第七話「フォルスターへの旅」
ついに俺はフォルスターに向けて出発した。
大きな鞄を背負い、卵を両手で抱えている。
白く輝く氷のような卵は、俺に優しい魔力を放ちながら旅を楽しんでいる様だ。
一体どんなモンスターが生まれるのだろうか、楽しみで仕方がない。
結局グロスハイムには一日しか滞在出来なかった。
まさか、昨日来た町を今日出る事になるとは思ってもみなかった。
だが、俺の人生は順調に動き始めている。
魔術師を目指すためにフリッツ村を出たのは正解だった様だ。
森の中で野営をしている時にも、モンスターと命懸けで戦っている時も、村に居た頃とは比べ物にならない程の興奮を感じる。
これが自分の力で自分の人生を歩んでいる感覚なのだろう。
村に居れば村人達がモンスターの魔の手から村を守ってくれ、家に居れば両親が毎日食事や寝床を提供してくれる。
当たり前だった事が、一人で生きるようになってから、自分がどれだけ幸せに生きていたか気付かされる。
俺は大勢の人から守られて、十五歳まで生きていきた。
これからは俺が魔法の力で誰かを守れる人間になるんだ……。
春の温かい日差しを浴びながら森の中を進む。
小腹が空いたら鞄から堅焼きビスケットを取り出して齧る。
様々なフルーツが練り込まれている堅焼きビスケットは、栄養価が高く、小さな見た目とは裏腹に、意外と腹が膨れる。
飽和状態まで体に栄養を詰め込み、モンスターから襲われた時に栄養不足を感じないように備える。
あれはフリッツ村を出て三日目の事だった……。
空腹に耐えながら森の中を歩いていた時、ゴブリンの襲撃を受けたのだ。
激しい戦闘を行うだけの体力も無く、俺はギリギリの状態でゴブリンを駆逐した。
それから俺は栄養は切らさないように意識している。
食べ過ぎは肥満の元だが、十五キロもの荷物を持ち、森の中を歩いていれば、摂取した栄養もすぐに消費される。
水分に関しては、頻繁に水を汲み、常に水筒に一リットル以上の水を入れておくようにしている。
重い荷物を抱えて移動していると、涼しい森の中を歩いているはずなのに、汗がダラダラと出る。
体内から塩分が枯渇しないように、塩を振った乾燥肉を齧る。
ゆっくりと味わいながら、背中の荷物の重さを忘れるように、自分の明るい未来を想像しながら進む。
フォルスターにはどれだけのモンスターが巣食っているのだろうか。
廃村に巣食うモンスターを、俺一人で狩る事が出来るのだろうか。
心配事は多いが、前向きに考える事にしよう。
ベルギウスの加護を失わないためには、廃村のモンスターを狩り尽くし、アイクさんの借金を肩代わりしなければならない。
アイクさんは「茨の道を歩む事になる」と言っていたが、俺にとっては十五歳の誕生日を迎える日までの毎日も茨の道だった。
村での生活は快適だったが、年が近い友達は、魔法を使えない俺の事を「虚無のアルフォンス」と馬鹿にした。
幼い子供でも、どんなに低レベルのモンスターでも魔法が使える。
村で魔法が使えないのは俺一人だった。
魔法が使えない俺は、村の友達とモンスター狩りに行く時は、いつも荷物持ちをしていた。
剣士の父さんは、魔法が使えないなら剣の練習をすれば良いと言っていたが、剣術も結局は魔力の強さが肝心だ。
筋力をいくら鍛えても、エンチャントすら掛かっていない攻撃の威力は、強い魔法を使うモンスターには通用しない。
この世界は魔力の強さ、魔法の強さが全て。
俺はベルギウス氏から頂いた加護は、何が何でも守り抜く。
この加護の力で魔法を鍛え、モンスターを倒す力の無い者を救える魔術師になる。
グロスハイムを出発して六時間は経過しただろうか。
下半身の筋肉に疲労を感じる。
俺は森の中に荷物を下ろし、休憩を取る事にした。
卵に魔力を注ぎながら、つやつやした卵の表面を撫でる。
孵化したら俺の友達になって貰おう。
「俺は早く卵の中の君に会いたいよ……いつ孵化してくれるんだい?」
話しかけると冷たい魔力を放って返事をする。
氷属性のモンスターなのだろう。
俺は鞄からチーズを取り出して小さく裂き、口に放り込んだ。
