悪魔の取引
◇◇◇◇◇
マイ派には、回復手段が2つある。
1つはクロイヌの作った料理。
そしてもう1つは、マイの結界だ。
難攻不落の聖結界は優秀。
マイが認めた者以外は何者も通さず、逆に結界には入れるものには体力・魔力・疲労回復と、多大な恩恵を得られる。
これが邪魔だと判断した魔族は結界を壊そうとするも、ヒビ1つはいらない。
粘って必死に壊そうとすると、周りにいる勇者な兵士、Sランクの冒険者の方々が背後からトドメを刺す。
もしくはマイの護衛である隣にいる司書、ルイ君が結界の中から魔法で叩きのめす。
そして何より、優秀な助っ人がいた。
「ふわわわぁ、今の何ですかリルさん! フワフワ尻尾から火が!」
「なぁに、わらわの手にかかればこんなものよ。ほれほれ」
中から魔法が通るように、クミの出す火も敵に届く。
九尻尾 四の尾 拡散炎は使えないとして、
ーー九尻尾 一の尾 貫通炎
ーー九尻尾 二の尾 破砕炎
を、魔族にぶっ放す。
「か、カッコいい!」
「そうか? まあ、悪い気分ではないぞ」
「それにフワフワ!」
「……主からもそれは気に入られておる。良い気分だ」
まんざらでもない表情を浮かべながら、九つの尻尾を震わせる。
……最初は警戒された。マイが悪意ある者は通さないという設定を行った結果に入れたからこそいいものの、クミ自身冷や汗が止まらなかった。
いくら天災級魔物で、シンラの特訓をつんでそれ以上となっているとはいえ、周りにはSランク冒険者が複数いるのだ。襲われれば死ぬかもしれない。
ーーー全く、主も無茶をいう……
護衛をしろといわれても、シンラが話くらい通せばいいのに、何かから逃げるようにどこかへ行ってしまった。
だが、クミと同じように戦に加わった助っ人はそれだけではない。
遠くでは、兵士に混じって白髪をした男と、銀髪の女性がいる。
「クミさんと同じで、あのホワドラさんっていう人とリルさんっていう人も魔物なんですか?」
「ああ、ドラゴンとフェンリルだぞ」
「ドラゴン!? フェンリル!? ロマンだ、ロマンがあそこにいる!
じゃあホワドラさんの横にいる人は?」
「あれは……確か主の知り合いだ」
遠くでは、兵士に混じって白髪をした男と、銀髪の女性と、何やら残像が出来るほど動きの素早い男もいた。
「キュルウェルさんでしたっけ?」
キュルウェルは突如現れて、ビックリしている兵士達にギルドカードを見せてこう言った。
『はぁ……はぁ…………ゴホンッ、案ずるな、Sランク冒険者だ。
ーーそれと勘違いするなよ? 俺はわざわざ助けに来たわけではない。
偶々通りかかって、魔族が邪魔になりそうだから倒すわけで、心配だったからなんて理由は無いんだからな』
フンムラビ王国とキュルウェルのいたタスピニア王国は、距離にして馬車で2週間もある。
魔族がフンムラビ王国に攻め入るという不確かであやふやな噂がタスピニア王国に来たのは、約1週間前。
何故馬車2週間もかかる距離を1週間でこの国にキュルウェルが来れたかは、いやはや不思議である。だからキュルウェルが汗を垂らして疲れてるかも、不思議。全く世界は分からない事だらけだ。
「九尾にドラゴン、そしてフェンリル……まさか……」
「ん? どうかしたルイ君?」
「……いや、何でもない。
強力な助っ人がきたんだ。今は素直に喜ぶとしよう」
ブツブツ言っていたルイ君は、首を振り、考えは後回しにする。
「それより、このままいけばここは大丈夫そうだな。
クロイヌ、奴も無事だろう。
それより問題なのはもう1人の勇者だ。僕は知らないが、あいつは強いのか?」
「シライシちゃんは大丈夫だよ!
