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《鳥籠》2

 

 私は茫然と立ち尽くし、暗い通路の奥を覗いていた。

 片足を引きずるような、不規則な足音だけが聞こえてくる。


 頭痛に混じって感じる、仄かに暖かいもの。同時に、胸の底に広がる冷たいもの。


 何かが、私を呼んでいる

 根拠はないが、そんな気がしてならない。


「っ!?」


 イナリに肩を掴まれ、初めて自分が一歩踏み出していたことに気がついた。

 イナリの口が小さく動く。


「下がって」

「でも……」


 行かなくてはならない。応えなくてはならない。

 とにかく、そのことで頭がいっぱいだった。

 しかし、同じくイナリも頑なだ。


「行っちゃ駄目、絶対だ。」


 掴む手に力がこもる。

 間違いない。こいつはこの先にいる何かを酷く警戒している。


「けど……私は……!」



「嬢」



 突然耳に飛び込んできたその声に、思わず息が詰まった。

 暗い通路の奥に、私はその姿を探す。

 今聞こえたのは、確かにレミィの声だ。


「レミィ、いるのか?おい返事しろ!!」


「っ」


 突然イナリが私を押し退け、前に出た。


「おい、おまえ……!?」

「下がっててってば」


 その手には、長い弾薬帯を垂れ流したM60機関銃が握られている。


「なんだよそれ、なんでそんなモン」


 訳がわからない。

 向こうから聞こえたのはレミィの声だ。

 それなのに、奴はそれに銃を向けている。


「あれはあんたの友達じゃない」


 その言葉に淀みはなく、銃口は恐ろしいほどまっすぐに闇の奥へと向けられていた。

 これからこの闇の中から出てくる奴が何者であろうと、こいつは躊躇いなく引き金を引くだろう。

 そう確信させるような目をしていた。


「冗談だろ……」


 その時、闇の向こうで何かが動いた。


 ふらりふらりとおぼつかない足取りだが、確かにこちらへと迫ってくるように見える。

 暗闇に目も慣れてくると、やがてその姿がはっきりと見えた。


 同時に、胸の奥で高まっていた緊張が火薬のように爆ぜた。


「嬢……」


 闇の中から見慣れた姿が現れた。しかし、私の見たレミィは目を疑いたくなるほどのものだった。

 

