その2
「だって···リアルで話しかけても全然相手してくんないじゃない···」
薄茶色の真っ直ぐな髪の毛を二つに分け、頭の両サイド高くに結び長く下に垂らし、前髪は眉の上で真っ直ぐに切り揃えられ、その下にある大きな瞳は涙でうるみ、片手を軽く握って口に当て、上目遣いでこちらを見る少女。
「だからってここまで来ることないだろ···」
迷惑この上ないという態度で片手を額に当て、だらしなく壁に寄りかかっているのはクロトだ。
「わたし、だって、俊ちゃんとお話したいんだもん···」
くすん、と鼻を鳴らす少女。ため息をつくクロト。
「未菜···おまえ···健吾は?あいつとオハナシしてろよ」
きゅーと目をつぶる未菜と呼ばれた少女。だって···と言いかけ、未菜はサーシャに気づいた。
「あ···」
サーシャは固まってしまった。可愛らしい少女。リリとは違い、これが男の子って事はないだろう。本物の光?見つめられ、思わずたじろぐ。
「サーシャ···」
驚いた顔のクロト。サーシャは鎧をインベントリにしまい、後ずさりした。
「すまん、立ち聞きしたわけではない。邪魔したな···」
そして焦ってリバーシした。サーシャはあんまり焦って、自宅ではなくブルの街に飛んでしまった。
「······」
あぁ、びっくりした。サーシャはふぅ、とため息をついた。
ゲームの世界に人生を捧げてしまったサーシャとは違い、クロトは普通にリアルの生活を営んでいる。学生というからには、学校に行けばそれなりの人間関係もあるだろう。当然の事だ。そこに自分はいない。それも、当然の事だ···。そんな事で悲しむ自分がおかしい···。
トボトボと、サーシャは一人歩いていく。やがて、ブルの街裏手に設営されている遊園地が見えてきた。
「誰かを連れてきたい場所だろ···」
そうだ···。きっとクロトは誰かを連れてきたいと思ったことがあったんだ···。
自分達の関係に、ゲーム上での相方という意味合い以上のモノはない、···ハズだ。
混同してはいけない、私の方がしっかりしなければなるまい···。
サーシャは繰り返し繰り返し、自分の心に言い聞かせていた。
サーシャが自分の家に戻ると、そこにクロトがいた。
「サーシャ」
サーシャはかろうじてクロトの声が届く場所で、そこから先に進めずに立ち止まった。
「あぁ、先に来ていたのか。どうかしたのか?」
クロトは一歩近付き、だがそこで立ち止まり、言った。
「さっきは変なモン見せて悪かった。気にしないでくれ」
サーシャは頷き、それがクロトには見えないだろうと気付いて声を出した。
「気にしてなどいない、大丈夫だ。何か手が必要なら貸そう。言ってくれ」
クロトは小さい声で「あいつは···」と言いかけ、下を向いて小さく首を振った。
「いやいいや、なんでもない。俺な、サーシャ」
クロトはサーシャに聞こえるよう、大きな、明るい声で言った。
「しばらく忙しくてイン出来ないかもしれない。テスト、あるから。でも···」
サーシャの足は、まだ動けない。
「また来るからさ、終わったら。したらまた遊んでやるから、な?」
サーシャの口は、麻痺薬でも飲み込んだかのように、動かない。
言えばいいのに···「マッテル」「イッショニイタイ」···「サミシイヨ」
サーシャは大きく息を吸い、そして
「そうか、わかった」
と、言った。
サーシャは相変わらず、LFOの世界に入り浸っていた。
クロトは終わったら来ると言っていた。が、いつ終わるかは言っていなかった。
携帯のメールで聞けば済むことだったが、サーシャはあれ以来一切連絡をとっていなかった。
ゲームにログイン出来ない状況なのだ。ゲーム仲間からのメールも同義だろう···。
と、ぶつぶつ考えながら、自宅の椅子に座りグダグダと時を過ごした。
そんなサーシャに、通話が入ったのは三日程経過した頃だったか。相手はライトだった。
「よう、サーシャ」
相変わらず爽やかな笑顔で通話ウインドウに現れるライト。
