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海産ジャーナリスト

フロア3.海産ジャーナリスト


 外がぼんやり白んできた。例の甲高い声を聞いてから、三度目の朝がやってきた。

 あれ以来、乾いた草を掻き分けるような音と子供っぽい笑い声が、久住家を一層賑やかにした。紛れもなくそれは、久住の新生活にことごとく介入してきた怪奇音の再来だった。

 コタツ穴の向こうが魔界だと知った今、幽霊物件だなんだと怯えることはない。だが、夜になると騒がしくなり、太陽が昇る頃に静まる。そんな怪奇音のサイクルと、余計な訪問者に備えて見張りを立てる必要ができたことで、久住の生活リズムは滅茶苦茶なのだった。

 ポチポチ、ジャジャン、ザッシュザッシュ。ポチポチポチ。ポチポチ、……ポチ。

「ねえヨーイチ……、詰んだんだけど」

 リリックは振り返り、久住に助言を求める。久住はケータイからしかめっ面を上げ、

「詰んでねーよ。そこでオカリナ吹くんだよ。やってみ」

 ポチポチ。……テロテロテロテリーン。

「あ、ホントだわ」

 コントローラを握り直し、意気揚々と冒険を再開するリリック。

 久住は再びケータイに視線を戻す。

 ――これじゃ見張りっていうか、グダグダのお泊り会だよなと思う久住だった。

 昼間交互に仮眠を取り、二人で夜勤というシフトを送る久住家において、リリックは現在、テレビゲームに絶賛どハマリ中なのである。

 食べている時と寝ている時以外、居候はオート機能で「暇だ暇だ」とうるさい。久住の家で長時間遊べる道具といえばこれしかなく、しかし壊されるのも怖かったので、そろそろレトロと言われそうな型落ちゲーム機を与えたら――ドンピシャリ。暇さえあれば昼夜問わず、それこそ壊れたままの蛍光灯を炎の魔法で補ってまでコントローラを握り続けている。操作と同時に体が動いている辺りはまだ微笑ましいが、末恐ろしい才能だ。

 ちなみに久住は現在、妹からのスパムメール対応の真っ最中。何度拒否ってもメアドを変えて特攻してくるし、こっちがメアドを変えても数分で特定される有様だった。スパイウェアでも仕込まれているのだろうか。

「ああああぁぁ! もう!」

 久方ぶりの狂気を肌で感じた久住は、ついに電源を落として放り出した。うまい具合にテレビの裏手に入り込んでしまったが、後悔どころか安息を得た気持ちだった。

 妹の牢獄から仮出所した開放感から、少々テンション高めでリリックに話しかける。

「随分ハマってんな」

「そうね」

「魔界の技術ならゲーム機だってあるんだろ?」

「まあね」

「どんな感じ? グラとかすごいの? 操作性は?」

「さあね」

「やったことねーのかよ」

「きょーみなかったし」

 リリックの返答はほとんど上の空である。

 久住はリリックの真横に移動した。

「な、によ!? ……今集中し、てるんだか、らアアーッ!」

 プレイヤー『リリック』は、煮えたぎるマグマの中へ消えていった。

「何やってんだよ。ったく、お前のプレイは危なっかしいな。俺が指導してやろうか?」

「うっさーい! この、これ! 画面が見にくいのよ! かめらわーくが悪いせいよ!」

「そうやってハードやソフトのせいにするヤツは腰抜けだ。己の無能さを痛感するのが恐くて誤魔化そうとしてるだけ――ストップ! リリックストーップ!」

 リリックはワインドアップで振りかぶったコントローラをわななかせつつも、どうにか手元に戻した。

「ぬぐぐぐぐ……、フゥーッ、フゥーッ」

「よ、よし。どーどー。……偉いぞ。壊したが最後、冒険もメシもお預けだからな」

 再び、トボトボとテレビの中の『リリック』は歩き出す。

「ねえヨーイチ」

 振り向く久住。リリックは画面を見たまま言う。

「これ、一人しかできないの?」

 久住は驚いた。ゲーム中、攻略法以外のことを聞かれたのは初めてだった。

「んー、ものによるな。今やってるのは一人用。でも、対戦とか協力とか、何人かで遊べるヤツもあるぞ。……ほら、この格ゲーとかFPSとか――まぁ対戦系が主だな」

 久住はフリーマーケットのように、何種類かソフトを用意して畳に並べる。

 相変わらずコチラを見ないまま、ふぅん、とリリック。

「……じゃあ、その対戦ゲームをヨーイチとやりたいって言ったら?」

 難しい質問だった。これまでの居丈高で高飛車な態度から考えて、恐らく、いや確実に、リリックはとんでもなく負けず嫌いなヤツなのだ。勝つまでやらされるに決まってる。勝ち逃げしようものなら、しかしまわりこまれてしまった! つうこんのいちげき! が関の山だ。

 そりゃあ対戦自体は歓迎だが、何百戦と拘束されるのはさすがに……。でも断ればうるさいだろうし……。かといってわざと負けるなんてのは――

 いつしかリリックはゲームにポーズをかけ、久住をじっと見つめていた。

「何なのよその目は。ハッキリ言われた方が私も清々するわ。言いなさいよ」

 言いなさいよ! 黙ったままやり過ごそうとする久住を突き崩すように、リリックがもう一度鋭く言った。

「対戦は……、してもいい。けど、多分勝負にならないぞ? 面白くないと思うぞ?」

「なら、ヨーイチが手加減して、私を楽しませる努力をすればいいじゃない」

 そんな風に上から目線で挑戦的に言われては、久住もゲーマーとして腹を括るしかなかった。

「いいや。叩き潰す。全力で。何度でも。それが俺なりの思いやりと誠意だ」

 リリックがぷるぷると震えだした。久住は爆発の秒読みに入った。

「ヨーイチ…………………………、ちょっと見直した。ちょっとだけね」

 が、心配をよそにリリックは不発だった。

「……はい?」

「いや、意外に信念があるというか、大人げないけど男らしいっていうか……、うん」

「だから?」

「だから!? だから、って……だから、その……、お腹が空いたってことよ!!」

 なんだそれ、と久住が大笑いすると、リリックは久住の触覚を両手で引きちぎらんばかりに引っ張った。愛着はあるが、こんなことにばかり利用される個性なんて、この際文字通り切り捨ててしまった方がいい気がしてきた。

「つべこべ言うと張り倒すわよエロバカマキリ! 黙って夜食を作ればいいのよ!」

 興奮したリリックが、格ゲーのソフトそのもので格ゲーしようとしたその時だった。

 ――いつもいつもうるさーいッ! どこにいるんだーッ!?

