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《明けの流星》3

恐らく初めてのミケゾウ以外の主観あり。

 




 ある朝、主が突然部屋から消えていた。

 そしてそれきりに、夜になっても、そしてまた朝になっても、帰ってくることはなかった。


 空のベッドは不気味なほど丁寧に整えられていて、一度たりとも片付くことのなかった床の着替えさえ畳んで積まれていた、彼女の部屋。

 そんな光景を眺めていると、まるで私の知っている彼女がこの世から消え去ってしまったような気がして、恐ろしくなった。


 このままでは二度と彼女に会えなくなる。

 根拠のない焦燥と不安が頭のなかで渦巻いて、行動を起こさずにいられなかった。



 主の足跡を辿って二日目、やっとのことで掴んだ情報の先にあったのは、あの名前だった。



 黒山羊



『蛍火』のあの日の以来、彼女は固く閉ざしていた心を開いた。

 同時に、彼女は『黒山羊』という存在に強く執着するようになった。


 私は、彼女が黒山羊に近付き過ぎることを恐れている。

 その感情が、彼女の身を案じる気持ちだけから来るものではないということは自覚している。


 矛盾した表現になるが、彼女は黒山羊に敵意を向ける一方で、その存在に強く惹かれている。

 現に、彼女は黒山羊との再会を望みこそすれば、殺意を示したことは一度たりともなかった。



 薄々気が付き始めていた。


 私もまた、大きな矛盾をひとつ抱えている。


 "独占欲"、"支配欲"とでも呼ぶべきなのだろうか。


 私は、彼女が自由であることを望んでいる。

 一方で、彼女がこの手を離れて遠くへいってしまうことを恐れている。


 この両極端に存在する感情の狭間で出した答えが、『私を置いていくように』という告白だった。

 いつの日か、私自身が彼女の枷とならないよう、そう願っての決心だった。


 しかし、それさえもまた揺らいでいる。


 私は、今さら一人取り残される恐怖を知ってしまった。

 彼女が自分を必要としなくなるという恐怖を知ってしまった。


 わからなくなってしまった。


 再び彼女と向き合ったとき、私はどんな私でいればいいのか。








「うっ……」


 ふと、頭の奥を針で突くような痛みが走った。


 まただ。

 ここにきてから、何度目かの頭痛だ。


 レミィはこめかみを押さえる。


「わっふーーーー!!」


「っ!?」


 突然、自分の真横を奇声が通りすがった。


 思わず仰け反ると、後ろからグローブ越しの手が伸びる。


「話はしたはずだ。ぼさっとしてると味方だろうが食い殺される。」


 低い声で言ったのは、第十班の班長スルガだ。


 第十班。

 対プレイヤー戦においては円卓内でトップの実力を誇る。しかし、構成するメンバーの殆どは、かつて円卓と敵対し、その結果地下牢に収容されていたプレイヤーたちである。


 正面に向き直ると、全身に大小長短様々な刃物を身に付けた少女が、小型の斧のような刃物で敵の首を切り落としていた。

 幼さを残した体躯と無邪気な表徐が、血飛沫のようなダメージ演出を浴びている。


 その光景にレミィが後ずさる中、別の班員がその横を駆け抜けていく。


「えへへ、りーだー!12人目~!」


 狂気に目を輝かせるその女性アバターに、スルガは小さな舌打ちで応じた。


