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魔導帝国の英雄譚 〜そして少年は英雄になる〜  作者: 愚者
1章 学院生活編(上)~魔法嫌いの剣士~
26/132

22話 動き出す悪意、崩れ去る日常

 

 それは、「日常」という曖昧な単語が音を立てて崩れ落ちる瞬間であった。後に「第一次オーフェン事変」と称されるこの事件は、これに関わった全ての人間の心に深く刻まれるだろう。有事はいつ、何処でも、自分達の都合に関係無くやって来て、自分達から全てを奪い去って行くのだと……


 学院の授業を一日サボったアクト(+エクス)は、次の日には何時もと同じようにコロナ達と共に学院へ登校した。昨日あやふやにされた事を問いただそうとしたコロナだったが、結果はお察しの通りだった。そして、


「ふぁ~~~」

「呑気ねー。でも、これだけ天気が良いと欠伸の一つや二つ出ても……ふぁ……」

「あはは、そういうコロナも欠伸出てるよ」


 雲一つない晴天の下、アクトは大きな欠伸を一つ。コロナが呆れたような反応を示すが、彼に釣られて自分も短い欠伸を吐いてしまい、リネアが朗らかに笑う。


 時刻は午前中の授業を終え、今は昼休みだ。今日は何時もの学食を避けて一行は密かに屋上へ上がり、其処で午後の穏やかな一時を過ごしていた。


「しかしまあ、よくこれだけの物を一晩で用意出来たもんだ。エクスも美味そうに食ってるし、流石だな、リネア」


 アクトの視線の先には、バスケットに詰められた色とりどりの昼食が並んでいた。先程から一言も喋らないエクスは、リネア謹製のサンドウィッチを熱心に頬張っている。どうにもこの精霊、人間の生活の中でも特に食事に関する関心が強く、妙な食い意地を張っている。


「えへへ、ありがとう。ちょっと作り過ぎちゃったけど、やっぱり自分が作った料理を美味しそうに食べてもらえるのが、作る人にとっては一番のご褒美だよね」

「分かる分かる。俺も、此処に来る前は師匠の飯は俺が作ってたからその気持ち分かるぜ」


 アクトの素直な賞賛に、リネアは傍で自分の作った料理を熱心に食べるエクスの頭を撫でながら、嬉しそうにはにかむ。その後も二人は料理談議に花を咲かせ、それを傍で見ていたコロナが恨めし気な表情でサンドウィッチを摘まんでいた。


 そんなこんなで、彼らの昼の一時は優雅に過ぎていく。


「あ、そういえば、次の授業は集会所でだっけか?」

「ええ。外部から招かれた魔法講師による特別授業よ。楽しみよね、ウチに他所から授業に来る教師なんて滅多に居ないのだもの。その逆はいっぱいあるのだけど」


 コロナの言う通り、ガラード帝国魔法学院は帝国最高峰の魔法科学院だ。此処に在籍する教師は皆一様に各種魔法界隈の第一人者である事が多い。そんな魔法科学院に他所から教師が招かれるというのは、その者がとびきり優秀な魔道士である証拠なのだ。


 その特別講師が執り行う授業、学生の彼女らにとっては興味が湧かない訳が無い。


「けっ、他所の学院の授業なんて真っ平ごめんなんだがな」


 そうでない捻くれ者が約一名居るのだが。


「あら、アンタにとっては他の学院の事を見極める良い機会じゃない?」

「……まあ、そうかもな」


 コロナの指摘に一理あると思うアクト。確かに、この学院生活を通して魔法の在り方について見極めようとも、此処だけでは偏った知見しか得られないだろう。彼女の言葉はあながち間違いでは無いのだ。むしろ、目標を達成する為の一歩ですらある。


「移動の時間もあるし、そろそろ移動しなきゃね。残った分のお昼は夕飯にでもしよっか」

「……え? ああ、そうだな。おーいエクス、そろそろ行く、ぞ……?」


 移動の為に床に並べられたバスケットを回収しようとするアクトだったが、次第に言葉が途切れ途切れになっていく。彼が見たのは、あれだけあった料理を殆ど平らげ、未だに口を動かしている自身の契約精霊の姿だった。


