《暗闇のなかに》2
呼吸の音さえ聞こえない仮面は、まるで死人のようだった。
やがて、私を見下ろしていた黒山羊が口を開いた。
「……だれ?」
骨ばった指が私の首を掴み、意図も簡単に私の体を引き剥がした。
片足を失った私は体を支えられず、床へと叩きつけられた。
見上げると、虚ろな目が私を見下ろしている。まるで深い深い、それこそあの世の果てまで続く穴のようで、見つめ返すこちらも生きた心地がしない。
無機質な仮面の向こうで、亡霊ように掠れた声が言う。
「……ぜんぜん知らないけど」
その言葉に、私は愕然とした。
私を馬鹿にしているつもりなのか。一瞬そうとも疑ったが、様子が違う。
まさか、本当に私のことを、あの日のことを記憶していないのか。
「いや……覚えてるはずだ!答えろ黒山羊、おまえあのとき……」
思わず問い質す声を、銃声と床を叩く弾丸が乱暴に遮った。
素早く取り出したM1911を手に、黒山羊は声に苛立ちを滲ませる。
「うるさいよ……しらないし」
「ちょっと!」
更にチェーンソーの音が割って入る。
「それは私の!返してよ!」
「……」
牙を剥く少女に、黒山羊は黙ったまま視線を向けている。
少女が足を踏み出すと、黒山羊は牽制するように銃を向ける。
「やめといた方がいい。マリィじゃ、俺には勝てない」
私の目には、その後ろ姿が一瞬ノイズのように霞んで見えた。
「……くっ……!」
少女が得物を下ろすのを見ると、黒山羊は再び私を見下ろした。
「……本当に……覚えてないのか……?」
「……。」
黒山羊は首を傾げる。
「たぶん」
「ふざけんな……!」
足を掴んだ私に、後ろの少女が負け惜しみのように首を振った。
「無駄よ。」
振り向いた黒山羊を睨み付けながら、少女は続ける。
「こいつ、すぐ忘れるもの。たぶん自分が何でここにいるかさえわかってないわ。」
「……何でここに」
黒山羊は少女の言葉をぼんやりと繰り返している。
「黒山羊!」
「……っ」
私の声に、やっと黒山羊が視線を戻した。
「おまえの目的はなんだ?おまえは、あの日なんであそこにいた?おまえは……!」
「俺の、目的……」
唐突に、彼の口を動かした。
まるで、何かに別のものによってつき動かされているような、そんな風だった。
やがて、その口からやっと確かな意味をもった言葉が出た。
「……"あの人を救う"……」
その直後の光景に、私は思わず言葉を失った。
「そうだ……なんで俺、ここに……」
次々と溢す言葉は、やがて意味を持たないものに変わっていく。
黒山羊はだらりと下げていた銃口を、自らのこめかみに押し当てる。
「失敗した……また失敗した……やり直さないと……もう一回、もう一回……」
しかし、ふと私を見下ろした瞬間に、その目の色が変わった。
「……あ……」
「……!?」
銃を退け、突然しゃがみこんだ黒山羊が、私の髪を掴んで強引に持ち上げる。
「いっ……!」
「あぁ……そっか」
顔をしかめる私を他所に、黒山羊は額がぶつかりそうな距離で私の目を覗きこむ。
「マリィ……」
やっと私を離した黒山羊は、やはり死人のように無表情な声音で言った。
「……これ、持って帰るよ」
「え?」
少女の反応を無視し、黒山羊は私の襟首を乱暴に持ち上げる。
「ぐっ……畜生……!」
抵抗する私を他所に、少女が黒山羊へ食い下がる。
「なによ、持って帰るって!」
「……。」
黒山羊は、やはり無言だ。
「持って帰る」
そう繰り返すと、突然私の顔に銃を向けた。
「……は?」
突然の出来事に、恐怖を感じる暇さえなかった。
目の前で銃口が爆ぜるのを、ただ目を見開いたまま見つめていた。
胸の奥で、火花が弾けた。
