14話 魔道士殺し・アクト
『――勝者、コロナ=イグニスチーム』
上空の投影映像に映るクラサメから告げられたコロナの勝利報告に沸き立っていたのは群衆だけでは無かった。それは、今の今までコロナとクライヴの戦いぶりを遠見の魔法で観戦していたアクトとリネアも同様だった。
「やったあ! アクト君、勝ったよコロナ! 」
「あ、ああ……そうだな。見事な戦いぶりだった」
リネアはただ純粋に喜び、アクトも戦闘が無事終わった事に安堵するものの、その胸中はあまり穏やかではなかった。
(まさか、本当に勝っちまうとはな。ホント、つくづく規格外な奴だぜ……)
改めて、少女の天才ぶりに戦慄するアクト。あれ程多くの属性魔法を扱える事も驚きだったが、その手札を切るタイミングも実に絶妙だ。
コロナを才能で押し切るタイプだと判断していたが……とんでもない。彼女の戦況を読み、相手の行動を読む観察眼は驚異の一言に尽きた。
(正直、舐めてた。後でアイツに謝らないといけないな。しかし……)
コロナの事は一先ず頭の片隅に遣り、アクトは彼女の宿敵――クライヴ=シックサールの事を考える。戦闘開始前から妙だとは思っていたが、予想通り、コロナと戦っていたクライヴの様子は昨日自分が見た物とはかけ離れていた。その理由は恐らく、
(間違いなくあの魔剣、だな。だが、所有者の人格を乗っ取れる程強力な精霊を封じ込めた武器なんて、学生同士の戦いに持ち込んで良いものなのか?)
先のクラサメの話では、クライヴは今朝がたあの魔剣を持って来たと言うが…精霊その物への契約と、それに関する様々な手続きを、半日程度で簡単に済ませられる訳が無い。アクトはこの話の裏に、複数の人間の悪意を鋭敏に嗅ぎ取った。
(……正直、どうでも良い話ではあるが、少し気になるな。不本意だが、エレオノーラに事情を聞いておく必要があるか。アイツなら、詳しい話を知っているだろう……)
戦闘を終えたコロナが戻って来るまでの間、アクトがこれからの行動について考えていたその時、異変は起こった。
「なっ、何!?」
「……ッ!」
突如、遠くの方から爆音が響き渡ってきた。唐突な出来事に二人が音がした方を見ると、奥の森林地帯――先程までコロナ達が戦っていた場所の辺りから大量の土煙が舞っていた。
「あ、あそこって、コロナがクライヴ君と戦ってた場所だよね……?」
「直ぐに映像確認してくれ、早く!」
「う、うん! えっと、距離と角度はこのくらいかな……【鋭き眼よ・万里に届け】」
リネアが素早く呪文を唱え、発動する系統外《遠視鷹眼》。光の屈折と操作によって特定の場所に視界を持って来る魔法を、リネアは一時的に契約しているアクトと共有する。
「「なっ!?」」
映し出された光景を前に二人は思わず驚愕の声を上げる。其処には、つい先程コロナが倒した筈のクライヴが再び彼女を襲っていたのだ。校内戦が終わったのにも関わらずだ。
「ど、どうして!? 決着はもう付いたんだよね!?」
(この気配は……!)
かなり遠いが、アクトの鋭い感覚がそれを捉えた。途轍もなく禍々しい魔力の気配が放たれている事に。しかも、映像に映るクライヴの様子は明らかに変だ。
今も尚、どんどんその力を増す禍々しい魔力を放つ何かの気配に、異常なクライヴの行動……嫌な予感がする。対応を教師に任せてこのまま放置しておけば、取り返しの付かない最悪の事態になると、
アクトの本能が訴えていた。三年前の、「あの時」のように……
(俺が、動かなければ……!)
