幕間② 不穏な影
それは、草木も眠る深夜の出来事だった。広大な面積を誇る街の外周殆どを、防壁で囲まれた城塞学園都市オーフェン某所にて、
「――首尾はどうですか?」
「はっ、終始滞りなく進んでおります」
オーフェンの中で、壁で囲い切ることが出来ない数少ない場所の一つ――この街で亡くなった全ての人々の魂が眠る大墓地の真下に……墓参りに訪れた人々は勿論、墓の管理人ですら気付かない地下空間があった。それは魔法によって巧妙に隠蔽されており、初めから地下に何かがあると思って探さなければ、一生見つかることは無いだろう。
広さはガラード帝国魔法学院の教室の半分程の大きさで、装飾らしい装飾は何も無く、ポツンと置かれた椅子と机があるだけだ。そんな、ランタンの火から放たれる光だけが唯一の光源である薄暗い空間に複数の男女の姿があった。
「そうですか。では、『箱舟』の準備は?」
「……今、急ピッチで準備を進めているわ。流石にあれだけの人数を一度に運ぶとなると、術式の精密さも魔力消費も段違いね。この『能力』に目覚めて以来の大仕事よ」
「『信徒』の量産は順調に進めております。間もなく当初の予定通りの人数に達するでしょう」
「その事なんですけど――」
薄気味悪い地下空間で繰り広げられる怪しげな会議。その議論の音頭を取っているのは、丁寧な口調で喋り、全身をボロボロの黒いローブで包んだ小柄な若い男――件のぼろローブの男であった。その男に対してため口で話す目付きの悪い謎の女性と、二人に対し敬語で話す中年男の二人は、どちらも何かの紋章が背中に描かれた同じ黒い礼服を着ていた。
「――分かりました。ですが、なるべく急いでください。例の『大魔女』がこの街を離れるのが丁度、約一週間後……それに乗じて我々は動かなければなりません。幾ら我々と言えど、彼女が居座る巨城へ攻め入るのは中々に骨が折れるというか、絶対に無理です」
「お任せください。我らが大願を成し遂げる為に、微力ながら私めも粉骨砕身の覚悟で此度の任に臨みましょう……!」
ぼろローブの男の要請に、中年男は力強く応じる。中年男は筋骨隆々とした強靭な肉体に、体の至る所に古傷を抱える、正に歴戦の猛者といった風貌と、それに相応しい威圧感を放っているのだが……彼は自分よりも遥かに年下で小柄なぼろローブに、心酔にも似た忠誠心を持っていた。
「――それにしても、まさかアンタが今回の任務に出張って来るとはね。『あの方』の許可は出ているの?」
そんな中年男に対し、女性の方は抱えている不機嫌さを隠しもせずに話す。ぼろローブの男への忠誠心や何だのと言った物は、微塵も無かった。
「いえ、今回は完全に僕の独断です。貴女も僕の『眼』はご存知でしょう? この作戦の成功確率を再計算したところ……何故か、ある日を境に確立が急激に下がっていたのですよ。失敗すると分かっている作戦をみすみす放置しておくのもどうかと思ったのでね。他の『鬼』達は忙しそうなので、今回は特別に僕が力添えをしようという事ですよ。それに、『あの方』は全てを見通す御方、僕の独断もきっとお許しになるでしょう」
「フン、なら良いんだけどね。……それにしても、聞き捨てならない事が聞こえたような気がしたんだけど。成功率が下がった? 失敗する? はっ、その『眼』、壊れてるんじゃないの? あの忌々しい魔女が居ないあそこなんて、ちょっと頭が良いだけの教師共と世間知らずのガキだけじゃない。失敗する要素なんて何処にも無いわ」
「まさか、いたって正常です。貴女の言う事も一理一理ありますが、油断は禁物ですよ。教師の中には、軍の精鋭部隊から派遣されて来た人間も少なくないと聞きます」
「精鋭? ああ、軍団とかいう帝国軍でも選りすぐりの魔道士が集まるっていうアレ? 大丈夫よ。例え、奴らがどれだけ優れた『弾丸』でも、私達『大砲』には敵わないわ」
現代魔法戦において、各々の魔道士の質は勿論重要だが、それと並んで重要なのは動員出来る魔道士の頭数だ。局地戦と違い、集団戦闘ではどれだけ魔法の弾幕を張れるか、魔法障壁を張れるか、負傷した兵士の治療に人数を裂けるか……このどれもが魔道士の頭数を必要としているのだ。
……だが、カバーしきれない程の物量差をも覆すことの出来る‟圧倒的な個人”という規格外の魔道士が、世界にはそれなりの数居るには居るのだが。
「理屈ではそうです。ですが、その常識の悉くを覆してきた魔道士が居るのもまた事実。まあ、僕の『眼』がこの作戦に失敗の烙印を押すのも、無理もないと思いますがね。確かに貴女の『箱舟』は一魔道士にしては破格で、非常に便利な力ではあるが、特別戦闘能力が高い訳では無い。『信徒』だけで攻め込むには少々決定力不足――」
「【黙りなさい】」
バシュッ!
