《暗闇のなかに》4
「あああああああああああああああああッ!」
頭が割れるようなその絶叫が、自分から発せられているものと理解するのにさえ数秒を要した。
「どう?痛い、痛い?ねえ教えて、ねえねえ!ねえったら!!」
右目を突いた鋏の刃が動き、潰れた眼球を更に掻き回す。
体の内側で暴れまわるような激痛が脳みその裏側まで突き刺さって、全身が意思に反してがたがたと痙攣を起こす。
「ねえ、目に鋏が刺さったら何が見えるの?何色が見えるの?赤い?青い?黒い?」
「ああああああああああああああああ!!」
私の絶叫を聞くと、女は満足げに鋏を抜いた。
激痛の波は収まらず、全身を震わせながら呻く私を、彼女の腕が柔らかに抱き締める。
「ふふふふ……とってもかわいい。次はなにしようか?」
「もう……やめろ……」
「ううん……ダメ♪」
私の右目を潰した鋏を鳴らすと、今度は私の胸元からシャツの襟へと鋏を入れる。
「今度はお洋服脱いでね?ちょきちょき、ちょきちょき……」
まだ仄かに熱を持った刃先が素肌に触れるたびに、ぞくりと震えが走る。
シャツを切り開くと、女は私の体に頬擦りをした。
素肌に感じる吐息が、すこしこそばゆい。
「綺麗な体……綺麗なお肌……綺麗なお腹……女の子のからだ。肌はふわふわ、すべすべ、いいにおいがして、その内側に弾力のある筋肉があって……指を押し込むとね、内臓がくにゅって押し返してくるの……」
強く、弱く、抑揚をつけて肌を撫でる指先。
「……んっ」
腹部に感じた彼女の舌の生暖かくぬるりとした感触に呻いたその直後、硬い金属が皮膚に薄く沈みこんだ。
強張るような緊張に、呼吸が止まる。
吹き出し続ける汗に、その刃先が小さく滑るのを感じる。
「服の下がこんなにきれいなら……その下はもっときれいかもしれないね?」
鼓膜から染み込んだその言葉に、収まりかけていた震えがまた押し寄せてきた。
私の足の間から顔を出す彼女。その口元が怪しくつり上がる。
「次は、お腹を開きます……♪」
鋏が皮膚を浅く傷付け、ちくりとした痛みが走る。
無防備な腹部へ、焦らすように指を這わせながら女は言う。
「大丈夫、SOGOのアバターは丈夫だから簡単には壊れないから。もし壊れちゃっても、先生が治してくれる。」
「ぐ……ぁ……ッ」
彼女が軽く手首を捻る度に鋏の刃が皮膚の内側へと沈み、鋭い痛みが脈打つように広がる。
「だから……大事なモノ……大事なトコロ……全部見せて、ね?」
「うぐ……ぅ……ッ!」
痛みで筋肉がひきつれば、それがまた新たな痛みを生む。
今度は悲鳴さえ満足にあげることができない。
「いくよ……大丈夫、ゆっくり、丁寧に切るから……?」
全身の血が沸騰するような恐怖が頭を支配する。
言葉も出ずに、身動ぐことさえ出来ない。
戦闘の場には存在しない、一方的になぶられる絶望感。
だが、その直後の痛みで、私はまた現実に引き戻された。
鋏が、勢いよく引き抜かれたのだ。
「なんの真似、黒山羊?」
突然豹変した女の声にまばたきをすると、立ち上がった女の背後に黒い影が見えた。
「……それ、返してよ。」
かちりという細かい金属音。
聞きなれた音。銃の撃鉄が起きる、微かだが確かな威圧感を持った音だ。
白衣の肩越しに見えたのは、45口径の銃口と黒い仮面だった。
「ただ遊んでるだけじゃない。あんなところに閉じ込められてたから、めずらしくお土産かと思っちゃった。アナタのなのね。」
「……返してってば」
繰り返すばかりの黒山羊に、女は首を傾げて見せた。
「嫌。だってこの子かわいいもん?」
「言うこと聞かないなら、撃つけど。」
「ふふっ……今さらそんなもの怖がると思った?」
女は振り向くと、黒山羊の向ける銃口へ挑発するようにキスをした。
それでも微動だにせず、黒山羊はそれを見下ろす。
「それに、私アナタのこと嫌いだもの?」
