17話 剣精霊・エクス
「……は?」
一分、二分……自分の体に身を預けて寝ている絶世の美少女(全裸)を前に、アクトは未だまともに動くことが出来ないでいた。
「……なぁにコレ?」
‟目が覚めたら目の前に全裸の美少女が寝ていた”という、今時の娯楽小説や漫画でも描かれる事は無いであろうベタ過ぎる状況を前に、アクトはこの状況を全く受け入れる事が出来なかった。思考は限界の限界まで加速し、逆に空回りを何時までも続けていた。
何故に、こんな可愛い子が自分のベッドに潜り込んでる?
そもそも、この子誰?
てか、何でハダカ?
後、膝の辺りでもぞもぞ動くのは止めて頂きたい。
しかも、目覚めたばかりの薄着な年頃の男子に、全裸の美少女が体を預けながら寝ているという光景。これはどう見ても――
「完全に倫理的にアウトですね、ハイ。なあ、どうすれば良いと思う?」
完全に空回りした思考の果てに、思わず存在しない誰かに喋りかけるアクト。この光景を街の警備官が見たら、アクトは一発逮捕、即牢獄行き確定だろう。
(俺、この子に何もしてないよな?)
正直、アクトは全く身に覚えが無い。だが、‟身に覚えが無い”などという言葉、世に蔓延る性犯罪者が使う言い訳ナンバーワンだ。弁明しようが無いとはいえ、こういう時、罪に問われるのは間違いなく男の自分だ。
「先ずは、この状況を何とかしないと……」
警備官でなくとも、もし自分を起こしに来たコロナかリネアがこれを見ても一発アウトだ。例え、身に覚えの無い状況なのだとしても社会的に死んでしまうのは必至。……とはいえ、このような全裸の美少女を手で強引にどかす訳にもいかない。どうしたものかと、少女の姿を視界に収めないようアクトが顔を両手で抑えながら考えていると、
「……うにゅ」
「おっ」
ふと、変な声を零しながら少女の灰色の瞳が眠たそうに見開かれ、アクトと目が合う。それから少女はゆっくりと体を起こし、ベッドの上に座る。その所為で少女の艶めかしい肢体が余計露わになるので、目のやりどころに困るアクトであった。なので、
「起きたか。とりあえず、これだけでも羽織っとけ」
「わぷっ……」
そう言ってアクトは床に落ちたシーツを手早く纏めて、少女に向けて放り投げる。それを頭から被った少女は間抜けな声を零すも、緩慢とした動作で自身の小柄な体に羽織る……と思ったら、前の部分ががら空きだったので、全裸よりも余計危ない恰好になってしまったような気がする。
「――さて、先ずは話を聞かせてもらおうか? 君は一体何者だ? どうして俺のベッドに潜ってたんだ?」
少女をどかせてベッドから降りたアクトは作業机に設けられた椅子に腰掛けながら少女に問う。少女に敵意は無いようだが、どうにも大きな力の流れを感じるのだ。
アクトの問いに対して、眠たげに目蓋を擦りながら少女は、
「……下僕たる私が、主である貴方と寝床を共にするのは当然の事では無いのですか? ご主人様」
何かとんでもない爆弾を投下してきた。
「……え? ご主人様? 俺が?」
少女が落とした爆弾は見事に爆発、アクトは余計その思考を混乱させた。何だかもう、頭が痛くなってきそうだった。裸の美少女だけでも十分お腹一杯なのだが、その上ご主人様呼ばわりまでされるとは想定がだった。
(……待て待て。冷静になれ。俺、アクト=セレンシアはこんな幼い少女を部屋に連れ込んで、下劣な行為を働くような最低最悪のクソ野郎だったか? 否、答えは断じて否だ! 俺は潔白だ!)
