《朔太郎》3
「キタァーーー!!最っ高のシチュエーションんぬ!」
「をうぅっ!?」
「嬢、下がって!」
レミィが鋭い声で私を背に庇い、緩みなく保持していたアサルトライフルを肩で構えた。
今にも火を吹きそうな銃口の先で、件の変態プレイヤーが見えない何かに突き上げられる様にして立ち上る。
気持ち悪いほどの背筋力である。
「……こ、こいつ……できる……!」
レミィは何かただならぬモノを感じ取ったようで、私を庇いながらじりじりと後退する。
そんな私たちを知ってか知らずか、彼女は両手の指をわきわきとさせながら興奮気味に息を荒げている。
「ハァハァ……やっぱり今期のは獣 × モノで決まりだあ……うぇひひひ……!醜悪ブタ男どもに × られる可憐なヒロイン……ああ、私の探求心は今世の真理に達している!ここまで足を運んできて正解だった!!やはり詰まったらフィールドワークに限る!」
「……。」
「……。」
何だこの卑猥な伏せ字ばかりを量産している変態は。
呆気に取られている私たちを他所に、何処からか取り出した眼鏡をかけた彼女は埃を被った服を叩きながら顎に手をやった。
「さて、シチュエーションはカンペキ……次はキャラだな……。ブタの方はもういい画とれたんだけど、今度は女の子がいれば助かるんだけどな……ん?」
「っ!?」
「っ!?」
遂に興味の照準がこちらに向いた。
揃って半身を引く私たち。
「……やや、こんなところに人が通りかかるなんて……」
「私たちが助けたんだよ」とは言えずに、ただ身構える私たち。
謎のプレイヤーは珍しそうに眼鏡のズレを直したが、そこでレミィを発見。
そして凝視。
「な、何でしょうか……」
やはり銃を向けたまま、レミィは顔をひきつらせて応じる。
しかし相手はそれに返すことすら忘れ、レミィへと迫った。
「お姉さん特殊アバター?ちょっと取材いいですか?」
「な、これ以上近づくと撃ち……」
いよいよ臨戦態勢に入るレミィだが、彼女はそれすらも気にせずに屈んだり回り込んだりとあらゆる角度からスーツ美人を観察。
「じょ、嬢……これはいったい……!?」
「いや、私だってさ……」
あのレミィが怯んでいる。思いきりビビッている。
怯えるような助けを求めるようなその視線は新鮮で見ごたえがあるものだが、今はそれどころではない。
「なるほど、いいぞいいぞ!今日は運がいい、まさかこんないいネタに立て続けに巡り会えるなんて!
……繊細だがそれでいて凛々しいその立ち振舞い……未知の存在に恐れながらも構える銃!ああ、なんて健気でいじらしい!そんなキミを陰惨に貶めたい……全身ドロドロに汚したい……そんな背徳感……うおおぉぉ実にウマい!……うぇへへへ……ハァハァ……」
遂にその口から溢れる世界が禍々しい瘴気を纏い始める。
「……嬢……た、助けてください……っ!!」
これには流石のレミィも為す術がないらしく、目の端に涙を浮かべて助けを求めている。
そりゃあ、まともな神経をした人間ならそうなるだろう。
日頃見られないレミィの姿だ。少々惜しくもあるが仕方あるまい。私もマスターである以上、子分を守る義務というものがある。
M11-87にジャキンっと散弾を込め、緩みきった顔で舐めるようにレミィを観察しているプレイヤーの目の前に堂々立ちはだかった。
「やいそこの変態、レミィにイタズラしていいのは私だけだぞ。そのヤラシイ顔面こなごなにされたくなかったらとっとと離れやがれ!」
下町の破落戸よろしく威圧すると、やっと彼女も気付いたらしく、慌てて地を這うような姿勢から復帰した。
「ややっ、申し訳ない!つい創作意欲に火が。別に嫌がらせのつもりは無かったんだ、ゆるしてね、おチビさん!」
「チビって……死にたいかおま……」
「……と、そんなことしてる場合じゃない!早く、この興奮が覚めぬうちに取りかからなくては!鉄は熱いうちに!