意を決したように、一息大きな溜め息を吐いたアクトは、腰に挿した剣の柄に手を掛ける。
「……リネアは、演習場を出てこの事を監督官…クラサメ先生に報告しながら、このまま魔法を継続して発動して、コロナの位置を俺に教えてくれ」
「う、うん……でも、アクト君はどうするの?」
「決まってんだろ……アイツを助けに行くのさ。幸い、今は明らかな異常事態だ…なら、今の俺はコイツを使えるからな」
「あ、ちょっと待ってよアクト君!? って、早っ!」
一度リネアに剣を見せつけながらそう言い残し、コロナは森林地帯の方へと爆速で走り出した。速い、魔法による強化すら施されていない常人とは考えられない速度だ。
(力を貸してくれ、アイツを守れるだけの力を……!)
そこら中に生えた木々に加え、凹凸激しい複雑な地面を、アクトは器用に乗り越え、殆ど減速せずにひた走る。この学院に来てから初めて感じた明確な「焦燥感」に駆り立てられながら。今、窮地に陥ろうとしている自分達の頭を助けに行く為に――
◆◇◆◇◆◇
「ほら、手貸してやるから」
「あ、ありがと……」
そして、時は現在に至る。アクトの手助けにより、コロナは何とか激痛走る体を起こし、二本の足で大地を踏みしめる。
「それはそうと、何でアンタが……?」
「決まってんだろ、お前を助けに来たんだよ。……ったく、校内戦が終わったのにいきなりお前らが戦いだすから追いかけてたら、お前がアイツに刺されそうになってんだからな。どうなってんだよ、一体?」
「違うわ! アレはクライヴだけどクライヴじゃ無い! アイツは――」
「分かってる。こんな禍々しい気配、人間が発して良い物じゃねえからな」
途中からコロナの言葉を代弁するかのように話すアクトの鋭い目線は、今さっき自分が蹴り飛ばしたクライヴ……いや、彼の体を乗っ取った「精霊」に向けられている。
『ハハハ……まさか、助けが来るとはな……』
間一髪コロナを助けたアクトに対し、「精霊」は暗く嗤う。まるで、無駄な抵抗だと言わんばかりに。その表情は先程の「無」から一転、薄ら寒く、そして醜悪で下卑た形相へと変化していた。
元来のクライヴの凶暴さに満ちた顔も相まり、何とも言えない不気味さを醸し出している。
「さて、ぶちのめす前に一応聞いておくが……お前はクライヴじゃ無いんだな?」
『そうでもあり、そうではない、と言っておこう。今、表層意識を乗っ取ってこの肉体を操っているのはこの我だが、我に溢れんばかりの力を提供しているのは、魂の奥深くに眠るこの人間だ』
今までは中途半端に操られていたクライヴの意思によって会話すらまともに成立しなかったが、「精霊」が表立って意識に現れたことによって、ようやくまともな会話が出来るようになったのだ。
『人間の欲望は本当に果てしない。上位存在たる我の力をこうまで高められる事が出来るのだからな。これ程都合の良い生き物は人間を置いて他におらぬだろう』
「随分、人間の事を下に見てくれてやがるな。じゃあ、その都合の良い生き物の人間様に負けても文句は言えねえよな?」
『我が負ける? 笑止。貴様も、貴様の後ろで精魂尽き果てているそこな娘も、今の我の力の前には足元も及ばぬ塵芥よ』
「精霊」の言動は全て、人間という種を下に見ている発言だ。それは、掛け値無しの本心から来る言葉なのだろう。
霊的存在である精霊が物質界において、霊的な器を持たない人間より上位の存在である事は事実だ。明確な自我を持つ精霊の中には「善」の性質を持つモノや「悪」の性質を持つモノ、「無」の性質を持つモノ……様々だ。
故に、人間に力を貸す時も、高潔な人間に対して「善意」を以て契約するモノや、「悪意」を以て心の弱い人間に付け込んで好き放題するモノも居るのだ。
「……そうか。なら、これ以上に問答は不要だな。コロナ、下がってろ。此処からは俺がやる。コイツが作ってくれたこの更地でなら、俺も全力を出せる。お前はもしもの時に人質にされないよう、なるべく遠くへ行け」