「もぐもぐ……リネア、お代わりは無いのですか?」

「「「まだ食べるの(か)!?」」」


 謎に食い意地の強い上位精霊に、三人は揃って素っ頓狂な声を上げた。


 ◆◇◆◇◆◇


 他学院の魔法講師による特別授業は、受講希望を出した一部の高等部一年次生と全二年次生の合同で行われることになっている。そもそも、今日この学院に居る生徒は彼らだけであって、休息日を除いて週に何日か休みのある中等部と進学や就職活動で忙しい三年次生の姿は無い。


 若干数、休日にも関わらず勉学に励む中等部生と進路が既に決まって自由な時間を過ごす三年次生も居るが、何時もは生徒達の声で賑わう学院は、今日は一段と静かであった。


 現在学院内に敷設された大きな集会所には沢山の生徒や教師陣が静かに着席し、授業の開始を今か今かと待っていた。その中にはアクト達は勿論、マグナやローレン、クライヴ……文字通り全ての二年次生の姿があった。


 彼らの興味は前方の大きなステージ上に設置された大きな教卓に注がれている。ちなみに、学院の最高責任者であるエレオノーラは本日、帝都で開催されている学会に出張中の為、欠席している。


 ゴーンーゴーンーゴーン――


 大時計塔の鐘の音が鳴り響き、授業開始の合図を告げる。それと同時に、ステージ脇の舞台裏から一人の男性が姿を現した。年齢は三十代前半、あまり覇気が感じられない優男だ。小奇麗な金髪を真ん中で二つに分け、魔道士礼服に身を包んでいる。


「どうも皆さんこんにちは。僕はマーズ=ルキウス、この度『私立エリネイス魔法学院』より、このガラード帝国魔法学院に特別講師として派遣されました。我ら帝国が誇る最高学府で日々、魔法を学ぶ皆さんにとって、少しでも有意義な時間だったと思えるよう今回の授業を始めさせてもらいます。どうぞよろしくお願い致します」


 男性――マーズのとても律義で礼儀正しい挨拶に、まだ授業開始前にも関わらず、集会所は彼らの拍手の喧噪で満たされた。……ただ一人を除いて。


(……ん? 何だ、今の感じ……)


 生徒達が拍手を送っている間、最後列の席に座るアクトは不自然な魔力の流れを感じた。魔力ならばこの場の誰しもが持っている当たり前の力だが、戦闘や魔法行使時以外に魔力を励起させる理由は無い。しかも、今の不自然な魔力はこれだけの人数が居る中からはっきりと感じられる程の物だった。


(……何か猛烈に『嫌な予感』がするな。だが、確証が無い。今、俺一人が叫んだところで此処からつまみ出されるのがオチだ……せめてアイツらだけには伝えるべきか……?)


 アクトは中央列辺りに座るコロナとリネアに視線を向ける。二人は周囲同様、マーズに拍手を送っている最中で、彼の事を気に留める様子も無い。


(ダメか……仕方ねぇ。一先ず、様子を見るしかないな……)


 この場で一人謎の焦燥感に駆り立てられるアクトを置き去りにし、講義が始める。


「本日皆さんにお教えしたいと思うのは……ずばり、『神学』です」


 教卓に備え付けられた音を増幅する魔導器「音響増幅器」で彼が喋った「神学」、その単語に会場中がどよめきに包まれる。てっきり最新の現代魔法学の講義でもするのかと生徒や教師達は思っていたのだ。落胆、とは違うが、驚いているのは確かだ。


「ご静粛に。皆さんもご存知の通り、神学は現代魔法学においてはマイナーな立ち位置にあります。しかし、それだけに皆さんの知らない無数の可能性が神学には存在するのです」


