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魔導帝国の英雄譚 〜そして少年は英雄になる〜  作者: 愚者
1章 学院生活編(上)~魔法嫌いの剣士~
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26話 撤退、そして……

 

 それからの戦いは、一方的な物だった。過剰出力による自壊を覚悟で出力制限を解除したヴァイスの攻撃はまさに圧倒的。戦闘開始後とは比べ物にならない力でアクトを攻め立てる。


 アクトも負けじと「限界突破」による膨大な魔力をその身に纏って一心不乱に攻め立てるが、完全に冷静さを欠いた彼の攻撃は全て簡単に受け流されてしまう。


 ヴァイスが投げかけた純粋な問いや言葉は、図らずしも彼から精神的余裕を奪っていたのである。そして――


「はあ、はあ、はぁ……」


 荒い息を吐きながら聖剣を地面に突き刺して杖代わりにするアクト。大きな傷こそ無いものの、総身には無数の小さな傷が刻まれており、見るも痛ましい姿となっていた。


「ようやく大人しくなりましたね。これで分かりましたか? 力の差や能力云々関係無く、今の君では僕には絶対に勝てません」

「黙れ……! まだまだこれからだ……!」


 ヴァイスも若干息を乱しているが、魔法金属で造られた体はほぼ無傷で、まだまだ余力がありそうだ。


「止めておいた方が良い。そうして立つのがやっとな状態で僕と張り合える訳が無いでしょう。それに、どうやら魔力も限界のようだ」


 見れば、戦闘開始直後では溢れんばかりに漲っていたアクトの魔力光は、今や弱々しい銀光と成り果てていた。それの意味する所は「限界突破」の活動限界、聖剣は彼の膨大な魔力の殆どを食い尽くしてしまったのだ。


 加えて、アクトは聖剣が引き出す圧倒的な潜在能力に振り回されていた。そもそも、アクトがエクスの精霊武具化を出来るようになったのは昨日の事なのだ。彼らは授業を丸一日サボってひたすらに魂の同調を試みていたのである。


 並みの人間ならば数年かけて習得するであろうモノを、僅か一日である程度身に付けただけでも十分驚くべき事なのだが……この戦闘においてはその経験不足が完全に裏目に出ていた。


「前は全力を以て倒すべき脅威と認識していましたが、今の君は僕が直接手を下すまでも無いただの雑魚です。逃げたければ逃げれば良い。最早、その辺りに居る『信徒』だけで十分事足りるでしょうから」

(マスター、これ以上の戦闘行為は危険です。一度撤退して魔力の回復を推奨します!)


 ヴァイスに加え頭の中でエクスまでもが逃げることを推奨してくるが、今のアクトの中に「撤退」の二文字は消え失せていた。目の前の怨敵を抹殺するまで、彼は止まらない。


「頼むからもう少しだけ力を貸してくれエクスッ!! うぉおおおおおッ!!」


 怒りに叫びながら地面を蹴って駆けだすが、魔力切れ寸前のアクトは速さも精細さも大きく低下している。「眼」を持つヴァイスには、今の彼はほぼ止まって見えていた。


「愚かな……【剣よ・不浄なる其の瘴気を解放せよ】」


 冷めきった目でヴァイスは何事かを呟き…刹那、その姿がブレた。僅か一瞬の交錯の後、互いに背を向けるようにして静止する両者。全てが静謐に包まれた空間の中で――


 ヒュパッ!


 アクトの全身から血の華が咲いた。渾身の一撃を難なく躱され、すれ違い様に無数の斬閃を刻まれたアクトは、力なくその場に膝をついた。傷はかなり深い物が多く、地面に大量の鮮血が広がっていく。


 膝をつき、血に塗れながらも、神々しい輝きを放つ聖剣だけは杖代わりにして離さないのが最後の意地だった。


「クソ、が……! 何で勝てないんだ……!」

「やれやれ、その無駄な根性だけは評価しますが、所詮は無意味です。君と僕とでは、抱えているモノの‟重さ”が違う」

「ぜぇ、ぜぇ……お、重さ……?」

「ええ。……聞けば、君は魔法をたいそう嫌っているそうですが、僕から言えば、その考え方自体が愚の骨頂と言わざるを得ませんね」

「何だと……!」


 コイツは一体、他人の根幹にどこまでも無遠慮に踏み入れば気が済むんだ……度を過ぎたヴァイスの不遜さに、アクトは激しき怒りに打ち震えるが、それとは対照的にその怒りをぶつける体は出血を伴い悲痛に叫ぶだけであった。


