《ゴーストタウン》3
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酒場中に舞っている埃が目に染みてきた。さっきからずっと床に伏せているせいで、そろそろ床板の味が舌先にわかるような気さえする。
私が拵えたでかい穴の空いた壁、おばけのそでみたいになった埃が垂れ下がっている天井、割れた窓がひとつふたつみっつ、床に散らばる割れた酒瓶やテーブル椅子。
飛んでくる弾がそれらに転々と穴を空けていった以外に、景色に変化はない。
「……。」
膠着状態は既に十分は続いた気がする。
その間、お互いの姿も見えないまま延々と弾の浪費合戦を続けている。
もちろん、忍耐力に関しては並みの半分も持ち合わせない私が堪えられるわけもなく、今すぐにでも飛び出して相手をタコ殴りにしてやりたいのを必死に我慢しているというのが現在の状況だ。
だが、
「いてっ!?」
割れた窓から飛び込んできた弾丸が、埃まみれの床にへばりついていた私の右頬を掠めて、後ろの壁に穴を彫った。
「クソ……何だよあいつ……!」
一発一発、重ねるごとに着弾点が自分に近づいてくる。
まるで弾丸に目でもついているようだ。
それに加え、相変わらず毎回毎回弾が飛んでくる方向が変わる。
いったい相手がどんなトリックを使っているのかはさっぱり分からんが、これ以上はいくら粘っても炙り出されるだけだろう。
なにより、もう私自身の我慢が持たないのである。
なら、やるべきはひとつ。
「凹る!」
私はタクティカルベストの胸元にマジックテープで吊るしてあったナックルダスターを握りこみ、べりっと剥ぎ取る。
狙うのは、次の射撃の瞬間。
射撃と同時に表示される、弾丸の軌道が見えた瞬間に拳をお見舞いする。
攻撃の直後なら相手も隙になっている筈。そうでなくとも、敵が突然壁を貫いて殴りかかってくるなど想像もしまい。
「来いよスカしガンマン……私がべっこべこにしてやる」
何時でも飛び出せる準備をして、飛来する弾丸に全神経を集中させる。弾が飛んで来た瞬間に、その射線目掛けて飛びかかる。やることはそれだけだ。
もちろんそんなことをすれば弾丸を真正面から受けるリスクもあるが、あの野郎をこの手でサンドバックにできるなら上等だ。
私には《危険察知》のスキルが働いている。何処から、何処を狙って撃たれるかは分からないが、撃たれる直前にはこのスキルが知らせてくれる筈だ。
「……。」
町全体が死に絶えたような無音が続く。
そして次の瞬間に、私にしか聞こえない警鐘が響き渡った。
「……ッ!!」
銃声と同時に走る一本の直線。伸びているのは割れてしまった窓だった。
射線さえ見えれば、後はそこ目掛けて飛びかかるだけだ。
「らあぁぁぁぁぁぁっ!!」
雄叫びと共に、木製の壁へ向けてショルダータックル。
弾丸は私の耳元を掠める。
僅かなダメージを受けながら壁を貫いた私は、一瞬だけ閉じてしまった目を開いて、そこにあるはずの白く細い線を探した。
だが
「……!?」
私は、あり得ない光景を見る。
白く伸びる射線はそのまま道を挟んだ向かいの建物の壁へと伸び、そこに突き当たると同時に大きく屈折していたのだ。
もちろん、そこにはあのテンガロンハットはいない。
一瞬の混乱の後、私は理解した。
「……跳弾……!?」
弾丸が壁にぶつかり反射することで、軌道が変わっているのだ。
ーーだとすれば
私の視界の隅に、黒い人影がはっきりと映る。
「ハッ、どこを狙ってやがる!!」
被った帽子の鍔越しに、にやりと笑った白い歯が見えた。
二丁のSAAを構える男が、ハンマーを親指で弾くように倒す。
二つの銃口が爆ぜ、右胸と左脇腹に衝撃が走った。
「がっ……あひぃっ……げっほげほ」
空中でバランスを崩した私はあえなく地面へと衝突し、もんどりうって転げながら壁へと叩きつけられた。
肺がひしゃげて呼吸困難寸前だ。
酸欠だか脳震盪だか、ぐらぐらとした頭をひっぱたいて何とか気絶判定だけは免れた。
それにしても、まんまとしてやられた。
相手は初めから何処にも移動していない。超スピードでもなければ瞬間移動でもない。
跳弾で角度を変えながら撃ち続けていただけだ。
恐らく《跳弾》のスキルだろう。
