終末のダンジョン・第八話『危険な場所に踏み込んではいけない』
この世界で最大にして最高難度のダンジョンである終末の迷宮。
一層たりとも簡単な階層はないと言われている終末の迷宮ではあるが、特に危険だと言われている階層がいくつか存在している。
それら、デンジャラス・ゾーンとも呼ばれている階層の中でも特に有名なのは25階層『極寒と白失の迷宮』であろうか。
有名であるということは、それだけ多くの冒険者達を呑み込んできたことに他ならない。
書物や後述においてほとんど語り継がれていない70階層以降とは違い、24階層までならば、まだ、人の手の届く範囲である。
一流の冒険者ならば、24階層まではなんとか進む事ができるであろう。
しかし、彼等一流の冒険者達を悉く葬り去り、あるいは諦めさせた階層が、極寒と白失の迷宮なのだ。
そこは壁も無ければ溝もない。丸い平面で構成されるワンフロア迷宮である。
魔物が極端に強いというわけでもない。イエティーや氷熊といった強力な魔物も出現するが、群れをなすことはないので対処も容易い。
ならばこの25階層の一体何が危険だと言うのか。
その答えは『極寒と白失』の名前の通り、極限の寒さと、視界の全てを奪うホワイトアウトにある。
「くそッ! なにも見えないぞ! まるで雪の壁だ! 離れるなよ、僧侶!」
「はい、勇者様ッ!」
「ここが雪山ならビバークして吹雪が止むのを待つべきなのだろうが、迷宮の吹雪では止むことはない。進むしかないか」
仲間すらも見失う吹雪が迷宮の中を吹き荒れる。
壁も溝もないワンフロア迷宮でありながら、冒険者達を返り討ちにしてきたのが、この凶悪な吹雪なのだ。吹き荒れる雪が足跡も地形もかき消し、数えきれぬ程の冒険者達を葬ってきたのだ。
雪と氷が、勇者達の視界と体温を奪っていく。一歩一歩進む度に、体力が減っていくのを感じる。
冒険者の力量としては超一流である勇者パーティーをもってしても、極寒と白失の迷宮は正に命がけのデンジャラス・ゾーンである。
口を開けると体温が失われるような気がして、彼等はそれきり口を噤んだ。
俯くと、まつげから氷柱が垂れていた。
血のめぐりが遅くなっていく指先を無理矢理動かして凍傷を防ぐ。
真っ白なだけの世界が果てしなく続いている。
視界のように、ぼうっと白くなりかける頭を振って、前へ前へと進んでいく。
彼らが見据えるのはひとつの背中。先頭を行く背中に置いてけぼりを食らわぬように必死になって喰らいつく。
「温泉! 温泉! 絶ッッ対に見つけ出してやるわ! 伝説の美人の湯!」
決死の思いで進む三人に対し、先日25歳の誕生日を迎えてしまった魔法使いだけは、執念の炎に体と心を燃やしながら吹雪の中を突き進んでいた。
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「次はあっちね、ほら、さっさと行くわよ、勇者」
「なあ魔法使い。それって、本当にアテになるのか?」
勇者は魔法使いが手にする二本の鉤棒を指さした。
先程から彼らの進路をきめているのはこの二本の細い鉄の棒である。
目印も何もない真っ白なだけのこの25階層において、勇者たちはこの良く解らぬアイテムに生命を預けていた。
「ダウジングは歴とした魔術よ。特に水脈や温泉見つけるなら最適よ。おまけにこれ、伝説のダウザーのダウジング棒を拝借してきたものなんだから。絶対に見つけてやるわ、美人の湯を!」
「そ、そうか…」
勇者としては、温泉などよりも一刻も早く下へと降りる階段を見つけたいところではあったが、反論するのは危険な気がした。
「うむ。それに温泉が見つかればそこにベースキャンプを張って、探索範囲を広げて行けば良いだろう。元より何のアテもない探索なのだ」
戦士の補足は的を得ていた。
マッピングの魔法で確認すると、勇者達は入り口の階段からほぼまっすぐにある方向へと向かっているのがわかった。
吹雪は一向に止むことはなかったが、勇者たちは前に進み続けた。
10分おきに魔法使いのダウジングで方向を修正し、二度の雪中ビバークも敢行した。
そして三日目の午前。かれらはついに温泉を発見したのだ。
「あ゛ぁー、しーみーるーわぁー」
「熱…っ、よく一気に入ることができますね。私にはこのお湯、熱すぎて…」
「何いってんの、温泉は熱すぎるぐらいが丁度いいのよ」
魔法使いはそう言うとザボンと頭まで温泉につかった。
僧侶は体にタオルを巻いたまま、足だけをそろりと浸けて、体をならし始めた。
温泉を見つけた魔法使いは、早速その恩恵にあずかっていた。
耐熱と耐寒の魔法には長けている彼女ではあるが、魔法だけでは限界はある。
凍てついた体が急速に解凍されていくような錯覚を覚えた。
現在、温泉に浸かっているのは魔法使いと僧侶、二人の女性のみだ。