それでは私はこのへんで。待ってろ全国の紳士ども!」
「あ、おまっ……クソ、足はやっ!?」
私が一発お見舞いする間もなく踵を返し、風のような早さで彼方へ消えていった。
その場には静けさだけが残る。
「……」
「……」
復帰までに、だいたい十秒前後はかけただろう。
やっと口を開いたのはレミィだった。
「今のは……いったい?」
「さあ……」
なんというか、もはや超然的とも表現できるようなやつであったが。
「うぅん」
私は頭を掻きながら唸った。
何やら初めて会ったという気がしない奴だった。
そこそこ長い私のSOGO歴。何処かですれ違っていた可能性も捨てきれない。
だが、いくらこの私とはいえ果たしてあんな色の強い奴をそう簡単に忘れるだろうか。
「どうしましたか、嬢?」
「いや……」
私は首を振ると、誤魔化すように付け加える。
「もうちょいイジメられてるレミィを見てるのも良かったかな……て。」
「やめてください!本当に怖かったんですからね!!」
「おう、そうかそうか。」
また涙目。
流石の私もいたたまれなくなったので、意地の悪い笑みで頷くのみに止めてやることにした。
さて、ちょっとしたアクシデントだったが、お化けヘリコプターとのエンカウントに比べたらまだまだ可愛いらしいものだ。
結局撃たず仕舞いだった散弾を送り出して、新にスラッグ弾をねじ込む。
ついでにアイテムカーソルを操作。
そろそろAA-12の方に持ち変えてやらねばならない。
本当か気のせいかは分からないが、キュウ曰く定期的にぶっ放ってやらないとむずむずして落ち着かなくなるらしい。
「で、レミィ。次は何処に……」
レミントンM11-87を片付け、MPS AA-12を握り込みつつ尋ねた瞬間だった。
握った手に鋭い衝撃が走り、突然全自動散弾銃の迷彩塗装に傷か入る。
「ッ!?」
目を見開いた私の視界の端に映ったのは、赤い光に包まれたAA-12のアイコン。
そして《損傷度Ⅲ》の表示。
損傷度とは、読んで字の如くそのアイテムの壊れ具合を示しているものである。
数値が高くなるごとに状態が悪い事を示し、そのまま使えば性能の低下などを招く。
0から数えて全四段階。
それさえも上回るダメージを受ければ、そのアイテムは消失する。
損傷度Ⅲとはつまり、ロスト寸前のレッドゾーンである。
「嬢!?」
咄嗟に辺りを警戒し始めたレミィに、私は素早く制止の手を上げる。
これは、敵からの攻撃によるものではない。
「……こっちじゃない」
レアリティ5以上の火器、特殊アバターのルールのひとつ。
特殊アバターと、本体となる火器の状態の共有。
つまり
「キューちゃんがやられてる」
○●○○●○
「あ……」
舞い散る花弁が、視界を真っ赤に染める。
尋常ならざるダメージエフェクトを散らしながら、特殊アバターAA-12、キュウが真横から殴られたように倒れた。
「キュウさん!」
慌てて駆け寄ったキャロがその体を揺らすが、仰向けに倒れたままのキュウは目を閉じたまま何の反応も示さない。
赤く光って見えるのは、左の脇腹部分。
患部の状態から、7.62ミリ弾などの破壊力を有する小銃弾だと思われる。
「起きてください!」
一体何がどうなった。
それさえも分からないまま夢中でキュウの体を揺らす。
今のエフェクトは、被弾などによるダメージを示すものだった。
それに、横から走る射線がキュウの体に突き刺さるのも見た。
何者かによる不意打ちであることは明確だ。
だが、先程まではエネミーキャラの気配は無かった。
それにそもそもエネミーキャラによる攻撃にしては射撃が精確すぎる。
「じゃあ……誰が何のためにこんな……」
「おい、死んでないじゃんこいつ」
背後から近付く無数の足音。
その内の一つが声に出して言うのが聞こえた。
「仕方ないだろ。相手は特殊アバター、上手いことヘッドショットでも決めない限り一発では殺せないって。」
「それもそうか……まあ、おとなしくなったから十分か」
振り向いたキャロの目に移ったのは、市街地用の迷彩が施された装備で身を固めたプレイヤーの一団だった。