跳弾の発生率と、その精度、威力を補正するスキル。スキルのレベルが高ければ跳弾による威力の減衰は完全にゼロ、精度もかなりのものになるらしい。
一癖二癖では済まないスキルだが、まさかここまで使いこなす奴がいたとは。
LPバーはレッドゾーンで点滅を始めている。ここまでしてやられることなんてなかなかなかったので、たぶんこんな演出も初めて見たと思う。
「おえ……いでぇ……」
齢17。花も恥じらう女子高生の我が身からとは思えないような酷い声が出た。
「残念だったな、お前がぶん殴ろうとしたのは幻だ。」
挙動といい物言いといい隅から隅まで、腹のたつほどスカした野郎である。
「うるせぇ……げっほ……この拳銃ばか……ばぁか……げほっ」
何かうまいことを言い返してやろうと頭を捻ってみたのだが、壁にぶち当たった拍子に頭のネジがいくらか吹っ飛んでしまったらしい。悔しいことに大したことは言えなかった。
霞んだ視界に、乾いた土を踏むブーツの音が迫ってくる。
気絶寸前でなかなか目の焦点が定まらない。だが情けない顔で臨むのも癪なので、せめてもと鬼の形相を意識してみた。
「フッ、情けねぇ。まるで車に跳ねられた野良猫だ。悪党にはお似合いのザマだぜ。」
「うるせえやい……これは鬼の形相だ、このバーカ……」
私の手が届く距離まで近付こうものなら、すぐにでも取っ捕まえて絞め殺してやるつもりだったのだが、どうやら相手もバカでは無いらしい。
三歩離れた距離で銃を握ったまま、それ以上こっちに近寄ってくる様子はない。
「どうしたマカロニ役者……ビビってないでもっと寄れよ、今なら私がぎゅってしてやる。」
私が両腕を広げて手招きすると、相手は鼻で笑う。
「ばか言えこのゴリラ女、おまえと乳繰り合うくらいならブルドーザーとタイマン張ってやる。それより、少しでも動いてみやがれ。眉間に一発、風穴ほじくるぞ。」
そう言って向けるリボルバーは、先程早撃ちを披露した一丁とは若干形が違う。
二丁拳銃か。だとすればこっちは跳弾攻撃用、もう片方は早撃ち用だろう。
などということを考えながら、私はこの絶望的な状況をどうにか出来まいかと頭を捻る。
そうこうしているうちにも、男の構えた銃が私の額を狙う。
「さて、もう一度チャンスをやる。俺は女は撃たない主義だ。盗んだ物全部返して、仲間も全員連れてさっさと消えるって約束するなら、この場は見逃してやる。」
「ああこの……!」
あくまでその姿勢を変える気は無いらしい。
「だ、か、ら!」
遂に私の怒りに火がついた。
握った拳で地面を三回ばんばんばんとぶっ叩き、すっかり映画の主人公になっているそいつを睨み付ける。
「私は通りすがりのただのかわいい女の子だってばこのバカ!わからず屋!タイムスリップ野郎!その帽子ちょおださい!」
すると、先程まで何を言おうが役者を気取っていた澄ました表情にひびが走った。
「なっ……!おまえ今俺の帽子をバカにしたな!」
顔を真っ赤にした男に、私は指差しまで加えて連呼する。
「ああださいね!ちょおださい!クッソださい!私のばあちゃんだってそんな帽子選ばないね!ださい!ださいださいださーい!!」
「言わせておけば畜生!おまえこそわけわからん耳頭にくっつけて!だいたい猫耳つければモテるだろうなんて発想が古いんだよ!」
「うるせえ!これはえっと、あれだ!その……あれだ!強いられているんだ!誰が好き好んでこんなの頭にのっけてるか!おまえのそれとは訳が違うんだよばぁか!ばかぁ!」
「このやろう……もう許さん!温情は無しだ!」
かちりと音を立ててシリンダーが新たな弾薬を運ぶ。弾が飛び出すのも秒読み段階だろう。
だが、そっちがその気なら私だって一発お見舞いする用意はできている。
「地獄へ落ちな!」
「やなこった!」
ずっと後ろ手に隠していた発煙手榴弾のピンを引き抜き、その顔面めがけて大きく振りかぶる。
だが
「がっ……」
「……ッ!?」
何処からともなく伸びた細い線が目の前の男の脇腹を貫き、赤い光の飛沫を散らした。
目の前の顔が驚愕にひきつって、まるで別人のようになっている。恐らく私の顔も似たような感じになっていただろう。
「何……が……!?」
膝から崩れ落ちた男の肩越しに、私はその射線の先を見た。
「マジかよ、これ……」
○●●●○○
「……ん?」