 そんな彼らの反応を予期していた言わんばかりに、マーズはすぐさま興味をそそる言葉で意識を繋ぎ、授業を進める。


「先ず、皆さんに一つありきたりな質問をしたいと思います……この世界に『神』や『悪魔』は実在するでしょうか? この答えは勿論知っていますよね? 答えは、『否』です」


 この問答は現代魔法学においては使い古された古典的な物だ。


 「神」や「悪魔」、「天使」……即ち超常的な力を持つ彼らは、人間の意識が生み出した空想の存在だ。遥か太古から人々が在りもしない幻想に信仰を捧げ続けた結果、深層意識で世界と繋がっている彼らの無数の願いが一つの概念として集まり、超常の存在を生み出したのである。


 より正確には、現実世界と虚構世界の丁度中間に位置する場所「何処でも無い場所」に存在を獲得したと言われている。


「しかし、しかしです。『神』が本当に空想上の存在であるのなら、この世界に確かに存在しているモノ――『精霊』は何処から現れたのでしょうか? そして、彼らを生み出したとされる『始まりの精霊』は一体、何処から現れたのでしょうか?」


 マーズの主張は精霊という存在そのものへの核心を突いた問いかけだった。アクトの隣で彼の話を聞いている当のご本人様も、心なしか熱心に聞き入っているように見えた。エクスとて、自身の起源には興味があるのだろうか。


 その後、マーズは懇切丁寧に自身が提唱する神学について説明していった。各種古代文献の引用から遺跡調査による検証結果に、彼独自の特別な解釈を加えた有意義な講義だ。神々を病的なまでに崇拝する狂信者の妄言ような物では無く、理論と調査で着実に真理を追い求める実に魔道士らしい物だった。


 ――だが、それ故に彼らは最後の最後まで気付くことが出来なかった。マーズの底の底、魂の根底にあるモノに……


「――強大な力を持つ精霊は自然その物と化して我々の前に降り立ち、時に恵みを、時に災いをもたらします。それは人々が進行してやまない『神』の御業と同じではないのでしょうか? 僕は今回、これらに対する一つの回答を用意して来ました……」


 それは誰がしたものか、はたまた全員なのか、ゴクリッと大きく息を呑む音が聞こえた。……だが、この場で唯一、アクトだけは額に嫌な汗を浮かべていた。


(おかしい、ある時から急に雰囲気が変わった……)


 嫌な汗が止まらない、動悸が収まらない……それは、剣士として数多の戦場を駆け抜けてきたアクトの()()()とでも言うべき、「死」に対する鋭敏な嗅覚の警鐘であった。


「精霊を生み出した張本人……それはこの世界に唯一()()()()神――『原初の神』なのですッ! 神話上で語られるような他の神々が空想上の存在『虚構神(ホローツ)』であるのに対し、『原初の神』は『現界神(デウスディア)』、()()()()()を保有する唯一の御方なのです! 彼の御方はお眠りに着く際、自身の代行者たる世界の管理機構として『始まりの精霊』をお造りになったのです! 生み出された『始まりの精霊』は与えられた数々の権能を分離存在の『精霊』に分け与え、より効率的に世界を管理する仕組みを作ったのです。つまり、『精霊』と『始まりの精霊』は『原初の神』の眷属神と言うべき存在なのですッ! これぞ彼の御方の偉大なる御業、『原初の神』こそが絶対の存在なのですッ! あははははははははははははッ!!!」


「原初の神」を語りだしてから、マーズは人が変わったかのように饒舌に語りだす。見れば、先程のような優男の表情は何処へやら、今の彼は病的なまでに目付きを悪くして、まるでこの場に存在しない「何か」に向けて恍惚の表情を向けている……正に「狂信者」のそれだ。