 コタツ穴の方からだった。

 久住の顔が引きつる。リリックも口の中に含んだ悪口の残滓をゴクリとのみ込んだ。

 二人は決死の覚悟で振り返る――何もいない。

 ほっと脱力し、しかし念のためそろりそろりと覗きに行く久住とリリック。

 足の折れたちゃぶ台をずらし、ベニヤ板をどける。相変わらず気色悪い空間が蠢くワームホールからは、ガヤガヤと余韻のような話し声が聞こえている。

「干渉してくるなんて」

「初めてのケースだな」

 二人は頷き合う。魔界側をこれ以上放置するのは危険だ。第三者、というかYUSHAに察知される可能性も高まる。決断するなら、今だ。

「んじゃ、よろしく。ふぁーあ」

 ぽんぽん、リリックはあくびしながら久住の肩を叩くと、ごろりと横になった。

「え、ちょ!? なんで俺任せ!? スゲー凶暴なヤツがいたらどーすんだよ!」

「だって私、ワームホール通れないもの」リリックは勝ち誇ったように言った。「それに戦えなんて言ってない、テーサツよ。相手によっては話が通じるかもしれないしね」

 ま、いざとなったらヘルプするわよ。リリックは簡単に言う。上級悪魔は余裕が違う。

 悩みたいところだが、他に方法はない。考えるだけ無駄だった。

「……仕方ない、この家と俺たちの未来のためだ――いざとなったら助けてくれよ?」

 助けてくれよ!? 久住は慈悲を乞うように念を押す。リリックはぐっぱっ、と気楽に片手で返事をした。

 ぐいっと上半身を乗り出し、なんとなく深く息をため込む。

 いざ、冒険の世界へ――

 

 カビ臭いような湿っぽいにおいが、久住が最初に感じた魔界だった。

 不思議な気分だった。気持ち悪いといった方がいいかもしれない。上半身を突っ込んでいるはずなのに、頭に血が上る感じがない。身体の感覚は正常だが、首から下が遥か彼方にあるような、百頭身くらいになったような、そんな曖昧な感じだった。酔いそう……。

 久住の顔は、まるで生えたての植物のように、地べたと同じ高さにあった。なんだか頭が重い気がしてそのまま視線を上げていくと、大きくて平たい木の板が頭の上に乗っていた。さながらマンホールの下から顔を覗かせている気分だ。

 そこは、古臭い納屋のようだった。風化してボロボロの石壁には、使い込まれた桑や熊手、ピッチフォークなどの農耕具がまばらに掛かっている。頭が入るか入らないかの小さな窓が一つあるだけで、室内は薄暗い。地べたには干草が敷き詰められているものの、万年床の布団のようにぺらぺらで、とてもふかふかできそうにない。

 魔界に家電が普及していると聞いた時は、どんなハイテク社会だよと思ったが、やはり世界が違うということの大きさを久住はひしひし感じた。骨とか目玉でできた壁や床、常識と物理法則を無視した構造、そういうおどろおどろしい有様でさえないが、たとえるなら夜の海のような、静かな不気味さだった……。

 その時突然、フッと頭の重みが消えた。

 久住は消えた重みに釣られるように見上げた。

 頭に乗っていた板が宙に浮いていただけなら、まだ久住は幸せだった。

 何かが浮いた板と久住の顔との間に割り込んできた。

 小さな女の子だった。くりっくりの大きな瞳と、噴水のように頭のてっぺんでまとめた金色の髪。バスケットボールほどの三頭身の体にピッタリ合う、スズランの花に袖を付けたような可愛らしい青色のスモックをすっぽりかぶり、でっかいデジタル一眼カメラを引っさげている。どうもさっきからパタパタ音がするなと思っていたのだが、どうやらそれは彼女の背中でせわしく動いている虫みたいな羽の音らしい。

 顔からサッと血の気が引いて、遠くて近い自分の体に震えが走った。

 いつかフリップボードで見た魔者、悪戯妖精。

「失礼しました」

 久住は全力で頭を引っ込めた。

 

 飛び退くように魔界から戻ってきた久住は、四百メートル走を全力で遂げたように息を切らしていた。気持ちばかりの戸締りにベニヤ板をコタツの底に叩きつけ、振り返りざまに叫ぶ。

「りり、リリック! ぴく、ぴ、悪戯妖精だ! おいリリ――リリーーーーック!!!」

 最後の叫びは、もはや慟哭だった。

 なぜならリリックは、コントローラーを片手に、お嫁にいけなくなるぞと言いたくなるほど剥き出しの大開脚で、見事に寝落ちしていたのだった。

 久住は悪戯妖精の実力を知らない。知っているのはプレアが披露した――到底普通の人間が敵う相手ではない――という魔者の概念だけだ。キュートな見かけが嘘か真か、確かめる術は久住にはない。だから、腰が抜けてしまっても、情けないとか思わないでほしいのだ。

「何がいざとなったらヘルプだよ! 起きろリリック! このやろう!」

 ハイハイで畳を這いずってリリックの下へ。力任せに揺さぶると、リリックは一瞬だけ目を開けたが、とろけるような声を残して窮屈げに寝返った。

「んふぅ? ……ん、あとひゃっぷん」

「ぶっ殺す!!」

 久住は他人に見られたら誤解されそうな勢いでリリックに覆い被さった。ご主人様の危機(恐らく貞操的な意味で)だと砂時計の使い魔が現れ、飛び回って警告し始めたが、久住は狙い済ました肘鉄一発、使い魔を追い返してリリックに迫る。それだけ必死だった。

「いい加減にしろよ居候! 起きろ! 起きろ起きろ起きろ起きろ起ーきーろーっ!!」

 リリックは鼻の頭をぽりぽり掻いた。

「あの、本当に起きて、起きてくださいませ我が主! 我が主リリック様!」

 リリックはパンツの食い込みを直している。

「うおお火事だ! ドロボー! メシの準備ができた! このカルデラ! お前パンツ見えてんだぞ! 脱がすぞ! ……ほっ、本気だぞ!」

 スコールのように浴びせた緊急事態宣言もしかし、返ってきたのは無情の一言。

「うるさい。えっち」

 そしてゴロリと器用な寝返りで、唯一の拠り所は久住の腕を離れていった。

 久住は撃沈した。

 バキッ! と何かがかち割れる音に続き、ベキベキベキッ! と鈍い音が三連打。

 いよいよもって開き直り、どうにでもなれ、と久住は畳に大の字に寝転んでやった。

「もこもこしたかぼちゃパンツってさ、なんか和むよな……」

 久住はポツリとつぶやいた。辞世の句ではない。いくら追い詰められても、こんな変態的な一句を残すくらいならさっさと死んでしまいたいくらいだ。

 つぶやきは、目で見た光景そのままの、忌憚のない感想だった。

 天井に三つ、青色スモックが刺さっている。六つのあんよがバタバタともがいていた。久住はほぼ真下から覗き上げる格好なので、純白のもこもこがまる見えなのだ。

 ベキベキベキッってのは、天井に刺さった音だったわけかなるほど。……ん? ちょっと待てよ。て、天井に? 俺ん家の天井に? 刺さってるだと…………?