冗談めかしてウィンクする女。
それを見つめ返す黒山羊の目は、相変わらず感情の色を映さない。
「ああ、そう」
次の瞬間、銃声と共に目の前の白衣が崩れた。
またいつの間に、気を失ったのか。
相変わらず動かない手足。からからと押されていく車椅子。
あの部屋に置いてきたのか、白衣の女はもういない。
治療アイテムの効果か、体は元に戻っている。
だが体の重さは抜けきらず、右目の奥にはまだ痛みがぐすぐすと燻っている。
真後ろに感じるのは、あの異様な気配。
「……。」
無言のまま、車椅子を押す黒山羊。
これから何処へ連れていかれるのかなんて、もはや気にならなかった。
「……おまえは何がしたい……私に何をさせたい……」
「……。」
黒山羊は答えず、黙って足を進める。
暫く続く沈黙。
そこまではまだ予想していた。
だが意外なことに、今度はその口が動いた。
「……よくわからない。」
「……じゃあなんで私をこんな目に合わせる?おまえは私が憎いのか?」
「……それも……わからない」
通路に淀む空気はひんやりと冷たい。まるでここだけ世界が死んでしまったかのようだ。
車椅子のからからと鳴る音だけが、足下で生きている。
その音と景色が流れていくごとに、私のいるべき世界がどんどん遠ざかっていく。そんな気がして、私は奥歯を強く噛み締めた。
「……帰してくれよ……私がなにしたってんだよ……あいつらの所に帰らなきゃいけないんだ」
「……。」
黒山羊は、また黙る。
「……帰っちゃ駄目だよ」
唐突に語り始める黒山羊。
「……間違ってからじゃ、もうどうしようもないから。」
「……。」
「大丈夫、二人とも死なせたりしない……だからここにいて。」
私はうつむいたまま、その話を聞いていた。
「なんの話だよ」
私が溢すと、黒山羊は首を傾げた。
「……なにが……?」
「……。」
一瞬前の出来事を、その会話の内容を、本当に忘れてしまったようだった。
聞きたいことが山ほどある。知りたいことが山ほどある。
だが、押しても引いてもこいつはびくともしない。
悔しいような、虚しいような。昨日まであれほど燃え上がっていたものが、すっかり白い灰になってしまったような。
どうしようもない脱力感。
不意に、ぐらりと傾いた頭を黒山羊の手が支えた。
「薬、そろそろ切れるよ……そのうち眠くなる。」
「言われなくても……もう死ぬほど眠いって……」
「……。」
黒山羊の手が離れる。
泥沼のような眠気に、体がずぶずぶと沈んでいく。
無理に抉じ開けた瞼を、黒山羊の白い手が覆った。
「じゃあ眠ればいいと思うよ。」
その言葉が頭の奥に染み込んできて、いよいよ気が遠くなってきた。
ここにきてから気を失ってばかりだ。
そう思いながらも、私には意識を投げ出す他になかった。
●●○●●○
セントラルタワー周辺地区、円卓本部執務室。
部屋着のように着慣らした飾り気の欠片もないジャージ姿が、執務机に尻を乗せて脚を揺らしている。そこだけ見たのなら、まるで不健康な学生の一人部屋だ。
そんな平常通りの格好のイナリに、円卓の制服を着込んだ団長アルフレッドが封を切った報告書を渡した。
「君が入手してきた記録媒体の件について、独自に調査を行った。やはり敵のアジトの位置情報は本物で間違いない。加えて、周辺でプレイヤーや特殊アバターの失踪も報告されている。ここに囚われていると見るべきだろう。」
そう言ってイナリを見下ろす。
「準備が整い次第すぐにでも仕掛けるつもりだ。また君に頼ることになる。」
「……いいよべつに」
見上げるイナリ。
服装の為か、それとも二人の放つ雰囲気の差か、はたまたイナリの猫背のせいか、大して変わらない筈の背丈が飼い猫と家主ほどに違って見える。
「……。」
報告書の束を片手で受け取り、興味薄げにぱらぱらと捲るイナリ。
「あの……なんかの樹。」