 「音響増幅器」がキーン!と音割れする程の彼の猛烈な剣幕に、最早彼以外の全員が付いてこれていなかった。


 ドクンッ――


「「「――ッ!?」」」


 その時、不審な魔力の流れ――アクトが先程一瞬感じた邪悪な魔力が胎動する。先刻と違い、今度はより強く放たれた魔力の気配を、アクト以外にも気付く者が現れた。


「さあ、今こそ皆さんの純粋で高潔な魂を我らが『原初の神』に捧げるのです! その暁には、彼の御方は必ずや皆さんを新たなる世界の地平へ御導きになるでしょう!」

「警備員、今すぐその男を取り押さえろッ!」


 突如として声を張り上げた教師――アクト達の担任であるクラサメ=レイヴンスは、凄まじい剣幕で舞台裏に待機している警備員に指示を出す。彼以外にも帝国軍から派遣されて来た凄腕の教師達も、それに続いて動き出す。


「駄目だ、これじゃ間に合わねぇ……! エクス、来い! 全員、今すぐその場に伏せろおおおおおおおおおッ!!」


 動き出したのは教師陣だけでは無かった。生徒の中で唯一、マーズの不審さに気付いたアクトはエクスを連れて大声を張り上げながら発条が爆ぜるような高速の踏み込みで床を蹴り、最優先保護対象――コロナとリネアの元に駆け寄る。瞬時に限界まで魔力放出をして行動強化を施した彼の動きは、人間が出せる限界を遥かに超えていた。


「わっ!?」

「きゃ!?」

「エクス、防御頼む!」

「お任せくださいマスター!」


 僅か三秒で距離を詰め切ったアクトによってコロナ達はその場に組み伏せられる。反射的にもがこうとする二人だが、アクトの驚異的な膂力がそれを許さない。そんな彼らをエクスは今尚、狂的な笑いを見せるマーズから守るように立ち塞がり、左手を前に突き出し、精霊としての超常の力を解放する。


「『真なる神』に栄光あれええええええええッ!!!」


 刹那、この場に居る全員の視界が白一色に染まった――


 ◆◇◆◇◆◇


「――う、ん……?」


 何かが焼け落ちるような焦げ臭い匂いで、コロナは目を覚ました。徐々に目を見開いて最初に目にしたものは、かけがえのない大切な親友の心配そうな顔だった。


「コロナ!? 良かった、目を覚ましたんだね……」

「リネア……此処、は……?」


 何故か異常に重い体をむくりと起こしたコロナが周囲を確認すると、其処は狭く薄暗い部屋の中だった。光源は扉の隙間から差す僅かな光のみだ。壁には魔法訓練用の的や簡易式の戦闘用ゴーレムが並べられており、どうやら此処は魔法演習の際に用いる道具をしまう為の倉庫のようだ。


「あれ……? 私達、集会所で授業を……はっ! そうだわ、クラサメ先生達が急に騒ぎ出したと思ったらアタシ達、あの時後ろから走って来たアクトに急に押さえつけられて、その後凄い爆発が……!」


 徐々に意識が鮮明になっていくコロナ。だが、記憶があるのは其処までだ。集会所前方のステージが急に爆発した時点で、彼女の意識はなくなっていた。


「リネア、アンタは何時から目を覚ましてたの?」

「ついさっきだよ。私達、アクト君に此処まで運ばれたみたいなんだ」

「アクトが? どうして分かるの?」

「分かるよ。だってほら、これが置かれてたんだもの」


 そう言って薄暗闇の中、リネアがコロナに見せつけたそれは、一本の鞘だった。見事な意匠が施されたそれは明らかに量産型の物では無い。そして、彼女にはそれが酷く見覚えのある物だった。


「これってアクトの剣の……なるほど、どうやら本当のようね。でも、どうして……」

「多分、何か理由があってアクト君は私達をこんな所に匿ったんだと思うんだけど……ねぇコロナ、一回外に出てみない? さっきから外で何回か大きな爆発音がしてるんだけど、もしかしたら学院で何かあったのかもしれないよ?」