「こっちはいい、他所を片付けてこい。……獲物は腐るほど湧いてる。」


 羽虫を払うような仕草を交えつつ言うと、彼女もまた更に奥へと進んでいった。


「クソ……数ばっかりは一丁前に揃えやがる……」


 唾棄するように吐く言葉。

 7.62mm弾の予備マガジンをMCXに押し込みながら、頬を汗が伝う。表情には苛立ちの色が滲んでいた。


 黄泉月も、そして恐らくイナリも、既に単独で地下まで到達している。現に、地下からは床が揺れるほどの銃声が聞こえている。

 それに追い付けない自分へ焦りを感じているように見えた。


「イナリ……なんでおまえが……」


 呟いたその時、第二班から通信が入った。


『ツバメから全班へ、バルクの幹部確保!けど白蛇がどこにもいない、とり逃したかもしれない。』


「クソッ……!?」


 スルガの拳が壁を抉る。


「ユズキ!!おまえ……!」


『ハヤブサからツバメへ』


 スルガの声を遮るように、ジェットからの通信が割り込んだ。


『よくやった、念のため周辺は俺たちで洗ってみる。そいつを逃がすなよ。』



「……ッ!!」


 奥歯を噛み締めつつも、スルガはそれ以上はなにも言わなかった。


「……行くぞ、特殊アバター」


「……。」


 レミィは黙って辺りを見渡す。


 円卓の標的は逃したようだが、自分の仕事はまだ終わっていない。

 何としても、主人を救い出さなくてはならない。


 救い出して、そして


「……」


 繰り返す頭痛。



 救い出して、そのあとどうする





 その時、通路の奥から悲鳴がした。


 先程までナイフを振るっていたあの少女の声だ。


「チッ、あのバカが……っ!」


 声がしたのは地下へ続く階段からだ。

 銃声はしない。だが、少女が上げる声だけが狭い通路に反響して聞こえる。


 銃を手に駆け降りた階段の先で、レミィはその光景に足を止めた。



「……なんなのこれ」



 ジャージ姿に袖を捲った場違いな青年がいた。


 足下には既に消滅が始まるプレイヤーの死体が無数に重なっている。


 第十班のメンバーが強い警戒を滲ませながらそれを取り囲んでいた。


「うぅ……は……なせー……!!」


 片手で首を締め上げられた少女は手足を振り回しているが、その手が緩むことはない。

 少女を締め上げたプレイヤーは、もう片方の手に握ったビゾン短機関銃の照準を、敵を数えるように動かしている。


 その銃口がスルガに向いたと同時に、彼は口を開いた。


「あ、スルガくん」


「……ッ!?」


 その正体を認めたスルガは、引き金に触った指を下ろす。しかし、銃口は未だイナリを捉えたままだ。


「なんの真似だ、イナリ」


「……なにって」


 よく見ると、少女の首を絞めている腕には、彼女のものと思われるナイフが二本も刺さっている。


「なんか刺されたんだけど、なにこれ」


「……そいつは俺の部下だ、今すぐ離せ」


 威圧感を含ませながら、MCXの銃口が細かく動いた。


「……」


 しばらく黙っていたイナリだったが、やがて少女をスルガの方へ投げるように離した。

 それに続けるように、引き抜いた二本のナイフも床を滑らす。


「おまえか、やったのは」


 スルガの質問は、そこらじゅうに積まれるように倒れた死体についてだろう。エデンの樹に雇われた傭兵だろうが、共に落ちている武装は表を守っていた連中の物とは比にならないほど充実している。