「例えば……軍用魔法が現代戦の主流となる前、まだ人類が剣と銃で戦っていた時代。戦場には『戦車』と呼ばれる兵器があったそうですよ。どんな悪路も余裕で突き進み、人体など容易く吹き飛ばせるような巨大な砲台を携えたその兵器は、戦場の主役とされていたそうです」

「……っ!」

「魔法や魔導技術が台頭するまでは、科学技術こそが戦争に主流だった。そして、君や僕が普段当たり前のように享受している生活の恩恵も、全て元を辿れば科学技術や魔導技術に行き着きます。そしてこの二つは、紛れもなく『闘争』によって培われた技術なのですよ。魔法に関しては、君もよく知るところでしょう?」


 失血によって霞みがかった意識の中、ここにきてアクトはヴァイスが言わんとしている事を理解した。


「分かりますか? 君が魔法を人殺しの技術として否定するというのは、それによって生じた魔導技術や科学技術、ひいてはそれを普段活用している君自身を否定することに他ならないのですよ。完全な自己矛盾、僕が君を取るに足らない相手と判断したのはその部分です。くだらない感傷で現実から目を逸らし続けている人間の一体どこに、強き意思が宿ると言うのでしょうか?」


 違う、それだけは絶対に違う。それは結局、魔法による人殺しや戦争を正当化するための詭弁だ。魔法の脅威が何の力も無い人々に向けられた時の悲惨さを……魔法が抱える危険性は絶対に存在する。


 魔法を人殺しの道具と嫌う者として、自分はそれを奴に突き付けなければならない。だが――


(何でだ、何でだよ!? どうして俺は、コイツに一言も言い返せないんだ!?)


 人殺しの道具である魔法を絶対に認めないという確固たる意志が筈なのに、何も言い返せない。まるで口が開かない呪いにでもかかったかのように、アクトはヴァイスに何一つ反論することが出来なかった。


「要するに、君は非常な現実の前に理想を捨てきれないただのガキだという事です。ここまでくると、愚かさを通り越して哀れすら感じますね。本当なら逃がしても良かったのですが、その聖剣の事も含めて変に足掻かれても困りますし、当初の予定通り殺すとしましょう」


 嘲るような笑みを浮かべ、ヴァイスはアクトの首筋に魔剣を当てる。何とか体を動かそうと躍起になるアクトだが、返って来るのはのたうち回るような鋭い痛みと全身から噴き出す鮮血だけだ。


(ああ、もうダメだなコレ。意外とあっけねえ終わりだったな……こんな奴に言葉でも力でも完敗するなんて、我が事ながら情けない話だ)


 剣士として何時でも死ぬ覚悟はしているが、まさかこんな場所で最期を迎えるとは……死の淵に立つアクトの脳裏には、彼に所縁のある様々な人物の顔が洪水のように流れていた。俗に言う走馬灯の中には傭兵時代に共に戦場を生き抜いた戦友達や「彼女」、エレオノーラなどの姿があった。


(……悪いな。どうやら、本当にお前らの所には戻れそうにないぜ……)


 走馬灯の最後に、赤髪の強気な少女と金髪の優しき少女の顔が浮かび、苦笑しながらやがて訪れる死に目蓋を閉じようとした――その時だった。


「【紅蓮に染まれ・怒りの炎よ】――【()の者を追え】!」


 突如、上空から降り注いだ少女の声――呪文。形成されたゲートから灼熱の火炎流が渦を巻いて放たれ、アクト達を消し炭にせんと襲い掛かる。体の殆どが魔導義体のヴァイスでもこの炎はひとたまりも無い。瞬時に彼はその場から退避しようとするが、


「なっ!?」


 その驚きはヴァイスのもの。何と、放たれた火炎流は倒れ伏すアクトの頭上ギリギリを掠めるようにして軌道を変更、丁度回避行動をとったヴァイスを飲み込んだ。


「コロ、ナ……?」

「何してんのよこの馬鹿! リネア、後お願い! アタシは直ぐに準備するから!」

「うん! 任せてコロナ!」


 上空から降り立った二人の人物――コロナとリネアは血だまりに沈むアクトを他所に、コロナは指で必死に地面へ何かの紋様を描き、リネアは火炎に飲まれたヴァイスの方を見据えている。