彼女の歌が止んだのは、男二人がすっかり安心しきっていたその時だった。
なんの前触れもなくきょろきょろと辺りを見回し始めた彼女に、緊張の緩みかけていた二人の背筋に串が通る。
「ど、どうしたんだいキュウちゃん?」
彼女の言動から察するに、この名前で間違いはないと踏んでいるのだが、それでもまだ不安は拭いきれない。
何せ、相手は特殊アバター。
腕に自信がないわけではない。だが、ここでかち合って押さえ込めると考えるほど自惚れている訳でもない。
だから、ここは全力で彼女の機嫌に気を配るしかないのだ。
暫く瞬きを続けた後に、彼女は隣で構えていた男に尋ねる。
「ねえおじさん。ミケはどこ?レミィもいないよ?キャロとサクもいない。」
狭いような広いようなコンテナの中に電撃が走った。
今、最も触れられたくない話題がこの場に投下されたのである。
男は相棒に目配せをする。
だが、対する相棒は既に汗だくで全く使い物になりそうにない。
また、自分が一芝居打つしかないらしい。
ノープランという訳ではない。この娘の脳みその質も踏まえればこのシナリオで問題はないはずだ。だが、この芝居に相棒がついてこられるか、それが最大のネックなのだ。
「……」
(大丈夫だ、俺がなんとかする!)
その視線を受けた相棒は、細かく震える顎を引くようにして小さく頷いた。
男は一度呼吸を整えると、なるべく明るい声音を意識しながら少女に向き合う。
「その、ミケはだな」
先程から頻繁に出てくるこの名前が、彼女の親に違いない。
「たぶん、用事があって外に行ったんじゃないか?」
「ん。ミケ、お外行っちゃった?」
「そ、そうだ。」
すると少女は頬を脹らませる。
「もう、またミケ、キュウのこと置いてく!」
どうやらこんな風に置いていかれることは珍しくないらしい。
「いいもんっ」と纏めた寝袋にぼふりとむくれ顔を埋めていた。
「大変なマスターだな」
「うん、たいへん!この前はね、おっきいヘリコプターと喧嘩してた!」
「へ、ヘリコプターね……」
なんの話だかさっぱり分からないが、とにかくクレイジーな奴らしい。
「そんなマスターといて、キュウちゃんは大変じゃないのか?」
「ミケ、キュウがいないとすぐ死んじゃうもんね。もうとってもたいへん!」
何やら胸を張りながらそんなことを言う。
「し、死んじゃうのか?」
「うん。爆発するの。どかーんって。」
やはりなんの話をしているのかさっぱり分からない。が、そうとうイカれた奴に違いないということははっきりした。
ここで鉢合わせしたのがそいつでなくて良かったと、心の隅で安堵する。
隣にいた相棒が口を開いたのは、そんな時だった。
「うんざりしたりは……しないのか?」
「ん?」
先程までは緊張に震えていた彼が、自分の足下を見下ろすようにそう口にした。
「うんざり?」
首を傾げた少女に彼は続ける。
「こんな危ない所に君を置いていくマスターなんだろう?……いっそ逃げ出したいだとか……君みたいな子なら、他にいくらでも選べるだろう?」
すると少女は更に不思議そうな顔をした。
「何で?」
「いや、何でって……」
「おじさんへんなの」
少女は目を細めると、抱えた寝袋に顎を沈めた。
「ミケはね、ワガママだしメチャクチャだし乱暴だけど、キュウ、ミケのこと好きだから。」
「"好き"……か」
「うん。ミケもキュウのこと好きなんだって?らぶらぶなんだよ!」
「レミィとはもっとらぶらぶだけどね」と言いつつ、少女はまた機嫌良さげに鼻歌を口ずさみ始めた。
「……早く帰ってくるといいな」
俯いた顔には、思い詰めたような色が差している。
その表情に気がつくことはなく、少女は満面の笑みを浮かべて顔を上げるのだった。
しかし、彼女が頷く寸前にその動きが止まった。
「……」
その視線が横にずれて、コンテナの後部扉をじっと見つめる。
まるで、その向こう側を覗き見るかのような目。
「どうしたんだい、キュ……」
突然開いた扉からグレネードが投げ込まれてきたのは、その瞬間だった。
「な……!?」
「伏せて!!」
少女の声が響いたその直後に、くぐもった騒音と閃光がコンテナの中で爆ぜた。
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