15話 事後処理
アクトが魔力切れで倒れた後、リネアの先導を受けて監督官の教師達が次々と現場に現れた。理由は当然、この騒動の事後処理だ。校内戦――たかが学生同士の戦いとは思えない程崩壊した演習場の復興に、その間に行われる他の校内戦の日程調整……色々とやるべき事は多そうだ。
気絶したクライヴとアクトが運ばれたのに続き…先程まではしっかりと二の足で立っていたコロナも、緊張と体力の限界でいきなりぶっ倒れてしまった。結局彼女も運ばれることになり、三人は仲良く医務室のベッドに並んで眠ることになった。
コロナとアクトは医務室で一夜を過ごした次の日の朝に目を覚まし、一時授業を休んで療養することになった。しかし、二日後には二人共、ケロッとしたようにほぼ全回復し、リネア共々、元の日常に戻っていった。
『二人共、ちょっと…というか、かなりおかしいよ……?_』
療養中、彼らの看護を担ったリネアは戦慄の表情でそんな事を呟いていた。普通ならば、二人にように膨大な魔力量を持っている人間程、短期間で魔力が一気に損なわれた際に回復するのは遅いものなのだが、その辺りは妙に丈夫な二人であった。
そして、この騒動の発端であるクライヴだが……只の魔力切れと過労で寝込んだ二人に対し、彼は謎の精霊に意識を乗っ取られ、無理矢理操られていたのだ。人間と精霊では肉体感覚に大きな差があり、クライヴの体を乗っ取った「精霊」は彼の肉体を好き勝手に使い、強制的に肉体の潜在能力を引き出しアクトと戦っていたのだ。
人間は何時でも100パーセントの力を出している訳では無い。そんな事をすれば、肉体はその負荷に耐え切れず、たちまち自壊してしまう。クライヴの怪我は正にそれだ。幸い、主要な臓器や神経などは無事だったが、骨折数ヶ所・筋肉が断裂した箇所については数えきれない程の重傷だった。こちらは最新の医療設備や治癒魔法などを駆使し、後遺症が無いように何とか治療することが出来た。
だが、傷はそれだけに留まらない。彼だけを救う為だったとはいえ、アクトが魔剣を砕いたことで、クライヴは「精霊」から意識を半ば引き千切られるように分離してしまった。結果として、表層意識の奥深く……魔法を発動する上で欠かせない心象風景を構築する深層意識を司る魂の部分――「精神体」に浅からぬ損傷を負ってしまったのだ。
肉体的な傷と違い、魂に根差す傷は一生付きまとう上に、治療手段に乏しい。学院に常駐している優秀な魔導法医による緊急の霊的手術によって、魔法が使えなくなるという最悪の事態だけは避けられたが、後遺症は避けられないだろう。騒動から一週間経った今も、彼は目を覚まさずにいる。
意識不明のクライヴの対処に続き、遅れて彼の手下達にも事情聴取は行われたのだが…対決当日の記憶は全員鮮明にあったものの、肝心の前日に関する彼らの記憶は、一様に要領を得ない物だった。しかも、その内容が全員ほぼ一緒だというおまけ付きで。まるで、誰かに記憶を植え付けられたかのように……それを魔法的な意識操作による記憶改変と断定した教師陣は証拠・責任能力無しとして、彼らを軽い謹慎に留めるだけとした。
更に、その肝心の原因である「魔剣」だが……こちらも奇妙な出来事の連続だった。使用許可を出した張本人であるクラサメも、本来は別の教師が監督官を務めることになっていたのだが、急な人事異動で対応が遅れたという。しかも、異動前の教師は、対決当日にしっかりと精霊武具使用の許可をとった上で、クラサメに引き継がせたそうだ。
当然、直ぐにその教師の身元洗い出しと事情聴取が執り行われることになったのだが……不思議なことに、その者が学院に在籍していたという記録は根こそぎ抹消・改ざんされており、唯一の証拠は、ある生徒が、その人間が対決前日に怪しげな行動をしているのを見たという、薄い物だけとなった。
より確実な証拠を掴む為、回収された魔剣の破片から出所を突き止めようと、数ある学部の垣根を超えた教師陣は多種多様な魔法技術を用い、各々の人脈を駆使して躍起になってそれを調べ回っていた。本来、その様な些事にはあまり協力的でない魔道士達も、今回の一件はかなり重く見たようである。精霊という、人間にとっては未知の存在であるが故に、その取扱いに関してこれは下手をすればガラード帝国魔法学院に所属している自分達への責任問題になりかねないと思ったのだろう。
