《明けの流星》4
○○○○○○
「やってるね、彼も……」
ほんの数十分前までの寝室にしていた拠点が煙を上げている。
少し前倒しとなったが、予定通り円卓の襲撃により攻め落とされたようだ。置いてきた幹部の男も無事捕まった頃合いだろうか。
明け方の澄んだ空気を濁らせるように、遠く聞こえる疎らな銃声。
全てを見下ろす崖の上から、白蛇はため息をついた。
「黒山羊。歪みの顕在。絶対的な矛盾の塊。触れるもの全てを巻き込む渦。執念の権化……」
言葉を次々並べては、吟味するように首を傾げる。
だが、やがて諦めたように苦笑いを浮かべた。
「やっぱりだめだね、ボキャブラリーの限界だ。あれは僕たち人間に理解できるようなモノじゃない。あれの存在はそもそも根底からおかしいんだから。」
そう言いながら白蛇は大きく伸びをした。
「さて、僕の予定は全部消化したつもりだけれども……」
ここで、まだ何かが起ころうとしている。
だれも予想しなかった出来事だ。
否、
白蛇は、目を細めた。
彼だけが知っていた出来事が、恐れていた出来事が、ここで起きようとしている。
「見届けていくのも一興かな?」
ひとつ呟き、姿勢を直す。
終幕は近い。
幸い、ここからなら全てを見渡すことができる。
それなら、ここで一旦役者から観客へと立ち位置を変えるのも悪くはない。
○○○○○○
まるで背中から冷水をバケツ一杯ぶちまけられたような、そんな感覚で私は目を開けた。
そして、動けなくなった。
視界の霞が晴れたような、一瞬の出来事。
目の前にあったはずの黒山羊の死体が跡形もなく消えている。
「なにやってるの、そこで?」
代わりに背後に感じる、威圧感の塊。
振り向けない。振り向かずとも、この気配を私は知っている。
首もとまで迫る声。
思わず呼吸が止まった。
なぜ、いつの間に、どうやって
混乱が渦巻く頭のなかに、黒山羊の声は掠れた声が冷水のように染み込んできた。
「なにか見えた?」
やっとのことで背後へ銃を向ける。しかし、狙いを定める間もなく腕にナイフが突き刺さった。
「ぐっ……!?」
咄嗟に銃を手放しながら飛び退いた私の鼻先を、ナイフの鋒が掠めた。
バランスを崩して転がる。見上げた先にはあの仮面があった。
額に空いたはずの穴は、初めから存在すらしなかったように消えている。
膝を立てながら、私は刺された腕に手をやる。
傷は予想より深そうだ。暫くは使い物にはならんだろう。
「野郎……さっき死んでたろおまえ……!」
「……さあ、どうだろう」
仕留め損ねたナイフの一振りを、僅かに惜しむように一瞥。
そして、私が落としたリボルバーを拾い上げ、シリンダーから弾を落とした。
床に落ちた弾は、数えて五発。混じっているはずの空の薬莢がひとつも見当たらない。
まるで、初めから撃ってすらいなかったようだ。
「もしかしたら、そんなこともあったかもしれない。覚えてないけど。」
不思議と混乱はすぐに吹っ飛んでいった。
初めから頭の底では理解していたのだろう。こいつは何かがぶっ壊れている。
何がとは言い切れないが、そもそも私の常識が通じる相手だとははなから思ってなどいない。
「……大丈夫、死んでもまた生き返らせるから……さっさと死んでよ」
黒山羊はナイフを落とし、インベントリからネゲヴ軽機関銃を出す。
この距離であれを撃たれれば、もはやひとたまりもない。
「あんたとあの人を近付けるわけにはいかないから……もうこれ以外の道はない」
深く虚ろな銃口が私の方を捉えている。
これではこの前と何も変わらない。
またこいつの下で囚われの身だ。
「くそっ……」
動こうにも、体は既に限界を振りきっている。
「……もう、繰り返させたりは……」
黒山羊の指が引き金にかかったのと同時だった。
「……あれ」
突然黒山羊が銃口を上げ、両腕と共に盾にするように上体を守った。
同時に無数の弾丸がその体を切り裂く。
「……なに、これ……ッ」
銃声が私の背後で大きくなる。
辛うじて致死量のダメージは避けつつ、黒山羊が身を隠そうとした瞬間にその影は私の前に現れた。
「こっちが聞きたいってば」
マガジンの抜けたL85。その銃身を握り野球のバットのように構えたイナリの声が、風を孕んで耳元を駆け抜ける。
黒山羊。イナリ。
二人の視線が交わる、コンマ一秒としない僅か一瞬。
「……あんたは……」
イナリの横振りを正面から受けた黒山羊が後ろへ仰け反るように飛び、床を掻いて止まった。
「なっ……!?」
私が口を開ける先で、イナリが機関部が大きく歪んだライフルを放る。
「おまえ、なんでここに!?」
「なんか逃げるから、追うでしょそりゃ。」