「え、ええ……任せたわよ。信じてるから」
「ああ、任せとけ」
――コロナが自分から十分距離をとったのを確認したアクトは、肩に下げた長剣を両手で正中線に構える。対する「精霊」も、自身の分身たる魔剣の切っ先を右後方に向け、攻撃に備える。
フゥゥゥゥ……
(また、あの呼吸……)
剣を構えながらアクトから、昨日の朝に見せたような重低音を伴う異質な吸気音が発せられる。
訪れる静寂の時間。両者の間には瞬き一つ出来ない緊迫感に満ちた空気が流れ――
「精々、散々見下してた人間様に負ける屈辱を噛み締めるんだなっ!!」
『抜かせ! この下等生物がっ!!』
お互い地面を蹴り、丁度中間の位置で激突した。直後に繰り広げられる剣戟の嵐、「精霊」が振るう剣技は先程コロナを追っていた時に見せたそれよりも遥かに洗練されている。
まともに剣を振るう機会が無かったのもあるが、今の「精霊」の剣速はコロナが見切れる速度を大きく超えていた。
(速過ぎる……! とても目では追い切れない……本当にこんなのに勝てるの……?)
アクトも自分の剣にかなりの自信を持っていたようだが、相手は人の領域を超えた人外の身体能力の持ち主。その圧倒的な勢いを前に何もすることが出来ないまま、なます切りにされる彼の姿がコロナの瞳に幻視されるが…
『……ッ!?』
その驚きは「精霊」の物。何と、「精霊」が振るう超人的な剣技に、アクトは防戦一方どころか、まるで臆する事無く完璧にその速度に付いて来ていたのだ。「精霊」が振るう剣を鮮やかにいなし、流れるような動作で反撃の剣閃を放つ。
『何……?』
「そんなもんかよ!!」
アクトの剣はどんどんその速度を増し、「精霊」のそれを上回るに至った。「精霊」の剣技も十分、人の力を超えた代物だが、アクトの剣技はそれを更に超えている。
(あの光は、「魔力光」……?)
コロナが見れば、「精霊」を剣で圧倒するアクトの全身からは、銀色の謎の光が勢いよく放出されていた。銀光がより強く輝くごとに、アクトの体捌きは加速度的に速くなっていく。
銀光の正体――それは、アクト自身の魔力。
魔力の使い道は、魔法を起こす為の燃料だけでは無い。事象を歪めるという性質をエネルギーとして放出することで、「移動」や「攻撃」と言った、その人間の行動という事象を強化することが出来るのだ。
放出した魔力の光である「魔力光」は人によって様々であり、アクトの場合は銀色、コロナの場合は赤色といった感じだ。
(魔力による「行動強化」、しかもあれだけの出力で……でも、それだけじゃ……!)
確かに、アクトの剣技は凄まじい。魔力操作もかなりの物だ。だが、これはただ剣技を競うだけの試合では無い。如何に魔法の力を活用するかの「実戦」なのだ。
『ならば! 【小さき炎で彼の者を焼かん】!』
純粋な剣技では分が悪いと判断した「精霊」は、一度大きく距離をとる。そして、自身の肉体を流れる魔力を熾し、人間が使う呪文を唱え始める。
(精霊が魔法を……! ダメ、剣士のアクトじゃ……!)
超遠距離から一方的に強力な魔法攻撃で敵を殲滅、それが剣や弓と言った武器が旧時代の産物と化した理由だ。必然的に、アクトと「精霊」の間でその構図が完成しようとしていた。
『燃え尽きろ!』
「逃げて!!」
発動する炎熱《火炎球》。形成されたゲートから大量の火炎の弾丸が放たれ、アクトに襲い掛かる。その物量、明らかにクライヴ本人の事象改変能力を遥かに超えた規模の弾幕だ。
魔法を使えないアクトに、この攻撃を防ぐ手段は無い。迫り来る炎弾の群れを前に、アクトは、
「やるしか無いか……【ルーンよ・我が命に応え・起動せよ】――」
その場で地面に剣を突き刺し、小声で何事かを呟く。刹那、彼の言葉に応えるかのように、突き刺された剣の刀身に掘られた謎の幾何学的な紋様に、紅い光が走り――
ドガァアアアアンンッ!!