「……んーっ! んんんーっ! ……ぷはぁっ!」

 スポン、と刺さっていた一つがこぼれ落ちた。透明な羽をパタつかせて滞空したまま、気を取り直すように木屑と埃でお化粧した頭を振っている。首から提げた一眼カメラは忘れようがない。魔界の納屋で見た彼女だ。

 彼女はキョロキョロと辺りを見渡し、眼下に久住の姿を捉えると、むむっと大きな目を吊り上げた。

 が、その視線は交錯しない。久住の目は、天井に空いた黒い穴ぼこだけを見つめていた。

「ぴゃあああああぁぁ――――っ!」

 力の抜ける悲鳴を上げ、久住はグレートバリアリーフの澄んだ海よりも真っ青になった。

 そして、カチリと音を立て、例のスイッチがオンになる。

 スモックの妖精が未だ天井で呻き声を上げる仲間の救出に取りかかった隙に、久住はキッチンに向かった。冷蔵庫横のマグネットフックからハエ叩きを手に入れて戻ってきた頃には、天井には魔のトライアングルが完成していた。

「散々うるさくしておいて、挙句の果てに覗きだなんて、無事で済ますかホトトギス!」

「……そーだーそーだー」

「あの、かかか、覚悟、覚悟してくださいですので!」

 久住の姿を見るなり、三者三様のテンションで彼女達は言った。仲良くお揃いのスモックを着て、生意気にもその髪の色は金・銀・銅、と表彰台を総なめにしている。

「ほーふくをうけてもらうっ! よーい!」

 金髪がリーダーのようだ。どこからともなく体長と同じくらいあろうかというフォークを取り出すと、後ろの二人も同じものを同じように構えた。

「黒い三連妖精の力、思い知れー!」

 どの辺が「黒い」のかという危うさを抱えながら、三人組はキレイに一列縦隊で突っ込んできた。

「はい、いいよいいよー。角度いいよー。このまままっすぐいくよー!」

 しかし、ギューンという効果音は適切ではない。ユラユラ、が一番似合う。下手すればチョウチョにも抜かれかねないスピードで、ものすごく丁寧に狙いを定めている。

 いいのかこれ、やっちゃっていいのか? 久住は多少哀れみの感情を持ちながら、ハエ叩きを握った右手に力を溜めた。

「ようしもう少――しぎゃんっ!」

 後数十センチというところで、先頭のリーダーは踏み台に、もとい、叩き落された。

 久住は潰された蛙のようになったリーダーをつまみ上げた。

「おい」

「なっ……、もしかしてこのアタシとサシでやりたいって寸法かっ!?」

「俺の家は土足厳禁だ」

 久住は問答無用であんよから靴を剥ぎ取る。噴水ヘアーを作物のように掴まれて宙吊り状態のリーダーは、喚き立てながらジタバタとパンチにキック。徹底抗戦の構えであったが――

「俺はこのままお前達を庭に埋めて植物の肥料にしたり、煮えたぎった油に突っ込んで天ぷらにしたりすることになんの躊躇いもない。もちろんお仲間も一緒にだ」

 久住の脅しに、リーダーは雪山で遭難したかのように震えだした。抜き足差し足で逃げ出そうとしていた残り二人も久住が一発空咳を打つと、軍隊のように背筋を伸ばして振り返った。しっかり靴を脱いだ状態で。

 久住はリーダーを両手でガッチリ掴み直し、天井に空いた穴に向けて掲げた。

「何が見えるか言ってみろ」

「天井が見えるよ」

「三十点」

 リーダーは慌てて言い直した。

「アタシ達が穴を開けた――天井が見えるよ」

「それでいい。つまり俺は、お前達に責任を取ってもらいたいと、そう考えている」

 久住はリーダーをくるりと回転させると、至近距離で睨みつけ、言った。

「直せ。至急直せ。これはお願いじゃない。命令だ」

「……穴を塞げってこと?」

 久住が頷くと、リーダーは安堵したように息をついた。そして、自信たっぷりに鼻をフンフン言わせるのだった。

「それなら何も問題ないよ! 物を壊すも直すも朝飯前、それが悪戯妖精だもんね」

 久住がふと足元を見ると、残り二人がどこからともなく木槌やらノコギリやらを取り出して敬礼していた。

 フォークよりよっぽど効率的なんじゃないか、と久住は思ったが、それらを武器に徴用しない理由は聞かなかった。気付いていないならそれでいいし、何より平和が一番だ。


 妖精三人組は恐れるような凶悪な魔者ではなく、実に従順なヤツらであった。久住がハエ叩き片手に監督しているせいかもしれないが、三人は分担して、大人しく天井の補修に当たっている。ワームホールを行き来し、せっせと木材を運ぶ妖精が銅髪。それをノコギリやらカンナやらで板に加工するのが銀髪。残った金髪、リーダーがせっせと木槌で天井の穴を塞ぐ係だ。

 トンテンカンと手際よく板を打ちつけながら、リーダーが語り出した。

「アタシ達は、廃れた村の納屋に隠れ住んでたの。時々変な音とか声が聞こえたけど、タダで住めるからぜーたくは言わなかった。でもある日突然、妙に強い連中が殴り込んできてさ。アタシ達は命辛々逃げ出したんだよ――」

 久住はこれまでの三ヶ月間と、特別騒がしかったあの夜を思いだした。すべてはコイツらのヒストリーだったわけだ。

「きっとお父様に命ぜられた連中ね。私を運ぶワームホール周辺の安全確保だわ」

 工事に好奇心をそそられて起きたリリックが、窓の近くで銀髪のヤスリ掛けを手伝いながら言った。魔者であれば正体を隠す必要もないので、気兼ねなくお喋りしている。

 蛇足になるが、久住を見捨てて寝落ちした件は、痛み分けということで心の内にしまわせていただいた。流れとはいえ、かなり際どく四肢を弄り回してしまっていたので、なんというか、……意識してしまうのである。忘れた方がいい。

「――んで、ほとぼりが冷めた頃を見計らって戻ってきたんだけど、なんかちょくちょく騒がしくてさ。そんで今日、ついにヘンタイ覗き魔が発生して、お前が犯人かーってコテンパンにしようと追いかけたら……、天井に刺さってコテンパンにされました本当にゴメンナサイ」

 トゲのある言い方でリーダーは話していたが、久住がハエ叩きの素振りを始めると尻すぼみな悪口になってしまった。

「ねえ、なんで一人だけカメラ持ってるの?」

 余計なことを、と久住は思った。面倒くさそうなので触れずにいたのに、リーダーが釘の補充に下りてきた時、バカ正直にリリックが聞いてしまったのである。

 リーダーは待ってましたと言わんばかりに声のトーンを上げた。

「ふふふ、知りたい? しょーがない、アタシ達の正体を教えてあげよう――」

 リーダーはどう考えても体に不釣合いな一眼レフをどっしり構え、

「じゃーなりすと! だよ!」

 久住は足の爪が伸びているかチェックを始めて、一切の関わりを拒否したが、リリックは興味津々だった。おかげで手元が疎かになり、板を落として欠いてしまったので加工班の銀髪はカンカンだ。

「アタシがカメラ係で、こっちがレポーター。んでこっちが記録係」

 リーダーは、ぴょんぴょん引っ張りたい衝動に駆られる銀髪縦ロールの眠そうな顔の妖精と、ブロンズ色の髪を短い三つ編みにまとめた控えめな妖精を順番に指差した。木材搬入が終わってそわそわと居場所を求める気弱な銅髪が記録係というのは分かるが、口数少なく、シニカルな表情の銀髪が取材に適しているとは、久住には到底思えなかった。

「どう考えても饒舌なお前が取材だろ」

「アタシがリーダーなんだからやりたいことをやっていいの! カメラがいいの!」

 呆れ返る久住を尻目に、独裁リーダーはさらに調子に乗る。

「はいこれ、名刺だよ! うわ、アタシ、名刺渡すの初めてだ!」

 リーダーはスモックのポケットから一枚の紙切れを取り出した。名刺と聞いて嫌な記憶がよみがえる久住だったが、強引に押し付けられてしまった。

 マカスポ社 総合魔界通信部 窓際取材班 班長 海月

 切手サイズの名刺に書かれた微生物のような文字を、久住は辛くも解読した。

「大手新聞社じゃない! 社名の日刊魔界スポルティーバ、ウチもとってるわ」

「どう? すごいでしょ? お手製の名刺なんだよ。へへーん」

 感心した様子のリリックの解説とリーダーの自慢に、へ~と相槌を打ちながら、自分で窓際とか言ってんなら世話ねえよと久住は思った。

「おい、他二名の名刺は?」

「こっちの二人は名無しちゃんなんだって。だから名刺はないよ。たまたま出会って、意気投合して、そのままチームになったんだ。けど名前がないと色々不便だから、リーダーであるこのアタシが銀と銅って名付けといたけどね!」