 イナリは目を細めていたが、回復アイテムを使用しつつ頷いた。


「……邪魔するなら帰ってよ」


 イナリはやや迷惑そうに目を細め、傍らの死体を無関心に見下ろす。その言動に、スルガは歯を軋ませた。


「それはこっちの台詞だ……!」


「べつに、知らないよそんなの」


 他所を向きながら言ったイナリの胸ぐらを、スルガが掴んだ。


「おまえだけは……!」


「……。」


 やっとスルガの方へ向いたイナリの目は、やはり何処までも感情がない。

 そのまま長い沈黙が続く。


 それを終わらせたのは、死体の影から這い出してきた小さな影だった。


「……のさぁ、わけありな感じなのはわかったけど今は勘弁してくんないかね。」



 その声にレミィは心臓が跳ねるのを感じた。





 ○●●○●●






 全くもってひどい目に逢った。

 いや、逢わされた。


 どれもこれも、全部この寝惚けた顔をしたジャージが悪い。


 転がっている死体がまだ元気だった頃の話である。


 地下を抜ける階段を前に待ち伏せを食らっていたのだが、それが私の予想の遥か上をいっていた。

 人数は勿論、積まれた土嚢やら三脚付きのミニガンまで揃った、至れり尽くせり心尽くしの歓迎体制である。

 一体何をもてなすつもりで用意して来たのだが、とにかくプレイヤー二人で突破できるようなものではない。


「どうする、おいどうするってば!」

「あぁ……うん」


 さっきから無視ばかりする背中をばしばし叩いていると、鬱陶し気に払われた。

 こっちはたったの五発しかない拳銃一丁である。もし襲われてもこれでは抵抗しようがない。


 ここは攻撃を耐え凌いで、味方が来るのを待つのが常識である。


「時間ないから通る。」


 その為、極めて必要最低限、よもやそれ以下にも動かない口からその一言が飛び出した時には、心臓が止まったかと思った。


「はぁっ!?」


 やっと息を吸うことを思い出した頃には、奴は視線の殺到する中へ飛び出して行っていた。


「まっ……!」


 呼び止める間もなく弾が壁を削る音がして、私は頭を抱えて縮こまった。

 非常にまずいことになった。これでは奴を追えない。


 表を伺う余地もなく、私は隅っこで小さくなりながら奴の末路を予想し身震いした。

 ひょっとして飛び出した側からボロ雑巾にされてくたばったか。

 そんな想像にぞっとしたが、それすらも確認のしようがないのである。弾が壁を削る振動と破片に、縮こまっているのがやっとだ。


「うがあああああ!?」


 銃声が煩すぎて、もはや自分の声さえうまく聞き取れない。こうしているだけで今にも頭が内側から弾け飛びそうだ。


 頭を押さえながら、私は考える。


 逆にまだ撃っているということは、奴もまだ生きているということだろうか。

 だとしたらとんでもない奴である。一体この狭い空間で何人が撃ちまくっているのだか知らないが、この弾幕の前では小蝿だって飛行を断念するに違いない。


 しかし、それでも私はそんななかにおかしな音を聞いた。


 まず、ミニガンの音が止んだ。


 耳鳴りの間から狼狽えるような声が聞こえてくる。

 途端に規則正しかった銃声のリズムが乱れる。


 一人、二人、また銃声が止んでいく。


 と思うと、再びミニガンが火を吹き始めた。


 だが、今度はこちらに向けてではない。


 やっとのこと顔を出した私が見たのは、全身を真っ赤にしながらミニガンを撃ちまくっているイナリだった。


 そしてちょうど、最後の3~4人が千切れ飛ぶのが見えた。



「おわった」



 私のイカれた耳には聞き取れない。もはや口の形から予測する他になかった。





 あの目がぎらぎらした刃物女が襲ってきたのはそのあとの話だ。


 いつまた何が来るかと私がイナリに駆け寄ろうとしたとき、狂犬病の野性動物みたいに私の方に跳んできたのだ。


 二本のナイフが巨大な生き物の牙のように見えたかと思うと、それを横から割り込んできたイナリが蹴り飛ばした。


 すると今度は矛先をイナリの方へ向け、化け物じみた跳躍力で跳ね回りながらナイフを振り回す。

 しかし、というかやはり、化け物っぷりに関してはイナリの方が上手だった。

 早々その首をふん掴むと、ごみのように床へ叩き付ける。その間に腕を散々に刺されていたが、それでも床に伸した側からぼこぼこと足で踏んづけて、ややおとなしくなってきたところを今度は壁に押し付けて黙らせていた。


