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 腐ってもYUSYAはYUSYAである。一般市民のお宅からビーム砲撃という青天の霹靂な目に遭っても、約三割が瞬く間に脱落という支部始まって以来の悲劇に見舞われても、突入した玄関が外見からはかけ離れた異質な空間だったとしても、頭の上が夜空なのになんで明るさに不自由しないんだろうと疑問に思ったとしても、決して浮き足立ったりする者はいない。なぜなら魔者との戦闘では「常識という言葉が非常識」ということを、訓練スケジュールの学科で散々叩きこまれるからだ。

 黙って着いてこいと言わんばかりにプレアが先陣を切り、それを皮切りに始まったのである。YUSYAの反撃、賢者の独壇場が――

 種も仕掛けもありそうな四枚のパネルが並んだ小部屋の数々。落とし穴とビーム砲の巣窟となった、歴史的な趣すら感させる遺跡迷宮。一貫性もない。センスもない。とにかく独創的な空間を賢者は力ずくでねじ伏せていった。全ての攻撃を防ぐ『防護障壁プロテクション』という呪文の存在はもちろん、久住がオススメ(しているのを盗み聞き)したゲームをやり込んだからこその芸当だった。なんとなく融和感&一体感だが、今はむしろ胸くそ悪い。

 そしてついに――出口が見えてきた。石橋を叩くようにちまちま砲台を壊しながらの、長い長い入場行進が終わりを告げた。

「観念しろ、久住陽一イィッ!」

 啖呵を切るプレアに続いて迷宮を抜けると、コンクリの床、のっぺりした灰色の壁、頭上には鉄骨の骨組みとクレーンと、やっぱり星空。そこは一転して倉庫のような大広間だった。多様なコンテナが無秩序に散らばり、手厚く行く手を阻んでいる――

「止まるなッ! 避けろッ!」

 唐突に、プレアの警告。

 全て一瞬の出来事だった。バシュゥン! という甲走った音。熱を帯びた何かに持ち去られる賢者の帽子。そこはかとなく漂う焦げ臭いにおい――

 えっ? と振り返る。焼き切られて布切れと化した司祭帽の向こうに、黒焦げになって倒れる剣士がいた。

「固まるな! カバーだ! 全員カバーポジションを取れ! 狙い撃ちにされるぞ!」

 プレアの激が飛び、剣士達は一斉に身を隠せる遮蔽物を目指して散る。だが、まもなく流星のように閃光が降り注いだ。一人、また一人と剣士達が倒れていく。

 小柄さと俊敏さを生かし、賢者は素早くコンテナの陰に滑り込んだ。そこへ遅れて、数名の剣士が命がけの雨宿りにやってきた。

「……え? 大丈夫ですって、ほら、火傷もしてないじゃないですか。……あのですね、私は傷を治す奇跡みたいな呪文は知りませんし、たとえ使えたとしても鎧は戻ってきませんから。……弁償かって? 知りませんよそんなの」

 かすったビームに鎧の一部を溶かされてヒーヒー言う剣士をあしらう傍ら、賢者は猛スピードで新たな迷える子羊がやってくる気配を感じた。

「まったく、衣装がそれっぽいからっていちいち当てにされちゃ困――って、なんだ」

 やって来るのはプレアだった。信じられない身のこなしで嵐のような閃光を掻い潜る彼女は、道中で倒れた者の安否を気に掛ける余裕すらあった。

「おお、お前達は無事だったか!」賢者のもとにやってきたプレアは、体操選手のように飛び回っていたのに息一つ乱していない。「賢者、現在の情報を頼む」

 賢者は魔導書に手をかざして目を閉じた。『全方位投影サテライト』の呪文をつぶやくと、真っ暗な網膜に緑色の情報が奔る。製作途中のCGのようにすべてが透過された世界を、様々な要素を数値化したポップアップが埋め尽くしていく――

「――現状の戦力は三十人弱。突入時の十分の一です」

 目を開けると、プレアは声をかみ殺し、今にも後悔に押し潰されそうだった。

 見ていられなくて、賢者はすぐに無線と呪文で確認を取った。

「ですが、死者は出ていません。気絶こそ免れませんが、ビーム自体の殺傷能力は極めて低いようです。落とし穴も外に放り出されるだけで害はありません。しいて言えばすごく目が回るらしいですけど。ちなみに屋外では再編成が進んでいるそうです」

 この日初めて、プレアがほっと表情を綻ばせたように見えた。支部全員の命を預かって戦い続けるのは、想像を絶する精神的負担だろう。

「それは何よりだ。……が、消耗した今の戦力で正面突破は厳しいな。どういうわけか光学兵器の精度が著しく向上している」

 プレアはコンテナから顔を出したり引っ込めたりしながら苦言を呈した。賢者もそろりと頭を出したが、すぐさま直撃コースでビームが向かってきたので慌てて引っ込んた。

「賢者。さっきの呪文、『全方位投影』はたしか、敵の位置も察知できたな?」

「え? えぇ。範囲に限界はありますが、今は把握できてます。この部屋の敵はどうやら久住くんと妖精達、一人と三匹。洗濯板はいないようです。……別の部屋でしょうか」

 それが何か? とプレアを見ると、彼女はこめかみ辺りをトントンしていた。

「ならば……、私と二人で強行突破としゃれこむか?」

「ちょっと、ボケるには若すぎますよ。さっき突破は無理だって自分で言っ――」

 人差し指を立てて揚げ足を取ろうとした賢者はピンときた。

「――あぁ……。『正面』じゃなくて、『強行』ですか」

 プレアはやおら剣の柄に手を掛けた。

「やれるか?」

 頷く。今こそ、賢者の気持ちを踏みにじった代償を払わせる時だ。

「我々が活路を開く。砲撃が止んだら残存部隊を集め、足並みを揃えて前進しろ」

 プレアはまだ弁償を気に病む剣士に言いつけるや否や、賢者の腰に手を回した。まるで宅配便のように賢者を片手で軽々抱え込み、ボソリと一言。

「……もっと早く、お前と組みたかった」

「え? なんです? よく聞こえなかったんですけど」

「舌を噛まないよう気をつけろと言っただけだ!」

 行くぞ! ――プレアは自らの声を切り裂くように真一文字に剣を薙ぎ、襖をぶち破るような勢いで駆け出した。

 姿を晒した瞬間、砲台が一斉に牙を剥く。賢者はありったけの力で呪文を唱えた。『防護障壁』にぶつかったビームが弾け、鮮やかな閃光が水しぶきのように行く手を彩る。二発三発四発、弾着のたび、魔導書を抱いた両手が狂ったように軋む。加えてプレアの回避行動、ロデオのごとき一挙手一投足は、抱えられた賢者にダイレクトに伝わっている。まるで滝壺の乱水流に弄ばれているように、生きた心地がしなかった。

