31話 獣の嘆き
――これは、後に「第一次オーフェン事変」と称される事件で起こった記録に残らない蹂躙劇、その一幕である。
魔法犯罪組織・ルクセリオンの襲撃によって戦禍に最中にあるガラード帝国魔法学院の、ある校舎の一角にて……
「ぎゃああああッ!??」
「何なんだコイツはぺぎゃ!??」
「に、逃げてぇえええええがっ!??」
其処には、大量の「赤」が溢れていた。ドロリと粘り気のある血、無残に引き千切られた手足、物言わぬ死体から零れ落ちる無数の臓物、それらが床・天井・壁・ガラス窓に盛大にぶちまけられ、歪で猟奇的な芸術を作り出す。
その「赤」の持ち主である不気味な白いローブを纏った複数の男女――ルクセリオン構成員の信徒が奏でるは、絶望と恐怖の二重奏。純白の装いが血で真っ赤に染まり、苦悶と悲鳴の声が上がる阿鼻叫喚の地獄と化していた。
そして……これらの惨劇を作り出したのは全て、一匹の「獣」であった。尋常でない身体能力を持つソレは、紫炎の長髪をなびかせ、校舎内を縦横無尽に飛び回る。
その荒々しき嵐の如き動きを、戦闘経験はあるが優れた能力を持っている訳では無い一般信徒達は全く認識出来ず、ただ蹂躙されるしか無かった。
――ソレに立ち向かおうと呪文を唱えようとしていた信徒は、衝撃波を伴って繰り出される亜音速の拳に頭蓋を一撃で粉砕され、脳漿を床にぶちまけた。
――ソレから逃げようと背中を向けた信徒は、校舎の床を蹴り砕いて飛びかかったソレに胸を蹴破られ、臓物と血を地面に撒き散らして暫くの間、小さな痙攣を起こし……やがて動かなくなった。
――ソレを前に呆然と立ち竦み、何も出来なくなってしまった信徒は、長らく放置されていたのだが……残り物を片付け忘れた事に気付いたように、最後の最後にただの握力と腕力だけで首の骨をへし折られ、抵抗する暇も無いまま呆気なく事切れた。
息つく間も無く次々と繰り広げられる蹂躙劇。当初は二十人を超える大部隊だった信徒達は凄まじい勢いで数を減らしていき……気付けば、部隊を預かる隊長格の三人を残すのみとなった。彼らは「静かなる狂気」で洗脳された一般人とは違い、純粋なルクセリオン構成員だ。
(クソッ! 何故だ、何故こうなった!? こんな化け物が学院に居るなんて聞いてないぞ!?)
一通り掃除を終え、同胞達の血だまりの上で獣のような荒い息を吐くソレを前に、三人の内の一人の男が心の中で悪態を漏らす。
彼らは、校舎内に取り残された学院関係者を抹殺する為に派遣された実働部隊だった。将来的な素質では劣っていたとしても、圧倒的な人数差と仕込まれた軍用魔法で、彼らは着実に生き残りを始末していったのだが、ある時に異変は起こった。
(そうだ……学院のある区域で同胞が次々と音信不通になっていると報告を受けて来てみれば……!)
指揮官・オルテウス=カイサーラの指示通りにこの場所にやって来た彼らを待っていたのは、一人の「少女」だった。初めはただの逃げ遅れた生徒だと思っていたのだが……少女の全身は返り血で真っ赤だったのだ。それにただならぬ「何か」を感じ取った彼らがすぐさま戦闘態勢に入ると同時に、少女が掛けていた「眼鏡」を外した次の瞬間、「獣」と化した少女が猛烈な勢いで彼らに襲い掛かり……この有様という訳だ。
(この惨状は何だ!? 俺達は悪い夢でも見ているのか!? …………ダメだ、落ち着け。冷静になるんだ)
半ば狂乱に陥りつつも、信徒達は最低限の冷静さを取り戻す。今の戦闘で分かった。自分達がどれだけ束になって掛かっても、この「獣」には指一本触れられない。ならば、それ以上の力を持つ者を連れて来なければ対処は不可能だ。丁度、この作戦にはあの機械仕掛けの剣士も参加している。彼ならば、この「獣」をどうにかすることも可能だろう。
だからこそこの情報を持ち帰る為にも、最低でも一人は必ず指揮官の元に戻らなければならない。でなければ自分達は完全な無駄死にだ。その事を彼らは目配せだけで正確に意思疎通した。全員、考える事は同じのようだ。
「ロッド、お前が行け!」
「此処は私達が必ず食い止めるわ!」
「ミリアナ、クロウ! お、お前達……!」
それぞれの名で呼ばれた男性と女性の信徒が「獣」の前に立ち塞がる。刹那の時間の間に彼らは理解したのだ。自分達の役目はこの場で一番優秀で報告に向かうべき人物を、文字通り死守する事だと。組織の末端に過ぎない彼らも、その忠誠心は本物だ。「悲願」の為に命を投げ出す事に、何の躊躇も抵抗も無い。
