《脆く、鋭く、きらきらと》3
閉鎖世界にも雨は降る。
どこまでも続く湿った音が、暗い部屋まで染み込んでくるのが聞こえる。
やっと目を開けると、当然のように寝室のベッドから見上げている天井が見えた。
蛍光灯から延びるヒモが、今日もやる気無さげにだれている。
「……。」
昨日床に着いた記憶がない。掛け布団を剥がすと、上下きちんと寝間着姿だった。
酔っぱらっていても、いなくても、床につく前には全部脱ぎ散らしてパンツ一枚になるのが私の習慣だ。となると、これは恐らくレミィの仕業だろう。
結局、昨日もあいつの世話になってしまったらしい。
もう十分に寝たし、寝床から這い出すにもいい頃合いだ。
だが、どうも床に足を下ろす気になれない。結局、三秒悩んで、また枕の上に沈んだ。
なんだか五十年ほどぶっ続けで眠っていた気がする。そんな疲労にも似た感覚。
レミィとすっかり仲睦まじくなって、それで色恋の全てを知った気になっていた。
だが、それこそクソ餓鬼の勘違いも良いところだった。
私は結局、それらしい雰囲気に酔っていたに過ぎない。
あいつの気なども知らずに、ただ独り善がりに好き勝手振る舞って、それでいていざ真っ直ぐに好意を向けられれば怯んで
やっと居住まいを正して向き合ってみれば、なんだ、自分のちっぽけさと浅ましさ以外にはなにも見えてはこないではないか。
もはやレミィのことが、好きだとか嫌いだとか以前の問題である。
所詮私も、甘酸っぱい勘違いに振り回される小娘であったということか。
情けない。
やはり私は、青春に失敗した残念な図書委員の黒江黒瀬である。
天井めがけて手を伸ばすと、引っ掛かった電気のヒモがゆらゆらゆれる。
レミィは私に"置いていけ"と言った。
その場で「馬鹿をぬかすな」と言えたら、私もまだ立派なやつでいられただろう。
だが、それが言えなかったわけである。
あれを聞いた瞬間、私はいつか自分がレミィをおいていくだろうと、自分で理解してしまったのだ。
4才か5才の頃あれだけ大事にしていた、それこそ世界の全てであったかのようなおもちゃの人形みたいに、ある日押し入れに仕舞ったっきりに、次第に、次第に、埃を積もらせるように忘れてしまう。
そんな具合でレミィを置いていく未来が、あのときうすぼんやりと見えてしまったのだ。
私は薄情者なのだろうか。
いいや、私に限った話ではないはずだ。この世に生きる者なんて、大凡において隅から隅まで薄情だ。いくら人間という進化の早い猿風情がわめきたてたところで、それは否定のしようがない。
昔、毎日庭先で豆つぶやらパンくずをくれてやっていた鳥だって、あんなに気にかけてやったのに、ある日突然いなくなりやがった。軒下に顔を出す度に煮干しの欠片をやっていた小さい三毛猫だって、いつしか毎回のように鉢植えをひっくり返していく礼儀知らずな畜生になりやがった。
たぶん、大人になるとはそういうことなのだ。
必死こいて葉っぱに貼り付くしかできなかった芋虫が、突然大きな羽を生やして飛んでいくような。
ある日、突然変わって、消えていく。
だが、
いや、だからこそ
そんな世界が、今はすこぶる寂しい。
枕を顔の上に乗せて、小さく唸ってみた。
もちろん、そんなことをして落ち着くものでもないが、それ以外に私には為す術がないのである。
「……」
いっそのこと、自分に目隠ししたまま、永遠にレミィに甘えていようか。芋虫のままで、ずっと貼り付いているのだ。
いや、今さらあいつはそんなこと許してくれないだろう。
あれは、そういう宣言だったのだとおもう。
考えていると、なんだか頭の前の辺りが痛くなってきた。
枕に顔を押し付けていたその時。
「ミケ、おきてる?ねてる?」
扉がきぃと鳴るのが聞こえて、誰かが部屋に入ってきた。
ノックが無かったので、レミィではない。キュウだろう。
足音がきしきしとベッドまで近づいてくる。
「ごめんキューちゃん……私いまめちゃくちゃ酷い顔してる……」
「大丈夫、酔っぱらってるミケの顔いっぱい見たことあるから、キュウびっくりしないもん」
キュウが私の顔の上の枕を引っ張ってどける。
「ミケ、だいじょうぶ?」
「……だいじょばない……頭ん中ゴミ屋敷」
心配そうに見下ろすキュウの顔がある。
私が呻くように言うと、キュウは自分の袖を引っ張って目元と鼻を擦ってくれた。
少し乱暴で痛かったが、振り払ったりはしなかった。
「目、赤いよ?目薬もってくる?ツンてしないのあるよ?」
「いらない……これ以上濡らしても仕方ないし……」
それでも私の言うことを聞かずに、目薬を取りに行こうとしたキュウの服の端を掴む。
「……悪いけど、ここにいてほしい……へこみすぎて死にそう……」
私の握力の話もあるが、キュウはこっちを振り返ってからすぐに戻ってきた。
キュウはベッドに上り、隣から私の顔を覗きこむ。
「ミケ、泣かないで?」
「……もう涙出てない」
「じゃあ、ぶすぶすしないで?」
"ぶすぶす"
相変わらずこいつの日本語はわからん。
「……私さ、なんか自分が嫌になってきたよ」
もう少し素直で、もう少し物分かりがよくて、もう少し器用なやつだったら、きっとレミィだってあんなことを言わずにすんだはずなのだ。
私も、「ずっと一緒にいよう」だとか、気のきいたことが言えたはずなのだ。
