《脆く、鋭く、きらきらと》
「……ふぅ」
もうかなり絞めていたので、いい加減油屋とろろも動かなくなった。
やったか
いや、それよりもだ。
私はべたりと動かなくなった彼女の上で、自らのLP残量を見た。
もう四割もない。
「いてえ……ちくしょう」
右の肩から胸までざっくり走った切り傷から、止めどなくダメージ演出がこぼれ出している。
《出血》のデバフだ。
刃物で切られたり、一定部位に大きなダメージを受けると、こうしてじわじわと追加ダメージを受ける。
治療用のアイテム無しでは解消に時間がかかるので、回復アイテム使用禁止のルール下では、このデバフが発生した時点で死んだとみて間違いはない。
この調子でLPの減少が続けば、もう数分ともたない。
「くそ……キャロ……キャロの弾ァ……!」
こうなったら意地だ。意地でもキャロの弾をもらわなくてはならない。
だがそう思うと、先ほどまでありがたかった彼女との距離がとたんに呪わしいくなる。
ステータスに新しく《衰弱》のデバフが並ぶのが見えた。
LPが残りわずかになると発生するデバフで、全ステータスが軒並み低下、体がふらふらとなかなか言うことを聞かなくなる。
「こ、このぉ……!」
もうこの体の半分は死にかけているのと同じだ。それでもまだ私の体がこのフィールドにしがみついている奇跡は、『キャロの弾を受けて死ぬ』という執念が為せるものに他ならないだろう。
「"路行く人を押し退け、跳ねとばし……"」
何となく、中学の頃国語の教材に取り上げられていた作品の一文が口をついた。日本の義務教育過程を終えた者ならおよそ八割以上は読まされてきたであろう、あの走るなんとかだ。あの死にたがりの疾走テロリズムバカは、確か濁流を泳ぎきったあとにスタンバっていた賊一組と乱闘、三名も撲殺し力尽きた側から湧き水ひとつで復活、沈む太陽も追い越すような猛ダッシュを披露したらしい。
あの頭の軽そうなバカ主人公にできて、意地と執念と変態性癖に燃えている私にできないわけがあるものか。
せめて、こんなぬめぬめしたカビ臭い場所では死にたくない。地底の神某には悪いが、ここは死に場所としては疑う余地もなく0点である。
地底人として死ぬのは嫌だ。
地上へ、
地上へ出なくては。
油屋とろろの体からずるりと降りて、やや濁った水に浸る床を這う。
だが、何となく違和感だ。
アルトが仕留めたスピード男はすぐに消えたのに、油屋とろろはまだ消えない。
まさか
「……あ~あ、負けちゃった。いやあミケちゃん強かったな~」
振り向くと、短い気絶から目覚めたのか油屋とろろがのびをしていた。
「……ん、いや、あれ?あれれれ……死んでないぞ私?なんでだ?」
自分の体をぺたぺたと触って、瞬きを繰り返しながら辺りを見回している。
なんという失態か。まさかこの私ともあろう者が、相手を殺しきれていなかったようだ。
彼女自身もすっかり死んだつもりでいたようだが、まだいくらか残っているらしい自分のLPゲージを見つめているようで首を傾げている。
そして、今度はその目が私を見つける。
「お、まだいたの……?」
「……ッ!!」
うおおおおおおお!!