その内の一人の手にした小銃の銃口が、まだ細く煙を上げている。
その光景が意味することを理解できないまま目を大きく開けたキャロの額に、先頭の一人が構えた自動拳銃が向けられた。
「よお、また会ったね。さっきの可愛い女子。」
見上げた先にあった顔を認めた瞬間に、キャロは背筋を凍らせた。
先程エリアの外で、ミケゾウに殴られた男。
それが、仲間と思われる三人を引き連れてそこに立っていたのだった。
目鼻立ちの強いラテン系の風貌をしたそのプレイヤーは、意地汚い笑みを称えながらキャロを地面に踏み倒す。
「きゃっ……!?」
「さっきキミのせいでボコボコにされちゃったじゃん?だから腹いせにソロプレイヤー狩りでもしようと思って来てみたら、キミが歩いてたから思わず……ねっ!」
「うぐっ……!」
脇腹に蹴りを受けた体が地面を転がり、苦悶の呻きを漏らす。
「うわっ、リーダーってばマジ鬼畜~」
「せっかく女の子なのに、殺しちゃだめっすからね~」
後ろについた仲間たちは、手こそ出さずにいるが下卑た笑みでそれを見ている。
「はぁ……うぅっ」
体を駆け回る痛みと恐怖で、頭がぐらぐらと揺れているようだ。
震える体で立ち上がろうとするキャロだが、その頭を再び太い足が蹴り飛ばした。
この体格差では、キャロには為す術がない。
「何だよ、ん?さっきみたいに友達は助けに来ないのか?あの馬鹿みたいなゴリラ女!あいつ呼べよ!オラ、早く!」
「うっ……!」
蹲ったキャロを、踏みつける足が何度も襲う。
絶望的だった。
ああ、なんて自分は弱いのだろう、と。
ミケゾウならきっと、ここで格好よく立ち上がってこんな連中すぐに蹴散らしてしまうに違いない。
だが、自分はこうやって小さく震えながら為すがままにされるしかない。
ふと、そんなとき、右手に何かが触れた。
「……あ」
肩からスリングで吊っていた、XM8のグリップだ。
これさえあれば、この銃さえあれば、こんな連中……
「っ!!」
「うおっ……!?」
全身のバネを使って跳ねるように男から離れつつ、キャロは膝立ちの姿勢で銃を構えた。
「お……」
「やばいな……」
後ろで待機していた仲間たちが次々と銃を構える。
だが、蹴りを避けられた男が手を上げる。
「いや、撃たなくていい」
震える銃口の先で、男がニヤリと笑った。
「どうせこいつ、人を撃てないからさ……」
「……はぁ……はぁ」
理由もなく呼吸が苦しくなる。
ーーそんなことない、そんなことない
頭の中で繰り返し自分に言い聞かせるが、それに反して指先は氷水に浸したように強ばってガタガタ震えている。
難しいことなんかじゃない。
いつも、敵を撃つように。
狙いを定めて、そして引き金を引く。
それだけだ。
ほんのそれだけでいい。
それなのに、視界はぐらぐらと揺れて、指には力が入らない。
「うわあああああああ!!」
遂に目を瞑ったまま引き金を引いた。
反動が肩から伝わって、頭が真っ白になる。
「うぎゃっ!!」
目の前からした声に、恐る恐る目を開けた。
「え……?」
「なんてね、ははは」
半透明な細い射線が伸びているのは、何もないてんで検討違いの方向だった。
「……あ……ああ……」
どうしようもない無力感と恐怖が、冷たい波のように押し寄せてきた。
全身から力が抜けて、くたりと膝をつく。
「どうした?撃てないんならいらないだろ、こんなの」
そんな腕から、愛銃が呆気なく奪われていく。
「あ……」
咄嗟に手を伸ばす。
これは、SOGOを初めてから、こんな世界になってからもずっと一緒に戦ってきた大事な銃だ。
「返して……おねがい、返してください……!!」
溢れだした涙で、視界がぐにゃりと歪む。
「あ?」
それを認めた男は一瞬口を開けたが、やがて性根の悪い笑みを浮かべた。
「へえ……」
不意に、男がそのXM8を地面へと投げ捨てる。
そして、握っていた自動拳銃のスライドを引き、地面に投げ出されたその銃へと向けた。
「っ!?」
「どうせ撃たないなら、ぶっ壊れてても問題ない、よな?」
バンッ
握った拳銃のスライドが弾かれて、地面の上で薬莢が跳ねた。