「"エデンの樹"だ。報告したのは君のいた隊だろう?」
「名前は大した問題じゃないから、気にしたことないや」
机から降りると、丁寧に纏められていた報告書をばらりと机の上に置いた。
「余計なこと考えてたら引き金が重くなる。スズムラさんに応えられなくなる。」
そう言うと、報告書を仕舞うアルフレッドへ振り向いて言った。
「だから、そういうのはレッドさんに任せる。誰を、何を、どうやって始末するか。それだけ指示してよ。俺が出せるものは、全部出すから。」
向けられた視線に、アルフレッドは逃げるように報告書へと目を落とした。
彼にあの目を向けられる度に恐ろしくなる。
純粋であるが故に、無垢であるが故に、彼は迷いを知らない。"彼女"の名の元に命じればそれがどんな内容であれ躊躇いなくこなす。
そんな確実性と獰猛さを、彼は兼ね備えている。
まるで引き金を引かれるのを待つ銃そのものだ。
あの目を前にする度に、アルフレッドは考える。
"彼女"もまた同じ感覚を味わっていたのだろうか。
だとすれば、これほど悲しい関係はないだろう。
「……あれ」
突然イナリが手を伸ばし、机の引き出しに納められたSIG SAUER P228を取り出した。
「イナリ?」
「……ちょっと借りる」
スライドをずらし薬室を覗きつつ、執務室の扉へと向けた。
それと同時に、扉をノックする音が聞こえる。
「……。」
イナリの無言の視線に、アルフレッドが頷く。
「……入ってくれ」
「……し、失礼しま……す」
アルフレッドの声に扉を恐る恐る開けたのは、血の気の引いた頬を汗に濡らすカズマだった。
その背後には、見知らぬ女性。恐らく特殊アバターだろう。
鋭く研いだナイフのような表情で、散弾銃をその背中に押し付けている。
「……」
「……いや、わざとじゃないんですってば……!?」
アルフレッドの視線に、泣き言を溢す様に言うカズマを、特殊アバターが銃口で突く。
「入りなさい」
「わ、わかっ……だから落ち着け……!」
情けない声を出すカズマを部屋に押し込むと、特殊アバターは扉を閉め、肘打ちでノブを歪める。
「……だれ?」
イナリの質問には応じず、特殊アバターは向けられたP228をさして言う。
「……弾を抜いて、こっちへ」
「……。」
確認を取るようにアルフレッドの顔 を窺ったイナリだったが、彼が首を振るのを見て排莢孔から全弾を床に落とした。
ホールドオープンした銃を見せると、カズマの足下へと放る。
それを確認すると、特殊アバターは口を開いた。
「彼の体に爆弾を仕掛けました。施設ごと爆破されたくなければ、おとなしく従ってもらいます。」
「馬鹿な真似はよしたほうがいい。ここがどこだか、わかっているはずだ。」
「そうですね。ですが万一、私を取り押さえたとしても、あと15分以内に私から報告がなければ、連れが無制限空間下でもう一人の人質を始末することになっています。念のため言っておきますが、そちらは私と違って加減を知りません。」
イナリが再びアルフレッドを振り返る。
15分では、さすがにもう一人の人質の奪還は難しい。
苦い顔をしたが、アルフレッドは渋々と頷いた。
「……話を聞こう」
「……。」
それを聞いたイナリは、出番はないと言わんばかりに机へ尻を乗せた。
特殊アバターはカズマを膝まずかせながら、アルフレッドへと問う。
「私の主、ミケゾウの居場所を掴んだと聞きました。」
「それに関しては、現在救出作戦の準備を……」
「では、私も同行させてもらいます。」
「なに?」
アルフレッドが立ち上がると、カズマがすがるような目を向けてくる。
「いくら言っても聞かないんです……どうにかしてください……!」
「……」
顔を険しくするアルフレッドに、特殊アバターは鋭く言う。
「時間は与えません。返答次第では、今すぐにでも始末するように指示します。」