「まさか、此処で君達が出張って来るとは。流石に想定外でしたよ」


 燃え盛る火炎の中から現れる人影――ヴァイスは外套の至る所を焦げ付かせ、初めて焦燥の感情を露わにする。恐らく「紅蓮咆哮」であろう魔法を受けて姿形を保っていられるのは流石の化け物っぷりだが、その動きは鈍い。


「マズい……! 早く逃げろ、お前らじゃアイツは止められない……!」


 近距離での攻撃手段を持たないコロナ達ではヴァイスには手も足も出ない。一瞬で蹴散らされるのみだ。傷口が開くのもお構いなしに悲痛に叫ぶアクトだが、リネアはそんな彼に脂汗を浮かべながらも力強く微笑む。


「大丈夫だよアクト君。【起動】、【起動】、【起動】――!」


 先程に比べればかなり遅いが、それでも高速で接近してリネアを斬り刻まんと疾走するヴァイスに向けて、彼女は短い呪文を唱えながら手に持つ何かを一斉に投擲する。一見小さな石にしか見えないそれらが疾走するヴァイスの正面に至ったその時、


「くっ!?」


 三つの石から強烈な光が指向性を持って迸る。視界を白一色に染める程の閃光を至近距離で直視してしまったヴァイスは思わず足を止めて後退った。リネアが投げたのは、警備官や軍が暴徒鎮圧用に用いる「閃光結晶」と呼ばれる魔道具だ。


 完全無欠の化け物じみた力を持っていても、脆弱な部分を突かれればその限りでは無い。時間稼ぎとしては満点の回答を示したリネアは、自分が血に濡れるのも構わずアクトを軽々とその華奢な肩に担ぐ。系統外魔法《剛力ノ解放(フィジカル・ブースト)》による身体能力強化のお陰だ。


「アクト君とエクス回収出来たよ!」

「こっちも準備出来たわ。設置法陣起動――《巡る円環よ・此方は彼方に・彼方は此方に】!」


 アクトを担いだリネアがコロナの近くに寄ると同時に、彼女が必死に描いていた紋様もとい法陣が完成。唱えられた呪文で無系統《同質量転移(アポート)》が発動。


 土壇場で描かれた五芒星魔法陣に魔力光が走り……法陣の中央に居る三人はフッ、とかき消えるようにその姿を眩ますのだった。


「くっ……閃光結晶とは小癪な。ですが逃がさな――!」


 ようやく視界を回復させたヴァイスが再び仕掛けようと魔剣を構える……其処に三人の姿は無く、代わりに複数のソレはm彼を見下ろすようにして佇んでいた。石を積み上げて作られたような人造の巨人――ゴーレムは、暫くの間何もせずに佇んでいたが、赤く光る双眼でヴァイスの姿を認識するとゴゴゴゴ……と音を立てて動き出した。


(このゴーレム、一体何処から……なるほど。予め仕掛けておいたもう一つの法陣にゴーレムを配置、《同質量転移》で位置を交換した訳ですか。中々の手際だ)


 敵意や殺意を持つ人間を迎撃するよう設定されているのだろう。石造りのゴーレム達は六つの巨腕を振り上げて猛然とヴァイスに襲い掛かる。撤退した際に敵を迎え撃つことまで織り込みずみだったという事だ。


 自分が発した殺気に当てられ、魔法が抱える暗黒面を知っただけで打ちひしがれるような、か弱い少女とは思えない手際の良さに、ヴァイスは少しだけコロナへの認識を改めることにした。結局のところ、彼は抹殺対象であるあの赤髪の少女を学生というだけで侮っていたのだ。


(仕方ありません。彼らは「信徒」を放って捜索させるとしましょう。……それに、彼はもう助からない)


 この「不浄」を司る精霊が宿る魔剣に斬られた者の末路を知るヴァイスは独り不気味に笑いながら、自分に襲い掛かるゴーレム達を相手にするのだった――



◆◇◆◇◆◇


 

 学院の魔法演習用倉庫にて……薄暗く広めの空間の床に描かれた五芒星の紋様――魔法陣に突如、七色の魔力光が走り、法陣が起動する。倉庫内全体を眩く照らす光が治まり――其処には、三人の男女の姿があった。


