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「えっ」
「え?」
「え?」
え、と言う言葉が聞こえて、聞き返して、「え」が三つ重なった。
台所にいるのは私とおばさん。じゃああともう一人は?
じわりと嫌な動悸がする。
そっと後ろを振り返ると、そこには紙袋を持った縁が立っていた。
いつもは縁を見ても、むしろほっとするのに、今は違う。
まさか、羽衣の話を聞かれたのだろうか?
そう思うと、胸がひんやりとする。
いくら幼馴染でも、縁でも羽衣の話は聞かれたくはない。
思わず、声が震えてしまう。
「…縁、いつからそこにいたの?」
「いつって…今だよ。帰って来て二人ともいないからこっちかなって…じゃなくて。ねえしき、今のどういうこと?」
縁の様子は、いつもと変わったところはない。どうやら羽衣の話までは、聞かれていなかったらしい。
そのことに安心して、私はやっと縁の顔がまともに見ることができた。
縁は片手に紙袋を持って、少しだけ呆けた表情をしていた。けれどいつもと変わらない、優しい新緑色。
息を静かに吐き出して、いつも通りを心がける。
「おかえり縁、早かったね」
「いやそうだけどそうじゃなくて、いや、ただいまなんだけど」
「それどうしたの?」
「ああ、お土産。プリン。美味しいって聞いて買って来たんだ。ご飯食べたらみんなで食べよう…じゃなくって!俺から離れるってどういう事?」
どうやら紙袋の中はプリンらしい。それを縁はおばさんに手渡し、つかつかと近づいたかと思えば、縁は私の右手を掴んだ。
思ったよりも力強くて、そっちに目を向けたけれど上から「しき」と呼ばれてそのまま目線をあげると、縁と目が合った。
家色のきれいな【緑】の瞳がしっかりと私を捉える。とても綺麗な瞳。私は空いているもう片方の手で、その瞳と同じ色の髪に手を伸ばし、撫でた。
「ほら、縁もそろそろ相手を考えているんでしょう?だから何度も帰って来てるんだろうし、その時間は無駄にはできないじゃない。それに私も構ってたら、相手の人もヤキモチを妬いちゃう。だから私も縁離れしないといけないな、って」
本音を言えば、離れたくはない。心地いい、この空間にずっといたい。
縁は優しいから、相手がいても、きっと私に気を遣ってしまうだろう。
でも、私は縁の邪魔をしたいわけではない。
だからこそ、逆に私から離れてあげないと。縁は幸せになれない。
そう打ち明けてみたのだが、縁は私の片手を相変わらず掴んだままで、反応が何もない。
おかしいなと思い、撫でてた髪から手を離し、顔の前で手を振ってみるも、彼は微動だにしなかった。
そんな縁の側で、おばさんが口元に手を当てて、ぽそりと呟いた。
「縁…我が子ながら情けない…」
「大丈夫!おばさん、縁はモテモテだからちゃんと相手ができますよ!」
「しきちゃん、あのね、そうじゃなくて」
「おばさんまで気を遣わないで下さいね。あ、でもさすがに私がここに出入りするのはまずいよね…でももし仲良くできたらたまに来るのは大丈夫かなぁ…?」
「分かった、しきちゃん分かったからこれ以上縁に追い打ちをかけないであげて」
「え?」
俯いてしまった縁は、表情こそ見えないけれど、明らかに脱力していた。そういえば縁はまだ相手すらを決めていないのに、勝手におばさんに「大丈夫」だなんて太鼓判を押してしまった。もしかしたらこれが縁にとって、プレッシャーになってしまったのかもしれない。
「えっと、縁、ごめんね?」
「…分かってもいないのに謝るなよ」
「うん、ごめんなさい」
「だから謝らないで。しきは何も悪くないんだから」
縁からそう言われてしまうと、もう私は何も言えなくなる。
昔からだった。縁は昔から、私に謝らせてくれない。
どんなに私が悪いと思っても、この一言で縁は絶対に私に謝らせなった。
とはいえ、現在の彼のこの落ち込み様。絶対、私が何かやってしまったに違いない。
でも、縁の言うとおり、その落ち込んでいる理由が分からない。憶測では思いつくけれど、それを今、言う勇気はなかった。
合ってるという確証もないのに、また分からないまま、縁に悪いことをしてしまうかもしれない。
縁が分からない。
今日みたいに、たまにだけれど、縁が分からなくなる時がある。
対して縁は、私のことをよく理解してくれていると思う。
私の好みも、私の考え方も、いつも先回りしてくれる。いつも助けてくれる。
だからこそ、最近、少しだけ苦しかった。
もしかしたら私は、幼馴染と言えるほど、縁のことをよく知らないのかもしれない。それはそれで自分が薄情に思えてくる。
未だに肩を落としている縁に、何か声をかけようと思って口を開くけれど、やっぱり何も言えずに結局閉じてしまう。
結果、目の前の縁に対して、私の口から、言葉は出てきてくれなかった。