その手の界隈ではかなり高名である教師達の徹底的な調査にも関わらず、詳しい事は何一つ判明しなかった。その上、ある日、厳重に保管されていたはずの魔剣の破片は、忽然とその姿を消していたそうだ。その際に再び学院の職員が一名、行方不明で失踪するというこの前代未聞の珍事を前に、監督不行き届けで責任問題を問われていたクラサメにもお咎めは何一つ無しという結果となった。
かくして、この謎だらけの不可解な出来事の連続だったクライヴ=シックサールによる騒動は一先ず終結し、本人が目覚めるのを待つのみとなった。クライヴ以外に事態を引き起こしたとされる「何者」かの足取りを追う手段を完全に失った教師達も、止む無く捜査を断念し、学院は元の静けさを取り戻していく。
「――とまあ、このような顛末となった訳だ」
「何か臭ぇと思ってはいたが、まさかそこまで複雑にこじれていたとはな……」
ガラード帝国魔法学院職員棟四階、学院長室にて、アクトは久し振りにその人物と対面していた。美しいプラチナブロンドの長髪を一括りにして垂らし、妖艶の大人の色気を放つ美貌を持つ女性――帝国が誇る最強魔道士集団「七魔星将」が一柱「第五座・暴虐」のエレオノーラ=フィフス=セレンシアは、執務用の丸眼鏡を掛けて何かの書類仕事に精を出す手間、アクトとの会話に興じていた。
毎度彼は思うが、本当に彼女は人間の寿命を遥かに超越した月日を生きる魔女なのだろうか。まるで時が止まった様に、彼女の美貌は損なわれないからだ。まあ、別に興奮も何も感じはしないのだが。
「アンタ程の魔道士が行方を見失うとはな。そんなに複雑な経路だったのか?」
「いや、私自身が調査に乗り出した訳では無いが、報告を見る限りでは、私でも追うのは困難を極めるだろうな。それ程までに巧妙な隠され方だった」
「って事は、少なくともクライヴの野郎が持っていた魔剣の出所は、まともな精霊武具を取り扱ってる集団や、学院にちょっかいを掛けたがってる二流・三流集団の物じゃねえって事だな……」
エレオノーラから提示された情報を元に、アクトは彼女の執務机から程離れた応接用のソファーに腰掛け、高速の思考を脳内に走らせる。例え、何も分からなかったとしても、其処から推測出来る事は割と沢山ある。分からない事が有益な情報になる事だってあるのだ。
(今回の一件、クライヴは自分で魔剣を調達した訳じゃ無いだろう。対決前日に奴が絡んで来てからの昨日今日で、精霊武具なんて大層な物を用意するなんざ不可能だ)
つまり、あの魔剣を用意したのはクライヴとは別の黒幕……恐らく、手下達の記憶を操作した張本人だ。となると、仮にクライヴの意識が戻っても、その黒幕と接触したとされるあの日の記憶が残っている事に賭けるのは、正直望み薄だろう。
(だが、解せねえな。クライヴに魔剣を渡したとして、その狙いは何だ? 単に、学院に対する嫌がらせ……違う。学院にちょっかいをかける為だけに精霊武具を、たかが一生徒に持たせる訳が無い。そもそも、アイツらは五人組の集団だ。黒幕が何人組だったのかは知らねえが、一歩間違えれば自分達の存在が露呈してしまうような真似、やらかす訳が無い。生徒を懐柔するつもりなら複数で居るよりも、一人で居る奴を狙うのが最もリスクが低いんだからな)
だが、その危険を犯してまで黒幕は彼らに接触し、実際に魔剣を渡した。それには何か明確な意図がある筈なのだ。エレオノーラから譲り受けた報告書では、クライヴ=シックサールはそこそこ名の知れた名家の息子ではあるものの、歴史的にはホワイトな善良貴族だ。手下達もは平民出身の、至って普通の学生であり、特に怪しい経歴や気になる過去は見られない。
人数によるリスクを顧みない程度の三流ならば、直ぐに足が付いてしまう。例外なのは、五人を前にしても一人も逃がさないという絶対の自信がある場合だが……それを考えても栓無き事だった。騒動の後の裏工作を完璧にこなしたような連中がそれを危惧していない訳が無い。
(黒幕がアイツらに接触した理由は……まさか校内戦? そういえばコロナも言っていたな。手下の連中も、最近手合わせした演習授業の時より魔法の力が明らかに増してたって。って事は、魔剣による戦力の増強と手下達の強化でクライヴ達を勝たせようとした? だが、アイツらを勝たせて特をする奴なんて居るのか……?)