 今度はふ~んと相槌を打ちながら、久住はもう一度名刺に目を落とし、

「リーダーがクラゲなんて名前じゃ、下につく二人はかわいそうだな」

 と自然な解釈をした。

「ち、違う! アタシはみずき、海に月と書いてみ・ず・き!」

「いいや、海に月と書いたらクラゲって法律で決まってんだよ」

「えっ!? ウソっ!?」

「それにお前にはクラゲって名前が似合う」

 そんな……、という顔で海月は地面に墜落した。

「あんなゼラチン質で、水流がない水槽だと泳ぎ疲れて死んじゃう生き物なんてヤダ!」

「随分詳しいな……」

「いいじゃない。クラちゃんて名前、可愛いわよ」

 リリックが真顔で横槍を入れた。海月は憮然とした。久住は大爆笑した。

「で、そしたらそっちの二人はなんて呼べばいいのかしら?」

「クラちゃんて……。ハッ! みんな騙されたらダメだよ! きっと変なあだ名を――」

「銀と銅のままでいいだろ。な?」

 久住の提案に、銀と銅は反論なく頷いた。むしろ大きく反論したのは海月の方だった。

「ふざけんなーっ! アタシだって、クラゲなら金でいいよ! っていうか金がいい!」

 しかし、リリックは銀のくるくる縦ロールを引っ張って遊び始めたし、久住も縮こまってどこかに隠れようとする銅を構っている。海月は絶望的なまでに蚊帳の外だった。

「……ふーんだ。クラゲは大人しく、宙を漂って仕事しますよーだ」

 海月はふてくされて天井に上っていった。

 それからしばらくの間、海月が仕事に従事する木槌の音が響き続け……、

「――それにしてもさあ」

 ついにすべての穴を塞ぎ終えた海月が、今しがた打ち付けたそれぞれの板に向けて不思議な呪文を唱えながら窓の外を見て言った。

「あの納屋の床下って、『空間跳躍(リプレイス)』の呪文が掛かってたんだね。ここなんていう地方? こんな景色、見たこともないよ」

 素朴な疑問にリリックは、何を今さらという身振りで答えた。

「人間界よ。ワームホールがどうこうって、私言ったじゃない」

 ドサッ。天井から木槌が降ってきた。

「……じょ、冗談だよね? だっておねーさん、マカスポのこと語ってたし……」

 リリックがコクリと頷く隣で、久住はうんざりしたように言った。

「たしかにリリックは魔者だけど、俺は現役バリバリの人間だ。深いワケと切れない縁があって、同じ釜の飯を食べてるんだなこれが」

 海月は掛けていた呪文もほっぽりだし、大急ぎで降下して何度も目をしばたかせた。みるみるうちに、大きな目をさらにさらに大きく見開いていく。

「ニンゲンって、そんなカマキリみたいな頭してるの? こいつは大スクープだ!」

 素早くシャッターを切り、アングルを変えて二枚目、というところで海月に天誅が下った。

「理不尽かもしれないが! お前に言われると! この邪気を抑えきれない!」

「ひぇええええぇぇぇぇーっ!」

 怒り狂う久住は、叩き落とした海月を蹴り上げ2Combo 、さらに追撃の空中コンボでダメージを加速――させようとした時、宙を舞う海月の背後の天井が目に留まった。

 久住は驚嘆した。補修の形跡がまったくない。そればかりか、古ぼけ感も含め、周りの天井と完璧に馴染んでさえいる。直した部分だけ色や木目が違わないか普通……。

「お、おいクラゲ一つ聞きたい。いつもいつもこんな完璧に直せるのか?」

 海月は空中ガードをガッチリ固めながら答えた。

「見た目だけならね。『誤魔化し(テクスチャー)』の呪文使ってるから……」

「じゃあ…………、これは直せるか? ……あ、もうコンボ入れないから」

 ぽてっ、と畳に落ちた後も防災訓練のように頭を抱えていた海月がゆっくり顔を上げる。久住が指差すナナメのちゃぶ台を見て、慎重に言葉を選びながら解答した。

「ちゃぶ台に足一本くっつける、ってこと? ……それくらい、簡単だけど……」

 久住は壁際まで走って特典のタペストリーを解放した。

「じゃあ……、これは?」

「壁の穴? 天井と同じように『誤魔化し』を使えば……。でも、見た目だけだよ? 実際はただの板っぺらのままだから」

「見た目よければすべてよし! 玄関の扉もいけるか?」

「同じようにできるよ。強度が必要だから、ちょっと厚い板を用意すれば」

 俄然久住は興奮した。

「じゃあ! ダメ元で聞くけど、……こういうのは? あとアレも。……さすがにムリか?」

 押入れの中で廃品回収を待つ身だった炊飯ジャー達、脚光を浴びることなく散った新品のレンジ。久住はそれらを出店のようにずらりと並べる。蛍光灯を指し示すのも忘れていない。

「……人間界の家電はいじったコトがないから、なんとも言えない」

「も、もっと壊れちゃうかもしれませんですので……」

 久住の逆鱗状態が去ったのを見計らって、銀と銅も話に入ってきた。海月も含め、三人は一様に自信なさげな顔だったが、久住は彼女達にすべて委ねることにやぶさかではなかった。

「どうせこのままじゃ廃棄処分なんだ。失敗を恐れずチャレンジしてくれ!」

「……ま、まぁ、そこまで言うなら、やるだけやるけど……」

 久住の心は成層圏まで舞い上がった。全部! タダで! 直せるぞ!

「あそうだ! その前にバリケードでも立て看板でも、これ以上向こうのワームホールに他の魔者が近づかないようにしなきゃな。壁とか家電はまぁその後でいいとして――」

 ツンツン……。ボソボソボソ……。

「――分かった、分かったって……! おにーさん、あ、あのぉ、そのぉ……」

 銀に小突かれ、銅にせがまれ、中間管理職の苦悩を吐き出すように海月がつぶやいた。

「アタシ達、一応マカスポの社員なんで、あんまりこき使われ続けるのはちょっと……」

 しかし、度重なる体罰のトラウマからか、振り絞った勇気も長くは続かず、海月は歯をガチガチ言わせ始めた。まるで儀式の生け贄に選ばれた村娘だ。そんな海月をいじるのも楽しそうだったが、今は優しく接する時だ。そういう時期も必要だ。

「要は仕事っていう名目が欲しいんだろ? なら人間界密着取材、ってのはどうだ? お前らの反応からすると、人間界の情報にはそこそこ価値があるんじゃないか?」

 海月達はしばしヒソヒソと緊急会議を開いていたが、やがて三人揃って頭を下げた。

「おにーさんがいいなら、フツツカものですが」

「OK、商談成立だ! ……えーっと、久住家居候の誓文はどこやったかな……」

 こうして、久住家に新たな居候が加わることになった――のだがここで、

「ちょっとちょっとちょっとちょっと――――――っ! バカぁ――――っ!」

 しばらく会話に入れずにいた人物が反乱を起こした。リリックである。

「ここに住め? 何言ってんのよ! ヨーイチ家の財政は切迫してるんでしょ!? 食費はどうするのよ食費は! 三人も増えるなんてそんなのムリよ! ムリムリムリムリ絶対ムリ!」