だって演奏上手かったもん」
「いや、それのどこに大丈夫な要素が? はっきり言って不安しかないんだが」
「安心安心。それに、シライシちゃんの近くにも強力な助っ人はいるしね!」
◇◇◇◇◇
勇者軍を客観的に見て、1番危険なのはクロイヌ派だが、あそこはクロイヌ自身が強すぎることも考慮されていて心配の必要がないし、何も問題はない。
だとするとシライシ派。
それなりに兵は充実しているが、マイ派と違って特別優秀な者はいない。
そこでーー魔王の出番だ。
魔王は自分の勘がよく当たると言われているし、自負している。自らを神と名乗ったアレが今日蘇るのも予想していたが、それはシンラに任せた。
そして今回、進んでシライシ派に入ったのは、兄が来ると予想していたから。
身内のけりは自分でつける。
あるいは、他の者に死んでほしくないという最後の情けか、どちらにせよ今日は殺すつもりで来たのだ。
「それにしても……不思議な力だ」
魔王はいつも以上に自分の力が蘇ってくるのを感じていた。それは他の兵士も同じ事。
原因は目の前にいる、まだ大人にもなっていない女の勇者だ。魔族として寿命が長いので、余計子供っぽく見える。
ただ、その演奏は見事だ。もうすぐここは戦場になるというのに、思わず聞き入ってしまう。
かれこれ1時間も経つが、その間一切休まず、不満も言わず、ずっと音色を響かせる。
その姿は勇者たりえるものだと、魔王は思った。
〜〜〜〜〜
遂に、その時がくる。
魔族を遠くに見たシライシは、支援効果のある歌から、自分専用へと変える。
[戦闘曲・ヴァルキリー]
[武装曲・天使の翼]
[武装曲・皇女の不屈]
自身のワンピースが鎧に変わり、楽器は剣に、心は強化された。
すでに魔王は、何かに飛びつくように1人単身で飛び込んだ。
今、まさに魔王としての実力は遺憾なく発揮されて、正直自分必要ないんじゃないか……という弱音が頭をよぎる。
ーーー……お礼。そう、 逃げてはいけない。魔王だって1人なら限界がくるはず。
勇者は飛び立った。
この戦いの、その先を見据えて……
◇◇◇◇◇
魔王は手始めに魔法をぶっ放した。
多くはそれでリタイアとなったが、思ったよりも“個性派”は残っている。
これよりも大きな魔法を使いたいのだが、それは近くにいる兵士も巻き込んでしまうほど規模の大きなもの。それは避けたい。
なら話は簡単。
魔法よりは不得意だが、魔王は必然的に体術でけりをつけなくてはならない。
武器も持ち合わせない。生半可な武器なら、自分の腕の方が余計頑丈で、自分の手の方がよく斬れるから。
……つまり、肉を抉る感触を、骨を断つ音を、死を、密接に感じてしまう。
ーーー特に相手が肉親ならば、決して忘れなれないかな……
「だが……行くぞ兄さん!」
「……………グガァアガッッ!!」
「え、兄さん?」
◇◇◇◇◇
シライシはしっかりと目を開く。耳をすます。剣を握る。
決して死にゆく魔族から目を背けてはいけない。殺しの罪悪感から逃げたりはしない。
……思えば、自分はもう1人殺しているではないか。
シライシが故意的ではなかったにせよ、事故だったにせよ、五十嵐神羅 という日本人を殺してしまったことに変わりはない。
ーー自分があそこにいなければ?
神羅は死ななかった。
ーー自分が避けていれば?
神羅は死ななかった。
ーー自分さえ……いなければ?