しかも、試合途中で暴走してしまうような「不安定」な精霊を封印した精霊武具を校内戦の最後……それこそ「若き魔道士の祭典」まで使わせ続けるつもりだったのだろうか。それはリスクが高過ぎる。
(つまり、長期的な目標ではなく、もっと短期的な目標…アイツらを勝たせる事が目的で無いのなら、校内戦でアイツらが戦うことになるであろう相手を倒すのが目的になる。でも一体誰を……まさか)
その考えに至った時、アクトは瞬時に黒幕の標的を察した。居るではないか、直近に彼らと戦う事がセッティングされていて、曰くつきの過去を持っている、嫌でも目を引いてしまうあの赤髪の少女が……!
「……なあ、エレオノーラ。クライヴ達に魔剣を持たせた黒幕の狙いが、コロナって可能性はないか?」
「コロナ……? ああ、今お前と一緒にエルレインの屋敷に住んでいるイグニスの娘か。そして奇遇だな、我が弟子よ。私もお前と同じ考えに至った所だ」
「誰が弟子だ。それとアンタ、俺がこの結論に至る事を待ってたな? 確かにこれなら、全ての辻褄が合う。騒動の後に失踪した職員が、その黒幕の内通者なら、教師間で共有される校内戦の組み合わせを事前に把握出来たり、俺達とクライヴ達を組み合わせて戦わせる事すら出来ただろう。一生徒に過ぎないクライヴですら掴めた情報だ。手に入れるのはさぞ簡単だっただろうからな……」
その上で、本命である黒幕がクライヴ達に接触し、あの魔剣を渡して自分達を……厳密にはコロナを倒させて校内戦を早々に敗退にさせる。これが、黒幕が望んだ本来のシナリオだったのだろう。だが、その期待を裏切り少女は勝ち進んでしまった。特に大きな怪我も無かった彼女は自分とリネアを率い、これからも校内戦を勝ち進むだろう。
「アクト、お前の存在が黒幕の思惑の全てを挫いてしまった訳だが、お前も標的として狙われないといいな?」
「怖い事言うなよ。用心はするさ……だが、何の為にコロナを狙った? アイツには悪いが、イグニス家はフェルグラント家に並ぶ大貴族だったとはいえ、それは七年前、もう過去の産物だ。そんな家の娘を狙って何の得になる?」
「知らんし、そんな事を私に聞くな。知りたいのなら、お前自ら黒幕を捕まえて白状でもさせるんだな。それより、お前にはもっと考えるべき事があるだろう?」
「それが出来ねえから困ってるんだよ。まあ、そうだな……」
そうだった、とアクトは再び思考の海に潜っていく。目的が分かったなら、次は輩の正体だ。詳しくは分からないが、大まかな正体ぐらいは掴めるだろう。此処で、「分からないという情報」が役に立ってくる。
(クライヴ達の記憶操作といい、俺が破壊した魔剣の回収劇といい、どうやら黒幕は余程自分の存在を知られたくないみたいだな。だが、今回においてはその用心深さが仇となった訳だ)
黒幕の裏工作は完璧だった。そう、完璧過ぎた。名のある魔道士ですら、それこそエレオノーラですらまともに追い切れないと言わせる程、完璧に施された裏工作に専念し過ぎるあまり、返って自分達の存在を限定させてしまったのだ。
(これがもう少し雑な工作だったなら、三流から一流まで、様々な反社会勢力の中から賊の正体を絞ることは難しかっただろう……だが、これ程の裏工作が出来るって事は個人ではなく組織、しかもその数は限られてくるってこった)
ならば、その線から捜査を進めれば良い。これだけの事が為せる賊だ。当然、帝国軍が作っている、危険な反社会組織の情報を集めた資料「特級脅威組織」か、「準・脅威組織」に名を連ねている程の有名な連中の筈だ。危険で巨大な組織であるが故に、情報集は困難だろうが、折角掴んだ尻尾だ。これを逃す手は無い。
(後、気になるのは……わざわざ魔剣を回収する必要があったかだな……まさか、魔剣その物に何かがあるのか……?)