 リネアの言う通り、アクトが何らかの理由で自分達を此処に匿ったのなら事態が終息するまでこの場所で防御を固めるのが得策……だが、そもそも何が起こっているのかが不明な以上、対策しようにもどうにもならない。加えて、アクトにとって自分達は保護対象という考え方が、コロナには妙に気に入らなかった。


「……そうね。仮に何かあったのなら、こんな所に何時までも居られないしね。アタシ達を置いて行ったアクトとも合流しなきゃならないし。でも、十分注意して行くわよ」

「うん、そうだね」


 そんな訳で、二人は早速行動を開始した。不測の事態に陥っても対応出来るよう、各種補助魔法や耐性魔法を一通り自身に施して十分に防御を固める。これならある程度の魔法攻撃なら防いでくれるだろう。


「……開けるわよ」

「……うん」


 準備が完了した二人は倉庫の扉を開けて外に出る。訓練用の倉庫は学院設備から少し離れた位置にある為、校舎に戻るには小さな天然林の中に設けられた道を歩かなければならない。


 幸い、出て早々何者かに襲われるような事は無かったが、森林の隙間からは黒い煙が立ち上っているのが見え、時折小規模の爆発音も聞こえる。何かあったのは確実だ。


 先刻まで快晴だった空は、何時の間にかやってきた薄暗い曇天が全てを覆い、不吉な予感を連想させる。やがて木々も少なり、視界が開けてきたその先には――


「「……え?」」


 それは、コロナ達の中で「日常」という言葉が意味を失い、音を立てて崩れ去る瞬間であった。


「どうして、こんな事になってるの……!」

「酷い……誰がこんな事を……!」


 目を大きく見開きながら、掠れるような声でコロナは呟く。その隣にポツンと立つリネアも顔を真っ青にしながら呟く。彼女達の視線の先に広がっていたのは……地獄だった。

 

 現代建築で造られた何時もの平穏な学院は変わりに変わり果てていた。校舎のあちこちからは大量の黒煙が空に立ち昇っており、激しく倒壊している。それだけでは無い。


「あれは……まさか、『軍用魔法』!?」


 学院の至る所では戦闘が勃発しているようだ。正確な物を目撃した訳では無いが、剣と剣とがぶつかりあう甲高い金属音と共に、自分達が操る初等魔法とは比べ物にならない威力で放たれた炎・氷・雷が猛威を振るい、宙に残滓として消えていく。


 そして、時折起こる大きな爆発音が空気を大きく震わせ、彼女達の動揺を増長させる。


 ドガァアアンッ!! ドチャッ、


「……え?」


 突如、比較的近くで起こった爆発。その衝撃によって宙から()()はコロナ達の直ぐ傍に落ちてきた。肉と骨が爆ぜるような生々しい音と共に落ちてきたそれは、


「ウィンディ……?」


 ()()は、彼女と同じクラスに所属している女子生徒だった。血まみれになって横たわる彼女は下半身を失い、上半身も内臓や骨の至る所までズタズタにされている……完全な死に体で、虚ろな目を彼女に向けていた。遅れて、鼻を刺すような血の匂いが漂ってくる。


「あ、ああ……!」

「コロナ、落ち着いて!?」


 コロナの脳裏に彼女との記憶が巡る。思えば大して仲良くは無かったが、時々ガールズトークに花を咲かせたり、隣の席になった事もあった。そんな彼女が今、自分とはかけ離れた状態――物言わぬ死体となっている。その事実がコロナの心を更に追い込み、蝕み、


「あ、ああ、嫌ぁあああああああああーーー!??」


 心の堤防が決壊した。目の前の悲惨な現実を前に、壊れたような彼女の悲痛な金切り声が、黒煙立ち昇る学院に響き渡る。


 倒壊した校舎や放たれる魔法に気を取られて気付くのが遅れたが……遂に彼女達は地面に転がる大量の()()……死体に気付いた。それらは全て、()()()()()()()()()()だ。焼死、凍死、感電死、物理的な斬殺、失血死……彼らの死因は様々であり、そして凄惨な死に様であった。


