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魔導帝国の英雄譚 〜そして少年は英雄になる〜  作者: 愚者
1章 学院生活編(上)~魔法嫌いの剣士~
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20話 逢魔ヶ時の襲撃

 

 エクスがガラード帝国魔法学院に入学してから二日が経過し、今日も無事に精霊の学院生活は終わりを迎えた。特に用事も無いアクト達は早々に学院を出て、商業区の方に寄ってから家路についていた。


「……お前らって本当に鬼だよな。俺、今日山菜しか食ってねえんだぞ? そんな奴にこんな大荷物背負わせやがって……」

「事あるごとに文句言わないの」


 両手は勿論、背中にまで買い物袋を持たされたアクトが愚痴を零し、コロナが冷ややかにスルーする。エルレイン邸はエクスという新たな住人が増えたことで、買い出しの量も増えたのである。


「マスター、重いなら私も持ちましょうか?」

「いや、エクスは良いんだよ。受肉した精霊は別段力がある訳じゃ無いんだろ?」


 それに、このような些事に契約した精霊を良いように使うのは気が引けたのだ。勿論、それを口に出す事は無いが、精霊の細やかな気付居の心は素直に受け取っておくことにするアクトであった。


「でも、今日は何だか不気味な太陽だね。朝から見てたけど……何時もより大きく見える上に、ちょっと‟黒い”って言うか、‟暗い”のかな?」

「え? ……言われてみればそうね。この時間帯にしては、街も暗い気がするわ」


 リネアの言う通り、今日の太陽には何処か違和感がある。まだ時刻は街のあちこちに設置されたガス灯に火が灯る前の時間だというのに、オーフェン全体が既に夜の帳に覆われたかのように薄暗い。


(何故だか不吉な予感がするな……いや、ネガティブに考えるのはよそう)


 自分の勘が人より鋭い自負はあるが、所詮、それは一個人の誇大妄想に過ぎない。そんな心の片隅に湧いた不純物のような懸念を振り払う為に、アクトは話題を転換することにした。


「知ってるか? こういう日が沈む寸前の時間帯の事を、東方では‟逢魔ヶ時”って言うんだぜ。今の時間帯が一番、幽霊やなんかのレイス系の特殊生物が活発になるそうだ」


 魔法による研究が進み、人々は長らく未解明だった精神や魂の奥深くまで知ることが出来るようになった。その結果、今まで迷信だとされてきたお化けや妖怪の類は実在すると断定されたのだ。


 彼らは死して肉体から剥離した魂が、現世に未練を残したまま彷徨い続けることで、やがてそれらは霊的な力を持つようになり、現世に現れるのだ。これらは総して特殊生物と認定され、見つけ次第、討伐や除霊が行われている。


「へ、へぇ……ま、まあ、現代じゃお化けなんて常識だし、別に驚く事では無いわね!」


 小さく威勢を張るコロナだが、その言葉は途切れ途切れだし、声も若干上ずっている。その様子を見たアクトはある一つの推測に達し、そっとリネアに耳打ちする。


(なあ、あの動揺ぶりから察するにコロナってやっぱり……)

(アクト君の想像通りだと思うよ。昔、幽霊絡みで色々あったみたいでね)


 これは良い事を聞いたと、心の中でほくそ笑むアクト。普段、強気で高飛車でアクトを駒使いのように扱うコロナだが、いざという時にこの話題を切り出せば……そんなゲスい思考を巡らしていた。


「……まぁ、病は気からって言うしな。そういう不吉な物が現れると思うから実際に現れるかもしれないんだ。だから、幽霊だといっても怖がる必要なんて無いぜ。元は同じ人間だしな」

「そ、そうね! 別に怖がる必要なんて無いわよね!?」


 アクトの言葉に、更に声を上ずらせたコロナは彼から逃げる様に足早に歩を進める。諭したつもりだったのだが、逆効果だったようだ。明らかにビビっている彼女の姿を見たアクトとリネアは思わず苦笑を浮かべ――


「「「「――ッ!?」」」」


 突如、強烈な違和感がアクト達を襲った。それは、アクトの先を歩いていたコロナも、彼の横で眠たげに目蓋をこすっていたエクスも、いきなり表情を警戒の色に染める。


 その違和感とは、あまりの人気の少なさだ。時刻は夕暮れ、彼らと同じように買い物に来ていた主婦も、仕事帰りで家路につく人々も居て、今は最も人通りが多い時間帯の筈だ。実際、先程までは沢山の人々とすれ違っていたのだ。だが、今はあまりにもその人気が無さ過ぎる。


「マスター、これは……」

「……ねぇアクト、これってやっぱり……」

「ああ、間違いねえ。《人払いの結界》だ」


 人払いの結界……読んで字の如く、人間の無意識領域内に一定の空間における忌避感を持たせることで、人を寄り付かなくさせる結界魔法の一つだ。


(見た感じ、周囲の景色に変化は無い……って事は、別に「異界化」による断絶空間じゃ無いって事だ。なら……)


 結界は、法陣の外側の領域には作用しない。これが自分達を狙っての物なら結果の外側に急いで退避する。結界対策における基礎中の基礎……だが、そう上手くはいかないようだった。


「みんな、あれ見て……」


 ある一方向を凝視しながら、掠れる声でリネアが言う。声に釣られた他の全員がその方向を見ると、其処には――


「「「……霧?」」」


 家屋の隙間を縫うようにして、向こう側から濃い霧が凄まじい速度で彼らの方に迫ってきていたのだ。それはあっという間に全員を飲み込むと、急激に周囲の気温を低下させ、彼らの吐く息を白く占める。


(遅かったか……! もうこの場所一帯は、一つの「異界」になっちまった! 俺らはこの霧を引き起こした奴の罠にまんまと嵌っちまったって事だ!!)