戦士はベースキャンプの設営を、勇者は周辺の見回りにあたっている。
あれほど凄まじかった吹雪も、温泉のある一帯だけは別世界のように穏やかであった。
雪はちらほらと舞い落ちる程度で、魔法使いの火照った白肌に触れた途端、ふわりと溶けて消えた。
「本当にいい泉質ね。魔力も感じるし、伝説の美人の湯の名は伊達じゃないわ。後で湯の花たくさん持って帰らなきゃ」
魔法使いは両手で湯をすくい上げると、薬でも塗るように肌に擦りつける。クリーム色に濁った温泉は、滑らかであり、神秘的な光を湛えていた。
「魔法使いさんのお肌はとても綺麗ですから、必要はないと思うのですが」
僧侶はようやく、腰まで体を湯に浸からせた所だ。
「そうでもないのよ。最近肌がすぐ乾燥するし、化粧するとヒリヒリ痛むことがあるのよね。いわゆるお肌の曲がり角ってヤツよ。アンタも若いからって油断してると気づいた頃には遅いわよ?」
「そういうものなのですか?」
僧侶は肩に湯を掛け流しながら、薄い相槌をうった。
「そういうものなのよ、だからアンタも勇者を落としたいなら早いめに片をつけなさい。男なんてすぐ若い娘に目移りするものなんだから」
「なな…、何をおっしゃるんですか魔法使いさん。わ、わたしは神に仕える身です。勇者様を落とすだなんて、そんな‥」
「何言ってんのよ、バレてないとでも思ってる? 好きなんでしょ? 勇者の事」
僧侶は顔を隠すように一気に鼻下まで湯の中に潜ると、暫く躊躇した後に、ゆっくりと頷いた。
「フフンッ、ようやく認めたわね。だったらもう少し積極的に行かないと、あの男、どうみても馬鹿か阿呆の類なんだから、密かに思ってるだけじゃ絶対に伝わらないわよ」
「そ…、そういうものなのですか?」
僧侶は顔を赤くしながら、尋ねた。
僧侶が自分の思いを打ち明けたのは、魔法使いが初めての相手である。
「そういうものなのよ、そうねえ、折角温泉にいるんだからちょっと冒険してもいいわよねえ。……というわけで、おーい! 勇者―! ちょっとこっちいらっしゃいよー!」
「まま、待ってください魔法使いさん! 一体何を!?」
「あの唐変木にもあんたが女ってことをもう少し意識させたほうがいいのよ。温泉っていうのは女を美しく見せるものよ。ほら、そんな隅っこでタオル巻いてないでこっち来なさいよ」
「で、でも‥っ! 私、恥ずかしくて!」
「大丈夫大丈夫。これだけ濁ってればなにも見えやしないわよ。いいこと? 男の気を引きたければ、まずは女だってことを意識させなきゃ何も始まらないわよ?」
勇者の足音が近づいてくる。
僧侶は魔法使いにこっちに来いと手招きされるが、踏ん切りがつかず、岩陰で身を潜めた。
「何かあったのか? 魔法使い」
「見回りお疲れ、用があるのは私じゃなくてあっちの…」
魔法使いは言葉を最後まで続けることが出来なかった。
先ほどまで魔法使いの鎖骨の上まで満々と湯を湛えていたはずの伝説の温泉の湯。
何事が起こったのか、その湯が一瞬でかき消えた。
勇者の目の前に何もつけていない魔法使いの体がさらけ出された。
岩肌に背を預けたまま、大の字で、余すところ無くあらわになった。
時が凍る。
我が身に降り掛かった突然の事態を把握するのに時間が掛かっているのだろう。魔法使いは大股を開いたまま微動だにしなかった。
この事態を察するのは傍観者である勇者の方が幾分早かった。
「(マズイ…)」と、勇者は思う。
魔法使いとパーティーを組んで一年。似たような事は以前もあった。
着替え中の魔法使いの部屋にノックもせずに踏み込んだ時。下着を拝んでしまった勇者は、回復魔法でも全治3日の怪我を負った。
今回は下着ではない。全治3日では済まないだろうと、勇者は慄いた。
時は未だ凍ったままである。
一瞬がとてつもなく長い気がした。引き伸ばされた時間の中で、勇者は走馬灯らしきもの見た。
子供の頃に、父が語った言葉だ。
・・・・・・・
「よいか勇者よ。もしも目の前に怒っている女性が現れたとしよう。そんな時、お前ならどうする?」
「ごめんなさいするんだよ、お父さん!」
勇者の言葉に父は頭を振った。
「甘いわ勇者! 女に頭を下げるなど二流のすることよ! 女というのはこちらが下手に出ればどこまでもつけ上がる! 謝るのではなく褒めろ! 胸を張って堂々と女を褒めろ。それが一流の男というものだ!」
妻に逃げられた父は、勇者にそう語った。勇者がまだ7歳の頃の話である。
・・・・・・・
勇者の目には今、魔法使いの胸も腹も全てが曝け出されていた。
意を決した勇者が、沈黙を破った。
「そのホクロ、複乳みたいでカッコいいな」
この日より、勇者全治三週間につき、迷宮探索は暫くの休養となる。
終末の迷宮25階層は、確かに危険に満ちていた。