「大丈夫だよおねーさん。アタシ達こんな体だし、三人で普通の一人前くらいだから」

 海月は言った。銀と銅も頷いて援護する。しかし、こと食事が関わったリリックは手厳しかった。考える素振りも見せずに首をブンブン振った。

「この家は底抜けに貧乏なのよ! 人間界の荒波なめんなってことよ! どんなに小食だろうが、私達の食費に入り込む余地はないわ! ほらヨーイチ、唱和するのよ」

 銃口を向けるようにリリックに指差された久住は、何言ってんだ? という顔で首を傾げ、指を差し返した。

「そんなもん、一人で常に二人前食う役立たずが少し我慢すればいいだけだろ?」

 ドスン。

「オヤスミ」

 痛恨のリバーブローを貰った久住は、「なんか最近倒れてばっかだな」という悲壮的な思想に飲み込まれながら、往年のプロレスラーのように畳に沈んだ。


 リリックの虫の居所は最悪だった。毎度毎度「一日三食二人前」を唱え続け、この頃ようやく久住の感覚が麻痺して定着してきたというのに、ひょっこり現れた新人のせいで、今までの苦労が水の泡なのだ。そればかりか、一時の感情に任せて家主に手を上げてしまったので、一人前どころか一食丸々の損失である。あんまりだ、とリリックは思った。

 なのでリリックは、仲直りしようと近づいてきた三人の(というか海月の)頬をぐいぐい引っ張ったし、仕事に取り掛かろうとする三人に(というか海月に)木片を投げつけたりした。

 唯一の領土、居間の隅の布団で膝を抱えていじけていると、しばらくして、魔界側の工事を終えた三人組がワームホールから這い出てきた。

「……細工は上々。全部拾い物だからコストもゼロ」

「ほんとほんと! 『きーぷあうと』って書かれたテープでしょ、『立入禁止』って書かれた看板でしょ、あと、白地に赤でマルとバッテンが書かれた標識も立てといたしね!」

「さすがリーダーですので! あれだけ立てれば誰も近づけませんので!」

 気味悪がってね、とリリックは心の中で付け加えた。

 なおもイライラと妖精達の行動を目で追うリリックだったが、監視を継続しているうちに、苛立ちとはまた別の感情が生まれてきた。

「……へぇ~。うまいもんねぇ」

 十字に組んだ骨組みを穴の中に埋め、寸分違わぬ形に切り出した板を廊下と居間の両面からはめる。銀が、胴が、流れるように木槌を振るい、仕上げに海月が呪文を唱え、壁と板とを溶け合わせるように同化させていく。いつしかリリックは、彼女達の仕事に見とれていた。悪戯妖精は器用だという話はよく聞いたが、ここまでテクいとは恐れ入る。

 あっという間に壁の穴は塞がり、リリックは思わず拍手を送った。

「えへ、エヘヘヘ。どうも。おねーさん、どうも」

 リリックはハッとして、勝手に拍手していた腕を無理やりに組んでそっぽを向いた。

「べ、別に褒めてるわけでも、感心してるわけでもないわよ! ……でも、そうね、どーしてもって言うなら、魔者同士だし……、特別に仲良くしてあげてもいいけど……?」

 すると、三人はあっさりリリックに懐いて抱きついた。さすが私のカリスマ性ね! と自惚れるリリックもリリックだが、「初めてお友達ができた!」と涙ぐむ妖精達も妖精達である。世間知らずというか、気の毒な連中だった。

 さて、ちゃぶ台の足もなんなくくっつけ、玄関もバッチリ修繕し、海月達はいよいよ本命の家電に取り掛かる。が、スモックの中から取り出した拡大鏡で各々しばらく観察すると、三人は落胆したように大きくため息を吐いた。

「どうしたの? 直せないの?」

 海月は諦めたように首を振った。

「部品が足りないからね……。買ってくればなんとかなるかもだけど、お金ないし……」

 リリックは閃いた。得意げに砂時計の使い魔を呼び出して、ローゼンタールの家紋入りの便箋を催促する。それに名前と血判を記し、三人に見せつけた。

「これなら魔界のどこのお店にも通用するわ。額は気にせず、バシバシツケちゃって」

 便箋を覗き上げた海月達は、コウモリの透かしに「あーっ!」と目を輝かせた。

「お、おねーさん、上級悪魔だったの!? すげーっ! と、撮ってもいい!?」

「……本物? 本物のローゼンタール? ……あ、本物の感触」

「す、すごいですので! ……でも、なんで上級悪魔さんがこんな人間界に?」

 なんか今さらな気もするが、ワイワイ言われるのは悪い気はしなかった。

 海月が狂喜乱舞して写真を撮りまくり、銀と銅が記念にしようとペタペタ足を触る中、リリックはこれまでの経緯と、ローゼンタールのしきたりを話して聞かせた――

「――ふ~ん。知らなかった。名家は名家でタイヘンなんだね」

「そうそう。いきなりこんな庶民の家に飛ばされて、聞くも語るも涙の苦労譚よ」

 疲れたようにこめかみを押さえるリリック。海月はうんうん、と理解の相槌を打ちながらも、その目はリリックが持つ小切手ばかり追っていた。

「分かるよおねーさん分かる! んじゃあそろそろ、へへへ、例のモノをば――」

 海月はリリックの顔の高さに飛び上がり、両手をこすり合わせてブツを催促する。

 だがリリックは、サッと小切手を背中に隠し、「ただし!」と一言突きつけた。

「食料をもろもろ買ってくることが条件よ!」

「し、食料?」海月は当惑している。「食料って、お肉とかお魚とか?」

 リリックは答えないまま海月達をキッチンに誘導した。そして冷蔵庫を開け放った。

「見渡す限りジュースとジャムだけの不毛地帯よ。ヨーイチの料理スキルはゼロなの。食材なんて宝の持ち腐れよ。まだレンジもないし、カップラーメンなんかが妥当ね」

「ローゼンタールのご令嬢とは思えないたくましさ……」

「うっさいわね! 食べてみたら結構イケるし、気に入ったのよ!」

 ともかく、海月に小切手を託し、取引は成立した。海月は近年稀に見る壮大なショッピングに有頂天になり、銅と手を取って可愛く踊り出した。

 と、くいくいとワンピースの裾が引かれた。銀の眠そうな顔がこちらを見上げていた。

「……おねーさん、ずっとここに住むの?」

 冗談ではなかった。

「誰がよ! しきたりじゃなきゃ、こんなカマキリの巣なんて金輪際お断りよ!」

 ついさっき砂時計を呼び出した時、既に半分近い砂が落ちていたのをリリックは見ていた。この暮らしも折り返し地点まできたかと思うと、自然と笑みがこぼれる。

 ――一人で常に二人前食う役立たずが少し我慢すればいいだけだろ?

 フラッシュバックした久住の顔に、リリックはカウンターを放った気分になった。砂さえ落ちきれば、こんな貧乏庶民の家なんて知ったことか。さっさとおさらばして、荘厳華麗な生活に戻ってやるのだ。フン!

