終末のダンジョン・第三話『答えなんて存在しない』
本の化石という言葉が適当であろうか。
終末の迷宮の21階層。知恵と謎かけの迷宮は、唯一無二の姿をしている。
迷宮と言う名前に反し、そこにあるのは両壁のみ、横道もなければ竪穴もない。ただの一本道である。
左右に並ぶ巨大な両壁は、高さ30Mにも達する四角い形の石柱の集合体である。いや、石柱ではない。その全てが石となった本であった。
化石となってしまった本は、もはや手に取ることも、知識を誰かに与えることもない。背表紙に僅かに判別できる表題が、それが何であったのかを控えめに主張していた。
知の女神であった巨人メーティス。知恵と謎かけの階層は、彼女の書庫であったと言われている。
「やはり魔物はいませんね。この階層だけ、魔物よけの結界が張られているようです」
「伝承通りね。通り過ぎるだけなら簡単な階層よ。まっすぐに20キロほど歩けば次層への階段があるはずだわ。でも、ちょっと付き合ってもらっていいかしら、勇者?」
「ああ、賢者の石だったな。貴方の戦力アップはこちらとしても望む所だ」
魔法使いが探す賢者の石。巨人の女神が人間に残したと言われる知識の結晶。賢者の石に記された言葉を読んだ者は、伝説の職業である賢者に転職することができるようになると言われている。
賢者とは、新教の奇跡と旧教の魔術、二種類の相反するの魔法を扱うことができる職業である。要するに、僧侶の魔法と、魔法使いの魔法を同時に扱えるようになるということだ。
「しかし、僧侶は本当にいいのか? 賢者になれるチャンスなのに」
「ごめんなさい。教会では賢者の存在を認めていないのです。迷宮攻略の為には、私も賢者の石の力で転職した方が良いのでしょうが…」
僧侶の所属する聖教会では、古き神々の存在を認めてはいない。それ故に、賢者の存在も認められない。もしも僧侶が賢者に転職したならば、教会を破門されてしまう事だろう。
「教会のしがらみって面倒くさいわよねえ。…ほら、みんな、ここよ」
魔法使いが足を止める。彼女が見上げる先にあるのは、一冊の本の化石。一見では、周りの風景と何ら変わらない。
「ライオンの体に鷲の翼、そして女の体。知恵の番人スフィンクスよ」
魔法使いが指し示す背表紙には、確かにスフィンクスの姿が描かれていた。
「知恵の番人スフィンクスが守るもの、つまりこの本の反対側にある物が…」
魔法使いはスフィンクスの背表紙の本に背を向ける。対面にあるものは、表題も、文様も描かれていない本の化石。
魔法使いが伸ばした白い手が、琥珀色の背表紙の中に飲み込まれた。
「これがこの階層の隠し部屋。本物の『知恵と謎かけの迷宮』への入り口よ」
魔法使いは、美しい口元を吊り上げながら不敵に笑った。
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「『太陽よ、月よ、星達よ。汝が産まれた場所に帰れ』…か、扉は7つ。最後の扉だけは鎖で厳重に封じられている。7日間の創世神話ね。太陽と月が産まれたのは4日目、つまり4つ目の扉が正解よ」
魔法使いを先頭に、4人は4つめの扉を進む。
トラップは発動しない。解答は正解であったようだ。
「流石だな。これまで一度も間違えていない」
「攻略本付きだもの、これがあれば誰だって攻略できるわよ」
戦士の賞賛に、魔法使いは手に持つ本を掲げて素気無く答えた。
「だとしてもすごいですよ! その本、ヒントしか書かれていないのですよね? それに正しい情報を手に入れる事も、冒険者の能力のひとつです!」
「…まあ、写本の癖に滅茶苦茶高かったんだから、役にたってもらわないとね」
魔法使いの返答は今度も素っ気ない物ではあったが、その頬は若干赤い。褒められるのは苦手らしい。
魔法使いが手にする本は化石ではない。遥か昔に書かれた書物の写本であるらしい。知恵と謎かけの迷宮を攻略する上で、謎解きのヒントが記された物である。
答えまで書かれていないのは、答えを書き写しただけの者には正しい道は開かれぬと伝えられているからだ。
「賢者の石に書かれている言葉っていうのは、その本には載っていないのか?」
「ええ。この本に載っているのはヒントだけだもの。『賢者の石に刻まれた言葉は自らの目で確かめよ』その一文でこの本は終わっているわね。…さあ、これが最後の謎かけよ。朝は4本足、昼は二本足、夜は3本足の生き物を選べね。答えは…」
魔法使いは様々な生き物が象られた石像の中で、ひとつの石像を手にとった。最後の扉が、開く。
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「何もないぞ。選ぶ扉を間違えたんじゃないか?」
「そんな筈はないわ。解答が間違ってればそもそも扉が開かないもの。トラップも発動しなかったし、部屋の外観も古文書に記された通りよ。ただ、賢者の石だけが足りないのよ、ここには…」