自分達の存在を知られたくないならクライヴ達の記憶をいじるだけでも良かった筈だ。アクトも、それだけなら大して疑いもしなかっただろう。だが、自分達が危険な組織だという事まで明かしてまで、既に力を失った魔剣を回収したのには、何か途轍もなく大きな理由があると彼の直感が告げていた。
……彼自身は大いに不服ではあるが、アクトが簡単にこれに思いつくという事は、彼の目の前に座る大魔女もこれに考え至らない訳が無かった。
「――ようやく至ったようだな。安心しろ、既に私の権限で各方面の危険組織の動向を随時監視するよう命じてある。それでも望みは薄いだろうがな」
「けっ、やっぱりアンタも思いついてたんじゃねえか……つまんね。俺はもう行くぜ。コロナ達を待たせてるからな」
聞くべき事は聞いた。議論しておくべき事も議論した。ならば、もうこの部屋に用は無い。少なくとも、此処でもう少し他愛のない雑談に興じれる程、二人の関係は良好では無かった。
アクトが学院長室から出ていこうとするその間際、彼の背中に向けてエレオノーラは感慨深そうな声音で語る。
「それにしても…転入当時、あれだけ魔法科学院に通うなんて御免だと言っていたお前が、まさか『若き魔道士の祭典』に興味を持つとはな。何か心境の変化でもあったのか?」
「……別に、大した事じゃねえよ。ちょっと面倒で強気でうるさくて料理が下手で…危なっかしくて放っておけない奴に借りが出来たから返してるだけの話さ」
そう、切っ掛けは本当に些細な物なのだ。アクトがコロナに力を貸した一番の理由、それは同じ家に住んでるとかイグニス家の事情とか、そんな物では無い……性格も容姿も違えど、根底にある性質は同じで、危うい爆弾を抱えているという点において、あの赤髪の少女は「彼女」と同じだった。そんな少女を放っておける訳が無かった。
……後は、そんな少女を親友と呼んで慕い、同じような危うさを抱えながらも無条件の信頼を彼女に預けられる、心優しき金髪の少女の願いに応える為、だろうか。
そんなアクトの心情を全て見透かしたように、エレオノーラは言葉を続ける。
「フッ、そうか……アクト、薄々分かっているとは思うが、恐らく、今回学院に仕掛けて来た連中はまだ全てを諦めた訳では無いぞ。今回狙われたと思われるイグニス家の娘には、連中からまだ何らかの接触がある筈だ。お前が彼女を大事に思っているのならば…精々、必死で守ってやることだな。三年前、お前が守り切れなかった『あの女』の二の舞になりたくなりたければな……」
そんな忠告ともとれる言葉を投げかけてきた。それに対しアクトは、
「……ああ、分かってる。誰にもアイツには絶対に危害を加えさせない。この命に代えてもな……!」
決意に満ちた表情でそれに答え、茶塗りの大扉を閉じるのだった――
「――フフフ。アイツから、まさかあんな言葉が出るとはな。『奴』が聞いたら泣いて喜びそうだな」
アクトが去った後で、エレオノーラは一人静かに笑う。何故笑ってしまうのかは自分でも分からなかった。だが、抑えの効かないくらい、どうしようもないくらい、愉快だったのだ。十数年前に自分が「彼女」から譲り受け、この理不尽な世界を生きる術を身に付けさせた少年が…自分の手元を離れた今、目覚ましい心身の成長をしている事が、堪らなく愉快だった。
「ははは。弟子の成長に喜ぶとは、私ももう歳だな……『命に代えても』か。まったく、自分ではなく他人の為に力を使い、命を賭そうとするとはな。私には終ぞ出来ない生き方だ……本当に、『彼女』と同じだな」
その夜、数百年の時を生きる大魔女エレオノーラ=フィフス=セレンシアは久し振りに夢を見た。何十年ぶりかという月日を経て。その夢は……穏やかな日差しが差し込む庭園の長屋にて、ある二人の女性が、紅茶を片手に楽しそうに話をしている、そんな温く、心安らぐ一時の幻想であった――
「――クソオォォ……死にてぇ……!」
校舎棟を出た後、アクトは思わずその場にうずくまって、両手で顔を抑えながら呻き声を出して悶えていた。珍しくその額には嫌な汗がだらだらと流れており、心なしか顔も赤かった。
「何が、『この命に代えても!』だ。俺は、何処の小説か漫画に出てきて、クッサい台詞吐きまくるスカした主人公だよ。よりにもよって、この世で一番聞かれたくねえ奴に聞かれちまった……! 死にてぇ……」
その後もアクトは小声で、ああだこうだうんたらかんたら死にたいだなどと、悶えまくる。時間は夕暮れ時なので道行く人々は少ないが、偶然通りかかった生徒や教師がうずくまる彼を、不思議な物を見たような表情を浮かべながら通り過ぎていった。
「はあ……何してんだろうな、俺」
アクト自身、本当に何故あのような言葉が腹の底から出てきたのかは分からない。もしかすると、エレオノーラに反発してその場の勢いで言ってしまっただけのかもしれない……だが、不思議とアクトに、その言葉に対する違和感は湧かなかった。妙にしっくりと来る言葉だったのだ。勿論、羞恥心は天元突破しているのだが。
(命に代えても、か。……はっ、勢いで言ってしまったとはいえ、こんな言葉が出てくるとは、俺も随分丸くなったもんだな。今の俺を「アイツら」が見たら弱くなったと言うんだろうか?)