「アクトッ!!」
『ハハハハ! 剣一本で我に挑んだ愚か者めが!』
生じた火炎の爆発がアクトを飲み込む。明らかな直撃だった。コロナの悲痛な叫びと、「精霊」の嫌らしい笑いが森林に響く。これでアクトは戦闘不能、初見なら誰しもがそう思うだろう。だが、
「何仕留めた気になってんだよ」
『――ッ!?』
爆炎の残滓と土煙の中から出て来た人影――アクトは、制服のあちこちを煤だらけにしながらも、全くの無傷で其処に立っていた。あれだけの魔法攻撃を受けたのにも関わらずだ。
「う、嘘っ!? な、何で……?」
『み、認めんぞ! 【喰らい尽くせ・紅蓮の猟犬よ】!」
今起こった現実を受け入れらずに、「精霊」次の呪文を放つ。だが、それはコロナの知らない呪文だった。
直後、現れたのは炎で形作られた巨大な犬型の怪物、その総身には人間一人を消し炭にしても余りある熱量が込められているのが分かった。
「な、何て熱量……! これを受けてはダメ!」
『もう遅いわ! 燃え尽きろ!』
「精霊」の命令を受けて、炎の猟犬はアクト目掛けて走り出す。アレの咢に囚われたが最後、凄まじい熱量の炎によって消し炭必至だ。そんな命の危機を前に、アクトは不敵な笑みを浮かべながら剣を構える。
「フッ!」
アクトの右手が霞んだ瞬間、雷速もかくやと思われる程の速さで振るわれた剣が、猟犬の首を斬り落とした。だが、この猟犬は魔力で作られた炎の概念存在に過ぎない。例え、首を落とされようと炎は主の命を全うする為にその猛威を振るうだろう。
そう思われた矢先、異変は起こった。
『な、何だと!?』
「魔法が、消えていく……?』
そう、アクトの剣が猟犬の首を刎ねた次の瞬間、炎熱は急速にその勢いを弱めていき、まるで最初から何も無かったかのように、その存在を消滅させた。
「これで満足か?」
『い、一体何をしたのだ!? 答えろ!』
最早、「精霊」に余裕は残されていなかった。元より、この精霊は生み出されてからまだ日が浅い存在だ。
故に、人格的にもまだまだ未熟で、自分の知らない物を見せられた今、自身の器の小ささを露呈させてしまったのだ。
満足な反応を得られと言わんばかりに、嫌味ったらしい笑みを浮かべたアクトは答えることにした。
それは「精霊」だけでなく、共に今の現象を目撃したコロナに向けて。右手に握られた、先程から謎の深紅の光を放つ剣を見せつけながら。
「教えてやるよ。これは俺の『魔法適正』を利用して、俺自身がこのアロンダイトに掘った『ルーン刻印』だ。その能力は、‟能力発動中にこの剣に触れたありとあらゆる魔法の存在を完全消滅させる”だ」
そんな事を自慢げにアクトが言い放ってから訪れる柄の間の静寂、そして――
「『はああああっ!??」』
コロナと「精霊」は同時に素っ頓狂な声を上げた。
ルーン刻印――主に、魔導技術によって生み出された魔導器に使われる技術だ。発動させたい魔法の起動式をある道具に刻印することで、魔力を通してその魔法を瞬時に発動させることが出来る。