 しかし、賢者は目に涙を溜めて、歯を力の限りくいしばって、悲鳴を上げたくなる乙女心を封じ込めていた。魔導書を絞めつけるようにして、意地でも離さなかった――

 こうして最前線で肩を並べて、初めて分かったことがある。

 支部では揚げ足を取って貶してばかりいたが、プレアは賢者が思っていたより、ずっとすごい戦士だった。誰より強くて、誰より逞しくて、今ここで賢者の呪文が解けてしまっても、一人で光線の嵐を掻い潜って行けるのではなかとさえ思うくらいに。

 だからこそ、こんなことは照れくさくて絶対言えないが、プレアがわざわざ自分を指名してくれたことは素直に嬉しかったし、その信頼に応えたいのだ。

 何より、根拠はないが、今プレアを一人で行かせてしまったら、もう二度と自分達の所に戻ってこなくなるような、そんな気がするのである――

「あグゥ……、ふぅ、ふぅ、イッ! プ、プレアさんっ! 進んで! このまま、真っ直ぐに! そこに、久住くんが! 憎むべき敵がっ!」

「真っ直ぐだな! 賢者、いま少しこらえろよ!」

 その時、何故か砲撃が途絶えた。プレアはこの隙を見逃さなかった。

「ハアアアアアアァッ!」

 プレアは今まさに、力強い跳躍で三、四メートル級のコンテナを飛び越えた。最高到達点で一瞬の無重力。マットもなしでズドンと着地。呻き声一つ漏らさずに間髪入れず走り出す。一際巨大なコンテナのどてっ腹目掛け、プレアは構えた剣で見事な風穴を開けた。

 短いトンネルを抜けたその先、遠く部屋の突き当たりに――久住はいた。

 プレアがギアをさらに上げた。

「会いたかったぞ、久住陽一ィィィィィ!」

 あたかも花道のように並んだコンテナの間を、ロケットのようにプレアは突き抜ける。

 ほとんど目も開けられない速さだった。瞬きでパラパラマンガのように断片化した視覚の中、みるみる近づく久住が薄っぺらいボードのようなものを操っているのを賢者は見た。

「あれは、タブレット端末! あれで火器管制を担っ――グうぅっ!」

 周囲からの一斉砲撃が二人を襲った。

 ピシッ! ついに『防護障壁』に亀裂が入る。魔導書を押さえる腕がもげたかと思うほどの苦痛が賢者を襲う。……だが、まだだ。久住のもとに辿り着くまで、なんとしても!

「うおおおおっ!」「きゃあああっ!」

 プレアが久住を捉えるのと賢者の限界とは、ほぼ同時だった。

 まるで反発する磁石のように賢者の腕から魔導書が弾け飛び、『防護障壁』はガラスが叩き割られたような音と共に粉々になって消滅した。その反動で賢者は横様に投げ出され、コンテナに打ち付けられた。ギヒィ! という鈍い金属音と共にコンテナがひしゃげる。バタリと崩れ落ちた賢者は息ができず、床に頬を付けたまま舌を突き出す。声にならない声で喘ぐ。

「賢者あっ! ――キ、サマァッ!!」

 久住は猛然と振り下ろされたプレアの剣を、ガキンと頭の触角で受け止めた。

「個性的な能力だな……。私も初めて見る力だ。……しかし!!」

「く、くそっ、相変わらずの怪力! 付き合ってられるかよ!」

 ギリギリ、と摩擦の火花を散らせて剣を押し込んでいたプレアだったが、急にガクッと前のめりに姿勢を乱した。暖簾に腕押し、力余ってしまったのである。鋼鉄の剣と張り合っていた久住の触角が、突然布のようにしなやかに変質したのだ。

「押してダメなら、ってな具合に!」

 その触角を包帯のように剣に巻き付けて、腰と頭をフルスイングし、久住はプレアを投げ飛ばした。

 猫のごとく空中で姿勢を正し、プレアは十点満点の着地を決めた。しかし久住は既にタブレットを構え、ピンチインとタップ操作で完璧に狙いを定めていた――

 だが、タブレットは赤い光線に撃ち抜かれ、宙を舞いながら爆発四散した。同様にとはいかなかったが、直撃を受けた久住も吹き飛ばされ、スタントマンのように床を転がる。

「ざまぁ、みましたね……」

 久住の思惑を打ち砕いたのは、プライドをかなぐり捨てて床を這い、放り出された魔導書を手にし、力を振り絞った賢者の『破壊衝動エクスプロージョン』の呪文だった。

 プレアは誇らしそうに賢者に微笑むと、表情を百八十度変えて見下すように言い放った。

「久住陽一! 万策尽きたな!」

 だが、むくりと起きる久住は狼狽えもしなければ怯みもせず、あまつさえ顔色一つ変えずに、

「たとえそうだとしても、向かってくるなら俺は戦うだけだ」

 なんとも挑戦的な言い草だった。挑発を受け、プレアは即座に斬りかかると思えたが、意外にも剣先を杖のように地に立て、静かに言った。

「――貴様、魔者ではないな」

 賢者は目を見開いた。久住の眉根がピクリと動いた。

「何を今さら――髪の毛を伸縮自在に操る人間がいてたまるか」

 久住の反論は、そのまま賢者の意見でもあった。どう贔屓目に見ても、久住の戦い方は人間業ではない。この家の状況だってそうだ。魔者の力を使っていることは明らかだ。

 時間稼ぎだろうか? 事実、こうしてプレアが久住の気を引いている間、命じられた通り剣士達は、順調にコンテナに隠れて前線を押し上げてきている。

 ――しかし、だとするとあまりにも、プレアは久住だけを見つめすぎていた。

「三回だ」

 プレアは数えるように三本指を立て、雄弁に語りかけた。

「力余って体勢を崩した時、投げられて着地した時、今こうして話している時――貴様には、三回私を殺す機会があった。しかし貴様はそうしなかった」

「そんなのは結果論だ! あんたの力量や賢者の意地が俺にそうさせなかった!」

 久住は触角を鞭のようにしならせ、バシン! 床に威嚇めいた跡を付けた。

「たしかにな。貴様がそう言うのならば、そうなのかもしれない。……だがな久住陽一、魔者は本能的に、敵意に対しては殺意を抱き、その感情を躊躇わない。……いや、数ある生物のうち、人間だけが例外なのかもしれない。……しかし貴様はどうだ? これだけの大規模な戦いにもかかわらず、一人の犠牲も出していないではないか!」