今度はHK33を取り出しながら、ふらりと立ち上がる黒山羊を見る。
「……いっ……たいな、あぁ……」
銃弾とライフルによる殴打で破壊されたネゲヴを捨てつつ頭を振っている。
致命的とまでは至らないが、深手となったのは確かなようだ。
「さっさと治して」
振り向かないままイナリが投げて寄越す回復アイテム。
これでまずは助かった。
そして、形勢逆転だ。
いくら黒山羊が狂った戦闘能力を持っていようと、私とイナリが二人でかかれば押さえられる。
「おい人間武器庫、今度こそ四の五の言わずなんか貸せよ。二人ならあいつをぶちのめせる。」
それですべては解決するはずなのだ。
そうではなくてはならない。
この長い長い物語も、お仕舞いだ。
だが、イナリは黙る。
私はその肩を殴り付けるように掴む。
「おいコラ、今さら品切れとかぬかすなよ!」
「まだ半分も出してない」
「なら……うわっ?」
力を込めて掴んだ手を呆気なく抜け出され、私はよろけた。
イナリは初弾を弾き出しながら、顔も向けないまま短く告げた。
「行って。」
「は?」
聞き返した途端、私の腹に後蹴りが入った。
「ぐっ……」
受け身を取る間もなく倒れた私の前髪が、横切った銃弾に数本散る。
イナリの肩越し、黒山羊が構えたUZIが煙るのが見えた。
「おまえっ……!?」
「行けってば」
二言目は、何時もの様子とは違った鋭さを帯びていた。
「これ以上あれに近づいちゃだめだ。良くないものに引っ張られる。」
黒山羊を見据える目は細められ、他では一切見られなかった警戒を示している。
「意味わかんないって、何だよ良くないものとか!」
「わかんない」
「はあ!?」
いい加減一発二発殴ってやろうかと立ち上がる。そんな私の額を、向きを変えた銃口が抑えた。
「……っ!?」
「邪魔は、しないでほしい」
再び蹴りが襲い、今度は私の体をたっぷり4~5メートルは飛ばした。
脇腹が軋む。肋を何本かやったかもしれない。
「うご……ぐ……っの野郎ッ……!?」
回復した側から、LPゲージがイエローゾーンまで達している。
唾を吐きながら立ち上がったが、今度は目の前で私を追うように飛んできた何かが跳ねた。
「……嘘だろおまえ」
咄嗟に踵を返して走る私。
頭から突っ込むように通路へと逃げ込んだ背後で、飛んできた地雷が炸裂した。
○●○●●●
「……。」
長い沈黙が続いた。
黒山羊とイナリ。
両者とも互いを見つめたまま彫刻ように微動だにしない。
遠く聞こえていた戦闘の喧騒さえも、この張りつめるような緊張感に堪えかねたように鳴りを潜めていた。
「あのさ」
その空気に穴を開けるように、一声。
口を開いたのはイナリだった。
枯れたような痩身に、黒い仮面から伸びる禍々しく捻れた双角。
他とは一線を画すような気配を放つその存在を指差し、イナリは問う。
「なんであんたがここにいるの」
平生の彼には見られないような戸惑いが、ほんの僅かだが確かに滲んだ言葉。
黒山羊は持ち上げた片手で頭を掻く。
だが、仮面越しの目は縫い止められたようにイナリを凝視している。
返される言葉はない。
だが、イナリは既に感じていた。
自分は確かに相手を知っている
同時に、相手も自分を知っている
否、もしくはそれ以上に
「……ひとつだけ……確かに覚えてる」
黒山羊が口を開いたのは突然だった。
仮面に走っていた皹が更に広がる。
黒山羊は、掠れているが確かな声で言った。
「今度こそ、俺はあんたを殺す」
仮面の奥の虚ろな目に、初めて確かな意思の光が宿って見えた。
●○●○●○
「クソ!」
ミケゾウを追って奥へと向かったイナリを止められないまま、スルガは悪態を吐いていた。
彼を止められる者は、もうこの世には誰一人としていない。その事は、未だかつて一度として彼に追い付けたことがないことからも明らかである。
後ろでは、他の十班のメンバーが落ち着きなく班長と取り残された特殊アバターとを見比べている。
「リーダー……」
指示を仰ぐ声はひどく曖昧だ。
何か不測の事態に陥りつつあることは、イナリの様子から見ても明らかである。
彼は突飛な事を口走りこそすれば、出鱈目を口にしたりは決してしない。
「全員待機、警戒は怠るな。」
果たして、この指示がいつまでも意味を保てるか。
スルガは込み上げる焦りを飲み下す。
第十班のメンバーは、飼い慣らし切れない獰猛な獣と同じだ。
殺戮に関する才能は群を抜いて優れる一方で、安定性に欠け想定外の出来事に弱い。先ほど味方であるイナリに襲い掛かったのが示す通りである。
一度平静を欠くと暴走が始まり、更なる被害を生むリスクを背負っている。
