その1
「俊ちゃん、これ見て見て!」
ドアを開けて部屋に入ってきたのは、栗色のくせ毛を肩下に垂らした少女。
手にタブレットを持ち、薄い水色のワンピースを着ている。
俊と呼ばれた若者は参考書をめくりつつ、振り返りもせずに言った。
「未菜、おまえいい加減俺の部屋に勝手に入ってくんなよ」
未菜は気にもせず、俊が勉強しているそのノートの上にタブレットを乗せてよく見えるようにすると、ページを拡大させた。
「ね、ここ見て?」
俊は手に持つエンピツでタブレットを横にずらしつつ、画面を確認した。
「LFOの晒し板じゃないか。おまえもLFO始めたのか?」
未菜はフルフル、と顔を振り俊の背中にピトっとくっつきその肩越しに画面を見る。
「ソードアークしかできないものわたし。でも俊ちゃんがLFOしかやらなくなっちゃったから、どんなんかなぁって見てみたの」
未菜は、俊の後ろから抱きつき、その体を押し付けている。俊は嫌そうに身をよじった。
「暑い。くっつくなよ。晒しなんか見たってそのゲームの事わかんねぇだろ?」
未菜は体を離されても辛抱強く、タブレットを俊の顔の前に持っていく。
「いいから、ここ見てってば。このキャラ名、前に俊ちゃんが言ってた名前じゃない?」
俊は画面をよく見る。
|657:名も無き冒険者:
| サーシャって奴にMPKされたんだけど
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|658:名も無き冒険者:
| 出た、世界最強廃人
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|659:名も無き冒険者:
| あの人、ベースレベルが4桁いってる
| って。本当ですか?
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|660:名も無き冒険者:
| それ偽物じゃね?前にもあったよな
| 本人は初心者助けて悦に入ってる系
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|661:名も無き冒険者:
| 今時MPKとか、されるほうがバカ
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|662:名も無き冒険者:
| おれはアイテム騙し取られた事あるぜ
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|663:名も無き冒険者:
| m9(^Д^)プギャー
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俊は画面に見入っている。未菜は、そんな俊を満足そうに見つめ、言った。
「この人、あまりいい噂がないみたいね?俊ちゃん、騙されないようにしないとダメよ!」
俊はタブレットを持つと、そのまま横のベットの上に投げ出してしまった。
「アホか。晒しなんか8割方デマか私怨だろ。くだらねぇ」
そう言うと、再び勉強に取り掛かる。未菜はほっぺたをぷくぅーと膨らませていた。
「せっかくわたしが心配してるのにぃ!···俊ちゃん···」
未菜は俊の背中に再びくっついて、その頬を背につけた。
「ソードアークに、戻っておいでよ。また一緒にやろ···?」
俊はもう何も言わずに、ひたすらノートに向かい勉強を続けていた。
★★★番外編★★★
★★★ラームフルオンライン★★★
サーシャは濃い蒼が広がる海深く潜っていた。
スノーケルからは時折空気が洩れ、小さな光となり海面へ登っていく。
ポコポコと、サーシャ自身が出す音以外、海中は無音だった。
フィンで水をかき、果てなき闇のような海底へ、深く、深く、潜っていく。
やおら体を反転させ、サーシャは仰向けになった。
暗い底から見る水面は、ゆらゆらと、綺麗で、とても眩しく、自分がそこにいた事など忘れてしまいそうになる程、遠い存在に思えた。
「さああああしゃ!!こっち来い!」
目の前に現れたのはクロト。
光も届かぬ深海に似合わず、彼はド派手な色のタンクトップに半ズボン。ダイビング器材の一切をつけずにゆらゆら浮いてサーシャの方を見て笑い、水の中だというのに普通に口を開けて続けた。
「あっちにアンコウがいたんだ!超でかいの!」
そしてサーシャの手を取ると、フィンもついていない足で上手に水を蹴り、ぐいぐいと進んでいった。
サーシャはクロトが進むのに身を任せながらも、スノーケルから口を離し呟いた。
「まったく···。雰囲気もなにもぶち壊しだな···」
二人がいるのはラームフルオンラインの世界、ラーミャ。
バーチャルでゲームを楽しむフルダイブタイプのMMOで、海の中とはいえ生物の生息になんら影響もない。