「良かった、何とか上手く行った……!」

「まだ終わって無いわよ! アクトの容態は!?」


 安堵するのも束の間、リネアは肩に担ぐ血まみれで酷い状態のアクトを床に寝かせる。彼が終始握りしめていた聖剣は、何時の間にか元のアロンダイトに戻っており、精霊の気配は無い。


「辛うじて息はあるけど、出血が酷いよ……」

「とにかく服を脱がせて治癒魔法を。アタシじゃリネアみたいに上手く出来ないから頼むわ!」

「う、うん。じゃあ、失礼して……【慈悲深き天使よ・其の癒しを我が腕に】」


 リネアは血で真っ赤に染まったアクトの制服を脱がし、引き締まった筋肉質な体を晒す。そして、治癒や精神系などの人体に作用する魔法に天賦の才があるリネアは治癒《慈愛ノ御手(ヒール・ライト)》をありったけの魔力を込めて発動。


 彼女の指先に灯る温かな光が肌を通してアクトを包み込んで癒していく……だが、癒しの光はまったく効果を発揮せず、彼の治癒を拒む。


「なっ!? ど、どうして!? 治癒魔法自体はちゃんと発動してる筈なのに……」

「落ち着いて。リネアの治癒が効かない筈無いわ。きっと何か理由が……そうだわ、エクス! 居るんでしょ、出て来なさいよ!」


 不測の事態にも動じること無くコロナは一見、何も無い空間に向けてその名を叫ぶ。すると、何処からともなく現れた金色の粒子が人型を形作るようにして光り輝き――其処には学院の制服を纏った剣精霊・エクスが居た。


「呼びましたかコロナ?」

「呼びましたかじゃ無いわよ! アンタ、自分の主が死にかけの時に黙って傍観決め込むつもり!?」

「申し訳ありません。リネアの治癒が効かない原因を、マスターと魂を深く同調させて精査していましたので一時、霊体化していました」

「え? あ、そうなの? 悪かったわね……」


 相変わらず感情の起伏が無い無表情だが、どうやらエクスもアクトの為に自分が出来る事を全力でしていたらしい。


「……これですね。マスターの治癒を阻害しているのは、極めて強力な『呪縛(カース)』のようです」

「呪縛?」

「はい。恐らくはあの者が使役していた()()()()()()が持つ『不浄』の権能と思われます。この権能は対象のあらゆる治癒を絶対阻害する呪いであり、私の権能で少し中和出来ますが、根本的な治療にはなりません……」


 治癒の絶対阻害……そんな殺意以外の何者でも無い邪悪に満ち溢れた力に、コロナ達は大きな憤りを覚えた。こんな力が自分達がいずれ至るであろう場所で日常的に振るわれる力なのか、と。このままではいずれアクトは大量出血で失血死するだろう。


(……落ち着いて。それに今怒っても何も変わらないし、アクトも助からない。何か、何かないの……あった! 一つだけ、とっておきの物が!)


 思い立ったが早い。コロナは自分の赤いツインテールを括っている留め具の一つを外し、だらりと髪を片方床に垂らす。留め具は何かの小物入れになっており、空けると中には怪しげな液体を内包した小さなガラス容器が入っていた。


 見れば、容器には物質の構造情報を強化する「硬化魔法」のルーン刻印が施されており、ちょっとやそっとの衝撃では割れないようになっていた。


「これを使うわ」

「待ってコロナ!? それって、コロナのご両親の形見じゃ……」

「貴族たる者、困っている人間を、ましてや死にかけの人間を見放すなんて出来ないわ」


 そんな風に苦笑しながら、コロナは容器の蓋を開け、中のドロッとした液体を呼吸が浅くなったアクトの口へ流し込む。彼女には確信があった。幾ら精霊の呪いであろうと、この薬の前には成す術無く消え去るのみだと。何故ならこれは、人類が紡いできた歴史の中でも、最高傑作と言われる究極の秘薬なのだから。


 変化は直ぐに現れた。アクトに刻まれた無数の切り傷はみるみる内に塞がっていき……まるで初めからそんな傷など無かったかのように元通りになってしまったのだ。


 それだけでは無い。先程までは弱々しかったアクトの呼吸も徐々に戻っていき、それどころか総身を巡る魔力すら急激な回復の傾向を見せていたのだ。


「これはもしや、古より伝わる究極の秘薬……!」

「そうよ。イグニス家に保管されていた霊薬『万能霊薬(エリクサー)』」


 珍しく感嘆の声を上げるエクス。そう、彼女がアクトに飲ませたのは「万能霊薬」。調合素材はおろか調合手順も失われて久しいそれは、一滴地面に垂らせばどれだけ穢れた不毛の土地ですら緑豊かな大地に変え、人体が服用すれば即死でない限りはどのような傷も瞬く間に治してしまう、文字通り万能の秘薬だ。