「だが……」
今回の作戦は敵の底知れなさもあって、困難を極めている。元々協力を求めていたミケゾウと違い、易々と頷けない。
「……あ。」
ふとその時、机に座っていたイナリがアルフレッドの背後にある窓へと目を向けた。
釣られて周りの視線が集中すると、薄いカーテンの向こうで影が巨大化する。
直後、窓が爆ぜた。
「なっ!?」
アルフレッドが飛び退くと同時に、何かが部屋へと飛び込んできた。
「っ!?」
特殊アバターが目を見張る。
窓ガラスを割って飛び込んできた人物は絡み付いたカーテンをマントのように払いながら、胸を張った。
「アルフレッド、木崎、随分賑やかじゃないか」
現れたのは、場に不釣り合いなタンクトップ姿の女性。イナリは破片を浴びないように机から降りつつ、ぼそりと言う。
「……おかえりなさい、師匠」
「……全く、お前も相変わらずだな、木崎?」
どこまでも反応に乏しいイナリに呆れたように笑いつつ、"師匠"と呼ばれた女は腰から下げていた警棒を抜いた。
散弾銃を手にしたままの特殊アバターを、肉食獣のような目で睨む。
「どこの誰だか分からんが、私の家を荒らすとはいい度胸だ。」
「っ!」
その迫力に気圧されたのか、特殊アバターが咄嗟に彼女へと銃口を向ける。
だが、その頃には彼女の振り上げた警棒がそれを払い除けていた。
「鈍いッ!」
「うごっ!?」
その過程で踏み台にされたカズマが足下で呻いている。
間合いの不利を感じ取ったのか、特殊アバターは銃を放棄し、徒手格闘の構えに入る。
しかし警棒がしなるような速度で動き、こめかみを打ち抜こうとする。
間一髪特殊アバターは腕で防いだが、その一撃は浅い。
フェイントだと気がついたころには、続く拳を避けきれずに左目にそれをうけていた。
「うっ……!?」
左眼球の破裂と脳震盪で特殊アバターがよろめく。
そこへ、隙を与えない追撃の警棒が頭部を捉えた。
崩れ落ちる彼女に、警棒を仕舞いながら満足げに首を回した。
「筋は悪くない。だが自分より弱い相手と戦うのに慣れすぎたな、想定外の動きに弱い。それに、肉体の性能に物を言わせるのにも限界がある。それを知っておくべきだったな。65点だ。」
「く……っ!?」
床に手を突く特殊アバターの顎を掴むと、彼女は目を細めて笑った。
「安心しろ、おまえは使えそうだから始末したりはしない。作戦どうこうの話なら私が直々に指名してやる、どうせ人手不足だ。わかったらさっさともう一人も解放してくれ。お互いのためだ。」
特殊アバターは、粗い呼吸を繰り返した後でどこかへとメッセージを送信した。
それを見届けると、彼女は腰に手を当てた。
「事件解決だ。」
「どこが解決っすか……ヨモ師匠……鬼……」
終始足蹴にされ続けたカズマが足下で呻いている。
そのようすに女は高らかに笑う。
「お前の鬼もこの程度かカズマ。これじゃあまた鍛え直しだな、本物の鬼をきちんと見る必要がある。」
「うわあああああ!なんでえええ!?」
黄泉月
第二、第四、第五の特務隊第一世代。唯一戦闘ヘリ等の運用が可能な第十三班。加えてイナリと並ぶ円卓の重要戦力のうちの一人である。
現在は主に近接格闘などの教官を務めている。
「アルフレッド。話はもう聞いている、また荒事だろう。」
「すまない、黄泉月さん。」
黄泉月はやれやれと首を振る。
「まあいいさ。アルフレッド、聞いていたならわかるだろうが、この特殊アバターも使う。それくらいの責任はとるべきだろう?」
「ああ……わかってはいるつもりだ。」
「だそうだぞ」
黄泉月は倒れた特殊アバターの頭を掴んで持ち上げる。
「お前も使ってやる。さっさと掃除を済ませて、お前の主人も連れ帰るぞ。」
戦闘ヘリ=イナリ=ヨモ師匠
次回は登場人物紹介に回したいと思います。
ご意見、評価、よろしくお願いします。