二人は、この度実装したスキューバダイビングを、EPポイントを貯めて取得し、楽しんでいる真っ最中であった。
スキルさえとれば器材は一切必要なく、海中をゆらゆら散歩できるというモノ。
いつものようにヒモのようなビキニを勧めるクロトにげんこつを喰らわせ、サーシャはウエットスーツに始まりダイビング道具一式を背負い込んで潜ったのである。
サーシャは、光も満足に届かないような深い海を好んで漂った。
海の底から見る景色はどれも幻想的で、それでいてどこか懐古的だった。
暇さえあればサーシャは海に潜り、海底で飽きることなく水面を見上げる。
クロトはというと、そんなサーシャをよそに、いつも軽装で手に槍を持ち、深海魚を端から獲っては『釣り図鑑』を埋めて楽しんでいた。
「クロト、そろそろ帰ろう。おまえ今日は早く落ちると言っていたな?」
サーシャは水を蹴りクロトの傍へ近寄る。
「あぁ、しばらくはな。万が一成績を落としたら親に殺されかねん」
クロトは自分の右手で自分の首をかく仕草をし、舌を出した。
サーシャはクス、と笑い左手を出す。
「行こう、親御さんに寝首をかかれる前に」
クロトは右手を出し、二人は手を繋いでサーシャの自宅へリバーシした。
「んじゃ、お先に。おまえもあんまし夜更かしすんなよサーシャ?大事なとこが育たないからな」
大きなお世話な一言を残し、クロトはログアウトしていった。
サーシャはため息をつくと、ボス:アリエスを討伐する準備にとりかかった。
クロトももうすぐレベル100。一段階上の性能の鎧が、あっても困りはしないだろう。
クロトはあまりリアルの話をしない。たまに口にする言葉で、なんとなく学生なのだろうという検討はついているが、それ以上の事をサーシャは知らなかった。
自然とサーシャもリアルの話をしなくなる。パトラッシュという犬を飼っている事、と、アパートの名前が不思議だという事くらいしか、話していない。もっとも、真理子にそれ以上の話題があるとも思えないが。
学生であるならば無理は禁物だ。クロトのいない間に、出来る事はしておいてやりたかった。
とはいえ、ドロップ運のなさに、今回も泣くサーシャである···。
「サーシャ···おまえ、あんなに超高性能な鎧があってまだ同じくらいやべぇの作るつもりか?」
冷や汗をたらしながらギミクが言う。
目の前にはオリハルコンはじめ、レアなアイテムが並んでいた。
「私のではない。鎧など腐るものでもないしな。今回もいい数値で頼むぞ」
サーシャはギミクの家の壁に寄り、いつものように精錬スキルを見学する準備を整えて見守る。
ギミクは肩をすくめ
「廃人の考えることは俺のような一般人にはさっぱりわからねぇ···」
と呟きながら、鎧の精錬に取りかかった。
いつものようにド派手なスキルのエフェクトが部屋中を舞い、ギミクのおたけびが響き渡り、そして唐突に終わった。
「こいつはいい数値だ。···が、装備可能レベルは100以上、だ。やはりおまえくらいしか装備できないぞ?」
ギミクは出来上がった鎧をサーシャに投げてよこす。サーシャは器用に片手でそれを受け取り、手数料の金を支払った。
「いいんだ。助かったよ、ありがとう」
毎度ありぃ〜、と言うギミクに手を上げ、サーシャははじまりの街の表参道へと出た。
クロトがログインしてきたら渡してやろう。この数値の鎧とレベル100のステータスポイントがあれば、奴ももう一段階強くなるだろう···。
ひとりでにニヤける顔を抑えながらフレンドリストを開くサーシャ。
と、クロトは既にログインし、自分の家にいるようだった。
「珍しいな···」
クロトがサーシャの元に来ない事はあまりない。が、サーシャがギミクの家にいるせいで遠慮した可能性もある。サーシャは深く考えることなく
「たまには私の方からおもむくか」
と、クロトの自宅へリバーシした。
ー用語解説
MPK:モンスタープレイヤーキラー。モンスターを沢山引き連れて他キャラにそれを擦り付けたりして攻撃すること。通常、PK行為の出来ないゲームでの嫌がらせ行為だが、過失の場合もあったりする。
EPシステム:季節イベントや、専用クエストをこなしポイントを貯め、様々なネタスキルを覚えられるシステム。それ以外にも、専用マップへの入場に使用したりする。
リバーシ:スキル。あらかじめ登録した場所へ移動する。
アリエス:ボスモンスター。現在LFOでは12体のボスが実装されており、その中の最強のボス。ごく稀にオリハルコンをドロップする。
ギミク:サーシャが『武器屋』としている、精錬の得意な大男。精錬する際、なぜか雄叫びを上げるが、それに特殊な効能はない。
精錬:アイテムを揃え装備を錬成で作成できる。各種精錬スキルを覚えることで、性能の高い装備が出来るが、数値はランダム。