その7
真理子の家の玄関がガチャガチャと音を立てる。パトラッシュが耳を立て目を覚まし、ふるふると尻尾を振りながら玄関へ向かった。
もう一度ガチャガチャと音がして、ドアが開き俊が入ってくる。
「おいサーシャ、不用心だぞ。鍵開きっぱなしかよ」
入ってくるなり、俊は口をアングリと開けた。
「···な、んでインしてんだ、あの馬鹿は···」
そして奥に進んで行く。テーブルの上にマグカップが転がり、中身が散乱していた。
部屋は茶色い足跡だらけだった。パトラッシュがコーヒーを踏み、そのままウロついたのだろう。
俊は踏まないように気をつけながら部屋を見渡す。
おかしい、マグカップが、転がっているのとは別に机の上にもある。
サーシャは、掃除だけはマメにしていた。こんなに荒らしたまま、約束を破りゲームに接続するはずがない···。
机の上に置かれたマグカップを、なんとはなしに取り上げた。
中身は半分以上入ってるな···。
と、俊の目が、つけっぱなしになったパソコンのディスプレイに釘付けになった。
そこには、先程真理子が確認したページがそのままになっている。
俊は舌打ちをし、ヘッドギアを取り上げパスワード入力ももどかしげにログインした。
クロトは、ログインと同時にフレンドリストを開きつつ、はじまりの街へリバーシした。
フレンドリストのサーシャは、今もはじまりの街西口にいることを示している。
クロトはのんびり歩くプレイヤーたちを押しのけつつ、ダッシュで西口へ向かった。
そこでクロトが目にしたのは、大勢のプレイヤーに囲まれたサーシャだった。
手を縛り上げられ、高く吊るし上げられている。
クロトは全身の血が沸騰するかと思った。
「おい!!!貴様ら何してんだ、サーシャを、離せ!!!」
たくさんの黒い頭の向こうから、サーシャが目を見開き、こっちを見ているのが見える。
「クロト、よせ!こっちに来るな!」
あンの馬鹿が···来るなと言われて立ち去れるか···っ!
クロトは、未だかつてない程に怒り狂っていた。背中にある大剣を両手に持ち、手当り次第に斬り捨てていく。それが関係あるかどうかも確認せずに。
サーシャの傍に立っていた青年が声を上げる。
「おいそこの!正義のヒーロー気取りか?」
今回の首謀者は、名をアクセラという。未菜とは何の関係もなく、ただ単に晒し板を見、極悪人を成敗しなければならないと思い至った、普通の一プレイヤーだった。
アクセラは、手にナイフを装備した。
「それ以上、力に物を言わせるのはやめてもらおう。このラーミャには、満足にレベルを上げずに楽しんでいるプレイヤーもたくさん、いるんだ」
クロトはアクセラを見上げる。
「力に物を言わせてんのはどっちか、考える頭もねぇのかてめぇは」
サーシャは両腕を縛られていて身動きが取れない。そのサーシャの喉元に、アクセラはナイフを突きつけた。
クロトは動じない。
「あ?おまえ阿呆か?まさか現実世界とゲーム世界の境界がわからなくなっちまった系かよ?そこでサーシャを刺した所で、痛くもかゆくもねーだろうが!!」
ギィン!と、手近にいたプレイヤーを一突きでデッドさせる。
アクセラは、静かに微笑んでいた。
「もちろん、ここでこいつにダメージを負わせても無意味な事くらい承知している。万が一デッドさせれば、そのキャラクターを移動する手段はなくなってしまうしな」
そう。LFOでは、デッドしたらその場に横たわる。自分で選択するか、時間切れかの違いこそあれ、向かう先は自宅だ。例外はない。
クロトは剣の手を止めた。周りに人垣ができる。
アクセラは、サーシャの喉元に当てていたナイフを、そーっと下に降ろした。
鎧の、留め金に当たる。パチン、と一つ目の留め金が外れた。
「ま···待て!やめろ!!!」
クロトは叫び、手にした剣を放り投げた。
カランカラン、と剣は転がる。
サーシャは、クロトが来るまでは大人しくしていたが、今は必死にもがいていた。
「おい、私の知り合いに手出ししないという約束を覚えているのだろうな」
アクセラはナイフをくるくる回しながら答える。
「おまえも見たろ。知り合いかどうか関係なく、あいつのしでかした事には粛清が必要だ」
そしてクロトにも聞こえるように大声で続けた。
「現実世界との境界がないのはどっちだ?こいつの見た目は、たかがポリゴンだ。脱がした所でグラフィックは全員共通なんだぜ。この女も、貴様も、ラーミャには不要だ。とっとと消え失せるがいい!!」
すると、周りで様子を伺っていた多くのプレイヤーが、一斉にクロトに斬りかかった。
「クロト!!!くそ···貴様···」
サーシャはアクセラを睨みつける。