寝返りをうって顔を背けた私を追って、キュウが私の上に乗っかる。少し重い。
「キュウはミケのこと好きだよ?乱暴だしめちゃくちゃだし、キュウにお留守番させて帰ってこないけど、好き。」
「……ああ、そうだよな。知ってる……ありがとう。」
その頭を強めに抱き締めると、少し苦しそうに身動ぎしていた。
「……あいつもさ……言ってくれたんだよね。私のこと好きだって。だからさ、尚更自分が嫌いになる。」
キュウのさらさらした髪に頭を埋めてからやっと解放すると、今度は自分から私の胸にしがみついてきた。
「いやだよ、嫌いなんて言わないでミケ。そんなこと言ったら、キュウもレミィも寂しい。」
「……。」
じゃあ、私はこんなどうしようもない自分を好きになればいいのだろうか。
「キューちゃん」
「なに?目薬?」
「いや、もうその話おしまい」
酷いとは言ったが、そこまで腫れているだろうか。
私はもう一度彼女の背中に手を回す。
するとキュウが顔をあげる。
「ミケは寂しくないよ。キュウは、ずっとミケと一緒にいてあげるから。」
「……ありがとう」
結局、その日私が部屋から出ることはなかった。
ありがたいことにレミィもそんな私を放っておいてくれて、私の寝室まで顔を出す事はなかった。
どこまでも何もない一日だったが、私にはその一日がどうしても必要だった。
そう思う。
「おはようございます」
「……おはよう。」
午前10時。
寝癖もそのままに、いつも通り食卓まで下ると、やはりいつも通りレミィがキュウの朝食を片付けていた。
「……なんかある?」
「塩鮭が一切れとお味噌汁が。」
「鮭だけ」
そして、いつも通りのやりとり。
箸と焼き鮭の皿のみが目の前に出る。
寝起きはどうも腹が物を受け付けない。なので、私の朝飯なんて毎回こんなもんだ。そもそもこの朝飯という作業さえ、レミィに言われて口から押し込んでいるにすぎん。
レミィが朝淹れた残りか、急須の底でぬるくなっていた茶を啜りながら、鮭を酒のつまみのようにほじくる。
なんだか画にならんが、私にはこれくらいでちょうどいいのだ。
「嬢」
洗い物の途中、背中越しにかけられたレミィの声に、私の箸先からほぐした鮭の身が落ちた。
「……。」
ここまでなんとかやってはみたが、やはりいつも通りなんて無理な話である。
レミィがそれに気が付かない体でいてくれたのが、唯一の救いだった。
「"ふたば同盟"、でしたっけ?」
「……ああ、それが」
と、そこでなにかが引っ掛かった。
私は一昨日の出来事はひとつもレミィに聞かせていない。そんなレミィの口から『ふたば同盟』の名が出るのはおかしい。
それを察したようにレミィは付け加える。
「実は、昨日キャロが訪ねてきたんです。嬢は休んでいると伝えたのですぐに帰ったようでしたが、その時に」
「……そう」
寝起きの素っ気なさはいつものことという具合か、彼女は続ける。
「嬢も、加盟してはどうですか?」
「は?」
皿の上の鮭は、残り三割。
端にのけた小骨の山を凝視しながら、思わず箸が止まった。
「どうしたいきなり」など、言うまでもなく理解したようにレミィが言う。
「昨日のキャロも、その話で来たようです。」
「入るって?」
「いえ、先ずはあなたと話がしたいと。」
「……。」
確かに、キャロもそこまで一人で冒険できる奴ではない。行くにも勇気がなく、だが諦めるにもそれに至らず、それで仕方なくここまで来たのだろう。
だがまさかあのキャロも、偏屈の私の口から「やめとけ」以外の言葉が出るとは思っていまい。大方諦めをつけに来たようなものか。
レミィは手元に水を流しながら続ける。
「良い機会だと思います。あまり窮屈なグループでもないようですし、検討する価値はありますよ。」
「……。」
まあ、その通りではある。
正直な話、私もあそこの居心地のよさは気に入っている。
鬱陶しい連中がいなくもないが、それも込みに考えても、悪くはない。
それでも、なんの支えもないというわけではない。
セントラルタワーは、特殊アバターが気軽に踏み込める場所ではない。
あそこに属するということは、同時にレミィと距離を空ける時間が長くなることを意味している。
「……あのさ」
"おまえはいいのかよ"
その言葉を出そうとして、慌ててそれを飲み込んだ。
残念ながら、私にはそれを聞く程の勇気がない。
私は残りの鮭をかき込んで、ぬるい茶で流し込んだ。
湯呑みを置くと、その音を合図にするようにレミィが皿を片付ける。
「……出掛ける」
席を立つと、レミィが流し台から振り向いた。
「珍しいですね、いつもは黙っていなくなるのに。」
「んー」
洗面所から生返事を返して、顔に冷水を浴びる。
鏡に写った寝起きの顔も、これで少しはましになる。
一先ず身支度を済ませて、玄関で伸びをした。
「夕飯までには戻ると思う。」
「用意しておきます。」
台所から声だけが返ってきた。
見送りに来てはくれないかと、やや時間をかけて靴を履いてみたが、やはり忙しいのかレミィは来なかった。
「いってきます」
呟くように溢した一言に、返事はなかった。
○○●○○●
「いいの、レミィ?」
「……。」
小声で言ったキュウに、彼女は小さく頷いた。
「ええ」




