19話 剣精霊、学院に通う
最近、某FPSにハマってしまい、執筆速度が遅い今日この頃です……
今日も今日とて、ガラード帝国魔法学院の一日が始まる。
二年次生一組の担任であるクラサメは教卓の前に立つと、手早く黒板にチョークで何かの図形や数式、魔法式などを描いていく。この学院にやって来てからそこそこになるアクトも、既に見慣れた授業風景だ。
「――であるからして、同体積・同質量を持つ二つを転移させる《質量転移》が成立する訳だ。これは正しい法陣構築・触媒配置を行えば、ほぼゼロの魔力で発動させる事が出来る。更に――」
そんな何時もの授業風景だが、アクトが転入してから変わった事が一つあった。それは、今正にクラサメの授業を集中して聞きながら、魔法学の教科書と睨めっこしている彼の膝に座っている少女だった。
(《質量転移》、か。アレは厄介な魔法だったな。囮役の人間が追手を法陣まで誘導することで、別の場所に用意してあった大量の爆弾と囮役の位置を交換、逃げ場の無い路地をそのままドカン。爆破テロの常套手段だな。俺も一度喰らった事があるが、あの時はアイツが……ああもう!!)
授業に聞き入り、過去の思い出(?)に浸るアクトであったが……とうとう、自身の膝の上の感触に耐え切れなくなる。
(……なあエクス、そろそろ降りてくれないか? でないと、そろそろ俺の羞恥心が音速で振り切れそうなんだが……)
と、隣に座っているマグナに聞こえるか聞こえないかぐらいの声量で膝の上に座る銀髪の少女――剣精霊エクスに囁く。今のエクスは普段の私服ではなく、歴とした学院の制服に身を包んでいる。体型的にまだ幼いこの精霊の為に特注した物である。
(お言葉ですがマスター、他に空いている席が無い以上、こうするしか無いと合理的に判断しました。私の所為でマスターのご学友に迷惑をかける訳にはいきません)
(いや、ご学友よりも先に気を使う所があるだろ気を使う所が……!)
授業が始まってから……いや、始まる前からアクトは周囲の視線に晒されていた。教科書を立てて少しでも視線を遮断しなければやっていられない程に。
だが、時々聞こえてくる何かを堪えるような押し殺したような笑い声が、彼の正気度をガリガリと削っていた。その中には、彼がよく知る人物であるコロナやリネアのも含まれているので尚更だった。
(見た目的に十歳くらいの幼女を抱えて本に視線釘付けとか、俺は何処かの父親かよ……)
何故、エクスがこのような行為に及んだかと言うと、それはエクス本人の意思による物だった。決して、アクトの趣味とかそういう物では断じて無い。五日前、偽りの契約を結んだ後、エクスはアクトに引き続き魔力供給をしてもらう他に、もう一つ要求してきたのだ。
『私にも、マスターと同じような生活をさせて欲しいのです』
それの意味する所はつまり、エクスもアクト達のように魔法科学院に通い、人間と同じ生活をさせて欲しいという事だった。
本人曰く、精霊は食事や睡眠など、人間が要するあらゆる行為とは無縁の存在であるが、あくまでそれは精霊としての機能の話、それぞれに備わった人格としての趣味・趣向は別問題らしい。エクスの場合はそれが‟人間が送る生活への興味”のようだ。
……これはアクトの推測ではあるが、エクスのそれは、恐らくエクスが忘れ去ったと言う過去に関係する何かの影響ではないかと踏んでいる。記憶は欠損していても、意識の奥深くでは‟習性”としてしっかり覚えているのだろう。
(しかしまあ、精霊を学院生として通わせられるよう手配したエレオノーラの手腕と権力も、流石の一言と言う他無いな……)
