敵、動く
◇◇◇
「なんだと!?このウフロンの山には何がおると言うのだ!」
イラつきを隠そうともせずがなり立てるこの男はカムリ公爵。先代オーシュー王の次男にしてバンドーと国境を接する領地を治める太守でもある。自分を包囲する戦略を取るセリカに対抗すべくウフロンに軍を進めたのはよいのだが上がってくる報告は碌なものがない。
道中、街道沿いの山間部に放った斥候は誰一人として戻らず(カズト達に補足され始末されている)今度は領境の山に放った斥候も一人も戻らない。
「ええい!エツリアからの援軍はまだ来んのか!」
「恐れながら閣下。」
「『閣下』ではない!余は父上と兄上が亡き後、正式なこの国の王太子となるべきではないか!セリカの即位など断じて認めん!」
そういいながら報告に上がって来た部下に持っていたグラスを投げつける。『ゴツッ』とイヤな音を立てて床に落ちるグラス。同時に部下の額から血が滴り落ちる。
「は、申し訳ありません、殿下。いくらなんでもエツリアは遅すぎます。もはや援軍は無いものかと。」
「ぐぬぬぬぅ…腑抜けたかエツリアめぇ…」
元々このカムリと言う男、王位に然したる興味は示していなかった。だがセリカにより父王と兄が倒されると豹変する。王位が欲しい訳ではない。ここまでヒステリックになっているのは平民の母を持つセリカが王となる事が許せなかった為だ。
「そうだ…セリカを殺すぞ。あの雑種はまだあの山にいるのだろう?奴を殺して貴族社会を取り戻せばそれでよい…」
部下は哀れみを持ってこの主を見る。完全に情報を遮断された状況でどうして戦に勝てようか。時代の流れはセリカ一人殺したとて戻る事はないだろう。急速なセリカの台頭と貴族主義の衰退はまるで世界の意志のように思える。それを読み切れぬ主には滅亡の未来しか見えなかった。
この後カムリ軍はセリカを釣り出す事に腐心し散発的な攻撃や挑発を繰り返していく。そして上がらぬ戦果に業を煮やしたカムリは無謀にも総攻撃をかける決断をするのだった。
◇◇◇
散発的な攻撃や挑発をされても乗る事無く、ひたすら防御を固めているテル達の方には大きな被害は出ていなかった。しかしこれはこれでテル達は相手の意図が分からず困惑する。
「いたずらに時間を費やすだけの敵の行動、今一つ理解出来んな。」
インテグラーレ公爵の発言はその場にいる皆の共通認識だった。もっともテルとユキだけはカズト達と情報交換をしている為朧気ながらも推測はしていた。確証は持てずにいたが。
かと言ってこのまま無為に時間を消費するのもバカバカしい。あくまでも可能性の話、と前置きした上でテルは話し始める。
「陛下の一行は行軍中にカムリ軍によって放たれた斥候を悉く潰していたようです。加えてこちらに着いてからも我々によって斥候は完封されています。」
この場にいる全員がテルの言葉を待つ。
「つまり、敵は情報が無い状態ですよね。エツリアが援軍を拒んだ事もセリカ陛下が既にここにはいない事も知らないとすれば…」
テルは全てを語らずに敢えて周りに思考を働かせるよう促した。
「なるほど!未だカムリ軍はエツリアを待ちつつ陛下を誘き出して叩く心づもりか!」
ある重臣が合点がいった様に叫ぶ。
「そうか!ならばあのような露骨な挑発行為にも納得がいく!」
「となれば我々は今まで通り付き合ってやればよいという事になるが…」
インテグラーレ公爵はテルの推測に一定の理解を示しつつも一抹の不安を拭い去れない、そんな感じだ。
「閣下の懸念は理解できます。連中とてバカばかりではないでしょう。いい加減に気付いてもいい頃合いだと思います。エツリアの事か陛下の事かはわかりませんが。どの道、連中からすれば一度は大規模攻撃を仕掛けなければ状況は悪くなる一方でしょう。」
「近々来るな…。」
テルの言葉にインテグラーレは確信をもって答えた。
「よし!これから暫くは臨戦態勢を解かずに警戒を強化しろ!必ず敵は来る!」
こうしてウフロン軍は万全の態勢でカムリ軍を迎え撃つ事になる。
場所は本陣から前線の拠点へと戻る。
「それにしても、今の所はこちらの思惑通りだな。」
「ああ。カズトさんの思惑通りと言った方がいいかもな。カズトさんが情報を遮断してくれたのが大きいよ。」
テルとユキは敵陣を遥かに見下ろしながら話している。なんとなく、二人きりになりたかった。
戦場と言う場所は非日常だ。そんな中で平常心を保つ為の方法が静かに2人で会話する事だった。互いを想う故に2人でいる事がこの上なく落ち着く。特にテルの能力は集中力がモノを言う。
「それにしてもカズトさんの戦術眼はすごいな。前世で戦場を駆けまわっていた俺でも舌を巻くよ。」
「カズト殿は日本では『かいしゃいん』だと言っていたよ。」
「なんだって!?普通の会社員が…化け物かよ…」
「テル、かいしゃいんとは一体…」
「む!ユキ!」
テルが敵陣のあったあたりを見ながら叫ぶ。
「動いたな。行こうか、テル。」
「ああ。」
敵陣にあった篝火の明かりは全て消えていた。