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 あれから一週間が経った。

 プレアとの決戦で重傷を負った久住もすっかり復調し、何事もなかったかのように暮らしている。素晴らしくよく効くという、賢者に貰ったネバつくスライム状の紫色の薬のおかげだった。ただ、三日三晩目を剥くほどの、煮えくり返るような発熱と、激しい嘔吐と、痙攣などの副作用に関しては、いっそのこと楽になりたいと思うくらいだった。次にケガをした時は、大人しく病院に行くと久住は心に決めた。

 この日、正午近くになってぐうたら起きた久住は、いつも通り満遍なくダサイ格好に着替えて階段を下りてきた。

 顔を洗うのもそこそこに居間へ急ぎ、窓を開けて、贅沢にも扇風機を強風にして、カラーボックスに整頓し直したゲームのジャケットを漁る。今こそ失った夏休みを取り戻してやるのだ――

「頼もう、頼もーう! たーのーもーうー!」

 覚えのある声がすぐ後ろから聞こえた。

 ため息一発、重いものを引きずるように振り向く。

 そこには、蒸し暑さをもろともしない重装備のプレアと、真新しい司祭帽をかぶった賢者が、しつこいほどニコニコしながら並んでいた。

 あれからYUSYAも色々あったらしい。ああは言ったがやはり周りに気遣ってプレアが夜逃げしようとしたり、それを察知していた部下達が先回りからの座り込みに及んだり、そこへ賢者まで現れて、魔力集約砲を弁償してもらうまでは逃がさないんだからね! なんて言ったとか言わなかったとか。何にせよプレアは支部長として健在で、賢者はプレアの正式なパートナーになったのだそうだ。支部内のパワーバランスがどうとかいう話も聞いたが、久住には良く分からないし、どうでもいい話だった。

「久住陽一。久しぶりだな」

「こんにちはっ、久住くん」

 久住は素早く切り返した。

「昨日も一昨日そのまた前も来てるじゃねーか! あと頼むからチャイム鳴らせよ! なんで勝手に上がり込んじゃうんだよ!」

「そう堅いことを言うな。私の生まれたままの姿を見せた間柄じゃないか」

「間違っちゃいないけど違う言い方はないのか――おい! そこの賢者!」

「あ、おかまいなくー」

 と言いながら久住家の麦茶とお茶菓子を運んでくる賢者は本当におかまいない。

「まぁ、立ち話もなんだ。腰を据えてゆっくり話そうじゃないか」

「それってこっちのセリフだよね!」

「いただきです。ゴクゴクばりぼり」

「お前は我が物顔か!」

 結局久住は、昨日一昨日そのまた前と同じように、ペースに乗せられるがまま着席を許してしまったわけで。となれば、この先も容易に想像できるわけで。

「はぁ。……話ったって、どうせ今日もアレでしょ――」

「うむ! お前をYUSYAのメンバーに迎えようと思ってな!」

 第十三支部は魔者を闇雲に退治するのではなく、和解も見据えて活動する方針になったそうだ。で、そうなったのは久住に起因するのだから、他支部や本部に意向を伝えるために仲間になれ、と毎日勧誘にやってくるのである。久住家には悪徳訪問販売さえ来ないので、その手の人達よりよっぽどタチが悪い。

「何度もイヤダって言ってるじゃないか! 俺に普通の高校生をさせてくれ!」

「どうしてもダメなんですか……? うるうる」

 賢者が指を咥え、もぢもぢ、とおねだりポーズを始めたが、久住の免疫は完璧だった。無視された賢者はちぇっと舌打ちし……、不意につまらなそうに窓の外を見た。

「……静かですね」

 久住も外を見る。常に師走のように忙しなく生きるセミがうるさく鳴いていたが、

「……そう思うよ」

 なぜなら――小賢しい三人組が、自分勝手なお嬢様が、いないからだ。

 戦いが終わった夜、海月達は消し飛んだ二階を修繕し、リリックは薬の副作用にうなされる久住の額に濡れタオルを乗せ、『悪魔の迷宮』と共に忽然と姿を消してしまったのである。

 理由は分からない。単に飽きたのかもしれないし、家主が倒れたから食いっぱぐれると思ったのかもしれない。

 だが、ひょっとすると、最初からこうするつもりだったのかもしれないと久住は思うのだ。プレアと同じように、魔者であるがゆえに、久住のために――

「だからって……せめて一言、声掛けてけよな。あのバカ共……」

 その瞬間だった。

 バアアァァァン! 目の前に火柱が噴き上がった。幸か不幸か、思わず久住が溢した悲しみの言霊は、誰にも悟られることなく蒸発した。

 ちゃぶ台とコップとせんべいが木っ端のごとく粉砕され、ベニヤの切れ端が、割れた蛍光灯の欠片が、さながら雹のように頭を打つ。あぐらなり正座なり、誰も掘りゴタツに足を入れていなかったのはミラクルだ。