「みんなー居るの!? 居たら返事して!」

「全員、一ヶ所に固まりなさい! くっ、何て深い霧……!」


 近くに居るにも関わらず、互いの姿すらまともに視認出来ない濃霧の中で、皆、それぞれ声を頼りにして互いを探そうとするが……動けば動く程、霧は自分の体に絡みつき、更に視界を悪くしてしまう。


(チッ! 厄介な魔法だ。姿どころか、声まで複雑に反響させて位置を攪乱させようとしてやがる。おまけにこの冷気……クソッ、判断が鈍る! なら……!)


 この霧を消し飛ばす策を思いついたアクトは、この場でそれが唯一出来る人物に向けて声を張り上げる。


「コロナッ!! 今すぐ、お前の持てる最大威力の炎熱系魔法を上に向けてぶっ放せ! それで霧の威力は弱まる!」

「――ッ!? わ、分かったわ! 【幼き竜よ・その息吹で汝が威を示せ】ッ!」


 理由は分からないが、とにかくコロナは言われた通り、ありったけの魔力を込めた向けて炎熱《幼竜火息》を発動、高温の火炎流が宙に立ち昇り、濃霧が放つ冷気と相殺。熱された冷気が急激に気化して大量の水蒸気を発生させた。


「こ、これで良いの!?」

「ああ! よし、霧の強度が落ちた! これなら……【ルーンよ・我が命に従い・起動せよ】!」


 アクトは腰の鞘からアロンダイトを抜剣し、瞬時に起動句を唱えてルーン刻印を起動させる。アクト=セレンシアの真骨頂である《魔道士殺し》、その威を解放す。


「フゥゥゥ……ハッ!」


 全身の筋肉を瞬時に総動員させる重低音の呼吸を伴い、アクトは鋭い気迫と共にその場で大きく跳躍した。薄く魔力を放出して建物の屋根の辺りまで飛んだ彼は、下に居るコロナ達を巻き込まないように位置を調整しながら、


「六之秘剣――《渦旋刃(かせんじん)》ッ!!」


 脇の辺りで構えた剣を、体ごと全力全開で振りかぶる! 空中で放たれた強烈な回転切りによって生じた遠心力は、その場に留まる霧を根こそぎ振り払った。払われた霧はやがて徐々に薄れていく。


「どうだ……!」


 地面に着地したアクトは短く息を整える。霧が晴れたことで、姿を認識したコロナ達が彼の元に駆け寄って来た。


「アクト、今のはアンタの……」

「ああ、でもあれだけ広範囲に広がる魔法を一発で消せる自信は無かったからお前に先に弱めてもらったんだ。良い炎だったぜ」

「――ッ! ま、まぁ、あれぐらいの魔法なんて使えて当然よ!」


 アクトとしては素直な賞賛のつもりだったのだが、何故かコロナが顔を赤くする。自分の魔法を褒められたのがそんなに嬉しかったのだろうか……? と、疑問を覚えるアクト。しかし――


「いやー、あの霧をこうも簡単に消し飛ばしてくれるとは。流石は噂に名高き『魔道士殺し』、どうやら、噂に違わぬ力を持っているようですね」

「「「「ッ!?」」」


 その時、霧が現れた方向から、若い男の声をした一人の人間が小さく拍手をしながらやって来る。


(霧の影響か? 全く気配に気付けなかった……)


 それは、まるで幽鬼の様な出で立ちをしていた。身長はアクトより少し大きい程度、全身をボロボロな漆黒のローブで包み、顔すらまともに判別出来ない。


 アクトが不気味だと感じたのは、男からは一切気配という気配を感じ取ることが出来なかった事だ。どんな人間にも隠したくても隠せない人の気配という物があるが、目の前の男にはそれがまるで無かった。


「お初にお目にかかります。僕はヴァイス、()()()()()()()()()ので名乗らせてもらいますよ」

「お前ら下がれ……!」


 ぼろローブの謎の男――ヴァイスと名乗った未知の敵を前に、アクトは額に嫌な汗を滲ませながら女性陣とエクスを後ろに庇う。いざという時に守る為に。


「ふむ……君がアクト=セレンシア君ですね? で、そちらの女性はエルレイン家の長女・リネアさんに、今は無きイグニス家の次女のコロナさんですか。そして、其処の少女は……ほう? まさか、精霊を使役しているとは驚きですね」

(コイツ、俺やコロナの事だけでなく、エクスが精霊だって事まで……! いや待て、今の言動から察するに、コイツは今エクスの正体を見破った事になる……)


