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《鳥籠》

 




 まるで、濁流に飲まれた木の葉になってしまったようだった。

 激しく揉み合いぶつかり合う波に煽られ、流されるままに奥へ奥へと落ちていく。



『ひとりはさびしい』


『おいていかないで』


『どこにもいかないで』


『ずっととなりで』


『わたしをみて』


『あなただけのわたしを』


『わたしだけのあなたを』



「わたし……だけを」


 囁くような声が、塞がれた耳の中でこだましては流れていく。


 彼女の瞳を覗く時、彼女の背中を見送る時、彼女を胸に抱く時、

 自ら蓋をしてきた想いだ。自ら圧し殺してきた心の叫びだ。


 視界は闇に飲まれ、耳は流れ込む声に塞がれる。

 軋む身体を動かすのは、彼女を求める思いだけだ。


 この心は、いったいなんなのだろう


 愛情か、執念か、それとももっと違う何かか


 もはやそれさえも考えられない。


 胸の奥から沸き上がり全身を蝕んでいく、この黒い感情だけだ。



「嬢……」


 蓋が外れ滲み出すように、殺していた想いが膨れ上がっていく。

 全てくまなく、彼女の為にあった『私』が、ひび割れ、砕け、壊れていく。



 体が、だんだん崩れていく


 体が、だんだん崩れていく


 体が、だんだん崩れていく



 形を無くし、膨れ上がる心のままに






 体が、だんだん崩れていく










 ○○●○●●







 最低だ。最悪だ。

 通路を満たす煙に噎せ、私は壁へ背中を押し付けた。


 頭の中身が、歩く度に右へ左へだぽだぽ揺れる。飲みかけのペットボトルになった気分だ。

 それにしても、この煙りはいったい何だ。少なくとも身体に良い物では無さそうだが、得体の知れないだけに対処のしようもない。


 あれから何分経ったか。危うく殺されかけたばかりだというのに散々な事態である。

 やっと落ち着いてきた筈の辺りがまた騒がしい。折られた肋がやけに痛む。頭がぐるぐる回って吐きそうだ。


 おまけに、この胸の辺りが痛むのは何だ。


「ああ……畜生」


 とにかく、私の手に負えない何かがここで起こっているのは確かだ。


 しかし、それでも生きてここを出ねばならん。

 私はまだ何も終わらせてはいない。

 黒山羊のことも、レミィのことも、何一つ片付かないままだ。


 地上への階段が見えた。

 今度こそ、家へ帰ろう。

 そしてレミィにも謝ろう。きっとお互い頭のなかが立て込んでいただけだ。仲直りくらい、たぶん簡単にできる。


「なあ、そうだろ」


 口をつく言葉。

 自分の口から出たはずなのに、何だか頼りなく揺れているような気がした。


 もしかすると、いや、そうでなくとも、かなり不安なのかもしれない。


 踏み込む階段の一歩目は酷く重い。


 レミィがあんなことを考えていただなんて全く知らなかったし、気にかけたことさえなかった。

 いいや、考えてみればやはり私たちはお互いに知らないことばかりなかもしれない。


 私もあいつも、一歩踏み込めば隠し事ばかりなのである。

 お互い肝心な部分を隠したまま、それらしい上張りを拵えて、それを決して傷付けぬよう生温かく撫で合っている。私たちの言う平穏な日常とは、つまりそんなものなのかもしれない。そしてそんな日常を、大切ななにかを磨り減らしながら明日へ明日へと続けていくのである。


