺達を逃がさないように広く展開したつもりが、返って俺達の逃げ道と脱出手段を生み出す羽目になったってわけだな」
「はあ、はあ、そうだね。異界そのものを解呪なんて到底出来ないけど、結界の揺らぎを広げて外に出るくらいなら、私の腕でも十分解呪出来るかもしれないよ!」
「よし、そうと決まれば行くぞ――ッ!」
死中に活を見出すかの如く、八方塞がりからの打開策を実行せんと、より早く駆け抜けんと二人が足に更なる力を込めようとしたその時、彼らの周囲を不規則に漂っていた冷気を内包する霧に変化があった。漂う霧は急速に渦を巻いて廊下の複数の場所に集束していき――二人の前に現れたのは、「小さな白い死神」だった。
「小さな、死霊……?」
「分霊召喚、か。これまた厄介なものを……どうやら、そうそう易々と俺達を逃がすつもりは無いようだな」」
現れた外見はあの大死霊とまったく同じな四体の死霊を前に、リネアは戦慄に、アクトは心底嫌そうに呟く。力をつけた大死霊が行使出来る権能が一つ、それが‟分霊召喚”だ。タイミング的に恐らく侵入者がこの場所を通った時点で自動迎撃するように設定されていたのだろう。
二人の存在を認識した分霊達はそれぞれ本体がやって見せたように、二人に向けた両手に冷気を集束し始める。本体よりかはかなり規模は落ちているようだが、それでも人間二人負傷させるには十分な威力だ。
「フゥゥゥ……《烈波》ッ!」
そうはさせじと、アクトは自己暗示による効率化した「特定動作」で瞬時に準備を終わらせるが早いや、アロンダイトを都合四閃振るう! 飛来する四条の魔力斬撃は今まさに集束凍気を放とうとした分霊達の胴体を待っ二つに斬り捨てた。両断された分霊は悲鳴を上げる間も無く霧散するかの如く消滅していく……だが、徐々に元の姿に戻り始める。
「一撃じゃ足りないか! しゃあねぇ、突っ切るぞ!」
「うん!」
分霊達が再生を完了するよりも早くその間隙を縫うようにして二人は廊下を突き進む。
二人が走り回った結果、異界の作用範囲は図書館のある特別棟一帯……本体の大死霊はどうやら相当数の分霊を配置していたらしく、彼らが歩みを進める度に異界の至る所で大量の分霊が召喚され、これでは異界の「揺らぎ」を探すどころの話では無かった。異界中に漂う冷気は空調魔法を常時全開にしているリネアの魔力を徐々に奪っていき、休もうにも休めない、ジリ貧の状況が続いていた。そして――
「――はあ、はあ、はあ、ごほっ……アクト君、もう限界……」
「クソッ! 一旦数を減らすから少し休んでてくれ!」
息も絶え絶えなリネアの手を引きながら、アクトが必死に薄暗い廊下を先行する。その後ろには白き分霊が大挙して宙を走りながら追って来る。極寒の空間を走り続け……アクトはまだ余力はあるが、リネアは体力の限界が近づいていた。
最初は《烈波》で逐一始末出来ていたが、場所を変える度に数を増やして襲い掛かって来る分霊達の猛攻に、アクトの迎撃能力が遂に限界を迎えたのだ。
足を止めれば瞬く間に挟み撃ちにされ、動き続ければ処理出来なくなる……後者の方がマシということで行動しているが、根本的な解決には何一つなっていない。
彼の傍らで支援に徹するリネアも信仰形魔法で分霊を浄化しようにも、今の彼女は極寒の冷気から二人分を守る為に《状態維持化》を魔力全開で発動し続けている上に、大死霊が召喚した分霊はそれなりの力を持っている。
魔法発動に使う心象風景の殆どを空調魔法に占有されている状態ではまともな浄化魔法など使えない。無力の無駄になるだけだった。
リネアを背後に追いやり迫り来る分霊達をアクトが「烈波」で斬り払っていたその時、
「アクト君! この扉に即席で対霊用の封鎖結界を敷くから手伝って!」
「え? お、おう! 直ぐに行く!」
リネアの声に反応したアクトが目を見遣った先にあった物は、廊下と廊下を繋ぐ一つの大扉だった。なるほど、どういう仕組みかは知らないが、分霊達は本体と同じように実体を持っている、ならば、力ずくで扉を抑えている間に封鎖結界で侵攻を阻める。
防御魔法に適性のあるリネアなら簡易的な物なら直ぐに起動出来るだろう。悪くない判断だとアクトが彼女の元に駆けだそうとした――その時だった。
(……ちょっと待て。あんな場所に扉なんてあったか?)
アクトの脳裏にふと小さな疑問がよぎる。この異界は元の学院の校舎を複写してあの大死霊が作り出した空間の筈だ。そうでなければこれ程瓜二つな場所などあるわけが無い。そして、この五日間図書館に通い続けたアクトが知る限り……こんな場所に扉なんて無かった。
つまり、あの扉は本来では存在しない物の筈で――
「……まさか!?」
そこまで考え至った瞬間、アクトの脳内に火花が走る。もしあれが無防備に扉を開けようとした敵を陥れる為にあえて作った物なら……!
「リネア駄目だ! それは罠だぁあああーーッ!!
「え……?」
アクトが全力の咆哮で制止するも、それはタッチの差で間に合わなかった。リネアの手がドアノブに触れた瞬間、
バシュゥゥ!!
「きゃ!?」
まるで空気を掴むような手応えの無さと共に、音を立てながら圧縮された膨大な量の濃霧を振りまきながら扉が瞬時に消滅し、代わりに霧の中から現れたのは――大きさは幾分か縮んでいるが見間違いようがある筈も無い。二人に向けられた圧倒的な殺気、分霊達とは比較にならない程の冷気を身に纏う大死霊――「氷結の死霊」であった。
『Ahhhh----!』
「リネアァァーーーーッ!!」
気付いた時にはもう遅く、咄嗟に後方へ身を引こうとしたリネアに向けて、「氷結の死霊」は予め準備していたらしい極低温の集束凍気を、これ以上無い程の至近距離で解き放った――
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