つまり、‟ご主人様”というのは少女が勝手に自分に対して付けている名前だ。それより気にするべき事が多々あるのは分かってはいるのだが……この‟ご主人様呼び”は生理的にくる物があった。先ずは、
「……とりあえずさ、君の名前を教えてくれるか?」
「私に名乗れるような名などありませんが……かつて私は人々にこう呼ばれていました。『エクス』、と」
「かつて……? まあ良いや。じゃあエクス、とりあえずそのご主人様って言うのは止めてくれるか? 俺の名前はアクト=セレンシアだ。アクトと呼んでくれ」
アクトが名乗ると、エクスは真顔に若干不機嫌さを浮かばせて言う。
「それだけは出来ません。私は貴方の主、その名前を呼ぶなど畏れ多い事なのですから」
「お、おう……じゃあ、他に呼び方は無いのか?」
「そうですね……では、お父さん?」
アクトは思わず椅子から崩れ落ちた。それは危ない響きだ。
「何でだよ!? 何でご主人様からそうなる!?」
「駄目ですか。では……お兄ちゃん?」
起き上がろうとしたアクトは思わずその場でずっこけた。それは犯罪臭がする響きだ。
「もっと駄目だ! わざとだよなそれ!? もうちょっと他に良い呼び方あるだろ!?」
「では……我が主」
「いきなり堅くなったなオイ。もうちょっと柔らかく出来ないのか?」
「では、主と」
「……まあ良いか。うん、それで良いよ」
この少女が自分の名前をまともに呼べないと言うのならこの辺りが落としどころだろう。それに、何故だか呼ばれて気分の悪い物では無かった。何というか、何処か誇らしくなったと感じる辺り、彼もまだまだ年頃の男子なのだ。
「それで、エクス。君は一体に何者――」
その時だった。アクトの自室の扉が軽く叩かれ、外から声が聞こえてきたのだ。この声は――
「ちょっとアクト、何時まで寝てるの? もう朝ご飯出来たわよ」
「アクト君? 起きないと先にご飯食べちゃうよー」
(げっ、コロナ!? しかも、リネアまでこんな時に!)
この屋敷の主とその居候第一号――コロナとリネアの登場にアクトはギョッとする。不味い、非常に不味い。今、彼女達が部屋に入ってくれば一環の終わりだ。とにかくこのあられもない姿の少女を何処かへ避難させねば……その一心でアクトは動き出す。
「おう、もう起きてるから大丈夫だぜ! とりあえずエクス、話は後だ。二人が離れるまでの間、其処のクローゼットの中に入っていてくれないか?(小声)」
「……? 分かりました。マスターがそう言うなら私に否やはありません」
「お、おう。その忠誠心が何なのかは知らねえが頼んだぜ」
手狭ではあるが、小柄なエクスならば問題無いだろう……だが、アクトがエクスをクローゼットに押し込んだ直後、部屋の主が起きている事が判明したのにも関わらず、背後で扉が開く音が聞こえた。
「げっ、何で入って来てるんだよ!?」
「いやー、アタシ達が此処に来る前、廊下でアンタが誰かと話してるのが聞こえたのよね。ご主人様って声が聞こえてたから、てっきり召喚術で呼び出した精霊とでも話してたのかと思ったけど……見た感じ、そうでは無いようね」
(嘘だろ……あの会話、聞こえてたのかよ!?)
その張本人――コロナは恐るべき地獄耳でアクト以外の存在を認知し、こうして乗り込んで来たのだ。そんな彼女に続き、リネアも少し遠慮しながら追って部屋に入って来る。エルレイン邸の住人、勢揃いだ。
「……で、アンタ一体、誰と話してたの? 独り言……なんて言わせないわよ」
「そ、それは……」
怪訝な表情を浮かべながら、問い詰めるコロナ。普段からむすっとした表情の彼女だが、これは明らかに怪しんでいる目付きだ。対するアクトは額に嫌な汗を滲ませながら机の方まで後退し……
「こ、これだよ! これで、ちょっと知り合いと連絡してたんだ!」
怪しさ満点で引き出しにあった物を取りだしてコロナに見せつける。それは、拳程の大きさの赤い宝珠――魔導器「遠隔交信器」だ。エレオノーラとの直通の回線しか持たない宝珠(しかも連絡をとった事すらない)を、嘘を交えて提示したのだ。だが、
「ふーん……こんな朝っぱらから連絡を取り合うなんて、随分と仲の良い知り合いね?」
「そ、そうなんだよ! いやー、本当に困った奴だぜまったく!」
どうやら、コロナの疑念はまだ払拭されないようだ。彼女は更に目を細めてアクトの元に迫って来るが、
「ちょっと、コロナ。人の部屋に押しかけてそんな事するものじゃ無いよ」
「リネア……」