魔導器作りには必須にして、最も職人の腕が問われる部分である。
だが、問題はそんな基本的な技術では無いのだ。
「……魔法を消し去るって、どんな種類の魔法でも?」
「ああ。呪文を唱えて、事象を改変することで発動した魔法なら何でもな」
掠れるような声を振り絞った問いにもあまりにもあっさりと答えるので、思わず立ち眩みを起こしてしまうコロナ。それ程までに、彼の能力は規格外だったのだ。
アクト=セレンシアの魔法適正、それはどんな属性魔法でも系統外魔法でも無い、彼一人だけが持つオンリーワンの適正――‟事象の切断・消滅”だ。
魔法は、魔力を用いて事象付属霊体を改変することで、現実を捻じ曲げて発動する物だが、彼にかかれば如何なる魔法でも事象付属霊体を概念的に切断、逆説的にその魔法を最初からなかったことにされてしまう。
「名付固有魔法《魔道士殺し》。魔法を嫌う俺が、精霊……お前なんか足元にも及ばないような人外の化け物達と対等に張り合う為に生み出した、魂の結晶だ」
『何だと……』
言うなれば、アクトの能力は一度発動したらどんな魔法でも消し去ってしまう究極の対抗魔法だ。直に作用させるのは難しい為、アクトはやむを得ず自身の血を触媒にして発動させるという手段をとってはいるが、それでも十分驚異的な能力だ。
この能力の前では、あらゆる魔法戦の常識が無に等しくなってしまうのだから。
加えて、先の攻防で見せたアクトの剣術と体捌き、この三つが合わさればどうなるか……考えるのも恐ろしい。
学院に来る前……アクトは数多の戦場において、己の半身とも言うべきこの力を使い、凄腕魔道士を何百人も葬ってきた。何時しか、彼は多くの魔道士に畏敬の念を込めて、その力と同じ名前で呼ばれるようになったのだ。
「魔道士殺しのアクト」と――
「……」
『……』
魔法に対する絶対的な対抗手段。あまりに現実離れした力を目の当たりにし、コロナはおろか、「精霊」すらも開いた口が塞がらなかった。
「答え合わせも終わったし、続きをやるとするか」
そんな二人の心境など露知らず、アクトは再び銘剣・アロンダイトを構え直す。この剣も只の剣では無く、特殊な魔法素材と「錬金術」によって生み出された魔法金属――「魔法銀」で鍛造された大業物だ。
「何度でも言ってやるよ。お前は、戦う相手を間違えったってなっ!!」
開戦直前に聞こえた重厚な吸気音が再びアクトから発せられると同時に、その体から銀色の魔力光が溢れんばかりに放出される。
――刹那、彼の姿は霞と消えた。
『ぬおっ!?』
次の瞬間にはアクトは、彼我の距離30メトリアを一瞬で駆け抜けて「精霊」の眼前まで迫っており、超速の剣を振るう。辛うじて魔剣で防ぐ「精霊」だったが、アクトの十八番である近接戦が再開する。
「精霊」は何とか再び距離をとる為に必死でアクトに食らいつく。先程の「魔法を切る斬撃」は発動に時間が掛かると推測し、距離をとると同時に魔法攻撃で倒そうという腹積もりだったのだが…
ガガガガガガガガガッッ!!!