普通、そのような要求など到底受け入れられる筈も無い。だが、主であり対等な関係であるアクトは、なるべくエクスの意思を尊重したいと考え、その場に居たエレオノーラに相談した。
当然の如く一蹴されるのだろうと半ば諦めていたのだが、意外にもあっさりと受け入れられた。彼女が何故か乗り気だったのは、どうせ精霊の珍しい習性を研究する為のモデルケースとでも考えたのだろう。どう転んでも自分の利益になる……実に彼女らしい。
それから先は早かった。エレオノーラは見た目的にまだ中等部の生徒ですら怪しいエクスを「特別優遇生徒」――「特待生」として推薦し、強引に高等部にねじ込んだのだ。
エクスの各種身分証の偽造・戸籍登録を始め、学院側への脅迫にも近い強引な説得まで、彼女が腕を存分に振るった結果……僅か三日でエクスは特待生として高等部編入が認められたのだった。
……だが、彼らは誇り高き魔道士だ。何処の馬の骨とも知れない子供を、この誉れある王立ガラード帝国魔法学院に入れる事に、かなり強い反発を示したのである。
とはいえ、学院長であるエレオノーラの決定を無下にする事は出来ない。そこで、彼らはエクスに対し、急ピッチで作成した試験でその知識と技量を試し、合格点に達すれば入学を認めるという条件を付けたのだ。
あのエレオノーラ学院長直々の推薦と言えど、所詮はまだ子供。高等部の試験より難易度が上がった問題を解ける筈が無い、彼らそう踏んでいた。だが、彼らの思惑とは裏腹に、エクスはほぼ満点に近い成績を叩きだしたのだ。
更に、続いて行われた実技試験にて、エクスは教師陣の誰も見たことが無いような独自の魔法を発動し、彼らの度肝を二度に渡って抜いた。
どうやら魔法ではなく、魔力によって受肉したエクスが元来持ち得る権能の一つだと本人は言っていたが、エクスの正体が精霊である事を知らない彼らにそれを暴くことは出来なかった。
そして、エクスは晴れてガラード帝国魔法学院に二年次生として通う事となった。付け加えると、一組に所属する事になったのは本人の意思+エレオノーラの圧力である。
唯一空いていたマグナの隣を、アクトが座ったことで丁度一杯になってしまった席に難儀していた所、何とエクスはアクトの膝の上が良いと言い出したのだ。
何時もは冷淡で鋭い表情のクラサメだが、あの時の彼の笑いを堪えるかのような引き攣った表情を、クラスの誰もが忘れはしないだろう。
歳も歳なので(実際は何千年も生きているのだが)、保護者であるアクト(何時の間にかそうなっていた)が責任を持つという事で決着した。
という訳で、幼いながらも誰もが一度は見惚れる程の美貌を持ちながらその位階は自分達よりも上という、ある種のギャップを抱えているエクスに、今やクラス中がエクスに夢中であった。
昨日は授業が終わって早々に引き上げたので、今の所は大した噂も流れていないが……広報部、特にあの記者魂逞しい金髪の少女にとって据え膳もののネタ……恐らく、昼休みになる頃にはエクスの話題で持ちきりになっているだろう。
その時に、他の生徒から色々問い詰められるであろうこの状況に、アクトは頭を痛くする他無かった。
(はあ……後で追加の席を用意してもらえないか聞いてみるよ。エクスも、俺の硬い膝よりもそっちの方が良いだろ?)
(いえ、お構いなく。マスターにそのようなお手間をとらせる訳にはいきません。それに……私はこの場所が一番良いのです)
(いやお構いしてくれよ!? 俺の方が限界なんだよ! 初めて会った朝の一件といい、本当はわざとやってるんじゃないよな!?)
(……そんな訳が無いでしょう。マスターをからかうような真似、私がする筈もありません)
(最初のその間は何だその間は!?)