 どうやって見破ったのかは知らないが、とにかく少しでも情報を引き出す為に、アクトはヴァイスを睨み据えながら問う。


「お前は何者だ? 今の霧を引き起こした張本人か?」

「何者か、という質問に答えることは出来ませんが、先程の霧は僕ではありません。まあ、アレは遊びのような物です」


 という事は、敵は少なくとも二人以上居るという事だ。自分が時間を稼いでいる間、コロナ達を徐々に下がらせようとしていたが、どうやらその選択は危険らしい。


「心配しなくても、他の人には一切手出しさせませんよ。だから、君達は僕の事だけ気にしていれば良いのです」

「はっ、こっちの考えはお見通しという事か。なら、お前の目的は何だ?」


 相手の目的が自分達に危害を与える事なら、わざわざ姿を現さなくとも、あの霧に乗じて襲撃すれば良いだけの話だ。なのにこうしてリスクを犯してでも、ヴァイスは自分達の前に現れている。


「目的ですか。そうですね……強いて言うならば、これから始まる素敵な事への‟顔合わせ”でしょうか」

「顔合わせ? どういう意味だ?」


 どうにもこのヴァイスからは要領を得る答えが返ってこない。それは意図してやっている物なのかは定かでは無いが、とにかく有益な情報を引き出さねば……その一心でアクトは問いを続ける。


「あんまりふざけた事言ってると、斬るぞ。俺は人より手が出るのが早いからな」

「それは自由ですが、あまり良い選択肢とは言えないですね。少し真面目な話をすると……僕が先日、ある人間に渡した『魔剣』を砕いた張本人が、どんな人間か知る為に来たんですよ」

「魔剣だと……まさかお前ッ!?」


 ヴァイスの発言にエクスを除いた三人が驚愕の表情を浮かべる。魔剣……それは間違いなく、クライヴが校内選抜戦の時に使ったアレの事を指しているのだろう。つまり、今目の前に居る男は――


「アンタなのね。アイツの……クライヴの弱い部分に付け込んで魔剣を持たせて、校内戦の最中にアタシを殺そうとした犯人は!?」

「ええ、その通りです。誰であろう、貴女にクライヴ君を仕向けたのはこの僕ですよ、コロナ=イグニスさん。其処のアクト君は薄々感づいているようですが……僕達の組織にとって、貴女は将来邪魔になりかねない存在です。だから、怖い芽は早めに摘んでおこうという考えなのですよ」

「この……! アタシはアイツとのきちんとした勝負を望んでいたの! それを横から余計な手を出して、正々堂々とした勝負を穢して……恥を知りなさい!」


 コロナは自分の命が狙われた事よりも、クライヴとの戦いを邪魔した事に対して憤慨していた。コロナとて、一端の魔道士であり、元は大貴族の娘。いつ何時でも、自分の身が危険に晒されても平気なよう、日頃から訓練している。だが――


「人聞きの悪い事を言いますね。確かに、()()()()で彼に『あの力』を提供したのはこの僕ですが、それを望んだのは他ならない彼自身ですよ? まあ、その結果があの様だったのですが……やはり、僕自らが出向く方が遥かに効率的のようですね?」

「~~~!??」


 邂逅して初めて放たれたヴァイスの気配――自分に向けられた明確な殺意に当てられ、コロナは心臓を握りつぶされるような感覚を覚えた。体は震えが止まらず、額からは冷たい汗が滝のように流れ落ちる。


 少女が持つ精一杯の……まだ拙く中途半端な覚悟は、ヴァイスの放つ()()()()()によっていとも簡単に崩れ落ちた。


「う……あ……」

「こ、コロナ!? 大丈夫!?」


 顔を青ざめさせながらその場にへたり込むコロナ。慌ててリネアが介抱するが、精神的にかなり参っている状態だ。アクトに続いて戦闘行動がまともに行える要因が一人減ったことになる。


「リネア、しっかりそいつを見ててくれよ。それからエクス、二人の事を守ってやってくれ」

「う、うん。分かったよ!」

「承知しましたマスター。私が持つ全権能に掛け、て二人の身を保証します」


 ヴァイスから視線を外さないまま言ったアクトの頼みに、リネア、エクスは頼もしく応じる。ヴァイスの正体も戦闘能力も分からない以上、この場で一番戦える彼が出張るしか無いのだ。


「さて、そこまで教えてくれたのならもう一つくらい教えてくれよ。お前…いや、お前達は何者だ?」

「教えられないと言ったでしょう? それに、僕達の正体はその内否が応でも分かる羽目になるのですから……ですがまぁ、それでは面白みが無い。そうですね、此処はアクト君の存在に免じて、一つチャンスをあげましょう」

「チャンス、だと……?」


 突然の機会を与えるという宣言に、アクトが怪訝な表情を浮かべる。そんな彼の反応を楽しむかのように、ヴァイスは何処までも愉快そうに、全てを見透かしたような口調で話す。


「ええ。実は僕、君の事については一目置いているのですよ。アクト=セレンシア、幼少期に原因不明の事故で両親を失った後は現・七魔星将であるエレオノーラ=フィフス=セレンシアに引き取られた。そして、子供として享受出来た筈の当たり前の平和を全て投げ捨て、厳しい訓練を施された少年だとね」

「なっ!? テメェ、どうしてそれを……!?」


 いきなり過去の話を喋りだされたアクトは、思わず激しく動揺する。彼の過去を知っているのは本当にごく僅かな人間だけだ。


 その者も全員口が堅い人間なのでそこから漏洩した可能性は低い……なら、それをどうしてこのような名も知らぬ人間が知っているのか……問い詰めようとするアクトだが、彼の反応を待たずにヴァイスは話を続ける。