『ぬおおおおお!?』
アクトの剣閃は先程とは比べ物にならない程の速さだった。その速度たるや雷速に迫る勢いだ。防御に専念する「精霊」だったが、徐々に制服を斬り裂かれ、余力を奪われていく。
「おらっ!」
『ごほっ!!」
そして、遂にその防御を破られ、その隙を突いて瞬時に繰り出されたアクトの回し蹴りの直撃を受けた「精霊」は地面を何度もバウンドしながら吹き飛ばされた。
『がはっ! はあ、はあ、そ、その速さは何だ……? 魔力の放出だけではあるまい……!』
横腹に直撃を受け、暫く動けないでいる「精霊」。今の動き…戦闘開始直後の動きからは考えられないような一連の動きに「精霊」は思わず敵であるアクトに問うてしまうが、あっさり彼は白状した。
「一之秘剣《縮地》。続き、二之秘剣《雲耀》だ」
今のアクトの異常な速さの原因は強烈な魔力放出だけでなく、全身の筋肉を総動員させることで爆発的な力を生む、数あるアクトの技の中の二つだ。
時折見せるアクトの重低音の様な呼吸はその準備であり、体内の血流を早めて心拍数を高め、全身の筋肉を震わせて筋力を高める動作の余波だったのだ。
『き、貴様……! 一体幾つ切り札を持っているのだ……!』
「この程度驚いてんじゃねえよ。まだまだ技は残ってるぜ」
「精霊」は戦慄した。目の前の人間の不気味さに。「魔力放出」? 「秘剣」? 止めに「魔法を斬る剣」? これだけでも十分驚異的だと言うのに、単に強がりではなく、まだまだこの人間には余力が残っているように見える。
自分の知識の埒外にある得体の知れないソレを相手にし、「精霊」は極めて俗っぽく、人間なら誰もが抱える感情……「恐怖心」で一杯だった。
『……ならば!』
恐怖心につき動かれた「精霊」は発条が爆ぜるようにその場から飛び退る。「精霊」は一刻も早くこの感情を拭いさる為にあの人間を殺さなければならないという思いで一杯だった。
『ハァアアアアアア……!』
(あ、あの動作は……!)
アクトから十分距離をとった「精霊」はその場で自身に流れる禍々しい魔力を、その手に持つ自身の分身に注ぎ込む。
魔法も剣も通じないのならば、より強力な一撃で葬り去るしかないと「精霊」は考えたのだ。更に、「精霊」は彼に唯一ある弱点を見抜いたのである。
目の前の男から放出される圧倒的な禍々しい瘴気に、アクトはまるでそよ風を受けているかのように平静を装っているが、内心はあまり穏やかではなかった。
(圧倒的な実力差を見せつけて、傲慢な奴の戦意を削ぐ狙いだったが……クライヴの肉体を人質にとられている以上、手が出せない)
そう、「精霊」が持つ唯一の利点……それは目的の違いだ。
「精霊」の目的はいたって単純、アクトを殺し、肉体の主であるクライヴの願望を叶える事。だが、アクトの目的はあくまで「精霊」を斬る事であって、クライヴを斬る事では無い。
今、力を溜めるのに夢中で隙だらけの「精霊」をなます切りに出来ないのがその証拠だ。
あの手この手で「精霊」の攻撃を阻むことは出来ても根本的な解決にはならない。この戦いに勝つには「精霊」をクライヴから引き剥がすのが絶対条件だ。
『フ、フフフ……! 手が出せまい? 当然だ、貴様の狙いはこの人間を救う事だろう!? だが、我ごと斬り捨ててしまえば当然この人間も死ぬのだからなぁあああ!!』
最早、今の「精霊」には精霊の矜持も誇りも無かった。ただ理解不能なモノをこの世から消し去りたい、ただその思いで一杯だった。
「な、何てヤツ……! アレが本当に精霊なの!?」
コロナも後先顧みない必死な「精霊」にドン引きだった。今まで自分の中で、精霊はもっと高潔で誇り高い神様のようなモノだと認識してきたが、この様な悪意に満ちたモノまで存在しているとは思いもよらなかったのだ。
「はぁああああ……!」
刻一刻と瘴気を魔剣に溜めていく「精霊」を前に、アクトもまた、自身の銀色の魔力光を放出し、身体ではなくアロンダイトに集めていく。その銀の輝きは、戦いが始まってから一番力強く光輝いており、エネルギーに満ち溢れていた。
(やるしかねえ。このクソッタレな精霊をぶちのめすには、奴の半身とも言うべきあの精霊武具を壊すしかない。この「縮退魔力撃」を正面から当てて……!)