 情熱的に語るプレアは、どこか物悲しげだった。

「貴様からは殺気を感じない。久住陽一、ヒトは優しすぎるのだ。これだけは偽れない」

 一瞬、戦いの最中にいることを忘れてしまうほどの静寂。

「茶番は終わりだ」

 わななきだしたプレアの真っ赤な髪は、感情を体言しているように見えた。

「貴様が操られているのか、意図して魔者の犬に成り下がったかはこの際どうでもいい。ワームホールと、悪戯妖精と、不吉な力を課した魔者の下へ案内しろ。さもなくば――真に魔者とみなす。貴様も、この家も、終わりだと思え!!」

 一歩、また一歩、プレアは踏みしめるように久住へ向かう。

「……終わりでも、構わない!」

 ――それでも久住は、

「アイツらを犠牲に守った家なんざ、ただの箱庭だよ……。住んでるヤツも、家の一部なんだ。全部ひっくるめて家なんだ。だから『家族』ってんだろうが!」

 一歩も引かなかった。

「魔者だろうがなんだろうが関係ねえ! アイツらは俺の家族だ! 俺はアイツらのいない空虚な平和より、アイツらの笑顔が見れる戦いを選ぶ! それが俺だ! この家の主だ! 久住陽一を、見くびるんじゃねえ!」

 プレアは七歩目の足をドシンと踏み鳴らした。

「既に身も心も毒されたか……。残念だ。祈りは済ませておけ、後悔しないようにな!」

 譲歩の意思がないと見るが早いか、プレアは超人的な加速で風を切った。

「待ってプレアさん! 待って久住くん! 私の話を――」

 いつしか賢者の原動力であった戦意は、気化してしまったかのように消え失せていた。久住が人間だったと知り、喜ぶべきか悲しむべきか、ただ混乱で頭が一杯だった。

 だが、もつれ合う感情に突き動かされる二人に賢者の願いは、賢者の声は届かない。

 一直線に斬りかかるプレア。久住は袈裟切りを皮一枚でかわし、プレアの背後に回る。

 その時、賢者は久住が小さなリモコンを握っていることに気付いた。

 瞬間、まるで階段を踏み外したかのように、スウッと心臓が持ち上げられる感覚に襲われた。視界がぐにゃりと歪み、上が下だか下が上だか、何がなんだか分からなくなる。今感じている光が、音が、においが、遠のいていく。

 まるで、次元の狭間に引きずりこまれていくかのようだった――


 時は、リリックが久住のもとを去ったところまで遡る。

 リリックとウェイドと砂時計は、計器の類いがカタカタピーピー言う、機械仕掛けの久住家の居間に辿り着き、部屋の真ん中でたたずんでいた。

 キィーンと超音波みたいな音がしばらくしていたが、突然頭の奥で何かが壊れる音がして、リリックは少し体が軽くなったような気がした。

「おっし、解呪終了。これでワームホールは問題なく通れる」

 リリックに向けてかざしていた手をぱっぱと払い、ウェイドはワームホールの一歩手前で足を止め、「レディーファーストだ」と道をあけた。

 砂時計に背中を押されるリリックは、魔界への道を踏みしめながら思う――これでいいんだ。

 人間に人間界があるように、魔者には魔界がある。帰るべきなのだ。それがきっと、自分にとってもアイツにとっても、一番幸せなことなのだ……。

「……ーさん、……ねーさん! ……おねーさんっ!」

 その時、聞き覚えのある声がリリック一行を呼び止めた。振り返ると、見覚えのあるスモックが三つ、すごいスピードで計器の間を駆け抜けてくる。

「おーおー、お前らギリセーフだ。俺は幼稚園のバスみたいに遅刻を待ったりしないからな」

 ウェイドの茶々を聞き流し、リリックはせかせかと駆け込んできた三人を掬い上げた。

「じゃ、一緒に行きましょ? ……あれ、カメラは? なくしちゃったの?」

 汗だくで激しく喘ぐ海月は、質問に答える間も息を整える間も惜しんで喋った。

「もど、ろう! もどろ、うよ! おにーさんが、もどっ、てこい、って、まってるから!」

 リリックは微笑みを作って言った。

「ダメよ。無理。それは無理。私は帰りたいの。もううんざりなのよ」

 海月は頬を膨らませ、大声で言った。

「違う! 帰りたいんじゃない、帰ってあげなきゃって思ってるだけだよ!」

「違わない! そんなんじゃないわ! 帰りたいのよ! 帰らせてよ!」

「違わなくない! ホントはココにいたいくせに、なんで別の道を選ぼうとするの!」

「ヨーイチが人間で! 私が魔者だからよ!!」

 すべて、その一言に尽きた。こればっかりは、どうしようもない運命なのだ……。

「……アタシ達、もう行くよ」

 息を整えた海月達は、リリックの腕から巧みに脱出して言った。

「そうね……え? 行く? って? ドコによ? ワームホールならここに――」

「おにーさんがYUSYAと戦ってる。助けに戻らなきゃいけないから」

 警戒するようにウェイドをチラチラ見ながら、彼女達は床を這う電源コードの束を飛び越えていく。

「あっ! ねえ待って、待ちなさいよっ!」

 数メートル先で海月達は止まった。

「ウソでしょ!? ヨーイチが……? そんなの有り得ない! おちょくってんの!?」

 海月達はゆっくり振り返り、答えた。

「アタシ達は、落ちこぼれだよ。窓際に追いやられてるよ。大げさなことも言うよ。尾ヒレも背ビレも胸ビレもつけるよ。……でも、ジャーナリストなんだよ!」

「……真実を伝えたいっていう魂だけは、」

「ぜ、絶対絶対、なくしませんので!」

 咳払いをしたり、腕組みしながらイライラと指でリズムを刻んだり、リリック達の背景になっている間も「早くしろアピール」に余念がなかったウェイドがついに割り込んできた。

「――おいお前ら、もうその辺でいい加減に――」

 だが、ウェイドはすぐに口を閉じた。突然ブォンと地鳴りのような低い起動音が聞こえたかと思うと、目の前に半透明なパネルモニターが映し出されたのだ。

 モニターはまるで、降り始めた雨のようにポツポツと場所を選ばず宙に現れ、やがて夕立のようなとめどない勢いで部屋中を埋め尽くした。

 ――息が詰まった。

「ヨー……、イチ……」

 そのモニターには、久住の後ろ姿が映っていた。

「なんなのよコレ……。一体どういうつもりで――」

 誰の仕業かなんてことは考えるまでもなかったが、リリックが問い詰めようとした当事者達は、既に部屋を去った後だった。

 モニターにはすべて同じ映像が流れている。久住の斜め後ろから見下ろすような固定視点。そういえば、海月がカメラを持っていなかった。おそらく、適当なコンテナの上にカメラを残し、この映像を撮っているのだ。

 だとすれば、これは編集でもCGでもなく、完全な生中継ということだ。今まさに、久住はYUSYAと、プレアと真っ向から睨み合いをしていることだ……。

『貴様が操られているのか、意図して魔者の犬に成り下がったかはこの際どうでもいい。ワームホールと、悪戯妖精と、不吉な力を課した魔者の下へ案内しろ。さもなくば――真に魔者とみなす。貴様も、この家も、終わりだと思え!!』

 身を乗り出し、最も近くに浮かんでいたモニターを掴みかからんばかりに凝視する。

 そうよ――リリックは叫びたかった――もう隠す必要なんてない。無理しなくていいのよ!