記憶にあるのはそこからだ。
濃い霧に包まれたような視界が、明滅を繰り返す。
あとは誰かの声が、何処か遠く彼方から聞こえてくるのが分かるくらいだ。
『蘇生完了……これで直に彼女も目を覚ますよ。』
頭の上で誰かが言う。
『それにしても珍しいこともあるね。まさか君から僕に頼み事だなんて。』
小さく笑うと、声は続けた。
『いいや、他意なんてないよ。強いていうなら、今日は珍しいことばかりだから。ただそれだけさ。』
誰かの手だろうか。何かが私の顔を撫でた。
『……思い出せるといいね、君がここにいる理由。ねえ、"黒山羊さん"?』
私に向けられた言葉ではない。
それでも、染み込んでくる温かさが心地よかった。
ゆっくりと暗くなっていく。
ゆっくりと体が沈んでいく。
私は、そのまま深い眠りの底に落ちていった。
○●●●●●
「ミケさんがいない?」
その報告に、カズマは口を開けたまま固まっていた。
無線機を弄りつつ、レオンが頷く。
「ええ、さっきから繋がらないし……もしかしたらやられたのかも……」
「嘘だろ、おい……!?」
全員の離脱を確認し終えた直後の報告に、カズマは頭を抱えた。
「まずい……かなりまずいぞ。」
「どうしますか、リーダー?一応イナリさんが戻ったらしいっすけど。」
「イナリさんが?」
すっかり閑とした建物を振り返り、カズマはため息をついた。
「……あの人が自分から動いたってことは……」
恐らくただ事ではないのだろう。
悪い予感しかしない。
「とにかく、俺も戻って探してみる。ロウ、探知使えるのおまえだけだし、着いてきてくれ。」
「ウッス」
○●○●○●
暗がりにも目が慣れ始め、通路の様子がよく見えてきた。
大穴の穿たれた壁や、削れた床。
ここで暴れた何者かの足取りを追うのは、大して難しくはなかった。
そして、暫く歩いた先。
一人の少女の後ろ姿に、イナリは足を止めた。
「っ!?」
少女がこちらに気がついたように振り向く。
「黒山羊、あなた何の……!?」
手にしているのはチェーンソー。
あまり見ない武器だが、近接武器だとさえ分かればそれで十分だ。
他の誰かと間違えたようだが、イナリの顔を見ると不思議そうに眉を潜めた。
「……誰、あなた?」
武器も出さないまま、イナリは距離を取ったまま首をかしげた。
「……ここに小さいのこなかった?」
「え?」
質問を悉く無視され、少女は驚いたようだった。
だが、すぐにスターターを引き、戦闘体制に入る。
「あなたもあの子の仲間?」
「あぁ……来てたんだ」
言うや否や、突然繰り出された横の大降りをふらりと仰け反るよう避けた。
目標をそれたチェーンソーが壁を削るのを見ながら、イナリはまた数歩下がる。
その様子に、少女はチェーンソーを下ろした。
「あなた、何のつもり?」
イナリに戦意が無いことを察したらしく、今度は訝しげに首をかしげる。
当の本人は黙ったまま少女を窺っている。
こちらの質問の一切を無視するイナリに、少女はため息をついた。
「……あのメガネの仲間には見えないけど」
「メガネ?」
「知らないならいい。あなた、ヘンな感じはするけど壊す価値ないわ。」
興味を失ったように言うと、少女はインベントリからケースを取り出しチェーンソーを仕舞った。
「で、どこにいったの。殺してはないだろうし。」
イナリの質問に、少女は思わせ振りに肩をすくめる。
「さあ、知ってても教えてあげない。」
「ああ、そう」
そこでやっとイナリの手が動いた。
アイテムウィンドウを払うようにスクロールし、引きずり出しのはミニミ軽機関銃だ。
初弾を手動で弾き出し、少女へと向ける。
「そういう掛け合い、あんまり好きじゃない」
「だから力尽く?」