五日前のあの契約をして以来、どうにもこの精霊は主であるアクトを小馬鹿にしているというか、からかっている節がある。あれだけ忠誠を誓うとか言っていたのに彼に対するこの仕打ちである。それを真顔で行うので益々手に負えないアクトであった。
「そこ、うるさいぞ」
「――っ、す、すいません……」
「……すいません」
少し声量を上げ過ぎたか、黒板に板書をしているクラサメにお叱りを受けてしまった。
「ははっ、怒られてやんの」
「うるさい、クライヴみたく投げ飛ばすぞコラ」
「おお、怖い怖い。……おい、見てみろよ。お前の斜め前に座ってる奴の顔をよ」
「はぁ? 一体何だって……うへぇ」
アクトが指示された方を見ると、其処には教科書で顔を隠しながら彼を険しい表情で睨むローレン=フェルグラントの姿があった。クソが付く程の真面目な彼女は、クラスの空気を乱す要因を作り続けているアクトの事が気に入らないのだろう。
(ただ純粋に俺の事が嫌いって顔に書いてあるな。流石、堅物委員長、校内戦の一件で少しは認めてくれたかと思ったけど、やっぱそう上手くはいかないよな……)
ローレンから視線を外した後は、膝に座るエクスを他所に、マグナと小声で軽口を挟みながら、授業はつつがなく進行し……そのまま二限目と続き……三限目の授業が終わった所で、とうとうアクトが警戒していた昼休みが訪れた。
「――じゃ、コロナ、リネア、エクスの事頼むな!!」
「あっ、ちょっとアクト君!?」
「コラ! アンタ、この子の保護者でしょ!? 責任持ちな――」
リネアが驚き、コロナが怒鳴り終わるよりも速く、アクトは早々に教室から退散した。昼休みが始まった瞬間、エクスの周りに生徒達が群がるのが目に見えていたからだ。面倒事に巻き込まれるのは御免被る彼は、今日の主役からいち早く距離をとることで、それを回避したのだ。そして、アクトの読み通り……
「ねえ聞いた? 一組に特待生で凄い可愛い子が来たんだって! どんな子か一回見に行かない?」
「何でもまだ十歳らしいぞ。その歳でこの学院に入学するとは……どんな年齢層にも大天才って居るものなんだな」
「しかも、前にウチに転入してきた変わり者の転入生の知り合いなんだって? 一体、どういう関係なんだろうね?」
廊下は何時も通り、生徒で溢れかえっていた……が、何時もの人の流れとは若干異なっていた。普段は我先にと学生食堂へ向かう為に廊下を走る生徒も、今日ばかりはその行先を変え、アクト達の一組へと出向いていた。
理由は当然、数ある魔法科学院の中でも一番の規模を誇るこのガラード帝国魔法学院に飛び級でやって来た(そういう設定)天才少女を一目見る為だ。
(やっぱり俺の勘は当たってたな。‟触らぬ神に祟りなし”……いや、この場合は触るぬ精霊に祟りなし、か?)
廊下をとぼとぼと歩くアクトの前を、今も尚、生徒が洪水の如く流れていく。あれだけの人間が集まれば正体が露見しかねないが……エクスが放つ上位精霊としての圧倒的な気配は自分の意思で操作可能らしく、今はアクトですら戦慄させたあのプレッシャーは見る影も無い。エクスが精霊――人外の存在だという衝撃の事実はまだ誰にも知られていない筈だ。
(さて、エクスの事はリネア達に任せるとして、俺は優雅に独りでランチでも済ませるか)
アクトは早々に避難したが、いずれにせよ昼食をとる為にエクスを連れたコロナ達も食堂に向かうだろう。人間の生活に興味のあるエクスは、食事にも興味があるらしいので尚更だ。
「……おっ?」
「あ?」
そして辿り着いた食堂の入り口で、アクトは意外な人物と出会った。逆立った茶髪に屈強そうな強面、それに相応しい同年代にしては逞しい体つき……だが前に会った時と違い、耳のピアスは両方とも外され、制服もきちんと着こなしている。先日、コロナと激闘を繰り広げ、記憶は無いだろうがアクトとも死闘を繰り広げた男子生徒――クライヴ=シックサールだった。
「よっ、どうやら無事に復帰出来たようだな」
「……まあな。話は他の連中から聞いた。どうやら、お前には一つ借りが出来たらしい」
「それは良かった。是非、恩に着せてもらっても構わねえぜ?」
「フン、抜かせ」
校内戦前日に見せたような粗野で野蛮な態度は鳴りを潜め、今のクライヴはかなり大人しく静かな方だった。
実は、彼が二日前から復帰していた事をアクトは知っていたのだ。彼の霊的手術を担当した法医師の話では、復帰にはもう少し時間がかかるとされていたのが、存外彼も丈夫らしい。
「……やっぱり、後遺症は残ったのか?」
