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誰が為の味⑤

 

 ──豪華な食事に彩られた宴もお開きとなり、食堂から人の気配が失せたその日の夜。一人、こっそりエルレイン邸を抜け出したコロナは、屋敷から徒歩二分といった距離にあるバーに足を運んでいた。


 仕事帰りの飲んだくれや粗暴者が集う場末の居酒屋と違い、店内には薄暗がりの空間に落ち着きのある帝国式の楽曲が流れ、上品な雰囲気が漂っている。カウンターや座席に座る客達からも、いかにも大人の余裕というものが感じられる。


 そんな店に、こんな時間、どう見ても未成年のコロナが入るのは問題なのだが、此処の店主は屋敷の主であるリネアの両親と顔馴染みだ。コロナとも何度か面識があり、特に入店拒否はされなかった。


 コロナは店内をぐるりと見回すと、やがて待ち人が座る席へと向かう。


「お待たせしました、先生」


 バーの最奥、殆どの客から離れた座席でカクテル入りのグラスを優雅に傾けるその相手は──料理教室の講師イザベラ=ルイーズだった。 


「待ち合わせ場所にって教えてもらったけど、良い店ね」

「居候先の家の両親が懇意にしているお店なんです。気に入ってもらえたならよかったです」


 人生経験豊富な大人びた印象を与えるイザベラがグラスに口を付ける姿は、店の雰囲気も相まって実に絵になっていた。


 コロナはイザベラの対面に座ると、酒は飲めないので適当なドリンクを注文しておく。


「すみません。思ったより盛り上がっちゃって……」

「大丈夫よ、私も用事を済ませてさっき来たところだから。それで、結果はどうだったの? ……ふふ、その様子だと成功したみたいね」

「はいっ。皆、凄く喜んでました」


 この日に至るまで、コロナはイザベラ指導の下、料理の猛特訓を行っていた。料理教室内でも積極的に教えを請い、プライベートでも時間を作ってもらっては手ほどきを受けていたのだ。


 お陰で、肝心の学業や「校内選抜戦」などと並行してこなさなければならず、ここ最近のコロナのスケジュールは恐ろしく過密になっていたのだが、その辺りは彼女の器量を以てすればどうという事もなかった。


「でも結局、作った料理のうち、半分以上を先生に手伝ってもらっちゃいましたけど……」


 そう、幾らコロナが猛練習したといっても、短期間であれだけの料理を作れるまで腕を上げるのは、流石に無理があった。他の住人達が屋敷を出ている間、密かに招かれていたイザベラがコロナを手伝っていたのだ。


「アタシ一人じゃ、あんなの絶対に無理でした。先生には本当に感謝しています」

「私は隣でアドバイスしたりサポートしただけ。実際、コロナさんの頑張りは凄かったわよ。私もあそこまで上達するとは思わなかったもの。そんな事よりも、どうだったかしら? 自分が作った料理で、誰かを笑顔にする喜びは掴めた?」


 イザベラの問いに、コロナはふと目を閉じ、これまでの過程を振り返る。


 ──思えば、慣れない料理で自分があそこまで頑張れたのは、そこだったのだろう。リネア、アクト、エクス 思い浮かべれば、不思議と苦にはならなかった。


 そして、自分が作った料理を食べた彼らの驚いた顔や笑顔を見た時、胸の内から温かい満足感が溢れてきたのを覚えている。


 きっと、全ての苦労はあの一瞬のためにあったのだ。


「……はい。嬉しかったです。あの感覚が、料理の喜びというものなんですね」

「よかった。なら、今回の料理教室は大成功ね」


 胸に手を当て、その喜びを噛みしめるコロナ。それに満足したかのように、イザベラは微笑むのだった。


 そこからはたわいもない話がしばらく続き、二人は飲み物片手に雑談に花を咲かせ、穏やかな時間が流れていく。


 やがて、その雑談も熟したところで期を見計らい、コロナは本題を切り出した。


「……あの、イザベラ先生。一つ聞いても良いですか?」

「ん、何かしら?」

「今回の件、改めて先生には本当にお世話になりました。けど、先生は赤の他人のアタシに、どうしてここまで親切にしてくれたんですか?」


 そう、コロナはずっと不思議に思っていた。イザベラとは料理教室を通じてつい最近知り合ったばかり、それまではお互いに顔も名前も知らなかったような関係だったのだ。。


 にも関わらず、イザベラはさらには、教室が無い平日でさえ自分のプライベートを削り、コロナの特訓に付き合った。


 だが、コロナはこれに対して一つの確証を得ていた。それを確かめるべく、ある疑念を指摘した。


「先生。もしかして貴女は……元・魔道士だったんじゃありませんか?」

「!」


 イザベラの目が大きく見開かれる。その反応からしてコロナは合点がいった様子だった。


 初めて会った時から、違和感はあったのだ。 


 魔力とは、あらゆる命ある者全てに宿る力。魔道士と一般人の差は、それを肉体強化や魔法といった形で活用出来るか否かであり、誰しもが潜在的に魔力を秘めているものなのだ。


 通常、魔力はその者の体内を循環するが、一般人は生命機能に支障が出ない範囲で魔力が外部へ垂れ流しになっている事が多い。だが、イザベラからはそういった素人特有の無秩序な魔力の放出が殆ど感じ取れなかった。