目を細めた少女を無視し、イナリは機関銃を下ろした。
「教えるんでしょ、はやくして。」
「……そういうとこ、アイツに似てて何だか嫌い。」
見透かすような態度が気に入らなかったのか、少女はややむくれながら何かを投げた。
「……。」
足下に転がったのは、SOGOではよく使用される硝子質の拍子木のような記録媒体だ。
イナリがそれを拾うのを見届け、少女はケースを片手に踵を返した。
「ソレあげる。持って帰るとか言ってたから、そこにいるんじゃないの?けど、代わりにアイツをやっつけちゃってよ。」
「あいつ?」
「アイツは嫌い。人の話聞かないし、なに考えてるか分からないし、不気味だし……人間じゃないみたい。」
それだけ言うと、少女は闇の向こうへ消えていった。
「……。」
イナリは受け取ったそれを見下ろすと、黙ってポケットへと押し込んだ。
「イナリさん!!」
カズマとロウが追い付いてきたのは、ちょうどその時だった。
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いたい
まず意識に上ってきたのは、そんなことだった。
何処が痛むのか、それもはっきりしないが、それでも何処かが鈍く痛む。
そこから根が伸びるように感覚が広がっていく。
固い、冷たい、怠い、暗い、吐き気がする
そんなばらばらの感覚が縒り集まるようにして、目が覚めた。
頭の中身がぐちゃぐちゃの溶き卵になったみたいだ。どろどろぐるぐる回って、まるで思うように働かない。
だいぶ無理をして目を開けてみると、湿った暗闇と、細い光が見えた。暗闇に目を凝らしても仕方がないので、ただ光だけを見つめていると、それが扉から差し込むものだということがわかった。
重そうな鉄の扉。覗き窓には鉄格子。外から差し込む青白い光の筋に、埃がちらちら舞っているのが見える。
とにかく、ここから出たい
重い体に力を込めてみたが、腕が何かに支えた。
そこで私は、やっと自分の状態を知るに至った。
椅子だ。
木製の固い椅子に座っていて、足も、腕も動かない。
がたがたと揺すってみると、手首と足首が縛られている。見下ろそうと頭を傾けてみたが、首にも同じ感覚があった。
急に恐ろしくなって全身でもがいてみたが、四肢と首どころか椅子も床に固定されているようでびくともしない。
思わず叫びだしそうになったが、喉の奥が支えて嘔吐くような噎せ返るような声になった。
止まりそうになった呼吸を整えながら、私は考える。
いったい何があった。私の眠っている間に何が起こった。
と言っても、混乱と軽い酸欠に苛まれている頭には限界がある。
結局なにか分かる訳もなく、私は項垂れた。
覚えているのは、黒山羊に捕まり、そして殺されたところくらいだ。
そうだ、あのとき確かに私は死んだ。
今までに死んだ経験なんてなかったが、恐らくあれは死で間違いなかったと思う。
そもそも頭を撃たれたのだから、普通は死んでいて当たり前だ。
だとしたら、いったい、なぜ
次から次へと疑問符ばかりで、一向になにも思い浮かばない。そもそもそれに値するほどの情報が少なすぎる。
これは考えたところで無駄だ。
私はさっさと思考を放棄し、頭を振った。その点ばかり都合のいい作りになっているから助かる。
いったい、これから私はどうなるのか
過去の話がどうしようもないのなら、次に気にするのは先の話だ。
この待遇を見る辺り、ろくな歓迎を受けないのは言うまでもないことである。
とにかく、今は少しでも多くの情報がほしい。
いくら覗いても仕方ない暗闇に目を閉じ、私は耳を澄ませる。
扉の外から、反響する物音が聞こえたのはその時だった。