スルガはそれをよく理解している。
第一目標である白蛇を逃した今、作戦失敗の匂いにメンバーはささくれ立ち始めている。手綱が利かなくなる前に、ここを片付けて離脱したい。
舌打ちが漏れる。
この作戦は何かがおかしい。
あまりにも急であり、強引であり、それでいて標的が曖昧である。それでいてまるで何かに急かされているような、そんな焦りのようなものを漂わせている。
しかし、今はそれを考えても仕方がない。
「……。」
スルガは背後で膝をついたままの特殊アバターを見る。
あれから何分経ったか、未だに硬直したまま反応がない。
「……チッ」
考えれば考えるほど悪い状況へと陥っていく、そんな気がしてならない。
ここを離れるべきか否か、
次の指示が出ない。
ふとそんな時だった。
「リーダー!」
部下の一声で、スルガは異常に気が付いた。
薄い霧状のものが足下を流れていく。
「なに……!?」
自然ではない、明らかに人為的なもの。
スルガは咄嗟にマスクを下ろす。
「ガスだ、気を付けろ!」
十班の装備するマスクには対ガススキルが付与されている。
仮に毒ガスであったとしても直ちに影響はないが、ここでまた何かが起こったことは確かだ。
「クソ、次から次へと……!」
悪態混じりに銃を構える。
ガスが流れてくるのは通路の奥からだ。
やがて、濃くなるガスのカーテンを払うようにしてそれは現れた。
「おやまあまあ。朝っぱらから何処の乱暴者かと思ったら、この前の物騒くんじゃない。」
装着したガスマスクで顔は確認できないが、その白衣姿とまとわりつくような声音には見覚えがあった。
工場襲撃時に目の前でerrorを発生させ、それを放った女だ。
第十班全員の向ける銃口を前にも動じないのは相変わらずだ。
「白蛇はどこだ」
スルガの問いに、女は肩を揺らした。
「ふふっ、もしかしてみんな本気で先生を捕まえられると思ってるの?」
女が煽るように傾げた首下を、銃弾が掠めた。
「少しでも状況が理解できるなら、その無駄口を閉じろ。」
「ヤダヤダ、こわ~い」
腰をくねらせるような仕草を交えると、不意に彼女の目が細まる。
まるで狙いを定めた蛇のような目で、女は低く言った。
「ならひとつだけ教えといてあげるけど、状況を理解するべきなのはそっちよ?」
「なんだと?」
すると、突然頭の奥を鈍い痛みが揺すった。
見渡すと、他のメンバーもこめかみを押さえている。
ガスによる影響が過ったが、それとは考えられない。
同時に、自分達はこの感覚を知っている。
「error!?」
その声に女は両手を広げて笑う。
「この辺りの失踪事件を嗅ぎ付けて来たなら知ってるんじゃない?消えた者の半数以上が特殊アバターだったってこと!」
特殊アバターをerror化させる薬品の存在が脳裏を掠めた。
つまり、このガスは
「撃て!!」
改めて引き金に指を触れたときには遅く、彼女の背後から無数の影の群れが殺到した。
僅かに人の形であった頃の名残を残した半透明な影の塊。
撃ち出した弾丸は僅かにその輪郭を破り、黒い飛沫を散らすが、倒すには至らない。
個体毎の規模は今まで見てきたものに劣るが、数が多すぎる。それに加えて、これまでのerrorとの明らかな違いがすぐに感じられた。
errorの群れが白衣の女を識別し、明らかに避けている。
「どういうことだこれは!?」
「あなたたちじゃ先生は止められない。そういうコト!」
手持ちの武器では、濁流のように押し寄せてくるerrorの群れを抑えられない。
「退くぞ!」
これ以上持ちこたえるのは困難だ。
「立て!!」
座り込んだ特殊アバターを背後に、スルガは次々殺到するerrorを捌く。
「どうした、起きろ!!」
「私は……私は……行かないと……あぁ……行ってしまう……行ってしまう……!?」
しかし、対する特殊アバターは譫言のように繰り返すばかりで反応がない。
「クソッ!目を覚ませ、死ぬぞ!」
「リーダー!!」
急かす声に、スルガは歯を噛み締めた。
もはや、自分たちの手には負えない。
「……走るぞ、後ろは任せろ」
errorの群れへ目掛け、フラググレネードを投げる。
爆発を待たずに、後ろを振り返りながら走った。
最後に、濃くなる煙の中でゆらりと立ち上がる彼女の姿が見えた。
「嬢……今、行きます……」
正面へと向き直ったのか、それとも目をそらしたのか、彼自身にも分からなかった。
「クソッ……!!」
去り際のイナリの言葉が甦る。
もはや、自分には止められないのか
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