「……うっ」


 傷が完治して暫くすると、アクトの目が徐々に見開かれる。痛みを感じるどころか体は信じられない程に軽く、使い切った筈の魔力も暴れるくらい体の内側で漲っている。今なら何でも出来そうだ。


「此処は……演習用の倉庫、か」

「アクト君!」

「マスター!」


 そんなアクトをリネアとエクスが覗き込むようにして話しかけてくる。エクスは心なしか安堵した穏やかな表情で、リネアに至っては目を涙で潤ませていた。方法は分からないが、改めて自分は死の淵から彼女達によって助け出されたのだと、彼は体をむくりと起こして何故か乱れた制服を正す。


「ふぅ……疲れたぁ……」


 緊張の糸が切れたのだろう。コロナは思わずその場にへたり込んでしまった。今思えば、完全に心が折れていた状態からよくぞこれだけの事を出来たものだと、内心自分に感心していた。


 特に何かがあった訳でも無い……だが、この戦いが終わればこの黒髪の少年は、何処か自分達の知らない遠い所に行ってしまうのではないか?そんな不安を呼ぶ予感が、気付けばコロナをここまで突き動かしていたのだ。


「ようやくお目覚めね、この馬鹿。めちゃくちゃ貴重な『万能霊薬』を使った甲斐もあるってもんだわ……良かった……!」


 へたり込みながらも相も変わらず強気な態度を見せるコロナだが、ふと彼女の頬から一筋の涙が床に零れ落ちる。


「泣いてるのか、コロナ……?」

「はぁ!? バッカじゃないの!? どうしてアタシがアンタの為に涙しなきゃならないのよ!?」


 何故か突然キレだすコロナの剣幕に、アクトは思わず怯んでしまう。やはりアクトには彼女の怒りのポイントが理解出来なかった。


「それはそうと……どうやら助けられちまったみたいだな。ありがとな、三人共」


 アクトの心からの礼に彼女達は三者三様の反応を示す。


「で、これからどうするの? 何とか『同質量転移』で逃げることは出来たけど、いずれ此処もバレるでしょうね」

「……分かってる。だから俺は、もう一度ヴァイスの野郎に戦いを挑む。恐らく奴はこの襲撃を計画した連中の中でも幹部クラスの筈だ。幸い、お前が使ってくれた薬のお陰で魔力もほぼ回復してる。奴を倒して、結界を制御してる術者も倒せば、このクソッタレな状況も少しはマシになるだろうさ」


 殺されかけたにも関わらず、アクトは何処までもヴァイスへ殺意を向けるのを止めない。むしろ、二度にわたる敗北で殊更戦意を漲らせていた。そんなアクトにコロナは苦々しい表情で話し始める。


「……また、アイツと戦うつもりなのね。止めなさい。アタシでも分かる。平静を装っているけど、今のアンタは明らかに冷静さを失っているわ。そんな状態でアイツと戦っても、また殺されかけるのがオチよ。もう『万能霊薬』も無いし、今度こそ死ぬわよ」


 コロナの指摘はもっともだった。霊薬のお陰で体力・魔力共に最高潮のアクトだが、その心は燃え盛る憎悪と殺意で満ち溢れている。冷静さを欠いた状態では、あの人外の剣士を倒すことは出来ないだろう。彼自身、その事は痛い程よく分かっている。分かっているのだが――


「……そうだな。でも、これは俺一人で片付けなきゃならない戦いなんだ。‟あいつら”を侮辱した奴を殺して、もう一度前へ進む為に……だから――」


 パチンッ!!