「早く行け!」
「くっ……済まない!」
ルクセリオンに入った当時から親しかった友人を背に、信徒の男は血に塗れた戦闘領域から離脱し、夜闇が微かに渦巻く薄暗き校舎の中を全力疾走する。
二人が囮になって一人が脱出する……なるほど、このような状況においては確かに最適解の選択だ。だが……この場における選択としては最悪の手だ。
「うぉおおおおおッ!!」
「【雄々しき炎獣よ・汝の燃ゆる激しき怒りで・――】ッ!」
決死の覚悟で剣を抜いて斬りかかり、その後ろで呪文を唱える信徒。最早、退路は必要無い。ただ自分の命を懸けて全力でこの人の形をした「獣」を食い止めるのみ。
「……■■■■■■ーーーーーッッ!!!!」
――その玉砕覚悟の突撃も虚しく、作戦は失敗に終わった。あろうことか、「獣」は人間が発するものとはかけ離れた叫び声を上げながら、少女らしい華奢そうな素足で床を蹴り砕き跳躍。
野獣の如き機敏な動きで彼らの頭上を通り抜け、報告の為に必死で離脱しようとしていた信徒に強烈な飛び蹴りをお見舞いした。
「がっ!? 何で俺、を……!」
胴体にかかる横殴りの衝撃は、男の肋骨を完膚なきまでにへし折るには十分過ぎる威力だった。壁に叩きつけられた際に砕かれた胸骨が肺に突き刺さったのか、男の口の端を赤い血の筋が流れる。
「……」
すたっ、と軽やかに着地した「獣」は暫くの間、ぐったりと力無く血で赤くなった壁にもたれかかる男を見下ろし……そして何の躊躇いも無く、槍の如き蹴りで男の頭蓋を木っ端みじんに叩き潰した。校舎のあちこちに散乱する脳漿と鮮血、死した人間で構成される「赤」がまた一つ増えるのだった。
自分達の決死の覚悟にも関わらず、守るべき対象を一番先に殺された信徒達は額に脂汗を浮かべながらジリジリと無意識の内に後ろへ徐々に退いていた。
(コイツ……! まさか自分の存在が俺達に露見する事を恐れてロッドを先に殺したのか!? 何て抜け目の無さだ!)
ただ本能のままに暴れる野獣かと思っていたがとんでもない。ソレの根底にあるのは途轍もない強かさだ。正確には、理性的な判断と言うよりかは、自然を生きる野生動物が持つ「本能」にも似た警戒心が故の行動だったのだが、それを知る術は彼らには無かった。
離脱要因である信徒を真っ先に殺された以上、彼らの作戦は根本から瓦解する。同時に、彼らの淡い希望は人の形をした「獣」の理不尽な圧倒的暴力によって跡形も無く打ち砕かれたのだ。
「■■■■■■ーーーーーッッ!!!」
「ひっ!?」
「に、逃げましょう!?」
「あの方」への忠誠心を通り越して生じる底無しの恐怖に、信徒達は背を向けて逃亡しようとする……だが、一度狙いを定めた得物を「狩人」は決して逃さない。「獣」は再び人外の叫びを上げながら彼らに向けて襲い掛かるのだった――
◆◇◆◇◆◇
「…………」
――それから間もなく、二十人を超える全ての信徒を物言わぬ肉塊に変えた「獣」は、濃厚な血だまりと化した床を見ながら探し物をしていた。時々死体となった信徒を踏みつけることがあったのだが、「獣」は全く意に介せず、むしろ邪魔そうに肉塊を蹴飛ばしては探索を続行する。
「……!」
やがて、少女は床から血で真っ赤に染まった一つの「眼鏡」を拾い上げた。激しい戦闘の中で所々に割れや欠けなどの損傷が見られるが、眼鏡として活用するには十分だし、「機能」も失われていない。
「……ふぅ……」
それを「獣」が自らの目にかけた次の瞬間、紫炎色の長髪がみるみる色を変化させていき……地味な黒髪になった。髪色の変化と共に今まで「少女」から放たれていた「獣」の如き気配と風格も一気に消え失せ、後には地味な眼鏡をかけた野暮ったい少女だけが残った。
「また、やってしまった……!」
一息ついた少女は周囲の惨状を認識すると、両手を顔に押し当てながら苦悶に呻く。彼女の心の底からは仕方ないという諦めの念と、自らを焼き尽くしかねない激しい後悔と憎悪の念が沸き上がってくる。
「誰か、私を助けて……」
凶悪なテロリストの死体の山を築き、その上で助けを求める少女のか細い声を聞き届けた者は、誰一人として居なかった――
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