 全身に赤黒いひび割れが走り、半透明な黒い液体がどろりと流れ出している。

 片腕は既に形を失い醜く膨れ上がり、苦痛に歪んだ表情を湛える顔の右半分は雨風に晒された玩具の塗装のように剥がれ落ちていた。


「嬢……ああ、私の……私の……」


 自分の目が信じられない。

 いったい、何が、どうしてこうなった。


 背中から吹き出す汗が冷たい。


 いったいレミィになにが起こっているのか。


 頭の奥で沸き上がった混乱がぐるぐる回って、体が思考に追い付かない。


「……下がって」


 目の前で轟いた銃声に、そんな思考は吹き飛ばされた。


「うっ……!?」


 レミィの片足が砕け、そのまま崩れ落ちる。

 両膝を着き、床を這うような姿でレミィが手を伸ばす。


「嬢……!」


 その瞬間、私のなかで何かが砕け散った。


「やめろぉぉぉぉ!!」


 私の振るった拳が、振り向きかけたイナリの頬を殴り抜いた。


「ッ?」


 寸での所で身を引いたようだったが、軽い身体はバランスを大きく崩す。

 イナリを押し倒し、私はその顔面を思い切り殴る。


「おまえ!おまえ!!なにしやがる、レミィが……レミィが!!」

「どいて……ったら……ッ」


 イナリの両手が私の頭を両側から挟み込むように思い切り叩いた。


「ぐあああああああっ!?」


 頭の中身が破裂したような衝撃が走り、激しい耳鳴りが襲った。鼓膜がやられた。

 途端に天と地がぐにゃりと歪む。

 あたまを抱えて悶えている内に、私は呆気なく振り払われた。


 頭がぐらついて、両耳に綿を目一杯に突っ込まれたように音が聞き取れない。

 だが、不思議とレミィの私を呼ぶ声だけが確かに頭のなかに響いていた。


 そのとき、私の手にイナリが落とした銃が触れた。


「野郎……野郎……!!」


 手に取ろうとした直後、私の手を靴底が踏みつけた。

 手の中で硬いものが砕け、感覚が弾け飛んだ。


 イナリの声が何かを言っている。だが、当然私には聞こえないし、もはや聞くつもりもない。


「離せ!レミィ、レミィ!!」


 全力で抵抗するが、今度こそ逃れられない。


 見上げると、イナリが新たに銃を握っているのが見えた。


「くそぉぉぉぉぉ!!」



 直後、確かに感じた振動は銃声だと思っていた。


 しかし、見上げた私は言葉を失った。


 床から伸びた黒い杭が、イナリの右胸を刺し貫いていた。


 痩身が蒸せ込むように震えた。口から赤黒い塊がこぼれ、膝が折れる。

 銃を取り落とした手が突き刺さった杭に触れたが、やがて糸が切れたようにくたりと動かなくなった。


「おい……?」


 恐る恐る伸ばした手が、動かない身体に触れる寸前で止まった。

 近付くだけで皮膚を突くような、先程まで感じていた鋭さを全く感じない。


 恐ろしくなって、私はまた尻餅をついた。


「……嘘だろ……なんだよ、おい……そんな、簡単に……いきなり死ぬなよ……」


 ふと、視界の隅にレミィの姿が入る。


「……レミィ、レミィ!」


「う……」


 床に伏したまま、レミィがゆっくりと顔を上げた。


「レミィ、今助ける!すぐにここから……」


「来ないで!!」


 突き刺すような迫力に、全身が固まった。


「レミィ……?」


「来ちゃ……だめです……これ以上近づいては……いけません」


「なんだよ、何言ってんだよ!大丈夫だ、きっと……なんとかなる!だから……!」


「聞いてください」


 私の声を遮り、レミィは荒い呼吸を整える。


「いつか、言いましたよね……"私を置いていってください"と。今がきっと……その時だと思うんです……」

「知るかそんなこと!大丈夫だレミィ、まずはここから出ないと。ちゃんともどしてやるから!」


「駄目です……うっ」


 再び黒い皹が広がり、レミィが呻く。


「……これは……戻りません」


 レミィの言葉に、冷たい焦燥感が沸き上がる。


「……なわけないだろ……ぜったい戻る!ぜったいだ、だから!」


「違うんです……そうじゃない。たぶん……これが私の本性なんです……」


 言葉を絞り出すと同時に、私のすぐ背後を無数の杭が塞いだ。


「私は……あなたが遠くへ行くのが堪えられない。あなたが私の知らない誰かと繋がるのが堪えられない。あなたが私の元から巣立っていくのがこわい……!」


「そんな……」


「いっそあなたを私だけのものにできたらと、そんなことを思う度に自分の醜さが怖くなって嫌になって……でも、自分を殺し続けるのがつらくて……あなたと二人だけの世界になればと、そんな妄想で自分を慰めることしかできなくて……!」


 杭は次々と突き出し、私の行く手を塞ぎに来る。


「……そんなのおまえらしくない!おまえは、そんな奴じゃなくて……!」


「わかってます!あなたはそんな私を望まない……わかっているから……私はこの心を閉じ込めてきたんです……!でも……もう堪えられない……わたしはあなたを……っ!」


 無意識に伸びていた自分の手を、レミィは押さえつけるように下ろした。


「行ってください!私はあなたを傷つけたくない……だから、はやく!!」


「……!?」


 足がすくむ。

 今なら、まだ彼女の横を駆け抜けられる。


 だが、そんなことがこの私に出来るだろうか。


 勿論、今まで何度もレミィに無理を言わせてきたし、置き去りにして逃げてきたことだって一度や二度ではない。

 だが、それは彼女がまた帰ってくると、私の滅茶苦茶に腹をたてながら戻ってきてくれると信じられたからだ。


 たぶん、


 いや、確実に



「バカ野郎……」



 気が付くと、私はレミィを前に膝を着いていた。


「バカ野郎……バカ野郎……バカ野郎……!」


 そうだ。


 初めから分かっていたはずだ。

 そんなことできやしないし、しようともしない。


 それに、決めていたはずだ。

 今度こそきちんと向き合うんだと。


 それがどんなに醜い姿であったとしても、受け入れるのだと。


 これが彼女の本性だというのなら、私はそれを受け入れよう。

 今度こそ、きちんと見つめ合おう。


 目を丸くしたレミィは、まるで間抜けな鳥みたいだった。


「おまえがどんな奴だって、私は受け入れてやる。おまえがそうしてくれたみたいに愛してやる。だから……頼むからそんなこと言うな。」


「嬢……」


 抱き締めた身体は恐ろしいほど冷たく、刺すように痛い。

 だが、それが何だ。

 例え氷付けにされたって、私はレミィを離さない。


「今さら隠すなよ……そういうひねたトコはお互い様だろ」

「あぁ……嬢……あなたは……」


 突然、私を抱いたレミィの腕に力が籠った。


 身体が軋むほど、強く激しく、そして



 耳元を、吐息のような囁きが撫でた





「そうやって私を怪物にしてしまう」






「ッ!?」






 何かが裂ける音を聞いた


 まるで百万のバイオリンの弦を一度に引き千切るような


 私を呑み込み膨れ上がる深い闇


 毒々しいほどに甘い感覚が押し寄せる



 声が私を包みこむ





 "愛しています"