放たれた弾丸はXM8の機関部をぎりぎりそれて、手をかけて携帯するキャリングを砕いた。
「だめっ!!」
思わず飛び付こうとしたキャロだったが、巡ってきた煙る銃口を前に体を固くした。
「おやおや、ありゃまだ使えるな?今度はきちんとぶっ壊してやらないと……」
男の握った自動拳銃が、またXM8へと向く。
軽量だが耐久力には優れない合成樹脂製のボディ。もう一度弾丸を食らえば、次こそロストは避けられない。
「ほら、どうした?泣きながらお願いしたら許すかもよ?」
涙と埃で汚れた顔で、キャロは両手を付く。
「お願い……ですっ、もうやめてください……!」
「どうしよっかなあ~」
地面に額をつけた小さな頭を、男の靴が踏みつけた。
全身蹴られた痛みにも堪えながら、キャロは頭を下げ続ける。
「おねがい……します……!」
男は暫くわざとらしく唸っていたが、やがて口を開いた。
「駄目」
「え……」
そのとたんに、また飛んできた蹴りがキャロの体を転がした。
歪んだ視界の中で、黒い自動拳銃がロスト寸前のXM8を向いていた。
「さあ、おもちゃにお別れ言いな?」
引き金を取る指に力がこもっていく。
「だめ……いや、そんなのいや……」
「バーン!」
持ち上がっていたハンマーが勢いよく降り、弾薬の雷管を突く撃針を叩く。
その瞬間、キャロのアバターに秘められたステータスの全てが働き、突発的に体が動いた。
「やめて!!」
被弾を示す赤い花弁のようなエフェクトが散る。
バランスを崩したキャロは小銃を抱いたまま転がり、引き金を引いた男は目を見開く。
「マジかよ……はやっ?」
「ていうか……あそこで飛び出すとか……頭おかしいのかあいつ?」
後ろに控えていた仲間たちも、あまりの光景に口を開けていた。
キャロが、銃を庇ったのだ。
あの一瞬でXM8を抱え込み、肩口に拳銃弾を受けて。
暫く固まっていた男も、銃を抱いたまま苦痛に呻くキャロに戸惑ったような声を出す。
「な、何やってんだおまえ!正気か!?」
荒い呼吸を繰り返した後で、キャロはやっとのことで声を発した。
「こっち側の……家族……」
「あ?」
銃を更に強く抱くと、キャロは叫ぶように繰り返す。
「"こっち側の家族"っ!!……ミケゾウさんが言ってた……"こっち側の家族も大事にしないと"って!」
その目には、恐怖に負けない確かな光が宿っていた。
「この子はわたしの家族だから!相棒だから!これから、一緒におしゃべりできる体をあげて、一緒に、ずっと一緒にいる!それまでは、わたしが守る!!」
ミケゾウと、その特殊アバターたちを見たときにキャロは思った。
自分もあんな風になれたら、と。
勿論、ミケゾウのような強い人になることはできないかもしれない。
けれど、せめて自らの扱う銃たちを、電脳世界が生み出した幻のような存在でしかない彼女らを、『相棒』や『家族』と呼べる。そんな人になりたかった。
男はその言葉に気圧されるように後ずさる。
「意味わかんねえよ……」
指の震えを抑えながら、必死に引き金を探っている。
「んなもん、ただのモノだろうが!ただの弾撃つばっかりの道具だ!ふざけたこと言いやがって、今すぐそいつを置け!ギッタギタにぶっ壊す!!」
「だめ!絶対にさせない!」
突然の変化に、男は完全に平静さを失っていた。
「おい、あいつそろそろヤバくないか……」
「誰かさっさと止めてこいよ……」
後ろでざわつく仲間たちを他所に、遂に男は叫びながらキャロへと銃を向けた。
「ふざけやがって、このガキが!!」
キャロは固く目を閉じた。
このアバターはその素早さや精密さと引き換えに、耐久力には優れない。
拳銃弾一発、クリティカル判定が下らずとも命中部位によっては致命傷となってしまう。
先程から蓄積されたダメージもあって、次の一撃を堪えられる可能性は限りなく低かった。
だが、それでもキャロは銃を離さなかった。
せめて、自分の守りたいものだけは守る。
それだけの強さが、自分の中にあると信じたかった。
甲高い銃声が、頭の上から聞こえた。
キャロをイジメてみたいという作者の欲望が……。