二人分の雄叫びが重なって、水浸しの地下にぐわんぐわんと響いた。
お互いにお互いへ猛烈な体当たりをお見舞い。
揉み合い絡み合い、ひとかたまりになりながらびちゃびちゃと濡れた地面を転がる。
熾烈なキャッツファイトのゴングが鳴った。
「うおおおおお!ミケちゃんのお尻やわらけええええ!ああちっちゃいのにやわらけええもふもふしてやるううう!もっと触っていい!?死ねえええい!!」
「ちょっ!?やめっ!やめっ!おい揉むな触るなヤメロ畜生!ていうかもう何ゲーだこれ!?死ねえええい!!」
わーわー、ぎゃーぎゃー、どったんばったん
SOGOがガンシューティングゲームだったのは、もはや過去の話である。
と、油屋とろろが足を滑らせた私のバックを取り、私の首に腕を回す。更に片腕でそれをがっちり固め、チョークスリーパーの構えだ。
デバフで体の動きが鈍い今、やはり手足の長さは致命的な差になっている。
「ぐえええええっ!?」
「さっきのお返しだああ!あぁミケちゃんちっちゃくてかわいいからぎゅってしてやるううう!!」
酸欠の苦しみはカットされているが、代わりに視界が朦朧として頭がみしみしいっている。
まずい、このままでは死ぬ。
「お、おのれえええええ!」
乾いた雑巾を更に搾るがごとく、私は最後の力を腰と足に集中させ真後ろに跳ねる。
その先にあるのは、頑丈なコンクリートの柱だ。
小さいながら現実離れした馬力の私と、固い柱に挟まれた油屋とろろの甲高い声。
「あぴゃあああ!?」
だがそれでも腕は離れず、私のLPゲージの空白が徐々に底を舐めようとする。
「このっ!はなせっ!へんたいっ!そんけいしてますっ!どりゃっ!」
何度も何度も柱にアタック。挟まれた油屋とろろの腕が徐々に緩んでいく。
「むぐっ!?あぎっ!?あひゃっ!?あんっ!ああそこっ!ぐひゃあ~!?」
遂に腕が離れ、彼女の体が柱にはりついて、ずるりと落ちる。
私は一歩下がって、とどめの右拳を大きく引く。
しかし、拳を振るおうと上体が傾いた瞬間に、油屋とろろの目が再び開く。
鉄砲の弾のように飛び出し、瞬く間に私を地面に押さえつけた。
「忍法死んだふり!同じ手を二度も喰うとは、ミケゾウ愚かなり!」
「一回目はほぼマジ逝きでしょうがっ!!」
とろろの手が私の首を掴み、ぐいぐいと絞める。
しかしこの距離なら私の腕力の領分だ。
「このおおおおお!」
首を絞められながら、私はきゅっと引き締まりつつもなかなかのボリュームのある胸に思いきり抱き付いた。
「うぎゃああああ!?」
少し鈍くなっているとはいえ、私の全身全霊を込めた抱擁だ。顔を埋めた柔らかいのの中からばきばきみしみしという音が聞こえる。
だが、今度こそ相手も手を離そうとしない。
どちらが先に力尽きるか、地獄のチキンレースだ。
「この距離なら好きなだけすりすりできちゃうぜミケちゃん!ふわふわ髪の毛いいにおい!大好きだから死んで!!」
「こっちだってスレンダー美人の乳抱き放題っすよ!挙動言動に目をつぶれば美人なんですから!そしてお願いだから先に死ねえ!」
ここまできたら、せめて死ぬ前にキルスコアを稼がなくては。
ゼロのままでは死んでも死にきれない。
お互い激しく抱き合った形のまま、じわりじわりとLPを削り合う。
もはやこれを誰がガンシューティングと捉えるだろうか。
私のLPは残りわずか。しかし、そこでやっととろろが弱ってきた。
勝った。
粘り勝ちを確信しかけた、その時。
「ああもうミケちゃんかわいいから一緒に死のう!とろろ先生いいこと思い付いたちゃった!」
「はあっ!?」
突然言い出したそんな言葉に目を開けると、とろろが手を離し、目の前になにかを出してきた。
手榴弾の安全ピンだ。
「……え?」
「とろろ先生の愛の爆弾♪」
「なんちゃって、てへぺろ」というと、ちょうど二人の体の隙間、自らの胸元にレバーの抜けた手榴弾を落とした。
「ばいばーい、ミケちゃん!たのしかったね!あはははははは!!」
満面の笑みでそう言うと、私の背中に腕を回して、やっと殺意の抜けた抱擁を交わした。