終点はただの真っ白な部屋であった。
魔法使い達は辺りを調べるが、賢者の石どころか何もない。あるのは彼女達が入ってきた入り口の扉のみである。
「誰かがここから持ち去ったというのは考えられぬか? 魔法使いよ」
「それは考えられないわね。賢者の石がどんなものかはわからないけど。神でも無ければ持ち出すことなど不可能なはずよ。それに少なくとも、200年前までは確かに賢者の石はここにあったのよ。200年前に、最後の賢者がここで賢者の石を見つけて転職したって伝えられているもの」
魔法使いは考える。目に映るのはただの白い部屋。存在しない賢者の石。そして最後の質問とスフィンクス。彼女の知る全てを費やして、思考する。
「人間は翼のない二本足の動物である…か、そういう事ね」
「何かわかったのか? 魔法使い?」
勇者の問いに、魔法使いは厳かに頷く。
「人が人であるためには考え続けろってことよ。この白い部屋は思考する場所。真理なんて存在しない終わりのない思考を死ぬまで続けろって、知の女神は言っているのよ」
「つまり、どういうことだ?」
魔法使いは確信していた。何もない真っ白な空間で、自らが手に入れた答えを三人に語る。
「この場所には答えなんてないわ。あるのは真っ白な謎掛けのみ。要するにね、『答えがないことが答え』なのよ。賢者の石なんて存在しない。真理なんてないと理解することが、賢者への道の始まりなのよ。この真っ白な部屋は人間にそれを気づかせる為の舞台装置ね。一朝一夕で賢者になんてなれたりしない。自らが問いかけ、自らが考え、そして自らが答えをだせ。それが賢者への道程だと知の女神メーティスは言って…」
魔法使いの言葉はそこで途切れた。魔法使いのすぐ背後でドンッという大きな音が鳴り響いたからだ。
彼女が振り向いた先には、巨大な黒い石版が部屋の中央に鎮座していた。強力な神気をまとったその石版は、魔法に長けた彼女にはひと目で分かった。それが賢者の石であると。
「ふぇっ?」
魔法使いの口からもれた間抜けな声に、「プッ」と誰かが吹き出した。
「あ‥っ、いや、すまぬ、魔法使い。悪気はなかったのだ。続けてくれ」
吹き出してしまった誰かは戦士だった。戦士はきっちりと、魔法使いに頭を下げて謝った。
「なあおい、これが賢者の石ってヤツじゃないのか? すっげえ魔力を感じるぜ」
気遣いなど知らぬ勇者が、核心をついた。
「え‥、ええっと、そ、そうです! これはきっとご褒美ですよ! 魔法使いさんの答えが正しかったから、ご褒美に神様が賢者の石を出してくれたんです! きっとそうですよ!」
「ああ、なんだそういうことか。『答えが無いのが答え』とか俺には意味が解らなかったが、石はちゃあんとあったんだな。…あれ? じゃあ、『答えがないのが答え』ってのはどういう意味だ?」
「ゆっ、勇者さま! 答えがないのが答えというのは物の例えの話ですから! ね、そうですよね、戦士さん!」
「う…、うむ。流石は魔法使いだ。賢者の称号はお前にこそふさわしい。うむ、何も間違ってはいないぞ。…だからその…、気にするな、魔法使いよ。」
魔法使いは顔を伏せ、体を僅かに震わせていた。戦士と僧侶が、赤子を撫でつけるようにそろりと彼女をいたわっていた。
「いやあ、でもやっぱおかしいよな? 石があるってことは『答えが無いのが答え』ってのは、間違ってたってたんじゃ…」
「勇者様ッ!」
未だ事情を把握していない勇者の口を僧侶が塞いだ。勇者の口を塞いだことで、部屋は無言が支配した。
「…わなよ」
沈黙を破ったのは、魔法使いの震える声であった。
「これ罠よ! 人を堕落させる為の最後の罠よ! 私は惑わされないわよ、賢者の石なんて存在しないんだから! ここにはもう用はないわ、あなた達、帰るわよ!」
魔法使いの言葉に反論するものはいない。勇者も「なるほど、罠か! 俺には本物の賢者の石にしか見えなかったぜ! さすがは魔法使いだな!」と納得していた。
こうして魔法使い達は賢者の石を読まずに立ち去った。
「(この迷宮、人を馬鹿にしくさって! 賢者になんてならなくても絶対に攻略してやるんだから!)」
これより数年後、魔法使いは彼女のオリジナルの職業となる『大魔導師』を開発する事になるのだが、それはまだまだ、ずっと先の話である。
ステータス(三話時点)
僧侶(17歳)
レベル 42
力 37
素早さ 88
身の守り 52
魔力 164
精神力 195
賢さ 218
運の良さ 88
HP 196
MP 362
攻撃力 87
魔法攻撃力 264
防御力 112
魔抵抗 315
装備 奇跡の錫杖 攻撃力+50 魔法攻撃力+100
聖法衣 防御力+50 魔抵抗+80
聖銀のロザリオ 防御力+10 魔抵抗+40
石版が突然現れたのは、幼女が帰った後に、ダンジョンが慌てて元に戻したからです。