「ごほっごほっ!?? おえぇえええええッ!?」

「ごふっ……気を、気をしっかり持ってコロナ! 【汝が心に安らぎあれ】!」


 目の前に広がる凄惨極まりない光景に、思わずコロナはその場にしゃがみ込み、盛大に嘔吐してしまう。吐き出された吐瀉物が地面を流れている人の血と混ざりあい、得も言えぬ鼻を突き刺して余りある悪臭を放つ。


 リネアは持ち前の驚異的なメンタルで何とか持ちこたえて彼女に精神安定の魔法を施すが、その顔は青を通り越して最早死にかけで、今にも気絶しそうだ。


「……!?」


 その時だった。グロッキー状態の二人の前に、一人の人物が足音を立ててやって来る。年齢は先のマーズと同じ三十代前半の男性、全身を真っ白な外套で覆うという奇妙な服装のその男は、フードの奥底からまるで死人のような虚ろな目で二人の姿を認識すると、


「【猛々しき炎獣よ・――」

「――ッ!?」


 何と、いきなり呪文を詠唱し始めた。それはリネアの知識には無い知らない呪文ではあるが、彼女は直観的に、それが予め施した耐性魔法も何もかもお構いなしに、自分達の命を容易く奪う殺傷性の高い魔法と判断した。


「――激しき怒りのままに・――……」

「【阻め光の障壁よ】ッ!」


精神浄化(クリア・スピリット)》を施されたとはいえ、コロナは精神的動揺で男に命を狙われている事にすら気付いていない。よしんば気付けたとしても今の精神状態ではまともに魔法を発動出来ないだろう。


 ならば、自分が何とかするしか無い。ゆっくりと呪文を唱える男に対し、彼女は《守護光壁(バリア・シールド)》を発動。自分とコロナの二人分を覆えるよう大きめの防御障壁を展開した。


「――我が眼を真紅に染め上げろ】……」


 発動する軍用炎熱系魔法《紅蓮咆哮(ブレイズ・ロアー)》。学生が扱う初等魔法よりも遥かに強い事象改変力が世界に対して働き、男が向けた左手の先に形成されたゲートから圧倒的火勢の炎が渦を巻き、灼熱の火炎流となって二人に襲い掛かる……!


「ぐぅうううううう……!」


 激突する光の障壁と灼熱の炎波。普段、初等魔法を受ける時の手ごたえとは比べ物にならない程の重さに、リネアは苦悶の表情で呻くが、背後で動けない自分の親友を守り抜く為に、彼女は必死で障壁に魔力を送り込む。


 火炎流は十秒程、障壁の周囲一帯の悉くを焼き尽くし、大量の火の粉と魔素になって宙に消えていった。


「はっ、はっ、はっ……これが、軍用魔法……? 何て重い……!」


 「軍用魔法」は文字通り戦争用の強力な魔法――純粋に人を殺傷するために生み出された魔法だ。学院で習うような初等魔法とは威力に桁違いの差がある。


 戦場で魔道士が操る魔法は、自分達が操る魔法とは存在規格からしてかけ離れているのだと、肩で荒い息を吐きながら戦慄するリネアであった。


 だが――軍用魔法を凌いだとはいえ、一撃は一撃。疲弊するリネアに、男は無慈悲にも次の魔法を詠唱し始める。


「【気高き雷神よ・其の振るいし眩き尖槍以て・――」

「くっ、まだまだ……! 【光の壁よ・我が領域に立ち入る愚者を阻め】!」


 あれだけの威力の魔法を何発も撃てば、少しは逃げる隙が出来るだろう。その間にコロナを連れて、予め籠城用拠点として要塞化してある倉庫まで撤退する……そんな思惑で、リネアは再び「守護光壁」を発動。詠唱にゆとりを持って展開した防御障壁は、先程の物よりもより強い輝きを放っていた。


「――・数多の障害を刺し射貫け】


 この時、リネアは自分の失策を呪った。これだけゆっくりな詠唱ならば、先んじて対抗魔法で打ち消す手もあった。軍用魔法とはいえ、性質や仕組み的には初等魔法と何ら変わりないのだから。


 現に、男の呪文によって形成されたゲートからは膨大な電力を持つであろう紫電がバチバチと迸っている。放出型ならまだしも、《紫電閃(ライトニング)》のような貫通型の軍用魔法なら、自分の障壁など紙切れのように容易く貫くだろう。


(ダメ、もう間に合わない……! このままじゃ!)