「彼女の元を離れた後は、特異な魔法適正である‟事象の切断・消滅”を元に生み出した最強の対抗魔法《魔道士殺し》と剣一本を携え、少年ながらに戦場をひたすらに駆け抜け、敵味方双方に恐れられる、魔道士を殺す剣士になったとか……」

「……黙れ」


 ヴァイスの口から明かされていくアクトの過去に、当の本人は顔を驚くくらい底冷えするような声音で制止を促す。その声を間近で耳に入れたコロナとリネアはゴクリ、と思わず息を呑む。


 アクトの過去……それは、決して掘り返してはいけない禁断の記憶。彼が今まで必死に忘れようと心の棺に封じていた、思い出したくもない血に塗れた忌まわしき過去。


「しばらくはエレオノーラに仕事を斡旋してもらっていたようですが、ある時期にとある傭兵団に入団。それからは其処に所属していた彼らと共に戦場を戦い抜き、戦いの中でかけがえのない存在となった……」

「黙れ……!」


 底冷えするようなアクトの声に、徐々に怒気が含まれていく。それはヴァイスがアクトの事を喋れば喋る程、大きく膨れ上がっていく。


 アクトの過去……それは、決して他人が迂闊に踏み込んではいけない唯一無二の戦友達との記憶。それがどれだけ血に塗れていようと、共に戦い、同じ釜の飯を食べた、忘れたくても忘れられない思い出深い過去。


「ですが、三年前のある戦いで、味方勢力の裏切りにより多数の団員が戦死。それから君は傭兵団を抜けて戦場から去り、何処かに消えてしまった。その後は――」

「黙れって言ってんだろッ!!」


 耐えるに耐えかねたアクトがとうとう大声で吠えた。そして、彼の体から有らん限りに放出される銀色の魔力光。ヴァイスはアクトの数ある地雷の中でも、特大の物を踏み抜いたのだ。


「あ、アクト……?」


 リネアに介抱されながらその場にうずくまっていたコロナが見上げると、其処には限界まで鋭くなった眼でヴァイスを睨むアクトの姿があった。その顔つきには、今までのような人を食ったような何処か余裕のある表情や、自分を救ってくれた真剣な眼差しは何処にも無かった。


 あるのは、果てしなく膨れ上がる‟憎悪”の二文字。


「もう喋るな……! 何故昔の俺の事を知っているのかは知らないが、もうそれもどうでも良い事だ。何故なら……お前は、俺が此処で絶対に殺すからだ!」

「おお、怖い怖い。ですが、何故そこまで過去を頑なに否定し続けるのです? 君のその練り上げられた魔力も、剣の才能も、切り札である《魔道士殺し》も、全て君が否定している過去に培った物だ。それを今になって持ち出すのは、筋が通らない話だと思いませんか?」


 ヴァイスが言っている事は全て正論だ。アクトの能力は全て血塗られた過去から来た物。その過去を否定しながらその力を振るうのは虫が良すぎるという事なのだろう。


 だが、今アクトが抱えている葛藤や悩みはそのような論理的な物で解決出来る物では決して無いのだ。


「さて、そんなアクト君に僕からのチャンスをあげましょう。今、此処で僕と戦い、勝てば僕達の正体を明かしましょう。そうすれば、これから起こる‟素敵な事”を未然に防げるかも――」

「死ねっ!!」


 何処までも愉快そうに話すヴァイスが言い終わる前に、アクトの姿がその場から消え失せた。そして、次の瞬間にはゼロ距離まで迫った彼の、()()()()()()()()振るわれた白刃がヴァイスの喉元まで迫っていた。


 魔力放出による()()()()()()()を強化した高速移動だ。


 今のヴァイスは剣一本すら構えていない無防備な状態。仮にヴァイスが魔道士だとしても、詠唱が終わるより速く接近して斬り捨てることが出来る。仮に魔法を放ってきたとしても《魔道士殺し》で終わり。


()った……!)


 勝ちを確信したアクトの渾身の一撃。アクトの眼には、魔力を乗せて強化したアロンダイトによって両断されたヴァイスの姿が幻視され――


 ガキンッ!!


「――と、思っていましたか?」


 次の瞬間には粉砕された。誰がどう見ても決まったと思われた一撃は、ヴァイスが瞬時に漆黒のぼろローブの下に隠してあった何かによって防がれた。



 金属同士がぶつかるけたたましい衝突音が周囲の建物に反響し、バチッ!、と大量の火花が散る。薄暗い太陽の下、その光を帯びてギラリと輝くそれの正体は――


「……剣、だと?」

「剣が君だけの専売特許だと、本気で思っていたんですか?」


 ヴァイスが腰の辺りから降り抜いたのは一振りの長剣だった。形状はこの時代には珍しい、剃刀のように鋭く研ぎ澄まされた片刃剣。素材は帝国で鍛造される武器に使われている最高品種のダマスカス鋼、アクトのアロンダイトに使われている魔法銀(ミスリル)と同格の硬度を誇る金属だ。