 しかし久住は、

『魔者だろうがなんだろうが関係ねえ! アイツらは俺の家族だ! 俺はアイツらのいない空虚な平和より、アイツらの笑顔が見れる戦いを選ぶ! それが俺だ! この家の主だ! 久住陽一を、見くびるんじゃねえ!』

 ――最後まで一筋だった。

 次の瞬間、障害が起きたように画面が暗転したかと思うと、モニターはすべて消滅した。

 追い縋るように伸ばしてしまった自分の手を見て、リリックは思った。

 ……あぁ、そっか……。ホントはしきたりなんて、もうどうでもよかったんだ。

 …………………………私、あんなヤツを、好きになっちゃってたんだ――

 リリックはメイド長の顔を見た。ウェイドは再び催促しようと何か口走りかけたが、リリックの表情を見るや、意地悪な笑みを浮かべて近くのパイプにもたれかかった。

「お嬢様が決めることだ」

 リリックは胸に手を当て、静かに話し始めた。

「魔界では私、何一つ不自由しなかった。なんでも好きなことやって、お腹いっぱい好きな物食べて、いつもみんなにちやほやされてた。でもこの家は、ヨーイチは違ったわ。トイレもお風呂も狭いし、座布団みたいな薄っぺらな寝床だし、パン切れ一枚で食事とか言うの。ゲームしてると隣でやいやいうるさいし、会ってすぐ胸を触るエロバカマキリだし、ちょっと物壊しただけで怒って、侘しいご飯さえ抜きにしちゃうのよ。信じらんないでしょ? だから私、ヨーイチとケンカばっかしてた……」

 ウェイドは無言で聞いてくれていた。リリックは続けた。

「でも魔界のみんなは、私の後ろのお父様を見てただけなの。私への笑顔は、お父様を怒らせないように、機嫌を損ねないように、そうやって上辺だけ取り繕った嘘だったんだって、わ、私、気付いちゃった、のよ……」

 後から後から思いが込み上げてきて、リリックは何度もつっかえた。胸がいっぱいで、声が上ずって、うまく話せない。それでも、リリックは懸命に喋り続ける。

「ヨーイチ、は、私を、怒ってくれた。私と、笑ってくれた。『おかえり』って言ってくれた。ローゼンタールなん、て関係ないのに、お父様の顔、も知らないのに、ヨーイチは私に、誰よりも優しくて、誰よりも厳しいこと、言ってくれた……。う、嬉しかった……。ケンカばっかりの毎日だったけど……、本当は、嬉しかったっ……! だってそれって、ありのままの私、を見てくれてるって、ことだから!」

 リリックはがむしゃらに頭のリボンを解いた。角、翼、尻尾、ありのままの姿をさらけ出して、リリックは思いの限りをぶつける。

「私は魔者よ。だから、私がいるべき場所は魔界なんだってそう思う。でも! 私がいたい場所は違う! 私はここにいたい! 私はやっぱり、ヨーイチと一緒に居たいっ!!」

 ウェイドはフッと小さく息を吐くと、白衣に忍ばせた手で様々な条項が書かれた例の証書を見せびらかした。リリックは咄嗟に臨戦態勢を取った。

「力ずくってわけね。いいわ、他でもないこの私の力を見せて……あげ……るわ?」

 リリックはきょとんとしてしまった。

 ウェイドはそれをクシャリと握り潰し、呪文を唱えて細かい灰にしてしまったのだ。

「お嬢様――いや、リリクロット。お前は自分でここにいると決めた。つまり、ローゼンタール家を捨てたってことだ。違うか? そして俺はローゼンタールの忠実な従者だ。関係のないヤツを魔界に連れ戻す理由は何もない。俺だって暇じゃないんだ」

「…………ウェイド、アンタ……」

 ウェイドは肩をすくめると、ちょいちょいと小さく手招きした。リリックの周りを飛んでいた砂時計が、なんだか落ち込んだようにすいーっとウェイドの下へ向かった。

「これはローゼンタールの使い魔だからな。回収しとくぞ」

「あ、待って。それならこれも。お父――いや、ロックロット様に頂いたものだから」

 リリックはパンドラリボンを差し出したが、ウェイドは受け取ろうとはしなかった。

「それはきっと、お前が選んだ道に必要な物だ。持ってけ、ドロボー」

 ウェイドはニヤリと笑った。リリックも、小さく微笑み返した。

「……最後に一つだけ、リリクロット・ローゼンタールとして頼んでいいかしら?」

「最後のわがままってことか? ……仕方ない、言ってみろ」

「お父様に伝えて。親不孝な娘で申し訳ありませんでした、って」

「分かった。たしかに伝える」

 そしてリリックは、思いっきり黒い翼を広げた。

 リリックは飛んだ。「ありがとう」のかわりにウェイドの頭上で数回旋回し、翼を唸らせ、風を切る。速く、どこまでも速く、久住陽一の下を目指して……。

 そんなリリックを見送りながら、ウェイドはポツリとつぶやいた。

「――でもま、俺が伝えるまでもないんだけどな」

 ウェイドの脇で待機していた砂時計が黒いドロドロになって崩れたかと思うと、次の瞬間、そこには人影があった。人間の目方に例えれば二十代半ばの、スラリとした長身の青年は、リリックより何倍も大きな羊の角、破けた傷を見せびらかすようなボロボロのコウモリの翼を兼ね備え、目線だけで生き物を殺せそうな、劇薬のように近寄りがたいオーラを放っていた。

