笑顔の華 涙の雨
◇◇◇◇◇
「………っ……こ、ここは」
短くない間目をつぶっていたのだろう。目を開けた瞬間、視界が白で潰され顔をしかめてしまう。
……何でこんな状態になっているかが理解できるほど、サクランは既に頭の中を整理出来ていた。
シンラ・アリエルト。
【半竜化】を使って手も足も出なかったわ【竜化】でさえ無意味なのかもしれないという、あまりにも非現実な現実。
あれで人族というのだから、世の中間違っているとサクランは思う。
「おはよう」
そんな非常識は、サクランの気持ちを知ってから知らずか、呑気に挨拶をした。
気配からなんとなく予測していたサクランは戸惑うことなくーープイッと無視する。
「あれ、それはヒドくない?」
何か言ってるが、無視無視。
なんで無視するか自分でもよく分からないが、無視無視。
それはプライドだったのかもしれないし、ただ単に恥ずかしかっただけなのかもしれない。
「何やら怒ってますかサクランさん?」
「っ……さんをつけないでくれ!
今、背筋がゾッとした」
決勝戦、あれだけ自分に怒鳴っていたのに、と。
「やっと喋ってくれたな。よかったよかった。
話したい事いっぱいあるんだよ」
「……話したい事?」
人族とは思えない人族の話。
嫌な予感がする。いや、嫌な予感しかしないサクランだった。
「俺さ、人を殺したことがあるんだよ」
「……だから、何なんだ?」
そう珍しい事ではない。
人が死ぬ、殺される、殺す。生きていく中でどれも体験することだ。
だけど、そんなことを思いながらも、サクランは何となく分かっていた。
シンラ・アリエルトはきっと私と同じなんだろう、と。
「目の前で大事な友人が殺されそうになってたからさ、そいつを殺したんだ。
分かるだろ? 君なら」
分かる。
痛すぎるほど、分かってしまう。
「君の話も聞いたよ、サクラン。
これはどっちでもいいんだけど、俺に話してくれないか?」
何故?
「ーーー………私は、物心ついた時から刀を握っていた」
こんなにも、話したいと思っているのだろう?
「ーーー私の父はカムラ流三代目当主 イチョウ。私が生まれて1年たったばかりだというのに、刀を握らせていたらしい。
その事は温厚な母が初めて激怒したのだが、そんな母に父が反抗したのも、また初めてだったそうだ」
私は……
「ーーーそして、私は偶然か当然か、その道の才能があった。
私は父を喜ばせたくて、そんな父を見て喜ぶ母を喜ばせたくて、暇さえあれば刀を振った」
……どうして欲しいんだろう?
「ーーー幸せだった。本当に幸せだった。
……だが、春のある日、大規模な盗賊の集団が村を襲った。
元々平和な村で、戦力となるのは私と父くらい。だけど、父は丁度その時大きな怪我をしていたんだ。……私が模擬戦をした時につけてしまった傷だから、尚更自分がなんとかかしなくちゃと思った。殺らなくちゃと、思ったんだ。
そこからはあまり覚えていない。
気付くと死体の絨毯に立っていて、上には血の木が生えていた。
やがて全ての血を吸い終わったらしい巨大な木は、形を崩し、真下にいた私に降り注いだ。
最初から血が付いていた手に、少しマシだった体に、これでもかと血がまとわりついたよ」
丁度咲いていたサクラの花びらが手に落ちてきて、それは真っ赤に染まってしまった。
「ーーー私は段々と我を取り戻してきて、そして怖くなった。
人を殺したのは初めてだった。
頭が真っ白になっていき、急に体が崩れ落ちそうになり……ふと、横を見た。母に背負われている父が、村のみんなが立っている。
だけど……今でも鮮明に浮かぶ。あれは怯えだ。私を見て怯えていたんだ。
1人は心細くて手を伸ばしたのに、後ずさりされたよ。
……血まみれの手を伸ばされても……なぁ。そりゃあ嫌だろう」
最後に見た、怯えから一転父と母の怒りの目は、私に近づくなという事だったのだろうか?
「違うぞ」
「え?」
心を読まれたのか、それとも口に出していたのか、そんな事を考える暇もなく手を握られる。
「お前の手は人殺しの手なんかじゃない。救いの手だ。
お前は村を守ったんだよ」
「救いの手?
どれも力のある盗賊千人と、それを無傷で殲滅できる女。
一体、どっちが害となる?」
「知るか知るか。勘違いやすれ違いなんて誰得だよ。
ーー行くぞ」
「……どこに?」
シンラはその言葉に何も答えず、ただ、不敵な笑みを浮かべるのだった。
◇◇◇◇◇
シンラは、ホワドラに乗っていた。
ファナ達は先に帰らせて、自分達は東に東に移動している。
転移はーー止めておいたのだ。
「おい! もしかしてと思うが、まさか今向かっているところは……」
「そう、お前の故郷だよ」
「何故だ!?
私がいても怯えさせるだけだ! 一体何のために私が1人学園に来たと……」
「だから、それは勘違いだって」
「勘……違い?
