僕から見たユダの気持ち
ユダの気持ち
端的に言おう。
彼は気持ち悪かったのだ。
正しいものが明確にあって、それに隷属している人間ばかりが周りにいたのだ。
気持ち悪いだろう?
綺麗なものも汚いものも混然としているから、世界はなりたっている。
綺麗な気持ちの人間がいて、辛い経験をしている人間がいる。そういう人たちが、助け合ったり、けなしあったりする。
それが普通だと思うのだ。
この混沌の中で生きているからかもしれないが、どうしても、どうしても正しいだけの世界は嫌なのだ。その逆もまたしかり。
今、自分がこうなっているのは、自分を攻める人間がいて、自分を裏切る人間がいたからだ。
でも、自分を愛してくれた人がいた。
身内だからとか、家族だからとか、そういう肩書きみたいなものに関係なく、愛してくれた人がいた。
だから僕はその人のことを、不器用なりにも、愛そうとした。
仮に誰かの策略や計画的に近づいてきたのだとしても、それで良かったと思う。
今、自分がこうなって、優しくしてくれる人が増えて、厳しくあろうとしてくれる人がいて、支えられていると強く感じるのだ。
正しいだけの世界も、綺麗なだけの世界も、異常な世界だと感じるはずだ。
汚い仕事があって、悠々自適な仕事がある。
だから、競う気持ちが生まれるし、向上心が生まれるのだ。強くあろうと出来るのだと思う。
混沌とした世界だから、綺麗な世界がある。
混沌とした世界だから、汚い世界がある。
その両者は同時に、同じ世界にあるべきだと思う。