 "あなたの全てを"






 "閉じ込めてしまいたいほどに"









 何かが、音を立てて閉じた。








 "ようこそ、私の悲しい鳥籠へ"














 ◎◎◎◎◎◎






「っ!?」



 中継基地から脱出し離脱した他のメンバーと合流したスルガは、その光景に言葉を失っていた。


「なんだ……これは」


 巨大な黒いドーム状のものが、中継基地を破壊しながら膨れ上がるように発生している。


 間を開けずに通信が入った。


『タカから全班へ!今すぐそこから離脱しろ!飲まれるぞ!』


 errorだ。

 反射的にそう理解した。


 あんなでたらめなものが他にあるわけがない。


「次から次へと……!!」


 他の班員も無事引き上げているだろうか。

 不安は尽きないが、今は我が身を案じることが最優先だ。


「スルガ!!」


 歯噛みしていると、背後から声がかかった。


「クソ……まさかこんな目に合うとは……手伝え!」

「黄泉月?」


 スルガを追うようにして現れたのは、動かないイナリを担いだ黄泉月だった。


「この私を呼び捨てとは、いつの間に偉くなった?」

「どうでもいい。いったい何だ、そのざまは?」


 動かないイナリもそうだが、黄泉月も満身創痍に近い状態だ。


 スルガは黄泉月に代わり、動かないイナリを担ぐ。


「地下でやられた。……あの角、なにかおかしい」

「黒山羊か……こいつも奴に?」

「いや、コイツは知らん。」

「なんだと?」

「そこに落ちてた。しかもこのやられよう……」


 シャツの胸が大きく引き裂かれ、その下の肌が黒く変色している。


「errorだろうな。それもその辺に湧いてたような小物じゃない。」

「まさかあのデカブツと?」


 スルガが顎で指すと、黄泉月は鼻を鳴らした。


「やりかねんな、こいつは」

「こいつ……」


 こいつは昔からこうだ。

 なにを考えているのかさっぱりわからず、自分の命を擲つような真似さえ躊躇いなくやる。


 まるで人間味を感じられない。


 不気味で、愚かで、気に食わない。


「……どこ、ここ」


 突然口を開いたそんな彼に、スルガは足を止めそうになった。

 息を吸うと、やっとのことで悪態をつく。


「……この死に損ないめ」


「今度こそ死んだつもりだったんだけど」


「チッ」


 舌打ちをしながら、スルガはその腕を担ぎ直した。


「なにがあった。」


 舌打ちを最後に黙ったスルガに代わり、黄泉月がその横に付く。


「……。」


 イナリは暫く黙ったが、やがて目を細めた。


「胸に何か刺さったのは覚えてる。」


「その傷か」


「いや、完全に貫かれてたんだけど……またアゲハちゃんとかその辺かも。俺が死のうとしたら、なんか怒るから。」


「……なんの話だ?」

「わかんないならいいです」

「それより木崎、あの特殊アバターはどうした?おまえが見つけたプレイヤーも」


 黄泉月の問いにイナリは後ろを振り向く。

 それに合わせて立ち止まった二人は、見上げた光景に顔を歪めた。


「やられたのか、あれに?」


「いや」


 黒い骨組みで組まれた巨大な鳥籠のようなドームは、まるで地獄の一端が地を割って現れたようだ。

 それを見上げ、イナリは口にした。


「二人があれになった。」


「なんだと!?」


「俺もよくわかんない。でも……俺にはそう見えました。」


「……全く」


 黄泉月は頭を抱えたが、やがて首を振った。


「とにかく、一度下がる……ここにいてもどうにもならん。」

「……。」

「どうした」


 その場に立ち止まったイナリに、黄泉月が振り替える。


「……歩け」


 スルガに押されるまで、彼は縫い止められたようにその惨状を見上げていた。


「師匠」

「どうした、傷か?」


 errorに負わされた傷は痛覚抑制が効かない。

 だが、その痛みをまるで感じさせないような声音でイナリは続けた。


「……"愛"ってなんなんですかね」

「……。」


 黄泉月は足を止めないまま考える。


「一言で説明できるもんでもないし、決まった形があるわけでもない。……まあ、よりにもよっておまえが一番理解できん類いのもんだ。」

「……そうですか」


 イナリは俯いたまま、何やら考えているようだった。


「何かあったのか」


 黄泉月の問いに答えることはなく、イナリはやがて目を閉じた。



「なんか、悲しいなって」






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