 目前に迫る明確な「死」。避けようにも、この至近距離で文字通り雷速で迫る攻撃を躱すことなど出来ない。数秒後には障壁ごと胸を貫かれ、瞬時に絶命する未来を想像してしまったリネアが、思わず強く目を閉じたその時、


「――・起動せよ】。伏せろッ!」

「――ッ!?」


 突如としてリネアの背中にぶつけられる切迫した少年の叫び声。聞き覚えのあるその声に縋るように、彼女はその場で全力でしゃがみ込んだ。


 ヒュンッ! バチッ!


 刹那、地面に伏せたリネアの頭上を、風を切って「何か」が飛来するのと、迸る紫電が一条の槍となってゲートから放たれるのは同時だった。「何か」と雷槍が宙で衝突した次の瞬間、雷槍――軍用雷撃魔法《貫穿(ペネトレイト・)雷槍(サンダー)》は行き場を失ったプラズマを周囲に撒き散らすと同時に威力と推進力を失い、魔素となって消えた。


「……どうやら、間に合ったようだな」

「あ、アクト君っ!!」

「……アクト……」


 男と、リネアや少し放心状態から立ち直ったコロナとの間の位置に立ち、雷槍を打ち消して地面に突き刺さった何か――銘剣・アロンダイトを回収した少年――アクトは、背後に座る二人を一瞥するように視線を向ける。……その眼は、何時ものそよ風のような飄々とした物では無く、何処までも鋭さと殺気に満ちていた。別人とさえ思える程に。


「エクス、二人を頼む」

「……了解しましたマスター。ご存分に戦いください」


 アクトがこの場に居ない何かに向けてその名を呼ぶと、何処からともなく金色の粒子が出現して集まっていき……霊体化していたらしいエクスが姿を現す。


 よく見れば、アクトの全身は血で真っ赤に濡れていた。顔にはべっとりと血が付着し、体には黒と赤を基調としている学院の制服越しでも分かるくらいに血濡れていたのだ。そして、彼が手に持つ剣――アロンダイトは、美しい白刃を鮮血で真っ赤に染め上げられていた。一体、何人の人間を斬ればそれだけの血が付くのか、二人には想像も出来なかった。


「アクト君、その血って……」

「ああ、これか? 大丈夫だ。これは……コイツらを斬った時に着いた只の返り血だからな」

「「……え?」」


 二人は一瞬、その言葉の意味が理解出来なかった。まるで人を斬る事が当たり前だと言わんばかりに、彼は余りにもあっさりと自白したからだ。


「【気高き雷神よ・――」


 自分が放った魔法が正体不明の力で打ち消されたのにも関わらず、白外套の男は淡々と次の魔法を詠唱し始める。胆力があると言うよりかは、「動揺」という感情その物を初めから持っていなかったような素振りだ。


「下がってろ。後は俺がやる」

「う、うん。でも、どうやっ――」


 リネアが言い終わるよりも早くアクトは剣を正中線に構えると、地面を蹴って一気に男へ肉薄する。刀身にはルーン刻印の紅い光が縦に走り、《魔道士殺し》が発動していた。


「――・其の携えし眩き尖槍以て・数多の障害を刺し射貫け】」


 アクトが接近するよりも早く男の魔法が完成。ゲートから放たれた一条の雷槍が瞬きの速さで彼に迫るが、


「フッ!」


 それを予期していたアクトの両手が閃き、ごく精密な動作で迫りくる雷槍を一刀両断に斬り裂いた。固有魔法《魔道士殺し》によって効力を失った雷はプラズマの残滓や魔素となって宙に消滅する。