 スルガとかいう奴が現れて、何やら小競り合いを始めたのがその直後の話だ。


 人が一山乗り越えた側から仲間割れとは、物騒な連中である。


 私が言えた義理とも思えんが、時と場を弁えて欲しいものだ。


 しかし、あの狂犬病にやられた野生動物みたいな女まで円卓の、しかも特務隊の人間だったとは驚きだ。


 あれはどう見ても駆除される側の面だ。地下牢、もとい保健所の檻の中が妥当だと思われるのだが、人事担当の正気を疑う。


「……」


 頭に上った血も引いたのか、黒い方のスルガが手を離した。


「黄泉月はどうした」


「奥で他にも捕まってないか探してる」


 一言二言交わしお互いにすれ違うように、向こうは奥へ、私たちは上へ向かう。



「……嬢?」


「……ッ!?」


 その時、黒っぽい一団の中に私はその姿を見つけた。


 銃を抱えているが、私の方を見つめて肩を震わせている。


 レミィだ。


 分かったとたん、頭のなかがいっぱいになった。


「レミィ……レミィ!」


 二本足で立つのを覚えたばかりの赤ん坊みたいな足取りで、レミィの方へと歩みを進める。


 帰ってきた


 あのイカれた地獄みたいな場所から、私は


 そう思った直後に、



 ばしん、と。

 頭の芯が震えた。


 驚きと痛みで尻餅を着くと、たった今私の顔をぶったレミィが顔を真っ赤にしながら私を見下ろしていた。


 一瞬、訳がわからなかった。

 なぜ殴られたのか、その意味がわからなかった。


「どれだけ……どれだけ心配したと思ってるんですか……」


「なんだよ……それ」


「どれだけ不安だったか!どれだけ怖かったか!どれだけ……どれだけ……!」


 レミィの目から大粒の涙が落ちている。

 私はどうしていいのか、すっかりわからなくなっていた。

 こんなはずではなかったのだ。


「何故伝えてくれなかったんですか……何故一人で……」


「それは……」


 止められるのを知っていた。

 だから結局最後まで言えなかった。


「何故わかってくれないんですか……私の本当の気持ち……!」


 レミィの手が私の肩を掴む。

 予想以上の力で、まるで私を押さえ付けようとするように。


「どこにもいかないで、私を一人にしないでください……!黒山羊なんて……過去なんて……他のものなんてもうどうだっていい……こんな恐怖……もう堪えられない……!あなたがずっとそばにいれば、私はそれで……!」


 明らかにいつもと様子が違う。

 錯乱したような目に、思わず寒気が走った。


「……私は……!」


 突然怖くなって、レミィの手を振り払った。

 後ずさった私に、レミィの表情が凍り付く。


「孃……?」


 脳裏を、あの黒い仮面越しの目が過る。

 思えば、私はまだ奴から何一つ聞き出していない。


 私の過去は、まだあの日からの太い鎖に繋がれたままだ。ここからは、まだ出られない。


 もう一度黒山羊と会うまでは。


「……今の私にとっては、あいつが全部だ。……そうだ……まだ何も終わってない……!」


 それを口にしたことが間違いだったと気がついたときには既に遅く、レミィは事切れるように私を離すと膝をついて動かなくなった。


「レミィ……」


 レミィの涙が床に落ちる。


 一瞬だけ、その目が私を見つめ返した。


 古井戸の底を浚ったような、底無しに濁った瞳をしていた。






 ●○●○●○






「っ!?」


 突然逃げ出すように走り出したミケゾウに、スルガが手を伸ばした。


「おい、まて!」


 しかし、その手が届く前にイナリがそれを振り払う。


「おまえ……」


「スルガ」


 その目には、日頃みられない色の光が宿っている。


「イナリ……?」


「不味いことになった」


 動かなくなった特殊アバターを見下ろし、イナリは呟く。

 やがて頭を掻き、ミケゾウの消えた地下へと走り出した。


「イナリ!」


 叫ぶスルガに、振り向きもせずに返す。


「その人を動かさないで。」


「なんだ!?」



「このままじゃ、たくさん死ぬ」






 ●○●○●●





 気がついた時には、その場を走り去っていた。


 恐怖か、焦りか、よくわからない感情が沸き上がってきて、とにかく逃げなくてはならない気がした。


 妙な感じがした。


 レミィの様子が明らかに可笑しかった。


 あの悪い夢が頭のなかをぐるぐると回る。


「黒山羊……」


 その名前が口をついていた。

 深く湿った闇が渦巻いている地下へ下りながら、私は繰り返していた。


「黒山羊……黒山羊、黒山羊!」


 あいつだ


 すべての元凶は、間違いなくあいつだ。


 あいつが現れたせいだ。

 レミィと私がおかしくなったのは。

 全部が始まったあの蛍火の日に、あいつと出会ってしまったせいだ。


「黒山羊ッ!!」


 気がつくと、何処とも知れない広い部屋にいた。


 数ある拷問部屋のひとつか、残虐の残り香が死臭のように漂っている。


 そこに、奴はいた。


 黒い影が、誰とも知れない女に覆い被さるようにして何かを呟いている。


 女は既に気を失っているのか、それとも死んでいるのか、ピクリともしない。


 だが、そんなことはどうでもいい。


「……黒山羊」


 私の声に、黒山羊が反応した。

 ゆっくりと立ち上がり、体を軋ませるような動作で振り向く。


「……あんた、だれ?」


「……。」


 あのときと同じ反応だ。

 虚ろな瞳に、私は結んでいた唇をゆっくりと開いた。


「あの日からずっとおまえのこと考えてた。なんでレミィを撃ったのかとか、なんで私を殺さなかったのかとか……おまえが、なんで私と同じもの見てる目してるのかとか。」


「……。」


「世の中にあるもん全部に興味がないみたいでさ……不思議だよな。自分もそんな目してんだって気付いてんのにさ、いざ自分以外が目の前でそんなツラしてると気色悪くて仕方ない。」