「今回は世話になったが、貴様に礼は言わんぞ。ウェイド」

「俺が欲しいのは礼より給料だ。使い魔に扮しての特等席はどうだった? ご主人様よう」

「フン、何度直接舞台に上がって無礼で愚鈍な少年を殺してやろうかと思ったことか……」

 そう言って空気が歪むような殺気を滾らせるロックロットだったが、

「……だが、そうだな。中々どうして、悪くなかった」

 口の端で軽く笑いを浮かべると、ロックロットは娘が消えた方角に背を向けた。

「失敗だったんじゃないか? YUSYAを使ったのも、棄権させようとしたのも」

 ハハハと下世話に笑うウェイドを冷ややかに見つめ、ロックロットは重々しくつぶやいた。

「そうとも限らん。家名を捨て、人間と駆け落ちする。それもまたしきたりの範疇だ」

「は? おい、長らくローゼンタールには世話になってるが、そんなの俺も初耳だぞ」

 ロックロットがスラリと伸びた足で一歩を踏み出すと、音もなく床にヒビが走った。

「当然だ。あまりに無謀で突飛、荒唐無稽。ゆえに後に続く進む者はなくなり、いつしか語り継ぐしきたりの文言からも消え、古の書物の掠れた記録にのみ遺る文化だからな」

 翼で体を覆い、ロックロットは続けた。

「……だが、認めねばなるまい。娘の選択と、そしてあの少年の決断を……。これだけ立派な『悪魔の迷宮』を顕現させたのだ」

「どういうことだ?」

「遥か遥か昔――信じられないだろうが――かつて魔界と人間界が交流していた時代があったそうだ。互いの力を恐れ、争いが起き、断絶してしまったらしいがな。人間界にYUSYAという組織や、魔法を唱えられる者がいるのは、そういう時代の名残だろう」

 ウェイドは面倒くさそうに顔を背けた。

「それがなんだってんだ? この歳で歴史の勉強はゴメンだ」

「当時の上級悪魔は、人間と組むことで真の力を奮っていたとされる……。ただの偶然かもしれないが、あるいはこのしきたりの結末こそが、記録に遺されし絆の力、『生贄宝剣(レヴァンティン)』なる呪文の礎なのかもしれん……。ローゼンタールのしきたりは本来、そのためにあったのかもしれん……」

 気丈に耐えていたロックロットだったが、会話が途切れ、いよいよ娘を失った悲しみを紛らわせなくなったのか、ついにおいおいと泣き出してしまった。

「……うぅ、リリ、ック……! なぜ私を置いて……。育て方を間違えていたのか……」

「なぁに、まだ300歳だろ? アラサーじゃないか。娘なんざ生めよ増やせよ」

「キサマは独房にぶち込まれたいようだな。覚悟しておけ! ……うぅ、リリックゥ」

「はいはい……。今回のコレ、たしか特別出張手当出るよな? 今夜は俺が奢るさ」

 顔を覆い、野太いテノール声を嘆きで枯らす威厳台無しのロックロットに肩を貸し、ウェイドは静かに人間界を後にするのだった。


 ――そして、現在。

 久住は家の外、庭先にいた。

 お茶の間ダンジョン内で久住が最後に見せたリモコンこそ、豪語していた「切り札」であった。一度きりという制約で『悪魔の迷宮』にお許しをいただいた、ダイニングフロア全面に及ぶ落とし穴。不可避の『空間跳躍の板切れ』。すなわちリセットスイッチだ。

 海月達はきっと、いや絶対に、リリックを連れて戻ってくる。だからそれまで、なんとしても、久住には彼女達の説得の場を確保する必要があった。万が一にもYUSYAを居間へ行かせるわけにはいかなかった。だから久住はYUSYA共々、庭に吐き出されることを選んだのだ。

 決して悪い決断ではない。むしろ英断だった。

 ただ一点、プレアの実力を測り違えていたことを除いて……。

 丘に飛ばされた久住を待っていたのは、凄惨な一騎打ちだった。

 いいように斬られ、殴られ、打ちのめされた。久住は守り一辺倒で、狙われた急所を外すのがやっとだった。力の差は歴然だった。悪魔の力を借りているにもかかわらず、一撃入れることさえ叶わなかった。比喩ではなく、久住は本当にプレアは化け物だと思った。

「が、あが……。あがあああっ……!」

 胸倉を掴まれ、右手一本で晒し者同然に掲げられた久住には、もはや触角を操る集中力は残されていない。缶の淵に残ったジュースのような最後の力で、文字通り苦し紛れの蹴りを放つも、カツンと鎧が音を奏でるだけ。反撃というにはあまりに儚い。

「……他愛もない」

 久住は投げ捨てられた。飽きられたオモチャのように。

 霞む目に映る、乾いた地面に細々と自生した雑草が妙にリアルだった。

「一つ聞かせろ。人質の少女はどこへやった?」

 プレアは不良のようにしゃがむと、倒れた久住の髪の毛を引っ掴んだ。そのままぐいとお岩さんのように腫れた頭を持ち上げられる。意識を失うことも許されない拷問だ。

「アイ、ツは、ハァ、もう人、質じゃない。……ハァハァ、解放、した」

「賢明だな。誰かを盾にしてまで自らを守ろうとする姿ほど醜い生き様はない」

 プレアが手を離す。再び倒れた久住は血まみれの腕を突っ張り、よろよろと起き上がる。

 一切余裕のなかった久住は、ここで初めて周囲の様子を目の当たりにした。

 所々を痛々しくビームで焼き払われた緑の丘には、久住らと一緒に飛ばされてきたコンテナが散らばり、その間を縫って救急箱を片手におろおろする白衣が行き交っていた。

 そんな彼らの壁になるように、久住とプレアに対して弧を描いて並ぶ剣士達の鎧を見た時、久住の頭には整列ではなく、なぜか避難という言葉がよぎるのだった。

「待たせたな。贖罪の時間だ」

 プレアが久住の喉元に剣を突きつける。

「それとも、命乞いでも試してみるか?」

 プレアの声には、昂ぶりが混じり始めていた。

 激しい動悸と戦慄を久住は感じた。剣の無機質な悪寒が首筋から全身へ、じわじわ伝染していく。竦み上がった手足は、錆び付いたように言うことをきかない。

「心配するな。お仲間の妖精共にも、すぐ貴様の後を追わせてやる」

 一片の躊躇や憐憫もなく剣を振り上げるプレアは、笑っていた。半ば狂気だった。

 その狂気に毒されたように、久住も引きつった笑みを浮かべる。

 音もなく、首筋を冷や汗が垂れた。

 辺りは驚くほど静まり返っていた。

 というより、久住の耳には、心臓の鼓動しか聞こえていなかった。

 まだ生きてる。まだ生きてる――一拍一拍、その瞬間の生を確かめるように……。

「――人間を裏切った報いを味わえ」

 その時だった。視界に見覚えのある赤黒い閃光が飛び込んできた。

 デジャビュが起こった。久住は反射的に、自分がやられたと錯覚した。

 だが、実際に弾け飛ばされたのは、プレアが今まさに振り下ろした剣だった。

 ぐるぐると宙を切り裂きながら、剣はYUSYAの一団へ飛んでいく。直撃が危ぶまれた鎧と白衣がクモの子を散らしたように逃げ惑い、台風の目のように野次馬の弧にぽっかり開いた穴へ、剣はズブリと自身を突きたてた。その場所は、一仕事終えて放置されていた魔力集約砲のすぐ隣だった。