コロナの肩に手を置いて制止を促す聖女・リネア。今のアクトは彼女が絶望の最中に降臨した救いの天使に見えた。
「それにコロナだって、アクト君にいきなり部屋に押しかけられたら嫌でしょ?」
「……アタシ、前にコイツにいきなり部屋に押しかけられて着替えを……~~~!??」
言葉を詰まらせたと思った直後、急に羞恥で顔を真っ赤に染めるコロナ。恐らく、クライヴ達との対決前夜の出来事を思い出したのだろう。あの時コロナはイグニス家の事で意気消沈していたのでそこまで羞恥を感じなかったのだろうが……全てが終わった今、急速に羞恥心がぶり返してきたのである。
「あぁ~、あの時は本当に悪かったと思ってるよ。だから――」
「それ以上言ったら燃やすわよ! ……とにかく! もうご飯だから早く支度して来なさいよ!」
アクトの言葉を遮るようにキレ気味で怒鳴りながら、コロナは踵を返して部屋を出ていこうとする。その直後、アクトは彼女の背中越しに上手い事制止してくれたリネアに「すまない」と手で合図を送る。それに気付いたリネアは、「どういたしまして」と苦笑を浮かべながら短くウインクをした。
勿論、クローゼットに押し込んだあの少女の事はまだ何一つ解決した訳では無い。だが、一先ず窮地は凌げた事に心の中で安堵の溜め息を吐くアクトであったが……
ガタッ――
「「「えっ?」」」
次の瞬間には全てが台無しになった。アクトも、コロナも、リネアも、全員が物音がした方向――クローゼットに壊れた機械のようなぎこちない動作で視線を向ける。
「……」
「お、おい! 其処は――」
コロナは死んだ目のような「無」の表情でクローゼットに近づき、その取っ手に手を掛ける。アクトが慌てて止めようとするも時すでに遅し、ガラッ、と勢いよく扉が開かれ――
「……?」
「……え?」
コロナの赤眼とエクスの灰眼が至近距離でばっちりと合う。エクスは相変わらずのシーツを羽織っただけの薄過ぎる格好のまま、ぼけーっと不思議な物を見た表情でコロナを見ていたが、対する彼女は暫くの間、唖然として固まっていたが……やがて、その体が激しく震えだす。
「アクト君、その子は……」
(終わった……)
リネアは口に手を当てながら信じられないような物を見たようにフラつき、アクトはその表情を真っ青にさせる。完全に凍り付き、気まず過ぎる静寂の空気が室内に充満する。
「……ふ、ふふふ……」
「ひっ……!」
その静寂を破ったのはコロナだ。体を怒りで震えさせ、不気味な笑い声を上げる。そうして振り返った彼女の表情は……今まで見た事が無いくらいの悪鬼の形相だった。ゴゴゴゴ……とアクトの目には彼女の背後で燃え盛る業火が揺らめいているのが幻視される。
「ふふふふ……! この前の一件から、アンタの事を少しでも認めたアタシが馬鹿だったわ……! まさか、こんな幼い子供を部屋に連れ込んでよろしくしてたとわね……!」
「お、落ち着けコロナ! この子は俺が目を覚ましたら何時の間にかベッドに潜り込んでたんだ! 本当に俺は知ら――」
「黙りなさいッ! 何処の誰とも知らない人間が、いきなりベッドに潜り込んでる訳無いでしょ!!」
全く持ってその通りだ。だが身に覚えが無い以上、それでも話し合う余地が欲しいアクト。
「どうやら、アンタには一度しっかり教育する必要があるようね……!」
だが、アクトの言い分を聞く気も無いコロナ。まあ当然だろう、朝一番に同居人を起こしに来たらこんなにも幼い美少女を部屋に匿っていたのだから。ゴゴゴゴゴゴ……! 彼女の背後で燃え盛る業火がよりその激しさを増していき……
「【一回・燃えなさい】!」
「おい馬鹿っ! 早まるな! 頼むから話を聞いてくれぇーー!!」
アクトに向けて左手を突き出し、只の言葉を呪文に変換するという地味に難度の高い技術で魔法を発動したコロナのゲートから灼熱の火球が生み出され、至近距離で放たれようとする。
(ま、マズい! 今のコロナは冷静さを完全に欠いている! あんな威力の魔法をこの部屋でぶっ放したら俺だけじゃない、アイツ自身や後ろのリネアまで……)
《魔道士殺し》で魔法を斬ろうにも、肝心のルーン刻印が施された彼のアロンダイトは鞘ごとベッドの脇に立て掛けられてある。よしんば剣を抜くことは出来ても、其処からアクトが起動式句を唱えてから効果が発揮するまでの間に、確実にコロナの魔法は完成してしまう。どうやっても間に合わない。
(こうなったら……力ずくでも止める……!)
