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一番恐いのは、幽霊じゃない

 六年生になる頃には、いじめによる物理的な攻撃も徐々に減っていった。靴やランドセルを汚されたりしなくて済むのは嬉しかったが、今度は誰も梓に近づこうとする者がいなくなった。

「立花梓に近づくと、呪い殺される」

 そんな勝手なうわさが、学校中に広まってしまっていたのだ。その噂は学校内にとどまらず、村全体に広がっていった。

 学校では梓が廊下を歩いていれば不自然なほどにみんな道を開けた。給食を食べるとき、無言の圧力をかけられて班に入れてもらえなかった。

 執拗ないじめは、次は梓を空気のように扱う、その場にいないようにふるまうという行為に変わっていった。

 梓は徐々に村の中でも薄気味悪い存在となっていった。現に笠井先生が無残な死に方をしているのもあって、周囲の人々は梓には化け物が憑いている、あの夏、生死をさまよった時に連れてきたに違いない、実は悪魔なのだと勝手な噂するようになった。

 霊感があることが村中に知れ渡り、梓には人が全く寄り付かなかった。変わらずに優しくしてくれたのは、当時は両親と、校長先生、そして校長先生の母だけだった。


「校長先生から言ってあげようか?」

「いや、大丈夫です。無視されても、村の人にどう見られていようと構いません」

 六年生にもなると、思春期に入って周囲は浮足立っていた。どの男の子が好きだとか、どの子が可愛いだとかで盛り上がっている。周りを意識し、オシャレや恋愛に興味を持ち、異性が気にかかり、同性にはほんの少しのライバル心も芽生え始める学年。

 そんな中、梓は度重なったいじめと、空気のように扱われるいまの現状のお陰で、すっかり冷めた子供になってしまっていた。冷めた、というと語弊がある。正しくは『幽霊と自分のことを認めてくれる存在以外』は、どうでも良いという考えになっていた。

 学校で言えば、慰霊碑事件以降、何かと気にかけてくれる校長先生と、成仏できずに困っていそうな幽霊たち、学校の外なら両親と、助けを求めてくる幽霊。その人たちや、幽霊たちには全力で向き合った。

「死んだ人を悪く言うのはあれですが」

「笠井先生のことかい?」

「はい」

 ある日の放課後。校長先生と一緒に、校庭の隅に腰を下ろして低学年がサッカーしているのを眺めていた。梓は、懸命にボールを追う下級生たちを見て、四年生の頃を思い返していた。

「笠井先生と当時のクラスメイトは一心同体で、私はサンドバッグだったんですね」

「サンドバッグ?」

「過保護な親のお陰で体育や調理実習に参加しない私に不満を持っていたクラスメイトと、そんな私と、私の親を疎ましく思っていた笠井先生。利害が一致した空間。今思えば、異様でした。何かトラブルがあるとすぐに私のせいにされた。誰かの絵の具がなくなれば私がとったことになるし、誰かが授業に遅れてもなぜか私のせいになった。ほんと、理不尽ですよね」

「随分難しい言葉を使うんだね」

「父が図書室を作ってくれたおかげです」

「いいね。本はいい。どんどん読むといい」

「そうですね。あの頃、本だけが私の逃げ場所でした。クラスの平和を保つために、クラスメイトには生贄みたいに先生に捧げられる。そしてストレスの発散とばかりに先生は私に怒鳴りつける。言い訳も理由も何も答えさせてはくれない」

 校長先生は何も言わなかった。もしかしたら、何となくではあるが、梓が置かれていた状況を知っていたのかもしれない。

 梓たちの担任だった笠井先生について、梓は思い出せば思い出すほど当時の自分の立場の異常さに気付いた。過保護な両親は、きっと笠井先生に対して無理な要求をしたこともあっただろう。それに対し、最初の頃は笠井先生も張り切って応えてくれていた。

 しかし、保護者と、実際勉強を教えている児童たちの間で板挟みになっていたのも事実である。梓の親の要求を通せば、他の児童から不満が出る。かといって他の児童の言う通りにすれば、今度は梓の親が黙っていない。笠井先生は疲れ切っていたのだ。