 プレアが空っぽになった手でこぶしを握り締め、気炎を吐く。

「どういうつもりだッ!!」

 睨みつけたその先には、野次馬から抜け出て魔導書を構えた賢者が立っていた。

「プレアさんは言いました。久住くんは人間だと……。人間の優しさは偽れないと! だったら私達には、YUSYAとして相応の責務があるんじゃないですか!?」

 プレアはわななく指先で久住を差す。

「そうとも、我々YUSYAは人々を救い、魔者を打ち滅ぼす。そこには妥協も例外も存在しない! 久住陽一を討つ! 魔者に同調し、心の奥底まで毒されている! 再三の呼びかけにも応じず、我々に牙を剥いた! 魔者同然、いやそのものだ!」

「あくまでそう言うなら……!」賢者の魔導書が光を放つ。「私はYUSYAの賢者としても、クラスメートの水上研耶としても、貴女を止めたいと思います!」

 野次馬がざわめく。プレアは確認するように言った。

「それが、賢者の決断か?」

「久住くんは友達です。私にはどうしても、真面目に授業を受ける久住くんの横顔が忘れられないんです! 久住くんを、私の気持ちを、信じたいんです……」

 声を詰まらせながら、しかし賢者は魔導書を手放そうとはしなかった。

 プレアは無言で久住に背を向け、歩き出した。野次馬が一層ざわつく。

 ……助かった、のか?

 久住は、不意にこっちを見た賢者と目が合った。

 賢者は一瞬困惑の表情を浮かべたが――吹っ切れたように笑い、手を振った。

 久住は笑い返した。何もかも救われたような気がして、どっと幸福感が胸に溢れた。

 ――だが、それも束の間の安堵だった。

「そうか……。そうだろうな……。――しかし、私にも譲れない信念がある」

 周りの兵士を気迫で退け、地面に突き刺さった剣を抜きながら、プレアが突然魔力集約砲に飛び込んだ。そのまま中央の譜面台状の部分に手をかざし、聞いたこともない言葉の羅列を発する。すべては一瞬の出来事だった。

 賢者が大きく口を開け、何か叫んだ。野次馬達が興奮した様子で腕を振り上げる。しかし久住の耳に聞こえるのは、魔力集約砲が呪文を凝縮させる音、女の悲鳴のような、背筋が凍りつく甲高い音だけだった。

 四本の棒からなる砲身に真っ赤な光が集まり、膨張していく。溢れ出そうとする光が糸のようにつーっと垂れた次の瞬間、それは雷鳴のように吼えながら噴き出した。

 地をえぐり、草を焦がし、久住の家を吹き飛ばした規模の『破壊衝動』の呪文が迫る。

 避けられないことも、助からないことも、火を見るより明らかだった――

 だが、久住は目をつぶらなかった。

 なぜなら――薄っぺらいワンピースが、目の前に降り立ったからだ。

 バチィィイイイィィン!

 空が割れたような音を轟かせ、破壊の光はせき止められた。玄関を突き破って飛来したリリックが、久住達の半歩前で両腕を突き出し、障壁のごとく紅蓮の炎を解き放ったのだ。

「んんんっ! ……ん、んんんんんぁぁあああああああ――――――っ!」

 絶叫と共にリリックが力強く腕を押し込む。すると、盾のように広がっていた炎が纏まり、螺旋を描いて回転を始めた。それはドリルのように光に突撃し、切り込むように、ねじ込むように、中へ中へと突き進んでいく。そしてとうとう――貫いた。

 プレアの『破壊衝動』を破り、なおも突き進むリリックの炎が魔力集約砲を飲み込んだ。盛大な爆発と黒煙が上がり、粉々になったパーツがガラガラと丘に降り注ぐ。YUSYAの面々は声を失い、立ち尽くしていた。

「ったく、いつにも増して酷い顔ね……。コテンパンじゃない」

 振り返ったリリックは愛想を尽かしたように言い、金色の瞳で久住を見つめる。

「や、これはその、まぁ見方によってはそうなるけど――っておいお前……!」

 久住は息をのんだ。リリックが本来の姿をしている――リボンをしていない。

「あぁ、これ?」リリックは半笑いで羊の角を撫でる。「私、勘当されたから」

「かんどうって……、か、勘当!? そんな……、いいのかよ!?」

「いいわけないでしょ! だって全部、全部ヨーイチのせいなんだから……!」

 何か期待を込めたようなリリックの声にドギマギしながら、久住は細々と尋ねた。

「あのー、それってもしかして……、俺に責任取れってことですか?」

 リリックは真っ赤に沸騰して一瞬口ごもったが、やがて意を決したように近づき、久住を力強く抱きしめて――耳元で小さく小さく囁いた。

「……………………た、ただいま」

「……………………おう、おかえり」

 ひょこっとリリックの背後から顔を覗かせ、妖精達がひゅーひゅー言った。

 どうやらこれがリリックの感情へのトドメの一撃だったらしい。リリックは思い切り久住を突き飛ばすと、倒れた久住目掛けて野暮な脇役を次々に背負い投げた。

 その時、濛々と立ち込める黒煙の中からプレアが姿を現した。無傷であった。

「よもやあの一撃を押し返すとはな。驚きだ」

 すすけた顔を拭い、指揮官の無事に沸く部下達を御すようにプレアは剣を一振りした。

「ようやく正体を見せてくれたのだ。名乗りくらい聞かせてもらいたいものだ」

 剣先を向けられたリリックは、限界まで翼を広げてふんぞり返った。

「私はリリック。上級悪魔にして、久住家の居候、リリクロットよ!」

 久住は三段重ねの妖精鏡餅の台座になったまま訂正した。

「いいや違う。コイツは久住家の一員の、リリクロットだ!」

 リリックは瞳をまん丸に見開くと、何かを隠すようにごしごしと目を擦った。

「フン! そういうことよ! 跪いて崇め奉るがいいわ!」

 周囲が色めき立つ中、プレア一人だけが天を仰いで高らかに笑った。

「洗脳や暗示でもなく、野心もなく、目論見もなく、力を渇望するでもなく、久住陽一はただ、自らの意思で魔者と共存していたわけか……。フッ、ハハハハハハ!」

 やがて前に向き直ったプレアは、腹を括ったような顔をしていた。

「貴様達こそ、私の最後の相手に相応しい」

 そう言って両耳の真っ赤なイヤリングを引き抜いたプレアの体に、変化が生じた。

 鮮紅の髪は透けるようなスカイブルーに染まり、燃えているかのようにチリチリと毛先から青い火花を散らし始めた。肩口から唐突に現れたマントも含め、鎧からブーツに至るまで、あらゆる装束が同じようにブルーの炎で燃え盛っている。青い炎に照らされる肌の色は、まるで死人を思わせる青白さだが、垣間見える瞳の力強さは決して褪せてはいなかった。