そんな、そんなはずはない! お前だって同じなんだろう? だったら分かるはずだ!
母が……優しい母が……あの日から私を見るたびに、怯えた目をしているんだぞ」
サクランは苦しかった。胸が引き下がれるという言葉が、何の言葉の綾ではない事をその時感じた。
「ファナを知っているか? お前がボコボコにした俺の妹」
「……ああ」
「お前が痛めつけたファナが、お前を交流会で初めて見たとき、お前が俺の手を払いのけたその時、こう言ったんだ」
『違いますよお兄様。
先程の方、目に恨みがこもっていました。
ただぶつかっただけで人を恨むなんて、お門違いというものでしょう』
「どうだ? お前は俺を憎んでたのか?」
「え……いや、そんな事はないぞ」
「だろ? つまりな、お前が血まみれにした賢いファナでさえ、そんな勘違いをしてしまったんだ。
怯えた目って、それ、本当にお前に向けていたものなのか?」
「………だが」
ここから先は、サクランが喋れることはなかった。
それは何故か?
ファナの事を言い出した時点で、再び怒りが湧き出てきたシンラが、まず声が出ないように空気を調節して、嫌がらせのように【魔糸】で縛り上げ、バンジージャンプを始めたからだ。
高い所というものを、この世界の住人は慣れていない。サクランはまだ竜になった事があるとはいえ、それも数えるくらい。怖いものは怖い。
この時ばかりは傍観を決め込んでいたホワドラも、可哀想だと思い、ゆっくりとした安全運転を心がけたのだった。
◇◇◇◇◇
顔を青くして、ゲンナリとしたサクランを引っ張り、シンラは村に入ってサクランの家に来た。
何故こんなにもスムーズなのか。それはもう、シンラが一度来たことがあるからだ。サクランパパとサクランママとも話をつけてあるから。
今日ここにサクランが来たのは、計画通りなのだ。
「………」
「………」
「………」
「………」
だけど、サクランからすればたまったものではない。
気がついたら自分の家で、家族プラスαと1つの机を囲い座っていたのだ。パニックにならなかっただけ褒められるレベルだ。
「………」
「………」
「………」
「………」
ーーーやっぱり……あの目。
誰が、何を喋っていいのか分からない状態。
シンラも黙っていたが、これではいけないと口を開こうとするが、その前にサクランが喋り出す。
掠れた、小さな声で。
「シ、シンラ……もういいだろう? 私はーー」
「いや、ダメだ。このままじゃお前、後悔したまま死ぬ事になるぞ。
……知ってるかサクラン?」
掠れた、小さな声。
「命って、案外簡単に無くなるんだぜ?」
それが、あまりにも心のこもった言葉に聞こえたのは、サクランだけではないだろう。
だからサクランパパも、シンラの言葉は胸に染み込んだ。
「ーーーすまなかった、サクラン。
私は確かにあの時……怖い……と、思ってしまったのかもしれん」
「っ……」
「だが! これだけは信じてくれ! お前は何も悪くない。悪いのは俺たちなんだ!
サクラン、お前はあの時……赤ん坊のように手を伸ばしてたもんなぁ。その手を取ってやらなかったことを、今でも後悔してる……!」
遂に、サクランパパは泣き出した。
大の大人が、自分の父が、初めて泣くのを見たサクランは、ひどく動揺してしまう。
「う、嘘……」
「嘘じゃないのよサクラン」
「っ……な、なら……ならなんで! なんで……私を見るたびに……あんな目を……」
「お前が、私達に近づこうとしなかったからだ」
「私、が?」
「俺はすぐにでも謝らなければいけなかったのに、お前が俺たちを遠ざけているから、もしかしたら嫌われたんじゃないかって、謝っても許してもらえないんじゃないかって、怖かったんだ。自分勝手な話だが、自分の娘に拒絶されるのが怖くてたまらなかった。
……そんな訳ないのになぁ。お前は村1番強くて、村1番優しい子だと分かってるのに」
サクランパパはサクランに近づく。
自分でも気付いていないのだろう。ボロボロと涙を流してる娘に。……また、そんな父も、自分が泣いてるなんて微塵も気づいていないのだが。
ーーーシンラは少し前に庭に出ていた。
きっかけ作りの役目は終わったから。
この後どうなるかは、自分には関係ないのだから。
あのまま同じ場所にいたら、見当違いな嫉妬をしてしまうと……気づいてしまったから。
◇◇◇◇◇
どれくらい時は経ったのか、シンラは少しづつ移動している月を眺めていると、妙にすっきりとした顔のサクランが来て、
「学園をやめて、またこの村で住むことになった」
と言った。
そう簡単に学園をやめれるものでない、とシンラは思ったが、同時にあの学園長ならここまで見越してのことだろうと、再びホワドラに乗ってアインスに向かう。
「……そういえば、私だけ話してお前の話は全然聞いていない。少しズルいんじゃないか?」
「ずるいって…………分かった。あれは俺がまだ幼かったころだーー」