「あぁ、なんだか久しぶりだな?元気か」
サーシャも笑顔で応える。
「俺はいつでもフル充電さ。おまえはどうだ?」
サーシャは小首をかしげる。
「そうだな。まずまずだ」
ライトはそんなサーシャを見、少し黙る。何か、言っていいものかどうか逡巡しているように見えた。
「恐らく···おまえの耳に入れないでおくことは出来ないと思う。だから俺から知らせておこう」
奥歯に物が挟まったかのような言い回し。珍しいな···とサーシャは訝しみ
「あぁ、どうかしたのか?」
と聞いた。
「おまえの悪行を晒した掲示板が、今炎上している。当然どれも事実無根だ。···が」
ライトは一度言葉を切り、再び続ける。
「与えられた情報をそのまま信じて疑わないやからが、この世界には多い。そいつらにとって、現状おまえは極悪人だ。方向性の間違った正義感に、気をつけろ」
サーシャはライトの言葉を繰り返す。
方向性の間違った正義感···。
「元々他者とはあまり関わらん。が、気をつけておこう」
名が売れるほど、晒しや一方的な私怨を受けやすくなる。サーシャもこれが初めてではないし、ライトも過去、謂れのない罪で話題に登った事がある。
「擁護すれば却って勢いが増してしまう。何もできないのが口惜しいが、しばらくはおとなしくしているしかないな」
サーシャはコク、と頷く。
「あぁ、知らせてくれて、ありがとう」
ライトは笑った。日焼けした顔に、白い歯が覗く。
「たいした事じゃない。じゃ、またな」
サーシャはその後も、晒し板を見ることもなく自宅で過ごした。
どうせ見ても何もできないのだ。
「自分は本人だ、が、書かれていることは間違っている」
と書いた所で、新たな爆弾を投下するだけに過ぎず、事態は収束するどころか勢いを増すばかりだ。
サーシャは相変わらずグダグダと、椅子に座りクロトがインしてくるのを待っていた。
そこに
コン、コン···
サーシャの自宅玄関のドアをノックする音が響いた。
「?」
サーシャは不思議に思う。サーシャの自宅をノックで訪れる知人は、あまりいない。
玄関に立ち、ドアを開ける。と、そこにいたのはクロトだった。
「あ、あぁ、クロトか。もういいのか?」
クロトはいつもと違って神妙な面持ちで、コクンと頷いた。
「変な奴だな。具合でも悪いのか?」
サーシャは言いながら家の奥へ歩いて行った。クロトは部屋を見回しながらうしろについてきて、いつも座るソファには座らず、部屋の真ん中に突っ立っている。
サーシャはいつものように椅子に座り、机に向かっていた。が、クロトがずっと黙ったままなので振り返った。
「どうした?何か、あったのか?」
するとクロトはサーシャの傍に近寄り、サーシャの手を取って、立たせた。
「???」
サーシャはクロトの前に立ち、眉を寄せる。
すると、真面目な顔でクロトが口を開いた。
「あの、な。悪いんだけど、もう、終わりにしたいんだ。その···今の、関係?を。おれは、おまえが、もう···うっとおしくてたまらないんだよ」
サーシャは阿呆みたいに半開きの口のまま、クロトの顔を見つめた。
クロトはそんなサーシャの顔を真っ直ぐ見つめて続ける。
「だからもう、おれに、つきまとわないでくれよ。頼むから、ね」
そしてクロトは部屋の出口に歩いていき、振り向きざまに言った。
「これでさよなら、だ。もうおれに近づかないでくれ」
バタン、と玄関ドアがしまった。サーシャは瞬きもせず、ただボーゼンと突っ立っていた。
ー用語解説
リリ:サーシャの友人。リアルは男性らしい。一時リアル側の事情でLFOから離れていたが、今は落ち着き、普通にプレイしているようだ。
遊園地:入場券(orフリーパス)を同時に買った者単位でマップが形成される為完全貸し切り。ジェットコースターやお化け屋敷など、普通なアトラクションが並ぶが、どれも脳波に刺激を送ってくるため威力が半端ない。
ライト:クラン『青い稲妻』のマスター。世話好きでサーシャの事を気にかけてくれる優しい青年。