まあ、間に爆発物を挟んではいるが。
もはや、笑う他ないだろう。
「ふっ……クク……ぷははははは!うわあああああ!」
というか、既に顔が熱くなるほど笑っていた。
そして、油屋とろろを全力を潰すのをやめてハグにハグで応える。
そして直後、轟音と共に目の前が真っ暗になった。
「はあ……」
どんなバカなことでも、全力でやれば気分がいいもんである。
結局キャロに撃たれるという使命も全うできず仕舞い、試合も散々な結果に終わってしまったが、アルトをサンドバッグにするよりずっと胸がすく。
「どうだいミケちゃん?全力で遊ぶのは楽しいでしょう?」
「久しぶりにいい汗かいた感じっすね」
「でしょ、でしょ?」
試合終了後。
お互い肩に手をやって出てきた私たちに、他のメンバー、特に私と同じチームだった面々はぽかんとしていた。
どうやらさっきまで感じの悪かった私の変貌ぶりに驚いているらしい。
「ミケゾウさん!」
「お、キャロおつかれ」
目をきらきらさせたキャロがやってきて、私はその頭をわしわしと撫でた。
「たのしかったですね!」
「うん。意外といいね、こういうのもさ。」
「はい。なんだか私もミケゾウさんと戦ってみたくなりました!」
「お、おう……」
駄目だ、キャロが確実に成長している。
その後ろを見ると、ふたば同盟のメンバーらしい女が「キャロちゃーん」と言っていた。
「……誰だあいつ」
「コロネさんです。試合中私のことたすけてくれたんですよ!」
なるほど、あいつか。
黒っぽい装備品にガスマスクを被った奴がぴょんぴょん手を振っている。
「……ほう」
装備品やら何やらで誤魔化してはいるが、なかなか出るとこ出た生意気な身体をしているではないか。
「……ッ!?」
私の視線に何を感じたのか、びくりと背筋を跳ねさせると、慌てて別のメンバーの陰へ下がっていった。
「ん、どうしたコロネ?」
「……あ、あのこが私を食べようと……ライオンだよあのこ……!?」
「私は食べてもおいしくないよー!」という悲鳴に続いて「じゃあまず甘いもの控えたら?」というやり取りが聞こえたので、鼻で笑うにとどめてやった。
かわいい肉め。だがつぎ尻と胸以外に出しゃばったものを見せやがったら、私が美味しく調理してやる。
「ミケゾウさん?」
「ああ、いや。別に?焼き肉食べたいなって。」
「へ?」
「動くとお腹へるってこと。」
適当に誤魔化していると、とろろが手を叩くのが聞こえてきた。
「はいはーい、では二回戦いきますよー!通知がそろそろって……ん?」
とろろが口を閉じる。
チーム分けとは別に、何か他の通知が届いたらしい。顎に手をやりながら何かを読んでいるが様子だが、その顔がだんだんと険しさを帯びていく。
どうやら嫌な知らせでも届いたらしい。
「とろろさん?」
メンバーの一人が声をかけると、油屋とろろはあの笑顔から一変。苦い顔で首を傾げた。
「ごめんウッズくん、用事ができちゃったよ。」
「……また騒ぎですか?なんなら付き合いますけど。」
「やあやあ、一人でいいわ。円卓にも連絡回ってるらしいから。」
なにやら事件のようだ。
二人で何かを小声で話すと、再びあのおどけた笑顔に戻って手を鳴らした。
「いっや~、ごめんみんな!今日はここでお開きって線で、用事できちゃったわ。最近忙しくてさ~?」
それを聞くと一同は理解したらしく、短く応えて各々散っていく。
とろろが急ぎ足でどこかへ向かっていく。
私たちが状況を掴めずにいると、ウッズと呼ばれていた奴がやってきた。
「ごめん、とろろさんは用事で。それより、君たちはもう上がった方がいいよ。」
「上がるって、なんでよ」
私が聞くと、彼は困ったように頭を掻いた。
「最近はここでも喧嘩騒ぎが多くてね……円卓のお世話になるレベルのもちょくちょくあってさ。」
『円卓』
この名前が出ると話が一気にキナ臭くなる。
正式名称『白翼の円卓』。ver5.0.0が配信されてから設立されたプレイヤー運営の組織で、この閉鎖世界の治安を維持する自警団のような組織だ。