「ああ。幸い、魔法が使えなくなるような重症は避けられたが、心象風景を構築する『精神体』に浅からぬ傷を負っちまった。呪文詠唱は出来ても魔法発動にはかなりの障害が残るだろうな」
「だろうな。……悪い、俺の不手際で魔道士としての道を閉ざすような真似をしちまって」
緊急事態であったとはいえ、クライヴの魔法能力を低下させてしまった張本人として、アクトも彼の身を案じていたのだ。だが、そんなアクトに対してクライヴは、
「あ? テメェが謝る事じゃねえよ。テメェは暴走してコロナを殺しかけそうになった俺を止めてくれたんだ。感謝する筋合いはあれど、文句を言う資格はねえよ。……それに、俺にも、俺の連れにも記憶が無いから確かな事は言えないがな……俺はきっと、コロナに負けるのが怖かったんだろう。だから、怪しい奴の甘言にまんまと嵌ってしまったんだ」
「……」
生徒達の喧噪で賑わう食堂に二人だけの空間が設けられ、アクトが無言で成り行きを見守る中、クライヴは自身の感情をどんどん吐露していく。彼も彼なりに葛藤があるのだろう。握りしめた拳は小刻みに震えていた。
「だが、もうそれで悩むのは止めた。無論、コロナを負かすのを諦めた訳じゃねえ。アイツには、何時の日か必ずリベンジしてやる。単に、アイツの背中を何時までも追いかけるのを止めにしただけだ。俺は、俺なりの強さでコロナに勝つ。それが、今の俺のやるべき事だ」
「……そうか。はっ、良い顔になったじゃねえか。あの時の乱暴な態度のお前とは見違えるようだぜ」
穏やかな表情でこれからの目標を語るクライヴに、アクトは心から賞賛を送る。今、アクト=セレンシアはクライヴ=シックサールという人間を取るに足らない雑魚では無く、明確に意思を以て相対すべき‟一人の好敵手”として認めた瞬間だった。
(曲がりなりにも俺は、道を踏み外して取り返しのつかない事をしでかしそうになった魔道士を、一人救う事が出来たのだろうか?)
あの時、アクトが動いた結果……コロナを救い、クライヴを正常な道に引き戻し、最悪の事態を免れことが出来た。あの時は焦燥感にも似た何かが自分を突き動かしていたのだが……これが、コロナのいう‟自分から動く”という意味なのだろう。自分のような、他人を斬るしか能の無いような矮小な人間でも、変えられる未来があるという事なのだろうか。
「「「「クライブさーん!!」」」」
その時、廊下の向こう側から四人の男子生徒がやって来る。校内戦でコロナが鎧袖一触に瞬殺したクライヴの手下達だ。彼らも療養中のクライヴとは別に謹慎処分を受けていたのだが、クライヴと同じ日に復帰になったようだ。
「「「「……!」」」」
自分達の頭と話すアクトを見た手下達は、揃いも揃って一瞬怪訝な表情を浮かべた……が、やがて、クライヴの気付かれないよう、彼の背中越しに、全員でアクトに深く一礼した。更に、魔道士には必修の口による暗号文作成で密かに彼に言葉を送る。
(ん、何だ……えーと、タスケテクレテアリガトウ、か)
その意味を正確に解読したアクトは思わず頬を僅かに緩ませる。別に、彼は自分が大した事はしていないと思っている。剣しか取り柄が無い自分には、誰かを斬ることしか出来ないのだ。そう、あの血に塗れたかつての戦場での日々のように……それでも、斬ることで誰かを救える事、殺さずして斬る事を知れただけでも十分だと思えた。
「あ? 何ニヤニヤしてんだ? そろそろ俺は行くぜ。アイツらを待たせてるからな」
「おう。まあ、精々頑張ることだな」
「……ああ。テメェも色々と大変そうだが、まあ、精々頑張ることだな」
「へっ、言ってろ」
そう言い残し、クライヴはアクトに背を向けて手下達の方へと歩み寄って行く。あの一件以来、クライヴの学内での評価は地に落ちたが、それでも付いて来てくれる人間が居る事に、アクトは若干の驚愕を覚えた。それも、彼の人徳が故の信頼なのだろう。
(アイツは、もう大丈夫だな……よし、俺もそろそろ飯にするか)
クライヴの背中を見送り、アクトが食堂に入ろうとしたその時だった。
「ああ~!? 居たー!!」
「この声は……げっ!?」
突如として、群衆の中からアクトの背中に怒声がぶつけられる。恐る恐る後ろへ振り返れば……其処には猛烈な怒気を放ちながら、大股でアクトに近寄る燃えるような赤髪の少女――コロナが居た。その後ろには、リネアやエクス、それに一組の連中も混じっている。どうやら、他のクラスの連中は散ったようだ。
(しまった!? クライヴと話し込んでたら時間が!?)