 この“仲直り”というのは、きっとその『上張り』へ爪を立て剥ぎ合うような行為だ。


 それをどこかで分かっているから、私はきっとこんなにも怖いのだ。


 彼女の隠してきた本当の姿を直視する勇気が、たぶん私には足りていない。

 だから不安で仕方がない。


 だが、それでも



 何かが起きたのは、そんなことを考えていた時だった。


 黒く半透明な、巨大な蒟蒻のような人影が飛んできたのである。

 殴り付けるように振り回す腕。咄嗟に避けたのは、本能の鳴らす警鐘に従っての反応だった。


 蒟蒻の一撃を食らった壁がぐしゃりと砕けた。

 破片が飛び散り、目元を掠める。


「……っんだよ次から次からおまえらは……!!」


 不意討ちも良いところだ。あの壁がわたしの頭でなくて本当によかった。


 人影は声も発しない。ただ明確な殺意を向けてくるばかりである。

 普通のエネミーキャラ、ましてはプレイヤーや特殊アバターでもないことくらい直ぐに理解できた。


 同時に、丸腰の私の手には負えないということもだ。


「なんだよおまえ、どっから湧いてきた」


 案の定と言うべきか、やはり化け物は返事をしない。代わりに有無を言わさず襲い掛かってきた。

 それが恐ろしいほど素早い。


 振るった腕が私の右肩を掠めた。

 袖が破れ、皮膚がじわりと言って煙を上げた。


「うっ!?」


 途端に走る激痛。頭のなかを衝撃が走った。

 この感覚は何か妙だ。


 この閉鎖世界では痛覚抑制が働くはずが、これはいくらなんでも痛すぎる。


「マジでか……!?」


 階段から転がるように逃げながら歯噛みした。

 たかがかすり傷でここまで痛むものなのか。

 いいや、これがたぶん本物の痛みなのだ。私が忘れてしまっていただけにすぎない。

 どうやらこの世界に入り浸り過ぎて、何かがイカれてしまっていたらしい。


 それにしても、いよいよ不味い。

 このままでは今度こそ殺される。


「……クソッ、オイ主人公おまえ、来るなら今だぞってば……!」


 イナリの奴はまだ黒山羊とやりあっているか。

 それとも最悪やつに殺されてしまったか。


 だがそれでもやつに頼る他に思い付かない。


「はやく助けにこい!!」


 黒い人影が飛び掛かってきた。

 今度こそ避けきる余裕はない。


 そのとき、わたしの願いが通じた。


「伏せて」


 短く低い声だったが、身体は驚くほど従順にそれに従った。


 私の上を跨ぐように、彼が現れたのだ。


「イナリ!」


「……」


 イナリが、飛びかかる人影に触れた。



「……大丈夫……」



 小さく、そんな言葉が聞こえてきた直後に私は目を開けた。


 目の前からあの不気味な怪物は消えていた。


「……は?」


「助けてって言ったじゃん」


「いや……その……」


 一瞬で処理できるような情報量ではない。

 見た限り全くの丸腰で、何処へやったのかだらしなく着ていたジャージがない。

 そんな状態で、あの怪物を跡形もなく消してしまった。


「何やったんだよおまえ?」


「……」


 イナリは首を傾げたが、やがてぼそりと口を動かした。


「秘密」


「んだよそれ……」


 問い詰めてやろうかとも考えたが、たぶんこいつは首を絞められたって話しはしないだろう。こいつが一度だんまりを極めこめば案山子だって田舎へ帰る。私なんかがどうこうできる相手ではない。


 それに、なんだか聞くのも嫌になってきた。


 滅茶苦茶な話ならもういっぱいいっぱいだ。


「……で、ちゃんと殺ったか?黒山羊。」


 私の質問に、イナリは首を横に振る。


「全然無理」


「……クソッ」


 後ろから小突いてやろうとした拳は、あっさり避けられた。


 こいつは面こそ寝惚けているが、殺しに関しては底が知れない。

 そんな奴でさえ手に負えなかったとなると、いったい誰が黒山羊を仕留められるのか。


 いい加減目眩がしてくる。


「それにしても、何だよさっきの蒟蒻は」

error(エラー)