神羅は死ななかった。
救急車やパトカーがきて、父や母が必死に慰めて、やっと人が死んだという事実が妙に現実味を帯びてゆき、寝れない夜で自室の天井を見上げている時に何度そう考えた事か。
だが、それをこの後向き合おうというのだ。
魔族を殺したという現実を拒絶しては元も子もないし、何より身勝手だと思っている。
肉を斬る感触に顔をしかめるが、歌の効果もあり、嘔吐だけは耐えた。
その後も下手なりに精一杯教えてもらった剣術で、殺す。倒すではなくーー殺す。
これもきっと、大事な事なのだ。
◇◇◇◇◇
「え、兄さん?」
「グガァ……ガァァ!!」
「ガァァ……じゃなくて! いや、本当どうしたの兄さん!?」
魔王は素が出るほど取り乱しーーそれは現実逃避。
本当は兄に何が起こったかなど、とうに頭では理解していた。
〝悪魔の取引〟
邪悪にして凶悪。精霊と同じく別世界に住んでいると言われている悪魔の存在。
それを使えば、力を得る代償に、悪魔の言葉に身を委ねてしまうと精神が壊れて、魂の中の自我を奪われてしまうという。
自我を奪われた者は本能のままに動き、言葉は通用しない。
だが〝悪魔の取引〟は、魔王の地下に隠してある禁忌の契約書。
魔王に受け継がれる負の遺産。
ーーー私は父から教えてもらっていたが、兄さんは知らないはず。じゃあ神を名乗るアイツが知って……いや、例えそうだとしても兄さんと喋る暇なんてない。もっと早くにアイツが蘇っていたというのなら話は違ってくるが、シンラの水晶どうりなら、やはりそれはない。……他に、敵がいる?
自我を奪われていると思われる兄は、実質死んでいるといってもいい。
それに対して魔王はグチャグチャになった思考で考えた。が、今はそんな時ではない。
目の前の事をどうにかしよう。
兄は死んだ。
……良かったじゃないか?
これで、殺すのになんの躊躇も躊躇いも無くなった筈。
ーーー……なのに、どうして、涙が出るのだろうか?
「グルゥルウガァア!!」
〝悪魔の取引〟力は強大。
単純に考えて今の魔王兄の実力は、魔王に匹敵する。
ーー拳と拳が交じり、血を散らす。
余波で周りの木々が吹っ飛ぶが、わざわざ他の兵士たちと離れてここまできたのだから、その点に関しては安心だ。手を抜けばどちらかの首が吹っ飛ぶ。
力が匹敵するといっても、その反面戦い方は雑になった魔王兄は、ギリギリで魔王に負けている。
そんな時
……ふと、魔王は、無茶な再生を繰り返して顔がおかしくなっている魔王兄の、潰れて微かに見える眼が合った。
「っ……どうして」
それは、魔王の口から漏れる、意味のなさない言葉。だが……
「どうして……」
だが……そんな事は魔王にも分かっている。
「どうして……!」
「グガァァアッッ!!」
いつからだろうか?
優しかった兄がそうでなくなったのは。
いつからだろうか?
二人の仲が歪んでしまったのは。
それは、兄を差し置いて自分の方が力があり、魔王候補と言われ始めた時?
老いて寿命間近だった父はほとんど引退したようなもので、周りは面白半分からかい半分、魔王魔王と呼んだ。
そこで魔王は気付いた。
それは、周りから魔王魔王と言われ、そして……兄が考えたといわれる名前を、自身の名を、父と同じく忘れてしまった時なのだ。
「どうしてっ!!」
「フルルゥシィガガァッ!!」
兄と妹。
理性ある無し。
2人は互いに違えども、口から出る言葉は同じーー意味のない言葉。叫ばずにはいられないのだろう。
「くっっ!」
魔王は、自分の身体が傷ついていくのを実感している。
同時に、兄が傷ついて……すぐに再生しているのも分かっている。
命の削りあい、これは、魔王が不利だった。
兄には疲れがない。それは肉体的にしろ精神的しろ、傷を負っても異形となって再生している。
一方魔王は考える脳がある。限界以上の力は出せないし、もちろん、再生もしない。
このままでは負けるーーはずだった。
「っ……これは」
血肉が舞う嫌な音を一蹴して、魔王と魔王の兄だった異形の耳に聞こえてくる音色。
異形に変化は無いが、魔王の傷はどんどん治っていく。
音のする方向を見れば、そこには女勇者の姿があった。
魔王よりも女勇者。
そう判断したのか、異形は女勇者めがけて一直線に……
「させない!」
「グブブゥッウ!!」
見事なかかと落としが決まった。
形勢逆転だ。