一か所に留まりながら攻撃を放とうとしている今の状態でしか、迎え撃つしか方法は無い。魔剣を打ち砕く為に、アクトは剣に魔力を集中させ続ける。
やがて膨大な銀色の魔力光は剣全体を包み込み、眩い輝きを放つも、彼は更に魔力を練り続ける。更に、更に、更に――
『死ねぇえええええッ!!』
「ぶっ壊れやがれぇええええッ!」
ある時点でお互い力を溜め切った両者は同時に地面を蹴り砕き、至近距離で魔力満ちる剣を振るう。瘴気と銀光、二つの巨大な力は凄まじい衝撃波を共いながら激突した。
『オオオオオォォォッ!!』
「はあああああああッ!!」
両者の力は完全な拮抗……厳密には違った。アクトを両断せんと「精霊」が振るう瘴気の刃に対し、アクトの狙いは「精霊」ではなく、その半身である魔剣だ。
流石、精霊と言うべきか、力の総量的には「精霊」が上回っており、アクトは優れた体捌きによって絶妙な加減でその力をいなし、何とか拮抗に持ち込んだのだ。
だが、その小細工も長くは続かない。徐々に、アクトの刃は後ろへ押し込まれていく。
「ぐおおおおおぉぉ……!」
『そんなものか、人間!! どうやら我の本体を叩こうとしたようだが、貴様の脆弱な刃などで我が剣を砕くなど出来ぬと知れ!』
必死に抗うアクトを嘲笑う「精霊」。クライヴの肉体を人質にした策略により、完全な形勢逆転を為した「精霊」は感情に余裕を取り戻し、矮小な人間の無駄な足掻きに暗い愉悦を覚える。
「くそがああッ! いい加減、折れやがれえええッ!!」
烈迫の気合と共に粘り続けるアクトだが、瘴気の刃は銀光を飲み込んでいく。決壊は時間の問題だ。
そんなアクトを前に、気付けば傍で見守っているコロナは何も出来ない自分に歯噛みする。未だ顔を青くする彼女に、最早、有効的な威力を持つ魔法を発動させることは出来なかった。
(何か、何かアタシに出来る事はないの……今も必死にアイツが戦っているのに、アタシには何も出来ないの……いや、あるはずよ。今、魔法一つ唱えられないアタシにも唯一出来る事が……!)
それは、別に意味のある事では無いのかもしれない。それによって力が増す訳では無いし、魔力が高まる訳では無い。
だが、それでも、今の自分に出来る事をするしかないのだ。あの時、自分を窮地から救ってくれた黒髪の少年に報いる為に……! 意を決したコロナはその場で踏ん張り、大きく息を吸い、
「負けるなぁあああっ! アクトォオオオオオッ!」
力の限り声を振り絞り、精一杯彼を鼓舞した。「精霊」からしてみれば、何ら意味のある行為では無いのだろう。人間を下に見る余り、人間が引き出す潜在的な力を認知出来ない、信じることが出来ないあの「俗物」には。
(……そうだ、俺は何の為に此処に居る? クライヴの野郎を救う為? いけ好かないこのクソ精霊をぶちのめす為? 違うだろ! コロナを助ける為だろうがっ!)
その助けるべき本人に励まされては本末転倒というものだ。そもそも、自分はこの校内戦の間、彼女に力を貸すと誓ったのだ。ならば報いなければならない……!
『馬鹿なっ!? 何処にこんな力が!?』
「テメェには一生分からないだろうがな! 人間ってのは自分の為だけじゃない、他人の為に無限の力を出せる生き物なんだよっ!」
銀色の魔力光は更に輝き、瘴気を飲み込むんで行くが……まだだ、まだ足りない。この諸悪の根源である魔剣を打ち砕くには、アクトの全力だけでは足りないのだ。
(クソッ! 持ち直したは良いが、まだもう一手足りない! 何か、この状況を覆せるだけの起死回生の一手が……!)