「虐げられる弱者の気持ちが、少しはわかったか?おまえには反省が必要なんだ」
偉そうに話すアクセラを強く睨みながらサーシャは呟く。
「私の相方に手を出した事を、必ず後悔させてやる。覚えていろ」
自宅に戻ったクロトは、ものすごい勢いで暴れていた。
かくなる上は、自分がログアウトし、真理子のダイブシップを強制終了させるしかない。
だがクロトは、それをしたくなかった。少し前に体験している。多少の記憶混乱。一日二日、続くめまい。
自分なら別にいい。だが、真理子には味合わせたくない···。
そこに、一つの通話が入った。
サーシャは、後ろ手に縛り上げられたまま、ブルの街に移動させられていた。
そしてそのまま、遊園地へと連れられて行く。
サーシャは、この後どんな目に合うか恐ろしかったが、ひとまず安心した。
遊園地は、チケットを購入した団体ごとに作られる完全隔離マップ。
これでサーシャの目の前で、サーシャを助けようとする人間が虐げられることは、もうない。
自分に対する敵意など、少しの辛抱で済む。目の前でクロトに攻撃されるのに比べれば···。
そうは言っても、30人程いる大群を目の前に、サーシャは足が震えていた。
ぞろぞろと、アクセラとサーシャを先頭に一行はお化け屋敷へ入っていった。
中は薄暗いがアトラクションが取り払われ、広い倉庫のようになっていた。
時折頭上を、半透明のお化けの映像が横切る。
サーシャは一段高くなったステージに上げられ、鉄棒のような所に吊るし上げられる。
アクセラの演説が始まった。
長々と、虐げられる弱者がどんな思いでいるか語るアクセラ。
サーシャはあまり聞いておらず、以前にクロトとここに来た時のことをぼんやりと考えていた。
真っ暗闇で、おどろおどろしいお化けが次々に現れ、サーシャは恐ろしくなり、恥も外聞もかなぐり捨ててクロトにしがみついた。クロトは笑いながらも、サーシャがちゃんと歩けるように先導し、明るい出口へと連れて行ってくれた。
いつもそうだ。クロトの導く先には光がある。カラカラと笑いながら「大丈夫だ」と言って、それは本当で、何の問題もなく先へ先へ、進むクロト。
一片の曇りもない彼の元に、今こそ戻りたい···。
「···ここでこいつを、例え殺したとしても存在を消したことにはならない!確実な反省と、それに基づく粛清が必要だ!!二度と人前に出る事のないように···」
アクセラは、サーシャの鎧を引きちぎる。
「体に、刻み込んでやろう。今日、この場で!全員で!!!」
バァーン!!!
お化け屋敷の出入り口が開く。
中にいたプレイヤー達がそちらを一斉に見る。外は明るく、こちらからだと顔の判別がつかない。
10人程、なだれ込んできたプレイヤー。全員が顔にゾンビの仮面を被っていた。
その一番後ろにいるゾンビが二人。
「サーシャの事は任せたぞ。俺らは集まってる馬鹿共を散らす」
「あぁ、わかってる。首謀者だけは殺すなよ。絶対サーシャが自分で手を下したがるからな」
そう言われ、クスと笑ったゾンビは、右手拳を前に突き出した。
「我らが姫様を、救出しに行くか」
その拳に、もう一方のゾンビも拳を当てる。
「言葉に気をつけろ。俺の相方だぞ」
そう言うと、アイテムインベントリから長い縄を取りだしくるくると回し始める。
それは生きているかのようにうまい具合に天井に巻きつき、ゾンビは
「はっ!」
と掛け声をかけてサーシャのいる壇上へターザンのように飛んでいった。
縄を手に、ゾンビは叫ぶ。
「サーシャ、こっちだ!!」
サーシャはわけもわからず、いきなり大乱闘になってしまった会場を見渡していたが、叫び声を聞いて顔を上げた。そして目を見開き、呟いた。
「クロ···ト···」
サーシャを縛っていた縄が、どこからともなく投げられたナイフで切れる。
サーシャは躊躇いもせずに、ゾンビの仮面を被った人物に飛びついた。
ゾンビは器用に反対側に着地し、仮面を外した。クロトの顔が現れる。
「ごめん、怖がらせてごめん···サーシャ···」
サーシャはもう、なりふり構わずクロトにしがみついた。
ここで、薄暗かった照明が一気に真っ赤に染まった。
〈現在このマップに許可しかねる
集団暴行の嫌疑がかかっている。
GMが3分で急行する。
各自規約に則った行動をとるように〉
マップ全域チャットが流れ、サイレンが鳴り響いた。
人々は皆、屋敷から走り出たり転移スフィアでどこかに飛んだり、散り散りになって逃げ始めている。
サーシャはクロトを見る。クロトは肩をすくめて、背に背負った大剣を差し出した。
「こちらをどうぞ」
サーシャは浅く笑い、その剣を受け取る。
「目にモノ見せてくれる」
そしてクロトの使った縄を手に、再び壇上へと飛んでいった。