 ……しかし、気付けばリリックの笑みは消えていた。

 魔界に帰れると思うと、もちろん嬉しい。だが、この家から出て行くと思うと、なんだかもやもやした気持ちになる。妙に息苦しい。互いに互いを利用するだけの関係なのに……。

 ふとリリックは、久住の一言が忘れられない自分に気が付いた。『おかえり』という、たった一言が、喉に刺さった魚の小骨のようにずっと胸につかえている。これまで「おかえり」と言われたことは数え切れないほどあるのに。なんで、なんで久住の「おかえり」を思い出すと、こうも胸がドキドキするのだろう? 体中が熱くなるのだろう? ……分からない。

「…………ーさん? おねーさん?」

 リリックは心配そうに見上げる銀の声で我に返った。

「な、なんでもないわよ」

 ぽりぽりと頬を掻きながら、リリックはあることを思いついた。

「もう一つ頼みっていうか、相談っていうか、お願いがあるんだけど――」

 

 正午を過ぎ、うだるような暑さで久住は起きた。というより、気が付いた。今は遅めの昼食にカップラーメンを振舞って、ダイニングの椅子からぼーっと居間を眺めている。

 妖精三人組は家電のスクラップと何かの図面を囲んで、あーだこーだと話し合っている。リリックはそれを茶化して遊んでいる。居候の先輩は一食抜きなので、妖精の分のカップラーメンを四人で仲良く回し食べなんかしながらだ。久住を殴り倒すほど妖精の参入を拒んでいたというのに、どうして意気投合できたのだろう? 久住にすれば完全に謎である。

 それはさておき、久住は海月達をスカウトしてよかったとしみじみ思った。ちゃぶ台は元通り、壁の穴も完璧、玄関もちゃんと閉まる。悪戯妖精のそれは玄人はだしの技術だった。おまけに家電も直せるかも、というのだからたまらない。ジャーナリストより、こっちの道に進んだ方がいい将来を送れると思う。

「それに比べて……」

 はぁ、とため息。リリックのなんと使えないことか。

 そりゃあ、戦闘になれば頼りになるが、そもそもリリックがやって来なければYUSYAなんかと相見えることはなかったのだ。取られた分を取り返しているだけ。強いてあげるとすれば、容姿端麗かつ露出もなかなかという点だが、これも傲慢でツンケンした性格でプラマイゼロ。……もう少し、胸囲的な意味でボリュームがあればどうだったか分からないが――

「っぐわああぁぁぁぁ――――――っ!!」

 いつの間にかリリックがお向かいに平然と座っていて、久住は危うく椅子ごとひっくり返るところだった。

「なんで悲鳴上げんのよ失礼ね」

「お、音もなく目の前にいるやつがあるか!」

「何よそれ。普通に歩いてきたつもりだったけど?」

 リリックの進化した姿を妄想していたから気付かなかったと白状できるはずもなく、久住は強引に話をすげ替えた。

「ま、まぁひとまずこれは置いといて……。あれ? クラゲ達は?」

 見れば、居間はもぬけの殻。わいわいという騒ぎが嘘のようだった。

「また魔界に行ったわよ。思ったより部品が必要だったみたい」

 それなら、よい。リリックが家電をデストロイした時のように、理由もなく姿が見えない方が怖いのだ。魔界の連中は。

「んで、……ちょっとヨーイチ、いい、待ってね、……待つのよ!」

 リリックは勿体つけるような動作で、おもむろに「じゃーん」とか言って紙袋をテーブルに乗せた。

 いつの間に? どこで手に入れた? そんな一般的な反応にプラスして、絶対ロクでもないモノだ――ほとんど条件反射でそう思う久住の目の前に次々と取り出されたモノは、

「……カップ、ラーメン?」

 リリックは得々としていた。

「しょうゆラーメンばっかだけどいいわよね。あ、メーカーはバラバラだから、食べ比べも面白いわね」

 まがまがしい蓋のプリント。ホラー映画のような血しぶき紛いの字体。当たり前だが、どれも見たことのない商品だ。

「もしかして、魔界の!?」

「そう、魔界の。クラちゃん達に買い物を頼んだの」

 毒とか入ってんじゃないかと、久住は一つ手にとってみた。こだわりのベースが鶏ガラならぬ空中骸骨スカイドクロガラなのがウリだそうだ。カラスの羽が生えたリアルなドクロが「おいしいヨ!」、って食欲なくすわ!

「……食べる食べないは別として、なぜこれらを?」

「なんで別にすんのよ! せっかく私がヨーイチの負担を少しでも減ら――」

「ん?」

「――か、カップラーメンの魅力に遅れ馳せながら気付いて、地元の味が食べてみたくなっただけよ! 文句あんの!?」

 リリックは威勢に任せてテーブルを殴った。積み重ねていたラーメンがボトボト倒れてテーブルから落ちた。リリックは感情が小さじ一杯なので、すぐ癇癪を起こす。何をムキになっているのだろう。

「文句ないです。食料の支給は素直に喜ばしいです。サンキューな」

 落ちたラーメンを拾い、素直にお礼も言って久住は切り上げようと思ったが、

「――あっ、ま、待ちなさいよ! まだ話は終わってないわ」

 いつになく粘り腰のリリックが、紙袋の一番奥から何かを取り出した。

 丁寧に包装された箱だった。一枚のメモが張りつけてある。今度は震えるような手書きの字で、「よーいちへ」と書かれていた。

 リリックが箱を差し出したので、久住はキツネにつままれたような顔をした。

「これは……、何? 時限爆弾?」

「そんなわけないでしょ! これは……、あれよ。こ、個人的、ぷ、ぷれぜんと? よ」

 自分に確認を取るように言いながら、リリックは顔を赤くする。

 よくも悪くも、ドキリとした。

「な、なんでまた俺に?」

「だって、前言ってたじゃない。反省するならお詫びを、って。……ただそんだけ!」

「そんなこと言ったっけ?」

 リリックはまたテーブルをぶん殴り、久住の首を絞めそうな勢いで身を乗り出した。

「言ったわよ! 私がキカイを壊しちゃった時! 私、ちゃんと覚えてるんだから!」

 言ったような、言わなかったような……。よく覚えてるなしかし。

「ほ、ほら! 少しは嬉しそうにしたらどうなの!」

 久住はついさっき、リリックを使えないヤツと評価したのを思い出し、くすぐったい心持ちになった。もしかして便利屋の海月達が現れて焦っているのだろうか? 対抗心ってヤツだろうか? だったら……、ちょっと可愛いとか思っちゃう。

「さっさと受け取りなさいよ!」

 ん! とリリックが箱を突きつける。お、おう、と久住はぎこちなく受け取る。

「開けても、いいのか?」

「もう私のじゃないもの。勝手にすれば」

 柄にもなく緊張した手つきで包装を解き、箱を掲げた。

 赤い箱だった。表紙のこれは、ナッツだろうか? で、そのナッツが断面図になっていて、周りを黒い装甲が覆っている。ちなみにその断面図には、「おいしさのひみつ」とかいうコラムが突き刺さっている。