身に覚えは全く無いが、この事態を引き起こした責は負わねばならない。コロナに飛びかかって左手の照準を少しでも逸らさせて被害を抑えようと、アクトが高速の踏み込みで床を蹴ろうとしたその時、
「【消えなさい】」
「「ッ!?」」
部屋の中に響き渡る透き通った美声。刹那、コロナが解き放とうとしていた灼熱の火球はゲートごと音を立てて瞬時に消滅し、後には消滅の際に発した火の粉と宙をキラキラと舞う魔素だけが残った。
紛れも無い対抗魔法。それを瞬時に発動させた張本人――エクスに、三人の視線が集まる。当の本人は何時の間にかクローゼットの中から出てきており、無表情ながらも静かな、だが深い怒気を放っていた。その弾みでシーツが落ちて幼い肢体が露わになるが、今それを気に留める者は居なかった。
「我が主に対する狼藉、断じて見過ごす事は出来ません。どうやら貴女方はマスターの知人のようですが、次にこのような真似をすれば……容赦はしませんよ?」
「「~~~!??」」
それは、コロナとリネアにだけ向けられた気配だった。殺気では無い……だが、身の毛もよだつような絶大なるプレッシャーがコロナに降りかかっていた。彼女には、目の前の存在が‟少女の皮を被ったこの世のモノでは無い何か”に見えた。
「はぁ、はぁ、この気配は……」
「かはっ! はぁ、はぁ……だ、大丈夫……それより、あ、アンタは一体何者なの……!?」
怒り……ではなく、恐怖と焦燥で体を震わせながら掠れるような声でコロナは問う。それは、この場の誰もが気になる謎だった。勿論、アクトも含めて。
そんな三人に対し、謎の少女(未だに全裸)は佇まいを整え、堂々と言い放った。
「私は、『金属』と『武力』の概念を司る『上位精霊』が一柱、『剣精霊』のエクス。マスター……我が主、アクト=セレンシアの忠実なる精霊です」
◆◇◆◇◆◇
「――えぇ!? あの時、力を貸してくれたのって君だったのかごほっ!?」
朝一番に起こったアクトの自室での騒動は一先ず終息し、とりあえず三人は学院に行く準備をしてリビングに集合する事になった。精霊とはいえ、見た目は完全に幼女の姿であるエクスがずっと一糸纏わぬ姿なのは絵面的に非常に不味い。そう判断した女子二人は、アクトから強引にエクスを引き剥がし、リネアの部屋へと連れ込んだ。そして……
「はい。マスターが相対した、あの生まれたばかり精霊を怪しき呪縛から解き放つ為に、微力ながらお手伝いをさせてもらいました」
用意された朝食を早食いしていたアクトはエクスから驚愕の新事実を聞かされ、食べていたパンを喉に詰まらせかけて何度も咽ていた。対するエクスと言えば、黄色を基調としたコルセットドレスに身を包み、元来備わっていた美貌も相まって正に何処かの国の姫君の如き要望だった。この服装はリネアの幼い頃の服を引っ張り出して来た物で、驚くぐらいサイズがぴったり合っていた。
「成程な。あの時、大して魔力を使った訳でも無いのに魔力切れで倒れたのは、あの黄金の光――エクスの力が俺の分の魔力を殆どかっさらていったからなのか……」
その後もアクトとエクスの二人は会話に花を咲かせ、彼らだけの空気がリビングに展開されるのだが……今まで席の隅で縮まっていたが、遂にそれに耐えかねたコロナとリネアが口を開く。
「アンタ達だけで話進めるんじゃないわよ!」
「そうだよ! アクト君はともかく、そこのエクス……さんには私達も聞かなくちゃいけない事があるんですけど……」
エクスの精霊としての強烈な印象とアクトの必死の説明によって、彼がいたいけな幼女を部屋に連れ込んだクソ野郎疑惑だけは何とか払拭することが出来たのだが、当然、二人には沢山の疑問が残っている。