何とか立ち直ったアクトは、沈みかける太陽に照らされながら屋外に設けられた遊歩道をゆっくりとした足取りで歩き、待ち人が居る校門に向かう。その間、彼の思いは、「魔道士殺し」として戦場を駆けていた過去に向けられていた。
(不思議なもんだな。コロナやリネア、それに学院の連中と出会ってからというもの、「あの日」からずっと止まっていた三年間が、徐々に動き出しているような気がする……)
それが、彼にとって良い傾向なのか悪い傾向なのかは、本人でも分からない。剣士としてこれからも戦い続けるなら……外界からの接触を絶ってただひたすらに強さを追い求めていた、この街に来る前の自分の方が、技術的にはずっと強かっただろう。相手は魔道士の肉体を乗っ取った精霊であるとはいえ、あの程度の相手に苦戦してしまったのだから。
この街に来て……少々歪ではあるが、当たり前の「日常」というものを経験して、確かにアクトは以前と比べて弱くなったし、感覚も鈍くなった。だが、それは技術的な面の話だ。精神的な面において、今まであまり余裕の無かった彼は「度量」という物を身に付け、それなりの成長をしたと言えるだろう。
過去の自分と今の自分、どちらの自分がアクトにとってより良き選択だったか……それは、これからのアクト=セレンシアという人間の行動によって大きく左右されるのだろう。あらゆる未来は、「可能性」という無限の荒野に揺蕩う物なのだから……
「――おーい、アクト君ー!」
「遅いわよ!」
校門に辿り着いたアクトを待つ、赤と金色の髪を持つ二人娘。片方は穏やかな微笑み、もう片方はツンツンとした鋭い表情で、彼が来るのを待つ。
「おお、悪い悪い。ちょっと話し込んじまってな」
「今日は夕飯の買い出しでしょ? ほら、早く行くわよ。もう日が暮れちゃうんだから」
「あはは。コロナってば、アクト君が来るまでに二回もお腹を鳴らしてたんだよ?」
「り、リネア!? それは言わないでよもう……!」
「何だ、我らがリーダー様は只の卑しん坊だったか」
「ちょっと其処の剣使い、聞こえてるわよ! 今すぐ訂正しないと、魔法で燃やすわよ!」
そんな他愛も無い会話を挟みながら、三人は家路につく。その途中、アクトは一瞬立ち止まり、目の前を仲良さそうに歩く二人娘の背中を見据える。
(守る、か。正直、あの二人なら守られる必要なんて無いと思うんだが…まあ、本当にいざという時が来たなら、その時は……)
だが、願わくばそんな日は来ないで欲しいと切に願うアクト。何故なら人生の内で、大なり小なり闘争に生きることになる魔道士が守られるようなピンチなど、大抵ロクでもない状況に決まってるからだ。その渦中に二人が巻き込まれるのも、二人を巻き込むのも、彼は真っ平ごめんだった。
「……? 何してるんのアクト、早く行くわよ」
「……おう」
やがてアクトは歩き出す。そして何時もの日常を過ごしてゆく。このありきたりな日常が、末永く続かんと心の何処かで願いながら……
読んでいただき、ありがとうございました! 何ぶんせっかちな性分ですので、誤字・脱字報告など、多々あるかと思いますが、その時は是非御報告お待ちしています