 そしていつしか、笠井先生は思いついたのだろう。教室の中で、梓を特別な存在として扱うことで、スケープゴートに仕立てることを。

 見事に作戦は成功した。作戦を始めたばかりの頃は、それこそ笠井先生が率先してクラスで問題が起きると、遠回しに梓が悪いという風潮を作った。宿題の提出が遅い子がいれば、優等生だった梓に対してなぜ手伝って上げないのか、優しさがないのかと他の児童たちの前で立たせて叱った。調理実習でふざけていて怪我をした子がいれば、見学している梓を見ながらわざと大きな声で参加せず見てるだけの子もいるけど、君は参加して偉いねと褒めちぎった。

 最初こそは、そんな笠井先生の行動に戸惑うクラスメイトではあったが、次第にその戸惑いも薄れ、次は梓以外のクラスメイトと、笠井先生の間に奇妙な連帯感が生まれた。

「今日ボール使ったのは誰? ちゃんと片付けなさい」

 ドッヂボールをして遊んだあと、男子がボールを片付けるのを忘れ校庭に置いてきたことがある。それを笠井先生が見つけて拾ってきた時の話だ。

 もちろん、梓はまだ体育の授業を禁止されていた。当然休み時間であっても外に出ることはなかったので、梓がボールに触れることはない。

 しかし。

「立花さんでーす」

「え、私じゃないよ……」

「あー私も見たあ」

「僕もー」

「俺も見た! あいつ一人で寂しくボール投げてやんの」

 一人が梓の名前を出すと、みな口々に思い出したようなふりをして梓の名前を出した。違う、私じゃないと否定の言葉を梓も口にするが、いとも簡単にかき消されてしまう。

 教室がざわつく中、梓はちらっと笠井先生の顔色を窺った。

 先生は、梓が見ていることに気付いていないようで、必死でにやつくのを抑えるように唇を噛みしめるような表情をしていた。

「はーい静かに! 立花さんなの?」

 今度はもう、ニヤつきを抑えることも忘れたように、笠井先生は梓に問いかけた。

 梓はぐっと歯を噛みしめる。やがて小さな声でつぶやいた。

「私は……ボールなんて使っていません」

「嘘つき―!」

 すぐさまクラス中でブーイングが起きる。嘘つき、認めろと心無い言葉が梓の体に突き刺さった。強く反論したかったが、梓は怖かった。

「みーんなが言ってるのに嘘ついちゃだめだよねー?」

 ニヤニヤしながら、笠井先生がクラスメイトに問いかける。うんうんと頷いてそうだそうだとクラスメイトが梓にまた罵声を浴びせていく。

 先生だって、気付いているはずなのにどうして? 疑問だけが渦巻く。

 それからというもの、何かあれば立花梓が悪いと言う風潮がクラスに広がった。失敗したって立花さんに邪魔されたと言えば、笠井先生は信じる。そして梓をしかりつけ、クラスメイトを焚き付けて攻撃する。先生が率先しているということから、クラスメイトにもはや罪悪感なんてものはなかった。

 むしろ手軽なスケープゴートが出来て大喜びといった感じだったし、先生も先生で教育という言葉を盾に、梓を使ってストレス発散が出来る。損することは何もなかった。

「記念碑の時もそうだった」

 あの事件の日、梓はクラスのリーダー格に無理やり付き合わされてジャングルジムの靴飛ばしに参加させられていた。

「来ないと笠井先生にまた怒ってもらうからね!」

「笠井先生は、梓ちゃんのこと、大っ嫌いなんだからね」

 言われなくてもわかってる。そんなことに気付けないほど、梓は鈍感じゃない。でも、梓は笠井先生のことが嫌いではなかった。こうして叱られるのも、過保護な親の要求を止められない自分、遡れば川でおぼれてしまった自分が悪いのだと考えていたからだ。