 特別な装飾は、独特の意匠が施された黒い十字柄の中心に宛がわれた謎の赤い宝石だけだが……それが返って、ある種の純粋な凄みを感じさせる。しかも――


「――ッ!? マスター! お気を付けください! その剣には、私と同じ精霊が封じ込められています!」

「何だと!?」


 至近距離での鍔迫り合いを繰り広げるアクトに、エクスから衝撃の情報が伝えられる。つまり、今アクトが必死に刃を合わせているヴァイスの剣は魔剣――精霊武具だという事だ。だが、クライヴに憑依した精霊の気配は感じたのに、ヴァイスの魔剣からはそれが一切感じられない。


「流石ですね。上手く誤魔化してはいるのですが、やはり精霊同士。何処かで波長が合うのかもしれませんね。さて、僕の愛剣もお披露目したことですし……そろそろ行かせてもらいますよ?」


 そう言ってヴァイスはエクスから視線を切り、両手に込める力を高めていき……突如としてヴァイスの体から謎の異音が生じる。呼吸では無い……そもそも人体が発するような音では無い。まるで、鋼鉄の列車が動きだす駆動音のように――


 ドガァアアアンッ!!


「「「……え?」」」


 コロナ達は何が起きたか分からなかった。いきなりアクトが鍔迫り合いで押し負けたかと思えば、直後に自分達のすぐ横を大質量の何かが掠めるようにして飛来し、大騒音を伴って近くの家屋に激突。彼女らが、それがヴァイスによって吹き飛ばされたアクトだという事を認識するのに、暫くの時間を要した。


「痛ってぇ……!」


 激突した家屋から大量の土煙が舞い上がり、その中から、フラフラとよろめきながらアクトが出て来る。寸前に受け身を取って衝撃を逃がしたのでダメージは少ない。煙に塗れ、苦悶の表情を浮かべるアクトだが、それよりも気にするべき事があった。


「……テメェ、本当に人間か? どうして魔力放出も無しにそこまでの膂力が出せる……?」


 そう、ヴァイスはアクトと同じように魔力を放出して行動強化をした痕跡が無かった。つまり、ヴァイスは純粋な膂力のみで大のヴァイス一人を斬り飛ばしたという事だ。


(う、嘘でしょ? 何者なの、あの男は……?)


 ようやく震えが止まってきたコロナは、今の事の顛末に戦慄する。あの一撃は、アクトだからこそほぼ無傷でいられた物。もし、あの膂力が殺す気で自分に向けて振るわれたかと思えば……考えるのも恐ろしい。


「マスター、私の力をお貸しします! 存分に私の力をお使いください!」


 そんな時、終始成り行きをじっと見つめていたエクスが初めて動く。祈るように、両手を胸の辺りで組むと、その手から金色の光が生じ、暗闇の路地を照らす様に淡く輝く。それは、エクスの剣精霊としての権能の一部だった。だが……


「駄目だ、これは俺の過去の問題、昔の事は俺自身がケリを付けなきゃならねえ! だから、君の力は借りられない!」

「ッ!?」


 まさか拒まれるとは思ってなかったエクスは愕然とした表情を浮かべる。だが、アクトもこれだけは譲れないのだ。無作法にも、絶対不可侵でありたい自分の過去に踏み込んで来た不逞の輩を許すことが出来ないのである。


「余所見している場合ですか?」

「うっせ!! テメェは黙ってろ!」


 アクトが僅かに意識をエクスに向けた瞬間、ヴァイスが勢いよく地面を蹴り砕き、一気に彼に肉薄する。それより放たれるは、何処までも洗練された型によって振るわれる剛速の魔剣。


「うぉおおおおッ!! 二之秘剣――《雲耀》ッ!」


 アクトも負けじと魔力を限界まで放出してそれに追いすがる。薄暗い路地に閃く二条の閃光……桁違いの膂力によって振るわれるヴァイスの魔剣に、雷に匹敵する速度で放たれるアクトの白刃が、交錯する。剣と剣とが打ちあう度に、否応なしに感じるヴァイスの膂力を受け、アクトの腕に痺れるような痛みが走る。


「――ッ!? くっ……!」


 全身の筋肉の総動員させることで雷速に迫るアクトの剣を、正面からまともに受けられる人間など限られている……筈なのだが、ヴァイスはまるで当たり前であるかのように、それらを正確無比に捌いていく……いや、その刃を徐々に、徐々に押し返していく。


(コイツ、単に力が強いだけじゃねえ……! 速度も、正確さも段違いだ! 今の所、魔剣に秘められた精霊の力を使っている様子は無いが、一体これ程の芸当を魔力放出も無しにどうやってこなしているんだ!?)