当初の計画では、急いで食事を済ませた後、静かな大図書館で読書でもするつもりだったのだが、それは完全にご破算になり果てた。
「よくもまあ、こんないたいけな少女を放置して独り優雅にランチとはねぇ……保護者サン?」
「待て待て、エクスは別にいたいけな少女じゃ――」
危うく言いかけそうになった自分の口を、アクトは慌てて閉じる。もう少しでこの群衆の中、エクスの正体が露見しかねない発言をかます所だった、と一人安堵するアクトだが、状況は何一つ好転していない。
「言い訳無用!! ちょっと其処に直りなさい、説教よ!!」
「ちょ、ちょっと待て! 頼むから、話を聞いてくれ~~っ!??」
アクトがこの街にやって来て暫く経つが、二人のこのようなやり取りも最早見慣れた光景となり、学院生にとって、ある種の日常の一部となっていた――
「――ったく、何で俺がお前らの分まで払わなきゃならんのだ……」
みっちり絞られた後、罰としてアクトはコロナに昼食を奢ることとなった。流石にタダで住まわしてもらうのは気が引けたので、エルレイン邸での生活費をとある手段で補填している今のアクトにとって、金銭の工面は常に死活問題だ。三人分の昼食代を追加した結果、今日の彼は無料で食べられる山菜定食だけという悲惨な結果となった。
「いや別に、エクスの分は良いんだよ。俺はエクスの学院内における保護者にして主だからな。でもお前らは違うじゃん……」
「文句言わないの! エクスの所に来た野次馬を捌くのに、アタシ達がどれだけ苦労したことか……お陰で余分なエネルギー消費しちゃったわ」
「あはは、ごめんねアクト君。でも、実際大変だったんだよ? という事で、ご馳走になります」
味のしない山菜をつつきながら愚痴を零すアクトに、今日の定食メニューである、ちょっとお値段高めのローストビーフ定食を頂きながら、コロナ達が口々に反論する。まあ、迷惑を掛けたのは本当なので強く出れないのだが……それでも理不尽を感じずにはいられないアクトであった。
エクスに釣られた他の生徒達も付いて来たのだが、これ以上は迷惑という事でコロナが一蹴した。普段は一緒に食事をとっているマグナは急用で居ない。リネア曰く、彼が所属している研究会の先輩に何かを頼まれたのとか何とか。そういう訳で、アクト達はエクスの素性に気兼ねすることなく、食事を楽しんでいたのである。
「はぁ……で、学院生として、人間と同じ生活をしてみた感想はあるか? エクス」
残りの山菜を一気に喉奥へ流し入れ、おかわりしまくった水で少しでも飢えを満たしながら、アクトは隣でコロナ達と同じ様に定食を頂いているエクスに声をかける。流石精霊、テーブルマナーも、フォークとナイフの使い方も完璧だ。
魔力で仮の体を作っているに過ぎない精霊に消化器官はあるのかと本人に聞いた所、どうやら人間と同じ構造の疑似器官を構築し、食べ物を超微細レベルまで分解、生命力として魔力に変換出来るらしい。しかも、しっかり味も感じるようだ。
「はむっ……そうですね、やはり人間の生活は面白いです。‟視る”事が本懐の私達にとって、マスター達人間の暮らしという物は実に身近で、それでいて縁遠い物なのです。だからこそ、私達はそれに焦がれ、憧れる。……不思議ですね、私は以前にもこのようにして誰かに人並みの生活を体験させてもらった事があるような気がします」
「エクス……」
