表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/75

《亡霊を追って》

 一瞬、私の目がおかしくなったのかとさえ疑った。


 地面に積もった埃が舞って、細かく漂う。

 その中で口元をジャージの袖で覆いながら目を細める青年。


 たった今、上から降ってきた。


 上下味気のないジャージ姿に、如何にも頼りない撫で肩。若干猫背気味なのが更にその体格を小柄に見せている。

 おまけに寝ぼけているような、ぼんやりした顔をしている。


 彼は、再び口にする。


「なにやってるの」


 無表情、という単語で収めてもいいものか。まるで何を考えているのか分からない顔。


 それが外敵に相当する何かであると理解できたのか、呆気にとらわれていた男もやっと口を開いた。


「見てわかんねえか?」


「……どうかな」


 鋭い威圧もまるで意に介さず、彼は細かく首を傾げた。


「悪いけど、それ返してくれないかなって。」


 衝突はもはや避けようもないと知ったのか。

 その言葉に、私をつまみ上げていた男が手を離して前に出た。


「……よくわからんが、お前も見ていたのならただでは帰せん。」

「それは……」


 続けて何かを言おうとした様子だったが、しかしそれ以上には口を開かずに、彼はまた繰り返した。


「それ返してくれないかな。」


「断る。」


 巨漢の返答は、拳と同時だった。

 丸太のような豪腕が風を切って唸る。あれをまともに受ければ、華奢な痩身など枯れ枝のように砕けるだろう。

 しかし、青年は臆する様子も見せず、代わりにその場で小さく助走をつけた。


 そして直後、その男を"飛び越えた"。


 いや、厳密には拳を回避しながら大きく横に跳び、すぐ隣の壁を蹴りながその上を三角跳びの形で乗り越えたのだ。

 狭い路地だからこその芸当だが、並みのバランス感覚ではこなせない妙技だ。


 一瞬にして標的を見失った巨漢を背後に、青年はこちらへとずんずん迫ってくる。


「ま、待て!」


 これには男も驚いた様子で振り向いたが、青年は相変わらずの様子で足を進める。

 しかし男が後ろから踏み込んでくるのを感じたのか、ジャージの中から小型のナイフを一本取り出した。


「邪魔するなら刺すけど。」


「素人がナイフ一本で、脅しのつもりか?」


「脅しで済むかは、まあそっち次第」


 そう言って再び両者が向かい合う。


 今度は件の巨漢も警戒している様だ。相手の出方を伺い、両拳を固めている。

 しかし青年の方はナイフを握ったまま微動だにせず、というかほぼ棒立ちのままでそれを見つめ返している。

 長い膠着が続く。

 やがて、戦況が動いた。巨体からは想像もつかないような鋭い足裁きで間を詰めた。


 初手の鋭いジャブが放たれる。

 しかし青年はそれに揺さぶられることなく、頬に掠めつつもそのままの姿勢で攻撃を受けきった。


 その目は瞬きさえせず、相変わらず何を考えているのか分からない。

 肝が据わっていると見るべきか、気がふれていると見るべきか。


 しかし、大振りのストレートが出た瞬間に、やっと青年が動いた。

 右頬を拳に抉られながらも、両腕を広げて男の方に飛び付いたのだ。