 アクトは察した。このままでは、ヴァイスを殺すどころか逆に自分が返り討ちに遭ってしまうと。剣士として、この凄まじい速度と力で剣戟を放ってくるヴァイスは、先日戦った精霊よりも遥かに格上だと。故に彼は決めた。《魔道士殺し》とは別の、更なる切り札を使う事を……


「さあさあ、君の力はこの程度なのですか?」

「チッ! だったら……【第二深域到達・縛を解かれしは・人の理より外れし下法・我は鬼の威を体現せし・剛腕の怪物なり】ッ!」


 眼前で繰り広げられる激しい戦闘を間近見守っていたコロナ達は、自分達の耳を疑った。ヴァイスの魔剣を捌きながらアクトは何と、ルーン刻印起動とは別の呪文を唱えたのだ。かなりの節句数で構成されているそれは、彼女らが学んできた魔法の、どれとも違う全く知らない呪文だった。


 アクトが呪文を唱え終わった瞬間、彼の肉体に変化が訪れる。アロンダイトを持つ彼の両腕の筋肉が、引き絞られるようにバキバキと音を立てる。そして、制服越しでも分かる程の大きさに肥大化した。


「うおおおおおッ!!」

「……!」


 直後、今まで完全に力負けしていた筈のアクトが、上段から振り下ろされる魔剣を大きく振りかぶったアロンダイトで弾き返した。周囲には小規模の衝撃波が発生し、近くに居る女性陣の髪やスカートをなびかせる。


「コロナ、今の魔法って……」

「ち、違うわ。魔法の一種ではあるけど、本質的には魔法じゃ無い。あれは、恐らく――」


 戦闘が始まってから初めて後ろに下がったヴァイスは、未だ手に残る感触を確かめながら興味深そうに喋りだす。


「ほう……なるほど、『道術』ですか。近接武器という存在が廃れたこの時代に、その使い手がまだ残っていようとは。本当に君は面白い! 本当に今日は君に会いに来た甲斐がありましたよ!!」

(やっぱり、あれは……!)


 まるで大好きな物をプレゼントされた子供の様に、何処までも愉快そうに喋るヴァイスと、驚愕に眼を見開くコロナが考えている事は同じであった。


 アクトの急激なパワーアップの正体、それは「道術」と呼ばれる魔法の一つによる物だ。だが、コロナの言うように本質的には魔法では無い。


 現代の魔道士が操る魔法の根幹は「事象改変」、自分の外に広がる世界の理を魔力で捻じ曲げ、超自然現象を引き起こす法だ。‟こうなって欲しい”、‟かくあるべし”と、術者の願いを心象風景として世界に現出させるのである。


 逆に、道術の根幹は「自己変革」、世界を変革するのではなく、自分自身を変革する力。‟こうなりたい”、‟こうでありたい”と、術者の願いを術者自身にもたらすのだ。


 昔、極東のとある地方にそびえ立つ霊峰に住まう仙人が、長い長い修行を経た果てに編み出したとされる、強力な肉体改造術だ。


 習得するには長きに渡って霊験豊かな山々に籠り、日々、瞑想を繰り返すことが必要だ。その上、別に自分自身が強くならなくとも世界その物を簡単に変化させてしまう魔法の方が圧倒的に応用力が高いとされ、現代では廃れ切った術とされている。


 コロナも授業で知っただけで実際に見るのは初めてだ。


 だが、開けた場所で互いの総力を尽くして魔法を撃ちあう純粋な魔法戦ではまだしも、今の状況のような局地戦では部類の力を発揮する。現に、今のアクトのように――


「オォオオオオッッ!!!」

「くっ、やりますね……!」


 まるで、人が発する物とは思えないような声で吠えながら、アクトが怒濤の猛撃を仕掛ける。膂力という点で、僅かではあるがアクトはヴァイスを凌駕していた。彼が使っている道術は、数ある流派の一つである「鬼人法」と呼ばれる物だ。


 文字通り、人を鬼のように強くする攻撃力強化の術で、彼はそれを第二領域……《豪鬼》という域まで深く入り込んでいた。


 ……だが、力を増しただけで勝てる程、目の前の相手は甘い相手では無かった。


 力で劣るのなら速度・正確さで圧殺するまでと言わんばかりに、ヴァイスはアクトの重厚な斬撃を受け流すように華麗に捌き、反撃に先程よりも更に速度を増した剣閃を放ってくる。力は上がったが剣速は下がったアクトは再び劣勢に追い込まれる。


「力に力で対抗しても無意味か……なら、【第二深域到達・縛を解かれしは・人の理を外れし下法・我は駿馬の威を体現せし・一陣の疾風なり】ッ!」


 相手に技量で負けているのなら、とにかく一つでもアドバンテージを取る事が肝要。大きく剣を振り払い、一度距離を空けたアクトは更に別の呪文を早口で唱える。次に変化が起きたのは彼の両足。両手に続いて、両足からバキバキと筋線維が引き絞られるような音を立て、僅かに肥大化する。新たな道術を発動させたアクトから重低音の吸気音が発された次の瞬間、


「フッ!」

「むっ……!」


 まるで発条が爆ぜる様に地面を蹴り砕き、アクトは彼我の距離を一瞬でゼロにする。其処から繰り出されるは四条の高速突き。それらを正確に斬り払ったヴァイスが反撃を見舞おうと剣を振るうが……その先に、彼の姿は無かった。


「――ッ!?」


 刹那、首筋に走る悪寒。ヴァイスがほぼ条件反射で背後に振るった魔剣と、何時の間にかヴァイスの背後に回っていたアクトのアロンダイトが激突し、大量の火花が散る。先程と全く同じ構図だ。これでは、「鬼人法」を解いたアクトが力負けしてしまう。