 リリックの『幽霊騎士ファントム』だわ、というつぶやきで、異様な格好も、呪文を唱えたことも、納得した。プレアもまた、人間の姿を偽った魔者だったのである。

「貴様も使っていたのだろう? 魔者としての象徴を封じるパンドラアイテムを。これはその一つ、『パンドラジュエル』を用いたイヤリングだ」

 プレアはぽんぽんとイヤリングをお手玉した。

「ぷ、プレアさん……? そんな、その姿は……」

 困惑するYUSYAを代表して賢者が歩み寄ろうとしたが、プレアは片手で遮った。

「黙っていてすまなかった。しかし賢者よ、同志達よ……。願わくば、この戦いに手を出さないでくれ」

 プレアは賢者からリリックへと視線を移し、一睨みした。

「魔界の請負戦闘狂とも言われる幽霊騎士が、人間界まで出稼ぎかしら?」

 攻撃的なリリックの問いに、プレアは薄ら笑みを浮かべた。

「物心ついた時、私は人間界の、ビルとビルの間のゴミ溜めのような暗がりにいた。這いつくばって生きていた。イヤリングとボロ切れの服だけが、私が私である証だった。この意味が分かるか? 私は人間界に捨てられたのだ。仲間に! 家族に! 見捨てられたのだ!」

 ボウボウと燃える髪を振り乱し、プレアは吐き捨てた。

「なぜ私を捨てたのか、理由は知らない。知りたくもない。たしかなことは、そんな私を救ってくれたのが人間であり、YUSYAだったということだ。他でもない人間が、寄る辺なく生きていた私に、居場所と生きる意味を与えてくれたということだ!」

 プレアは握り締めていた剣を天に向けて突き出した。

「私はこの剣に誓った。人間のために生きると! 平気で仲間を切り捨てる魔者を、人間界の秩序を乱す魔者を、許しはしないと!」

 掲げられたプレアの剣を金色のオーラが包む。その揺らめく刃を久住達に向けて曝け出すプレアの並々ならぬ感情は、まるで導火線に火の点いた爆弾のように危険な空気を醸し出す。今になってカメラが行方不明になったことを認識し、半狂乱で探しに行こうとする海月を引っ張り、「……邪魔すると悪いから」、と銀と銅は上空へ避難していった。

「ヨーイチ、力を貸して」

「そりゃこっちのセリフだ」

 久住とリリックは固く視線を結び、頷き合った。

「皮肉なものだ。人間のために戦う魔者と、魔者のために戦う人間が出会うとはな!」

 直後、プレアが地を蹴った。

 ――速い! 迎え撃つリリックの炎も久住の触角もなんなく避け、あっと言う間に青く燃える鎧が眼前に迫った。咄嗟にリリックが身を滑り込ませ、手の中で棒状に留めた業火で剣を受け止めなければ、久住の頭は間違いなく宙を舞っていた。

「ヨーイチはもう傷つけさせない!」

「人間に取り入った貴様の存在がそうさせる!」

 激しい鍔迫り合いになり、ヂリヂリと火花が散る。互角かと思われた力比べはしかし、魔力集約砲を凌いだ渾身の呪文で消耗しているのか、リリックが次第に押され始めた。

「じ……、自分だって、人間の中で生きてるくせに!」

「生きてなどいない! 魔者に捨てられ、人間にもなれず、拾われた恩義に報いるべく復讐という糧を貪り、闇雲に剣を振るい続ける亡者だ。私は孤独な戦闘狂の抜け殻だ!」

「な……! しまっ――」

 呼吸が乱れた隙をつき、プレアの一太刀がリリックの武器を弾き飛ばした。瞬間的にリリックは身を翻し、尻尾を鞭のようにしならせて反撃したが、プレアの卓越した剣さばきの前に容易く受け流されてしまった。

 射抜くような三白眼をギラつかせ、プレアが疾風のように刃を突き出す。

「させるかああぁぁぁぁ!」

 あわや串刺し――という寸でのところで、久住の触角がどうにかワンピースを捕まえた。

 優しくエスコートする余裕はもちろんない。強引にリリックの体を放り投げ、代わって久住自身がプレアの前に躍り出る。

「YUSYAとして日を追うごとに増す絶望と哀しみの深さが、魔者を憎めば憎むほど自分自身を許せなくなる十字架の重さが、久住陽一、貴様に分かるか!?」

 プレアの斬撃を、代わる代わる硬質化した触角で受け止める。

 振動。反動。頭の髄が揺さぶられ、吐き気がこみ上げる。膝が笑う。

 強い。彼女は本当に強い――でもここで、彼女に負けるわけにはいかない!

「プレアさん、あんたは悪くない。でも、あんたは間違ってるよ! もう孤独なんかじゃないはずだ! 背負い込んだ重荷に、今は手を貸してくれる仲間がいるはずだっ!」

「黙れッ!!」

 その一撃はあまりにも強烈すぎた。緊張と疲弊で威力を殺しきれなかった久住は、ガードもろとも何メートルも吹き飛ばされた。

「塞ぎこみ、ただ黙々と鍛錬に打ち込んでいた私に、いつでも微笑んでくれた戦友を、優しく語りかけてくれた仲間を、十三支部の皆を、私は欺き続けた! どう赦される? 赦されるはずがない! そんな仲間達を、部下達を、私の目の前で残虐に殺めてきた魔者の汚らわしい血が、今もこの身体に流れているというのにッ!!」

 駆け寄るプレアが久住の首を狙う。だが、翼を唸らせて飛び込んだリリックが、一瞬早く久住を押し倒した。プレアの剣は空を切り、二人は土埃を上げながらゴロゴロと丘を転がる。

「どうした久住! リリクロット! 雄大豪壮な上級悪魔の力はこんなものなのか!!」

 プレアはゆっくりと言い放った。今が絶好のチャンスだというのに。よろけて、立ち上がることさえ間々ならない獲物を狙おうともせずに……。

 顔を上げたその時、久住は見た。青く燃える髪の下で光るプレアの瞳、これまで憤怒と憎悪が渦巻き続けていたそこに、ほんの一瞬だけ悲壮な懇願の光が宿ったのを。

 トドメを刺さない理由、隠し続けた正体を明かしてまで一騎打ちに臨んだ理由、久住の中ですべてが繋がった――プレアは本当の居場所を求めている。悩み、もがき、苦しみ続ける日々から逃れ、安らげる居場所を……。

「そうだ。立て! そして私と戦ってくれ! もう私を……、解放してくれ――」

 ――プレア支部長! 今がチャンスですよ!