中々魔剣を打ち砕けない事に、アクトが歯噛みするその時だった。
――仕方ありませんね。仮にも私の新たな主……まだ契約はしていませんが、力を貸しましょう。
アクトの脳裏に、透き通るような何者かの声が響いたその時、
『なっ!?』
「これは……!」
突如、眩く光る銀光に包まれたアクトのアロンダイトから、金色の力の奔流が噴き出したのだ。金色の奔流は銀光をあっという間に飲み込むと同時に、アクトに爆発的な力をもたらす。
(な、何だこの力は!? 俺の物じゃねえ……だが、今なら何でも出来そうだ!)
突然沸き上がってきた謎の力に困惑しながらも、アクトはここぞとばかりにその力を存分に利用し、剣に更なる魔力を注ぎ込む。アロンダイトからこみ上げる金色と銀色、美しき二色の力は「精霊」の瘴気をどんどん飲み込んでいき、
『お、お、おのれええええええっ!??』
「これで、終わりだあああああッ!!」
その力の根源たる、魔剣を真っ二つに斬り裂いた。それに留まらず、振り抜かれた金銀の奔流は魔剣を砕かれたことで消滅しようとしている瘴気の刃ごと、「精霊」の背後に立ち並ぶ木々を薙ぎ倒した。
遅れて吹き抜ける衝撃、その余波によって「精霊」は大きく吹き飛ばされる。
『――体が、動かん……!』
衝撃波で吹き飛ばされ、体を動かせずに倒れ伏したままの「精霊」。それは、体の痛みによって動けないのではない。器である魔剣を砕かれた今、クライヴの体を乗っ取っている「精霊」は彼の肉体から急速に剥離し、元の霊体に戻ろうとしているのだ。
『せ、折角手に入れたこの肉体、そう簡単に捨てて、なる、もの、か……』
例え破壊されようと、完全に破壊されない限り、ある程度の集合体ならば力は発揮されるものだ。砕かれ、破片となって飛び散った魔剣の残骸を繋ぎ止め、少しでもその存在を保とうと地面を這いずろうとする「精霊」だったが、やがて体どころか呂律も回らなくなっていく。
『お、おの、れ……!』
そして遂に、「精霊」は完全にクライヴの肉体から意識を切り離され、後には気を失って微動だにしなくなったクライヴ本人だけが残るのだった。
「はあ、はあ、はあ……お、終わった、のか……?」
荒い息を吐きながら、アクトは呆然と呟く。先程沸き上がって来た金色の力を行使して以来、アクトの体からは魔力がごっそりと抜かれていたのだ。その場に倒れそうになる所を、剣を杖代わりにして踏み止まる。
「あ、アクト……大丈夫なの?」
「ああ、何とかな。お前も無事そうで何よりだ。それに、クライヴの野郎も生きてる。ったく、こんな面倒な事の後始末させやがって…コイツが起きたら絶対一発ぶん殴ってやる」
「……そうね。アタシの方も一発じゃとても足りないわ」
アクトの無事に、彼の元に歩み寄って来たコロナはほっ、と一先ず安堵の溜め息を吐く。彼が戦っている間、コロナの魔力も戻り、何とか歩行に支障が無い程度には回復していた。だが、アクトの方はそうはいかなかった。
「ははっ、そうだな。とにかく、何とか一回戦突破じゃねえか。まだまだ、これから、だ……」
「ちょ、ちょっとアクト!?」
刹那、アクトの視界が急にぐらついてぼやけたかと思えば、凄まじい虚脱感が彼を襲った。失われる平衡感覚に対し、剣を支えに何とか踏ん張る。見れば、その表情は真っ青だった。更に、手も震えて心音も弱い……先のコロナと同じ、「魔力枯渇省」の前兆だ。
「やば、ちょっと無理し過ぎたか……」
「だ、大丈夫!? アクト、アクト!?」
そして遂に、急激な虚脱感に屈したアクトはそのまま地面に倒れ込む。薄れゆく意識の中、彼が最後に見聞きしたのは、コロナの悲痛な叫びと泣きそうな表情だった――