 まるで息子が父親に"抱っこ"をねだるように。


 首へと手を回し、そのまましがみつく。ナイフを手にだ。


 直後、その背後で赤い光が散るのが見えた。


「ぐあああああっ!?」


 うなじにナイフを突き立てられ体を痙攣させる男を、青年はやはり抱き締めるように押さえる。


 やがてその刃を大きく捻ると、糸の切れたように静かになった男を、寝かしつけるようにその場に下ろした。

 まるで親子立場の逆転を見たような気分だ。


 現実味の感じられない光景だった。戦闘とは無縁そうなこの細身の青年が、あの山のような巨漢を沈めてしまった。


「いたい……」


 二度もぶたれた頬を触りながら、青年はぼそりと言った。


「……もう満足でしょ。それ返して。」


 覗き込めばまっ逆さまに落ちていきそうな、そんな深い瞳が二つ。


 背後では男二人が逃げていくのか、ばたばたと地面を踏む音がする。


 助かったのだろうか


 そう思うと、突然視界が狭くなってきた。


 そうか、助かったのか。


 私は助かったのだ。







 気がつくと、白い布が大量に見えた。


「……あ?あ?あ?」


 三回も「あ?」を言えば、いい加減飽きてしまいそうなもんだが、


「気がつきましたか?自分の名前、きちんと言えますか?」


「あ?あ?」


 目の前の誰だか分からん奴に聞かれて、もう二つも出てしまった。


 そして、結局。


「だれだおまえら」


 地面に転がった私を見下ろす白い連中に、私は訪ねるのだった。




『円卓』

 正しくは『白翼の円卓』


 民度の崩壊具合に関してはもはや誇れるレベルのこの閉鎖世界において、誰に頼まれたでもなく、治安維持という活動に精を出す、真面目というか涙ぐましい連中である。

 で、この白いのが連中の制服だ。


 そんな連中に、私は介抱ついでに職質されている。


「だ、か、ら!私はただ通りかかっただけで!」


 もう六回目の主張だ。

 やはりというか、ここでは結構ヤバめな薬を売りさばいていたらしく、私も消費者側として半ばしょっぴかれている。

 というのも、さっき捕まった野郎どもが「あのチビにも売った」などと苦し紛れのデタラメをぬかしたらしく、お陰でなかなかに面倒な目にあっている。


 面倒だ。すこぶる面倒だ。

 いっそのこと全員ぶん殴って逃げ出そうかとも過ったが、よりによって相手はこの閉鎖世界に置いてはトップの規模を持つ集団である。喧嘩を売るなんて頭が悪すぎる。


 だが、頭を冷やせば疑われて当然だ。その自覚はある。まともな人間がこんなところをぶらぶらしているわけがなく、実際私も自分がまともだとは言い難い現状があるのだ。


 まあ、そんな不毛な議論はよすとして、だ。


 それにしても驚いた。

 まさかとは思ったが、電脳の世界にもその手のジャンキーな趣向品があったのか。


 いや、ver5.0.0配信以降、この世界が本当に『電脳の世界』『ゲームのなか』なのかは常に疑われてきた。

 だからこの場合『電脳世界に』という説を無理に当てはめるべきではないのだろう。逆に『神憑り的ななにかによって生み出された異世界』という説さえ当てはまってしまうのだ。