 舞い上がった最後の木屑がパラパラと落ちてきた頃、すっかり言葉をなくしていた三人は、今しがたぽっかり開いた掘りゴタツの底の穴を一斉に覗き込んだ。

「ちょっと! 何もいっぺんに通ることないじゃない! 順番よ順番!」

「まぁまぁ、おねーさんの場合はスキマが他の人より全然あるから平気――でらぁっ!」

「……アーメン。リーダー、アーメン」

「リ、リーダー鼻血ですので。これを詰めてくださいですので」

 そこは――少女達によって埋め尽くされていた。見慣れた黒いワンピースと青いスモックがぎゅうぎゅう詰めになり、真っ赤な顔で押し合いへし合いしていた。

 かと思えば、呪いのビデオのように伸びてきた手が、ガッと畳に爪を立てた。ひぃ。

 不気味な動きでずるずると這い出してきたリリックは、前にもまして酷い格好だった。何日もまともに風呂に入れていないのか、服と言わず体中が小汚い。なんか臭ってきそうだ。乙女の髪は油でぺったりと張り付き、今やその見栄えはもずく同然である。そんな髪に結び付けられている大切なパンドラリボンには同情を禁じえない。

「よ、よう」、久住はぎこちなく再会の挨拶をした。

 しかし、リリックはいきなり、鬼気迫る表情で掴みかかってきた。

「ヨーイチ大変よ! 借金取りがそこまで来てる! ここがバレるのも時間の問題よ!」

 遅れてのそのそ這い上がってきた海月達が我が身を掻き抱いて「おー、怖い怖い」と身震いしたが、まぁ久住にはなんのことだかさっぱり分からない。

 眉間にしわを寄せていると、リリックはヒステリックにもずくヘアーを振り乱した。

「借金取りよ借金取り! 借金取りが来てんのよ!」

「なんで?」

「あのね! お茶の間ダンジョン建設のための材料費、誰が出したと思ってんの!?」

「そりゃー、お前だろ? お前が自分で――」

「あ」、久住は口をあんぐりさせた。

 アレって、『リリック』じゃなくて『ローゼンタール』にツケてたような……。

「分かった!? 勘当されてただの紙切れと化したリリクロットのサインは今、膨大な借金と利子という双頭の暴君に姿を変えて襲い掛かってきたのよ!」

「……でも、だから何だってんだ?」

「だから! アンタも! 借金取りに! 追われてるってことよ! 分かる!?」

 分からなかった。

「そりゃお茶の間ダンジョンは俺のアイデアだよ? 責任がないだなんて無責任なことは言わない……。でもそんな、借金の保証人みたいな、そんなの、困るよ」

「困る!? 家族でしょ! 一蓮托生でしょ! 妻の負債は夫の負債でしょ!!」

 唐突に、まるで魔法が掛かったかのように、てんやわんやの六畳間に沈黙が訪れた。

 長い長い長い間の後、久住は声をひねり出すようにして尋ねた。

「……………………俺、今、妻とか夫とかいう名称が聞こえた気がしたんだけど」

「……言ったけど、何よぅ?」

 リリックは照れ臭そうに腕を組み、片目だけでチラチラ久住を見ながら言った。

「ほ、ほら、ヨーイチ言ったじゃない? 『俺の家族だ』って……。『久住家の一員のリリクロットだ』って……。もも、モチロン私は別にそんな気なかったわよ! ……なかったけど、でも、あそこまで言われたら……、その、ねえ?」

「……は?」

 まさか……。コイツ、まさか――

「ね、念のために言っとくけど……、家族って言えちゃうくらい大切な存在だってことだよ? ……プロポーズとかじゃないよ? それくらい分かってるよな? な!?」

 久住は曇の切れ間から射す一筋の光のような、僅かな希望を手繰り寄せようとしたが、

「「「「………………え? …………え?」」」」

 どうしようもなく戸惑うリリックを見て、その光は曇天に断たれたことを思い知った。

 しかも、鼻にぽっちを詰めた海月を筆頭に、なぜか妖精達までうろたえている。

「……だって私、もう手続きしちゃったんだけど」

「……だってアタシ達、今後の進展も記事にするように言われたんだけど」

 うわ言のようにつぶやく二人の服から、パサッパサッ、と何かが落ちた。

 それはサプライズにしようと二人が隠し持っていた、「リリクロット・久住」と記された住民票と、「衝撃! 人間界の丘に咲いた一輪の恋~駆け落ち、種族を超えて~」なるむず痒い見出しの新聞だった。