 あの時、溺れなければ両親が過保護になることも、笠井先生が疲れてしまうこともなかったのに。

「あなたのために叱るのよ?」

 笠井先生は、いつもそう梓に言った。そして梓も、その言葉を信じていた。自分がダメだから、怒らせてしまうのだと。

 そして記念碑から幽霊が現れて、必死に謝った後。助かったという安心感と、友達を救えたという安心感を得た直後の笠井先生の言葉で、梓は全て知るのだ。

「私の立場も考えて頂戴!」

 思わず飛び出した、笠井先生の本音。わたしのために叱ると言っていた言葉が、嘘だと悟った。ああ、この人は結局、全て自分を守るためにすぎなかったのだと梓は知ってしまった。

 そう言えば……と梓はゆっくり思い出す。他の人の悪戯や過ちを、無理やり私のせいだとこじつけて怒ってたのだなとか、両親の過保護な要求が緩和されたのに、一向にクラスの雰囲気が変わらなかったのは、私というスケープゴートやストレス発散のためのサンドバッグを失いたくないからだったのだなとか、色々考えれば考えるほど、笠井先生の叫んだ言葉の真意が理解できた。

「人間が一番怖い」

 梓は、戦争についてのまとめノートを作るとき、ふとそんなことを考えた。幽霊だってもちろん怖い時はある。でも、一番怖いのは笠井先生やクラスメイトのような人間なんだと考えた。幽霊はからかったり、何か悪さをしない限りは我々生きている人間を襲ったりしない。

 でも、人間はどうだろう。

 悪いことをしていなくても蔑まれたり、誰かのせいにしたりする。しかも平気な顔でする。

 梓は、なんだか人間の汚い部分に触れた気がして、ぞっとした。

 もちろん、梓が完ぺきだとは思わない。笠井先生が死んだときは本当に驚いたし、悲しくなった。ひどい扱いを受けていたとはいえ、優しかった以前の笠井先生も知っていたのでやはり嫌いではなかった。

 それでも、やはり心のどこかで、笠井先生は死んで当然だと思ってしまう残酷な自分がいたのも事実だった。幽霊に悪さをした、それ相応の代償が降りかかるのは仕方がないことだと。

 六年に上がるまでに、梓はずいぶんな目に合ってきた。そのたびに幽霊よりも人間が怖いのだという思いが強くなった。


「まあ、お陰でこんな冷めきった心の持ち主にはなってしまいましたが」

「立花さんは冷め切ってなんかいないよ。現に今日も幽霊を救ったんだろう?」

「幽霊だから、救ったんです。同じ人間なら救わなかった」

「今はそれでいいんだよ」

「そうでしょうか」

「ああ。立花さんは将来素敵な人になると、僕は思うよ」

「ありがとうございます。お世辞でもうれしいです」

「お世辞じゃないさ」

「……」

 しばらく沈黙が続いたのち、梓は立ち上がった。

「そろそろ帰ります」

「気を付けてね」

「はい」

 礼をし、ランドセルを背負って梓は校門を出た。

「あと四年……か」

 四年後の自分は、女の鬼と約束した通り、子どもを成仏させられるだろうか。現に今、何人かを成仏させたことはある。しかし、今まで出会って成仏させた幽霊たちはみな、この世にとどまっている理由や、しがらみとなるものがはっきりとしていたため、比較的に成仏の手伝いをしやすかったというのもある。

 しかし、試練――以前、梓はこの言葉を辞書で引いたことがあった。そこには『つらく困難なこと』と記されていた――となると、別物だろう。きっと一筋縄ではいかない。

「頑張ろう」

 ぎゅっと拳に力を入れる。

 空気の扱いのまま、周囲の環境が変わらないまま、梓は小学校を卒業した。梓が卒業した後は、校長先生自らが慰霊碑への水やりをしたり、線香をあげたりしているという。

 また、梓が卒業までの間に作成した戦争に関するまとめノートは、学校の図書室に寄付されることになり、毎年数人ほどではあったが借りていく児童もいる。

 読んだ児童はみな、梓の願いに思いを馳せ、積極的に記念碑の清掃や保護に参加をしている。


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