 アクトの言葉を遮るように爽快な音が倉庫内に響き渡る。見れば、苦しそうな表情で話していたアクトの頬を、風を切ったコロナの手が思いっ切り張った音だった。傍で見たいたリネアとエクスは驚きの表情を浮かべている。


「えっ……?」

「いい加減にしなさい。何でもかんでも俺一人俺一人って、思春期真っ盛りの子供なのアンタ?」


 赤く腫れた頬を抑えながら、何が何だか分からないといった様子のアクトに、コロナはまくし立てまくる。


「いい? この非常事態に協力しないのはナンセンスだって言ってるのよ。どうせ、アンタの中じゃアタシ達は守るべき対象とかどうとか思ってるんでしょうけど……下に見るのも大概にしなさいよ!」

「なっ……! お前らだって、俺が居なきゃとっくに『信徒』に殺されてたかもしれないんだぞ!? それに、お前らを庇いながらヴァイスの野郎と戦うなんて無理なんだよ!」


 もの凄い剣幕で怒るコロナに負けじとアクトも反論するが……普段の喧嘩の経験値が成せる賜物か、舌戦ではコロナの方が一枚も二枚も上手だった。


「だーかーら、守るっていう前提がおかしいのよ! アタシ達は別にアンタの家族でも何でも無い、一人の魔道士よ。自分に降りかかる火の粉は自分で払うのが当たり前、分かった!?」

「はっ、学院の惨状を見て吐いたり魔法の暗黒面知っただけで心折れてるようなメンタル最弱女にだけは言われたくないな! メンタルって点じゃ、リネアの方が何倍も分厚いぞ!」

「ぐぅ……! それはそれ、これはこれよ! アタシがその気になったらあんな連中ものの数じゃ無いわ!」

「そんな無茶苦茶な!?」


 リネアとエクスの呆れるような視線もお構いなしに言い合う二人。最早、これからの行動方針を決める話し合いは彼方へ消し飛び、日常的に繰り広げられていた何時もの喧嘩と成り果てていた。


「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……もう放っておいてくれよ! 俺は俺の好きにやるだけだ!」

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……助けられた分際で何ほざいてるのよ!」


 互いに息を切らしながらそれでも尚、二人は言い合いを止めない。だが、状況が泥沼の様相を呈してきたところで、コロナは急に声のトーンを落とし、神妙な面持ちで話し始める。


「……アンタの治療してる時に見たわ。その、傷だらけの体をね」


 ヴァイスに付けられた無数の傷に隠れていて全部は見えなかったが、アクトの体には襲撃以前に付けられたと思しき傷跡が無数にあった。ざっと見ただけでも切創・裂創・刺創は当たり前。酷い火傷跡や凍傷跡なども沢山混じっている。まさに傷のオンパレード、人体が負う傷痕の殆どがたかが人間一人の小さな体に展開されていた。


「……そうか。変なもの見せて悪かったな」

「別にそれは良いのよ。でも……校内戦の時はあんまり実感湧かなかったけど、今ならアンタの根源が分かる気がするわ」


 魔法を使わず剣だけで魔道士と戦う……口で言うのは簡単だが、いざ実践してみれば待っているのは地獄だ。幾らアクトに「魔道士殺し」という切り札があっても、まだ成人すらしていない少年が生き抜くには、現代の戦場は過酷過ぎる。何度打ちのめされ、何度殺されかけたなど分かったものでは無い。この少年は本当に、自分達とは真逆の生活を送って来たのだろう。


 ひとしきり騒いだお陰か、アクトに少し冷静な判断力が戻ってくる。代わりにその口から吐露されたのは――普段の彼からは考えられないくらいに掠れた弱音だった。


「……さっき、あの野郎に言われたよ。俺は現実を見るのを怖がって理想にしがみついてるガキだって。魔法を嫌いながら魔法が無ければ生きていけない自己矛盾の塊だってな」

「……」

「魔法が人殺しの道具だってのは純然たる事実だ。その事実から目をつぶろうとしてる奴に、俺は奴に何一つ反論出来なかった。……本当は心の底では分かっていたんだ。そんなもんは元を辿れば全部、建前と言い訳だって。俺の力が無かったばっかりに大切な人達を守れなかった後悔を、勝手に魔法の所為にして忘れようとして、そのクセいざ話を持ち出されるとずるずる引き摺っちまう……本当にガキだよ、俺は」


 一度話し始め、堰を切ったように語り続けるアクト。そんな彼の丸まった背中は、コロナの目にはまるで生涯を全うした老人のように弱弱しく見えていた。一体、如何なる経験をすればこの歳にして人生に疲れ切ったような気配を纏えるのか。少年の底知れなく深い部分を目の当たりにして、コロナには彼の事がますます分からなくなってきた。