 初めは、何を聞かされているのかてんで理解していない様だった。

 奴はものごとを記憶しない。私のことも、自分がそこにいる理由さえも。


 だが、今度は違った。


「……あんたは……俺だ……俺は……あんただ」


 うわ言のように言葉を溢し、頭を掻きむしる。

 同時に、鋭い痛みが頭の奥を走った。


「……なんだ……これ!?」


「見たんでしょ……あの人、どんな顔してた……?」


 あの人とは、レミィのことか。

 突然、黒山羊の顔を覆った仮面に罅が走る。


「何の話だ?」


「同じなんだよ……あのときと……」


「黒山羊!!」


「俺は!!」


 黒山羊が突然、二本のナイフを抜いた。

 途端に、強い殺気が波のように押し寄せる。


「あの人を救えなかった!」


「……っ!?」


 咄嗟に炉に刺さっていた火掻き棒を抜き取ると、黒山羊の振るった二本の刃がそれに食い込んだ。


「あんたも同じだ!」


「クソがッ!」


 大きく振り払うと、火掻き棒をひしゃげさせながら黒山羊が宙を舞った。空中で身を翻し、黒山羊が再び着地する。

 使い物にならなくなった火掻き棒を捨て、壁に伝っていた金属の配管をもぎ取る。


「ああああああ!!」


 全力でそれをふり下ろしたが、黒山羊はそれを身を翻すように避ける。

 同時に、脇腹を痛みに抉られた。


「っ!?」


 視界の外にあったナイフが、私の腹を薄く裂いている。


 動きが早すぎる。

 目で追えない。


 私の繰り出す攻撃は次々空を切り、その度に浅いが急所を掠めるような切り傷が無数に刻み込まれる。


 私の大降りの一撃が逸れた。

 同時に、鈍く光るナイフの刃が迫る。

 今度こそやられる。


「ッ!!」


 咄嗟の思い付きだった。


 咄嗟に体を捻り、全身で相手にぶつかる。

 ナイフの刃が肩を貫き、LPが大きく削れた。


 だが、まだ生きている。


「なに言ってんのか、わかんねぇんだよ!!」


 予想外の打撃に怯む黒山羊。握ったナイフは深く突き刺さったまま封じられている。

 そこに、私の全力の一撃が入った。


「……っ」


 禍々しく捻れた角が砕け、黒い硝子質の破片が散る。


「黒山羊!!」


 倒れた黒山羊の上に馬乗りになり、その仮面にイナリに押し付けられた銃を向けた。


 38口径の短い銃身を黒い仮面へと押し付けた。

 ハンマーを上げ、殴り付けるように言う。


「答えろ、黒山羊!おまえは、私たちになにをした!なんで私なんだ!なんでレミィなんだ!黒山羊!!」


「……」


 黒山羊は死んだように黙る。


「答えろ!」


 銃口を肩に押し付け、引き金を引いた。

 だが、黒山羊はまるで死体のように反応しない。


「なにを知ってる、おまえは何がしたい!?」


「……」


 黒山羊がふと口を開いた。


「俺はなにもしない……」

「なんだと!?」

「なにかするのは俺じゃない……あんただ……」


 仮面の向こうの目が、ぎらりと光ったように見えた。


「あの人を殺すのはあんただ」


 突然黒山羊の手が動く。


「……ッ!?」


 掴んだのは銃を握った私の手だ。

 万力のような握力で、手首がみしりと軋む。


 咄嗟のことに、指先が動いた。


 次の瞬間、手の中を火薬の爆ぜる衝撃が響いた。

 弾けた赤い光が、私の世界を埋め尽くした。



 倒れた身体はぴくりともしない。


 気がついたときには遅く、私は腰を抜かしたまま後ずさっていた。


「……そんな……クソ!!」


 仮面の額にぽっかり空いた穴から、蜘蛛の巣のように広がる罅。

 焦燥と驚愕が、寒気となって駆け上がってくる。


 まだ何も解決していなかったというのに。




 黒山羊が死んだ。


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