ぼろローブの言葉は途中で遮られた。女性の指先から放たれた雷閃が、男の眼前を際どく掠めたからである。いや、間一髪男が避けなければ、雷の槍は彼の片目を確実に抉っていただろう。躱された雷槍は男の背後の壁を穿ち、鋭く細い穴を作った。
「……これはこれは、随分な真似ですね。僕でなければ即死でしたよ」
「それ以上くだらない事を喋るなら次は当てるわよ。魔法の使えないその体で私に勝てるなんて思わない事ね。ちょっと『あの方』に気に入られているからって、調子に乗ってるんじゃないわよ」
濃密な殺気を飛ばしながら、指先をぼろローブの男に照準する女性。彼女が一言呪文を発すれば、致死量の電流が込められた必殺の雷槍が男の胸を抉るだろう……だが、男は女性の殺気をまるでそよ風のように軽やかに受け止め、余裕の態度を崩さない。
「……ははは。確かに僕は魔法をまともに使うことは出来ませんが……本当にこの距離で僕より速く魔法を当てることが出来るか、試してみますか?」
「何……?」
不気味な笑いを漏らし、不敵な笑みを浮かべるぼろローブの男。一触即発の空気が薄暗い地下空間に充満する。ぼろローブの男に心酔している中年男は額に汗をにじませながらも、静かに彼の動向を見守っていた。すると、おもむろにぼろローブの男が外套を僅かに持ち上げると同時に、腰に携えられていた物が露わになった瞬間、
「「ッ!?」」
突如、言葉では言い表せない程に研ぎ澄まされた凄まじい殺気が、ぼろローブから放たれた。それに晒されただけで気を失いそうな程の圧迫感を前に、女性や中年男は何とか意識を保って踏み止まるも、その体は震えていた。圧倒的な「恐怖」によって。
「そ、『ソレ』は一体……! いや、そもそも魔力が殆ど無いアンタがそんな物を扱える訳が……!」
「まあ、確かにまともな運用方法はしていませんがね。この武器は『組織』で新しく開発された『精霊武具』の新たなる形、これはその試作品です。実際に使えるかどうかは微妙な所でしたので、野暮用がてら、魔法科学院の生徒に実験台になってもらいました」
そう言いながら、ぼろローブの男は懐から何かを取り出して女性に見せる。それは、特殊な魔法素材や金属で構成されていたものの、完璧に破損した何かの破片――「剣」の破片だった。
やがて、放たれていた殺気が収まっていき……二人は強烈なプレッシャーから解放された。
「チッ! まあ良いわ。アンタの力は分かったから、精々私達の邪魔はしない事ね……!」
「勿論。僕は僕で勝手に動かせてもらうので、お好きにどうぞ。……少々、気になる相手も居るのでね」
そうして、様々な確執や因縁を残して、誰に目にも触れることの無いこの地下空間での作戦会議はお開きとなった。女性と中年男はそれぞれの目的を全うする為に、夜のオーフェンを奔走する。そして、ぼろローブの男は――
「――さて、僕は僕の目的を果たすとしますか」
雲一つ無い夜空に煌めく星々を暫く眺めた後、ぼろローブの男は懐から一枚の写真を取り出す。数ある「手足」に命じて撮らせたそれは、ピンぼけして不鮮明で画質も低くてブレてどうしようもないくらい粗悪な物だ。まるで、写真を撮った主が慌てて撮ったかのように。しかし、彼の「眼」には文句の付け所の無いくらい綺麗に「見えていた」。
写真は、高い所から撮影されたある少年の姿があった。かなり遠くから撮られた物なので大まかな特徴しか分からないが、美しい黒髪の少年だ。
「僕の目的を完全に邪魔してくれた人間、どんな人物だったのかと探りを入れてみれば……まさか、撮る際に放った一瞬の気配を嗅ぎ取るとは。侮れませんね……アクト=セレンシア、か。しかも、彼の大魔女・エレオノーラ=フィフス=セレンシアと同じ姓名……」
――今回、ぼろローブの男の目的は‟ある没落貴族の令嬢の殺害”だった。只の貴族なら捨て置けば良いが、比類なき才能を持つその少女は、必ずやかつての「大貴族」を再興させ、近い将来、自分達の目的を妨げる強大な障害となるだろう。ならば、その芽を早いうちに摘んでおこうという腹積もりだったのだ。まあ、現在「組織」はやるべき事案が多い為、単独任務という形で彼自身が出張る事になったのだが。
標的と同じ、優秀な魔道士の卵が集うガラード帝国魔法学院の生徒を利用することで、目的を果たすのと同時に、かねてより企画していた実験を進めようとしていたぼろローブの男だったが……目的は完全に破綻、実験素材を帝国に分析される前に速やかに回収する為に、止む無く彼本人が動かなければならない結果となってしまった。
「……何にせよ、まだ諦めた訳ではありませんがね。結局は、僕自らが事を為せば良いだけの話……うん、楽しみが一つ増えたという事にしておきましょう。イグニス家次女・コロナ=イグニス共々、是非彼とも一度手合わせしてみたいですしね」
まだ情報を集めている段階だが、ぼろローブの男の直感が告げていた。この少年は自分と同じ人種であると。魔法が主流となった今の時代、このような「戦い方」をする人間はそう多くは会えないだろう。まだ直接顔を見てもいない段階ではあるが、彼は珍しく自身の鼓動が高鳴るのを感じていた。
未知なる敵との闘争への喜びを――
「……ああ、抑えられません。折角です。『作戦』が始める前に、一度会いに行きましょうか。ふふふふ……」
星空の下、不気味な笑い声を上げながらぼろローブの男は手に持っていた写真を思いっ切り、上に投げ飛ばす。その直後、彼の黒い外套を吹き抜けた風が僅かに持ち上げ、腰に下げた「ソレ」が露わになったその瞬間、
「フッ……!」
男の鋭い気迫と共に閃く軌跡。それにより、落ちてきた写真は数百・数千に分けられて粉微塵になり、只の紙屑と化した――
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