 ならば、ヤバい薬だってあると言われればあるのかもしれない。いや、きっとあるのだろう。

 だがしかし、もし仮にそれがあるとしてもだ。


「私は、やってない!被害者だ!!」


 縄がかかるのも時間の問題かもしれない両手を存分にふるって訴える。


「とにかく、続きは本部の方で……」


 制服の男が言いかけたその時だった。


「ああ、ちょっと待ってストップ!」


 こんな馬鹿に狭い道にも関わらず、どたばたと騒がしい足音。

 次から次へと騒々しい連中だ。


 怒鳴ってやろうかと息を吸いかけたその時、声の主が突然目の前に飛び出してきた。


「ごめんごめん、その人は無実!」


 出てきたのは同じデザインのキャップを被った男八人。


「あ、"スズメ"の……ご苦労様です!」

「ああ、いや、うん。本当に苦労してるんだけどね毎日。ちょっといいかな?」

「はい!」


 これまた狭いのにご苦労な連中だと思っていると、その中の一人がまえに出て男が言う。

 何だか敢えて取り上げるほどの特徴のない、言うならば『永遠のヒラ』といった風のいまいち覇気のない男だが、これでも代表らしい。


「その人、候補者リストに入っててここ一週間張ってたんだけど、この辺りに近づいたのは今日が初めてだよ。なにかやらかした様子もなかった。」


「は?」


 今の「は?」は私だ。

 しかし、そんな私を無視して話は続く。


「候補者……?」

「ああ、いや!今のは何でもない。これ実は機密事項で……漏らすとクラマさんに睨まれるからさ、聞かなかったことに……」

「は……そうでしたか。では……ええ。」

「そういうこと。だからその人、借りて行っても?」

「お任せします!」


 流れるように展開が進み、私の身柄は呆気なく謎のキャップ組に渡る。


「は?」


 私の口から二度目の「は?」が出る頃には、既に表の道まで連れ出されていた。


「さて、」


 謎のキャップ集団。その代表らしき例のヒラ顔男が咳払いをした。


 それに倣い、他の面々もその横にきっちりと並ぶ。

 一同、慣れた手つきで自分の首にかけたネックレスのようなものを出すと、私に見せてきた。


 これは円卓の団員証代わりのドックタグだ。それくらいは知っている。


「ええと、"あなたにとっては"初めまして、ミケゾウさん?円卓特務隊第七班、班長のカズマです。」


 ヒラ顔こと班長がそう名乗る。


 なぜ私の名を知っているのかは分からんが、知らない人間に突然名前で呼ばれるのは気持ちのいいもんではない。加えて、厭に主張してきた『あなたにとっては』というのも何やら気色が悪い。


 聞き流すべきなのだろうが、この手の腹芸とは無縁な私は、不快感を最前線に首をかしげて見せる。


「ああ……で、その……カズマ某がなんの用?……ってかさっきのさ、リストってなによ?」

「ああ、それのことなんだけど……いや、ですけど……詳しくは本部でうちのボスから」



「断る!!」



 即答だった。

 やはりか。嫌な予感はしていたが、これは十中八九的中の流れだ。

 ここはさっさと立ち去るに限る。


「え、いや、ちょっと、話だけでも……」


「断る!絶対断る!なんだよ円卓に、しかもボスに呼び出しとか頭おかしいだろおまえら!」


 冗談にもならん。よりにもよって、あの円卓の話だ。絶対に超弩級の面倒ごとに決まっている。

 もちろんどんな話だかはてんで検討がつかないが、これに関してはわかりたくもない。

 好奇心で痛い目に合うのは学習済みなのだ。


「二度と私のまえに現れるなよ疫病神ども!」


 叩きつけるように口にして去ろうとするが


「そ、そこをなんとか!!」


 踵を返した私を追って、男八人が回り込んでくる。

 恐ろしい瞬発力である。

 だが、感心してもいられない。


「やだね!ぜったい!おまえら帰れ!帰れ!つか帰る!!」


「いや、あなたの力が必要なんですよ!」


「そうですそうです」と口々に言う面々。

 私は耳を塞いで頭を振り回す。


「だーうるさい!だまれ!聞きたくない!」


 こうなったら意地でも逃げてやる。

 連中を押し退けて走り出したが、やはり後ろから声。


「「おねがいします!!」」


「……お、おう?」


 今度はいやに揃った声だったので、思わず振り向いてしまった。

 そして、唖然とした。


 男八人が、道の真ん中で横一列になって土下座していた。


「……は?」


 男たちは口々に言う。


「もうあなたしかいないんです!」

「俺たちここ数週間寝る間も惜しんで頭下げて回ってたんですよ!」

「それでも、誰も聞きあっちゃくれない!」


「あんまりだ!」と悲壮感を全面に押し出してくる。


「……。」


 もちろん、そんなことを道のど真ん中ですれば、ちょっとした人垣が出来るわけで


「……。」


 なんだなんだと群がる群衆。


 私は逃げ場を失っていた。


「せめて、お話だけでも!!」


「ぐ、ぐぬぬぬ……」


 ここは、行くだけでも付き合ってやるべきか。


 脳細胞に鞭を打って、考えに考える。


 いや、しかし


「……。」


 結論に迷いはない。


「ことわる!」


 大声で言って、駆け出そうとした。

 だが、そんな私をある一言が引き留めた。



「"黒山羊"!!」



 踏み出しかけた足が、地面の上で固まる。

 まるで、息がつまったかのような感覚だった。


 カズマは繰り返す。


「黒山羊です!奴に関して、うちのボスから話が……」


「今、何()った。」


「え?」


 名前、

 奴の名前、


 指先が震えて、頭の芯が燃えるように熱くなる。


「え、えっと……ごわっ!?」


「今!なんて言ったか!聞いてんだよッ!!」


 振り返った私に胸ぐらを掴まれ、彼は壊れた笛をならすように息を漏らした。



「……く……黒山羊(クロヤギ)……です」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