「鍔迫り合いには持ち込ませねえよ!」


 この展開を読んでいたアクトはあえて素早い一撃だけ見舞った後、その場で地面を蹴ると同時にヴァイスの側面に回り込み、更なる一撃を放つ。


「これは、少々厄介ですね……」

「はぁあああああッ!」


 今度は甘い一撃を仕掛けてきた所を、圧倒的な膂力で吹き飛ばそうとヴァイスは魔剣を高速で一閃。思惑通り、空中へ簡単に吹き飛ばされたアクトだが、今度は建物の屋根の縁を支点に、両側の壁を蹴りながら三次元的な攻撃を仕掛ける。何が何でも、単純な力勝負にさせない腹積もりだ。


 アクトの軽やかな身のこなしによる高速のヒット&アウェイに、ヴァイスは今までの余裕そうな表情を少し真剣そうな物に変え、それに応じる。


 一之秘剣・「縮地」で瞬時に踏み込み、魔力放出と同時に発動した道術《神速法》――文字通り、術者の脚力を高めて高速移動を可能にする肉体強化術――を巧みに操り、ヴァイスの手数を徐々に削いでいく。


 力と剣速で劣るなら、フットワークで追い詰める。実に有効な判断だ……だが、それでもまだ足りない。()()()()()()()()()()()()()段階でようやく張り合えるようでは、到底足りないのだ。


「中々やりますね。それでは、興味深い物も見せてもらいましたし……お礼に僕の方も、一つ手札を明かすことにしましょう」

「へっ、減らず口を叩きやがる。実はもう結構限界なんじゃないのか?」


 ヴァイスの、魔力も無しに繰り出される驚異的な膂力と速度、正確さを併せ持つ斬撃……それをアクトは魔法的な仕組みによる瞬間的な超強化能力と推測した。そして、それには時間制限がある筈だと。でなければ、アクトが魔力を全力放出して何とか拮抗出来ている程の力を、何の制限も無しに振るうのは不可能だ。


 強大な力を得るにはそれ相応の代償が必要……魔法に関わらず、森羅万象に通ずる世界の原則だ。


 なるべく時間を稼ぐ為に消極的な攻撃を何度も繰り出していたアクトだったが、その推測は()()合っていた……だが、ある部分を()()()()()()()()()()


 それは彼にとって致命的なミスであり、この戦いの行く末を決定付ける重要な要素なのだが……最早その間違いを正す暇は、今の彼には無かった。何故なら――


「いきますよ……【剣よ・其が力を解放せり】」

「――ッ!?」


 激しい剣戟を繰り広げながらヴァイスが古代アストラム語で何事かを呟くと、握られた十字柄に嵌められた赤い宝石が突如、怪しげな輝きを放つ。次の瞬間、


「うおおおっ!?」


 ヴァイスの動きがブレるように消えた……いや、加速した。「神速法」によって脚力を強化したアクトの高速移動に対応し、雷速の斬撃を放ってくる。そして、今までは微塵も感じ取ることが出来なかった……強大な精霊の気配。それが今になってここぞとばかりに放たれている。


「ここにきて精霊の力を出してきやがったか……!」

「ええ。君にはこの魔剣――『グラム』を使うに値する力がある、そう判断しました。そして断言します。これから先、君は僕に触れることすら叶わずに地面へ膝を付くと」


 ――時間にしてみれば僅か二、三分程度の戦闘だったが……宣言した通り、謎の精霊が憑依した精霊武具――魔剣「グラム」の力を解放したヴァイスの力は圧倒的だった。元来の身長能力の高さに加え、精霊の力を発揮した彼の圧倒的な戦闘力を前に、アクトは防戦一方な状況に追い込まれた。そして……


「――ようやく倒れましたか。随分と手間を掛けさせてくれましたね」

「ぐぅ……はあ、はあ……」


 薄暗き不吉な太陽は既に沈み、世界には夜の帳が降りていた。二人の戦いの場は無数の切り傷や破壊跡で一杯で、彼らの戦いの激しさを物語っていた。アクトはそんなボロボロの壁に背を預けながら座り込み、苦悶に呻く。


 大きな外傷は無いが、擦り傷や打撲など、小さな傷は数えきれない程に刻まれている。最後の意地か、愛剣のアロンダイトだけは手放さないでいた。


「さて……この勝負、僕の勝ちという事で良いですね? 致命傷は回避したようですが、もうその体ではまともに動く事すらままならないでしょう」

「まだ、だ……! 俺は、まだ……!」


 何とか体を動かそうとアクトは全身に力を込めるが、返ってきたのは鉛のように重い体と鈍い痛みだけだった。「鬼人法」と「神速法」――肉体強化の道術を長時間使用した反動によって、肉体的な限界を迎えていたのだ。


「止めておいた方が良い。その状態で再び体を酷使すれば、肉体に取り返しのつかない傷を負うことになりますよ。其処に居るコロナさんを今、処分しておいても良いのですが……僕の予想を超えた君の力に免じて、此処は引き上げることにしましょう。それでは――」


 そう言い残し、ヴァイスは薄ら寒い笑みを浮かべながら魔剣を鞘に戻し、踵を返して暗闇の路地へと消えて行く。アクトが戦闘不能になった今、最早、この場で彼を追える者は誰一人として居なかった……いや、一人居た。


 ――()()は耐えられなかった。普段、どんな敵が現れようとも自分に出来る事を全力でやろうと心がけていた彼女だったが、その矜持は相手の殺気に触れただけで容易く崩れてしまった……その事実が、一度は折れかけていた彼女の心に小さな火をつけた。


 だが、自分が一つ魔法を撃ったところで、目の前で同居人の少年と激しい戦闘を繰り広げている敵をどうにかすることなど出来ない。魔道士としての直感で分かっていた。


 だから機会を伺った。少年と――アクトと全力の戦闘で敵に隙ができるその瞬間を。そして、遂にその時が来た。自分が理想としていた状況としては程遠いが、アクトを倒した事に満足して敵は、完全に自分を警戒すべき「敵」から除外している。ならば……!