濃厚なチーズの香りを楽しみながら、森の中を見渡していると、俺はモンスターの気配を感じた。
瞬時に剣を抜き、左手にはファイアの魔法を掛ける。
「誰だ!」
大声で威嚇すると、森の中からは見た事もない生き物が姿を現した。
白い猫の様な見た目をしており、二本の足で立っている。
身長は百二十センチ程度、腰にはレイピアを差している。
銀色の美しいメイルとガントレットを装備しており、剣士の様な風貌だ。
なんなんだ……この猫は。
見た事もない生き物は、腕に怪我をしているのか、血を流しながらゆっくりとこちらに歩いてきた。
「助けて……!」
「どうした!」
「ゴブリンの群れに襲われたの……」
彼女は小さく呟くと、意識を失った。
ゴブリンの群れがこの辺りに居るのだろうか。
この場所に長居するのは危険だ。
俺は急いで鞄を背負い、卵と猫を抱えた瞬間、俺を取り囲む様に無数のゴブリンが現れた。
遅かった……。
あまりにも状況が不利だ。
敵の数は三十体以上。
こちらは俺一人。
勝てる訳がない……。
卵と正体の分からない猫を見捨てれば、もしかしたら逃げられるかもしれない。
だが、俺は自分に助けを求めてきた者も、大切な卵を諦めるつもりもない。
先手必勝。
俺は左手を頭上高く上げて魔法を唱えた。
「メテオストライク!」
ありったけの魔力を込めて魔法を唱えると、上空には炎を纏う岩が現れた。
俺が作り上げたメテオは、物凄い速度でゴブリンの頭部に落下した。
骨が砕ける音が静かな森に響いた。
瞬間、戦いが始まった。
幸い敵の中にはファイアゴブリンは居ない。
敵はアースの魔法を使う通常のゴブリンだけだ。
俺はファイアの魔法で距離を取りながら、ブロードソードでゴブリンの脳天をかち割った。
こんなところで死ぬ訳にはいかないんだ。
次々とメテオを落としてゴブリンを仕留めると、仲間を殺されたゴブリンは怒る狂って突進してきた。
手には二本のダガーを持っている。
残るゴブリンは十五体程だろうか。
俺は双剣のゴブリンの攻撃をなんとかブロードソードで防ぐと、背中に激痛を感じた。
恐る恐る振り返ってみると、俺の背中には矢が刺さっていた。
どこだ……?
急いで周囲を確認すると、木の上に弓を構えるゴブリンが居た。
俺はすぐにメテオを落として弓使いのゴブリンを倒すと、双剣のゴブリンは仲間に撤退を命じた。
俺はゴブリンの群れを睨みつけたまま、敵が後退するまで剣を構えていた。
しばらくすると、ゴブリンの群れは森の中に戻った。
急いで背中の弓を引き抜くと、再び強烈な痛みを感じた。
直ぐに背中を押さえて止血する。
大変な事になってしまったな……。
背中の痛みを堪えながら鞄を背負い、卵と猫を抱えて走り出した。
ゴブリンは既に撤退したが、ゴブリンという生き物は、仲間を殺されて素直に引き下がる様なモンスターではない。
必ず復讐に来るだろう。
ゴブリンに見つからない場所を探し出して隠れなければ……。
俺は深い森の中に入り、隠れられそうな場所がないか探して回った。
しばらく森の中を走り回っていると、小さな洞窟を見つけた。
かつは人が住んでいたのだろうか、洞窟の中には古ぼけた家具が置かれてある。
ひとまずここで体力と魔力を回復させよう。
俺は荷物と卵と猫を下ろし、洞窟の入り口に家具を動かして塞いだ。
万全な状態ならゴブリンに負ける事はない。
しかし、背中に怪我を負っている今の状態では、ゴブリンには勝てないだろう。
俺は急いで猫の手当を始めた。
腕の怪我を水で洗い、止血する。
卵は終始、不安げな魔力を俺に放ってきている。
まるで今の状況が分かっているようだ。
俺は既に体力と魔力の限界を迎えている。
洞窟の奥に進み、入り口から見えない場所で暖を取る。
疲労と痛みのあまり、朦朧とする意識の中で、鞄から堅焼きビスケットを取り出して無理やり口に押し込んだ。
水を飲めるだけ飲み、ドライフルーツを齧る。
急いで栄養を補給し、次の戦いに備えなければ。
乾燥肉を小さくちぎり、口の中に押し込む。
猛烈な吐き気を催したが、今は栄養を切らしてはならない。
横になって体を休めていると、俺は知らない間に眠りに落ちていた……。