 久住は慟哭した。

「うおおおおぉぉぉぉい! 何勝手に記事にしてんだよおおおぉ―――――ッ!」

「どうしよう銀、銅……。でっちあげだってバレたら、部長に、また部長に……」

「……リーダー、心配いらない。こういう場合、ゆくゆくはゴールインする」

「そ、そうですので。フラグビンビンですので」

「俺の叫びを聞けよ!!」

 久住は悪戯妖精達を追い散らし、今度はリリックに詰め寄った。

「リリックもリリックだよ! 何勝手に役所に届出てんだよ! 何苗字変えてんだよ!」

「だってヨーイチが――」

「気付けよ! そこは気付けよ! 俺とお前が結婚? 飛躍の天才にも程がある!」

 リリックは呻いた。盛大な早とちりと分かって真っ赤になった顔を、夏の暑さのせいみたいに振舞いながら反撃に転じる。

「あんな場面であんな風に言われたら、誰だって勘違いしちゃうんだから! そうよ、絶対にそうよ! そうでしょ、みんなぁ!?」

「そうとも! 私もてっきりそう思ったぞ。断然、リリックに同意だ!」

 リリックが意見を求めて一同を見渡すと、プレアが快活に賛同した。妖精達も赤べこのようにバカみたく頷いている。コイツら他人事だと思ってこのやろう。

「け、ケケケ、ケコ、ケッコンだなんて……、ふっ、ふふ、ふふふフフ不謹慎ですッ!」

 一人残された賢者だけは声を裏返らせて断固抗議したが、過半数を得たリリックは破竹の勢いそのままに宣言した。

「これは結婚詐欺よ! 意地でもこの家に住み着いて、テコでも動かないんだから! そんでもって家ごと差し押さえられちゃえばいいんだわこのオオエロバカマキリ!」

 この一言でヒートアップしたのは久住ではなく、賢者の方だった。ゴソゴソと荷を解いて、どっこらしょと何かを構え……、あのそれ、もしかしなくても、魔導書ですよね?

「久住くんどいて! そいつ殺せません!」

「部外者が難癖つけてんじゃないわよ! この色目賢者!」

 女の戰いが始まった。

「魔界でドラゴンにでも頭をガブリされて、体ぶらぶらすればよかったんですよ貴女は」

「そんな悲惨な死に方ゴメンよこの乳牛! お乳が張って苦しいんじゃないの? 私が搾乳してあげましょうか?」

「洗濯板の分際でよくもまあほざけたもんですね。その胸板で擦ったら、さぞキレイにゴシゴシできるでしょうねえ、ええさぞキレイに!」

 もう家は『悪魔の迷宮』ではないのに、リリックの呪文と賢者の呪文が遠慮なくぶつかる。そのパワーたるや、例のスイッチが入った久住でさえ真っ黒焦げにされてぶっ飛ばされ、テレビにストライクするほどである。

「いってて……くそお前らいい加減に――ん……?」

 そしてその拍子に久住は、以前扱いに困ってテレビ裏に投げ込んだ、忌まわしいケータイを見つけてしまうのである。

 妙に胸騒ぎがして、電源を入れた。

 読み上げるのも恐ろしくなる数の新着案内。その中から、つい数分前に送られてきていた最新のメールを選び、開封した。

 ――メールもぜんぜん返してくれないしー、電話は拒否されたままだしー! もう、あったまきた! お兄ちゃんのトコ遊び行っちゃうからねーだ! バス停なう!

 血の気が引いた。

「ヤバイヤバイヤバイ! マジでヤバイ! 緊急事態! いやマジで! 妹が来る! お前らいいか、ドコでもいいから早く隠――」

「まだ顔も出てないような女は――」

「――引っ込んでなさいよ!」

 モロにダブルビンタを浴びた久住は、顔も出てないって何だよと思いながら、再び宙を舞うのだった。

 居間のあちこちが爆ぜるように崩落していくのを見上げつつ、新調したらしきカメラのフラッシュと気のないインタビューを浴びつつ、ただ傍観するだけの鎧に笑ってる場合じゃねえぞと思いつつ、破滅を予感させるケータイを握り締めつつ、大の字に横たわった久住は、柄にもなく、コイツらに実感させられた『家族』という特別な繋がりに思いを馳せる。

 ――父さん母さん、俺、実家に帰るよ。キュウリとナスの牛馬に乗ってさ……。

 なんたって、もうすぐ迎え盆なのである。

 セミの声は、もうすっかり聞こえない。


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