規模も大きく、組織としては立派過ぎるほど真面目に機能しているが、ここは如何せん曲者だらけのやんちゃ盛り、SOGOの世界である。この手の組織は煙たがられがちで、少し前には内乱騒ぎで何人か死人も出たという噂だ。
そこまで苦労して他所様の為に働くかと、私としては全く理解の及ばん世界にある組織だ。
「で、なんでそんな騒ぎにとろろ先生が呼ばれるわけ?」
「それは……」
ウッズはやや口ごもると、口元に手をよせて声を低くする。
「ここだけの話だが、あの人、元団員らしくて……」
「円卓の?」
「噂だよ。」
確かに油屋とろろは優秀だ。
だがそれだと尚更不思議だ。なぜそんな有能な人間を、あの組織は手放したのか。
私ではないのだ。無理矢理にでも組織を抜け出してきて、ここで燻るような人には見えない。
「……まあ、つまり、とろろさんは『ふたば同盟』っていう形でやってるけど、こういうタワー内でのトラブル処理も請け負ってるんだよ。」
「……」
どうやら、あの人もただのちゃらんぽらんではないようだ。
立派な人である。
だが、やはり私の出る幕ではない。
とろろ先生は尊敬できる。だが、だからといって私が面倒ごとに関わる理由にはならない。
「ここも少し騒がしくなるだろうから、早めに出るのをおすすめするよ。」
「……ああ、うん。」
彼に促されるまま、「いこう」とキャロの手を引いて、私は出口へと向かう。
「え……とろろさんのこと追いかけないんですか?」
「なんで?」
「なんでって……」
「無理無理、手伝う気ならやめといた方がいい。」
あの口振りだとよくあることなのだろう。それなら私たちがいちいち首を突っ込むこともない。それより今は自分の心配だ。
「とろろさん、大丈夫かな……?」
心配そうに振り返るキャロの手を、私は彼女が引き返したりしないようしっかりと握る。
「大丈夫。私が本気で殺しに行ったってバカ笑いしてる人だし。」
現に、あれだけ戦っておいて、私は一瞬も、一寸たりとも、彼女の本気を感じなかった。
「あの人がマジになるほどの騒ぎなら、それこそ私たちが心配する余地なんてないから。」
でもって、できれば私はそんな油屋とろろを見たくはない。
だからさっさと帰る。
「おいアルト、聞いたろ。ボサっとしてるなよ。」
「いや」
ついでに声をかけたが、奴は腰のホルスターに手を当てたまま目を細める。遠くなる油屋とろろの後ろ姿を目で追いながら、やがて首を横に振った。
ため息ものだ。こいつもやはり間抜けである。
「念のためスーとルルも呼んだ。ヤバそうなら俺も行く。」
「あっそう、バーカ。」
こいつは、どうしてこうも人のために間抜けができるものか。この世は謎だらけである。
人が抱えきれるのは、自分の手の届く範囲のものが限界と昔から決まっている。それを見誤って無茶をすれば、大事なものから落っことしていくばかりだ。
自分を賢人だと自惚れるつもりはないが、私はそんな間抜けだけはしたくない。
他所の間抜けが落っことした物まで気にして、自分まで間抜けになってしまっては救いようがないだろう。間抜けの無限ループだ。
鼻で笑って、私は奴から目を背けた。
「間抜けは置いてこうキャロ」
「……。」
さっさとキャロの手をひくが、その顔を見下ろした瞬間に胸が冷たくなった。
キャロが、どうしようもなく悲しい目で私の顔を見ていたのだ。
「……なんだよ」
キャロに聞こえないように呟いて、私は更に強くその手を引いた。
私は間違ってなんかいない。私は、きっと賢い選択をしているはずなのだ。目の前のそれが、損なのか得なのかをきちんと理解しているし、少し道を踏み外すような真似をしたって、歩きやすい地べたの感覚は常に掴んでいるつもりだ。
それが、なんでそんな目で見られなくてはいけない。
まるで、どうしようもなく惨めな人間を見ているような。
意味もなく、胸がむかついてきた。
やはり、この世界はどうかしている
この世界は間抜けの畜生だ