 箱の表紙と、手に伝わる熱。久住はそこはかとなく動悸を覚えた。

「一応、リリックの口から直接聞きたいと思う。これ、中身はなんだ?」

 それは確認というより、願いだった。こんな真夏に、こんな熱を持った箱に、それが入っているはずがないという願いだった。

「チョコレートよ」

 星に願いは、届かなかった。

「女の子からのプレゼントの定番なんでしょ? クラちゃんに聞いたの」

 リリック様、それ、特別な日に限った話です――あのクソ妖精覚えてろ。 

 おそるおそる箱を開けた。やらかした闇鍋状態だった。面白半分で作ったチョコレートの濃厚なスープ、その波間に見え隠れする哀れなナッツ達。

 久住は苦笑いを浮かべ、そっと箱を置いた。

 それを見て、リリックがヒステリックを起こした。

「な、何よ! 私のぷれぜんとが食べられないっていうの!?」

「食べるも何も、とっくに溶融しちゃってんじゃねえか!」

「だったら飲め! 飲め飲め、飲み干せー!」

「バカ無理無理! こんなの一気にいったらヤバい! 鼻血出る! 絶対出る!」

 リリックはチョコスープの箱を掴むと、テーブルを回り込んで久住をねじ伏せにかかった。もちろん久住も必死に防戦。長方形の箱は押しつ押されつ、大シケの海を前に今にも転覆しそうな漁船のような軌跡を描く。

 やがて二人は、バランスを崩してチョコまみれになる未来の一端を垣間見た。力ずくで押し込むのはやめ、相手に負けない最小限の力で拮抗を演じ始める。甘ったるい方舟は推進力を失い、対立する力によって空中でピタリと止まる。

「……なんだよ。離せよ」

「……イヤよ。アンタが離しなさいよ」

 譲らず、譲れず。永久に続くかと思えた均衡はしかし、唐突に終わりを告げた。

 玄関のインターホンが、高らかに来客を知らせたのである。

 

 リリックと和解してチョコレートを冷凍庫に封印し、山のような魔界産カップラーメンを戸棚に押し込み、リリックに居間の隅っこで息も殺すよう命令し、ガラス戸を閉める。誰が来ようとまず盤石の構えだ。

 玄関までやってきた久住は二度目のチャイムに促がされ、渋々扉に手を掛けた。

「こんにちはっ」

 顔が引きつった。最悪の来客である。玄関先で待っていたのは、夏の風に栗色の髪をふわりとなびかせた、YUSYAの賢者なのだった。

「や、やあ、賢者さん」

 チッチッチッ。賢者はハードボイルドに指を振った。

「今日は水上研耶、けにゃとして来ています。ほら、修道服じゃありません」

 たしかに研耶は薄いピンクのキャミソールの上に半そでのブラウスを羽織り、プリーツミニスカートというフェミニンな夏服だった。薄着のおかげでボリュームのある胸元と真っ白い太ももが120%強調されている。久住もさすがに目を逸らす。

「この前は、ゴメンなさいでした。私、気が動転して、勘違いしちゃって……。えへ、久住くんが魔者なわけないですよね! 久住くんは久住くんですよね!」

 研耶は両手を合わせ、ちょっぴり舌を見せ、可愛らしい「ゴメンネ」を見せる。研耶のことは苦手だが、こういう仕草はちょっとよかった。

「いや、気にしてないし、別にいいけど……。今日はわざわざ懺悔しにここまで?」

「はいそうです。そうなんですが――」

 研耶はキョロキョロと何かを探す動きをした。

「実は、あのゴタゴタの時に大切な本を落としてしまったんです。『ふざけるな!』とか言ったら電撃が出そうな分厚い本です。さっき自分でも辺り一帯を探してみたんですけど、見つからなくて……。何か知りませんか?」

 あんな怪しい本のことは忘れようがない。

「それなら多分、庭に落ちてたヤツだ」

 研耶は照りつける太陽に負けないくらいの笑顔を咲かせた。

「わあ! きっとそれです! 今どこにありますか?」

「ほっとくわけにもいかなくて、居間のカラーボックスに突っ込んであるんだけど」

「よければ返してもらえませんか?」

「そうしてもらえると助かる。大きくて邪魔くさいから」

「わーい。それじゃ、お邪魔しまーす」

 研耶が靴を脱ぎ、脇を通り抜けたところで、久住はハメられたことに気が付いた。

 時既に研耶は最終防衛ラインをやすやす突破して、廊下をずんずん進んでいた。

「たああああぁぁぁぁぁぁ――――いむ!」

 久住は砲火のような雄叫びを上げた。何事か、と硬直した研耶を一陣の風のように抜き去り、居間への扉を体全体でガッチリガードした。

「あー、ごめん、いいい、居間はちょっと……、そう、今バルサンタイムだから!」

 テンパっていた割に、中々冴えた言い訳だった。

 おかげさまで研耶は、久住を一瞥しただけで何も言わなかった。じゃあ奥ですか? とにこやかに廊下を進んで行く。なんとかやり過ごした。

 ダイニングに通すと、研耶は水回りや食器棚に目を光らせ、感心した様子だった。

「ほぇー。意外とすっきり片付いてますね。これなら隣にバカでかいマンションが建っても、洗面所やシンクのカビ戦争を任せられますね。あ、もしかしてインコ飼ってます?」

「うん、まぁ、よく分かんなけど飼ってないから……。麦茶でも飲む?」

 いただきますー、と研耶。久住は冷蔵庫から麦茶のボトルを、棚からコップを二つ出す。

「あれ? 黒い服の女の子の分はいいんですか?」

 ガッシャン! 手元が狂って、久住は麦茶を注いでいたコップを落とした。

 研耶もYUSYAの一員だ。リリックの情報を共有している可能性はある。だが、なぜ? なぜ服の色まで知っているんだ? いつも同じ服だなんて分からないはずだ……。

「あ? あぁ、あの親戚の女の子のこと? アイツは出掛けてるんだよ」

 こぼれた麦茶とコップの破片を布巾で片しながら、ありきたりな嘘で誤魔化す久住。だが研耶は、久住の作り笑いごと核心に斬りかかってきた。

「さっきお庭で本を探してた時、居間の網戸から見えたんですよ。ちょうどこの辺で女の子とじゃれ合う姿が。楽しそうな姿が。あれはドッペルゲンガーだったんですかね? ね?」

 加速気味だった呼吸が、気道を閉ざされたかのようにピタッと止まった。

 み、見られてた!? あのチョコレート戦争を!? 久住はパニクった。恥ずかしさ、気まずさ、なに人ん家覗き見してんだという憤り、それらが頭の中でごちゃごちゃにミキサーされ、いい具合に混沌と化す。これは幼少の頃、友達に内緒で女の子達とおままごとに興じていたところを目撃された時と同じ心情だと思ったが、そんなことは今はどうでもいい。

「いますよね? いるんでしょう?」

 研耶は微笑んでいるが、その気配は脅迫に近かった。これが狙いだったのか……!