 その時、どこからともなく声が上がった。

「そうだそうだ!」「やれ、やっちまえ!」「支部長ーっ!」「祝勝会が待ってます!」

 それは、遠巻きに戦いを見守っていたYUSYAから沸き起こった大声援だった。

 久住とリリックは互いを支えながら立ち上がった。

「これでもまだ、信じられないのか? これでもまだ、逃げるっていうのかよ!」

「だが、……違う! 私は人間では……」

「人間がどうとか魔者がこうとか因縁がましく言ってるけど、ようはどう思われるかでうじうじ怯えてるだけじゃない! アンタの復讐は、自分を戒めるための言い訳なのよ!」

「ここが、プレアさんの居場所だよ! 心からそこに、自分がいたいって願えるなら!」

 プレアは今一度、声援を送り続ける仲間達に目を向けた。

 剣を掲げる剣士。非戦闘員なのに最前列まで出てきた研究者。両手を組んでひたすら祈る賢者は、久住だけでなくプレアの無事も願っていた。

 だが、それでも。それを見ても、プレアはあと一歩が踏み出せない。魔者という呪縛から抜け出せない。

 久住は痺れを切らし、まるでパフォーマンスのように怒鳴りつけた。

「だったら俺達が教えてやるよ! 人も魔者も関係ない、本当の絆の力ってヤツを!!」

 プレアの眉がピクリと動き、ゆっくりと剣を持ち直した。

「……いいだろう。この勝負に、この剣に、今の私のすべてをかけよう!」

 燃えるブーツが一歩踏み出す。若干姿勢を屈め、プレアは臨戦態勢を取る。

 久住の耳元でリリックが囁く。

「せっかく言いくるめられそうだったのに、なんで話をこじらすのよ!」

「プレアさんは頭で考えるより、体で感じるタイプだろ。見るからに体育会系だ」

 リリックは渋い顔をして文句を言った。

「何か作戦があるんでしょうね? アイツ、普通に結構強いわよ」

「まあ聞け。今回の作戦は――これといってない。二人掛かりで戦って、倒す。以上」

「ハァ!? ちょっと待ちなさいよ! さっきだって命からがらだったじゃない!」

「心配ないさ。だって……」

 一陣の風が丘の上を過ぎ去る。プレアが剣刃を煌かせて地を蹴る。

 久住はさり気なくリリックの手を取り、言った。

「だって、お前がいるから――」

 一瞬強張ったリリックの手が、久住の手をそっと握り返したまさにその時だった。

 いつの日か契約を交わした唇が焼けるように熱を帯び、その熱く滾る何かが、血管を伝って体中に広がっていった。それは決して苦痛などではなく、例えるなら誰かに見守られる安心感と、程よい高揚感が混ざったような、激しくも温かな感覚だった。同時に、心臓の鼓動が大きく、激しくなる。まるで、自分の中にもう一つ命が宿ったかのように――

 次の瞬間、久住は、柄に満月のような金色の宝珠がはめ込まれた、分厚く幅広の、真っ黒い大剣を握っていた。まるで人の命を預かったかのように心にドシリとのしかかる重圧を除けば、それは重厚な見かけとは裏腹に驚くほど軽かった。

 戸惑っている時間も、迷っている時間もない。この剣がなんなのか、この力がなんなのか、そんなことはどうでもよかった。久住はただがむしゃらに、目の前に迫る阿修羅の如きプレアに向けて剣を振った。

 一撃、二撃、三撃――目にも留まらぬ、数え切れないほどの打ち合いの末、久住とプレアは数歩の間合いを開け、背中合わせに立っていた。

 いつしかYUSYAの声援も消えていた。ギッ、とどこかでセミが飛び立つ音が聞こえるまで、世界は静寂そのものだった。

 ドサリ。無数の切り傷を受けた誰かが膝を突いた――

 久住陽一は、それが自分だと気付くのに時間がかかった。

「勝負、あったな……」

 回り込みざま、プレアの剣が久住の額にあてがわれる。

「長らく私は、人間と魔者との板ばさみに苛まれてきた……」

 既に黒い大剣は久住の手にはなく、かわりに久住は、隣に倒れ込んだリリックの手を握っていた。気力も体力も絞りつくし、もう抗う力は残っていなかった。

「感謝する、久住陽一。魔者と心通わせた貴様との決闘だったからこそ、私は決心がついた。迷いなく先へ進もう。戦いに勝つということは、正しさの証明だからな」

「やめてっ、もういいでしょう!? だから命までは! 久住くんを殺さないでっ!」

「おにーさんをいじめるな!」「おねーさんは悪くないですので!」「……この、この」

 ずっとしまいこんでいた思いが爆発したのか、賢者が遮二無二駆け寄ってきて、青い炎にもひるむことなくプレアのマントを引っ張った。大空に逃げていた妖精達も突っ込んできて、一緒になってマントを引っ張る。

 しかしプレアは微動だにしない。突き出した剣と共に、久住をじっと見つめている。

「私は魔者だ。いくら人間らしさを取り繕おうと、魔者なのだ。……そして久住陽一、お前は逆だ。いくら強力な魔者の力を得ても、お前は人間なのだ。それが勝敗を分けた」

 久住はプレアの目を見た。プレアは揺れる青い髪の下で、真っ直ぐな目をしていた。

 しわがれた声で一言、久住は「そのとおりだ」、と答えた。

「私は貴様の命を狙った。が、貴様は結局私の命を狙おうとはしなかった。魔者の私は非情になり、人間の貴様は非情になり切れなかった……。ならばこそ!」

 プレアが剣を振りかぶった。

 ピシィッ! まるで分厚い氷河が軋み、ひび割れるような音がこだました。

「――ならばこそ、久住陽一。我が信念の刃を砕いた、貴様の勝ちだ」

 中ほどから真っ二つに折れた剣を地面に突き立て、プレアは、ゆっくりと微笑んだ。


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