そしてクロトの磨き上げられた大剣で、アクセラの両足を斬り飛ばした。
バターン、と倒れるアクセラ。
「なっ、何をするんだ!!」
サーシャは容赦なく、アクセラの両腕をも斬り落とす。
「言ったはずだ。必ず後悔させるとな。これで逃げることはできまい。GM達に、よろしく伝えてくれ」
サーシャは足の一本をポーンと蹴り飛ばし、コツコツと出口へ歩いていった。
出口にはクロトが立っていた。そしてその先にライト、それからクラン『青い稲妻』のメンバーもいた。
「ライトに礼を言えよ。事前にメンバーを潜り込ませておいて様子伺っててくれたんだ。それがなければ、この場所には絶対来れなかったんだからな」
サーシャはライトを見た。
ライトは肩をすくめて言った。
「なに、たいした事じゃない。粛清が、簡単なものならさせておいたほうが事態が早く収束すると思ったんだが···結局、人間が集まるとロクな事にはならんな」
サーシャは頭を下げた。
「生きた心地がしなかった。ありがとう、恩に着る」
ライトは拳を前につき出す。
「持ちつ持たれつだ。俺の時も頼むぞ」
サーシャは笑って拳を当てる。
「当然だ。その時は頭も斬り落としてやろう」
サーシャとクロトは、自宅へ戻るとログアウトした。
そして、真理子と俊とになり、真理子は俊に飛びついた。俊は無言で抱きとめる。
しばらくそうして、二人は時が止まったかのように過ごしていた。
俊がポツリ、と言う。
「俺は···そろそろ家に帰るよ」
真理子は顔を上げずに言う。
「そうか」
言いつつも、真理子は俊を離そうとしなかった。
「ふぅ〜ん、俊ちゃん帰ってきたんだ。反抗期は、もうオシマイなの?」
ここは俊の学校。未菜が携帯片手に俊の机の前に立っている。
「反抗期もクソもあるか。俺は親とは何の問題もねぇぞ」
クスクス、と未菜は笑い「あ、そっかぁ〜」と言う。
「俊ちゃんのお母さん優しいもんね。またお料理のお勉強行こうっかなぁ〜」
俊は我関せずと言った風。
「行けば?おまえ気に入られてるし。俺には関係ないけどな」
未菜は俊を覗き込む。
「冷たいね。またお部屋行っちゃうよ?」
ツーン、と俊はそっぽを向く。
「親に言って鍵かけてもらったし。次やらかしたらおまえ、親にばらすぜ。いいのかな?いい子チャン」
ぷぅーと唇を尖らせる未菜。
「何がそんなにイイんだか···ただの年増ジャン」
俊は嫌そうな顔を向けつつ、言った。
「次の被害者が出るぞって、言ったんだよ」
未菜は「え?」と言う。
俊はため息をつき、言った。
「自分がな、ねじ曲がった愛情の標的にされて服ひん剥かれてる時にな、その自分を差し置いて、まだ見ぬ次の被害者の為に、行動したいって言ったんだ、あいつは」
未菜は「は?へ?なんの話???」とわかっていない。
クロトがサーシャと初めて出会った時。まだ自覚はなかったが、クロトはもうその時からサーシャの事を放っておけなかった。
あいつの守るまだ見ぬ弱者は、回りまわって昔のあいつ自身だ。あいつは今もまだ、回復しかできない昔の自分を、必死に守っている。
だから現在のあいつは、俺が守るのさ。大変だよ、じゃじゃ馬だからな。
ドンドン、と玄関ドアが叩かれる。が、返事をする前にドアが開く。
「おい真理子、ちょっとパソコン貸せ」
現れたのは俊だ。真理子はため息をつく。
「おまえはなんの為にノックしてるんだ。返事するまで待てないのか?」
聞こえないふりの俊は、勝手に真理子のパソコンを操作し、とあるページを開いた。
「これを見ろ!!」
表示されているのはネット通販のサイトで、ページは『ネグリジェ』
透明とまではいかなくとも、なんとも悩まし気な下着が並ぶ。
「これに、しよう!この、ピンクのやつ!」
真理子は頭を抱える。
「何がこれにしよう、なんだ?母親に贈るのか?」
俊はバーン、と胸をそらす。
「おまえはこの間、俺との約束を破って一人でログインしたからな。その罰だ!」
と言って、ピッと『注文』ボタンを押してしまった。
「あ!おま······おい、明日到着とか出てるぞ、このエロガッパめ!!!」
ガッハッハと笑う俊。横目で睨む真理子。
「確か、こうだったな。“気のあるフリをせず、しっかりキッパリ簡潔に”···」
真理子は俊に顔を近づけて言った。
「着るつもりはない!おまえが着ろ、俊!」
―おしまい―
ー解説
本編読んでないのにここ読んでる人はいないと思うけど···。
サーシャの左肩から胸にかけて、かつて受けた傷跡が今も残っています。サーシャはそれを人目に触れさせることがないよう、いつも早めに鎧を修理しているのです。
傷跡の事を知っているのは、サーシャ以外ではクロトのみです。