 久住は観念した。ガラス戸を僅かに開け、顔だけ居間に入れてリリックを呼ぶ。リリックは不思議そうにしながらも久住の手招きに応じて、リボンが緩んでないかを確認しながらやってきた。

「えーっと、もう知ってるかもしれないんだけど、こいつが親戚の――」

「リリックよ。よろしく。趣味は食事と睡眠とゲー……む」

 リリックは努めて友好的に振舞おうとしていたのだが、ふと決定的な何かに気付いたように研耶と自分とを数回見比べると、明らかに嫌悪感丸出しになった。

「……私は研耶。水上研耶です」

 手を差し出しはしたが、研耶の機嫌は言わずもがなだ。

「ケンヤ? ふぅん、あっそ、よろしく。なんか男みたいな名前よね。羨ましいわ」

「そちらこそ、ラッパーみたいなお名前ですね。……ヒップもホップもなさそうですが」

 二人は血管が浮き出るほど堅く握手を交わした。

 ……初対面なのになぜに? この二人、分からん。女の子って分からん。

 冷戦を見守る諸外国になったような気分の久住は、ひとまず二人をなだめすかしてテーブルに促し、麦茶を振舞った。それぞれの喉を麦茶が通る音だけがダイニングを支配する。

 コップの中身を半分まで減らした時、研耶が切り出した。

「それで、私の本はどこにあるんでしょうか?」

 久住は何時間も沈黙の檻に入れられている感覚だったので、自由の尊さが身にしみた。

「居間のカラーボックスだよ。今取ってくるか、ら……?」

 あたかも途中から久住の声が聞こえなくなったかのように、研耶はすっくと席を立ち、何食わぬ顔で居間の方へ歩き出した。

 久住は椅子を倒して飛び上がり、研耶の行く手に立ち塞がる。

「だ、ダメだって! ここは今バルサンタイムで――」

 しまったと久住は思ったが、気付くのが遅すぎた。

 そしてその綻びを見逃すほど、研耶は甘くはない。

「さっきリリックさん、居間から出てきましたよね?」

 待ったなしの突き詰めに久住は口ごもる。まずい。バレる。まずいまずいまずい――

 そして次の瞬間、

「ふ・き・ん・し・ん・です――――――――――――――――――――――――ッ!」

 研耶は、キレた。突然、キレた。

「真っ昼間から? 思春期真っ盛りの少年少女が? これみよがしに取っ組み合い? さきほどはおたのしみでしたね? なっハハハハ――ファァアアアアーーーーック!」

 ……いや、これはキレたというより、壊れてしまったという方が正しいか。

「いよっ、不謹慎の鑑! 久住・不謹慎()・陽一! 日本一!」

 久住はどうやら、魔者だなんだと疑われるのと同じくらいタチの悪い疑いをかけられてしまったらしい。

「ち、違うっ! 大幅な誤解だ! 不謹慎なことなんて何もない!」

「何が違うと言うんですか白々しい。個人的には愛さえあればと思いますが、これでリリックさんと三親等以内だったら、社会的には抹殺されますよ?」

「なにそれこわい! っていうか俺の話を聞けよ! 俺とリリックは――」

「ええ分かってますともちゃんと! 準備万端なんでしょう! そりゃ誰にも見せられませんよね! 照り焼きになりそうな太陽の下! 私が汗だくで相棒の捜索に励まなければ! お二人はこれから勤しむ気120%だったんですよ! 居間には布団も敷いてありましたしね、ええハッキリと言ってやりますとも、セッ――」

 その時だった。カラコォォン! と太い鉄パイプが倒れたような音と共に、「ほわああぁぁぁぁー!」という甲高い悲鳴が聞こえてきたのは。

「……な、なんですか? 今の音」

 研耶が警戒するように中腰になる一方、久住はさりげなく後退し、隠すようにピタッとガラス戸に張り付いた。暑さとは一味違う汗でびっしょりになる。研耶の暴走が終点間際で止まったことが唯一幸運だった、とでも思わなければやってられない。

 アイツら。特にクラゲ。絶対に許さない。絶対にだ。

「居間の方から聞こえませんでした?」

「えーっと……、雨樋に使ってたパイプでも外れたんだよきっと」

「人の声もしませんでした?」

「まっさかー。気のせい気のせい。なぁ、リリック? 聞こえなかったよな?」

 母親に勝手に部屋を掃除された男子中学生みたいな仏頂面で、ず――――――っと研耶を睨んでいたリリックは、眉一つ動かさずただ一言。「そうね」

「たしかに聞こえた気がしたんですけど……」、と研耶が俯き加減で訝っている隙に、久住は必死にリリックに口パクした。

 ――ちょっと行ってこい! 自称ジャーナリスト共を懲らしめてこい!

 しかしリリックは相変わらずの面構えで口パク。

 ――ヨーイチが行け。

 そんなわけにはいかない。今のリリックと研耶を二人残すなんて、混ぜるな危険の洗剤を三つも四つも投入し、おらおらおらーと掻き混ぜるのと同じくらい危ない気がする。

 しかし、考えてみればなんのことはない。リリックはワームホールを通れないのだった。となると残りの選択肢は、久住が行くか、行かないかしかない。ちくしょうまたかよ。

「……ちょっと俺、けにゃさんの本取ってくるついでに、雨樋の様子見てくるから」

「でしたら私も――」

「はいはい、お客様は私とお人形遊びでもしましょうね」

 研耶はほいほいとついて行こうとしたが、颯爽と邪魔に入ったリリックにブラウスを引きずられていった。二人の間に、火花が散ったように見えた。

「じゃあ行ってくるけど……、二人とも、穏便に……、な?」

 久住は後ろ髪を引かれまくる思いで、一人ガラス戸の向こうに消えた。

 ……魔界に行き、「買い物袋がバリケードに引っ掛かった」と釈明する海月を小屋の柱に磔にし、人間界に帰り、本を抱え、ダイニングに戻ってくるまでの約三分間、どんなやり取りが行われていたかは久住は知らない。が、久住が戻るなり本をひったくり、「この微乳特戦隊! この小胸無(シャオパイノン)!」、と残した研耶の意味不明な捨てゼリフと、それをあっかんべーで見送るリリックの小言ならぬ大言を前に、久住は覚悟していた最悪の展開よりさらに一つ上の領域の最悪が訪れたことを思い知るのだった。

「ヨーイチ聞いてよ! 私、私――もうブチ切れそうよ!!」

「ブチ切れてんじゃん」

「背の割にちょっとおっぱいがあるからってあの女、思った通りの腐れビッチだわ! ああいうヤツは絶対足湯とか好きなのよ!」

「どんだけ度の強い色眼鏡だよ! 何があったのか、イヤな予感しかしないんだが……」

「とにかく聞いて! あのね、ヨーイチが行ってすぐ、『お二人は深い関係なんですか?』だの『久住くんはいつも何をして過ごしてるんですか?』だの『久住くんの今日のパンツは?』だの、根掘り葉掘り私達の秘密を聞き出そうとしてきたのよ」

「私達のっていうか、主に俺の秘密だけどな」

「そういうのをずっと無視したら、『私の方がよく久住くんを知ってるみたいですね』とか言ってきたのよ。そのケンカ、買ってやったわ」

「なんでだよ! お前がムキになる要素ねーだろが!」

「そんなことない! だって、だってヨーイチの趣味とか、好きな食べ物とか、最近ハマってるゲームとか、好き勝手にペラペラ喋りだして! だからなんだってのよ! 私だってヨーイチのこといっぱい知ってるのに! なのに、なんか、なんかそういうの、よくわかんないけどムカつくのよ!!」

「リリック、お前……」

「だから言ってやったわ。『ヨーイチは私のためにわざわざカップラーメンを作ってくれるんだからね!』って! いい気味だからカップラーメンの山を出してやったらあの女、よっぽど悔しかったのか、青い顔して空中髑髏ガララーメン一個盗んで行きやがったのよ――って、ねえちょっと、ヨーイチ聞いてるの!? ヨー……、ヨーイチが倒れたあっ!」


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