 余程、精密な魔力操作の訓練を積んでいなければ出来ない芸当だ。そして、そんな事が出来るのは魔道士以外に居ない。


「正解よ。隠してたつもりなんだけど、流石に現役の、しかも将来有望な学生さんには見破られてしまったわね」

「やっぱり……という事は、先生の前の職業は……」

「えぇ。まだ若かった頃、知り合いのツテでガラード帝国魔法学院の講師として勤めていたの」

 

 そこまで指摘されれば隠すつもりも無いらしく、イザベラはそれをあっさりと認めた。ただ、本人とって当時の記憶はあまり思い出したくない物なのか、苦笑浮かべる相貌の中には僅かな後悔と苦悩が見て取れた。


「あの世界で生きていくには、私は弱かったのね。魔法が抱える負の面や、それによって引き起こされる悲劇に、私は耐えられなかった……魔法に、人の業の深さに絶望し、一時は命を絶とうともした……そんな時、主人と出会って私は救われた。あの人が居たから、私は今、こうして生きてるの」


 そう言って、イザベラは左手の薬指に嵌められた指をかざし、愛おしそうに眺める。


「魔道士からきっぱり足を洗い、次は何をしようかとなった時、考えたの。魔法とは、術者の心の在り方を映す鏡。私は別の方法で、人の心を動かす何かがしたくなった。それで始めたのが料理で、あの料理教室なの」

「……」


 イザベラは自分を弱い人間だと言ったが、コロナはそうは思わなかった。


 きっかけはあったのだろう。だからこそ、彼女は魔道士とは違う生き方を選んだ──いや、選べた人間なのだ。


 魔道士の生きる世界とは、良い意味でも悪い意味でも──どちらかと言うと悪い意味で、一般人の暮らす世界とは別世界だ。少し扱いを誤れば容易に人を殺せてしまう技術を日々扱っていくうちに、次第に精神は削がれ、倫理観は失われていく。


 血生臭い環境に嫌気が差して離れたとしても、一度でも魔導の闇に触れた以上、呪縛から逃れるのは難しい。一般社会に上手く馴染めず、身を滅ぼした人間をコロナも少なからず知っている。


 そういう意味では、その呪縛を断ち切って新しい道を進み始めたイザベラは、コロナにとっては立派で強い人間に思えた。そして、魔法や、魔道士に対する理解があったからこそ、彼女はコロナに親身に接してくれたのだろう。


「初めて会った時、貴女が魔道士だと一目で分かったわ。迷ってるなら、力になってあげたくなったのよ。特に……貴女は、ずっと何かに()()()()()みたいだったから」

「——ッ!!?」


 今度は、コロナが驚愕する番だった。


 まさか、共同生活を送っている同居人達にも気付かれていない自分の"怒り”を、まだ出会ってそこまで経ってない他人に見抜かれるとは思わなかった。


 あまりにも唐突で、衝撃的で、感情のコントロールが追い付かない。心の奥素から引き出された"炎”が、精神の内で燃え広がる。今の自分は一体どんな顔をしてイザベラと向き合っているのだろうか。


「心配しないで。誰にも言わないわよ。貴女が抱える"怒り”が何なのか私には分からないし、問う資格も無いから。魔道士の世界で戦う貴女は、私よりも……いえ、背負う覚悟すらなかった人間よりも、遥かに多くのモノを抱えているのでしょうね」

「……!」


 訳が分からず混乱しているコロナの表情から何かを読み取ったのか、イザベラは自虐を挟みつつ、震える彼女の手を自分の手で包みながら慈愛に満ちた眼差しを向ける。


 心は熱く燃え盛っていたのに、自分でも驚くほど冷たくなっていた手に温もりが伝わる。まるで、母なる者に抱かれるような安心感がじわりと心に染み出し、コロナは徐々に落ち着きを取り戻していく。


 やがて、感情のコントロールが可能な域まで落ち着くと、コロナの内からすっと"炎”が消えていく。時間にしてみればほんの一分程度だろうか、気付けばいつもの自分に戻っていた。


「……ごめんなさい。取り乱しました」

「こちらこそ、デリケートな部分に触れてしまったみたいで、ごめんなさい……けれど、今のを踏まえた上で、一人の料理人として貴女に聞いておいて欲しい事があるの」


 元・魔道士としての慈愛から一転、その眼差しを料理人としての真剣な物に変え、イザベラは告げる。


「料理も、魔法も、原動力となるのは心の在り方……感情の使い方は、その人次第よ。コロナさんが大切な人達を想って料理を振舞ったように、感情は人を幸せにも出来るし、逆に不幸にも出来てしまう」

「……」

「人として生きる以上、感情との向き合い方は命が尽きるその時まで付いて回るもの。貴女が、その"怒り”と正しく向き合う方法を見つける事を、私は願っているわ」


 イザベラの言わんとしている事は、理解は出来る。心が、感情があるからこそ、時に人は強くなれる。強く在ろうと思える。そして時に……残酷にもなれる。それはよく分かっていた。


 なればこそ、だ。この"怒り”の()()()使い道は――


「……直ぐに答えを出さなくても良いの。精一杯考えて、悩んで、道を決めていけば良いと思うわ」


 また教室に顔を出してね、と言い残し、イザベラはコロナの分の代金をまとめて支払い、先に店を出ていった。


(ありがとうございました、イザベラ先生……でも、これはアタシだけの"復讐”なんです。誰にも、譲らせはしない)


 突然引き出された"怒り”と"炎”、コロナはそれを再び闇の奥底に沈めた。これ以上、誰にも気づかれる事のないように……


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