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慰霊碑の怨念―Ⅱ―

 翌日。梓たちが教室で騒いでいると、笠井先生ではなく、教頭先生が入ってきた。いつも明るいはずの教頭先生のはずが、とても暗い顔をしている。

「はい、静かに。みなさんに悲しいお知らせがあります」

 悲しいお知らせ……梓の頭に、嫌な予感がよぎる。

「笠井先生ですが、昨晩自宅で何者かに襲われて、亡くなりました」

 教室がざわめく。昨日梓と一緒に遊んでいたクラスメイトは絶句していた。

「新しい先生が決まるまでしばらく私が担任代理をします」

 そのあとも何か教頭先生が話していたが、もはや梓の耳には入っていなかった。笠井先生を殺した犯人……それは犯人というよりも、あの石に宿る怨念に違いない。そうなるとどれほど探しても犯人が見つかることはなく、この事件は迷宮入りとなるだろう。

 昨日、必死に石の幽霊たちに謝って、梓たちは許してもらった。しかしその時に幽霊たちは確かに『次はない』と言っていた。

そして約束からわずか数分後、笠井先生は梓の言葉を信じずに慰霊碑を叩いて蹴飛ばした。

死んでしまっても仕方ないことを、笠井先生はしてしまったのだ。

「私、ちょっと校長室に行ってきます!」

「立花さん、待ちなさい!」

 教頭先生がとめるのも聞かずに、梓は教室を飛び出した。階段を降り、校長室に駆け込む。

「校長先生!」

「おや君は確か四年生の……朝の会は?」

「立花梓です。朝の会は抜け出してきました」

 校長先生はちょうど、いれたてのお茶を飲もうとしているところだった。当時まだ四十代だった校長先生は、この小学校出身だ。

 また信じてもらえないかもしれない。けれど、実際に笠井先生は死んでしまった。梓はだめもとで、昨日起こったことを校長先生に話した。慰霊碑から幽霊が出てきた事、いつも踏み台にされて幽霊が怒っている事、自分とクラスメイトも幽霊に危ない目に合されそうになったが謝ってなんとか助かったこと、しかしそのあと笠井先生が慰霊碑を叩いたり蹴っ飛ばし事。

 校長先生は時折ほう、とかへぇ、とかいう相槌を打ちながら梓の話を黙って聞いてくれた。そして話の途中、とある二か所では目玉がこぼれるのではないかというほどに目を見開いて驚いたような顔をして見せた。

「もう一度、さきほどの幽霊の特徴を挙げてくれないか?」

「え? えーと、兵隊と……」

「いや、最後だけ。もんぺの……」

「えっと、髪の毛が肩までぐーん伸びてて、膝のところだけ赤と青の布になってるゆるゆるのもんぺを履いていて、それで……」

「そうか……そうだったのか……」

「先生?」

「ああ、ごめん。それはきっと、僕の祖母に違いない」

「おばあちゃん?」

「そうとも、戦争で亡くなったんだよ」

 校長先生はずずっとお茶を飲みながらつづけた。

「あの膝のところだけ赤の青の布って言うのがね、祖母のもんぺの特徴だったと母から聞いている。この町にも空襲があってね。みんな必死で逃げまわったそうだ。まだ子どもだった僕の母も、祖母に手を引かれて逃げていた。あと少しで防空壕だ、急げってときに焼夷弾が落ちてきてね。祖母はとっさに母をかばった。焼け落ちてきた木片が祖母を直撃し、祖母はその場で亡くなったんだ。母は、祖母のお陰で無事に生き延びたんだけどね」

「そうだったんですか」

「ああ。あともう一つ。これはまだ誰にも言っていないんだが」

「何でしょうか?」

「いいかい? 誰にも言わないでくれよ。笠井先生のことだ」

「笠井先生?」

「ああ」

 校長は一旦校長室の入り口に近づき、左右を見渡した。そして誰もいないことを確認してそっとドアを閉めた。

「笠井先生の死因、そして犯行現場になった部屋にはいくつかおかしな点があるらしい」

「?」

「まず一つ。大家さんと警察が駆け付けるまで笠井先生の部屋は窓もドアも全て鍵がかかっていたらしい。これは俗に言う密室殺人だね」

「そうですね」

 推理小説も読んでいたので、いくらか梓も知識はあった。

「しかもただの密室殺人じゃない。窓もわられた形跡もない。そして何より……ドアチェーンがかかっていた」

「え!?」

「おかしいだろう? 警察も首をひねっていたよ。どうやったら外側からドアチェーンをつけられるのかを今必死に捜査しているらしいが、笠井先生が住んでいるマンションのドアチェーンの形状からしてほぼ不可能に近いらしい。そしてもう一つ。死因だが……」

 校長先生は、より一層声のトーンを落とした。

「無数の石をぶつけられて死んだそうだ。石打ちの刑という罪人に石をぶつける刑があるけれど、まさにそんな感じだったらしい。その証拠に、部屋には無数の石ころや、石ころとは呼べないほどの大きな石が散乱していたみたいだし」

 梓は背筋がぞくぞくするのを感じた。

「普通石なんか部屋で投げたら窓や壁、そして床にも傷がつくはずだろう? それが、部屋はとても綺麗なままなんだ。まるでコントロールの上手い選手が笠井先生にだけ当たるように投げたように。そして笠井先生に当たった石は、重力を無視するように静かに床に落ちていたっていうことになる。」