「【――――・疾く走れ】ッ!」


 彼女――コロナ=イグニスは放つ。傍らで寄り添うリネアに手伝ってもらった消音魔法で詠唱を隠し、ギリギリまで魔力の流れを抑えるようにして編んだその魔法を……!


「何……!」


 それは、ヴァイスの予測を完全に超えた一撃、自分より格下だと侮った弱者からの報復。ゲートから放たれる四条の炎槍は風を切って宙を駆け、彼の背中に殺到する。だが、彼の反応速度はコロナの完全な不意打ちにも即座に対応、高速で鞘から降り抜かれた魔剣は迫りくる炎槍群を一瞬で斬り落とした。斬られた炎槍は残滓として魔素と火の粉に散り、暗闇を照らす。


(分かってるわ! 軍用魔法でも無いアタシの魔法じゃ奴を倒せない……でも、これを逃すアンタじゃ無いでしょ、アクト!!)


 正直、会って日が浅く、殺意剥き出しで殺すとか言っている少年の心情を推し量ることは出来ない。だが、利害の一致という点でコロナは賭けたのだ。例え、自分が倒せなくとも、未だ余力を残しているであろう少年に――


「はああああッ!!」

「――ッ!??」


 予想だにしなかったコロナの介入によって生じたヴァイスの隙、それを見逃す手はアクトでは無い。激痛の走る体に強引に鞭打った彼は、今日一番の最速の踏み込みで彼我の距離を詰め、肉薄。瞬時にヴァイスはそれに反応して魔剣を振るうが、あの体勢からではどう転んでも魔剣が彼に届くことは無い。すれ違い様に薙ぐように、銀の魔力光満ちるアロンダイトが無防備なヴァイスの胴に吸い込まれ――


 ガキンッ!


 甲高い()()()を立てながら弾かれた。


「……は?」


 アクトは何が起きたのか分からなかった。とても、硬い鎧を身に纏っているとは思えない動きのヴァイスを斬ろうと思った瞬間、何故か重厚な金属音と共に自分の一撃は弾かれた。ほぼ捨て身の覚悟で放った一撃を外し、まともな防御など出来ない彼の横腹に鋭い蹴りが叩き込まれる。


「がはっ!?」

「きゃっ!?」


 蹴り飛ばされたアクトは、コロナとぶつかり、互いを巻き込みながら共に後方へ大きく吹き飛ばされた。


「ぐぅ……」

「うぅ……」

「「コロナ(マスター)ッ!」」


 重い蹴りを受けたアクトは勿論、砲弾の如き速度と質量で飛ばされた彼に激突したコロナは地面で蹲ったまま、動けないでいた。今の一瞬の出来事にリネアとエクスが慌てて駆け寄る。


「……これはこれは、まさか一撃受けてしまうとは。僕もまだ修練が足りませんね。……それにしても、まさか終始怯え切っていた貴女が手を出してくるとは、この『眼』も万能という訳では無いのですね」


 漆黒のローブを浅く切り裂かれたヴァイスは、自分の右目を軽く抑えながら興味深そうに独り呟く。その時、目を抑える彼の手に小さな水滴が付いた。見上げれば、空には何時の間にか黒い曇天が立ち込め、ポツリポツリと雨が降ってきた。


「雨か……それにしても、やはり君は、君達は面白い。この短時間に僕の予想を何度も超えてくる。これからが楽しみになってきましたよ」


 そう言って、ヴァイスは倒れた彼らを一瞥すると、今度こそ踵を返して雨に濡れる暗い路地の奥へと消えて行く。


「待ち、やがれ……!」


 蹴りの直撃から回復したアクトは、横腹を抑えながら苦悶の表情でヴァイスの背中を鋭く睨む。その眼には、疑念・嫌悪・憎悪……様々な感情が渦巻いて混沌としていた。だが、彼は止まらない。彼は闇に紛れる様にしてその姿をくらませた。


「フフフ……では、()()()()()()()()、アクト=セレンシア君……」


 薄ら寒く怪しげに笑い、再開を予感させる言葉を残し――


「待て……お前は、お前は一体俺の何を知っているんだ……?」

「アクト君……」

「マスター……」


 ヴァイスの姿が完全に見えなくなった後も、衝撃で気絶してしまったコロナを胸に抱きながら、アクトはうわ言のように呟く。まるで何かに囚われているような表情をした彼を、リネアとエクスが心配そうに……だが何も出来ずにただ見守る。降り注ぐ雨はその勢いをどんどん増していき、彼らをあっという間にずぶ濡れにしていく。


「クソッ、クソッ……! クソォオオオオーーッ!!」


 空より降り落ちる肌寒い雫に打たれながら、アクトの嘆くような大声が薄暗い路地にこだまするのであった。


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