「なんだそれ」

「この世界のシステムの外にいる怪物。プレイヤーも特殊アバターも、ついでにエネミーとかNPCとか、動くもの何でも襲う。」


 予想に反してあっさり答えられたのには面食らったが、それ以上に訳のわからん話が返ってきたのには閉口した。

 そんな私を知ってか知らずか、イナリは珍しく話を続ける。


「触るだけでもかなり良くない。次のは逃げた方がいい。」

「逃げられんなら逃げてるっつのバカ。だれが好き好んであんなのと……つか、"次"ってさ、まさかだけど?」


 ここ最近嫌な予感ばかりがよく的中している。

 自分で聞いた側から頭が痛くなっていた私に、イナリはやはり容赦なく口にする。


「この辺errorだらけだ。こんな数初めてかもしれない。」


「あぁ畜生、最高じゃん」


 思わず額を打った。

 もはや笑えてくる。


 生きて出るのが益々難しくなってきた。

 頼みの綱はいよいよこの寝惚け面ただ一人だ。


「大丈夫」


 そんな私の顔色を伺ったのか、イナリがぼそりと言った。


「あ?」


「大丈夫、次もちゃんと助ける。」


「……うっさい」


「何でトゲってるの」


「知らん、全然知らん。」


 極僅かだが、確かに不安が和らいだのが何故か腹立たしかった。ただそれだけに過ぎん。


「ああ、そう」


 唐突に溢し、イナリが立ち止まる。

 アイテムカーソルを操作し、何かを取り出した。


「返しとく」


「をっ!?」


 投げて渡されたのは、工場の騒ぎで持ち込んで以来取り上げられていた私の装備一式だ。


「おまえ……持ってんならさっさと返せ!」

「さっき拾った。」

「さっきって……おまえさっきは……ああクソッ」


 十中八九出鱈目だろうが、それを突いたところで奴はそれ以上語るまい。


 慣れ親しんだ重みのチェストリグをかける。ベルトを目一杯絞っても腹の辺りが緩いが、これでも常夜の町で特別に見繕って貰ったものだ。今までは厚着でどうにか誤魔化して来たが、着慣らしてきたパーカーはあのイカれた白衣女の鋏で駄目にされたばかりだ。

 この無念はいつか晴らさねばならん。


「次会ったらブチ犯す」

「……」

「……んだよ文句か」

「どうやって犯すのかなって」

「うるさい!」


 肝心な所では黙るくせに、無駄なことばかりはやかましい。

 きりきり歯を鳴らしていると、ふとイナリが前に向き直る。

 どうやら、早くも次が来たらしい。


「下がって」

「言われなくても……」


 さっきのさっきでまたでしゃばろうと思える程、私も蛮勇ではない。

 言われるままに彼の後ろに回った。


 電気が落ちたのか、やたらと暗い通路の奥からどたどたと足音だけが迫ってくる。同時に、また頭の奥がきりきり痛み始めた。

 どうやら、この頭痛はあの怪物の接近によるものらしい。


 ただでさえ面倒ごとだらけだと言うのに、頭痛の二乗だ。


「余計なこと考えてるでしょ」


「……かってるよ、いちいち人の頭の中見透かすな気持ち悪い」


 こいつのこう言うところはやはり嫌いだ。


「来た」


 暗がりの中に、動くものが二つは見えた。

 相変わらず見ていて不快になるほど素早い。


 イナリは顔色ひとつ変えずにそれを眺めている。


 しかし突然目を見開き、私を突き飛ばすようにしながら後ろへ跳んだ。


「うおっ!?」


 また肋をやりそうな気がした。

 しかし、宙を舞いながら確かに見た。


 黒い怪物が、床から突き出した無数の槍のようなものに串刺しにされている。

 いや、これは槍や杭と言うよりも鉄格子か。


 イナリは軽々と着地し、私は尻で床を三十センチは滑った。


「クソ痛ってぇ……」


 尻がまだあるべき場所にあるか、手で擦りながら私は改めて目の前を見た。


 怪物が二体、串刺しになって死んでいる。

 同情するつもりには到底なれんが、人の形をした何かが頭やら胸やらを貫かれて宙ぶらりんになっている図と言うのは気持ちのいいものではない。


「おまえか、これ?」


 一応また黙りこくっている奴にも尋ねてみたが、案の定首を横に振られた。


「違う」


「じゃあ……」



 こつりこつりと、


 乱れた足音が追ってきたのは、その時だった。





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