 だが――だからこそ、コロナには彼に言わなければならない事があるのだ。


「……確かにアタシ達は、アンタの過去をよく知らない。アタシ達とアンタじゃ、きっと今までに積んできた人生の経験が違い過ぎるのね。だから、アタシ達にはアンタが今まで背負って来た沢山の苦しみや悲しみを分かち合う事は出来ないわ。でも――」


 この少年は、あまりにも過去に縛られ過ぎている。過去に引き摺られ、勝手に現実に見切りを付けてしまっているのだ。思いを分かち合えることは出来なくとも、その気持ちは痛いほどに理解出来る。何故なら、()()()()()だから。


 忘れることの出来ないあの‟炎の夜”、「アレ」から両親が必死に自分と姉を逃がそうとしてくれていた中、父から魔法の英才教育を受けていたにも関わらず、自分は何も出来なかった。あの日の出来事は、今も身を焦がす後悔となって自分の精神を苛んでいる。


 だからこそ、だからこそ言える事があるのだ……!


「今こうして、未来を一緒に生きることは出来る。今日明日を生き抜く為に、手を取り合う事は出来るわ。そして! アンタがアタシ達を救ってくれたように、アタシ達もアンタを助ける『恩義』がある……いいえ、そんな物は最早、建前よ。率直に言うわ…今度は、アタシ達にアンタを助けさせてよ!」

「……ッ!」


 それは、コロナ=の心からの叫びであった。過去を否定するのでも引き摺るのでもなく、ただ未来を生きるという第三の選択肢を突きつけられたアクトは、自分の中で凍り付いた考えと心から温かい「何か」が総身を巡っていくのを感じた。


「でも、俺は……」

「あーもう、本当にアンタって奴は頑固とうか優柔不断ね。……なら仕方ない。アンタにはきちんとした理由を与えてあげるわ」

「……?」

「貴族にはね、『主と騎士の契約』っていう物があるの。一人の騎士が一人の主に対して永遠の忠誠を誓う代償として、主もその騎士に正しい道を歩ませ続けるっていう風習。今じゃ取り入れてる貴族は殆ど無いでしょうけど、細かい事は無しよ」


 唐突に何を言い出すのかと怪訝な表情を浮かべるアクトに対し、コロナは佇まいを正してアクトに自分の左手を差し出す。握手をするには少し低い高さだ。


「これは契約よ、アクト=セレンシア。アンタはアタシが曲がらないよう全力と支えると同時に、アタシもアンタを過去に落ちないよう未来に引っ張り続けるわ。戦う理由が無いと言うのならアタシが見つけてあげる。休める居場所が無いと言うのなら、アタシが与えてあげる! だから、この手を取りなさい!」

「……ッ!」


 伸ばされた手に対し、その意味を理解したアクトは猛烈な葛藤の中に居た。正直、色々な情報が一度に錯綜してかなり混乱していたのだ。だが、自分の目の前に堂々と立つ赤髪の少女の強気な笑顔は、どうしようもなく眩しく思えた。それこそ、自分の剣を捧げて良いと思える程の――


「俺は……」


 ガァアアアアンッ!!


「「「「――ッ!??」」」」


 その時、大きな爆発音と共に倉庫の大扉が盛大に吹き飛び、外の光が薄暗い倉庫を満遍なく照らす。衝撃で巻き起こる埃や土煙の中から姿を現す複数の人影。其処に居たのは――大量の白外套――ルクセリオンの「信徒」達であった。その死人のような虚ろな目がアクト達を認識すると、彼らは一様に魔法を詠唱し始め――


「「邪魔すんなっ!!」」


 瞬時に制圧された。正確にはこの至近距離にも関わらず遅々とした軍用魔法の呪文を唱える彼らを、キレ気味のアクトが拳撃・蹴撃で一網打尽に、遅れて発動したコロナの魔法が彼らの意識を完全に刈り取った。


 リネアが唱えた《呪縛魔鎖》で一先ず白外套達を捕縛した一行だが、学院に続く森の方からは複数の足音が聞こえてくる。この状況で味方が来るとは思えない。間違いなく増援だ。


「ったく、空気読みやがれってんだ。おいコロナ、話は後だ。先ずはコイツらをぶちのめす! 来てくれ、エクス!」

「ええ! そして散々アタシ達を振り回してくれたあの男に目にもの見せてやるのよ! リネア、援護して!」


 意気揚々と倉庫から飛び出す二人の後ろ姿を見たリネアとエクスは互いに顔を見合わせ、そして何処か呆れたような表情を浮かべ、彼らの後を追うのだった。



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