「……【舞えよ――」


 容易く行っているように見えるが、雷速で飛ぶ細い槍を剣の一本で正確に斬るなど、到底人間技では無い。だが、二度目の魔法を絶技によって容易く打ち消された事にも男は全く動揺せず、淡々と次の魔法を詠唱しようとするが、


「遅ぇよ、この木偶人形」


 それを許すアクトでは無かった。魔法詠唱中で無防備に胴を晒す男に向けて、彼の血に濡れた刃が吸い込まれるようにして迫り――


 ザシュッ!


「……ゴフッ」

「……悪く思わないでくれよ。例え、アンタには何の関係が無かったとしても、これがアンタの運命って奴だったんだ」


 何の躊躇いも無く突き刺した。完全に急所を捉えたアクトの一撃は、男の生命活動を瞬時に停止させる。生々しい肉が裂かれる音と共に剣が引き抜かれ、男は口の端から赤い血を滴らせながら地面へ一直線に倒れ伏し……そのまま動かなくなった。そんな男に向けて、アクトは誰にも聞かれる事の無い小声で何かを呟くのだった。


「うっぷ……」

「大丈夫コロナ……? 【汝が心に安らぎあれ】」


 地面に流れ出る真新しい鮮血を見たコロナが再び嘔吐しかけるが、リネアの《精神浄化》によって何とか持ちこたえる。精神作用系の魔法は重ね掛けすると効力が落ちるのだが、無いよりはマシであった。


「はぁ、はぁ……ありがとうリネア。大分、楽になったわ」

「どうやら二人共、無事みたいだな。ったく、何の為にお前ら二人をわざわざ倉庫に匿ってたと思ってるんだ? 外はこんな状況だからあんな場所に移したのに……既に時遅しだな。戻ろうにも、今の戦闘音を聞いて他の連中が集まって来る。いずれ倉庫も特定されるだろうな」


 全身真っ赤――まるで凶悪な殺人鬼のように、アクトは人ひとりを殺したのにも関わらず、顔色一つ変えずにコロナ達の元へ歩み寄って来る。


 魔道士として、自身に降りかかる火の粉は自分で払うのが常識、故に相手が命を奪いに来るならば自分もそれに全力で応えなければ、待っているのは「死」のみだ。故に、こんな事を思ってしまうのは失礼かもしれない……だが、コロナには今のアクトは酷く不気味な存在に思えてならなかった。


「アクト……アンタ、その……」

「……言いたい事は分かってるつもりだ。でも今はこの状況を生き抜くのが先だ。賊共は既に学院内に深く入り込み、各所で生徒や教師達と激しい戦闘を繰り広げている最中だ。俺は遊撃要因として逃げ遅れた生徒を助けながら賊を狩っていたら、コロナのデカい悲鳴が聞こえたから飛んで来た訳だ」


 明らかに距離を置かれているコロナの反応に、アクトは仕方ないと割り切りつつも苦々しい表情を浮かべる。だが瞬時に顔を先程の鋭い物に切り替え、状況を説明する。


「賊共って、コイツらの正体分かってるの?」

「……ん? ああ、そうか。お前達はまだ知らないんだったな。多分、よく知ってる名前だと思うぜ。それくらい有名だからな」


 そう言ってアクトは今しがた斬り殺した男の白外套を強引に脱がし、その首筋を二人に見せつける。いきなり何だと思った二人が見た物は……何かの紋章だった。特殊な処理を施さない限り絶対に拭えない魔法インクで描かれたそれは、‟地上に住まうヒトが(ソラ)に鎮座する「神」に祈りを捧げる”という物だった。


「アクト、これって……!」

「ああ……コイツらの正体は『ルクセリオン』。帝国有史以来から国を脅かし続けてきた、数ある『特級脅威組織(ブラック・リスト)』の中でも最低最悪のクソッタレなテロリスト集団共だ」



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