加えて、先の騒動でエクスはコロナとリネアに明確な敵意を向けた。エクスが放つ重厚なプレッシャーを間近で体験した彼女達は少なからず、目の前の精霊に苦手意識を持っていた。そんな二人の心境を量ってか、アクトは何故か自分を最初から慕ってくれている精霊の少女に問う。
「……そうだな。エクス、俺からも聞かせて欲しい。そもそも、何で君は俺のベッドなんかになったんだ? しかも、俺は君と契約した覚えが全く無いんだが……」
「……分かりました。今思えば、私の方も言葉足らずでしたね。マスターがそう言うのなら喜んでお話しましょう。先ずは――」
そうして、謎の精霊は語りだす……遥か昔、かつての主を失った自分は、その際に受けた呪いによって契約を解消する事が出来なくなり、魔力が供給されないまま本来の力を大きく失ってしまった事、
呪いの影響で魔力不足に陥り、存在の希薄化を遅らせる為に、霊験豊かな地を求めて長い年月の間世界を漂っていた事、
消滅を逃れるのと同時に、剣精霊たる自分を扱うに相応しい新たな主を求める為に、大気中の魔力――魔素の濃度が高いガラード帝国魔法学院に根を下ろした事、
新たな主を探すも殆ど諦めかけていた間際……優れた魔法の才能を持つ学院生の中から、唯一優れた剣才と特異な魔法適正を持つアクトを見つけ、彼が持っていた剣――アロンダイトに霊体として憑依し、彼の魔力を少しずつ借りながら存在を回復させていた事、
アクトの膨大な魔力を利用してようやく力が戻ってきた頃、クライヴに憑依していた生まれたての精霊を解放する為に、その絶大なる力を彼に貸し与えた事……
「――そして、マスターが魔力切れで倒れた頃から私は集めた魔力を用いて現実世界で活動する為の分身を作成……つまり、上位精霊の権能たる‟魔力による受肉化”を試行しました。試行中は意識を封印していたので前後の記憶は曖昧ですが、深夜、マスターの部屋で肉体として目覚めたのは自覚しています」
どうやらアクトが例の‟長い夢”を見ている間、エクスは受肉化を果たし、こっそりと彼のベッドに潜り込んだという事のようだ。彼が侵入者の気配に気付けなかったのは‟長い夢”の影響で意識を深い域まで落としていたからだろう。そこでアクトは、今までずっと謎だった事への答えを求めるべく口を開く。
「……なあ、俺はこの一週間とそれ以前に、何度か不思議な現象に襲われてるんだ。一番最初は校内戦の一回戦前日……ああ、エクスが俺に力を貸してくれたって言う戦いの前日な? あの日、屋上に居た俺の後ろにこの世のものとは思えない『何か』が居たんだ。コロナ達に話しても軽くあしらわれただけだったが……もしかして、あれの正体ってエクスだったのか?」
これまでは不可解な現象と位置付けるしかなかったが、こうして目の前に超常の存在を具現化したような少女が居るのだ。今までの疑問も確信に変わってくる。そんなアクトの問いに、エクスは割とあっさり答えた。
「はい、それは私です。剣に憑依した後、今までずっと霊体だった私は受肉化に慣れる為に、度々マスターの魔力を使って一時的にこの姿を現実世界に反映させていたのです」
「そ、そうだったのか。てっきり俺は何かとんでもない何かに取り憑かれてたのかと思ってたら、あながち間違いでは無かったんだな」
つまり、この精霊はずっとアクトの隣に居た、何時も腰に挿している分身に宿って彼を見守っていたのだ。
(最初はマジで驚かされたが……今思えば、居てくれて助かったって言うべきなんだろうな……)
実際、エクスの支援が無ければあの「精霊」との戦いはどう転んでいたか分からなかっただろう。コロナを守れたかどうか分からなかっただろう……その点については感謝してもしきれないアクトだった。
「……とりあえず、大まかな事情は分かったわ」
「そうだね……」
エクスの話を終始無言で聞いていたコロナとリネアは近くに寄り合って小声で何かを話した後……二人共、何処か申し訳無さそうな表情を浮かべながら口を開く。