それは、エクスの言う欠落した記憶の一部なのだろう。エクスに本来の記憶が戻る兆候は今の所、一切無い。どうやら、時間が解決してくれるような問題でも無いようだ。
「すみませんマスター、私達の間に立ち塞がるこの悪しき呪いを打ち破るには、私が過去の事を思い出すのが一番だと思うのですが……力になれず、申し訳ありません」
と言いつつも食べ進める手は止まらない。……が、何時でもほぼ真顔なので判別はしずらいが……主であり、最も近しい位置に居るアクトには、今のエクスの表情にどこか暗い影が差している事に気付いた。
(過去の事は関係無いとか言ってたけど、やっぱり、まだ引き摺っているんだな……はぁ、全く、世話が焼ける精霊だぜ)
短い溜め息を吐いたアクトはポン、とエクスの頭に自分の手を乗せ、そのまま優しい手付きでその銀髪を撫で始めた。突然の行動に正面で見ていたコロナ達は唖然としている。
「わぷっ、わぷっ……何をするのですかマスター?」
「ホント、君の頭は撫でやすい位置にあるよな……あのなぁ、自分でも言っただろう? 過去は今の自分には関係無いって。なのに、思いっ切り引き摺ってるじゃねえか」
「それは……」
「俺は、今の君の主だ。なら、その問題を解決するのは俺の役目だ。……エクス、君は俺に一つ要求したな? なら、俺も一つ要求させてもらう。単純な事だ……昔の事なんて一々思い出すんじゃない。君は俺と共に前を見て生きろ。俺が言いたいのはそれだけだ」
「……!」
どれだけ必死に努力したって、過去だけはどうしようも変えられない。もし、過去に遡れる魔法があると言うのならそれは最早、神の偉業だ。勿論、過去を顧みるのも必要だが、それを何時までも引き摺るのは無意味だ。
「……そうですね。確かに無意味なのかもしれません。……分かりました。とにかく、今はマスターと共に在り、マスターのお役に立つ事を優先します。そして、呪いの事に関してもマスターにご助力願いたく思います」
「若干堅い気もするが、まあ、それで良いんだよ。ほら、早く食べないと冷めちまうぞ…あーほら、口に付いてるって」
その正体は偉大な上位精霊なのだが、言動以外はどうにも子供っぽい部分のあるエクスに、実際の兄妹がどのような物かは分からないが……アクトはまるで年の離れた妹を得たような感じだった。
そんなやり取りをするアクトを、コロナ達はやけに驚いた表情で見つめていた。リネアの方は何処か妙に納得したような様子だが。
「何見てんだよ?」
「……アンタって、意外と面倒見良いのね」
「そう? 別に意外でも無いと思うよ。ほら、コロナも私も前に励まされた事あったでしょ?」
「……そうね」
「おいコラ、勝手に話終わらせるな」
当の本人を完全に置いてきぼりにして相互完結する二人娘。そうして、新たに入学してきた精霊の学生を一人加えた四人組の時間はゆっくりと過ぎていく。それはまるで、穏やかな春の日差しのように――
……だが、この時の、優しい言葉でエクスを励ましていたアクトは知る由も無かった。これから数時間後、彼はある人物によって自らの血塗られた過去を問答無用で抉り返される事に――
……そして、アクト達を含めた、この学院に居る誰もがまだ知らない。己の夢や信念を成し遂げる為のチカラの一つとして、魔法を学び続ける。そんな当たり前の日常がこれからも来ると信じていたこの学院に……創立史上、最大最悪の大惨劇が巻き起こされる事に――
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