「そんなことって……」

「普通の人間では到底できないことだ」

 ごくりとつばを飲み込む。やはり、笠井先生を殺したのは……。

「あの、あのジャングルジムの横にある石って……なんなんですか?なんか字が書いているし」

「あれはね、慰霊碑というものだ」

「慰霊碑?」

「そう、あの空襲で亡くなった人を供養するためのね」

 ここで初めて、梓は石の正体が何であるかを知った。それと同時に、なぜあそこに慰霊碑があるのかも知ることになった。

 梓は校長先生の話を聞いて、梓はそこにいる幽霊たちを何とかしたいと訴えた。

「ジャングルジムを移動させて、慰霊碑たちを改めて立てて置こう。もう二度と踏まれないように」

「はい」

「卒業するまでの間、立花さんは慰霊碑を見守ってくれるかい?」

 その問いに、元気良く頷いた。

 梓が教室に戻ると、今まで話していたクラスメイト達が一斉に静かになり、梓に冷たい視線を向けた。

「何? どうしたの?」

 恐る恐る梓が尋ねる。

「梓ちゃんのせいだ……」

「え?」

「梓ちゃんが昨日変なこと言うから! だから笠井先生死んじゃったんだ!」

 一人がそういうと、クラスがまた騒がしくなった。

「人殺し!」

「呪いをかけたのはお前だ!」

「そ、そんな……」

 敵意を向けられることは慣れているはずだった。でもそれはあくまで過保護にされた自分に原因があるからだ。けれど今は違う。梓は何も嘘をついていない。梓がいなければ、靴を飛ばしすぎたあの女の子は今頃怪我をしていただろうし、逆に笠井先生は石を乱暴に扱ってはいけないという梓の忠告を守ってくれていれば死ぬこともなかった。

 なのに、どうして。梓は再びクラスで孤立した。しかも以前は女子の一部だったのが今回はクラス全体から敵意を向けられることとなった。

 教頭先生が必死に止めようとするも、梓への暴言は止まらない。騒ぎを聞きつけた他のクラスの先生が来てやっとおさまった。

 梓は家に帰り、泣きながら図書室に籠って本を読んだ。不条理、理不尽。そんな難しい言葉が今の自分の状況にはぴったりだと思った。母親が心配してどうしたのかと聞いてくれたが、本当のことがいえるはずもなく、ただただ泣きじゃくった。

 次の日から、梓は本格的にいじめられるようになった。靴を隠されるのはまだかわいいほうで、ランドセルにごみを詰められたり、教科書を破られたりした。それでも梓は学校へ行くことを辞めなかった。さすがに異変に気付いた両親は、無理していくことはないと梓を気遣ったが、頑として休まなかった。

 それは、梓が校長先生と『慰霊碑を守る』という約束をしたからだった。


「どうだい? 立てて置くとなかなか立派だろう?」

「そうですね。これで校長先生のおばあちゃんも喜んでくれるかな?」

「ああ、きっとね」

 笠井先生の告別式が終わり、二月に差し掛かったところでようやくジャングルジムの移設と慰霊碑を立てる作業が始まった。そして実際、慰霊碑を立てて置いてからはそばを通っても怨念というものは感じられないようになっていた。

というのも、校長先生の母が、ここに来た時、梓ははっきりとあの女性の幽霊を再び見たのだ。同時に、その幽霊につれられて他の幽霊たちが成仏するところも。

「お母さん、あの時はありがとう。私をかばって……」

当時を思い出して、校長先生の母は泣きながら慰霊碑に向かって、自分の母親に向かって感謝の意を表した。

「あの空襲、私とても怖かったの。今でも覚えているわ。でもね母さん、母さんがいてくれたから、私は戦争を乗り切れたのよ。母さんが、私を命懸けで守ってくれた。私は、この命を、母さんが守ってくれた人生を、懸命に生きています。だから、ねえ、安心して眠ってください、母さん」

決して校長先生の母には見えていなかったと思う。しかし、梓にははっきりと見えていた。我が子を慈しむように見る、母親の姿が。そしてそれに感化されるように、以前見せた鬼の形相が嘘のように、もらい泣きしていると思われる兵隊や学生たちの姿が。校長先生と梓も、校長先生の母親にならって手を合わせる。

「どうぞ、安らかに。そして次は平和な時代に生まれ変わってください」

「戦争という悲劇を、もう二度と繰り返さないようにします」

 合わせた手をほどき、空を見上げる。無数の白い影が天高く昇っていくのが見えた。

本当に良かった。梓は心からそう思えた。

慰霊碑は、梓に意外な効果を発揮した。普段いろんな場所でいじめられている梓も、慰霊碑の近くにいるときは誰にも何もされずに済んだ。なんだかんだで他の児童たちは、あの一件ですっかりと慰霊碑に対して恐怖の念を抱いていたのである。

 相変わらず教室でのいじめはひどかったが、それでも梓は慰霊碑を通じて、校長先生の祖母たちが天国から見守ってくれていると考えると幾分心強かった。

 いつかいじめがやむことを願い、梓は慰霊碑を守る係りを全うした。


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