「「すーっ……ごめんなさいっ!!」」
「……へ?」
「……?」
突然の頭を下げての謝罪にアクトは呆気にとられ、エクスもキョトンとする。
「何で謝るんだ?」
「いやだって、アンタの事、変態扱いしちゃったし、事情を知らなかったとはいえ其処の精霊……エクスにも悪い事しちゃたみたいだしね。まあ、アタシは心の中では信じてたけどね!」
さっき、怒鳴りながら致死クラスの魔法をぶっ放そうとした奴が何を言っているのだろうか……
「実は私、アクト君の事、一瞬見損なっちゃたんだ。こんな事をしてしまう人なんだってね。……でも今考えれば、あの夜、私とコロナにあんな言葉をかけてくれたアクト君がそんな人な訳無いよね。ごめんなさい!」
流石は聖女・リネア。謝るべき所はしっかり謝る事が出来るその度量、流石の一言。隣に座ってる赤髪の少女に、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
(二人のこの反応……俺も少しは人並みの生活っていうのを演じれてるみたいだな)
これが赤の他人だったなら、こうはいかなかっただろう。まだこの屋敷に来て日が浅いとはいえ、二人がアクトをそれなりに信頼してくれているのは。日頃の彼の人徳と行動が生んだ結果だ。
「……てな訳で、二人共、別に悪い奴じゃ無いんだ。むしろ、そっちのリネアなんかは眩しいくらいの聖女っぷりだし、そっちの赤いのは……知らん。だが、高い目標を持ってて俺的には少し羨ましく思ってる。だからさ、さっきの事は水に流して仲良くやってくれよ」
「分かりました。マスターがそう仰るなら私はそれに従うまで――」
「そういうのじゃ無くてさ、俺はもっとエクスの本音で話して欲しいんだ。俺に敬意を払ってくれているのは嬉しいけど、精霊だってちゃんとした自我がある一つの生命体だ。俺は誰かを‟繋がり”っていう物だけで縛りたくは無いんだ」
「……!」
アクトの言葉にエクスの灰色の瞳が若干大きく見開かれる。その時、少女の姿を模した上位精霊の意識の奥で‟何か”が反応した。それは、自分が長い年月を彷徨っている間に遥か過去に置き去りにしてきてしまった、かけがえのない懐かしい‟何か”だった。
――いや、考えるのは止めましょう。今の私はこの方の精霊なのですから。全ては主の望むままに……
「……はい。それでは……コロナ、リネア、私の方も先の一件は謝罪しなければなりません。そして、マスター共々、これからも末永く好意にしていただけると幸いです」
形式ばっていて堅さを感じるが、それでもエクスは自分なりの言葉を素直に口に出した。つもりだった。そんな精霊の誠意を察したのか、コロナとリネアは朗らかな笑顔を浮かべる。
「「うん、よろしく!!」」
こうして、謎の上位精霊は屋敷の全ての住人に受け入れられ、少々一悶着あったものの、エルレイン邸に新たな住人(人では無いが)が増えたのだった――
――解析完了……意識領域に著しい記憶の欠損を確認、復元作業に移行・開始……失敗。意識領域その物が記憶ごと損なわれている模様。復元には多大な時間が掛かると推定。これにより、精霊としての総合性能の低下が予想。
――別個体に申請、「統合意識体」から任意情報の提示による記憶の修正を要請……失敗。当該情報を記録している別個体が存在しない模様。……不可解。
――欠損年代推定、「始まりの精霊」よりこの世界に存在を獲得してから現在に至るまでの記憶と年月を照合……照合完了、現在より二千から三千年前の間に記憶の空白地帯を確認、欠損した記憶と断定。
――私は、一体何を忘れているのでしょうか……?
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